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June 29, 2009

『南無阿弥陀仏』は全てを阿弥陀様にお任せする

との意と、時宗のご導師がご近所のおばあちゃんの葬儀で言われました。

昨年まで、娘さん(といっても67歳ですが)ご夫婦とご一緒に住んでおられました。
ご夫婦で血相変えて「姿が見えない」と近所を探し回られたり、デパートで呼び出しのアナウスを耳にしたりと、段々認知症が進んで大変そうでした。
お近くに良い民間の老人ホームがみっかり、最後はそこで迎えられました。

ご近所の方が亡くなられると、主人が自治会長をしているので、知らせがきます。
ご町内に、お通夜、葬儀の場所と日時等の緊急の回覧を出します。

ところがこの頃、これがなかなか難しいのです。
家族葬にするので、伏せておいてほしいとの事もあれば、
“近親者のみで”との知らせを受けて、そのつもりでいると、遠慮しておられる事が分かり慌てて回覧を回したりとか・・・

今回も、娘さんが「母が亡くなりました。葬儀は近親者だけでいたしますので、お宅とお向かい(遠縁に当たられる)だけにお知らせします」
と、亡くなった日時、葬祭場、お通夜、葬儀の日時が書いた紙を持って尋ねて来られました。

急な事で本当にビックリし、お悔やみを述べながら、一段落して『さて、どうしょう???』
身内だけでなさる場合は、後から正式な連絡がくるか、詳しい内容は知らせないのが普通なものですから・・・
「身内だけで」と何度も言われるけれど、ここまで詳しく知ってしまって、おばあちゃんと戦前からお付き合いのあった“地の方々”に黙っているのも心苦しいし・・・
「本当に親しくしていた方にお知らせしなくていいのですか・・・最後のお別れをしたい方がおられると思うのですが・・・」とやんわりと聞いてみると、
「あら、そうですわね~それではお任せします」
『いや・・・その・・・お任せされても困るのですが・・・何方まで知らせるかはご自分で決めて頂かないと・・・』(これ本心です)

ご導師さまが「今夜、読経の中で、何度も『南無阿弥陀仏』と申し上げました。
ご家族は、亡くなった方に“ああもしてあげたかった、こうしてあげれば良かった” 。
又、亡くなった方が“ああもしたかったのではないか?心残りがあるのではないか?といろいろ思われるでしょう。
「南無」はお任せする。全てを阿弥陀仏にお任せする。後は阿弥陀さまに全てをお任せします。と言う事です」
「そして今晩は皆さんで、亡くなられた方の“所作、笑顔、志、嗜好、思考”この5つを偲んであげて下さい」と話されました。

この頃は、お別れの仕方にもいろいろあって、どれがどうとは言えません。
でも、ご導師のお話を聞きながら、おばあちゃんを偲んでくださるご近所の方々にお知らせして、よったのではと思いました。


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June 21, 2009

リハビリが始まりました \(^o^)/

「そろそろ杖は使わなくても大丈夫」とか「しっかりテーピングしてあるから包帯はもういらないかな?」と整骨院の先生に言われても、「もうちょっと今のままにしておいて」と私がストップを掛けるような状況が、ここのところ続いていました。
先生も無理にとは言わないタイプの方で、私が納得するのを待っていた様子。

昨日突然「そろそろリハビリに入りましょうか?ちょっと痛い位で、過激な事はしませんから」と断わってから、靭帯損傷した方の足をぐりぐりと可なりの力で揉みほぐしだしました。
私、痛みには滅法弱いので“痛かったら騒ぐわよ!”と身構えたのですが、騒ぐ程の痛みではなくホッ!
「私の足そんなに揉んで壊れないの?」
痛くないと分かって余裕がで、結構失礼な事をさらりと聞いてしまう悪い癖が・・・
「よ~~くほぐしておかないと、将来気候の変化によって、俗に言う“古傷が痛む”事になるから、ちゃんとリハビリしておきましょうね」と言いながら、先生も“痛い”と騒がれなくてほっとしている様子。
扱い難い患者ですみません。
なにせ大きな怪我は生まれて初めてなもので・・・

その後、10度の傾斜の付いたボードに起立。
痛くも痒くもなくて楽勝と思ったら、体は正直で、見る見る足首から下が真っ赤に。
物凄い負担が掛かって足が頑張っているからだそうで、でも1回目は3分だったのですぐお仕舞い。
傾斜を段々20度~25度に上げて慣らし、リハビリの最終はクッションボードに片足で上手に立てるようになる事。
そこまで筋力を付けると、年を取ってからの転倒の危険性がぐっと低くなるそうです。

「怪我をして動かないでいると、誰でも筋肉が落ちて当然だけれど、香川さんはもともと筋力がないから、頑張らないと、またすぐ蹴躓いて転ぶよ」と言われてしまいました。
何か一々言われる事が、つい数ヶ月前まで、私が両親の介護をしながら常に言っていた事と同じで・・・それにしてもちょっと言われるの早過ぎ!

私、気が向いた事はとことん努力するのですが、向かないと見向きもしない性格でして、体を動かすのをサボってきたツケが早々と回ってきたようで、焦っております。

リハビリをもう少ししたら“歩く、ただ歩く、ひたすら歩く、歩く為に歩く”
足にあった靴を履いてせっせと歩けば、足腰を鍛えるのは今からでも遅くないと言われました。
筋力は充分あるけれど、メタボ気味の主人を誘って一緒にテクテク歩きます。

怪我のお陰で2ヶ月半ゆっくり休めたし、足腰の鍛え方も教わったし、大収穫です。

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June 17, 2009

臓器移植法改正について(1)

現行法(97年成立)では、「本人に脳死からの臓器提供の意思がある場合のみ脳死は“人の死”(それ以外は心臓死が人の死)」と定められています。
この定義でいくと“人の死”は、条件によってくるくる変わるものなのですね。

そんなバカなことが・・・と思っていたら、法的な整合性がとれるよう「死」を定義する、科学的な死の定義を今国会で決めようとしているようです。
政治家のお仕事は「法律」を作る事なのですから、政治家が「人の死を定義」するのは当然の事なのですが、それでもとても違和感を抱いています。

3年後の見直し規定が放置されて9年経つ現行法。
海外では臓器移植の実施が進んでいるのに、日本では臓器の提供数が増えない事。
世界的に臓器移植は自国での動きある事。

それで、何とかしなければと焦っているように私には見受けられるのです。
「脳死は人の死」と定めるかどうか、重い哲学的判断、生命倫理まで含まれる難しい問題だからこそ、なかなか議論が進まなかったのではないでしょうか。

それぞれの国に、医療制度の在り方、救急医療制度、医師への信頼、命のみとりの文化等の違いがあり、脳死移植への考え方に差が生じるのはいたし方ない事です。
日本には、心身を統合的にとらえようとする仏教的思想が土壌にあり、又、みとりの時間を大切にする文化的な背景もあります。

“死”を国会議員の専権事項にしてしまうのではなく、日本に根ざしている生死感に沿って、国民の選択が反映できるような法体系を整えてほしいと思っています。

朝日新聞の『臓器移植インタビュー』に国会議員で小児科医の阿部知子氏は
「国内でも子供の臓器提供を解禁すべきだとの声が出ていますが」の問いに
「『移植が必要』といわれる子供を減らすことの方が本質的に大事だ・・・本当のよりよい治療をすれば、移植を求める子供の数が大幅に減ると思う」と答えています。
そのことも含め、臓器移植法改正の採決をする前に、議論されるべき問題が山の様にありそうです。

でも何よりも私が感じている事は、物事を考えるには順序というものがあるのではないかと・・・
まず人の死とは、人間がどのような状態になった時をもって決めるのか。
脳死をもって“人の死”と定義する事に、国民が本当に納得できるのか。
そのような議論は、臓器移植に関係する人達を除いてなされた方がより公正なように感じます。
臓器移植についての議論はその後でなされて然るべきものではないかと・・・
その議論の中で、多くの人が納得できる日本型生命倫理を構築していく必要があるのではないでしょうか。

生命にかかわる重要法案が、充分な議論もなされないまま、会期末を控えた時に駆け込みで採決されてしまうことに、不安を禁じ得ません。

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June 08, 2009

「足利事件」の菅家さん釈放と「裁判員制度」

日本でまさに“裁判員制度”が開始されようとするこの時期に菅家さん釈放、様々な問題を投げかけているように感じます。

「疑わしきは罰せず」刑事裁判の原則だそうです。
ラテン語の直訳は「疑わしきは被告人の利益に」とも言うそうです。
裁判員に選ばれたら肝に銘じておきたい言葉ですね。
完全な人間なんていません。
人間は故意、故意でなしにかかわらず、過ちを犯す可能性のある存在です。
不完全な人間が、人を裁く。
しかも裁判官のように学校で司法の勉強をしたことのない一般の人が、ある日突然、裁判員になるのです。

「疑わしきは罰せず」
それでは罪を犯した者が得をするとか、被害者の立場はどうなるのか、と思う方がいるかもしれません。

老子の言葉に「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏らさず」
“天の張る網は、広大で一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。即ち天道は厳正で、悪事を行えば早晩必ず捕らえられ、天罰をこうむる”とあります。

日本でも一頃まではお年寄りが「お天道様(オテントウサマ)が見ているよ」とよく言っていたものです。
“人の目は、見える所でしか判断しないけど、お天道さまは、陰日向(かげひなた)なくすべて見透かしている。だから、悪いことはしてはいけない。必ずした事の報いは返ってくる”と。

何も法治国家を止めて、全てを天に任せましょう、と言っているわけではありません。

ただ人智を尽くして検証しても、それでも疑がわしい時、後は天に任せよう。
そんな思いに至った時、検察、弁護団、被害者、マスコミ等の誰の側にも巻き込まれず、正しい判断に少しでも近づけるかもしれないと、思ったりします。

罪を犯した人を、裁くのは当然のことです。
でもその過程で、冤罪を生み出すような事があっては決してなりません。
人間は全ての事に白黒をつけられる程完全ではない。
そして人間が研究したものは、DNA鑑定も含めて、可なり正確なのでしょうが、完璧ではないはずです。

「裁判員制度」“疑わしきは罰せず”“人間は完全ではない” この2の事を、常に頭に置きながら謙虚な姿勢で臨める環境が創られることを願っています。

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June 05, 2009

北の核実験と祈り

「北朝鮮のことは本当に人間の奢り高ぶりですね。地下であのような核実験をしたり、まさに地を汚すという事は、天地の理を狂わすわけであります。
今日の大雨を見て、神様が地を汚されて清めているように思えてなりません。
人間の奢り、自分の権力を示そうとする事が、まさに様々な障害を作ってしまいます。
・・・人間の奢りというのは怖いものです。地下で核実験をして、それによって大地に歪が起こる。起こった歪は、天にも地にも現われます。
人間の奢り高ぶりで起こした事が自然界の流れを変え、水の流れを変え、奢りによって世の中の動きを皆変えてしまいます。
どうすればいいのでしょうか。
祈る事です。お詫びをする事です。
何万分の一でも皆さんがお詫びをして、それこそこのような爆弾の実験をした人々の代わりに詫びをする。
祈るという事は凄い力なのですよ。与える事であります」
天命庵の親さまが“北の核実験”について、こんなお話をされました。

遅々として進まない拉致の問題、独裁者に虐げられている人々、私達の国の上空を飛んでいった自称人工衛星、そして核実験。
いつも『世界の大国が自国の利害ばかり考えているから解決できないのではないか』と苦々しく思っていました。
勿論一番愚かなのは北のトップですけれど・・・

韓国が融和政策を実施しても、国連が事あるごとに制裁決議を出して実行しても、何も変わらないと言うか、おかしくなる一方です。

どうでしょう、こんな時は、祈ってみたら・・・
各人が、それぞれの場で、時間のある時に“北の人々の人間らしい暮らしを、真っ当な政治が行われる事を、核爆発によって汚された自然が清められる事を”心を込めて祈ってみては・・・
祈りには一銭のお金も掛からないのです。
数分間、心を込めるエネルギー以外は何もいらないのです。
人間って不思議なもので、“ただ”だと効き目が無いような気がします。
お高いと如何にも効果がありそうな気分になります。
そうゆう方は変な宗教団体に騙されやすいのですよ。
自然に神に祈るのに、お金は掛かりません。
真心をお供えすれば良いのです。
手詰まりな時は、祈れる人は祈りを奉げる。
大切な事だと信じています。

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June 03, 2009

岡田幹事長来る

民主党・岡田幹事長がゲストのタウンミーティングに週末行ってきました。
“岡田幹事長来る”のチラシの折込みを我が自治会の有志で1万数千枚、引き受けました。
小沢元代表の辞任以来、チラシを受け取る人が1.5倍に増えたそうで、追加の緊急作業も請け負ったりしたので、チラシの効果を確かめておきたくもありまして・・・
地元候補者の中塚氏「党首が変わっただけでこんなに風向きが変わるのかと不思議で・・・今後風向がどう変わるか解らないので、気を引き締めていかなければ」と言いつつも嬉しいそうです。

会場は大勢の立ち見が出て満員御礼。
岡田氏の「皆さん!給付金受け取りましたか?」の問いかけで始まって
「間違っても受け取って「有り難う」なんて思わないで下さい。
あれは自分の払った税金が戻ってきただけなんです。
そもそも「国のお金」などというものは一銭もないんですよ。
国のお金とは、全部皆さんが払った税金、保険料、消費税なんです」

TVや新聞で知っている内容でしたが、直接聞くのはやはりいいですね。
まず、司会者、他の出演者、コマーシャル等に遮られないので話がアチコチ飛ばずに主張がしっかり聞ける事。
後半、質疑応答があったのですが、的を得た質問から、何が聞きたいのか???の質問までいろいろ出ました。
その日、県内を6ヶ所講演に廻った最後が我が地だったそうで、お疲れの様子の中、どんな質問にも几帳面に誠実に丁寧に対応しておられました。
生だと、お人柄がモロ見えます。
堅物とか融通が利かないとか耳にしますが、政治家にこうゆう筋の通った生真面目な方がいるのも良い事かもしれません。
余りにも今の政治家さん、融通が効き過ぎて、ご自分の主張がブレまくっていますもの。

何党でも良いのですが、お近くで政治家又は候補者の講演会があったら、是非顔を出してみて下さい。
国の、そして自分の、子供の、孫の未来を託して大丈夫かどうかを確かめに。

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