October 02, 2008
1日平均9千万円の被害だそうです。
先月我が自治会で「振り込め詐欺と空き巣の被害を防ぐために」「緊急災害時における医療対策について」と題して『暮らし安心講座』を開きました。
「油断してたら危ないかも」 安全指導員の説明を聞きながら思いました。
一体誰が騙されるのだろう?とニュースを聞く度に不思議に思っていた還付金詐欺。
お金を還付すると言われて、どうして被害者がお金を振り込んでしまうのか、私には納得がいかなかったのです。
それが安全指導員2人の寸劇を観てなるほど・・・
人間の心理を実に巧みについています。
被害者をATMの前まで行かせることが出来たら、詐欺はほぼ成功。
カードと暗証番号で画面に自身の口座を出させ「振り込みが出来るかどうか確認する為に“残高”のボタンを押してください」で“残高”のボタンを押させる事が出来たら100%成功確実。。
ご丁寧に620円の振り込み手数料を引いて、残りの口座のお金は全額、詐欺師の手中に。
感心している場合ではないのですが、まあ頭のいいこと!
そんな悪事に使うエネルギーを、社会のお役に立つ事に使えば、素敵なアイディアが一杯で出てくるでしょうに、勿体ない。
被害に会われた方々は本当にお気の毒だと思います。
中には“老後の虎の子を”という方もたくさんおられるでしょうに。
考える時間を与えないで次々と事を進めていくのが相手の手口です。
それでも子供が、孫が、甥姪が不祥事を起こしたからと、数時間の間に数十万、数百万から数千万の現金を振り込む、日本ならではの詐欺ですね。
被害者は60代70代が中心。
女性が圧倒的に多いそうです。
「日本の家庭では女性が財布のヒモを握っている証拠です」と冗談にも本気にもとれる安全指導員の言葉。
今、振込詐欺特別警戒中で2千人の警察官がATMコーナーに張り付いています。
敵もそれを察知して、新手の騙し方を考え出したようです。
ATMを使わないで、バイク便で直接現金を取りに来る。
もちろんバイク便の人達もグルです。
でも顔を見られるので、足がつく危険がとっても高いと思うのですけれど。
今の時点では、殆んど捕まらないそうです。
幸いな事に、ご町内で引っ掛かった方はいませんが、それらしい電話があったという方が何人も・・・
気をつけなければいけませんね。
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September 25, 2008
冠婚葬祭の折に会う程度の関係ですけれど・・・
はじめから麻生さんの出来レースだと分かっていても、やはり気になるものです。
候補者の中で最高齢、体力的な事もあり。
党員ではない私には総裁選自体は直接関係のないことですが、自民党の総裁はこの国の首相になり、政策が国民の生活を直撃することでもありますし。
彼自身は誠実な人柄で、言うべき事は言い、お金にきれいなところが政治家として立派だ、と主人はいつも言っています。
でも彼個人がどうこうという以前の問題として、自民党にこのままこの国を任せておいて大丈夫なのか、という大きな不安を抱いています。
かといって民主党というのも、ちょっとね~~
国民が政治にきちっと参加している海外で長く暮らしていた事。
又、昔、主人が自由党から出馬という話があった事もあり、いつも政治に関心を持っています。
今回の総裁選を見ていて気になったことを幾つか。
何故いつも候補者5人がめだかのように群れをなしてつるんでいなければいけなったのでしょうね。
本当に自分の主義主張を伝えたいのなら、それそれが自分の主張を1番訴えやすい場所で、方法で立候補演説するべきだったと思うのです。
毎日毎日どのチャンネルを回しても同じ5人組の顔が同じ席順でとなると、幾ら司会者が変わってもね~
司会者の突っ込みで主義主張が変わったら、それはそれで問題ですし。
ということは、いつも同じ話を聞かされるということで・・・
その上、総選挙で票のとれそうな目先の話が圧倒的となると、どうもね~~~
食料の多くをエネルギー資源の殆どを輸入に頼っている国として、唯一の被爆国として、国際社会とどう関わってゆくのかを含めた世界観、熱く語って欲しかったですね。
安心して子供が生め、安心して子育てが出来、安心して年をとれる社会。
それらこれらの問題を、何か全てお金で解決しようとしているような・・・
物事は全てお金で解決出来るのでしょうか?
確かにお金は大切です。
なくてはならないものです。
でも同時に、私的にはそれ以上に、人と人との繫がり“人間パワー”を生かすことによって解決できる部分も多々あるのではないかと考えています。
寛容な精神、助け合いの心、譲り合い、生きやすい社会をつくるための人間としての基本的な考えかた抜きで予算だけ弄っても、お金が底なしに掛かるだけではないでしょうか?
平和と命と環境はつながっている。
どれもお金では買えない。
そんな事を考えさせられた総裁選でした。
遠縁の彼は留任。
国民の為に頑張ってくれる事を祈っています。
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March 15, 2008
フルナーゼ点鼻薬、アイビナール点眼薬、飲み薬はアレギサール錠5mg
ここ10数年、花粉の時期をこの3点セットで上手に乗り切ってきました。
多くの西洋医学の薬に異常反応を起こす私にとっては、珍しい事に全く副作用が出ない本当に3種の神器なのです。
花粉を目で感じ始めてから使い出してもすぐに効くし、この3点セットを使っていると殆ど自分が花粉症だという事を忘れている位、素晴らしい効き目を発揮してくれていました。
ところが、ところが、今年は3種の神器の神通力が落ちてしまったみたいで・・・
例年と同じように使っているのに、目はかゆい、時折凄まじいくしゃみと鼻水、頭の中は“ぼーっ”
どうしてしまったのか、まるで理解不能状態。
今年は去年より花粉が多いことは、確かなようですが・・・
でも、去年まで効いていた薬が、突然効かなくなるなんて事があるのでしょうか?
お医者さんに相談しなければと思いながら、去年との差は何だろ、と考えておりました。
それが思い当たったのですよ!
花粉情報を聞く前から『今年の花粉症は、疲れていて免疫力落ちているからひどいだろうなぁ~』と完全に気力負けしておりました。
病気は何でも“気”のせいと思っているわけではありません。
でも「病は気から」というように、気の持ち方もとても大きいと思っています。
時々掛かっている若い整体の先生、お鼻グシュグシュ、いかにも花粉症ぽいのです。
でも「先生、花粉症?」と効くと「僕は花粉症はありません!」と即、きっぱりと言い切ります。
花粉症が恐れをなして逃げて行きそうな、先生の周りの花粉が飛び散って消えてしまいそうな、そんな凄い勢いで。
病気に対する、そういう心構え必要かもしれませんね。
始まる前から『今年はひどいだろうな~』ではまるで花粉症を呼んでいるようなものですもの。
残念ながら、気が弱い方なので「花粉はない!」と花粉を撃退するほどの勢いはありません。
でも、心を入れ替えて『いつもの3種の神器を使っているのだから、今年も大丈夫』と思い直すことにしました。
そういえば昔「薬は効かない、と思ったら絶対に効きません!」とお医者さまに言われた事がありましたっけ・・・
それと、花粉情報は見ません。
あ~ら、不思議!
ここ数日、目の“かゆ、かゆ”が全然違って軽くなりました。
結構いい調子なのです。
気の持ちよう、考え方って大切ですね。
さてさて、検査で引っ掛かっている他の病気についても考え直さなくては・・・
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October 11, 2007
自分のブログ名がニフティーのトップぺージに載っているのに出くわした時は、狐に抓まれた様な心境でした。
何が起こったのか訳が分からなくて・・・
アクセス解析で調べてみたら、丁度1年前の10月2日にアップした「かけがいのないもの-高嶋ちさ子」にアクセスが集中しています。
バイオリンニスト・高嶋ちさ子さんとダウン症のお姉様についての記事です。
高嶋さんにとってかけがえのないものとは、ダウン症のお姉様。
「姉のおかげで今の自分がある」と言い切れる彼女と彼女を育てたお母さまはとても立派だと思います。
彼女、もう少し言葉遣いが美しいと、言うことないのですけれどね・・・
『・・・高嶋さんにとって一番大変だったことは、世間の無理解だったそうです。
ダウン症を持った新生児はどこの国でも約1,000人に1人の割合で生まれるそうです。
それは確率の問題ですから、もしかしたら私だったかも、あなただったかも、自分の家族の誰かだったかもしれない。
そのように考えた時、お互いに助け合って生きていこう、支えあっていこうという気持ちが自然に心から生まれてくるはずではないかと、ある医学博士で宗教家が書いておられたのを読んだことがあります』そんな内容です。
そういえば前日の夜、TBSテレビ「ぴったんこカン・カンスペシャル・肉食怪獣高嶋ちさ子・・・極上牛肉を丸呑み・・・」を主人とみて大笑いしました。
番組をみた方が高嶋さんの迫力のある独特のキャラクターに関心をもって私のブログを訪れて下さったのかも・・・
神様の教えについて、両親の介護について、地味で硬い内容のブログをボチボチ書いております。
最近、93歳と90歳の介護疲れを少々感じておりました。
暫くブログを休止しようかなと考えていた矢先のランキング2位。
またボチボチ続ける気力を貰ったような気がします。
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September 29, 2007
我家での受け入れ態勢の手順を考えながら家路を急いでいると、家の近くで休診日の母の主治医にばったり。
病院の担当医との話を聞いて「転院先を探しましょうか」と尋ねられました。
一瞬、その手もあったのかと・・・
でも、もう一度父の側で過ごさせようと決め、家での介護の段取りを考えていたので「一旦連れて帰るつもりです」と答えました。
「必要ならば毎日点滴に伺いますよ。訪問看護士さんとも相談して出来るところまでご自宅で。難しくなったら“あのお高い病院”にお願いすることにしましょうか」と言われたので、笑ってしまいました。
今、唯一快く母をショートステイに預かってくれる病院のことを、女医さんとの間で「あのお高い病院」と呼んでいます。
ただ2週間後にお盆休みを控えているので「休み明けまで入院させておいてもらえないか」お願いしてみたら、と言われました。
担当医の答えは「主治医とご家庭の都合でお母さんを“箱”(彼は何故か病室の事を箱、箱といいます)に後2週間も入れておくのですか???」でした。
断られる事を予期していたので「そうですね。受け入れ態勢が整い次第退院させます」と
あっさりと引き下がってきました。
ケアマネージャーと家政婦会に母の症状を伝え、介護と時間延長の相談をしました。
家政婦会は、病院の付き添い等をこなしているのですんなりOK。
20年来の友のケアマネージャーは「怖いね~」と言った後、暫し考えていました。
私も“怖い”と思っているのですから当然でしょうね。
何が起こっても不思議のない状態での退院なので「何なら責任は全て私がとります、と一筆入れましょうか?当分、特に食事の時間帯は私が家にいるようにするけれど・・・」と話したら、そこまでしなくてもと引き受けてくれました。
今回何が助かったかといって、母の心療内科の先生の夏休みが9月始めでお盆休みとずれていた事。
続々と“拾う神さま”がお出まし下さっている、そんな感じです。
その後も“捨てる神あれば、拾う神あり”と状況が目まぐるしく変化しております。
ケアマネージャーに「うちの介護、結構ドラマチックでしょう」と言ったら「激動です!」と返ってきました。
ウム、やっぱり・・・
激動の中に身を置いて、過労で少々のびております。
老人介護、老人医療について書きたいことが沢山あります。
ぼちぼち更新できればいいな~と思っております。
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August 16, 2007
東に報復の戦争が起こりそうだと聞けば、武力は武力の、暴力は暴力の、憎しみは憎しみの果てしない連鎖を招くだけで何の解決にもならないことを説きに駆け付け。
どんな戦争にも良い戦争というものは絶対にないはずです。
人の尊い命を奪い人の生活を地球を破壊するのが戦争の本質だからです。
西に宗教戦争があると聞けば、仲裁の為に駆け付け。
日本は現在あらゆる宗教がそれなりに仲良く共存し、そしてほとんどの国民は自分が無宗教だと信じている、世界から見て宗教的に偏っていない無色透明に近い摩訶不思議な国です。
だからこそ紛争国の意見を中立の立場でじっくり聞いて、仲介のお手伝いをするのに打って付けです。
南に貧しさからくる内戦が起こっていると聞けば、貧しい人々が自立できるように資金と技術援助をしにお金を持って駆け付け。
そうです世界平和の為に動き回る資金は、私達日本国民の大切な大切な税金です。
同じ私達の税金を使うのなら、戦争の後方支援や戦後の復興支援の為よりも、争いを未然に防ぐ為に使った方がずーと有益です。
今医療でも病気の発生を抑える予防医学と健康を維持・向上させる健康増進に力を入れている時代ですもの。
平和予防と平和増進に私達の血税は使って欲しいと思います。
北で独裁者が自国の力を誇示する為に核を持とうとしたり、国民を圧制していると聞いたら、周りの国々と結束し皆で知恵を出し合って独裁者に退陣を促がす為に飛び回り。
人も国も一人では一国ではこの地球上で生き延びられません。
他者と他国と協力し合って始めて存続することができます。
そして自国の利益のために独裁者を手助けする国があったら、核戦争がどんなに悲惨なものかを唯一の体験国として訴え、援助しないように説得するのです。
私は日本に、そんな国に成って欲しい。
何から始めましょうか?
詩人、谷川俊太郎さんの言葉、
「人を憎んだり、差別したり、無理に言うことを聞かせようとしたり、自分の心に戦争につながるそういう気持ちがないだろうか。 自分の気持ちと戦争は関係ないと考えるかもしれないが、それでは戦争はなくならない」
あなたが地球の為、子孫の為、自分の為に世界の平和を願うならば、まず自分の身近な所から平和な雰囲気を醸すし出していきましょう。
夫婦、親子、子供、隣人、友人、同僚等皆と仲良くして先ず小さな平和を創る工夫をして下さい。
争いを起こさないで下さい。
物事は全て小さな小さなことから始まります。
“なーんだ”と思うような、ついおろそかにしてしまいそうな小さな事から全ては始まっているのです。
自分の出来る小さなことを一つ一つコツコツと努力していくことが、結果的には平和を成す一番の近道だと思います。
平和の旗を振るには日頃からそれに相応しい行いをしていなければなりません。
信頼されうる国造りをしていなければ、どんな正論を説いても国際社会で相手にされないでしょう。
国民一人一人が平和への思いを地道に積み重ねて始めて叶うことです。
ある平和外交家が「平和は生まれてくるのではなく自分達で作るもの。言葉ではなく行いによって日常生活の中で実践していくもの」と言っていました。
きな臭い昨今、神の教えを学びながら、私なりに平和についての日本の役割をこんな風に感じています。
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August 15, 2007
日本には世界に類のない2つの特徴があります。
1つ、地球上で唯一の戦争による核の被爆国であること
2つ、戦争放棄を詠った平和憲法を有していること
この2つの特徴を踏まえて、日本には国際社会の平和に貢献してゆく大きな使命があるはずだと感じています。
しかし平和憲法を有していても何も行動をしなければ、それは宝の持ち腐れです。
ただ護憲、護憲と叫んで飾っておいては何の価値もありません。
世界の平和の為に行動し、汗をかいて始めて平和憲法が生きてくるのです。
活用して初めて価値が生まれてきます。
世界には日本が平和憲法を有していることすら知らない国が多いのではないでしょうか。
それでは平和憲法は実在しないも同然です。
しかし真に平和の為に貢献したいと願うのなら、それが叶う充分な下地が日本にはがあります。
それが初めに書いた2つの特徴です。
被爆後50年はペンペン草も生えないだろうとまで言われた無残な被爆地の実情。
被爆地となった広島と長崎の人々がその悲劇を限りなく連鎖してゆく憎しみ恨みの世界へではなく、世界の平和を願う愛の世界へと高めていった心情。
憎しみ怨みに囚われ続けることなく、ひたすら努力をして見事なまでの復興を成し遂げた街並みと被災者の姿。
これらのことを私達は世界中の人々に伝える責務があるのではないでしょうか。
日本が何故被爆国になったのか、誰が核を落としたかを問い責めるのではなく、ただコツコツと地道に核の悲惨さを、戦争のおぞましさを訴え続けていく。
それが故に日本は絶対に戦争はしないという平和憲法を有し、そして世界平和を築く為にあらゆる協力を惜しまない国であることを、地球上の全ての国々に認識してもらう努力をするべきだと思います。
地球上の国々は其々の役割に応じて必要な資源や資質を有して創造されています。
日本は“和の心”の資質を持っている国です-平和、調和、温和、混和、和睦、和解を生み出す力です。
和の心で美しい精神文化を工夫して創っていく心の資質を持った国です。
和の精神文化とは皆が仲良く輪になってお互いの良さを認め合い生かし合って“美しい心”を醸していく文化です。
日本には国々の間に入って友好関係を築きそれを保つようにお手伝いをする役割ができるはずです。
テロと戦争で幕を開けてしまった新たな21世紀に、私が理想とする日本の姿を次回に書いてみます。
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August 03, 2007
参議院選が終わっても、自民党の惨敗、安部総理の続投、この時期の赤城氏の更迭と、連日政治のニュースで賑わっています。
選挙に行って国民の義務を果たしたらお仕舞い、次の選挙まで政治の事は忘れてしまう。
そんな国民性なので政治の話題が続くのもいい事かもしれないと思いつつ、可なりレベルの低い話ばかりで呆れ返っております。
投票は、あくまでも始めの一歩です。
自分の1票を投じた人が、私達の大切な税金を使ってどのような活動をするか見守る責任があると思っています。
それでなくては、投票に行った意味がありません。
選挙が終わってからも国民としての義務と責任は続くのです。
日本人(マスコミを含めて)は一寸せっかち過ぎるのではないでしょうか。
猫の目のようにくるくると総理大臣や大臣を代えていては、政策が全部中途半端で終わってしまいます。
すぐに代わる総理や大臣では、対外的にも世界各国からまともに相手にしてもらえないでしょう。
その結果一番損をするのは国民自身だと思います。
何事もそうですが始めが大事なのです。
初めに国会議員にふさわしい人を、将来大臣や総理になれそうな器の人を、育てがいのある人を選んでおかないと、こういうことになります。
参議院選の顔になりそうだから、票が取れそうだからと総理に選んだ自民党の人達、選んだ動機が余りにも不純です。
10カ月で大臣4人、そして総理自身も辞めるとなると、内外に人材不足をまるでアピールしているようなものです。
本当のことなのですから見栄を張っても仕方がないことなのかもしれませんが・・・
今まで国民がしっかりとした政治家を選び、育ててこなかったツケが“どっ”と噴き出している感があります。
ここから新しい流れを作り出す事ができるかどうか、私達、国民の手に掛かっています。
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July 27, 2007
朝の9時過ぎ、妙にソフトムードの若い男性から電話。
この手の声の主は新米の押し売りが多いので、我家の一番忙しい時間帯にと思いながらいい加減に応対していました。
「今回の参議院選の世論調査に協力をお願いしたいのですが、5~6分お時間を頂けませんでしょうか?」
NHKから委託を受けているとの事。
あらあら、あの1000人位が対象の世論調査に選ばれちゃった!
気合をいれて答え始めました。
「ご家族で20歳以上の方は何人ですか?」
「その中の上から3番目の方は何歳ですか?」
「電話をその方に代わって頂けませんか?」
がくっ!
我が家の上から3番目は主人です。
私でなくて、がっかり~~
主人は出掛ける間際だったので、お断りすると「夜2~3回掛けさせてもらっても宜しいでしょうか?」とソフトムードの割には押しが強い。
調査の公平さをきす為に、最初にランダムに選んだ人を変えないそうで、その人が駄目だったら次の人を、とはいかないそうです。
2回目の電話の時主人が帰宅していて、てきぱきと答えておりました。
今回の選挙、投票に行く予定ですか?から始まって、投票する候補者は決まっていますか等、お決まりの質問。
中で意外だったのが、赤城農林大臣の件について4択の質問が含まれていたこと。
主人は「少しは考慮する」と答えていました。
政策で重視することは、年金、格差等4択で、選択肢がなさすぎると「その他」にしていましたね。
この結果は何時頃NHKで発表するのでしょうか。
「ご質問があったらご連絡を・・・」と電話番号を言いかけているのに、主人は「いいよ、いいよ」とさっさと切っちゃったので何も分からず。
感想は世論調査って本当にやってたんだ~。
別に疑っていたわけではないのですが、自分とは関係のないところで行われている事のように感じていたもので・・・
それと、ここ数週間マスコミの選挙報道に感じている事があります。
今朝の朝日新聞にも『民主、勢いを維持』『自民40議席割れも』との見出しが躍っていました。
でも記事を読み進んでいくと「ただ、有権者の5割近くを占める無党派層は棄権も含め投票行動をぎりぎりまで決めない傾向が強く、なお流動的な要素がある」
こういう書き方って変ではないですか?
支持政党をしっかり持っている人達はこういう見出しに左右されることがないでしょうが、無党派層の人達にとってはかなりの影響を与える場合があると思えるのです。
この時期、政治、選挙に関して紙面を割くこと大賛成です。
各政党の考え、候補者の考えを詳しく分かり易く載せてほしいとも思います。
でも投票も始まっていないのに、まるで結果が出てしまったような見出しは、投票率にも候補者の選択にもマイナスではないでしょうか。
誰に投票するかは選挙民一人一人が自分で判断すべきことです。
世論に左右されるものではありません。
でも、よい意味でも悪い意味でも世論の流れを判断基準の中に入れてしまう可能性はかなりあると思います。
あまり派手な見出しやしばしば発表される世論調査は、何か本来の選挙の姿を歪めてしまう様な気がするのですけれど・・・
今回、私は民主党に投票します。
皆さんも選挙に行きましょうね。
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July 15, 2007
『宝くじは買わねば当たらない
世の中は投票せねば変わらない
だから、選挙に行こう』と偶然訪れたtondemoさんのブログにありました。
我家ではここ何十年、主人が宝くじを買う度に同じ会話を交わしています。
「買っても無駄じゃないの」と私。
「買わなければ当たらないよ」と主人。
その言葉が、これからの日本の流れを決める参議院選挙の記事に使われていたので「えっ!!!」
若い方のブログかと思ったら、どうも私と同じ位の方のようで・・・
今の私の願いは、1人でも多くの方が選挙に参加して、政治の流れを変えて欲しい事。
それで、ブログを読んだ方が選挙に関心を持ってくれそうな記事には、拍手を送りたくなります。
私は必ず選挙にゆきます。
政党よりも国の将来、国民の生活、世界の平和を考えてくれそうな人物本位で(なかなかいませんけどね)選んでいます。
どうせ投票しても何も変わらないと思っている方多いと思います。
私も毎回行っていて、政治に民意が反映されている確かな手応えは感じていません。
でも行く理由の1つには、行かなければ組織票の力が強くなってしまう事もあります。
選挙は特定の組織が自分達の都合のよい政治を行う為に、お墨付きを与える為の物ではありません。
特にそれが宗教がらみだったりすると、憲法でうたわれている政教分離はどうなっているのかと不可解になります。
選挙は民主主義の象徴です。
一人一人が自分の意思を投票という形で表明し、国政に関わる最大のそして唯一のチャンスなのです。
日本の将来は私たち国民の選ぶ政治家の手にかかっています。
今、世の中が必ずしも良い方向に向かっているようには私には感じられません。
それなのに政治家が打開策を講じているとは思えないのです。
勿論その政治家を選んでいる、又は無関心でいる私達国民の責任も重大です。
安心できる未来のためにキチット政治に目を向けませんか。
選挙で投票にいかなければ、絶対に世の中は変わりませんもの。
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July 01, 2007
仕方がないので「未納のままだと将来支給される年金はどうなるのですか?未納1ヶ月分、今払うことができるのですか?」と質問をしたら、やっと説明が始まりました。
60歳以上の任意加入の手続きを取って納付すればよい。
ただし保険料は今の額で、未納時の額より大分高くなっています、との事でした。
職員の方からはお金を納付させる話は言い出さないようにしているのかな・・・と何となくそんな感じがしました。
ついでに私の年金が幾ら位なのか、皆目見当もつかなかったので、聞いてみました。
「ズバリ言いましょうかね。驚かないでくださいよ。驚かないでくださいよ」とえらい軽いのりで暫く電卓を叩いてから、教えてくれました。
軽いのりは「少ない!」と文句を言われない為の予防線のようでした。
いろいろ文句を言う方が多いのでしょうね。
私は配偶者の部分だけなので、月数万位かなと思っていたのですが、それよりは支給されそうなので、そんなものかと納得。
65歳まで任意加入して年金を払うと支給される額が年に10万円増える、との懇切丁寧な説明に、うっかりのりそうになりました。
余り待たされなかったし、職員さんも感じが良かったので、1ヶ月の未納は「まぁ~、いいか」と思いながら社会保険事務所を後にしました。
帰宅してから年金の説明の間、左手に握り締めていた “オレンジ色の年金手帳” 職員さんが1度も見なかった事に気付き、慌てて国民年金の記録のページを確かめてみました。
「被保険者となった日」と「被保険者でなくなった日」が9行に渡って、1日のズレもなくつながっています。
そして一つ一つの欄に市のハンコが・・・
勿論、社会保険事務所で渡された記録で未納になっている18日間も、配偶者の“3A”から“強”に変わって記載されています。
年金手帳に記載されている内容と社会保険事務所からもらった記録は、未納の1カ月分以外はぴったり一致。
翌日もう1度社会保険事務所を訪れました。
前回とは打って変わって無愛想な職員さんで曰く、
「年金手帳は関係ないんです。
年金手帳の記録と年金を払ったかどうかは別です。
社会保険事務所が出している記録が全てです。」
と年金手帳を見もせずに言うのです。
そして昨日渡された記録紙の平成5年12月のところに印をつけて「これ以降は正確な記録に基づいて記載されています。でもここからマークが違うでしょう。それ以前の部分は正確な記録ではなく、資料を元に作られたものです。昨日渡した記録が正しいのです」
「私の年金手帳では、全部つながっているのですけど・・」ともう一度言うと、
「つながっていないと年金が支払われなくなるのでつなげてあるだけです」と今にも切れそうな感じなのです。
彼の説明によると、市は保険料が未納であっても、「被保険者となった日」を認めるハンコを押していることになります。
何しろ「年金手帳は関係ない」と言われてしまうと咄嗟に何と言ってよいのか分からず、納得がいかないまま、すごすごと帰ってきました。
本当に市役所の年金課で記載された年金手帳の記録は、過去の納付と関係ないのでしょうか?
年金の記録も説明も、とてもずさんな感じがしています。
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June 28, 2007
「あなたは、平成19年~~日をもって期間満了日に到達し国民年金の保険料を納付できる期間が終了しました」との葉書が社会保険事務所から届きました。
下の欄に未納月数-1-と記載されていてビックリ!
年金問題、私は大丈夫と確信を持っていました。
根拠のない自信ではありません。
主人の転勤で日本と海外を行ったり来たり、転職で日本の銀行と外国の銀行を出たり入ったり、その度市役市で種々の手続きと共に年金の手続きも必ずしていましたから。
一昔前までは市役所の中に年金課がありました。
別に社会保険庁なんて作らなくても、市役所で何の支障もなく正確な手続きができていましたけれどね・・・
我家から歩いて2分ほどの所に社会保険事務所があります。
葉書が届いてから数ヶ月、両親の介護で忙しいのとかなりの自信があったので放っておいたら、この騒ぎ。
混雑しているだろうなぁ~と覚悟して昨日出かけました。
事務所に入ると「只今待ち時間約60分」との大きな立て看板、と同時に年配の男性が飛んできて要件を聞かれました。
葉書を見せると「それはこちらです」と案内された所の番号は3人待ち。
良い方だなぁと思っていると案内してくれた男性が「2階の窓口の方が空いているかもしれないから2階に行ってください」と言います。
エレベーターで2階に上がると、件の男性が階段を駆け上がってきて「未納の件は1階でご案内します」と連れ戻されました。
「今日応援に来たばかりで、まだ詳しくないものですから」としきりに謝っていました。
行ったり来たりさせられましたが、一生懸命さは伝わってきてなかなか良い感じ。
待つこと15分(いい方ですよね)中年の男性職員に葉書を見せると、記録をとってきますと衝立の奥に行って数分後2枚の紙を持って戻ってきました。
この騒ぎ以前の社会保険事務所は、広々とした空間に人が疎らにいてゆったりと働いていました。
それがまるで様変わりし、至る所に衝立が建てられて中で働いている職員の姿がちらっとも見えないようにガッチリとガードされています。
別に隠す必要はないと思うのですけど・・・
説明は懇切丁寧に分かり易くしてくれました。
1枚目の記録紙の平成1年7月のところに未納のマーク。
2枚目には、喪失年月日 平成1年7月12日
そして取得年月日 平成1年8月1日
確かに1ヶ月(18日間)の空白がありました。
ただ、未納を如何したらよいか等の説明が全然始まらないのです???
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May 02, 2007
今まで何度か購入を考えたのですが、小さいシュレッダーだと細断したものがすぐ一杯になってしまうとか、重ねて入れると詰まるとか余り良い評判を聞かなかったので思い留まっていました。
この連休に書類をいろいろ整理する事になり、原始的に一枚一枚細かく破るより文明の利器をと考え求めまた。
今回求めた物は、幅約26×奥行約36×高さ約51.5㎝、重量約7.5kg。
かなり大型ですが、下にキャスターが付いているので使わない時は机の下に片付けておけます。
CD-ROMが真っ二つにカットできる機能の付いたものもありましたが、キャスターが付いていなかったので止めました。
一度に細断できる枚数はA4コピー用紙6枚、連続細断は10分以内。
一頃のきしめんのような帯状の細長い紙に裁断されるのと違って約4×26mmに細かく裁断されて出てきます。
結構すごい勢いで細断されます。
ちょっと悩んでいることが細断された物の後始末です。
わが市のごみの分別収集的には資源ごみの雑紙に分類され、紙の袋に入れて紐で十文字に括って出すのですが、細かすぎて其れは不可能です。
資源ごみはビニールの袋に入れては出せないことになっています。
そうすると細かい紙が飛び散るのを防ぐためにビニールのゴミ袋に入れて可燃ごみに出すのかなと思います。
せっかくリサイクルできる資源を可燃ごみに出してしまうのは勿体無いですよね。
只今思案中です。
綺麗な新聞の広告などをいれて、色とりどりに細断されるのが面白くて楽しんでいます。
パーパーシュレッダーは可なりの優れものです。
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April 28, 2007
我家から50m先、130坪の土地に地上10階58戸のワンルームマンションが建ちます。
事業主の部長さんが挨拶に見えました。
主人が不在で応対に出た私に「今はミニバブルです。マンションを建てれば必ず売れます。それも1棟買いで売れるのです。ここは商業地なので建蔽率9割さえ守れば高さ制限も日照権も何も問題ありません」と、ものすごい鼻息で説明していかれました。
確かに彼の言うとおりです。
先月、100メートル先の100坪弱の敷地に14階建て62戸のワンルームマンションが完成しました。
と同時に隣町の個人が一棟買いです。
早い話が「売り抜け」。
近隣の住民や街の景観、そんな事にはお構いなく、ただ少しでも高く売り抜けるためだけの物件を建てる。
そんなものが街に住民に優しい訳がありません。
着工の為の全てのお膳立が整った後で、シブシブという感じで近隣住民との説明会が開かれました。
当自治会は、弁護士、建築士、不動産屋、金融関係と役者が揃っていて、相手をたじたじとさせるほどの追求を繰り広げました。
それでも民間から建築許可が下りていては、住民が反対をしたところで後の祭りです。
4月から建築予定で、3月始めに施工業者が決まっていないというのです。
100m先に出来たワンルームマンションは東京の不動産会社、建設予定のワンルームマンションは東海系です。
何の関係もないそうですが、100m先が完成したらこちらの工事に入ってもらえないか、工事資材と人を動かす費用が節約できるので頼み込んでいるので決まっていないとか・・・
ビル1棟建てるのに、施工業者は現地調達ですか???
幾ら聞いていても物凄くずさんな話なのです。
最後に件の部長さん、リラックスして「ここだけの話ですよ。他で公開してもらっては困るのですが、この市の建築法は“ざるですよ、ざる!”」と言い放ちましたね。
自治会役員10数名を前に、ここだけの話はないでしょう。
黙っているわけないじゃないですか!
主人は“ザル”と言われ市の行政改革の副委員長をしています。
早速、市の助役さんに「市の建築基準は“ざる”だって言われているの知ってるか?」って電話してましたよ。
裏表のない性格の方なのでしょうけれど、実に失言の多い方でした。
それだけによく建築業界の事情が透けて見えました。
ここでもまた日本の社会を覆っている、儲け第一主義。
儲かれば違法でない限り何をしてもいい、という感じが満ち溢れていました。
主人が建築予定のマンションに付けた名前は「湘南財テクマンション」
さすが関係者は苦笑いして俯いていましたね。
今、主人が弁護士さんと住民協定を作っています。
でもね、来年建ち上がると同時に売り抜ける事は確実です。
建物の持ち主が何回か変わったら、住民協定書なんていうものは反故同然になってしまうのでしょうね。
自分達の地域を守るために出来るだけのことはしました。
でもこの国の行政は国民の方を向いていませんね。
一般市民の生活を守る事を忘れているようです。
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April 23, 2007
選挙が終わって街に静寂が戻ってきました。
それにしても政治家の皆さん、いつもの事ながら選挙期間中はホントに低姿勢でしたね。
あの気持ちをずっと持ち続けることができれば国民の為に素晴らしい仕事ができるのに、そうはいかないのが人間のようで・・・
別にこれは政治家に限ったことではないのですけれど。
地位、名声、権力、富などを得ると、殆どの人は変わってしまいますね。
如何してなのかなといつも不思議に思っていたのですか、先日、天命庵の親様の話を聞いていて納得。
自分自身が偉くなったと思って奢ってしまうのですね。
まるで天下を取ったような、1番になったような気分になって。
人が奢る時はたいがい自分が1番だと思ってしまっているとか・・・。
でもホンマモノの信仰を持っている人はいつも自分が2番だと分かっています。
何故ならば、1番は神様だからです。
例え自分がどんなに偉くなっても、神さまが1番と常に己の存在を2番として受け入れることができます。
それは、必ずしも神の存在でなくてもよいのです。
両親、恩師、先輩、偉人、知人、どなたでも・・・
自分よりも偉大な存在を感じている人は謙虚です。
2番を保つということはとても難しい事です。
ちょっと調子がいいとすぐ1番になりたくなります。
2番はいつも己の心が中庸でなければ保てません。
世の中で人気でも地位でも1番になった人というのは奢り高ぶっている方がとても多いものです。
大切なことはどんなに偉くなっても、どんなに人から褒めて頂いても、常に自分を中庸の立場に保つこと。
どんなに成功しても自分は2番でありますという人の心の方が自由なのです。
お偉くなってはいけないのです。
偉くなると神様はこう仰るそうです。
「偉くなるとえらいことになるで~~」
えらいことに成らないように、常に2番の心で謙虚に生きたいものです。
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April 17, 2007
“GIVE & TAKE” という言葉があります。
「あなたにこれだけのことをしてあげるから、私にもこれだけのことをして」と言う感じの割り切り方が、余り好きではありませんでした。
日本語の「お互いさまです」には、自分の行いや心遣いがお相手に負担を掛けないようにとの、深い配慮が感じられて大好きですけれど。
それでも考えてみると“GIVE & TAKE”は、与える事が先、それから貰うのでうね。
“TAKE & GIVE” や“TAKE & TAKE”でないところが、今時の人の考え方よりずっとまともだと、この頃の事件を見聞きして思うようになっています。
今は自分から与えることをしない時代のようです。
個人も企業も与えることを忘れて、奪うことばかりを考えている時代。
いま話題になっている生命保険38社の不払い問題はその典型です。
5年間で、なんと25万件、総額284億円にもなるそうです。
今後、件数、金額とも大幅に増えるのは確実との事。
もっとも「生命保険は史上最大の詐欺商品」と揶揄されているとか。
それでも人は“安心”を求めて買うのです。
そしてそれが無駄になっても、保険金を受け取らなければならないような不幸に会わなくてよかったと、自分を納得させるのです。
欲しい欲しいと相手から奪うことばかりを考えている時代。
奪う始まりは物やお金ですが、最後には人の命をも奪うことに繫がってゆきます。
その最たるものが世界中で起きている紛争であり戦争なのでしょう。
人の生活している国土を破壊し、住んでいる人達を殺す、全てを奪い尽くすのです。
与える。
笑顔を、優しい言葉を、暖かい思い遣りを、周りの方に与える。
皆がちょっと心掛ければ、世の中に穏やかな空気が流れれば、毎日のように起きている命を奪われる事件は、少なくなるのではないでしょうか。
今の世の中、とても複雑そうに見えます。
でも物事の本質は今も昔も何も変わっていないと思います。
実はとても簡単な事でなりたっているのではないかと・・・
与える。
先ずは“GIVE”から。
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April 04, 2007
3人姉妹の長女として家業を継ぎ、妹達の実家として私達姪も大変可愛がってもらいました。
母がショックを受けて寝られなくなるのではと案じたのですが、両親の代理で滋賀県まで出掛ける私に「宜しくお願いします」と一言、心を乱された様子もなかったのでほっと一安心。
むしろ父の方が、1歳年上の伯母が亡くなってショックを受けている様子でした。
人の死に出会うと『「良く頑張りましたね。ご苦労さまでした」と必ず生きていたことを労らって差し上げて下さい』との天命庵の親様の教えを思い浮かべます。
何故ならば、亡くなった時この世でたった一人の人からでも「ご苦労さま」と言って貰った方は、『自分の人生はこれでよかったのだ。この世での本分は全うできたのだ』と安心して天の国へ戻って行くことができると伺っているからです。
ここがとても大事なのですが、その方の人生の長さ、その方の亡くなり方、その方がこの世でどの位の仕事をなし遂げたかということとは無関係です。
この世に生を受け、生きたことに対する労いの言葉。
「ご苦労さま」は亡き人を天国に送るパスワードなのです。
もう2度と会えないのは寂しいけれど、私は人の生まれ変わりを信じているので、この世でご縁があった方にはまた何時か何処かで出会うのでは、そんな気がしています。
だからこそ今この世で出会っている人々に、優しく温かく接することができればいいな~と思いながら生きています。
おばちゃま、ゆっくり天国でお休みください。
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March 30, 2007
母がショートステイから帰宅しました。
10日間の予定だったのですが、途中発熱して22日間も預かって頂きました。
お蔭で、父も私も久し振りにゆっくりした日々を過ごしました。
退院の折、主治医が母の状態を説明した後で「お母様をご自宅で介護したいというお気持ちは充分わかります。でもご一緒のお父様か、あなたが倒れる前にお母様を施設に預ける事をお考えになられる時期だと思います」
若い女医さん、柔らかい微笑みを浮べながらもきっぱりと・・・
一昨年の暮れ、母を我家に引き取る時から、心療内科の先生に自宅で面倒をみる限界はとっくに過ぎています、と散々言われています。
この頃は時折「まだ頑張りますか?」と半ば諦めムードで聞かれる位で、余り話題になっていませんでした。
それをショートステイ先の医師から言われるとは予想だにしていなかったので、人間、不意を付かれると弱いですね。
周りの方は私を気遣って、1人で両親2人の介護をするのは大変だからと要介護5の母を施設に預けるようにと勧めてくれます。
でもね、私的には、両親がこの年まで(90歳と93歳)一緒に生きてこれたのだから、出来たら最後まで一緒に、と思っているのです。
一瞬『やっぱり無理なのかな~』との思いが胸を過ぎりました。
でも私、立直り早いのですよ。
なにせ14年間も神の教えの話を伺っているもので・・・
他力本願という言葉があります。
「人に頼って物事をしょうとする事」等と余りよい意味で使われないのですが、本来の“阿弥陀様の他力本願”という意味は違います。
甘えとか、人任せにするというような、いい加減な頼り方ではく「阿弥陀様に全てを預け信じること」だそうです。
絶対的な他力本願というのは、全てを信じて委ねること。
人生で現れる様々な事は全部素晴らしい事と受取り、流れに沿って生きてゆく事が、絶対的な他力本願だそうです。
自分がああしたい、こうしたい、こうあるべきだ、こうしなければならない、と余計なことを考えると無駄な力が入ります。
寝て待つのでもなく、優柔不断でボーと待つのでもなく、人に決めてもらうのでもなく、自分が今なすべきことを淡々とこなして、後は天に任せる。
聖書の言葉「人事を尽くして天命を待つ」に通ずるようです。
それで、私は他力本願でいく事にします。
マア、私の場合は絶対的な他力本願と言う程、大げさなものではなく成り行き任せ的なところもあるのですが・・・
どうしても自宅介護が無理になったら、その時はその時の流れに従うつもりです。
急いで決めなくても、物事は成るように成ってゆくのですから。
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March 28, 2007
今朝の朝日新聞に小さな記事を見つけた時は「よかった!!!」
ホッとして、長い間コッコッと戦い続けてこられた我が主治医の「銀座内科診療所のホームぺージ」を開けました。
「亡くなって8年近くたってようやく中原さんが労災と認められた。当然のことだが、その当然が現実になるまでの道のりの険しく遠かったことを思うと嬉しいというよりも、何か気が抜けたような、不思議な気持ちがする」
そうなのでしょうね。
勝訴、が決まっても失われた命は戻ってきません。
控訴しない理由は、判決が認めた過重労働よる心的負担の大きさを覆すのは難しいとの判断だからそうで、これを教訓に働く人々の環境改善をという方向へ行く訳でもないようです。
いつから、当然の事が当然と認められない時代になってしまったのでしょう。
どうして、当然の事が当然と認められるのに裁判まで起さなければならい時代になったのでしょう。
作家の五木寛之さんが「城山三郎さんを悼む」(朝日新聞、3/27)でこのように書いておられました。
『訃報を聞いて最初に感じたのは一つの時代が終わったな、ということだった。その「時代」がどういうものか、とたずねられても、簡単明瞭には答えようがない。漠然とした表現をすれば、経済活動に志(こころざし)がともなっていた時代、とでもいえようか』
働くという字は、人が動くと書いて、はた・らくと読みます。
働くとは“はた”(自分の周りの人々)を“らく” (楽)にさせる為に、住み易い社会を築くために、人が動く事なのです。
働く“志”が、本来の働く意味が、皆の心から失われてしまったような気がします。
経営者も、政治家も、お役人も、今働いていない人が多いですね。
“志”の伴わない仕事、単なるお金儲けの為の仕事が増えれば、世の中に労災も含めてあらゆる危険が増える、そんな恐れを抱いています。
明日は民事訴訟の判決だそうです。
当然の判決でありますように。
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March 24, 2007
「小児科医自殺は労災」との朝日新聞の見出しに、ひょっとしたらと思い社会面を見ると、いつもお世話になっている中原のりこさんの大きな写真が載っていました。
彼女は自殺した小児科医の奥様で、私が通院している漢方診療中心の銀座内科側で薬剤師をしている方です。
労災と認められて「よかった。よかった」と単純に喜んだのですが、銀座内科診療所のホームページを開いて愕然。
一審で勝訴したからといって、終わりではないのですね。
とっさに頭が回らなかったのですが、当然のことです。
勝訴の判決と同時に、国に対して控訴断念を要請する為の運動準備が整えられていて、今まさに大展開中です。
さすが我が主治医、九鬼先生。
この先生かなりユニークな方で、元朝日新聞記者、鍼灸師の資格を持ち、富山医科薬科大学で学んで40歳過ぎて医師になられた経歴の持ち主。
“余は如何にして医者となりしか”を「記者のち 医者 ときどき患者」のタイトルで朝日新聞社から出版しておられます。
いろいろな経験を経てこられたからか又はご性格からか、多分両方なのでしょうが、患者とトコトン付き合って下さる先生です。
この2年間あまり、中原さんの訴訟にもトコトン付き合っておられるのが、ひしひしと伝わってきていました。
全ての仕事や労働は、直接的間接的に人の命にかかわっています。
だからこそ労働条件や環境は全ての働く人にとって守らなければならない大事な事だと感じています。
過労死寸前だっり疲労のために精神を病んでいるお医者さんに診察してもらう、疲れきった人の運転する乗り物、製造した食品、薬剤、機械等々では私達の生活の安全は守られませんもの。
働く人を大切にしなければ、人災が起こるリスクはどんどん高くなります。
新宿労働基準監督署、東京労働局、厚生労働大臣に控訴しないように葉書を出して訴える運動に、知人にも声をかけて参加しています。
微力でも自分の出来るところから住み易い世の中を創るために努力したいと思いつつ・・・
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March 21, 2007
早朝「ホー・ホケキョウ」鶯の透き通った声で目が覚めました。
土曜日沖縄から戻った羽田で粉雪が舞っていて、冬に逆戻りかと思っていたのですが、やはり春まじかなのですね。
今年も鶯が訪れてくれました。
年々遊びに来てくれる鶯が減っています。
5~6年前までは、週末の朝など我家の庭と隣の庭のあちこちで「ケキョ、ケキョ」と鳴かれ、風流を通り越して「うるさいな~もう少し寝かせて」と贅沢な事をぼやいていました。
それも周りに高い建物が増えるにつれ年々減り、去年は1羽が数日訪れてくれただけ。
『去年で聞納めかなぁ』と思っていたので、さえずりを聞いた時は感激でした。
鶯は「声は聞こえど姿は見えず」といわれる鳥ですが、一度頭上で「ホーホケキョウ」と聞こえたのでそっと見上げたことがあります。
ウグイス色の美しい姿を想像していたのですが、そこには何の変哲も無い茶褐色の地味で小さな鳥がいました。
“日本三鳴鳥”といわれるあの透明な美しい鳴き声が、どこからでてくるのか不思議な感じでした。
「天は二物を与えず」と言ったところでしょうか。
自然も街並みも、年々激変してゆきます。
72年間営業していた3軒先にある映画館が今月いっぱいで閉館することになりました。
洋画専門の映画館で、自治会の新年会に見えた責任者の方が「洋画は今人気がないのですよ。ロビーで若者たちが、字幕を読むのがカッタルイと言ってましてね・・・」とこぼしていました。
あの頃、きっと閉館することが分かっていたのでしょうね。
古い建物が壊されると、商業地なので後には必ず十数階建ての高層ビルが建ちます。
メインストリートは日が射しこまなくなり、冷たいビル風が舞います。
折角ある自然を惜しげもなく壊して高層ビルを建てる。
お金儲けの為に。
自然が無くなり鶯が遊びに来なくなる街は、人間にとっても住みにくい街なのではないでしょうか?
今度の地方選挙、住み易い街造りを考えてくれる候補者も投票の条件の1つになりそうです。
鶯が、遊びに来てくれるような自然を大切にする人を選びたいな~
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March 07, 2007
自治会のお母さんから、子供達の集りを開きたいので力を貸して欲しいと頼まれました。
ご町内の子育てを卒業したおじさんおばさんが、助っ人になることに。
先日、会の趣旨と段取りの説明会があったのですが、どうもイマイチ要領を得ないのです。
初回は「おにぎりをにぎろう」
案内のチラシに「事前のお申し込みは要りません」とあります。
おにぎりの為のご飯を仕込む都合もあるので、当日参加も大歓迎だけれど大体の人数を把握した方がよいのではないか?と言うと、
「会った事もない人からの回覧に、親は子供の名前を書きません」と言われて、おじさんおばさんは沈黙。
自治会からの回覧は不審物扱いのようです。
「会に参加した子は“~ちゃん”と名前で呼んであげたいので、受付の時名前だけ聞いてください」との事、当たり前と聞き流していたら、だんだん目が点に・・・
「苗字は聞いてはいけない。名前だけ。住所、電話番号なんてトンでもない」とくるのです。
ここでやっともやもやした訳の分からない説明が、個人情報保護法のせいだと読めてきました。
それでも子供の事、何かあった時に困るから、自宅の住所や電話番号が聞けないのなら、通っている学校、学年、氏名は確かめておいた方がよいのではないか?と言うと、
「学校に問い合わせても絶対に連絡先は教えてくれません。小学校にはクラスの連絡網がありません」
「緊急時などの連絡はどうしているの?」と声を揃えて聞いたおじさんおばさんに、
「連絡事項が発生した時は担任が各児童宅に直接連絡しています」
えらい時代になったものです。
大人が子供を守るのは当然の事です。
安全の為出来るだけの事をするのに反対ではありません。
でも今の在り様が純粋に子供を守る為だけとは受け取れないのです。
そこには極力責任を回避したい、そんな大人の思惑がちらちらしているような気がして・・・
そんな中、危険を冒してまで?子供会を開きたいと提案するお母さんは偉い!
ということで、若いお母さんたちに育っていただく為にもここは黙ってお手伝い。
おじさんおばさんは手分けして4升のお米を炊いて持ち寄る事にしました。
これで当日のおじさんおばさん宅の晩御飯は、残ったおにぎりに決まりだね、何て思っていたら留めの一言。
「ボランティア保険があるのですが・・・」
当節ご近所の子供達と一緒に遊ぶのは、保険を掛けなければならないほど大事なのだ~~
子供達が“おにぎり”を結んで喜んでくれればそれでよいのです。
でも個人情報保護法の扱いも、子供を守る方法も何か少しずれている、そんな感じがするのですが・・・
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March 04, 2007
ごみの個別収集と有料化に伴う市の説明会を、自治会で開きました。
私ども市民に対して敬語の使いまくり。
始め「利用者さま」だったのが、途中から「お客様」になってしまって、「お~」という感じで思わず周りの人と顔を見合わました。
「ゴミ袋は○○円で、ご提供させて頂いております」
アレ、ごみ袋って市から提供されるものだったっけ???
「収集時間の目安を1軒1軒紙に書いてお教えします」
人件費が掛かりそう、と心配したくなる位全ての事に、ご丁寧なのです。
最後は「何なりとご遠慮なくお申し付け下さい」
自分の義務は放棄して権利ばかり主張する住民の多い時代に、そんなこと言って大丈夫?てな感じでした。
3年前、ごみの分別収集の説明会の時と、お役人さんの態度がコロッと違います。
この異様な低姿勢の訳は、住民が大変な関心を示した事と、何でも反対なさる某政党が有料化反対の署名を集める運動をしたからです。
そんな中での有料化ですから“市民の皆様”に気を使っているのをアリアリと感じました。
有料化は致し方ないと思っております。
各自が責任を持って自分の家の前に分別したごみを出す。
そうすれば、正しく分別するようになるでしょうし、ごみの量も少しは減ると思うのです。
主人は自治会の会長をいたしておりますが、仕事の大半はごみ問題です。
昼間代理をしている私は、会長の仕事を“ごみ当番”と言っております。
これは自治体の方のマナーが悪いというよりは、街中に住んでいる特殊事情もありますけれど・・・
それで私、有料化で“ごみ当番”の仕事が減る事を密に楽しみにしております。
市の試算によると1カ月400円程度の負担だそうでうが、日々の生活に直接関係する事なので大勢の市民が真剣に考えたようです。
同じように日々の生活に直接関係する大事な事なのに、私達が余り真剣に考えいない事があります。
私達が国に県に市に払っている税金がどのように使われているかについてです。
自分達の払っている大切なお金です。
それもごみ有料化の400円とは比べものにならない位の、桁違いに大きな額です。
その使い道にもっと関心を持って意見を述べるべきではないでしょうか?
政治家が真剣に対応せざるおえなくなる位。
それが今の国民に欠けているのではないかと、今回市のお役人の対応の変化を見て感じております。
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February 14, 2007
少子化対策という政策が、私にはよくわからないのです。
誰の為の対策なのでしょう。
明らかに生まれてくる子供の為ではないですよね。
国力の為とかこれからの高齢化社会を支える為とかいろいろ聞えてきますが、人の命を損得勘定で考えているような不純さが透けて見えて不愉快に感じます。
日本の人口がどんどん減って、存続の危機なんて事になったら大変ですから、今のうちから手を打たなければとの考えよく分かります。
でも国民の頭数を増やせば、日本は安泰かと言えばそんな事はないと思うのです。
先ほど問題になった給食費を払わないような親に育てられた子供達が、将来国を支えてゆく力に成り得と政治家は考えているのでしょうか?
女性が頑張って子供を生めば何とかなる問題とは明らかに違います。
私は子供の頃から、結婚して母親になる平凡な生活を夢見ていました。
いざ子供を産んで、生後5カ月の子をロンドンで育てるというハンデーもあったせいか、子育ての大変さを何も知らなかった自分に驚き、そして周りの大人も誰も教えてくれなかった事に呆然としました。
子育てという、命を育む大変な仕事に国家試験が無いのが不思議に思えた位。
高校、大学に入学試験があるように、車の運転に免許がいるように、学校の先生、看護士さん、保育士さん、会社員、何でも試験で合格するか免許や資格が必要です。
子を産むことが、何の資格も免許も要らないからこそ、命の神秘を、生命を育む事の大変さを、人間として教育する大切さを、子供の時から折に触れ学ぶ機会を作るべきではないでしょうか?
例え少子化が進もうとも、生まれてきた命を粗末にする位なら、虐待する位なら、子供を生まないほうがよいのではと思っています。
一つの生命を、キチンとした社会人に育て上げる覚悟が無いのなら、子供を生む前に自分自身を育てるべきでしょう。
大人と子供の社会からいじめを無くす、受験戦争という戦争の中から子供を救い出す、格差社会を是正する、夫婦で子育てがし易い社会を作る、高齢者を大切にする等々・・・
今日本の国に生まれてきた人達が、生まれてきてよかったと思えるような国造りをすれば、子供は自然に増えるはずです。
子供は世界の未来なのですから、まず育て易い環境をつくるのは当然の事でしょう。
子供は天からの授かり物。
柳沢厚生労働大臣の失言にも、それに対する批判の中にも、生命の神秘に対する謙虚さがまるで感じられないことが一番気掛かりです。
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February 09, 2007
結婚すると「子供はまだ?」
1人目が生まれると「二人目はどうするの?一人っ子は可哀想よ」とまるで挨拶代わりのように赤の他人から言われるのが日本の社会です。
数十年前の事ですが、息子は主人の仕事の関係で帰国子女になることが分かっていたので、カトリックの小学校を受験させました。
その学校は、一人っ子は受験で不利だと言われていました。
親の面接の時、先ず「ご兄弟をつくるご予定は?」と尼さんの校長さんから聞かれました。
主人は躊躇うことなく大声で堂々と「ありません!」
『こりゃ落ちたな』と内心思いましたが、結果は合格でした。
しかし、よく質問しますよね、そんな事。
個人の家庭の事情にまで踏み込む事は礼に反する、との認識がまるで無いのが私達日本人のようです。
一昔前までは、平気で人の心の中までズカズカと入り込むのは、おばさんの専売特許みたいに思われていました。
この頃は無神経、気配りが出来ない、場の雰囲気が読めない日本人が増えているように感じます。
柳沢厚生労働大臣の発言がその典型です。
日本人は繊細、礼儀正しい、慎み深い国民と言われていたような気がするのですが・・・
礼節を大切にしたのは遠い昔のことなのでしょうか?
結婚するか、子供を産むか、何人生むか、それは明らかに個人の問題です。
他人が立ち入るべきでないと思う一番の理由は、結婚も出産も其れによってその後数十年、自分が下した決断に全責任を持たなければならないからです。
女性に頑張って産んでもらった後は、厚生労働省が責任を持って育ててくれるというのなら、それはまた別ですが・・・
自分が最後まで責任をもてない事を、軽々しく人に勧めるべきではないのでは、と思います。
特に国政に関わる人は。
しかし、礼節無き言葉、態度、考え方、日本列島中に氾濫していますね。
マスコミ、特にテレビにも責任の一端があるように感じています。
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February 01, 2007
介護を始めてから数ヶ月に1度、寝付く間際に数分間心臓が異常に早く打ち出し呼吸がし難くなる事があります。
医師から、心電図を取っても症状が起こっている時しかモニターに出ないので、もっと回数が多くなったら24時間モニターを付けてみますか???と言われています。
先生も私も内心、心因性で大丈夫と思っているので軽い感じの会話が交わされていました。
それが実家の片付け中日の明け方、いつも数分で治まる症状が止まりません。
口から心臓が飛び出してきそうな動悸を体全体で感じながら、夜の明けるのを待ちました。
今心電図を取ったら、異常があれば分かるかもしれないと少々残念に思いながら・・・
夜明けと共に起きて、まずいつもの朝の祈りを朝日を燦燦と浴びながらゆっくりと丁寧に。
祈りは大きな事から小さな事へ。
遠くの人から身近な人へ、そして自分の足元へと祈っていきます。
世界中の人が仲良く支えあって幸せに暮らせる世の中に早くなりますように。
戦闘の地にある人々の上に一日も早く平和が訪れるよう世界中の人が力を合わせられますように・・・ブログで出会った方々が恙無く一日を過ごされますように・・・それから主人、息子一家、両親へと。
そして最後に、実家の後片付が無事終わるように今日一日働かせてくださいと・・・
1時間ほど祈った後、気が付いたら普通に息をしておりました。
日頃、天命庵の親様から「医者も薬も神が知恵をつけたもの」と伺っています。
私は子供の頃から体が弱かったので、病状を楽にしてくれるお医者さまも薬も大好きです。
体調を崩すと直ぐに病院へ飛んで行きます。
転勤先の各国でも良いお医者様を見つけ出しては親戚付合い(ちょっとオーバーかな?)をする私を、若い時は病気知らずだった主人は呆れ返って見ておりました。
でもお医者様や薬と同時に、自分の体を直すのは自分自身だとも思っています。
体調を崩す時は、やはり精神的にバランスを崩している事が多いようなので。
「体の痛みは心の痛み、心の痛みは体の痛み」
静かに座して祈りを捧げる。
自分の拘りや囚われから心を開放することから始めると、随分体が楽になることがあります。
片付けも無事終わり、やっと時間が取れたので、明日検査に行ってきます。
心臓は大丈夫との自信がありますが、疲労が溜まっていそうなので念の為。
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January 31, 2007
それは見えざるものを敬わなくなり、自然を敬わなくなり、人を敬わなくなり、親を敬わなくなり、と敬うという心が“有耶無耶”になってきた為に人間の良心が狂ってしまっているから、と天命庵のお話にありました。
本来日本人が持っていた、教えの土壌というものが見えなくなってしまっているのです。
日本人の精神的土壌とは、神を、自然を、人を、命を、目上を、親を、敬い拝んで感謝しながら生活する事でした。
それがいつからか有耶無耶になってしまったのです。
神とは特定宗教団体が崇める教祖のことではありません。
この宇宙を、地球を、自然を、人間を創造した偉大な力のことです。
人間を越えた存在に畏怖の念を抱く、大切な事ではないでしょうか。
人間が一番、自分が一番と奢った瞬間から、相手を敬う事は難しくなりますから。
人の命を敬う心があれば、兄が妹の、妻が夫の、親が子の命を奪う等という事は起こりえません。
人の命を敬う心があれば、安全でない食品を製造する、健康に関する問題を捏造する、耐震を無視した建物を建てる、飲酒運転をする等という事は出来ないはずです。
でも人の命を敬う心を忘れて、自分の思うとおりに相手を動かしたい、お金が手に入ればいい、自分の会社が少しでも儲かればいいとなれば、世の中何でも起こってしまいます。
日本人は一昔前まで、大きな事から日常の小さな事に至るまで感謝をしつつ生活をしていました。
山の神、海の神、火の神、米粒の中にも神、全てのものに神が宿ると敬い拝んで暮らしていたはずです。
この伝統的な精神を呼び戻すことが、この混沌とした世の中を蘇らす鍵かなと感じています。
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January 25, 2007
「全国で約十万人」の文字が、朝日新聞の朝刊に踊っていました。
その内「保護者としての責任感や規範意識」の問題が60%、「経済的な問題」が約33%と見られるとの事。
本当に普通では考えられないような事が、よく次々と起こりますよね。
また!見たいな感じで、段々驚かなくなっていく自分が恐いのですが、この話は酷い。
外で食事をして、お金を払わなかったら無銭飲食、立派な犯罪ですもの。
其れが、学校で堂々と行われているとは・・・
親、学校の先生、医療従事者、警察官、経営者、政治家、みんなレベルが落ちました。
人間全体のレベルが落ちてしまった感すらあります。
このままでいくと、人間が人間としての理性ある行動を取らなくなってしまうのではないか、と恐ろしくなる位。
先生のレベルがいろいろ言われています。
今回の「教育3法改正案」にも、教員免許に更新制を導入とあります。
更新制の導入に別に反対ではありません。
でもその前にか、それと同時にか、するべき事が沢山あるように感じます。
私は学校の先生とは、生徒に社会に出て一人前の人間として生きてゆく為の知識と知恵を教えるのが仕事と思っています。
ところが安心して生徒の教育に専念できる環境作りが出来ているか、とても疑問なのです。
先ず本来家庭で親が教えるべき基本的躾がなされないまま、学校に子供が送り込まれて来る。
部活といわれる課外活動、朝夕の練習そして休日も返上している先生方が結構多いのでは。
オランダでは課外活動は地域社会と親の責任で行われるものであって、学校の先生の領域ではないのが普通です。
これは聞いて話ですが、上への提出書類が多くてパソコンの前で書類の作成に追われている時間が長いとか・・・
これでは本来の学問を教える為の先生自身の勉強や、授業に遅れている子の面倒、いじめ問題に時間を掛けて取り組む事が出来ないと思うのです。
その上、給食費の取立てまで先生の仕事となると、本当にお気の毒です
今回の給食費滞納問題、文科省がどのような解決策をとるのか決まっていません。
ただこれ以上先生に生徒を教えること以外で、負担を掛けるべきでは無いと思います。
そうでないと、結局皺寄せは子供達にいくのですから。
でもね、先ず親を教育し直さないと駄目でしょうね。
そして、そうゆう“親”を育てた“親”を見てみたい。
問題は半世紀以上前から始まっているのです。
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December 29, 2006
天命庵に今年一年つつがなく過ごさせて頂いたお礼参りに伺って、来年の心構えを伺ってきました。
毎年きまっておっしゃることですが「良い事をした人は幸せになるでしょう。悪いことをした人は幸せにはならないでしょう」
これは占う以前の生きてゆく基本ですね。
自分勝手なことをしておいて来年はいい年でありますようにと願っても、そうは問屋が卸しませんもの。
『亥年は十二支の最後の年です。
十二支の最初に戻る最後の年という事で、やり残したことがないだろうか、ああ、あれもしておかなければいけないわね、と焦る年でもあります。
「急いては事を仕損じる」
あまり前進し過ぎないで、いつもブレーキをかけて、なれべく走らないようにしてくださいよ。
調子の良い「す~」と行きやすい年ですから。
そういう時は用心してください。
どうぞ気を付けてください。
来年は特に気をつけるのですよ。
よーく自分に問うて、余り物事がよく動き過ぎたら止まることです。
甘い話に乗らぬように、流れをしっかり見て。
今まで積み上げてきた事でなってきたことは良いですけれども、急に思い掛けなく起きてきたことにはよ~く気をつけること。
欲の心のある人は騙されますよ。
気を付けましょう。
欲の心を取って、人さんの為に喜んで良いことをして下さい』
随分気を付けなければいけない年のようですが、はじめの言葉のように良い事をしていればいいわけで、何事も自分次第ということですね。
喜んで人さんの為にというのは、家族を含めた身近な方にちょっと気を使う事も含まれるのです。
とても簡単な事のような、この身近な人というのが意外と曲者のような・・・
ただ今、私、人さん(92と89歳の両親)の為にいくらでもする事があります。
私、来年は年女です。
赤いちゃんちゃんこなんて時代ではないので、洒落たダウンのベストでもリクエストしようかな?
どんな年になるのかとても楽しみです。
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December 14, 2006
ちょっとした心遣いでいいのです。
微笑みを掛ける。
声を掛ける。
優しさを掛ける。
思い遣りを掛ける。
気遣いを掛ける。
相手を気に掛ける
気持ちを掛ける。
全部「掛ける」ですね。
心を掛ける事によって、人に喜んで頂くことができます。
今の世の中「どうせ言っても駄目だろなぁ~」と、一言掛ける事を諦めてしまっている人が多いように思います。
家族同士、先生と生徒、上司と部下、国民と政治家、皆がお互いに心を掛け合わなくなっているような。
でも声を掛ける、思いを掛ける事はとても大切な事です。
掛けずに駄目だろうな、と諦めてしまっては、そこからは何も生まれてきません。
どうせ駄目だろうな、と思っている人は、だいたい何も「掛けてない」のです。
行っていないのです。
掛けてみて、始めて実るものがあるはずです。
ちょっと心を掛ける事で、人に喜んで頂けると、自分も幸せな気持ちになれます。
慌ただしいこの時期だからこそ、特に周りの身近な人に「心を掛け」よい関係を築きませんか?
HAPPY NEW YEAR!間違いなしです。
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December 13, 2006
クリスマス・ギフト用の超豪華版カタログがクレジットカード会社から贈られてきました。
もう十数年使っていますが、始めてです。
「カード会員様だけにお届する世界の逸品をはじめ、日常に特別な彩りを添える商品を400点以上えりすぐり」ご紹介とあります。
目の保養によさげな美しい物がずらり、しかし並みのお値段ではありません。
最高のものは「地球発、月行きのチケットをご手配いたします」1億米ドル(約120億円)目玉商品というか、話題提供というか、ご愛嬌というか…
英・帝国王冠レプリカ、1億5千万円(1点限り)
スタインウエイ&サンズ、限定グランドピアノ、 1億1550万円(限定2台)
数千万円、数百万円の物がごろごろ載っています。
その中で「むっ!」としたのが「ミラノ発、日本初登場ペットジュエリーを愛犬とともにお楽しみ下さい」という物。
な、なんと1番安いので33,600円、お高いのが472,500円ですよ。
私も小型犬を飼っていたことがあります。
猫可愛がり、じゃなくて犬可愛がりに可愛がって友達からひんしゅくをかっておりました。
でもどんなにお金があっても(ないので余計なことですが)犬に47万円のアクセサリーは買わないだろうなぁ。
だいたい毛に絡まって、犬にとっては凄い迷惑ですもの。
こんな立派なカタログを作って元がとれる程売れるのでしょうか。
カード会社は抜かりないから、勝算ありなのでしょうね。
ひょっとしたら思っている以上に物凄い格差社会が出来上がっているのかもしれない、とふと思いました。
日曜日の夜、NHKで「ワーキングプア」“働く貧困層”を放送していました。
朝、昼間、夜と3つの仕事を掛け持ちして一生懸命働いても、まともな暮らしを維持するのが難しい世の中って何なのだろうかと、冷たい社会に恐さを感じました。
一生懸命額に汗して働いている人が、贅沢は出来なくても普通の暮らしができる社会を築いていく事は、働いている人にとっては勿論ですが、安定した社会を築いていく上においても不可欠なことではないかと思うのです。
働く貧困層と豪華なカタログ、誰が何を買おおと自由なのですが、何か社会の仕組みがおかしいような気がします。
誰もがそこそこ幸せな社会になったらいいですね。
そうゆう政治家を自分達の手で育てていかなければ。
今、皆で真剣に考えなければ大変な事になると思うのですが・・・
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November 16, 2006
暗闇の中追われて逃げる夢、よ~く見るんです」と、母の流動食を作りながら若いヘルパーさんが楽しそうに言います。
「アラ、アラ、アラ」と思いながら「知って、如何するの~」とさり気なく。
答えは「知りたいんですもの~~~」
「今生でそんなに可愛くて生まれて(美人ではないけど容姿も性格もとってもかわいい子です)お年寄りのために心を込めて働けてるのだから、前世なんか気にしなくてもいいと思うんだけどな~~~」と私。
「でも、知りたいんです~~」と彼女。
それにしても、前世を知ってどうする積もりなのでしょう。
私は物事知って為になる事と、知らない方が良い事があると考えています。
前世のように確かめようの無い事は、遇えて知る必要がないのではないかと…
あなたの前世は良くなかったと言われて、今生こそは立派に生きようと頑張れる人もいるかもしれません。
でも人間は、強くも弱くもあります。
何かの誘惑に出会った時、どうせ前世悪かったのだから「どうしょうもないのよ」と誘惑に嵌る原因になりかねません。
全てを前世のせいにして…
人は、今の生きている姿が一番大切なのです。
何故ならば、今を見れば全部わかります。
今の生き方が、過去、現在、未来を全部写し出す鏡なのですから。
今、この時を如何に生きるか、その事によって未来の自分が決まります。
これは誰でも知っていることですね。
そしてもう一つ、今、この時を如何に生きるか、其れによって過去に自分のしてきた事の意味が変わります。
今生き生きと輝いて生きていれば、前世も過去も、今を輝かせる為のものだった事になるのですから。
前世、前世と囚われなくても、今をしっかり生きる事で全て変えられるのです。
言い換えれば、自分の前世は今をしっかり見詰めて生きる事以外に変える方法はないのです。
江原さんが“人には前世がある”と若い人達に気付く切っ掛けを作ったことは素晴らしいと思います。
でもね・・・
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September 11, 2006
身近なところへの関心がとても薄れているような気がします。
先日(9月8日)天命庵で伺ったお話です。
『今の人は、わしが天の鏡で眺めていると、凄く不思議なことが好きな人が増えています。
自分の前世は何んだろうか?とか、そういう不思議な事ばっかりに関心があって、身近なところへの関心がとても薄れているような気がします。
身近なところにもっともっと目をやって下さい。
例えば夫婦がお互いに感謝し合う。
身近な事に感謝できるようになる、それが大きな心に行き着く事です。
何気ない小さい事に感謝できた時に、人は大きな心を得ることができます。
今一番関心を持たなければいけない事に、思いがいっていない。
一番身近なものは命ではないですか?
命というものに対して感謝が足りなくなっています。
だからさまざまな事件が起きるのです。
人を殺めてみたり、自分が亡くなってみたり、命に対する尊さが、凄く忘れられています。
皆さんの中に命があるから、今日ここに来る事ができたわけでしょう。
命の大切さという事を、今の人は本当に忘れていますね。
これから一番尊ばなくてはならないのは、自分の命にもっと合掌すること、拝む事、感謝をすること。
そういう事がとても必要ですね』
今よく話題になる、前世や(守護霊)についてこんなお話がありました。
もしもこの世を生きていく上で、自分の前世が誰であったか、守護霊が誰であるかを知っている必要であるのならば、当然私達は教えられて生まれてくるはずだと、常々私は思っています。
私達が何も教えられずに、まっさらな状態で白紙でこの世に生まれて来たということは、前世とか守護霊とかを知る必要がないからではないでしょうか?
私達がこの世で生きていく上で、かえって邪魔になるのではないかとすら感じていました。
何故なら、自分の頭で考え、自分の体で行動し、自分の足で歩んでこそ、初めて自分の人生を生きたと言えるのだと思うからです。
自分の前世がこの人だからこのような人生を、守護霊がこう言っているからこのように生きよう、では自分のオリジナルの人生では無くなってしまいます。
過去に気を取られていると、今現在の自分を大切に一生懸命生きる事が疎かになってしまいそうです。
自分で自分の人生を努力して積み上げてこそ、自分の命の有難さもわかる、お話を聞いていてそんな気がしました。
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January 03, 2006
明けましておめでとうございます
今年の干支はイヌですね。
母の介護の合間を縫って、天命庵に初詣に行き、親様から戌年の過ごし方の話を聞いてきました。
『犬の年というのは、天に忠実に、人生に忠実に、自分に忠実に。
忠犬ハチ公のように、忠実に添いきること。
そうすると今年は良い年になります。
又、犬は“ワンワン”と吠えます。
“ワンワン”と言う事は“一、一”一から始めなさいということ。
一に戻って物事をなしていく年です。
年の最後にはいろいろな嫌な出来事がありましたが、何も心配しないで一に戻って物事を始める年。
全部一に戻って物事をすると結構になりますよ』
というお話を聞いてきました。
去年は人に会社に社会に対する信頼と安全が、足元から崩れていくような感じがした一年でした。
でもその気持ちを、新しい年に持ち込むのではなく、今年は新たに一から始まり。
互いが信じあえる社会を作っていくために、皆で小さな思いやりをコッコツと積み重ねていけるとよいな~、そんな事を年の初めに感じました。
今年こそ明るい良い年にしたいですね。
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