2018/02/20

≪一言の言葉、教え≫を‶生涯のもの〟として、受け取る大切さ…

何でも楽しむこと。

「笑って病気が良くなった。」
「家庭に起こってる、諸々の事が全部良くなった。」

そやから‶わろてんか!〟です。

≪陽気暮らし≫とは、‶笑うことによって、喜ぶ事によって〟です。。
‶笑うこと、喜ぶ事〟が≪陽気暮らし≫です。

例えば、お祭りに参拝できなくても「辛い、辛い。行けなかった。悲しい!」と、思うと駄目なのです。

何事があっても、「楽しいな~」って喜んで下さい。
「楽しいな~」と思うと、心の中の物が、“すっきり”と抜けて行きます。

昔は‶雷〟のように、『神の理』は早かったのです。

でも、最近は『天命庵』の情報、あっという間に、他の方に届くようになりました。。

本当に早くなりました。

でも、返って≪一言の言葉≫の大切さ、というものを忘れています。

昔の先輩方は、、遠くから長い時間をかけて、苦労して『教えの言葉』に出会いに来ました。

「一言の言葉」を‶生涯の言葉〟として、受け取りました。

その一言を、ご神前に上げて、毎日毎日、宝として大切に頂きました。
そうすることによって『道』が顕れてきたのです。

「今日は、どうゆう言葉を頂けるだろか?」
「次は、何を頂けるだろうか?」

では、ダメなのです。

『頂いた言葉、頂いた教え、頂いた誠』を、しっかりと受け取り、毎日毎日、大切に頂いたら、本当に働くのです。

2018/02/19

人は自分で、問題を起こすのです

「喜ぶ事」
“喜ぶ事”によって、何も恐れることはありません。

人は「何か起きるのではないか?何か怖いことが起きるのではないか?」と思うから、返って、自分の方から問題を起こすような事が、生じてしまうのです。

でも、何も気にしないで「神様のお蔭」と喜んでいたら、何も生じる事はありません。

人は自分で、問題を起こすのです。

例えば、何かあったとします。
そうすると「誰かからこう言われるのではないだろうか?こういうふうな事が起きるのではないだろうか?」と考えてしまいます。

その恐れから、自分の方で、問題を起こすような状態を作っていくのです。

これが“鬼”です。

「福は内。福は内。」というのは、どういうことかと云うと、「あらゆることは福なのだ。喜ばしい事なんだ」と、思う事。

それが「福は内」なのです

今年は≪戌年(いぬどし)≫
‶わんちゃん〟は《守る》という事です。

《守る》という事は、どういうことかと云うと、
「恐ろしい事を、怖がらない。病気の事を何も心配しない」

本来病気というものではない、お恵みであります。

病気になって『この教え』に繋がった方が、沢山いらっしゃいます。

『神様』が、呼んで下さったのです。

そう思うと、病気になった事も喜べますね、有難いことです。

≪喜んで下さい≫
≪何も恐れることはありません、怖がる事もありません≫

何時も楽しんで、喜んで下さい。

2018/02/18

“欲”を、かかなければ、人は皆⦅福の神⦆になれます

‶節分〟も終わり、「立春」という節に代わり、“土”から“金”が生じるという‶素晴らしい年〟を迎えています。

それぞれが『神様』の大きなお光を得て、道を間違えぬように、一筋に『親神天理王命』の誠を信じ、おぢばより生じる、この世の全ての光を信じ、皆、それぞれが神の子となり、神の光となって、ますます輝きます事を心より念じ、新しい年の始まりを、心よりお祝いいたします。

「福は内。福は内」と、豆をまいて、新しい年を迎えました。

『神の教え』には、“鬼”という言葉はありません。

≪鬼は、我が心にあり≫
我が心にあるのが“鬼”です。

“鬼”を追い出すというのは、まさに『教え』に触れることによって、“鬼”というものが生じない。

まさに『教え』というものは“鬼”を作らない事です。

皆さんが様々な“節”を頂いて、『この教え』にご縁を頂いた道すがら「どうして自分はこんな病気に、問題に出会ったのだろうか」と、恨んだと思います。

その恨む心が“鬼”です。

しかし、病や事情、問題を頂いたおかげで、『教え』に出会うことがで、幸せになることができた方が、大勢おられると思います。

病や事情や問題に出会って「お蔭さまで。有難い。かたじけない」と思う事によって、まさに“鬼”というのは消えていくのです。

『この教え』は、『“鬼”を払う教え』です。
まさに“鬼”を作らない『教え』です。

そして、皆さんが⦅福⦆を頂く『教え』です。

《神楽歌》の中に「かみのまえにはよくはなし」と、あります。

“欲”を、かかなければ、人は皆、⦅福の神⦆になることができます。

人には皆、多少なりとも“欲”があると思うます。
「美味しい物が食べた」
「いいい暮らしがしたい」とか・・・

でも、‶人が幸せになる〟と、云うことは、当たり前の事です。

「仕事が上手くいきますように」
「家族が、皆、幸せでありますように」と願うのは“欲”ではありません。

≪“欲”というのはどういうことかと云うと、生かせない事を、あれもこれもと欲しがり、欲張る事です≫


2018/02/16

中高齢者用マンション、5か月目に入り、“終の棲家”とゆうよりは“長期湯治”に来ている気分かな?

朝、7時、お部屋のインターホーンが、鳴りました。

未だ、ベッドの中だった私、慌てて出ると、「今、ナースコールが鳴りました。何かありましたか?」と、落ち着いた男の方の声。

一瞬キヨトンとした後「す、す、すみません。主人がお風呂に入っているので間違って押したのかも・・・」

「お騒がせしました」と、謝る私に「何事もなければ、良かったです。何かあったら直ぐご連絡ください」
と・・・

ベットの側にも、お風呂場にも、トイレにも、すぐ手が届くところに、ナースコールがあります。

洗面所には‶ケアチェクセンサー〟が付いていて、一定時間(9時間だったかな?)人の動く気配がないと、フロントから「無事かどうか」の連絡がはいるそうです。

そして、リビングのインターホーンは、受話器を持ち上げると、即「はい、香川様」と、お返事が・・・

2回ほど、受話器を引っかけて落としてしまい「度々やると、オオカミ少年になってしまいますね」と、謝りながら言ったら「大丈夫です。よくあるんですよ。こうゆうものは、すぐ連絡できないと、意味がないですから」と・・・

毎日、お年寄り相手に大変だろと、両親の介護を経験した者として、気を使うのですが、フロントの女性達、本当に優しくて親切で、凄いのです。

ちょっと都会の雑踏を離れると、人間に穏やかさと、ゆったりと時間が流れている‶ゆとり〟みたいなものを、働いている方々、皆に、感じています。

南向きの角部屋なのですが、片方が洒落た出窓になっていて、洒落すぎで外気を感じるので、二重サッシに取り換えてもらい、そうするとカーテンも直さなければと、未だ落ち着いた生活とは言い難く・・・

でも何となく、こんな感じで日々過ぎてゆくのかな・・・

我が家は、1週間前にメニューを見て、頼むかどうか決めますが、3食のお食事付き。

食べ物について‶美味しい、不味いは〟は、言ってはいけないと思いますので書きませんが、「毎日このお食事を食べていれは、長生きするだろうな~」とゆう感じのメニューです。

お食事を創らないとゆう事は、食材の買い出しにゆく必要もない。

その割りには、忙しいのですよね。

落ち着かないとゆうわけではないのですが、終の住処に辿り着いたとゆうよりも、長期の湯治滞在中、とゆうか、ホテル住まいみたいな感じなのは何故かな?

一軒家住まいでも、マンション住まいでもない、経験したことのない生活をしております。

自分らしい生活スタイルを作るには、もう少し時間が掛かりそうです。


2018/02/14

今、世の中はとても‶危険な時代〟です

何故ならば、皆、物質や形にばかりに氣を取られ、⦅心⦆を見ることが出来なくなっているからです。

⦅心⦆さえ、しっかりと立ち上がれば、様々なものは治ります。

昔から『病(やまい)は≪氣≫から』と言います。
≪氣≫とは、人の⦅心⦆です。

≪氣≫が立ち直れば、病は変わります。
≪氣≫を立ち直らさなければ、いけないのです。

思いに‶かたじけなく〟思わなければいけません。

今、形ばっかり、物質ばっかりに思いがいっていて、テレビを見ていて、本当に悲しく感じた話がありました。

クリスマスの後に、質屋さんは大儲けをするそうです。
何故かというと、クリスマス・プレゼントとして頂いたものが、質屋さんに流れてくるからです。

彼氏彼女から頂いたプレゼントが、現金化されるのです。

悲しすぎませんか?

プレゼントして下さった方の⦅心⦆を受け取らなければいけないのに・・・

⦅心⦆を受け取る事が出来る人が、本当に減っています。

物欲に走っている人の、なんと多いことか・・・
⦅心⦆を受け取ることが、一番大切な事なのに、です。

⦅心⦆を学ぶことが出来る人は、本当に素晴らしいのです。

⦅心⦆を学という事は≪氣≫を強くする事。

≪氣≫を強くするという事は、健康になる事です。

『教え』を学ぶことによって、様々な悪難(あくなん)や、様々な問題を、降り払う『力』を得ることが出来るのです。

『神様の教え』を学んで、⦅愛⦆を頂いている方は、⦅愛⦆を配らなければいけません。

⦅愛⦆を配ることによって、人は『力』を得ることが出来ます。

‶優しい言葉や、愛情のある言葉〟を学ぶ方は、⦅愛⦆を配って下さい。

お人に親切に、大切にしてあげて下さい。

《親切》というのは、⦅深い心⦆からくる⦅愛⦆です。

2018/02/13

《命の尊さ》が、忘れられているような事件が多いのは・・・

永日(えいじつ)
春の暖かな日。
春の長い長い暖かい、お恵みの多い日。

春の季語(きご)です。

夏目漱石も「永日小品」(えいじつしょうひん)とゆう小説を、書かれています。

昔は、お手紙の最後に「永日」と書いて「いずれ日ながの折にゆっくりお会いしましょう」と、別れの挨拶や手紙の結びに用いました。

昔の方は、そういう言葉を、とても大切にしたのです。

「天命庵」でも元旦に≪柳の結んだもの≫を飾ります。

≪柳を結ぶ≫という事は、結ぶことによって、「又、お帰り下さい。」

「又、この素晴らしい日に帰ってくれて、皆さん、戻って来て下さって、有難う。」とゆう意味です。

常に、日本の伝承、中国の昔から、年の初めに「お帰り下さって、本当にお戻り下さいって・・・」との思いがありました。

それを考えますと、昔は、医療が今のように進歩していなかったので、ちょっとしたけが、病気、お産などで、人は亡くなってしまいました。

昔は、人生50年と、言われました。

それ程、昔は『命』を長らえる事が、とっても大変だったのです。

今、いろんなことが進化して、『命』を長らえる薬や治療が進み、凄く人間の『命』が伸びている時代になりました。

おかしな事ですが、それと同時に『命の尊さ』が、忘れられている時代です。

如何に『命』が大切であるか!
本当に今の方々は、忘れてしまっています。

そして、今、とても大変な時代になりつつあります。

本来、《見えざるもの、心、精神的な物》を追求する事によって、人はとても良くなるのです。

それが、今、世の中は、見える物―お金や、物―物質的な物ばかりに走って、精神的な物の追及を忘れています。

だから、人の命を粗末にする、とんでもない事件が起こるのです。

心というのが、とても消えてしまっています。


2018/02/11

親様は「≪親切≫とゆう言葉は、最も美しい」と、言われます

芹沢光治郎先生も、晩年、言っておられました。

朝起きて「今日、この日、眼が開いて、有り難いな~」
「今日、この時、如何に大切か」と・・・

年を取って、そう感じるのは当然かもしれません。

でも『教え』を学ぶという事は、まだお若い方が多いかもしれませんが、そのことが解ることが大切なのです。

「今日、この時の、有難さ」

「今日、この時、お仕事ができる事の有難さ」

「今日、この時、お参り出来る事の有難さ」

「ずっと祈って下さっている方のある事の有難さ」

「有難い」と思っていると、気付かせて頂ける。

人間、一生懸命『心』を学んでいる、気付かせて頂けるのです。

どうして気付けるかとゆうと:
「かたじけない、有難い~~~」と思って喜ぶ事。

いつもお相手に暖かい言葉を掛けさせて頂く事。
レストランでも、タクシーでも、何処でも何かして頂いたら「有難うございます。ご親切にして頂いて」

「ご親切に、ご親切に」と、口癖のように。

「親様は≪親切≫とゆう言葉は、最も美しい言葉です。大切にしなさい」と、言われます。

「親切」とは、深い心である。

「ご親切に」とゆうのは‶深い心〟なのです。

「ご親切にして頂いて、有難うございます。」
「大切にして頂いて、有難うございます。」

そうゆう『言霊』によって、人間とゆうのは、性格がどんどんどんどんが、上がります。


2018/02/10

『一期一会(いちごいちえ)』の大切さ

「有り難いな~ かたじけないな~ 嬉しいな~」と思う事によって『神の理』に触れる事ができます。
「有り難い」という心に『神様』が働かれます

多少難しいことがあっても、多少大変な事があっても「大変!」と思わないでください。
「有り難いな~」と、思う事。

これは『凄い理』なのです。

人は、《夜、寝て、朝、目を覚ます事》を、当たり前だと思っています。
でも、当たり前ではないんです。

寝て、そのまま目覚めない方もあるのです。

《朝、起きること、命があるということ》は、偶然ではないのです。

‶命がある〟ということは、偶然ではありません。

《朝、目が覚めた事》を、喜ぶ事。

これ『理』です。

‶1日、1日〟というのが、凄く大切です。

今、今日、この瞬間、この時、今日が最後かもしれない。

だから、昔の人は『一期一会(いちごいちえ)』という言葉を教えてくれました。

今日が、今が、最初で最後かもしれない。

周りの方々と、共に過ごすのは、今日が最後かもしれない。
だから、互いに悪い事は、言わないで下さい。

心を込めて時を過ごして下さい

それだけ『命』というものは‶尊い〟ということです。

『一期一会』今日、この瞬間、この時、が大切なんだということです。
明日が来るかどうか、誰にも分りません。

今日、この時、この日を本当に「かたじけない。有り難い」と、感謝して過ごしてくだい。


2018/02/08

『無理』の”理〟とは「神心」-神様の心です

≪無理≫という字は「無」という字に『理』と書きます。

親様が良く言われる言葉の中に『理』というのがあります。

『神様の心』

スターウォーズに『理力』と出てきます。
凄いですね!

‶自分の心の力〟パワーが出てくるのです。
『理力』とゆう力。

でも、『理の力』とは『神の力』です。
『神の心』です。

自分の心にそぐわない事『神の心』にそぐわない事をするのが「無理」なのです。

『神の教え』にそぐわない。

本当に無理をしない。
自分の身体と、自分の心と、自分の在り方を考えて、自分が喜べる、楽しめるような方向に、無理をしない。

喜べるように動く事が、『神』が働くのです。

「昔はこうだった、昔はこうゆうはずだった」

それは、昔です。
今ではないのです。

今は今の、皆さんの働きがある訳です。
今にあった、思いや、体に合った働きがあるのです。

年に応じた在り方とゆうのが、とても大事です。

いつでも、どんな時でも、「無理」にするのではなく‶喜んで〟!

喜んでないとゆう事は「無理」をしている事ですから。


2018/02/07

≪においがけ≫とは‶お相手を思いやること〟

今年は≪においがけ≫です。
≪においがけ≫というと「この教えは素晴らしい!この教えは素晴らしい!」と言う事、と思う方が多いかもしれません。

でも、≪においがけ≫というのは‶お相手を思いやること〟

‶相手を思いやる事〟が≪においがけ≫です。
「素晴らしい教えがありますよ」ではなくて、‶相手を思いやること〟

例えば、親御さんの事で「この頃イライラしてるし、少し忘れっぽくなったし、大丈夫かしら・・・」等と思わないで、
「お母さん、本当に有り難いな~元気だな~」

「人間というのは、歳を取るのだから、それでいいのだな~」って、優しく思えば良いのです。

自分の身体に対してもそうです。

歳を取ると人は「昔だったら、あれが出来たのに、これが出来たのに」と、思いがちです。

でも、若い時とは、違って当然なのです。

50代なら50代の身体、60代なら60代の身体なのです。

「こうやって動かせて頂いて、有り難い」と、思いやる。

やはり自分の‶年齢〟と云うのは、ないようで、やっぱり少しはあるのです。
やはりそこは、考えなければいけないのです。

昔の方が、歳を数えてくれたということは「自分の歳に合ったように、自分の身体と向かい合いなさい」と云う事ではないでしょうか。

80になったら、80才の健康。
百になったら、百歳の健康とゆうのが、あるのです。

若い時は寒さなんかへっちゃらですが、歳を取ったら、やはり体を温めて下さい。

《災い》というのは「こうだったはずだ。こうゆうはずだ。こうゆう風なはずだ」とゆう思いが、《災い》を呼ぶのです。

≪今の流れを感じて、今の心を感じて、今の自分の在り方を感じて≫喜んで生きる事が、大切です。

これが無理をしないということです。


«3年間、『酉(とり)』『申(さる)』『戌(いぬ)』の“3匹の干支(えと)”の‶鬼退治〟とは・・・

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