June 17, 2009
現行法(97年成立)では、「本人に脳死からの臓器提供の意思がある場合のみ脳死は“人の死”(それ以外は心臓死が人の死)」と定められています。
この定義でいくと“人の死”は、条件によってくるくる変わるものなのですね。
そんなバカなことが・・・と思っていたら、法的な整合性がとれるよう「死」を定義する、科学的な死の定義を今国会で決めようとしているようです。
政治家のお仕事は「法律」を作る事なのですから、政治家が「人の死を定義」するのは当然の事なのですが、それでもとても違和感を抱いています。
3年後の見直し規定が放置されて9年経つ現行法。
海外では臓器移植の実施が進んでいるのに、日本では臓器の提供数が増えない事。
世界的に臓器移植は自国での動きある事。
それで、何とかしなければと焦っているように私には見受けられるのです。
「脳死は人の死」と定めるかどうか、重い哲学的判断、生命倫理まで含まれる難しい問題だからこそ、なかなか議論が進まなかったのではないでしょうか。
それぞれの国に、医療制度の在り方、救急医療制度、医師への信頼、命のみとりの文化等の違いがあり、脳死移植への考え方に差が生じるのはいたし方ない事です。
日本には、心身を統合的にとらえようとする仏教的思想が土壌にあり、又、みとりの時間を大切にする文化的な背景もあります。
“死”を国会議員の専権事項にしてしまうのではなく、日本に根ざしている生死感に沿って、国民の選択が反映できるような法体系を整えてほしいと思っています。
朝日新聞の『臓器移植インタビュー』に国会議員で小児科医の阿部知子氏は
「国内でも子供の臓器提供を解禁すべきだとの声が出ていますが」の問いに
「『移植が必要』といわれる子供を減らすことの方が本質的に大事だ・・・本当のよりよい治療をすれば、移植を求める子供の数が大幅に減ると思う」と答えています。
そのことも含め、臓器移植法改正の採決をする前に、議論されるべき問題が山の様にありそうです。
でも何よりも私が感じている事は、物事を考えるには順序というものがあるのではないかと・・・
まず人の死とは、人間がどのような状態になった時をもって決めるのか。
脳死をもって“人の死”と定義する事に、国民が本当に納得できるのか。
そのような議論は、臓器移植に関係する人達を除いてなされた方がより公正なように感じます。
臓器移植についての議論はその後でなされて然るべきものではないかと・・・
その議論の中で、多くの人が納得できる日本型生命倫理を構築していく必要があるのではないでしょうか。
生命にかかわる重要法案が、充分な議論もなされないまま、会期末を控えた時に駆け込みで採決されてしまうことに、不安を禁じ得ません。
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June 08, 2009
日本でまさに“裁判員制度”が開始されようとするこの時期に菅家さん釈放、様々な問題を投げかけているように感じます。
「疑わしきは罰せず」刑事裁判の原則だそうです。
ラテン語の直訳は「疑わしきは被告人の利益に」とも言うそうです。
裁判員に選ばれたら肝に銘じておきたい言葉ですね。
完全な人間なんていません。
人間は故意、故意でなしにかかわらず、過ちを犯す可能性のある存在です。
不完全な人間が、人を裁く。
しかも裁判官のように学校で司法の勉強をしたことのない一般の人が、ある日突然、裁判員になるのです。
「疑わしきは罰せず」
それでは罪を犯した者が得をするとか、被害者の立場はどうなるのか、と思う方がいるかもしれません。
老子の言葉に「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏らさず」
“天の張る網は、広大で一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。即ち天道は厳正で、悪事を行えば早晩必ず捕らえられ、天罰をこうむる”とあります。
日本でも一頃まではお年寄りが「お天道様(オテントウサマ)が見ているよ」とよく言っていたものです。
“人の目は、見える所でしか判断しないけど、お天道さまは、陰日向(かげひなた)なくすべて見透かしている。だから、悪いことはしてはいけない。必ずした事の報いは返ってくる”と。
何も法治国家を止めて、全てを天に任せましょう、と言っているわけではありません。
ただ人智を尽くして検証しても、それでも疑がわしい時、後は天に任せよう。
そんな思いに至った時、検察、弁護団、被害者、マスコミ等の誰の側にも巻き込まれず、正しい判断に少しでも近づけるかもしれないと、思ったりします。
罪を犯した人を、裁くのは当然のことです。
でもその過程で、冤罪を生み出すような事があっては決してなりません。
人間は全ての事に白黒をつけられる程完全ではない。
そして人間が研究したものは、DNA鑑定も含めて、可なり正確なのでしょうが、完璧ではないはずです。
「裁判員制度」“疑わしきは罰せず”“人間は完全ではない” この2の事を、常に頭に置きながら謙虚な姿勢で臨める環境が創られることを願っています。
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June 05, 2009
「北朝鮮のことは本当に人間の奢り高ぶりですね。地下であのような核実験をしたり、まさに地を汚すという事は、天地の理を狂わすわけであります。
今日の大雨を見て、神様が地を汚されて清めているように思えてなりません。
人間の奢り、自分の権力を示そうとする事が、まさに様々な障害を作ってしまいます。
・・・人間の奢りというのは怖いものです。地下で核実験をして、それによって大地に歪が起こる。起こった歪は、天にも地にも現われます。
人間の奢り高ぶりで起こした事が自然界の流れを変え、水の流れを変え、奢りによって世の中の動きを皆変えてしまいます。
どうすればいいのでしょうか。
祈る事です。お詫びをする事です。
何万分の一でも皆さんがお詫びをして、それこそこのような爆弾の実験をした人々の代わりに詫びをする。
祈るという事は凄い力なのですよ。与える事であります」
天命庵の親さまが“北の核実験”について、こんなお話をされました。
遅々として進まない拉致の問題、独裁者に虐げられている人々、私達の国の上空を飛んでいった自称人工衛星、そして核実験。
いつも『世界の大国が自国の利害ばかり考えているから解決できないのではないか』と苦々しく思っていました。
勿論一番愚かなのは北のトップですけれど・・・
韓国が融和政策を実施しても、国連が事あるごとに制裁決議を出して実行しても、何も変わらないと言うか、おかしくなる一方です。
どうでしょう、こんな時は、祈ってみたら・・・
各人が、それぞれの場で、時間のある時に“北の人々の人間らしい暮らしを、真っ当な政治が行われる事を、核爆発によって汚された自然が清められる事を”心を込めて祈ってみては・・・
祈りには一銭のお金も掛からないのです。
数分間、心を込めるエネルギー以外は何もいらないのです。
人間って不思議なもので、“ただ”だと効き目が無いような気がします。
お高いと如何にも効果がありそうな気分になります。
そうゆう方は変な宗教団体に騙されやすいのですよ。
自然に神に祈るのに、お金は掛かりません。
真心をお供えすれば良いのです。
手詰まりな時は、祈れる人は祈りを奉げる。
大切な事だと信じています。
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May 31, 2009
北朝鮮、補正予算、インフルエンザ等など問題山積の中での、45分という短時間の党首討論。
それでも、鳩山氏、「友愛」について語られました。
抽象的との批判を気にしてか、三鷹の小学校の例を出して。
確かに超具体的な話だったのですが、それを国又は地方の政策として、どのよう実行してゆくか、国民に何をしてほしいかが、やっぱり見えてこないのです。
おっしゃりたい事、私にはとてもよく分かるのですが・・・
息子は生後6ヶ月から4歳半までロンドンで過ごしました。
1歳の検診は、お近くの古いレンガ造りの民家がにわか検診所になります。
赤ちゃんがハイハイしても大丈夫なようにぴかぴかに磨き上げられた床、子供達が裸でも寒くないように赤々と燃さかる石炭ストーブ、赤ちゃんのお世話してくれる人、育児相談に乗ってくれる人、全てボランティアの手によるものです。
片付けは全員で。
皆で安全を確認し、鍵を掛けて民家を後にしました。
その古い民家、折々の集会に使われていました。
息子の通った幼稚園は英国国教の教会、体育館位の大きさの半地下が平日9時から12時まで幼稚園になります。
朝、教会の倉庫から子供達の遊び道具を出して、にわか仕立ての幼稚園が出来上がり。
2才半から5才までの男女20人に先生4人。
30年前の事ですが、保育料は週15ポイント(日本円にして1,500円位)入学金なし。
そんな幼稚園がひっそりと所々にありました。
もちろん建物も庭もある、日本の程大きくはありませんが、幼稚園もありました。
ある日、先生一人と女の子の為に、お別れ会が開かれました。
先生と女の子は親子で、子供が小学校に上がるので、先生も本業の小学校の先生に戻る為です。
子供の成長に合わせて、仕事の内容も時間も選べる。
自分にとっても、社会にとっても、有益ですね。
当時の英国が理想的な社会だった等というつもりはサラサラありません。
ただ、身に丈に合った社会を築いているような気がしました。
新しい大きな箱物、近代的な設備等を求めないで、あるものを上手に活用する。
人材もボランティアから有償の人まで、上手に働いてもらう事によって、温かい人間関係のあると社会と大きな節税が出来ると思うのです。
さて『三鷹の小学校の話』を民主党の政策の中にどの様に生かし、私達国民にどのような形で「友愛社会」作りに参加して欲しいのか、見えてこないですね~
私はそこが知りたいのですけれど・・・
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March 22, 2009
日経プラスワン(21日)に載っていた記事です。
6人を実感するかどうかはおいておいても「世間は狭い」と感じるような経験をした事は誰にでもあるのでは?
「世界はたった6人の知人でつながっている」実はこれ、「6次の隔たり」と呼ばれるれっきとした数学の理論だそうです。うわさの伝わり方やウイルス感染を考えるのにも応用されているとか。
大規模な実証実験が何度も行われ『数百人を無作為に選び、面識のない特定の人物に手紙を届けるのに何人の知人を介せばよいかを実験したところ、6人以内で多くが目標にたどりつき、平均が5.5人。また電子メールを使った実験でも、6人程度で世界各地の目標の相手に届く』ことが確認されたそうです。
「人は人と出会いながら人脈を築く。その鎖をうまくたどれば、世界に約六十六億人いる人間が六人(仲介者は五人)でつながる」と実証されているそうです。
“その鎖をうまくたどれば”がミソかもしれませんね。
規則的でもバラバラでもない構造が、顔が広い有名人らが「ハブ」として機能することによって、意外なほど短い経路でつながるのだそうです。
先月の父の入院の時“世間は狭い、意外なところで人は繫がっている”と感じたばかりなので「ホー」と思いながら読みました。
40年前、父がニューヨークで仕事をしていた時の部下の方、帰国後、鎌倉で住まいがお近くでした。
数年前、母が入院した時、お見舞いに見えて「この病院の理事長と親しいので、何かあったら何時でも・・・」
それで、今回父の入院の手配をお願いしました。
病院へ連れて行くと、部下の方と理事長さんが待っていてくださり、主人と私とご挨拶の後、4人で世間話を。
部下の方と理事長さんが同窓と聞いて、主人「失礼ですが、どちらの高校ですか?」
3人とも湘南高校と分かりびっくり、主人は大分後輩ですけれど。
その上、湘南の校長をしていた主人の父をご存知だったりして、病院の検査室の前で、共通の先生、知人の昔話をなっかしそうにひっそりと。
主人曰く「湘南卒の匂いがした」そうな・・・
両親の介護を始めて、それまでと違う世界の人々と接する中で、意外な人との繫がりを発見する事があり「世界はたった6人の知人でつながっている」本当かも、と感じています。
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March 15, 2009
連日の不況報道、どこもかしこも「景気が悪い」「不況」「100年に一度の不景気」という言葉で溢れかえっています。
天命庵の親様が「どうしてこの様に景気が悪くなるかというと、皆が『景気が悪い、景気が悪い』と言うから、景気が悪くなるのです」と言われました。
聖書のヨハネによる福音書は「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は始に神と共ににあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった・・・」と、続きます。
皆が「景気が悪い」と思い、それを口に出し言う。
だから、皆の思っている通り、皆の言葉通り、世の中は「不景気」なのです。
何にも不思議ではありません。
当たり前のことです。
ではどうすれば良いのでしょう。
経営の神様といわれた故松下幸之助氏は「不況は天然現象ではない。我々が人為的に作ったものです。人為で作られたものは必ず人為で克服することができる」と言われたそうです。
そして「行き詰まっても行き詰まっていない、と考えなさい」「気持ちまで不況になるな」とも・・
日本は今までにもっともっとひどい時期を乗り越えてきまたはずです。
それらの時と今と何が違うのでしょう。
テレビやさまざまなメディアが、絶え間なく「不況だ。危機だ。倒産だ。人員整理だ。」と悲観論を振りまいています。
次々とそして繰り返し悪い情報ばかり流されると、人間って思考が止まってしまうのではないでしょうか。
うまくいかないのは不況のせいと全てを責任転嫁したとたん、自分で何とかしようという
気が萎えてしまいます。
「経済は人の心の関数」と言った方があります。
今、人の気持ちが完全に不況に飲み込まれています。
日本語は凄い言葉ですね。
「景気」という言葉の中にちゃんと「気」という言葉がはいっていますもの。
景気を良くするも、悪くするも気持次第。
『皆が「景気は良くなる、景気は良くなる。有難い、有難い」といえば、世の中は有難い世の中になります』と天命庵の親様は言われました。
(この景気が良くなる、とはバブルのような異常な好景気の事ではなく、まっとうな経済社会になる事です。念の為)
そんな簡単な事で!と思いますか?
でもそうなのです。
それが言霊の力であり、聖書に書かれている「・・・すべてのものは、これ(言葉)によってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった・・・」の意味でもあるのです。
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January 08, 2009
国の財政が豊かであるならば、有難く返してもらいます。
でもね、財政赤字の額が数字に弱い私には想像もできないのですが、1000兆円を超えていて、毎秒増え続けているとか言われているのに、返してもらってもね・・・
我家は特別お金持ちではありません。
でも給付金をもらわなくても充分生活出来る程度には豊かです。
やはり2兆円はこの大不況の中で生活に困窮している人を救うために、皆が人間らしい生活を送ることが出来るように、使って欲しいと思います。
「過っては則ち改むるに憚る事なかれ」
(過ちをおかした時は、ためらうことなく、すぐに改めよ)
定額給付金を過ちというのは、言い過ぎかもしれませんが、もっと世の中の為になる使い方があることだけは確かだと思っています。
それに、全国民に配る為の事務経費が800億とも1000億円とも聞きます。
それだけのお金があれば、どれだけ多くの困っている人を助ける事ができるでしょうか?
まあ、公明党と連立を組んでいる以上、撤回は絶対無理なのでしょうけれど。
年末年始に、日比谷公園で「年越し派遣村」というのがありました。
いろいろな批判もあるようですが、この寒空に住む所も食べる物にも事欠いた人達が、人の温もりを感じながら年を越す事ができた。
その人達の中に、働く気のなさそうな人がいても「派遣切り」で無い人がいても、良いのではないかと思っています。
困っている人には、それぞれが出来ることで助けて差し上げれば良いのではないでしょうか。
「年越し派遣村」の事を知って、主人と相談し「有難うございます」の一言を添えて僅かですが寄付を送りました。
以前にもこのブログで書いたことがあります。
何かのご縁で同時代に宇宙船地球号に乗り合わせた仲間、支え合い、助け合って、暮らすことができれば、安心で安全な社会を築いてゆくことができます。
それは、お人の為でもあり、又自分自身の為でもあるはずです。
2兆円、何とか有効な事に使われることを願っています。
私達の払った税金ですから。
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November 12, 2008
「どのような急患も受け入れる」ことを開業以来25年間守り続けている、千葉県にある病院の副院長の言葉です。
数日前の朝日新聞「救急患者 拒みません」で紹介されたこの病院の理念の中に、これからの医療改革へのヒントがぎっしり詰まっているような気がしました。
『先ず医師が患者を見る事。産婦人科はないが、妊婦も断らず、とにかく患者として受け入れる。患者は一般医が診断し必要に応じて他の医療機関に転送する』
その病院は『医師の住宅整備や研修、学会への参加支援など、仕事環境の充実を図ることで規定を上回る医師確保、若い研修医の人気も高い』そうです。
今の医療問題―救急患者の受け入れ拒否、医師不足、医療事故と医療訴訟の多さ―は、厚生労働省の政策ミス、医師の対応の悪さ、患者の専門医志向とすぐに訴訟を起こす、が微妙に絡み合っていると常々思っています。
一人一人が、それぞれの立場で“当たり前”の事を確実にこなせば、自ずと住みやすい世の中になると思うのですが・・・
医師は医師としての“当たり前”の事を、そして患者は患者として“当たり前”の事を。
患者の“当たり前”って何でしょう。
お医者さまは、一般の人よりも医術の勉強をし、経験を積んでいても、普通の人間であり完璧ではないという事。そして人間の命には限りがある事を、患者はもっと自覚するべきではないでしょうか。
お医者さまは、どんな病気でも魔法使いのように治せるはず、そんな過剰な期待をかけ、何かあったら訴える。
これでは医師の成り手がいなくなるのは“当たり前”です。
そういえば、ご近所の元衆議院の方が「今の世の中を変えるのはそんなに難しいことではない。当たり前のことを当たり前にすればよい。・・・皆が普通に生活していける世の中にするには奇策はいらない、慣例やしがらみに囚われず、当たり前のことが当たり前として通る政治をすればよい」と言っていたのを思い出しました。
政治家が政治家として当たり前の政(まつりごと)をする。
国民は選挙権を、当たり前の責任と義務として行使する。
ただこの当たり前が、
金儲けのために、人を騙しても当たり前。
税金の無駄遣いは当たり前。
学校給食代は払わなくて当たり前。
と誤用されていて、とても残念です。
そんな中、一昔前の“当たり前の理念を実践して成功している病院があるなんて、嬉しいですね。
『今の世の中を変えるのはそんなに難しいことではない。当たり前のことを当たり前にすればよい』
名言です。
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November 08, 2008
青春の6年間を N・Yで過ごしました。
40年近く前の事です。
オバマ氏が勝利宣言をするまで、どんなに有利との情報を見聞きしても、アメリカ人がアフリカ系(黒人)の彼を大統領に選ぶかどうか、半信半疑でした。
当時、人種のるつぼで、実力があれば誰にでも平等にチャンスが与えられると言われていたN・Yですら、表立っては現れてこない人種差別の意識が社会の根底には歴然と流れているのを常に感じていました。
今でも米国人の3割が何らかの人種偏見を持っている、との調査結果があります。
44代アメリカ合衆国大統領が初のアフリカ系という事が、まず話題になり、そのことに目を奪われがちです。
しかし、冷静に考えてみると、彼が大統領として最も相応しい資質を持っていった、そしてアメリカ国民の“現状への拒否”がオバマ氏を選んだ。
その彼がたまたまアフリカ系だった、ということのような気がします。
彼の持つ言葉の力、天性の演説力
いかなるときも感情に流されない冷静さ、落ち着いた人柄
多様性や寛容さを感じさせる主張、
どの国の誰とでも話をする用意がある
貧富、人種、世代、イデオロギー、全てを包括し、溝は埋められると、人間の良識を信じる力
核のない世界を目指す、との公約
人間として懐が深い。
心の広さを言葉で現し説得する能力、コミニュケーション能力が凄いですね。
今、アメリカに世界に必要とされる指導者の出現。
ちょっとオーバーな言い方でしょうか?
熱狂の嵐は、厳しい現実の前に落ち着いていくでしょう。
待ったなしの世界情勢ですが、根本から立て直すには時間が必要です。
彼には支持率が上がろうが下がろうが、4年という任期があります。
ジックリと腰を据えてアメリカを再生して欲しい。
青春を過ごした、第二の故郷にそんな思いを抱いています。
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November 04, 2008
「やろうと思えばできるんじゃん!」聞いてまず初めに思った事。
これだから健全な野党は必要ですね、絶対に!
民主党の選挙公約、高速道路料金無料化を意識しての政策である事は明らかですから。
去年、大連立という話がありました。
今度の総選挙の結果次第によっては又蒸し返されるかもしれません。
国民の為に切磋琢磨してよりよい政策を作り出す為に、限りなく政権担当能力のある野党の存在は不可欠だと私は思っています。
次に、何故乗用車が優遇されるのか、不思議です。
曜日、時間帯、ETCを搭載しているかどうかによって違ってきますが、
東京から大阪まで:
自家用車 1,000円
大型トラック 15,000円
原油が急騰していた時、大型トラックの運転手さんが「会社がコスト削減のために高速道路代を負担してくれない、帰りの積み荷を自分で探さなければならない・・・」等々、苦境を訴えていました。
彼らに追い打ちをかけるのでは・・・
今回の政策は、観光やレジャーの活性化の為だそうです。
でもその前に、するべき事があるのではないでしょうか?
商品、原料を運ぶ大型トラックの高速道路料金を抑えれば、物価の上昇を大きく抑える事につながります。
働く ―人のために動く
働く(はたらく)―傍を楽にする
優先されるべきは、こうゆう方々ではないでしょうか?
社会の弱者―幼子・高齢者、障害者、そして働く人を大切にしない国は荒廃していく、そんな気がしています。
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November 02, 2008
言い出しっぺは、ご町内に新しい風を吹き込んでいる元校長先生と、その教え子の元幼稚園の先生。
数十年ぶりにお町内でばったり再会して盛り上がったそうな。
子供を集めて催し物をするには、最強のコンビ。
一部のとても協力的な役員さん十数名を除いて、なにしろ“笛吹けど、踊らず”を絵に書いたような自治会。
「自治会員の交流を深める為なら犯罪以外は何でもどうぞ」との主人(自治会長を請け負って7年目)の言葉でお母さん達が大奮闘してくれました。
当日、仮装やら綺麗にお化粧した子らが続々と五十数名、付き添いの親御さん達もいて、互いの声が聞こえないような大騒ぎ。
そこは、リーダーの元幼稚園の先生、一瞬で子供達を静かにさせ、ハロウィンの説明を・・・
まるで魔法を掛けられたように大人しくなる子供達、流石ですね~
「トリック・オア・トリート」(お菓子をくれなきゃ、いたずらしちゃうぞ~)と唱えながら、子供達が訪ねてまわる数件のお店には、事前にお菓子を持参してお願いしてありました。
予定外に自分の店も入れてくださいと申し出てくださる所、リストに入っていないのにお菓子を用意して待っていて下さる処もあって、有難くて感激しました。
私は欧米に長く住んでいたので、子供たちが大挙押し寄せてくるのも、息子達を連れて訪れる方も経験ずみです。でも日本では未だ余り広く知られていない行事なので、余計なことは言わずに完全お任せモード。
『楽チン、楽チン』と思っていたのですが、当然の事ながら、当日はそう行きませんでした。我家がお菓子を渡す最後地だったので、家と自治会館、大通りの子供たちの進行具合を計りに走りまくったもので・・・。
街で子供達の群れと出くわした父のヘルパーさん「お宅の自治会、よくいろんな催しするのね~」と感心していました。
お陰様で私は、我家から1分の自治会館の行事で、老人介護のストレスを発散させてもらっています。
兎にも角にも、ものすごい盛況のうちに無事終わりました。
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October 28, 2008
ドルが高いので、来月、息子家族と行く海外旅行用のドルを気楽に買い出しに。
レートが銀行よりお得、と派手に広告している我家から数分の金券ショップに行ってみました。
確かに銀行よりも1ドルにつき0.5円程お安い。
でも、そっけなく「ドルは売り切れです。何時入るか分かりません」
“お金が売り切れ”って、なにか不思議な感じ・・・
この時点では、金券ショップだから沢山おいてなかったのだろうな~と、軽く考えていました。
ところがどっこい、
大手MS銀行
「ドルはありません。朝から大口のお客様が多くて直ぐに無くなりました」
日本一のM銀行
「只今手持ちのドルはございません。トラベラーズチエックなら未だありますが、如何ですか?」係りを呼んで直ぐにも買わせそうな勢い。
手続きがめんどくさいのでヤメ。
それから地銀へ
「申し訳ございません。ドルは全て無くなりました。明朝、入ってきます。10時半に次のレートが発表されるまで、今日と同じレートでお取替えしております。すぐ無くなると思いますのでお早めにおいで下さい。
外貨両替予約サービスもありますが、如何ですか?」
パンフレットだけ頂いてきました。
M銀行
あら不思議!大きな銀行って、皆、頭文字“M”なのですね。
「ドルはございません。明朝、10時頃その日のレートが決まった時点で売り出します」
へ~~、レートは同じでも銀行によって売り方が違うのですね。
別に急いで必要では無いので、いい加減で止めようと思ったのですが、お隣にもう一軒地銀があったので、駄目もとでトライ。
「ございます。如何ほど両替いたしましょうか?」
「1000ドルパック(種々の額のお札が入ったもの)ありますでしょうか?」
と聞いたら、行員さん奥へ行って慌てて三人ががりで数えて、50ドルと10ドル札でなら揃うとの事。
それでOKにして買ってきました。
夕方のニュースで“お正月に海外に行く人等が円高でドルを買い、両替店でドルが無くなる店も・・・”と伝えていましたが、甘い、甘い。
そんなものでは無かったですよ。
各店で、朝のうちに無くなったと言ってましたから。
おっとりとドル買いの凄い波に突っ込んでしまった私は、ただただビックリ!
皆さん、世の中の動きに敏感に反応するのですね。
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October 05, 2008
昨日、ご町内の民主党元国会議員夫人から『集まりがあるので是非おいで頂きたい』との電話。
今日は遠縁の国会議員の後援会から「選挙区在住の方をご紹介下さい」との依頼の手紙。
小泉さんの郵政民営化選挙の煽りで只今浪人中の自治会の元国会議員さん、我家から見える所に事務所があります。
夏祭りの“鉢洗い”に見えた折、このご時勢ですから自治会員からいろんな質問を浴びていました。
彼曰く「今の世の中を変えるのはそんなに難しいことではない。当たり前のことを当たり前にすればよい。政治は国と国民の為のもので個人や特定の人の為の物ではない。
だめなものはダメ、おかしいものはおかしい、と政治家がはっきり言わなければいけない。皆が普通に生活していける世の中にするには奇策はいらない、慣例やしがらみに囚われず、当たり前のことが当たり前として通る政治をすればよい」と・・・
彼は京都大学工学部卒の政治家としては変り種。
担当教授が“政治家を目指している”と聞いて絶句したそうな。
学生時代ボランティアで出会った比叡山延暦寺の高僧が人生の師とか。
彼の話を聞いていると、天命庵の親様が常々言われている事と相通ずるところがあるのは、そんな所からきているのでしょうか?
ただ小沢党首の下で、彼の考えている政治がどれだけ通じるか、未知数ですけれど・・・
彼は、2世議員でもないし、特に資産家でもなさそうですし(失礼)、可なり難しいものがありそうです。
“志”のある人が国政に関われる国にしなければ、日本の未来は暗いのですけれどもね。
私は特に民主党支持というわけではありません。
同じご町内だから、よく存じ上げているから、との理由で国の政(まつりごと)を任せる人を選ぶつもりもありません。
今までもそうでしたが、選挙は政党ではなく人物本位で選ぶ事にしています。
さてさて夫人からの電話を、講演会への出席依頼と勘違いしてOKと返事してしまったのですが、後から届いた案内状を見てビックリ!
緊急『打合わせ会』とあるではありませんか。
総選挙へ向けての集まりらしい・・・
主人に「どないする?」
「行くって返事してしまったんだろ?応援はするけれど、忙しくて選挙運動を手伝う暇はないから、黙って聞いてくるよ」
とは言っても、そうゆう席で黙っていられる性格の人ではありません。
絶対に一人で仕切ってきますよ
まずいな~~。
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October 02, 2008
1日平均9千万円の被害だそうです。
先月我が自治会で「振り込め詐欺と空き巣の被害を防ぐために」「緊急災害時における医療対策について」と題して『暮らし安心講座』を開きました。
「油断してたら危ないかも」 安全指導員の説明を聞きながら思いました。
一体誰が騙されるのだろう?とニュースを聞く度に不思議に思っていた還付金詐欺。
お金を還付すると言われて、どうして被害者がお金を振り込んでしまうのか、私には納得がいかなかったのです。
それが安全指導員2人の寸劇を観てなるほど・・・
人間の心理を実に巧みについています。
被害者をATMの前まで行かせることが出来たら、詐欺はほぼ成功。
カードと暗証番号で画面に自身の口座を出させ「振り込みが出来るかどうか確認する為に“残高”のボタンを押してください」で“残高”のボタンを押させる事が出来たら100%成功確実。。
ご丁寧に620円の振り込み手数料を引いて、残りの口座のお金は全額、詐欺師の手中に。
感心している場合ではないのですが、まあ頭のいいこと!
そんな悪事に使うエネルギーを、社会のお役に立つ事に使えば、素敵なアイディアが一杯で出てくるでしょうに、勿体ない。
被害に会われた方々は本当にお気の毒だと思います。
中には“老後の虎の子を”という方もたくさんおられるでしょうに。
考える時間を与えないで次々と事を進めていくのが相手の手口です。
それでも子供が、孫が、甥姪が不祥事を起こしたからと、数時間の間に数十万、数百万から数千万の現金を振り込む、日本ならではの詐欺ですね。
被害者は60代70代が中心。
女性が圧倒的に多いそうです。
「日本の家庭では女性が財布のヒモを握っている証拠です」と冗談にも本気にもとれる安全指導員の言葉。
今、振込詐欺特別警戒中で2千人の警察官がATMコーナーに張り付いています。
敵もそれを察知して、新手の騙し方を考え出したようです。
ATMを使わないで、バイク便で直接現金を取りに来る。
もちろんバイク便の人達もグルです。
でも顔を見られるので、足がつく危険がとっても高いと思うのですけれど。
今の時点では、殆んど捕まらないそうです。
幸いな事に、ご町内で引っ掛かった方はいませんが、それらしい電話があったという方が何人も・・・
気をつけなければいけませんね。
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September 25, 2008
冠婚葬祭の折に会う程度の関係ですけれど・・・
はじめから麻生さんの出来レースだと分かっていても、やはり気になるものです。
候補者の中で最高齢、体力的な事もあり。
党員ではない私には総裁選自体は直接関係のないことですが、自民党の総裁はこの国の首相になり、政策が国民の生活を直撃することでもありますし。
彼自身は誠実な人柄で、言うべき事は言い、お金にきれいなところが政治家として立派だ、と主人はいつも言っています。
でも彼個人がどうこうという以前の問題として、自民党にこのままこの国を任せておいて大丈夫なのか、という大きな不安を抱いています。
かといって民主党というのも、ちょっとね~~
国民が政治にきちっと参加している海外で長く暮らしていた事。
又、昔、主人が自由党から出馬という話があった事もあり、いつも政治に関心を持っています。
今回の総裁選を見ていて気になったことを幾つか。
何故いつも候補者5人がめだかのように群れをなしてつるんでいなければいけなったのでしょうね。
本当に自分の主義主張を伝えたいのなら、それそれが自分の主張を1番訴えやすい場所で、方法で立候補演説するべきだったと思うのです。
毎日毎日どのチャンネルを回しても同じ5人組の顔が同じ席順でとなると、幾ら司会者が変わってもね~
司会者の突っ込みで主義主張が変わったら、それはそれで問題ですし。
ということは、いつも同じ話を聞かされるということで・・・
その上、総選挙で票のとれそうな目先の話が圧倒的となると、どうもね~~~
食料の多くをエネルギー資源の殆どを輸入に頼っている国として、唯一の被爆国として、国際社会とどう関わってゆくのかを含めた世界観、熱く語って欲しかったですね。
安心して子供が生め、安心して子育てが出来、安心して年をとれる社会。
それらこれらの問題を、何か全てお金で解決しようとしているような・・・
物事は全てお金で解決出来るのでしょうか?
確かにお金は大切です。
なくてはならないものです。
でも同時に、私的にはそれ以上に、人と人との繫がり“人間パワー”を生かすことによって解決できる部分も多々あるのではないかと考えています。
寛容な精神、助け合いの心、譲り合い、生きやすい社会をつくるための人間としての基本的な考えかた抜きで予算だけ弄っても、お金が底なしに掛かるだけではないでしょうか?
平和と命と環境はつながっている。
どれもお金では買えない。
そんな事を考えさせられた総裁選でした。
遠縁の彼は留任。
国民の為に頑張ってくれる事を祈っています。
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September 01, 2008
天命庵のお庭で親様のお話を伺いながら、アフガンで亡くなった伊藤和也さんの子供のような純真な笑顔を思い出していました。
《何故、今の世の中はこんなにもおかしくなってしまったのでしょうか。
それは「自分さえ良ければ良き事」という心がはびこってしまったからです。
『自分だけ有名になればいい、自分だけ幸せになればいい、自分だけ豊かになればいい』という心。
分け与えていないのです。
自分が沢山の愛を頂いたら『それをお返しさせて頂きます』
沢山の力を頂いたら『自分も何か人の為にさせて下さい』という気持ちが無くなっているのです。
頂いたら返さなければいけない。
昔は木を切ったら新しい苗木を植えたものです。そうしたら森は、また森となります。
今の人の考え方は、木を切りました。立派な木を頂いて『ああ良かった、よかった』で終わってしまう。
未来のことを考えません。
木を切ったら次の木を植えていく。新しい森を造っていく。そういう考えが無くなりました。
皆さんも幸せな事を頂いたら「自分も何かさせて頂きたい」という気持ちが無くなっている。してもらうことばっかりを皆願っている。「させて下さい」「何か自分にもさせて下さい」という心が失せているのです》
彼のような人は、おかしくなってしまった今の世に、最も必要とされる、貴重な存在だったのに何故あんな悲惨な事に・・・
「ペシャワール会」のホームパージは、
『誰もが行きたがらない所に行き、誰もがやりたがらないことをする』の言葉で始まっていました。
《子供たちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう力になりたい。アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に戻すことをお手伝いしたい》が彼の動機でした。
他者への誠の愛、人に与える事の大切さ、未来を見据える目、を兼ね備えた方だったのですね。
そして何よりも凄いと思うことは、穏やかに楽しそうに喜んで現地の人々と働いている様子が、数々の写真から伝わってくることです。
彼はアフガニスタンの現状と「ペシャワール会」の活動の意味するところを私達に伝えて、この世を去って行ってしまいました。
私にも息子がいます。
もし、アフガンでお人の為に働きたいと言ったら、私は送り出す事ができるでしょうか・・・
伊藤さんは立派な方でした。
そして彼の崇高な志を理解したご両親も、ご立派だと思います。
彼の志が受け継がれてゆくことを願いつつ、そして、私も自分に出来る小さなことをコツコツと続けていきたいと思いつつ、僅かですが「ペシャワール会」に寄付を送ってきます。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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August 13, 2008
父のショートステイ先から電話。
「ご自分でべッドから車椅子に移ろうとしてすべり落ちられたようで・・・」と本当に申し訳なさそうな女性職員さんの声。
「直ぐ看護婦が調べて、今の所何処にも異常はありませんが注意深く経過を観察します。申し訳ございませんでした」との事。
「家でも時々転倒しております。骨が丈夫なようですから調べて頂いて異常がなければ大丈夫だと思います。預かって頂けるだけでも有難いので、余りご心配していただきませんように」と答えて受話器を置きました。
何しろこの暑さ。
何しろ昨年末母を亡くしてから急激に体力が落ちている94歳。
夜の突然の電話は、心臓によくないですよねぇ。
大した事がなくてホッとすると同時に『そこまでご丁寧に知らせて頂かなくてもいいんだけどな~』というのが私の本音。
次の日に帰宅の予定なので、その時に報告してくだされば充分だと思うのですけれど・・・
このご時勢、預かっている方としては、そうはいかないのでしょうね。
施設に預ける、人に世話をお願いするという事は、相手を信頼してお任せする事だと思っています。
少しでも不安があるのなら、ちょっとのミスも許せないのであれば、全部自分で面倒をみるか、付きっ切りで世話をしてくれる人を雇うべきではないでしょうか。自分が出来なくて人にお願いする以上、相手に完璧を求めるのは筋が違うのではないかと思うのですが・・・
誰の目から見ても明らかな不注意によるミスは、勿論、他の方の為にも言うべきですけれど。
このままでいけばと言うか、すでに始まっているようですが、重労働で低賃金、その上ちょっと何かあれば苦情が出る。これでは介護の担い手がいなくなってしまって当然です。
結局言いたい放題をしていると、最後に困るのは自分達なのですけどね。
先日インドネシアから看護師・介護福祉士の候補生が来日したという記事が載っていました。
日本語の難しさ、3~4年でそれぞれの資格を取得しなければならない事、大きな壁だと思います。
でも一番大きな壁は、今日本中に蔓延している相手に完璧を求める不寛容さではないか、そんな気がします。
この夏、ヘルパーさんがいる時間帯と夜中以外は1時間おきに安全確認と冷房の温度調節をしています。
ショートステイの間、昼間は何かと忙しかったのですが、夜はゆっくりさせてもらいました。
“いつも笑顔でスタッフに接して下さり、気持ちよくお世話させてもらいました”との報告書と共に、父は無事帰宅しました。
私にとって、預かって下さる所がある事はとても有難い。
そして、父が皆さんと気持ちよく過ごす努力をしていてくれる事も、とても有難く思っています。
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August 17, 2007
午前1時過ぎ、夢の中に市からの防災無線アナウスが割り込んできて飛び起きました。
「ただいま気象庁から東海地震注意情報が出ました。東海地方を震源とする大きな地震の発生の可能性が高まったことを意味する情報ですが、すぐにこの地震が発生することを意味するものではありません・・・・・・・・・・・・」
その後、なが~い沈黙が・・・
慌ててテレビをつけると、どの放送局も津波注意報を流していて、東海地震情報にはまるで触れていません。
そうこうしているうちに防災無線から、けたたましいサイレンの音が聞こえ、今度は津波注意報が流されました。
その時点で、津波注意報と地震情報を間違えたのだろうと察しが付きました。
なんという事をしてくれるのですか!
一時は“うっ、来た!”と本当に信じましたよ。
信じた理由は、
連日の異常な猛暑。
私には自然界が警告を発しているように思えています。
自然界に何が起こっても不思議はないのではないか、そんな異様な感じを受けているものですから。
もう一つ、その夜8時44分に市の防災無線が、南米ペルーで起きた地震による津波注意報を出していました。
詳細が分からなかったのでNHKの9時のニュース、テレビ朝日の報道ステイションを見たのですか、どの局もペルーの地震について触れませんでした。
海に面した我が市は結構情報を集める能力があるのかも、と感心していたので、コロッと信じてしまった訳です。
翌朝、市の行政改革の副会長をしている主人は他の件で行革担当に電話したついでに、
「夜中のあれは何だったのよ?
操作ミス?
間違えたの?
東海地震注意情報は前もって用意してあるの?
如何すると間違えるのよ?
間違え易くなってるのか?
後の訂正とお詫びはどうなってるんだ?」
役所の人がインターネットにお詫びを出したと答えたようで、
「そんな時間に誰もインターネットなんが見ないぞ~」
正確には30分後に東海地震注意情報は誤りでした、と知らせる訂正放送をしたそうですが、私達は寝ていて気が付きませんでした。
余りに無邪気に率直な質問をするので、噴出しそうになり、階下に母の様子を見に。
情報で起されて洋服を着替えたというヘルパーさん、主人が市役所の人と話していると言うと、皆が言いたいことですよね、と手を叩いて喜んでくれました。
でも夜中だったことが不幸中の幸いだったかもしれません。
もしも真っ昼間に市内全域247局のスピーカーでこの誤報が流れたら、街中がパニックに陥っていた恐れもあります。
こんな信じられないような事、起こってしまうのですね。
何事も鵜呑みにせず、情報は複数から得るようにして、よく自分で考えて行動しなければ危ない時代のようです。
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August 16, 2007
東に報復の戦争が起こりそうだと聞けば、武力は武力の、暴力は暴力の、憎しみは憎しみの果てしない連鎖を招くだけで何の解決にもならないことを説きに駆け付け。
どんな戦争にも良い戦争というものは絶対にないはずです。
人の尊い命を奪い人の生活を地球を破壊するのが戦争の本質だからです。
西に宗教戦争があると聞けば、仲裁の為に駆け付け。
日本は現在あらゆる宗教がそれなりに仲良く共存し、そしてほとんどの国民は自分が無宗教だと信じている、世界から見て宗教的に偏っていない無色透明に近い摩訶不思議な国です。
だからこそ紛争国の意見を中立の立場でじっくり聞いて、仲介のお手伝いをするのに打って付けです。
南に貧しさからくる内戦が起こっていると聞けば、貧しい人々が自立できるように資金と技術援助をしにお金を持って駆け付け。
そうです世界平和の為に動き回る資金は、私達日本国民の大切な大切な税金です。
同じ私達の税金を使うのなら、戦争の後方支援や戦後の復興支援の為よりも、争いを未然に防ぐ為に使った方がずーと有益です。
今医療でも病気の発生を抑える予防医学と健康を維持・向上させる健康増進に力を入れている時代ですもの。
平和予防と平和増進に私達の血税は使って欲しいと思います。
北で独裁者が自国の力を誇示する為に核を持とうとしたり、国民を圧制していると聞いたら、周りの国々と結束し皆で知恵を出し合って独裁者に退陣を促がす為に飛び回り。
人も国も一人では一国ではこの地球上で生き延びられません。
他者と他国と協力し合って始めて存続することができます。
そして自国の利益のために独裁者を手助けする国があったら、核戦争がどんなに悲惨なものかを唯一の体験国として訴え、援助しないように説得するのです。
私は日本に、そんな国に成って欲しい。
何から始めましょうか?
詩人、谷川俊太郎さんの言葉、
「人を憎んだり、差別したり、無理に言うことを聞かせようとしたり、自分の心に戦争につながるそういう気持ちがないだろうか。 自分の気持ちと戦争は関係ないと考えるかもしれないが、それでは戦争はなくならない」
あなたが地球の為、子孫の為、自分の為に世界の平和を願うならば、まず自分の身近な所から平和な雰囲気を醸すし出していきましょう。
夫婦、親子、子供、隣人、友人、同僚等皆と仲良くして先ず小さな平和を創る工夫をして下さい。
争いを起こさないで下さい。
物事は全て小さな小さなことから始まります。
“なーんだ”と思うような、ついおろそかにしてしまいそうな小さな事から全ては始まっているのです。
自分の出来る小さなことを一つ一つコツコツと努力していくことが、結果的には平和を成す一番の近道だと思います。
平和の旗を振るには日頃からそれに相応しい行いをしていなければなりません。
信頼されうる国造りをしていなければ、どんな正論を説いても国際社会で相手にされないでしょう。
国民一人一人が平和への思いを地道に積み重ねて始めて叶うことです。
ある平和外交家が「平和は生まれてくるのではなく自分達で作るもの。言葉ではなく行いによって日常生活の中で実践していくもの」と言っていました。
きな臭い昨今、神の教えを学びながら、私なりに平和についての日本の役割をこんな風に感じています。
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August 15, 2007
日本には世界に類のない2つの特徴があります。
1つ、地球上で唯一の戦争による核の被爆国であること
2つ、戦争放棄を詠った平和憲法を有していること
この2つの特徴を踏まえて、日本には国際社会の平和に貢献してゆく大きな使命があるはずだと感じています。
しかし平和憲法を有していても何も行動をしなければ、それは宝の持ち腐れです。
ただ護憲、護憲と叫んで飾っておいては何の価値もありません。
世界の平和の為に行動し、汗をかいて始めて平和憲法が生きてくるのです。
活用して初めて価値が生まれてきます。
世界には日本が平和憲法を有していることすら知らない国が多いのではないでしょうか。
それでは平和憲法は実在しないも同然です。
しかし真に平和の為に貢献したいと願うのなら、それが叶う充分な下地が日本にはがあります。
それが初めに書いた2つの特徴です。
被爆後50年はペンペン草も生えないだろうとまで言われた無残な被爆地の実情。
被爆地となった広島と長崎の人々がその悲劇を限りなく連鎖してゆく憎しみ恨みの世界へではなく、世界の平和を願う愛の世界へと高めていった心情。
憎しみ怨みに囚われ続けることなく、ひたすら努力をして見事なまでの復興を成し遂げた街並みと被災者の姿。
これらのことを私達は世界中の人々に伝える責務があるのではないでしょうか。
日本が何故被爆国になったのか、誰が核を落としたかを問い責めるのではなく、ただコツコツと地道に核の悲惨さを、戦争のおぞましさを訴え続けていく。
それが故に日本は絶対に戦争はしないという平和憲法を有し、そして世界平和を築く為にあらゆる協力を惜しまない国であることを、地球上の全ての国々に認識してもらう努力をするべきだと思います。
地球上の国々は其々の役割に応じて必要な資源や資質を有して創造されています。
日本は“和の心”の資質を持っている国です-平和、調和、温和、混和、和睦、和解を生み出す力です。
和の心で美しい精神文化を工夫して創っていく心の資質を持った国です。
和の精神文化とは皆が仲良く輪になってお互いの良さを認め合い生かし合って“美しい心”を醸していく文化です。
日本には国々の間に入って友好関係を築きそれを保つようにお手伝いをする役割ができるはずです。
テロと戦争で幕を開けてしまった新たな21世紀に、私が理想とする日本の姿を次回に書いてみます。
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August 03, 2007
参議院選が終わっても、自民党の惨敗、安部総理の続投、この時期の赤城氏の更迭と、連日政治のニュースで賑わっています。
選挙に行って国民の義務を果たしたらお仕舞い、次の選挙まで政治の事は忘れてしまう。
そんな国民性なので政治の話題が続くのもいい事かもしれないと思いつつ、可なりレベルの低い話ばかりで呆れ返っております。
投票は、あくまでも始めの一歩です。
自分の1票を投じた人が、私達の大切な税金を使ってどのような活動をするか見守る責任があると思っています。
それでなくては、投票に行った意味がありません。
選挙が終わってからも国民としての義務と責任は続くのです。
日本人(マスコミを含めて)は一寸せっかち過ぎるのではないでしょうか。
猫の目のようにくるくると総理大臣や大臣を代えていては、政策が全部中途半端で終わってしまいます。
すぐに代わる総理や大臣では、対外的にも世界各国からまともに相手にしてもらえないでしょう。
その結果一番損をするのは国民自身だと思います。
何事もそうですが始めが大事なのです。
初めに国会議員にふさわしい人を、将来大臣や総理になれそうな器の人を、育てがいのある人を選んでおかないと、こういうことになります。
参議院選の顔になりそうだから、票が取れそうだからと総理に選んだ自民党の人達、選んだ動機が余りにも不純です。
10カ月で大臣4人、そして総理自身も辞めるとなると、内外に人材不足をまるでアピールしているようなものです。
本当のことなのですから見栄を張っても仕方がないことなのかもしれませんが・・・
今まで国民がしっかりとした政治家を選び、育ててこなかったツケが“どっ”と噴き出している感があります。
ここから新しい流れを作り出す事ができるかどうか、私達、国民の手に掛かっています。
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July 27, 2007
朝の9時過ぎ、妙にソフトムードの若い男性から電話。
この手の声の主は新米の押し売りが多いので、我家の一番忙しい時間帯にと思いながらいい加減に応対していました。
「今回の参議院選の世論調査に協力をお願いしたいのですが、5~6分お時間を頂けませんでしょうか?」
NHKから委託を受けているとの事。
あらあら、あの1000人位が対象の世論調査に選ばれちゃった!
気合をいれて答え始めました。
「ご家族で20歳以上の方は何人ですか?」
「その中の上から3番目の方は何歳ですか?」
「電話をその方に代わって頂けませんか?」
がくっ!
我が家の上から3番目は主人です。
私でなくて、がっかり~~
主人は出掛ける間際だったので、お断りすると「夜2~3回掛けさせてもらっても宜しいでしょうか?」とソフトムードの割には押しが強い。
調査の公平さをきす為に、最初にランダムに選んだ人を変えないそうで、その人が駄目だったら次の人を、とはいかないそうです。
2回目の電話の時主人が帰宅していて、てきぱきと答えておりました。
今回の選挙、投票に行く予定ですか?から始まって、投票する候補者は決まっていますか等、お決まりの質問。
中で意外だったのが、赤城農林大臣の件について4択の質問が含まれていたこと。
主人は「少しは考慮する」と答えていました。
政策で重視することは、年金、格差等4択で、選択肢がなさすぎると「その他」にしていましたね。
この結果は何時頃NHKで発表するのでしょうか。
「ご質問があったらご連絡を・・・」と電話番号を言いかけているのに、主人は「いいよ、いいよ」とさっさと切っちゃったので何も分からず。
感想は世論調査って本当にやってたんだ~。
別に疑っていたわけではないのですが、自分とは関係のないところで行われている事のように感じていたもので・・・
それと、ここ数週間マスコミの選挙報道に感じている事があります。
今朝の朝日新聞にも『民主、勢いを維持』『自民40議席割れも』との見出しが躍っていました。
でも記事を読み進んでいくと「ただ、有権者の5割近くを占める無党派層は棄権も含め投票行動をぎりぎりまで決めない傾向が強く、なお流動的な要素がある」
こういう書き方って変ではないですか?
支持政党をしっかり持っている人達はこういう見出しに左右されることがないでしょうが、無党派層の人達にとってはかなりの影響を与える場合があると思えるのです。
この時期、政治、選挙に関して紙面を割くこと大賛成です。
各政党の考え、候補者の考えを詳しく分かり易く載せてほしいとも思います。
でも投票も始まっていないのに、まるで結果が出てしまったような見出しは、投票率にも候補者の選択にもマイナスではないでしょうか。
誰に投票するかは選挙民一人一人が自分で判断すべきことです。
世論に左右されるものではありません。
でも、よい意味でも悪い意味でも世論の流れを判断基準の中に入れてしまう可能性はかなりあると思います。
あまり派手な見出しやしばしば発表される世論調査は、何か本来の選挙の姿を歪めてしまう様な気がするのですけれど・・・
今回、私は民主党に投票します。
皆さんも選挙に行きましょうね。
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July 15, 2007
『宝くじは買わねば当たらない
世の中は投票せねば変わらない
だから、選挙に行こう』と偶然訪れたtondemoさんのブログにありました。
我家ではここ何十年、主人が宝くじを買う度に同じ会話を交わしています。
「買っても無駄じゃないの」と私。
「買わなければ当たらないよ」と主人。
その言葉が、これからの日本の流れを決める参議院選挙の記事に使われていたので「えっ!!!」
若い方のブログかと思ったら、どうも私と同じ位の方のようで・・・
今の私の願いは、1人でも多くの方が選挙に参加して、政治の流れを変えて欲しい事。
それで、ブログを読んだ方が選挙に関心を持ってくれそうな記事には、拍手を送りたくなります。
私は必ず選挙にゆきます。
政党よりも国の将来、国民の生活、世界の平和を考えてくれそうな人物本位で(なかなかいませんけどね)選んでいます。
どうせ投票しても何も変わらないと思っている方多いと思います。
私も毎回行っていて、政治に民意が反映されている確かな手応えは感じていません。
でも行く理由の1つには、行かなければ組織票の力が強くなってしまう事もあります。
選挙は特定の組織が自分達の都合のよい政治を行う為に、お墨付きを与える為の物ではありません。
特にそれが宗教がらみだったりすると、憲法でうたわれている政教分離はどうなっているのかと不可解になります。
選挙は民主主義の象徴です。
一人一人が自分の意思を投票という形で表明し、国政に関わる最大のそして唯一のチャンスなのです。
日本の将来は私たち国民の選ぶ政治家の手にかかっています。
今、世の中が必ずしも良い方向に向かっているようには私には感じられません。
それなのに政治家が打開策を講じているとは思えないのです。
勿論その政治家を選んでいる、又は無関心でいる私達国民の責任も重大です。
安心できる未来のためにキチット政治に目を向けませんか。
選挙で投票にいかなければ、絶対に世の中は変わりませんもの。
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July 01, 2007
仕方がないので「未納のままだと将来支給される年金はどうなるのですか?未納1ヶ月分、今払うことができるのですか?」と質問をしたら、やっと説明が始まりました。
60歳以上の任意加入の手続きを取って納付すればよい。
ただし保険料は今の額で、未納時の額より大分高くなっています、との事でした。
職員の方からはお金を納付させる話は言い出さないようにしているのかな・・・と何となくそんな感じがしました。
ついでに私の年金が幾ら位なのか、皆目見当もつかなかったので、聞いてみました。
「ズバリ言いましょうかね。驚かないでくださいよ。驚かないでくださいよ」とえらい軽いのりで暫く電卓を叩いてから、教えてくれました。
軽いのりは「少ない!」と文句を言われない為の予防線のようでした。
いろいろ文句を言う方が多いのでしょうね。
私は配偶者の部分だけなので、月数万位かなと思っていたのですが、それよりは支給されそうなので、そんなものかと納得。
65歳まで任意加入して年金を払うと支給される額が年に10万円増える、との懇切丁寧な説明に、うっかりのりそうになりました。
余り待たされなかったし、職員さんも感じが良かったので、1ヶ月の未納は「まぁ~、いいか」と思いながら社会保険事務所を後にしました。
帰宅してから年金の説明の間、左手に握り締めていた “オレンジ色の年金手帳” 職員さんが1度も見なかった事に気付き、慌てて国民年金の記録のページを確かめてみました。
「被保険者となった日」と「被保険者でなくなった日」が9行に渡って、1日のズレもなくつながっています。
そして一つ一つの欄に市のハンコが・・・
勿論、社会保険事務所で渡された記録で未納になっている18日間も、配偶者の“3A”から“強”に変わって記載されています。
年金手帳に記載されている内容と社会保険事務所からもらった記録は、未納の1カ月分以外はぴったり一致。
翌日もう1度社会保険事務所を訪れました。
前回とは打って変わって無愛想な職員さんで曰く、
「年金手帳は関係ないんです。
年金手帳の記録と年金を払ったかどうかは別です。
社会保険事務所が出している記録が全てです。」
と年金手帳を見もせずに言うのです。
そして昨日渡された記録紙の平成5年12月のところに印をつけて「これ以降は正確な記録に基づいて記載されています。でもここからマークが違うでしょう。それ以前の部分は正確な記録ではなく、資料を元に作られたものです。昨日渡した記録が正しいのです」
「私の年金手帳では、全部つながっているのですけど・・」ともう一度言うと、
「つながっていないと年金が支払われなくなるのでつなげてあるだけです」と今にも切れそうな感じなのです。
彼の説明によると、市は保険料が未納であっても、「被保険者となった日」を認めるハンコを押していることになります。
何しろ「年金手帳は関係ない」と言われてしまうと咄嗟に何と言ってよいのか分からず、納得がいかないまま、すごすごと帰ってきました。
本当に市役所の年金課で記載された年金手帳の記録は、過去の納付と関係ないのでしょうか?
年金の記録も説明も、とてもずさんな感じがしています。
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June 28, 2007
「あなたは、平成19年~~日をもって期間満了日に到達し国民年金の保険料を納付できる期間が終了しました」との葉書が社会保険事務所から届きました。
下の欄に未納月数-1-と記載されていてビックリ!
年金問題、私は大丈夫と確信を持っていました。
根拠のない自信ではありません。
主人の転勤で日本と海外を行ったり来たり、転職で日本の銀行と外国の銀行を出たり入ったり、その度市役市で種々の手続きと共に年金の手続きも必ずしていましたから。
一昔前までは市役所の中に年金課がありました。
別に社会保険庁なんて作らなくても、市役所で何の支障もなく正確な手続きができていましたけれどね・・・
我家から歩いて2分ほどの所に社会保険事務所があります。
葉書が届いてから数ヶ月、両親の介護で忙しいのとかなりの自信があったので放っておいたら、この騒ぎ。
混雑しているだろうなぁ~と覚悟して昨日出かけました。
事務所に入ると「只今待ち時間約60分」との大きな立て看板、と同時に年配の男性が飛んできて要件を聞かれました。
葉書を見せると「それはこちらです」と案内された所の番号は3人待ち。
良い方だなぁと思っていると案内してくれた男性が「2階の窓口の方が空いているかもしれないから2階に行ってください」と言います。
エレベーターで2階に上がると、件の男性が階段を駆け上がってきて「未納の件は1階でご案内します」と連れ戻されました。
「今日応援に来たばかりで、まだ詳しくないものですから」としきりに謝っていました。
行ったり来たりさせられましたが、一生懸命さは伝わってきてなかなか良い感じ。
待つこと15分(いい方ですよね)中年の男性職員に葉書を見せると、記録をとってきますと衝立の奥に行って数分後2枚の紙を持って戻ってきました。
この騒ぎ以前の社会保険事務所は、広々とした空間に人が疎らにいてゆったりと働いていました。
それがまるで様変わりし、至る所に衝立が建てられて中で働いている職員の姿がちらっとも見えないようにガッチリとガードされています。
別に隠す必要はないと思うのですけど・・・
説明は懇切丁寧に分かり易くしてくれました。
1枚目の記録紙の平成1年7月のところに未納のマーク。
2枚目には、喪失年月日 平成1年7月12日
そして取得年月日 平成1年8月1日
確かに1ヶ月(18日間)の空白がありました。
ただ、未納を如何したらよいか等の説明が全然始まらないのです???
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May 30, 2007
いつしか私も彼女の歌と歌声に魅せられていました。
時が経ち、彼女は40歳になっていたのですね。
私の中ではいつまでも澄んだ爽やかな歌声の20代のお嬢さん、そんな感じだったのですが・・・
澄んだ歌声に乗せて、若者から中高年まで世代を越えて、勇気と生きるメッセージを伝えできた彼女。
ミリオンセラーを連発し日本の音楽シーンを代表する1人、“トップ10”入りした彼女の歌は女性歌手の中で最多の40作だそうです。
今の人の平均年齢を考えると、40歳はまだまだこれからと早すぎる死がとても残念に思えますが、人の一生はその人の生きていた年月の長さではなく、内容だと常々考えています。
彼女は、多くの人に感動と元気を与えてくれました。
短いように見えるけれど、ぎゅっと凝縮された中身の濃い豊かな人生を、送られたのではないでしょうか。
久し振りにCD「揺れる思い」を聞きました。
慌ただしい今日此の頃、思いがけずゆったりと過ごす機会を彼女からもらったような気がしました。
彼女は彼女の歌と共に、人々の心の中に生き続けるのでしょう。
お疲れさまでした。
素敵な歌声をありがとう。
天国でゆっくりお休み下さい。
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April 17, 2007
“GIVE & TAKE” という言葉があります。
「あなたにこれだけのことをしてあげるから、私にもこれだけのことをして」と言う感じの割り切り方が、余り好きではありませんでした。
日本語の「お互いさまです」には、自分の行いや心遣いがお相手に負担を掛けないようにとの、深い配慮が感じられて大好きですけれど。
それでも考えてみると“GIVE & TAKE”は、与える事が先、それから貰うのでうね。
“TAKE & GIVE” や“TAKE & TAKE”でないところが、今時の人の考え方よりずっとまともだと、この頃の事件を見聞きして思うようになっています。
今は自分から与えることをしない時代のようです。
個人も企業も与えることを忘れて、奪うことばかりを考えている時代。
いま話題になっている生命保険38社の不払い問題はその典型です。
5年間で、なんと25万件、総額284億円にもなるそうです。
今後、件数、金額とも大幅に増えるのは確実との事。
もっとも「生命保険は史上最大の詐欺商品」と揶揄されているとか。
それでも人は“安心”を求めて買うのです。
そしてそれが無駄になっても、保険金を受け取らなければならないような不幸に会わなくてよかったと、自分を納得させるのです。
欲しい欲しいと相手から奪うことばかりを考えている時代。
奪う始まりは物やお金ですが、最後には人の命をも奪うことに繫がってゆきます。
その最たるものが世界中で起きている紛争であり戦争なのでしょう。
人の生活している国土を破壊し、住んでいる人達を殺す、全てを奪い尽くすのです。
与える。
笑顔を、優しい言葉を、暖かい思い遣りを、周りの方に与える。
皆がちょっと心掛ければ、世の中に穏やかな空気が流れれば、毎日のように起きている命を奪われる事件は、少なくなるのではないでしょうか。
今の世の中、とても複雑そうに見えます。
でも物事の本質は今も昔も何も変わっていないと思います。
実はとても簡単な事でなりたっているのではないかと・・・
与える。
先ずは“GIVE”から。
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March 28, 2007
今朝の朝日新聞に小さな記事を見つけた時は「よかった!!!」
ホッとして、長い間コッコッと戦い続けてこられた我が主治医の「銀座内科診療所のホームぺージ」を開けました。
「亡くなって8年近くたってようやく中原さんが労災と認められた。当然のことだが、その当然が現実になるまでの道のりの険しく遠かったことを思うと嬉しいというよりも、何か気が抜けたような、不思議な気持ちがする」
そうなのでしょうね。
勝訴、が決まっても失われた命は戻ってきません。
控訴しない理由は、判決が認めた過重労働よる心的負担の大きさを覆すのは難しいとの判断だからそうで、これを教訓に働く人々の環境改善をという方向へ行く訳でもないようです。
いつから、当然の事が当然と認められない時代になってしまったのでしょう。
どうして、当然の事が当然と認められるのに裁判まで起さなければならい時代になったのでしょう。
作家の五木寛之さんが「城山三郎さんを悼む」(朝日新聞、3/27)でこのように書いておられました。
『訃報を聞いて最初に感じたのは一つの時代が終わったな、ということだった。その「時代」がどういうものか、とたずねられても、簡単明瞭には答えようがない。漠然とした表現をすれば、経済活動に志(こころざし)がともなっていた時代、とでもいえようか』
働くという字は、人が動くと書いて、はた・らくと読みます。
働くとは“はた”(自分の周りの人々)を“らく” (楽)にさせる為に、住み易い社会を築くために、人が動く事なのです。
働く“志”が、本来の働く意味が、皆の心から失われてしまったような気がします。
経営者も、政治家も、お役人も、今働いていない人が多いですね。
“志”の伴わない仕事、単なるお金儲けの為の仕事が増えれば、世の中に労災も含めてあらゆる危険が増える、そんな恐れを抱いています。
明日は民事訴訟の判決だそうです。
当然の判決でありますように。
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March 24, 2007
「小児科医自殺は労災」との朝日新聞の見出しに、ひょっとしたらと思い社会面を見ると、いつもお世話になっている中原のりこさんの大きな写真が載っていました。
彼女は自殺した小児科医の奥様で、私が通院している漢方診療中心の銀座内科側で薬剤師をしている方です。
労災と認められて「よかった。よかった」と単純に喜んだのですが、銀座内科診療所のホームページを開いて愕然。
一審で勝訴したからといって、終わりではないのですね。
とっさに頭が回らなかったのですが、当然のことです。
勝訴の判決と同時に、国に対して控訴断念を要請する為の運動準備が整えられていて、今まさに大展開中です。
さすが我が主治医、九鬼先生。
この先生かなりユニークな方で、元朝日新聞記者、鍼灸師の資格を持ち、富山医科薬科大学で学んで40歳過ぎて医師になられた経歴の持ち主。
“余は如何にして医者となりしか”を「記者のち 医者 ときどき患者」のタイトルで朝日新聞社から出版しておられます。
いろいろな経験を経てこられたからか又はご性格からか、多分両方なのでしょうが、患者とトコトン付き合って下さる先生です。
この2年間あまり、中原さんの訴訟にもトコトン付き合っておられるのが、ひしひしと伝わってきていました。
全ての仕事や労働は、直接的間接的に人の命にかかわっています。
だからこそ労働条件や環境は全ての働く人にとって守らなければならない大事な事だと感じています。
過労死寸前だっり疲労のために精神を病んでいるお医者さんに診察してもらう、疲れきった人の運転する乗り物、製造した食品、薬剤、機械等々では私達の生活の安全は守られませんもの。
働く人を大切にしなければ、人災が起こるリスクはどんどん高くなります。
新宿労働基準監督署、東京労働局、厚生労働大臣に控訴しないように葉書を出して訴える運動に、知人にも声をかけて参加しています。
微力でも自分の出来るところから住み易い世の中を創るために努力したいと思いつつ・・・
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February 28, 2007
ここ数年、殆ど感じなかった花粉を日増しに感じて『少ないはずなのに、おかしい、おかしい』と不可解に思っていました。
くたびれているので体力落ちているからかな?とかいろいろ考えていたのですが、何のことはない花粉が飛んでいるのです。
「予想外れ、2週間早く花粉猛威」との記事を読んで、心外ながらも納得。
こうゆう要らないことには敏感に反応する体質です。
今年は少ないからといい加減に使っていた、目薬、飲み薬、点鼻薬の3点セットを気合を入れて使っています。
それにしても、見事に外してくれますね。
外れた理由は「想定外の暖冬」だそうです。
でもこれだけ“地球温暖化”が騒がれている時に予測の中に暖冬が加味されていないのは、花粉予測を真に受けた私の想定外でした。
天気予報は年中外れるので当てにしていません。
花粉情報については必要ないと思っていました。
「花粉が多いです」と予報を聞いただけで鼻がムズムズするという方、意外と多いのです。
予防の為に知りたい方にはインターネットとか電話で情報を流すとかの工夫が必要ではないかなと感じています。
日頃、自然界で起こる事等、誰にも分かるはずないと思っているにも関わらず、人間自分に都合の良いことは信じたいもので、平年の20%に飛び付きましたね。
自然は人智を超えたもの。
人間は自然のほんの一部。
その人間が自然を完全に予測したりコントロールする事は不可能だと思っています。
過去の統計、科学技術の進歩等によって、天気、地震、台風、津波等自然現象の当たる確率は上がるかもしれません。
でも自然界の天災に人災の部分が加わって余計にややこしくなっている時代ですから、予測はあくまでも予測の域を超えないのではないでしょうか。
母の往診に見えた女医さん曰く、今年の花粉症は例年の薬では治まらない患者さんが多いとの事。
“病”は“気”から。
期間限定の症状なので気合で打ち勝たねば。
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February 23, 2007
『38歳桑田 挑戦 自然体』朝日新聞(2月20日)スポーツクリック欄
桑田投手(前巨人)が大リーグを目指して単身渡米し、ゼロからの出発、との記事が載っていました。
記者の『なぜ、大リーグ昇格を争う相手に牽制球の技術を教えたのか』との問に、
笑顔で「巨人時代から、他の選手を『ライバル』なんて考えたことがない。人は人。昔から、自分がやるべきことを、思うようにやっているだけ。試合で(自分を)使うかどうかは監督が決めること」と。
この“人は人。自分は自分の本分を全うするのみ”の意識が本物だからこそ次の言葉へと続きます。
『限界説もささやかれる』
「何歳だから、ダメというのはない。人の評価に絶対はないと思う。神様じゃないんだから、偉そうなこと言っても当たらない。だから気にしても仕方がない」
今まで偉そうな評論家と呼ばれる人達にいろいろ無責任なことを言われてきたのでしょうね。
自分の心に少しでも不安があったら乗せられてしまうところですが、自然体だからこそ流せるのでしょう。
「人が何事言おうとも、神が見ている気を静め」私の好きな言葉です。
人の意見に耳を傾けてみることは大切ですが、それに振り回される必要はないのです。
『生き残れる勝算はあるのか』
「外国人だって、同じ人間でしょ。だったら、僕にも出来る。どうして皆物事を深刻に考えるのかなあ」
これは日本人の特性です。
余り深刻に考えるから緊張して失敗してしまう。
プラス思考の彼にはその心配はなさそうです。
『通算200勝まであと「27」』
「当然、狙いたい。結果がすべての世界だが、大事なのは過程。目標に向かって、どれだけベストを尽くせたか。それが人間を成長させると思っている」
本当にその通りです。
人生における全ての事は、自分自身を成長させ磨く為のものです。
でも今時は結果ばかりを追い求めすぎて、心が偏ってしまっているように感じます。
『野球人生は米国で全うするのか』
「今は、1年1年が勝負としか考えていない」
記者さん!愚問です。
先の事なんか誰にもわかりません。
今を一生懸命生きるのみです。
難しい事ですが・・・
そして最後に笑顔でこう語ったそうです「人間は200年も300年も生きていられない。だったら、自分の思うまま、自分らしくやろうよ」
いいですね~
自分の思うまま、自分らしく生きられたら最高です。
“人によく思われたい”とか“良く見せたい”とか余計な事を考えてしまうと、なかなかそうはいきません。
実は私、巨人時代の桑田投手、まるで関心がありませんでした。
たまたま記事を読んで、38歳あっぱれ!と思いました。
彼はどういう結果になっても後悔しない人生を自信をもって歩んでいるのですね。
考えさせられました。
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February 15, 2007
もう一度お元気になられる事を祈っていました。
こうゆう方にこそ命を繋いで頂きたいと願っていたのですが残念です。
小学生が千羽鶴を、母親に手を引かれた子供がお見舞いの手紙を、お年寄りがお花を、地域の人々に、心から慕われておられた事が伝わってきます。
日頃から心を込めて、命を込めて警察官という危険の伴う仕事に向き合っておられたから、あのような行動がとれたのでしょうね。
告別式で奥様が「夫の性格からして、これは夫の天命と受け止めようと努力しています。夫の行動を誇りに思っています」と挨拶なさったそうです。
『親が厳しく小遣いが少ない。との理由でご近所の親子を殺害する学生』
お金が欲しかったら自分で働きなさい!
『障害者のお金 守ってあげるつもり。と27億円の詐欺をはらたく福祉会社の女社長』
障害を持っている方達の身近で仕事をしていて、あなたが一番彼らの大変さを分かっているはずではないのですか?
と、怒りを通り越して余りの酷さに気が滅入りそうな昨今、宮本警部さんは人の心に温もりと勇気を残していってくれました。
人への限り無い暖かさを持っておられたのではないかと思います。
そして宮本警部さんのように、それぞれの持ち場で自分の本分を尽くしている大勢の人達に支えられていることに改めて気付かされました。
職責を、この世に生まれてきた使命を全うされて天の国に旅立たれた宮本警部さん。
頭が下がります。
心からご冥福をお祈りします。
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February 14, 2007
少子化対策という政策が、私にはよくわからないのです。
誰の為の対策なのでしょう。
明らかに生まれてくる子供の為ではないですよね。
国力の為とかこれからの高齢化社会を支える為とかいろいろ聞えてきますが、人の命を損得勘定で考えているような不純さが透けて見えて不愉快に感じます。
日本の人口がどんどん減って、存続の危機なんて事になったら大変ですから、今のうちから手を打たなければとの考えよく分かります。
でも国民の頭数を増やせば、日本は安泰かと言えばそんな事はないと思うのです。
先ほど問題になった給食費を払わないような親に育てられた子供達が、将来国を支えてゆく力に成り得と政治家は考えているのでしょうか?
女性が頑張って子供を生めば何とかなる問題とは明らかに違います。
私は子供の頃から、結婚して母親になる平凡な生活を夢見ていました。
いざ子供を産んで、生後5カ月の子をロンドンで育てるというハンデーもあったせいか、子育ての大変さを何も知らなかった自分に驚き、そして周りの大人も誰も教えてくれなかった事に呆然としました。
子育てという、命を育む大変な仕事に国家試験が無いのが不思議に思えた位。
高校、大学に入学試験があるように、車の運転に免許がいるように、学校の先生、看護士さん、保育士さん、会社員、何でも試験で合格するか免許や資格が必要です。
子を産むことが、何の資格も免許も要らないからこそ、命の神秘を、生命を育む事の大変さを、人間として教育する大切さを、子供の時から折に触れ学ぶ機会を作るべきではないでしょうか?
例え少子化が進もうとも、生まれてきた命を粗末にする位なら、虐待する位なら、子供を生まないほうがよいのではと思っています。
一つの生命を、キチンとした社会人に育て上げる覚悟が無いのなら、子供を生む前に自分自身を育てるべきでしょう。
大人と子供の社会からいじめを無くす、受験戦争という戦争の中から子供を救い出す、格差社会を是正する、夫婦で子育てがし易い社会を作る、高齢者を大切にする等々・・・
今日本の国に生まれてきた人達が、生まれてきてよかったと思えるような国造りをすれば、子供は自然に増えるはずです。
子供は世界の未来なのですから、まず育て易い環境をつくるのは当然の事でしょう。
子供は天からの授かり物。
柳沢厚生労働大臣の失言にも、それに対する批判の中にも、生命の神秘に対する謙虚さがまるで感じられないことが一番気掛かりです。
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February 09, 2007
結婚すると「子供はまだ?」
1人目が生まれると「二人目はどうするの?一人っ子は可哀想よ」とまるで挨拶代わりのように赤の他人から言われるのが日本の社会です。
数十年前の事ですが、息子は主人の仕事の関係で帰国子女になることが分かっていたので、カトリックの小学校を受験させました。
その学校は、一人っ子は受験で不利だと言われていました。
親の面接の時、先ず「ご兄弟をつくるご予定は?」と尼さんの校長さんから聞かれました。
主人は躊躇うことなく大声で堂々と「ありません!」
『こりゃ落ちたな』と内心思いましたが、結果は合格でした。
しかし、よく質問しますよね、そんな事。
個人の家庭の事情にまで踏み込む事は礼に反する、との認識がまるで無いのが私達日本人のようです。
一昔前までは、平気で人の心の中までズカズカと入り込むのは、おばさんの専売特許みたいに思われていました。
この頃は無神経、気配りが出来ない、場の雰囲気が読めない日本人が増えているように感じます。
柳沢厚生労働大臣の発言がその典型です。
日本人は繊細、礼儀正しい、慎み深い国民と言われていたような気がするのですが・・・
礼節を大切にしたのは遠い昔のことなのでしょうか?
結婚するか、子供を産むか、何人生むか、それは明らかに個人の問題です。
他人が立ち入るべきでないと思う一番の理由は、結婚も出産も其れによってその後数十年、自分が下した決断に全責任を持たなければならないからです。
女性に頑張って産んでもらった後は、厚生労働省が責任を持って育ててくれるというのなら、それはまた別ですが・・・
自分が最後まで責任をもてない事を、軽々しく人に勧めるべきではないのでは、と思います。
特に国政に関わる人は。
しかし、礼節無き言葉、態度、考え方、日本列島中に氾濫していますね。
マスコミ、特にテレビにも責任の一端があるように感じています。
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January 31, 2007
それは見えざるものを敬わなくなり、自然を敬わなくなり、人を敬わなくなり、親を敬わなくなり、と敬うという心が“有耶無耶”になってきた為に人間の良心が狂ってしまっているから、と天命庵のお話にありました。
本来日本人が持っていた、教えの土壌というものが見えなくなってしまっているのです。
日本人の精神的土壌とは、神を、自然を、人を、命を、目上を、親を、敬い拝んで感謝しながら生活する事でした。
それがいつからか有耶無耶になってしまったのです。
神とは特定宗教団体が崇める教祖のことではありません。
この宇宙を、地球を、自然を、人間を創造した偉大な力のことです。
人間を越えた存在に畏怖の念を抱く、大切な事ではないでしょうか。
人間が一番、自分が一番と奢った瞬間から、相手を敬う事は難しくなりますから。
人の命を敬う心があれば、兄が妹の、妻が夫の、親が子の命を奪う等という事は起こりえません。
人の命を敬う心があれば、安全でない食品を製造する、健康に関する問題を捏造する、耐震を無視した建物を建てる、飲酒運転をする等という事は出来ないはずです。
でも人の命を敬う心を忘れて、自分の思うとおりに相手を動かしたい、お金が手に入ればいい、自分の会社が少しでも儲かればいいとなれば、世の中何でも起こってしまいます。
日本人は一昔前まで、大きな事から日常の小さな事に至るまで感謝をしつつ生活をしていました。
山の神、海の神、火の神、米粒の中にも神、全てのものに神が宿ると敬い拝んで暮らしていたはずです。
この伝統的な精神を呼び戻すことが、この混沌とした世の中を蘇らす鍵かなと感じています。
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January 25, 2007
「全国で約十万人」の文字が、朝日新聞の朝刊に踊っていました。
その内「保護者としての責任感や規範意識」の問題が60%、「経済的な問題」が約33%と見られるとの事。
本当に普通では考えられないような事が、よく次々と起こりますよね。
また!見たいな感じで、段々驚かなくなっていく自分が恐いのですが、この話は酷い。
外で食事をして、お金を払わなかったら無銭飲食、立派な犯罪ですもの。
其れが、学校で堂々と行われているとは・・・
親、学校の先生、医療従事者、警察官、経営者、政治家、みんなレベルが落ちました。
人間全体のレベルが落ちてしまった感すらあります。
このままでいくと、人間が人間としての理性ある行動を取らなくなってしまうのではないか、と恐ろしくなる位。
先生のレベルがいろいろ言われています。
今回の「教育3法改正案」にも、教員免許に更新制を導入とあります。
更新制の導入に別に反対ではありません。
でもその前にか、それと同時にか、するべき事が沢山あるように感じます。
私は学校の先生とは、生徒に社会に出て一人前の人間として生きてゆく為の知識と知恵を教えるのが仕事と思っています。
ところが安心して生徒の教育に専念できる環境作りが出来ているか、とても疑問なのです。
先ず本来家庭で親が教えるべき基本的躾がなされないまま、学校に子供が送り込まれて来る。
部活といわれる課外活動、朝夕の練習そして休日も返上している先生方が結構多いのでは。
オランダでは課外活動は地域社会と親の責任で行われるものであって、学校の先生の領域ではないのが普通です。
これは聞いて話ですが、上への提出書類が多くてパソコンの前で書類の作成に追われている時間が長いとか・・・
これでは本来の学問を教える為の先生自身の勉強や、授業に遅れている子の面倒、いじめ問題に時間を掛けて取り組む事が出来ないと思うのです。
その上、給食費の取立てまで先生の仕事となると、本当にお気の毒です
今回の給食費滞納問題、文科省がどのような解決策をとるのか決まっていません。
ただこれ以上先生に生徒を教えること以外で、負担を掛けるべきでは無いと思います。
そうでないと、結局皺寄せは子供達にいくのですから。
でもね、先ず親を教育し直さないと駄目でしょうね。
そして、そうゆう“親”を育てた“親”を見てみたい。
問題は半世紀以上前から始まっているのです。
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January 21, 2007
健康によいもの、ダイエットに効く物が、主人は大好きです。
「これは体にいいんだよな~。これを食べると太らないんだって」と言いながらパクパク食べます。
本当に美味しそうに食べるので黙って見ております。
でも何であれ食べたら絶対に肥る。
これは自然の法則だと私は思っています。
本当かどうか知りませんが、水を飲んでも肥る人は肥るという話を聞いたこともありますし。
先週近くのデパートで仙台の物産展を開催していました。
納豆売り場は午前中で完売。
世の中ビックリする位痩せたい人がいるのですね。
数カ月前、ストレス太りで体重が増える危機感を初めて持ちました。
今は完全に元の体重に戻りましたが、戻った原因は簡単。
介護と実家の整理で疲れすぎて、食欲がガタ落ちになったからです。
食べてないのに動き回っていたら、あっと言う間に痩せました。
物事って何でも本当に簡単な事なのではないかと思います。
痩せたかったら、摂取エネルギーと消費エネルギーのバランスを考えて食べればいい。
簡単に言えば食べたら食べた分以上に動く。
動かないのだったら食べる量を控える。
番組の内容を捏造する放送局が悪いに決まっていますが、見ている方も簡単に乗りすぎではないかなと思います。
これはダイエットの話だけでなく、病気が治る、お金が儲かる、何でも通ずることです。
“誰にでも簡単に出来る”という話には必ず裏があると思うべし。
「納豆を食べればやせる、というなら水戸の人はみんな痩せてなきゃおかしい」と朝日新聞にコメントしている方がいて、言えてると笑ってしまいました。
主人は元々納豆が好きで、以前から殆んど毎日食べていました。
今回の騒ぎで量が増えただけですが、毎日納豆2箱ってかなりのカロリーだったのではないかな?
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January 17, 2007
12年前の1月17日朝6時過ぎ、電話のベルが鳴りました。
「テレビ見てる?地震だよ!地震!」と関西の大学に在籍している息子の緊迫した声が受話器越しに飛び込んできました。
慌ててテレビを付けると、音声のない静止画面が只ならぬ出来事であることを無言で語りかけていました。
その後しばらく連絡は途絶えました。
一ヶ月程して無事我が家に戻ってきました。
大勢の犠牲者の中には、息子の大学の職員さんも、学生さんも、同窓生もおられました。
あれから12年、息子は社会人となり結婚をし、一児の親になりました。
でもあの時のままきっと時間の止まっている方達がいらっしゃると思うと、とても複雑な気持ちでいっぱいです。
亡くなられた方々が安らかでありますように。
ご家族に平安が訪れますように。
心から祈りを奉げております。
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December 24, 2006
体調を崩したヘルパーさんがいて母の介護のローテイションが崩れ、皆がアタフタしていました。
そこに突然若くて可愛い新米のヘルパーさんが出現。
「先輩に同行してお母さまの介護を見習わせて頂きます」とのこと(そういえばそんな話があったような・・・)
彼女にバイクを停める場所を教えて、主人の世話に母屋に戻りました。
それからすぐに異様な声で呼び戻されました。
バイクを止め損なって「お向かいの塀にぶつけてしまいました」と新米さんがオロオロしています。
「怪我は?」と無事を確かめてから、早速彼女を連れてお向かいに謝りに。
お向かいのおじさん、可愛い美人さんが今にも泣きそうな顔をして頭を下げ、真摯に謝るので「いいよ、いいよ」てな感じ。
「あの塀は古くて、いずれやり直すつもりだったから・・・」
こういう時、若い美人さんは得なような~
「内の方は全然気にしなくていいし、向かいのおじさんもいいと言ってくれているのだから、会社に戻ったら“ご迷惑を掛けました”とよーく謝って終わりにしなさい。後は保険でカバーしてくれるはずだから」と慰めても「どうしょう。どうしょう。大変な事をしてしまって・・・」と震えが止まらない様子。
それにしても今時珍しいような初心な子で、予想外の出来事の連続よりも彼女の態度の方にびっくり!
先輩のヘルパーさんは、内に来ているヘルパーさんの中で一番男っぽいさぱさぱした性格の人で「先ず仕事、仕事。グチュグチュ考えるのは家に帰ってからにしなさい」と厳しいお言葉。
「先輩!いじめては駄目よ。新米なのだから」等と言いながら、先輩のヘルパーさんと私で母の世話を次々とこなしていくのを、彼女はボーっと見ていました。
人が真摯に詫びる姿は美しい。
清々しさがあります。
それに引き代え、TVのニュースでよく見かける、不祥事を起した責任者一同が頭を下げている姿、時々私は見苦しさ感じます。
勿論心からと言う方もおられるのでしょうが、責任逃れの弁明を続けた後逃れ切れなくなって致し方なくなんて場合が多いようで・・・
年を取り、地位や権力を手にすると、真摯な心、潔さ、良心、なんて何処かに忘れてしまうものなのでしょうか。
最も、先輩ヘルパーさんと「私達もあんな時代があったわね」なんて会話を交わしたのですから、忘れるものなのでしょうね。
ふむ、あの初々しさには逆立ちしても戻れない、でも上手に年を重ねたいと彼女の姿に感じた次第です。
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December 07, 2006
いじめは正真正銘の犯罪だと思います。
凶器で人を殺す事だけが殺人ではありません。
言葉の暴力だって追い詰められた子供達が死んでいるのですから、立派な殺人です。
キリスト教の聖典、聖書のヨハネの福音書は『始めに言葉があった』と始まります。
『言(ことば)は神と共にあった。
言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
この言に命があった。
そしてこの命は人の光であった。
光は闇の中に輝いている。
そして闇はこれに勝たなかった』
言葉にどれだけの力があるか、この何行かで全てを表しています。
これはキリスト教だけの考え方ではありません。
世界に共通した考え方です。
日本においては「言霊」という思想があります。
言霊とは言葉自体に力が備わっているという考え方です。
言葉は単なる記号ではなく、話せば消えてしまうのでもなく、それ自体に霊力が備わっていると思われています。
言葉の霊力とは言葉の内容に即して物事を実現する力のことです。
当然そこには言葉に対する畏敬の念があって然るべきです。
言葉は、他の動物には使うことの出来ない、人間だけが使うことのできる、大切な大切な物なのです。
使い方一つで、人を幸せにする事も、殺す事も、やる気を出させる事も、駄目にする事も、何でも可能なのです。
それなのに、今政治家を筆頭に誰も言葉を大切にしていませんね。
テレビのバラエティー番組等はその典型のようなものです。
とっても不思議な事です。
とっても恐い事です
「いじめと家庭」の記事で、いじめは社会と親の姿を映し出しているだけ、と書きました。
社会と大人が変わらなければ絶対に無くならないと、元を正さなければ無くならないと・・・
いじめの原因はいろんな要素が絡み合っています。
その一つに、大人の言葉に対する姿勢が問われているのではと思います。
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October 18, 2006
今の世の中が凝縮されたような出来事です。
起こるべくして起きた、そしてこれからもっとエスカレートしていくのでしょうね。
私には息子が一人います。「子供のいる人には子供のいない人達の切実な気持ちが分からないでしょう」と言われたら少々怯まざるおえません。
しかしこれは子供が云々というだけの問題ではなくて、人生全てに通ずることだと思います。
人間は何もかも自分の望む物を手に入れることはできません-健康、体力、優れた運動能力、美貌、端麗な容姿、明晰な頭脳、やりがいのある仕事、地位、名誉、財産、素敵な伴侶、愛情深い親、仲の良い兄弟等々(順不同)
人、それぞれ持っているものは皆違います。自分にないものを得る為に努力することは大切なことです。
でも度を過ぎた努力は自分の今持っている良いものまでも、失うことに成り兼ねないのではないでしょうか?
神はその時々に応じてその人の人生に必要なもの、相応しいものを全て与えてくれると聞いています。
後はその人がそれをどのように受けとめ、生かしていくかに掛かっています。
今現在置かれている自分の立場、役割を喜んで生かすことが、一番素敵な人生を歩む近道ではないでしょうか?
今子供ができないのは、ひょっとしたら前世で一ダース位の子供達の肝っ玉父さん、肝っ玉母さんをしっかりやり終えて、子育てに関しては修了証書を持っているので、今世は子育て以外の部分の自分を磨く為に生まれて来たからかもしれません。
キャリア・ウーマンとして社会でバリバリ働く為に生まれて来たからかもしれません。
夫婦二人だけで素敵な愛を育む為に生まれてきたからかもしれません。
或は子育ての勉強は来世に予定されているのかもしれません。
それは“神のみぞ知る”ですが………。
今の自分の人生をそんな風に何でも良い方に考えたら、本当に美しく輝いてくるのではないでしょうか?
無いものを探し求めるのではなく、今与えられているものに感謝して、大切に生きていけば、自ずと素敵な未来が開けていくと思います。
《足るを知る》-分相応に満足することを知る。
昔の人は真理を簡単な言葉に表わして残してくれています。
自分の周りの人達をよ~く観察してみて下さい。
子供がいることによって幸せな人もいれば、子供によって苦労している人もいます。
子供がいなくても幸せな人もいれば、子供がいなくて不幸な人もいます。
どちらが幸不幸ではなく、何事も自分の生き方、考え方次第なのです。
当節、お金さえあれば何でも手に入る、何でもすることができると思い違いをしている人が、多い世の中になりました。
でも将来どんなに生命科学、生物学、医学が進歩しても“命”を無の状態から作り出すことは絶対にありえなと思います。
目に見えない形のない“生命”を創造できるのは目に見えない形のない神だけです。
子供が生まれるか否か、それが男の子か女の子か、これは神の領域です。
限りない欲望を手当たり次第可能にしていったら、自然界の摂理は崩れ、社会は崩壊する。そんな危惧さえ抱いています。
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October 04, 2006
「中国での臓器移植、日本人急増」「待たずに手術」「法制度は不備」「提供、死刑囚も多く」との字が大きく朝日新聞に踊っていた今年の2月“臓器移植”についてこのブログで書きました。
その内容と今回の事件について。
かわいい盛りの我が子が、自分の大切な人が臓器移植で命が助かるとしたら、受けさせたいと思うのが人情だと思いつつも、臓器移植に対して、何かすっきりしないものを感じ続けていました。
それが『新しい漢方』〈東洋の知と医療〉寺沢捷年著(考古堂刊)を読んで、もっと自然に在りのままに考えれば良いのだと思いました。
本の中に生物学者、池田清彦教授(山梨大学)の臓器移植についての明確な考えが書かれています。
《人間の体は非所有物である。人間は誰だって自分で生まれてこようと思って生まれてきたわけではない。・・・自分の存在というのは「管理権」はあるけれども所有物ではない。自分の健康を維持して、元気で天寿を全うするというのは、ある意味では義務もあるし管理するという立場ですよね。この体は決して自分が買って得たものでもないし、人から何か分けてもらったものでもない。そうするとこれは「非所有物」ですね。したがって臓器を売ったり、買ったりするというのはそもそも間違いだし、死んでからもそれを人に提供したりするというのは、善意と言われるかもしれないけれど、本来やってはいけないことだと》
生物学者の立場からこのように考える方がいることを知って大きな発見でした。
《生命も人間の生死も神の領域》と私は思っています。
現代の医学や科学を超えた向こう側にまだ解明されていない命の神秘がいっぱい在るかもしれません。
なにしろ人の命は目に見えないのですから。
《体はこの世に生きている間、神様から借りているもの》とも思っています。
借りているものを貸主に無断で又貸しというか、無断贈与してもよいものかどうかも思い悩みます。
移植希望者に対して提供者が少ない現状で、何が起こってくるかと言うと提供要件をどんどん緩和していきます。
アメリカ、カリフォルニア州では、交通事故、行き倒れなどで脳死状態(当然心臓が動いて息をしている)の時、二十四時間身元を捜して、身元不明だったら臓器を移植してもよいことになっています。
スペイン、ベルギーなどの国々は、本人が生前に何も意思表示をしていなければ提供に同意したとみなされます。
その上開発途上国では移植用臓器の摘出を目的とした子供の誘拐までおきています。
「子供の誘拐」日本人はまさかそこまではしないだろうと思っていたのですが《04年に法務省は刑法に「人身売買罪」を新設し、臓器を得る目的の人身取引にも同罪を適用できるようにする。》と加えました。
残念ながら日本でも関係のない話ではありません。
臓器移植をそこまでしてするのには、人の命を救うという「純粋な行為」とは又別に、関係者の巧名心と移植をすると医療費とそれに付随して何億というお金が動く面があるからです。
それぞれの立場からいろいろな考え方があるでしょう。
しかし臓器移植、生殖医療、ヒトクローン胚作り等の医療技術を進めていくには、日本を含めた世界の国々の社会がまだ精神的に充分成熟していないような気がします。
成熟していないと言うより人間が本来持っていた自然に、生きとし生けるものの命に対する、畏敬の念、畏怖の念を文明の驚異的な進歩の前に置き去りにしてしまったといった方が適当かもしれません。
そもそも生とは何か?死とは何か?生きるとは何か?
人の命に直接関わる仕事をしている人達ですら、自分なりの考えを持っている人は少ないのではないでしょうか。
例え学術的に先へ先へと進むことが可能であったとしても、もう一度原点に戻って踏みとどまる限界を見極めるべき時なのではないかと思います。
全ての物事には超えてはいけない一線があるはずです。
健康な人の体にメスを入れ、臓器を取り出すことは大変危険な事です、人の命を救う為であれ超えてはいけないことではないかと、私は考えています。
ましてやそれを売買する、またはその為に子供を誘拐する等は言語道断です。
脳死も本当に人間の終わりと決めてよいのかどうか、わかりません。
今回の事件で専門家は皆、臓器移植を進める上での制度や仕組みを改めるべきだと言っていました。
でも私は臓器移植そのものをもう一度考えるべきではないかと思っています。
根本から考え直さなければ、今回のような事件は後を絶たないのではないでしょうか。
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September 19, 2006
江戸時代の老人の評価は、この3つで決まったそうです。
朝日新聞の暮らしうるおう「江戸のしぐさ」という記事を人ごとのように思いながら読んでいました。
あれ、ちょっと待てよ、江戸時代の老人って幾つ位だったのでしょう。
ひ、ひょっとしたら、今の私位の年かも・・・
どれだけ若者を笑わせたかというのは、なかなかユニークな老人の評価基準ですね。
お江戸の人は「笑いの秘めたる力」を知っていたのでしょうか。
でも今時の若者を笑わせるなんて、ちょっと自信がありません。
なんとなく昔は“目上を立てる社会”のように思っていたのですが、違ったようです。
老人が若者を上手に引き立てて、1人前の大人に育て上げていたのでしょうね。
お年寄りだからこそ出来る業です。
一番の難問は「どれだけ良きものを伝承したか」のような気がします。
私達は、便利、簡単、お安い、そして皆一緒の考え方に流されて、古き良き物をどんどん消滅させている時代に生きていますから。
反省しなければ。
一度なくなったものを復活させるのは至難の業ですから。
今の老人の評価は何で決まるのでしょう。
江戸時代の老人の評価でいくと、私達は落第点確実です。
今年の100歳以上の長寿者は最多更新で2万8390人。
1世紀を生き抜いてきた方達が、大勢いらっしゃるのですね。
老人の貴重な体験、経験から得た知恵を生かしながら、若者を引き立てて共に社会を築いていけたら、もうちょっとましな世の中になるのではないかな?
そんな事を、昨日の“老人の日”に考えていました。
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September 09, 2006
5年前の自民総裁選で応援した時の小泉首相と、今回優位に立つ安倍官房長官を比べて田中真紀子氏のこんな発言が載っていました。(5月5日朝日新聞)
《「ドーンと上がってみんなが政治が変わると飛び出したら、5年経ったら何だったの、というのが小泉さん」
「線香花火がつくと思ったら、すぐ落ちてしまうことに国民は気づく」と安倍さんについては線の細さをばっさり。
かつて自民党総裁選の候補者を「変人・軍人・凡人」などと絶妙な例えをした田中氏だが、今回は「あまり興味がない。オーラを持つ人がいなくて。子供花火みたいな人たちが出てきている」と切り捨てた。》
読んでいて、余りの的確な表現に噴出してしまいました。
言いえて妙ですね。
本当に頭の切れる方なのでしょう。
その事と、政治家としての資質は別ですけれど、外務大臣には全くの力不足だったようですから。
さて、ご自身については言及されてないのですが、どんな例えがぴったりなのでしょう。
“ねずみ花火”なんてどうでしょうか。
くるくる手がつけられないほど激しく回って自爆。
ちょっと言い過ぎでしょうか?
彼女の事嫌いではないのですよ、以前ほど期待はしていませんが・・・
やっぱり「2世は浮世場ばれしている」のお一人なのではないかな、と思っています。
兎にも角にも、子供花火と呼ばれた方々に頑張って頂かなくては・・・
言いえて妙なんて感心している場合ではありませんよね。
日本の今も将来も彼らの肩に掛かっているのですから。
私達国民がしっかりと見守らないと、えらい事になりそうです。
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September 07, 2006
お子様が無事お生まれになりましたね。
おめでたい話は嬉しいでものです。
小泉首相による皇室典範の提出をまるで阻止するかのような御懐妊。
ここでもし女子誕生だと、改正論に弾みがつきかねません。
それで男児誕生でよかった、と思っています。
男児誕生で、お世継ぎ問題に終止符という事にはならないでしょう。
でもめんめんと続いてきた歴史の流れをもし変えるのなら、もっと時間をかけて議論をし、熟慮すべきではないでしょうか?
お生まれになった御子が、その機会と時間を与えてくださったような気がしています。
このたびのことで神様は何を示し申されたのかな?といつもの癖で考えています。
やはり日本の国の象徴に男性を望まれたのでしょうか。
もしそうだとしても男尊女卑とか、男女を不平等に扱ったからではなく、単に役割の上での事だと思います。
この世には男性には男性の、女性には女性の役割があります。
命を生むことが女性にしかできない事一つをとってみても、男女が何もかも平等などという事はありえないのですから。
天皇家の本来のお仕事は、日本の国の為に「お祭り」を執り行なわれることです。
毎年25回以上もおこなわれているそうで、天皇のスケジュールは全てこの宮中祭祀に合わせておられるようです。
それ位大事な事なのですが、その宮中祭祀の中には女性が出席できないものあるそうです。
それで男児がお生まれになったかどうかは、私共には知る由もがなです。
ただ小泉首相が考えていたほどには、簡単な問題ではないように感じています。
神事が深く関わっているのですから。
静かにご成長を見守りたいですね。
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September 04, 2006
世襲議員が衆議院で30%、自民党では40%を占めます。
そして今回の自民党総裁候補、阿部氏、麻生氏、谷垣氏、河野氏、鳩山氏、降りた福田氏も全員世襲議員となると、何処か政治の仕組みがおかしいのではと思いたくなります。
2世だから3世だからと批判するつもりはありません。
でも、素人の私の目から見てですが、彼らが政治家として父や祖父を超える器の大きさを備えているようには、誰一人として見えないのです。
全員一回り小粒になったような、こじんまりした政治家ばかり、そんな感じがしています。
「2世議員は浮世離れしている。僕達とは生きている次元が違いますよ」
ご町内に事務所を構えている元民主党議員の言葉です。
彼は、天台宗のお寺に居候しながら国立の理工科を出て30代で議員になった変わり種。
ここ何年も毎日駅で早朝の街頭演説を続け、地道に自分の主義主張を訴えています。
彼は庶民の次元で世の中を見ています、今のところ・・・
私は特に民主党支持ではありません。
投票の基準は、党ではなく、本当に国民の為に働いてくれそうな人、人物本位で決めています。
民主主義において国民と政治家のレベルは同じ、人は自分に相応しいものしか選べないと言います。
2世議員と私達国民は、どの辺が同じレベルなのでしょうね。
考えてみれば、家族と自分の未来が掛かっている、国と自治体の債務超過、税金、年金、健康保険、教育問題、そして、日本の国の未来と世界の平和が掛かっている外交問題等々を、我が事として真剣に考えている国民は
どれ位いるのでしょう。
やっぱり、世襲議員も国民も浮世離れしているのかもしれませんね。
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August 30, 2006
可愛い盛りの愛する幼子を3人までも一瞬のうちに亡くすなんて・・・
それも飲酒運転とはひど過ぎます。
今回の事件に衝撃を受けた人は多く、いろんな意見が出ています。
車のメーカーを訴えるべきだというものもありました。
30数年前、アメリカに住んでいた時、もうすでに訴訟大国でした。
道でもスーパーマーケットの中でも何処でも、何しろ転んだらそのまま動いてはいけないと、知人に忠告されました。
転んだのは、あなたの管理の仕方が悪かったからと訴える為にです。
今はもっと極端になっています。
訴訟大国のアメリカの社会が良い方に変わり住み易くなったかどうか、私は非常に疑問に感じています。
人は誰も完全ではありません。
不完全な部分を、皆で助け合い、補い合い、許しあう事が、より成熟した住み易い社会を創り上げていくには不可欠ではないでしょうか。
NPO法人「MADD(飲酒運転に反対する母親たちの会)JAPAN」によると、米国やカナダの大半の州では、飲酒運転を送り返す違反者は、酒気を検知すると車を動かなくする装置を取り付けなければならない。スウェーデンでは、12年からすべての新車にこの装置の搭載が義務づけられるという(朝日新聞から)
機械を上手に利用して飲酒運転を止める事は一考だと思います。
でも同時に、物事の善悪、良し悪しを機械に決めてもらう事にばかり頼らないで、自分で判断できる人間を育てる努力をしなければいけないと思います。
飲酒運転をしたら、車は凶器になり得ると考える想像力の欠如。
それは飲酒運転だけでなく、耐震強度が充分でなければ建物はどうなるか?家に火を放てば家人はどうなるか?全てに共通している事です。
根底には、訴訟や機械では解決しない、相手を思い遣る心、物事を考える力が育っていないことがあるように思えます。
今回の悲惨な事故で、一人でも多くの方が「飲酒運転は絶対にしない、させない」と考えた事を願いつつ、亡くなったお子さん達のご冥福をお祈りします。
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August 22, 2006
自国の歴史を学ぶことは日本人として世界で生きていく上で、とっても大事なことですが、今まで皆で疎かにしてきたのではないでしょうか。
私は戦後生まれです。
学校の歴史の時間で現代史は習いませんでした。
先生は「大学受験に出ないから大丈夫、自分たちで読んでおきなさい」と・・・
現代史は私の中で空白です。
アメリカ、イギリス、オランダと14年間海外で暮らしました。
自国の現代史を知らなくても「丈夫です」どころの話ではありませんでした。
お祖父さんが日本人に殺された韓国の人。
真珠湾攻撃に出会ったアメリカの人。
日本人の捕虜だったオランダの人。
先の戦争の傷跡は未だ大勢の外国人の中に残っているのです。
勿論日本人の中にも・・・
それなのに私は殆ど何も知らなかったのです。
無知、無関心はとても恐ろしい事です。
でも今から学校で先の戦争を教えるとなったら、皆の見解が大きく異なってまとまらないでしょうね。
以前は時が経ち、当事者たちが亡くなって戦争が過去のことになった時、みんなが冷静に戦争を振り返る事ができるのではないかと漠然と思っていました。
戦後61年では、また過去になり切っていないのですね。
もっと時間が必要なのでしょう。
でも時が経てば経つほどいろんな意見が出てきて真実が見え難くなる、この頃そんな気もしてきています。
戦争責任、東京裁判、A級戦犯、靖国参拝等に対して、日本人皆が納得のいく答えを見出せたらそれが一番です。
でも全ての事に完全、完璧、100%皆が納得ということはありえないと思います。
いろんな見方、意見があって当然ですから。
ですから“先の戦争を教訓として一番学ばなければいけない事は何か”から考えてみてはどうでしょう?
それは絶対に平和を守ることではないでしょうか。
先の戦争で愛する人々を守るために命を落としてくれた人々、そして長崎、広島その他の地で犠牲になられた人々が望んでいる事は“平和な日本を創る事”だと私は信じています。
そして、今を生きている私達も、子供や孫が戦争の犠牲になることを望みはしないでしょう。
考えの基本を“平和を守る”そこに置いた時、日本がいかにあるべきかその姿が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
今度大きな戦争が勃発したら、人類は滅亡してしまうかもしれません。
それ位の数の原爆を作ってしまったのですから。
世界で唯一の被爆国である日本は、平和を訴え続ける責任があると思います。
歴史の時間は、今の日本の平和の有難さをかみ締め、戦争のない世界を創るために、若い頭で考える時間にしてほしいと切に願っています。
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August 16, 2006
「世界が平和になりますように。この美しい宇宙船地球号で皆が仲良く助け合って暮らせますように。紛争が収まり穏やかな世界になりますように」と、毎朝私は祈ります。(その他諸々も祈りますけれど)
平和は、地球上の何処からでも祈れます。
お国の為に亡くなられた方々への感謝も鎮魂も、その深い思いがあれば何処からでも奉げる事ができると信じています。
どうしても「靖国神社でなければならない」そしてそれが「心の問題」と本当に思っているのならば、できるだけ人知れずひっそりと参拝すれば充分ではないでしょうか?
この問題に対しては、いろいろ複雑な思いを抱いている人が内外両方にいるのですから。
騒ぎすぎるマスコミにも責任があります。
そしてそれに安易に乗る国民にも問題があります。
首相と官房長官では立場が違うでしょうが、安倍さんは4月にマスコミに気付かれずに参拝しています。(タイミングを見計らって漏れ聞こえるようにしましたが・・・)
お二人とも参拝したことを公にしたい、公にならないと参拝した意味がない理由があるのでしょうね。
そこが、とても引っ掛かるのです。
神社という神聖であるべきはずの場を、政治的に利用しているような気がいて。
自民党の票集め、そんな気持ちがあるのならば、人として本当に悲しい事です。
それはお国の為に亡くなった方達に対して、又心から恒久平和を願っている人達に対して、とても非礼な事だと思います。
「お国の為に戦場で散った命への感謝と鎮魂、そして恒久平和の誓いを立てる」と純粋に本気で思っているのならば、その思いを政治の中に是非生かして実行して頂きたい。
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August 07, 2006
ギネスブックにも載っている「世界一長い金魚すくい」等のイベントで地元の銀座通りは6万人の人、人、人で賑わいました。
TV局も新聞社も取材に来て大騒ぎ。
商店街の2代目若旦那たちが町の活性化の為に、年に1度大々的に催すお祭りです。
それでも昨今商店街は衰退していく一方ですね。
ポッ、ポッ、とシャッターの開かない店が増えていくのを防ぐ事が出来ません。
数年前歩いて行くにはちょっと距離があるのですが、近くに大きなショッピングモールが出来ました。
それだけでも可なり痛手だったのに、事もあろうにその真横にもう1つ「ミスターマックス」というショッピングセンターが今年できました。
両方合わせて総店舗数157店、駐車台数4,000台、駐輪台数1,963台。
いかに大きいか分ると思います。
1日では回り切れない程。
子連れで時間をつぶすには、最高の場所だとか・・・
それに引き換え地元の商店街は、携帯電話販売店5店、美容室5店、古本屋4店、不動産2店等、子連れで遊びにくる雰囲気とは程遠い。
商店街の景観美化委員会や、活性化委員会などに自治会長をしている主人も招かれます。
2代目さんたち、発想の転換がおできにならない事と、資金面での問題もあり大きな改革は何も出来ないようです。
年に1度6万人の人で賑わっても、根本的解決には程遠く商店街の活性化につながるのかな~と、お祭りを楽しみながらも毎年疑問に感じています。
駅の反対側は、若者の町としてそこそこ賑わっています。
我が銀座通りも何か特長を出さなければ、近い将来シャッター通りになる可能性は大なのですが。
お年寄りが買い物し易いとか、買い物ついでにお茶が飲めて世間話が出来る場を用意するとか、子供を遊ばせる場所を提供するとか、空き店舗を安く借りて、お金を掛けなくても工夫すればできる事があるのではと思います。
ただここでもまたいつもの問題に突き当たります。
地元の人達は一生懸命なのですが、マンションの一階等に店舗を借りている人達はまったくの無関心。
皆で心と力を合わせなくては、根本的な改革は出来ませんよね。
地元の商店街は静かに寂れていくそんな感じで残念です。
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June 28, 2006
家賃7万円、3 LDK、82㎡、赤坂から徒歩4分、家具付き、最上階28階にラウンジとトレーニングルーム。
何のことだと思います?
只今建築中の議員宿舎です。
普通に借りると家賃60万円近くするそうです。
みのもんたさんの朝のテレビ番組で言っていたのですが、諸外国(アメリカ、イギリス、フランス等)には議員宿舎という制度はないそうです。
そして、国会議員が選んでくれた国民よりも、良い生活をする為にお金(税金)を使うということはしないとの事。
ごく当たり前の考え方ですね。
でもこのごく当たり前の事が、日本では通用しないのです。
殆どの(全部とは言いません)国会議員が本当に真剣に国のため国民のため世界の為に汗水たらして働いてくれているのなら、宿舎ぐらいで“がたがた”言うつもりはありません。
一生懸命働いている人がそれなりの待遇を受けるのは、当然の事と私は考えていますので。
でもね~、国会議員が国民の為、国の為、世界の為に知恵を出し合って一生懸命働いてくれているとは思えない部分が多いのですよねぇ、残念な事に。
全て国会議員の責任にするつもりはありませんが、世の中が悪い方へ向っている気がします。それなのに良い方へ転換させるための積極的策を講じているようには感じられません。
勿論責任は、そのような政治家を選んでいる私たち国民にあります
国民と政治家は同じレベルですから。
国がある程度の大きさになると、国の為に専任で働く人、国会議員は必要です。
国民がいなければ国会議員という職業はないのです。
しっかりと政治家を選び、育てる事は国民の義務ではないでしょうか。
日本の将来は私たち国民が選ぶ政治家の手にかかっています。
安心できる未来の為に、政治にきちっと目を向けませんか?
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June 27, 2006
ニュースで幼児から青少年まで事件や事故があると必ずと言っていいほど、学校の先生が報道陣に囲まれています。
学校で起こった事件、事故なら当然ですが、まるで学校に関係のない事の時まで。
一人で何十人もの子供を受け持って、細かい事まで聞かれても無理ではないかなと思いながら見ています。
何時頃からか、卒業式で「仰げば尊し」を歌わなくなったようです。
そういえば15年前の息子の卒業式の時、聞かなかったような気がします。
「仰げば尊しわが師の恩」の心、変わってしまったようで・・・
先生から学問を始めいろいろな事を教えてもらいます。
生徒がいなければ先生という役割は生まれてきません。
「親と子の関係」で書いたように、確かにお互い様の部分はあるのですが、教えてもらい、育ててもらい、お世話になった方々を敬う心は人として大切な事だと思います。
先生という漢字は“先に生まれる”と書きます。
自分より先に生まれた人は、みな先生なのですね。
「一日の長」(いちじつのちょう)という言葉があります。
他の人より少し年をとっていること。転じて、経験や知識が他より一歩優れていることをいいます。
でも難しい時代になりました。
パソコン、携帯電話等々、若者は軽々と使いこなしてゆきます。
「一日の長」はおたおたと後から付いてゆくのみ。
余ほど精神的な面で先んじていないと、「一日の長」なんて悠長な事言っていられない時代になってしまいました。
年上、それだけで威張っていられた時代がありましたが、それもちょっとおかしいのではと思います。
歳を重ねただけの知恵、敬ってもらえるような内面的な美しさ、常日頃から磨いているべきですね。
それで始めて若者も、心から敬意を持って接する事が出来るのだと思います。
今時の先生は・・・との声も巷で聞きます。
皆が相手に完全を求めている時代です。
何かちょっとあると、文句を付けて潰してしまう。
これでは人は育たないのではないでしょうか。
優れた先生を育てていかなければ、損をするのは子供たちであり、日本の将来に関わってくる問題なのですが・・・
学校とは、先生、生徒、父兄が共に成長し合っていく場、だといいですね。
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June 26, 2006
子がいなけれは、親という役割は生まれてきません。
親がいなければ子は存在しません。
自分の子に生まれてきてくれて有難う。
この世に生んでくれて有難う。
親子はそんな関係のはずです。
親だから、育ててやっているのだから、子供を好きなようにしていいなどという事は絶対にありえないと思います。
学校の成績と人格の良し悪しは関係ありません。
子供の将来は親が決めるものではありません。
親の都合で、離婚や再婚と子供の家庭環境が複雑になった時、子供に対して万全の心配りをするのが親として当然の義務ではないでしょうか。
子育てとは「自分の中の子供を育てる事」と聞いたことがあります。
歳を重ねて大人になっても、必ず心のどこかに育ちきれていない部分を持っているはずです。
子育てをしながら、自分の中の子供も一緒に成長してゆくのです。
このことを、大徳寺昭輝さんが「いのちの光」-春秋社出版-の中にこのように書かれています。引用させていただきます。
「子供を育てながら、あなたの中の子供を育てなさい。
かつて、何が悲しいと言って泣いた、何がいやだと言ってすねた、子供のあなた、まだあなたの中に生きています。今でも時折、顔を出して、泣いたりすねたりしています。
自分の子供が泣いたりすねたりしているとき、それを見ながら、自分の中の子供を思い出しなさい。そうすれば子供が泣いたりすねたりするこころがわかります。
そして子供を慰め、力づけているとき、自分の中の子供も一緒に、慰め、力づけなさい。あなたの親はそういう気持ちではなかったのだ、親はしっかりとあなたを愛していたのだと、あなたはわかるでしょう」
親は子を育て、子は親を育てる。
世の中、全てお互い様なのですね。
親が偉いとか上だとか言う前に、まずお互いの存在に感謝し相手を思い遣るところから、全ての良き関係は始まると思います。
この相手を思い遣る心、今の社会に欠けていますね。
いろんな事件の根底にはそんな事が影響している気がします。
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June 24, 2006
自然に対して感謝をすること
命に対して感謝をすること
食べ物や水の恵みに感謝すること
お陰の力に感謝すること
人を敬うこと
家族を思いやること。
親を敬うこと
お年寄りを大切にすること
子供を大切にすること
自分を育ててくれる先生を大事にすること
お世話になった方々を大切にすること
人生の先輩を敬うこと
昔から日本人が大切にしてきたこれらの心を、信仰心といいます。
戦後日本はこの大切な信仰心を忘れてしまいました。
疎かにしてきた結果が、今数々の信じられないような事件が起きている原因です。
信仰心というと、神仏に手を合わせことと考えている方が殆どだと思います。
宗教団体に入る事と信仰心を持つことが同じになってしまっています。
親を大事にして親孝行をする。
お世話になった先生や知人の顔を潰すような事は絶対にしない。
いろんなことがあっても、人を立て人に対する思いやりを持ち続ける。
この心は、宗教心ではなく信仰心なのです。
神仏を信じている、いないに関わらず、人としての基本なのです。
今の日本には自分の事しか考えていない人が溢れています。
人の事はソッチノケ、自分さえ良ければの世界が、数限りない事件を生み出しているのです。
先週の日曜日、天命庵で親様の信仰心についての話を聞きながら、今の世に致命的に欠けているのは宗教心ではなく信仰心なのだとしみじみ感じました。
やはり人の心が変わらなくては、この混沌とした世界は変えられないのです。
戦後61年かけて失った心を取り戻すには、どれだけの年月が掛かるのでしょうか?
気が遠くなりそうですが、頑張らなくては。
このままでは、まともに暮らしていく事が難しい世の中になってしまいますもの。
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June 22, 2006
安全性への配慮を欠く製薬会社、肝炎の危険性が明らかになっても規制しない国、耐震強度不足のマンションを立てる建築会社、不当な保険金不払いの損害保険会社、自分の立場を認識できない日銀総裁。
世の中を良くする為に働くのが仕事。
周りの人々を幸せにするのが仕事のはずなのに、皆を不幸にする為に混乱させる為に、仕事をしているような人が多いですね。
それでいて仕事への不満は一人前の人も多い。
こんな仕事をする為に生まれてきたのではない。
自分には向いていない。
忙しすぎる、等々
仕事を選り好みしていると、ご縁を潰す事になります。
世の中の物事は皆“ご縁”縁で丸く円に繋がっているのですから。
働くと言う字は、人偏に動くと書きます。
お人の為に動く事が、働くこと。
今の人は、自分の為に動いています。
自分が金儲けする為に・・・
大人がこれでは、世の中全体が狂っていくのは当然のような気がします。
特に子供の社会が・・・
お手本が悪かったら、子供は良く成りようがないのですから。
今もTVで青少年が関わっていそうな事件を、繰り返し繰り返し垂れ流しています。
マスコミが憶測で情報を撒き散らすのは、世の中を良くする為に働いていると言えるでしょうか?
働けることに喜びを、仕事がある事に感謝が出来れば、自ずと良い仕事ができるはずだと思います。
自分の仕事を通して、周りの人を幸せにする事を考えながら働いたら、つぎつぎに良い仕事が生まれてくるはずです。
結果やお金は後から付いてくるもの。
一生懸命自分の仕事に打ち込んでいる人の姿は美しい。
小さな事にも心を込めて、人の為になる仕事をしたいですね。
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小学校低学年の登校時間に合わせて防犯パトロールを兼ね、見まわりをしました。
全然期待していなかったのですか、驚いたことにかなりの数のご父兄の姿が校門前にありま
いた。
そして、一人一人の父兄が、4~5人の児童を連れて下校していきました。
今年に入って小さな子供の事件が続いています。
それでも今まで父兄の間に何の動きもありませんでした。
近くの小学校1年生は2クラス。
本当に自分の子供の友達が同級生が亡くなって、始めて子供たちの危険を身近なものと受け
止める事ができたのでしょうか。
いくらマスコミで毎日執拗に騒いでも、やっぱりあれは遠い所の人事だったのですね。
一人のお母さんが、近づいてきて事故現場の方を指差しながら「事故の2時間前にあの角で
手を振って別れたんですよ、とっても元気な坊ちゃんだったのに・・・」と涙ぐまれました。
ただ頷くだけで、返す言葉が見つかりませんでした。
父兄は皆、防犯の派手な格好をしている私達に、横を通りながら、通りの向うから軽く会釈をしていかれました。
住み易い町内を作るために、小さな努力をしているおじさん、おばさんがいる。
その事に気付いてもらえたことが、始めの一歩かもしれません。
坊やの事故を無駄にしないように、子供達を守っていく事。
それが男の子への本当のご供養になるのではないかと思っています。
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June 20, 2006
パトカーが3台、外出先からの帰路、辻向こうに止まっているのが見えました。
なにしろ高齢者2人を抱えている夕暮れは忙しく、辺りが騒がしいと思いつつ気に留めている暇がありませんでした。
夜、首都圏ニュースを見ていたら、突然、ほんのお近くの見慣れたマンションが・・・
小学校一年生(6つ)の男の子がマンション8階の外廊下の手すりを乗り越え、外側に取付けられている排水管を伝って下りていたところ、手を滑らして転落、全身を強く打ち死亡と報道していました。
亡くなった男の子はマンションに住む別の同級生の家を訪れた帰りだったそうで。
同級生2人に7階で待っていてと言って下りていったらしい。
余りにも無念な事故で、どうして?お思います。
8階から下を見たら目が眩んで危ないと感じなかったのでしょうか。
3人の内の1人位は「危ないよ」と言わなかったのでしょうか?
6歳には未だそのような判断は出来ないのでしょうか?
「英国では外出時8歳までの子供は必ず大人と手をつなぐ。
12歳までの子供達だけを家の中に置いておいてはいけない」
との明確なルールがあります。
アメリカもオランダも似たようなものがあります。
非常時に自分達で判断して身を守ることができない子供は大人が守る、ということでしょう。
何でもかんでも規則、規則で行動するのでは、住み難い世の中になります。
そして自分で考えながら行動するのが、本来の成熟した大人の社会だと思います。
でもこうもミスミスと無残に幼い命が奪われていくのを防ぐ事が出来ないのなら、規則も必要なのかもしれまん。
明日、自治会で防犯パトロールと兼ねて小学校低学年の下校時に通学路の見回りをします。
こんな事故が起きても低学年の親御さん、誰も子供に付き添わないのでしょうね。
子供は国の未来、社会全体で守り育ててゆくもの、と思います。
でもそれにはまず親がするべき事をする。
近所付き合いが煩わしいとか言わずに、適度に地域社会の中に入って来でくれない限り、子供たちを守りたくても私達にできる事には限度があるのです。
皆がもっと積極的に動く時期にきているのではないでしょうか?
亡くなられたお子さんの、ご冥福をお祈りします。
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June 10, 2006
人間の世界の話ではありません。
カルガモの話です。
《カルガモの繁殖地となる都市の人口池は毎年増える一方だ。
カルガモが繁殖地に選ぶのは、警備員が常駐して、外敵が近づきにくいところばかり。
一度巣ごもりすればワイドショーなどが報じ、マスコミと市民という「最強の人目」が加わる。
施設側も「何かあっては大変」と網や屋根を張ったり、専用の世話係を用意したりと、細心の注意を払って危険を退け、えさ台には専門家と相談してえさを毎日載せる。
人間の中で育つ安全さを学習したヒナたちが、毎年戻ってくる。
外敵の多い自然の中でカルガモのヒナが無事に育つ確率は2割程度。
一方、都心の人口池の場合、生存率は7割を超えるという》
カルガモの親は偉い!
自分の子供達を育てる為の安全性を学習しているのです。
それに比べて日本の親は子供を守る方法、学習しているのでしょうか?
こんなに子供の命が危険にさらされている時代(平時の事ですが)今まで無かったと思います。
記事を読みながら、日本の子供たちはカルガモと同じ位、親に社会に大切にしてもらえているかな?なんて変な事を考えてしまいました。
今までは「知らない人に声を掛けられても付いて行ってはいけません」と教えていました。
でもこれからは「知っている人、親しい人に声を掛けられても一人で付いて行ってはいけません」と言わなければならない時代なのです。
まず出来る事から、直ぐできる事から、それにはカルガモを真似て「人の目を拝借」
地域のお時間のある方に協力してもらうことです。
それもただで力を利用するのではなく、それなりにお茶代位は出すべきだと思います。
親、会社、行政が少しずつ負担をして、気持ちよく協力してもらえるような体制を作り上げていくべきではないかと。
責任の所在、経費の出所なんて、グチュグチュ雑念まみれになると、本能なんて消え去ってしまうのですよね、きっと。
記事を読んでいて、何となく、癒しを求める人間を利用したカルガモのしたたかな生存本能に、人間の生存本能は劣っているような気がしてきました。
これ以上子供が犠牲にならないよう、社会全体で考えたいですね。
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June 06, 2006
切ない!
事故死を再調査してほしくて近所の子を事件に巻き込んだ親、その為にわが子を失った親。
子を思う親の気持ち痛いほどわかります。
でも、でも、だから他の子を、近所の子を、娘と仲のよかつた子を殺害出来るものなのでしょうか?
亡くなったお嬢さんが喜ぶと思ったのでしょうか?
呆然としています。
命とは、生きるとは、死ぬとは、働くとは、そういう人間にとって根源になることを今の日本の社会はうやむやにしています。
きちんと説明できる、教えられる人が殆どいないのです。
本当は、宗教家が社会に、親が子供に教えていくべきことだと思うのですが。
多くの宗教家はお金儲けと、大きな組織を作って権力を誇示する事に一生懸命。
多くの親は、子供の成績を上げ、良い学校に入学させる事に一生懸命。
心を育てる、人間がいかに生きてきくべきか、を説く人が場所が不在の国なのです。
昔の人は人が亡くなると「息を引き取りました」と言いました。
息を引き取る。
亡くなった方の息=命を、残された者達が引き継ぐのです。
皆で命を繋いでゆくのです。
亡くなった時、それはその人の寿命が尽きた時。
亡くなり方が無念であったなら、その死を無駄にしないように、自分の出来る事で努力すれば、死を生かす事だってできるはずです。
折に触れて思い出してあげれば、亡くなった方は皆の心の中に生き続けるのです。
死に対する考え方は人によっていろいろでしょう。
でも子を亡くした彼女の心を支え、人の死について一緒に考え悩んであげる人が周りにいなかった、その事が哀れに思えます。
二人の小さな魂が天の国に帰って、安らかでありますように。
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May 31, 2006
当初の51人死亡から、日を追って2,000、3,000、4,000、そして5,137人と増えていくジャワ島地震の死者。
地震のニュースを聞いた時、お恥ずかしい話ですが、心のどこかに又かという諦めにも似た感情が走りました。
阪神大震災、国連のテロ、スマトラ沖地震、中越地震では、直ぐに祈りを奉げました。
地が鎮まる事を願い、亡くなった方に、負傷された方に、被災された方に、救助に携わる方々の為に祈ったのに。
翌28日、天命庵に神の教えの話を聞きに行きました。
その中で大徳寺さんが「皆さんジャワ島の地震で被害を受けた方々の為に祈っていると思いますが・・・」と言われた後「頷いている方が少ないのは、余りいらっしゃらないようですね」と、改めて皆で深い祈りを奉げました。
こう次から次と大事件が起こると、それではいけないのですが少々の事では驚かないというか、慣れてしまった自分が恐くなります。
何かが起こった時ジャワ島のような処では、政府が被害の状況を迅速に把握することは難しく、時を追って被害者がどんどん増えていくであろうということは容易に想像がついていても・・・
それにしても、どうしていつも貧しい国の人達が被害に会われるのか、常々疑問に思っていました。
とっても不公平な気がして。
自然を破壊し、醜い争いを起し、奢っているのは文明国と思っている私達の方なのですから。
でも救援活動をしている各国の人達を見ていて、ひょっとしたらと感じた事があります。
これは私の勝手な考えとお断りした上で・・・
もし世界の政治経済の中心になっている国々が被害に会ったとしたら、貧しい国の人達には救援する力はなく、そして世界全体が成り立たなくなってしまいます。
貧しい国の人達が変わり被害に遭ってくれているのではないかなと・・・
自然の恐ろしさと、人間の愚かさを、天災の形で、まざまざと見せつけてくれているのではないかなと・・・
そして、国を超え、宗教を超えて皆で助け合い、互いに愛し合いなさいと教えてくれているような気がします。
私達には被害を受けた国々のために祈りを捧げ、復興の為の援助をする責任があるのではないか、そんな事を考えています。
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May 24, 2006
朝日新聞の「集団登校どうする?」を読んで、今の世相を考えさせられました。
☆ 今の子は下級生の面倒を見られるほどしっかりしていないから無理。
家庭では兄弟が少なく、地域や子供同士のつながりが希薄で、孤立化が進んでいるそうで、普段から年上の子が年下の面倒をみる機会がないのですね。
将来どんな大人になるのでしょう。
☆ 高学年の子供を持つ保護者が責任を持てないと反対。
「万が一事故は起きたときに、だれの責任か考えていかなければならない時代になってきた。今は何事も責任論抜きには考えられない」
何でもかんでも、誰かに責任があるものなのでしょうか?
この頃、責任という言葉が人を非難する為に使われているような気がするのですが。
誰も完全な人はいない、その上で良識のある判断をしたいですね。
責任、責任と言っていると、その内何もしないのが一番なんて事になります。
何もしなければ責任も取らなくていいのですから。
☆ 学校の近くに住んでいる子供達の親が必要ないと。
自分達さえよければ、の時代ですね。
自治会の有志で防犯パトロールをしているのですが「内は防犯システムをつけたから・・・」と言われた方がいて、世の中変わりましたわ。
☆ 集合場所で騒いで近くの住民から苦情が出る。
これは親の躾の問題ですね。
その上で子供達の少々騒がしい姿は風景の一つのようなもの、大切にしたいと思います。
私達、随分寂しい社会に暮らしているのですね。
まず、大人から変わらなければ。
子供達の未来の為に、自分の出来る事を少しずつしていきたいと思っています。
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May 22, 2006
小一の子供を一人で外へ出す事が当たり前の日本の社会が、私にはどうしても理解できません。
再三このブログに書いています。
自分で身を守れない子供の安全は親や大人が守る。
これは当然のことだと思います。
そしてそれが当然との事として通じる社会をつくらなければ、子供の被害は無くならないのではないでしょうか?
NY、ロンドン、アムステルダムに住んでいました。
小さな子が一人で、又は親から離れて歩いている姿を見た事がありません。
外国が外国が、というつもりはありません。
でも良い面はどんどん見習うべきだと思います。
身の回りのものは目覚ましい変化を遂げました。
車の数は驚異的に増えました。
人の心も変わりました。
それなのに子供たちの安全に対する意識は、昔のまま余り変わっていないように感じます。
国を挙げて、少子化だ、少子化だと騒いでいます。
国が出産費用を出すとか、不妊の治療費を援助するとか、そこまでは良いと思います。
政府の責任で「お見合いパーティー」を開いてはどうか等と猪口少子化担当相が言っているとなると、その前にする事が山のようにあるでしょう!と私は言いたくなります。
子供を生み育てたいと思える環境造り。
経済的に体力的に親に無理な負担の掛からない社会造り。
皆が本気で考えないと、日本の未来はないのですが・・・
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May 02, 2006
ホントかな?
我が家から駅まで歩いて6分、何と22台の自動販売機があります。
清涼飲料類14台、アルコール類2台、たばこ6台、まだ続々と新しく設置されています。
その上、24時間営業のコンビニが3軒。
私は常々町にあるおびただしい数の自動販売機、こんなに必要かなと疑問に思っています。
一台につき平均的家庭一軒分の電気使用量がかかっている事を知って以来は、自動販売機の数を制限してはどうかと思っている位なのです。
そしたら今度は「募金できる自販機 仙台に1号機」
「自販機を活用して、募金の拡大につなげようという試みが仙台市内で始まった。客が自販機の募金ボタンを押すと、募金分を差し引いた釣り銭が戻る仕組み。
「募金は宮城県共同募金会に寄付され、社会福祉施設や災害支援事業などに配分される」
「今年度中に200台以上を設置したい」との記事。
私には余りよい募金の方法には思えません。
環境汚染に手を貸すような気がして・・・
自販機の持主、製造元、又は清涼飲料やペットボトルの製造元、誰でもいいのですが、空のペットボトルのリサイクルに責任を持って取り組むのならば話はわかります。
でもそんなことはとても無理でしょうし・・・
そしてもう一つアルコール類の自動販売機があるのは世界中で日本だけです。
世界に誇れる素敵なことでしょうか?
タバコの自販機も海外では殆ど見かけません。
もう少し自分の身の回りの小さなことに関心を持って、皆でよい知恵を出し合って生活していきたいですね。
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April 30, 2006
横田さんと大統領との面会実現に対する小泉首相のコメントをニュースで見ながら呟いたら「大分ましだよ」との返事が夫から返ってきました。
コメントは『米国が拉致問題に大きな関心を寄せているといる表れ。拉致は許すことのできない人権侵害である。日本も米国と協力し、世界も関心を持ってほしい』
「クールなことはいいことだけど、当事国の首相がまるで他人事のようなコメントするのはいただけないな~」と。
“日本も米国と協力し”と言う下りおかしいと思いませんか?
日本は拉致被害者を大勢出している当事国ですよ。
北朝鮮のような国を相手にする時は、国際世論に訴える事は大事だと思います。
でもまず日本ができる限りのことをして、その上で他の国にも力を貸して下さいと訴えるべきではないでしょうか?
早起江さんはじめ拉致被害者の方々は、人事を尽くしておられると感じます。
でも日本の政府にはまだまだ出来る事があるような気がします。
「闇に包まれたところから少しずつ少しずつ、やっとここまで来た」
横田早起江さんに母親の偉大さを感じます。
アメリカ公聴会での演説、国語の教科書に載せたい位のお手本のような内容と文章だったそうです。
あれだけ筋の通った聡明な女性、そうはいないのではないでしょうか。
私の勝手な考えですが、早起江さんは大きな大きな使命を神様から頂かれているような気がしています。
ご自分のお嬢さん、めぐみさんとその他の拉致被害者を救う為だけではなく、世界中の人権侵害を受けている人達の為に動いておられるような・・・
彼女の姿の中に、神への美しい真直ぐな信仰を見る思いがします。
祈りが一日も早く叶いますよう、願っています。
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April 18, 2006
本日、3件目の未公開株おすすめの電話。
朝日新聞に数日前「未公開株ご用心」という記事が載ったにもかかわらず、懲りずに掛けてきますね。
「すみません。息子が証券会社に勤めているので結構です」電話の相手が「未公」まで言ったら即言う断り文句。
でもこれは嘘ではありません。
外国為替とかその他の金融商品に対しては「主人が同業者ですので・・・」
これは一部本当です。
ここははっきり言っておきたいのですが、絶対に騙す方が悪いのは、当然のことです。
その上で、被害にあった話を聞くと騙される人と騙されない人の、差はどの辺にあるのだろうか?と思うことがあります。
未公開株の売買に関して、06年度の全国の消費生活センターに寄せられた相談件数、1,296件で、前年度の約6倍といいます。
決して少ない数ではありません。
でもいつも私が受け取る電話の周りで大勢の人達ががやがやと電話を掛けているのが聞こえます。
一日、一人、数十件、と考えると相当の数の人が電話勧誘を受けているはずです。
それでも断っている人の方が圧倒的に多いことになります。
騙された人の中には、電話を掛けてきた相手が特に言葉巧みだったということもあるかもしれませんが、同時にどこかで、楽をして儲けたいという心の隙というか欲があったのではないかと思います。
自分が買う株の会社の経営内容、そして自分が取引しようとしている業者の評判位は、最低限でも調べる努力はするべきではないかと思うのですが・・・
一本の電話から、平均支払金額370万円、中には8千万円払った人もいるそうです。
「見ず知らずの人に儲け話など教えてくれる業者などいない」
「いい金融商品とは業者にとっての良い商品であって、買い手にとってではない」
との専門家の言葉を、常に頭の中に入れておいた方がよい時代だと思います。
でも一番大事な事は、何もしないで楽をして儲けようなんて、欲は出さないことだと思います。
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April 04, 2006
違法駐車を確認する業務の民間委託を、6月から実施するそうです。
主人は、自治会内で駐車違反の渋滞に巻き込まれる度に、違反を取り締まる権限をくれたら、一掃するのにとぶつぶつ言っていました。
何しろ駅周辺の繁華街に住んでいると本当にひどいのです。
当市は十年近く前、斬新な街造りとかいって、歩道を広げ車道を狭くすることで、駐車違反をなくそうとしたのですが、完全に裏目にでましたね。
違法駐車は全然減らず、年々増え続けひどい時は両側に違法車で、一車線状態。
始終、工事中の片側通行という感じですよ。
でも工事中の場合は警備の人が交通整理をしてくれますが、この場合はそんなのなしですから。
運転している方は美しい譲り合いの精神を発揮しているのに、その横で他人の迷惑も省みず堂々と違法駐車をしている人は何を考えているのでしょうね。
道路には「違法駐車禁止モデル地区」と仰々しく書いた立て看板が幾つも立て掛けてあります。
でも商店街の人達は車でのお客さんが来なくなってしまうので、違法駐車の取り締まりには熱心ではない、と言うか止め放題という感があります。
どう考えても日本の道路時事情は、車社会には向いてないですよ。
住民の移動手段が、徒歩か人力車の時代のまま変化してないような道が多いのに、車の数だけは増え続けているのですから。
駐車違反の取締りだけでなく、道路の整備をしっかりしてほしいですね。
バスのような公共の乗り物は、優先する方法を考えるべきだとも思いますし。
ともかく何でもかんでも法律のお世話にならなければ、まともな暮らしが出来ないのは悲しいですね。
一人一人がマナーを守って注意すれば済むことのはずなのですが・・・
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March 24, 2006
王監督は「世界の王」でありながら、日本では国民的人気者の長島さんの影に、ON時代から隠れがちだったような気がします。
今回の世界一は、地道にたゆまぬ努力をしてこられた王監督への神様からのご褒美かな、と思ったりしています。
名プレーヤーと一流の指導者は必ずしも一致しないことが多い中で「世界のホームラン王」と「世界一の監督」という偉業を成し遂げました。
「オレは運が強い」と言ったそうですが、
運は自分で運ぶもの、過去の積み重ねが運んでくるものです。
良い種をいっぱい蒔いて、丁寧に愛情を掛けて育ててこられたのでしょうね。
それが、イチロー選手に「野球人としての品格にたけている人。ただ単に数字を残した人じゃない」」と言わしめたのでしょう。
勿論長嶋さんの周りを明るく楽しくさせる天性の魅力、大好きです。
そして今リハビリに励んでいる長島さんの姿、大勢の人に勇気をあたえています。
でも野球監督としては、王さんの方が遥かに上のような気がします。
米国戦での誤審騒動、韓国戦の連敗、準決勝進出が絶望的にと、地獄の中から這い上がった。
恐い物はなにもなかった。
開きなおった戦士は強い。
人生に起こることで、無駄な事は一つもない。
地獄を見ることを恐れる必要はない、と改めて思った世界一でした。
スポーツはドラマ。
筋書きの無いドラマ。
人生そのものですね。
最高のドラマを見せてもらいました。
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March 13, 2006
近所に耐震強度が一番弱いとされているマンションが建っている事もあり、偽装マンションの建て替えがどうなるか心配しています。
それにしても不可解ですよね。
住民の追加負担が国土交通省の素案よりも、民間業者を活用する建て替え案の方が、現状と同じ七階建、部屋も現在とほぼ同じ広さで一世帯当たり1,000万円程度軽減できるという話。
普通に考えると、国民の為にといろいろ便宜をはかって国の案の方が安くてしかるべきだと思うのですが・・・
当初の国の素案は急いで十分な時間をかけずに作ったといいますが、でも時間をかけて見積もりのし直しをしたところで1,000万円の差はそう簡単には縮まらないと思います。
この差が容易に小さくなるのなら、始めの素案がいかに被害者の事を考えていない雑なものだったか、ということになります。
都市再生機構が示した再建案は、100平方メートルの部屋に入る世帯で追加負担は2,800万円程、部屋の面積を現状の8~5割狭くすることで負担を圧縮という案も含まれていたといいます。
5割狭くしたら、一家で住めない人も出てくるのではないでしょうか。
それで負担金がなくなるというならまだしも、単なる圧縮ですものね。
民間業者は競争があるから、だけでは済まされない問題がそこにはあるような気がします。
お金に対する考え方が、真っ当ではないような。
ブツブツ呟いていたら、市の行革委員をしている主人が、国も市もそんな話がごろごろしていると言います。
市が公共事業等をする時に借りるお金、民間の銀行から借りた方が得でも国から借りるそうな・・・
国から借りるよう定められているのか、借りる枠が決まっているのか、定かではないのですが、どちらにしてもおかしいですよね。
国に国民のお役に立とうという気持ちが全く感じられない。
それが都市再生機構の素案にモロに出ているような気がします。
被害者の方達と周りの住民が、早く落ち着いた生活を取り戻せるといいですね。
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March 06, 2006
孫娘のすみれが格好いいイナバウアーを見せてくれました。
勿論、氷上ではなく床の上で、おしめを変えるついでにですけれど。
早い話が単なる寝返りですが、でもでも、荒川静香さんとそっくりの姿勢なのですよ。
雛祭りの日から寝返りが完全にうてるようになったとかで、わが家でもお披露目。
ママがちょっと手を貸していましたが・・・
荒川さんって、赤ちゃんと同じような体の柔らかさを持っているのですね。
あのしなやかさは多分天性のものなのでしょうが、同時に凄い努力で保っているのでしょうね。
体なんてちょっと怠けていると、直ぐ固くなりますもの。
イナバウアー、イナバウアーと世間で大騒ぎしていますが、私はあの方の凛とした佇まいの方に惹
かれて、余り関心がありませんでした。
でも孫のイナバウアー風そっくり返りを見て、人間の体のしなやかさと、それを維持している荒川さんの努力を敬服しています。
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February 10, 2006
これは我が市の話ですが、分別が徹底され、“正しい捨て方”が守られれば、ごみを有料化しなくても、市はやつていけるそうです。
でも数年後には有料化の予定です。
一番分かりやすいペットボトルで説明すれば“正しい捨て方”はボトルを洗浄しふたを取り周りのラベルを剥がして潰してから資源ごみに出す。
これをみんながやればごみの費用が何分の一にも減るのです。
何故ならば “正しい出し方”がされていない物は、市の職員さんが手作業で選別して、それからペットボトルのふたを取り周りのラベルを剥がす。1本、1本ですよ!
世の中のあらゆることが技術の進歩と人件費節約で機械化されているこの時代に、一番最後のごみに成った段階で結局人の手をしっかり使い、人件費がどっさっと掛かる。
この現実に凄い矛盾を感じませんか?
ボトルが潰してあると容積が1/3になるそうです。
ということは収集車も1/3の稼動で済み、人件費も1/3で済むわけです。
“正しい捨て方”をすれば、有料化しなくても済みそう、という根拠が分かるでしょう。
今母の介護に毎日数名のヘルパーさんが我が家に出入りしています。
家庭の主婦が多く家事もてきぱきとこなされるのですが、ごみの始末、分別が完璧にできる人一人もいません。
あんまし細かい事言いたくないので、後からそっと分別しています。
もつとも内は自治会長をしていて、4年前に「容器包装リサイクル法」が施行された時、市の係りの方を呼んで説明会を開いたりと、皆さんに教える側なので、詳しくて当然ですが・・・
自治会長の仕事の大半は「ごみ当番」てな感じです。
特に街中なので、ワンルームマンションや賃貸のマンションが多く、他の地区からの転入者はメチャクチャな出し方をしてくれます。
ほんのお隣の市で全然出し方が違うのですから、無理も無いと言えば無理も無いと思うのですが、
やはりこうゆう事は全国共通にしてくれないと皆が混乱して迷惑しますよね。
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February 08, 2006
「住所は公園」「テントは住居」と認める判決を大阪地裁が出しました。
今現在差し迫った状況にある人を一時的に助けるには、意味ある判決なのでしょう。
でもホームレス問題の根本的解決には何もなっていないように感じます。
電車の窓からぼんやりと県境の大きな川を眺めていた時、土手にポッポッとブルーのビニールシートで囲われた小さな箱のような小屋のような物が目に止まりました。
今年の冬は暖冬どころか本当に寒い。
この厳冬の中でどんな生活をしているのだろうかと胸が痛みました。
人にはそれぞれの事情があり、それぞれの価値観があり、他に手立てがなくてどうしようもなくという人もいれば、それがいいと思っている人もいるのかもしれません。
ホームレスだから不幸と決め付けるつもりは毛頭ありません。
でもブルーのビニールシートの家を目にするにつけ考える事があります。
バブルが弾け始めた頃だったと思います、駅の近くにいつも野宿している品のいい初老の男性がいました。
物乞いとは違って、誰にも話しかけず、トラブルも起さず、いつも拾ってきたと思しき日本経済新聞を丁寧に読んでいました。
丁度その頃アメリカの新聞に、日本のホームレスは日経新聞を読んでいると驚きとも皮肉ともつかぬ記事が載りました。
彼はホームレスの走りだったのでしょうね。
バブルが弾け、そして何処か息苦しいような時代に突入し、彼のような人が03年時点で全国に約2万5300人。
その人が望むのであればですが、人間としてこの地球上に生を受けたのですから、どういう形ででも生きていく為のスペースを得る方法はないものでしょうか。
人間は空中に浮いていたり、水中に潜っている事は出来ないのですから。
何でも自由、自由ではなくて、限りあるものは皆で分けあう、それ位の心の広さが持てたらいいな、と感じます。
そして働く意志のある人が、社会と繋がりを持ちたいと思っている人が、その機会を得られる社会を、又自分の将来に希望の持てる社会を皆で作っていくべきではないかと考えています。
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February 07, 2006
「子供の誘拐」日本人はまさかそこまではしないだろうと思っていたのですが《04年に法務省は刑法に「人身売買罪」を新設し、臓器を得る目的の人身取引にも同罪を適用できるようにする。》と加えました。
残念ながら日本でも関係のない話ではありません。
臓器移植をそこまでしてするのには、人の命を救うという「純粋な行為」とは又別に、関係者の巧名心と移植をすると医療費とそれに付随して何億というお金が動く面があるからです。
お金儲けの為なら手段を選ばない、今の制度はそうゆう輩に隙を与えている面もあるようです。
社会の歪はいつも弱い者へ、貧しい者へ、と向かって行きます。
今の臓器移植のあり様に無理があるからそうゆう歪が出てくるのでかないでしょうか?
それぞれの立場からいろいろな考え方があって当然です。
しかし臓器移植、生殖医療、ヒトクローン胚作り等の医療技術を進めていくには、日本を含めた世界の国々の社会がまだ精神的に充分成熟していないような気がします。
成熟していないと言うより人間が本来持っていた自然に、生きとし生けるものの命に対する、畏敬の念、畏怖の念を文明の驚異的な進歩の前に置き去りにしてしまったといった方が適当かもしれません。
そもそも生とは何か?死とは何か?生きるとは何か?
人の命に直接関わる仕事をしている人達ですら、自分なりの考えを持っている人は少ないのではないでしょうか。
例え学術的に先へ先へと進むことが可能であったとしても、もう一度原点に戻って踏みとどまる限界を見極めるべき時なのではないかと思います。
全ての物事には超えてはいけない一線があるはずです。
もし私が臓器移植をしなければ生命が危ないと宣言されたとしたら・・・
残された時間で自分の出来る事をして、天の国へ帰っていきたいと思っています。
死は誰にでも公平に訪れる物であり、私だけが死ぬわけではないのですから。
死は突然訪れてくれた方がいいような気がしますが、「告知」が大勢になりそれも選べない時代になってしまったようです。
天の国へ帰ったらゆっくり休養した後、新しい身体と新しい使命を携えてこの世へ又舞い戻って来るつもりです。
今世でし残した事は、それからゆるりと焦らずに・・・
そうなれるように、努力中です。
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February 06, 2006
の記事によると《米国のキリスト教界は99%が賛成している。
臓器の提供は愛の実践と見なされ、信仰の証と受け止められる。
ユダヤ教正統派では91年に認める決議を出した。
日本の仏教協会は臓器移植法が議論された頃、6割以上が他人の臓器を求めるのは「我欲」で
ある、死者は仏であり神聖な存在であるとして反対した。
賛成する宗派は臓器提供は布施の行為、心臓死にこだわること自体が生に執着していると主張した。現在はあまり意見が出ていない。》
宗教界も本当にさまざまですね。
と言うよりも何事もそうですが、それぞれが自分で判断して決めることであって、所属している団体の“お上”が決めたから全員その考えに従う等というのは、恐ろしいことなのですが・・・
《生命は神の領域》と思っています。
現代の医学や科学を超えた向こう側にまだ解明されていない命の神秘がいっぱい在るかもしれません。なにしろ人の命は目に見えないのですから。
人の死を脳死で決められるものかどうか、とても疑問に感じています。
《体はこの世に生きている間、神様から借りているもの》とも思っています。
借りているものを貸主に無断で又貸しというか、無断贈与してもよいものかどうかも思い悩んでいます。
移植希望者に対して提供者が少ない現状で、何が起こってくるかと言うと提供要件をどんどん緩和していきます。
アメリカ、カリフォルニア州では、交通事故、行き倒れなどで脳死状態(当然心臓が動いて息をしている)の時、二十四時間身元を捜して、身元不明だったら臓器を移植してもよいことになっています。
スペイン、ベルギーなどの国々は、本人が生前に何も意思表示をしていなければ提供に同意したとみなされます。
その上開発途上国では移植用臓器の摘出を目的とした子供の誘拐までおきています。 次へ
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February 05, 2006
「中国での臓器移植、日本人急増」「待たずに手術」「法制度は不備」「提供、死刑囚も多く」
との字が大きく朝日新聞の朝刊に踊っていました。
低次元の話で申し訳ないのですが、日本で臓器移植法が議論され出した頃(97年)、痛みに滅法弱い私が一番に思ったことは「痛そー」でした。
それが《臓器移植の行方を考える》の朝日新聞の記事を読んで案外当っていたのかもしれないと思いました。
《00年に英国の麻酔学の専門誌に「脳死者は臓器摘出時に痛みを感じている可能性がある」との警告論文が出て議論を呼び、「移植大国」の米国では、臓器の摘出時に、麻酔や筋弛緩剤を打つ。
無麻酔でメスを入れると体が動くためだ。
動くのは、脳以外の体の反射が残っているからと医学的には説明されているが、その状態は「死んでいる」としていいのか。
激痛は本当に感じていないのだろうか。》とありました。
かわいい盛りの我が子が、自分の大切な人が臓器移植で命が助かるとしたら、受けさせたいと思うのが人情だと思いつつも、臓器移植に対して、何かすっきりしないものを感じ続けていました。
それが『新しい漢方』〈東洋の知と医療〉寺沢捷年著(考古堂刊)を読んで、もっと自然に在りのままに考えれば良いのだと思いました。
本の中に生物学者、池田清彦教授(山梨大学)の臓器移植についての明確な考えが書かれています。
《人間の体は非所有物である。
人間は誰だって自分で生まれてこようと思って生まれてきたわけではない。・・・
自分の存在というのは「管理権」はあるけれども所有物ではない。
自分の健康を維持して、元気で天寿を全うするというのは、ある意味では義務もあるし管理するという立場ですよね。
この体は決して自分が買って得たものでもないし、人から何か分けてもらったものでもない。
そうするとこれは「非所有物」ですね。
したがって臓器を売ったり、買ったりするというのはそもそも間違いだし、死んでからもそれを人に提供したりするというのは、善意と言われるかもしれないけれど、本来やってはいけないことだ》と。
生物学者の立場からこのように考える方がいることを知って大きな発見でした。
意外に感じるのですが、宗教界は総じて肯定的な意見です。 次へ
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January 23, 2006
堀江社長が逮捕されましたね。
今年も又、病院から赤ちゃんの誘拐という嫌な事件で始まり、よくもマアと思うような事が毎日のように次々と起こっています。
余り毎日ショッキングな事を見聞きするので、世の中大変な事ばかり起こっているように思いそうになりますが、決してそうではないと思うのです。
暗い嫌な事件はほんの一部で、いいことの方が多いはずだと。
小さくて目立たなくて当たり前すぎて、マスコミで報道されるようなことではないけれど、
気が付こうと思えば、私たちの身の周りにはいいいことがいっぱいあるのです。
例えば今両親の介護をしていて、数え切れない程の人の暖かさを感じています。
88歳、体重20kgの母は、孫のようにお若い主治医と看護婦さん達に世話して頂いて、今日無事退院してきました。
看護婦さん達にエレベターの前まで送ってもらって・・・
主治医の先生、検査の数値が正常に戻ると「元気な時は一日でも家で過ごされた方が・・・」とすぐ電話を下さいました。
我が家に戻ると同時にケアマネジャーさんが現れ、母の様子を確認して微に入り細に入り世話の仕方を教えてくださり、ヘルパーさん達の手配を整えていかれました。
このケアマネさん、凄いんですよ。
お正月の4日の夜、急患で入院した次の日の朝、主治医が決まり病状を聞いて病室に戻って来たら、母の面倒を看てくれていました。
始に、母と私が落ち着くまでしっこく何回も尋ねます、最後には塩をまかれるまで来ますから、と宣言された通り本当にメチャクチャ面倒見がいいのです。
そしてヘルパーさんは、大晦日もお正月も一日も休まず母のお世話に来てくれました。
仕事とはいえやはり心がなければ、なかなかそこまではできないと思う程の心遣いをしてくれます。
女医さんも往診の準備をして待っていてくれます。
大勢の人の真心に助けられ、新米の私はやっと介護を続けているそんな感じです。
世の中には本当に凄い人、地味で目立たないけれど、自分の仕事を全うしているたくさんの人かいるのです。
心暖かい人達が。
そんな人達の素晴らしさに皆が気付けば、少しは世の中変わっていくのではないでしょうか。
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January 22, 2006
今年初めての雪です。
この辺は見渡す限り一面真っ白とまではいかないのですが。
豪雪地帯の方達に申し訳なくて文句は言えませんが、天気予報のお姉さんに「降る、降る」と何回騙された事か。
主人などは、TVの予報図の長野県辺りにある“雪だるまマーク”に「ごろっと転がって湘南の方においで」と真面目に呼び掛けておりました。
お見掛けイタリアン・マフィアみたいな人がするのですから、結構笑えます。
程々ならばやはり冬には雪、一度は会いたいですね。
雪が木によって、浮雲だったり、綿帽子だったり、細い枝で曲芸をしていたり、黄色の柚子と雪のコントラスト、自然の描き出す姿は本当に見事な芸術です。
雪という綺麗なぺイントで、今の汚れの多い社会が真っ白に清められ塗り替えられたらいいのに、なんて思いながら次々と舞い降りてくる妖精を見続けていました。
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December 18, 2005
との記事に複雑な気持ちがしています。
『介護保険施設で入所者が受けた身体拘束のうち、約3割は生命の危険性など「緊急性」がなかったことが、厚生省の初の全国調査で分かった』と朝日新聞に載っていました。
骨盤骨折で入院中の母は6週間の牽引の後、足の重りを取って5日目の真夜中に自分でベッドから降り、高熱で緊急入院していた隣の病室の父のところまで歩いてしまったのです。
翌日父母の面会に病院を訪れると、主治医と看護士さん達の顔が引きつっていました。
先生は開口一番「朝一番でレントゲンを撮りましたが、骨のずれは認められませんでした」と報告しながら、起こり得ない事が起きてしまったという当惑が隠し切れないようでした。
そして最後に言い難そうに、病院としては出来る限りのことはしていますが、母に一日中看護士が付いて見守っているわけにはいかない。
特に夜は看護士の人数が少なくなるもので・・・もし了解を得られればと切り出されました。
ベッドの位置を看護士が通りすがりにいつも見えるように動かしたい。
ベッドの一方を壁に付けて、簡単に降りられないように柵をしたい。
人権問題になるので出来る限り避けたいのですが、どうしてもベッドから降りようとする事を止められない場合のみ身体拘束の許可を頂ければ、有難いのですが・・・と言われました。
母の場合、骨折が内臓に近い部分で万一の場合は出血多量で命に関わる、と入院時に詳しく説明を受けていたこと。
それとここ数年で4度目の長期入院、看護士さん達も顔なじみが多く信頼関係が出来ていたことで、躊躇いは感じましたが了承をしました。
幸いな事にその時一回だけの出来事で終わり、その後は何とか無事過ぎています。
病院と介護施設は違うでしょうけれど、どんな場合でも大切なのは信頼関係ではないかと思うのです。
『厚生省の調査で身体拘束は、安全確保を理由に介護をする側の都合で不必要に起こだわれていると指摘されてきたが、その実態が浮かび上がった』『・・・拘束廃止への取り組みがない施設への報酬を減らすことも検討』『人手不足が一因』とも載っています。
そういう措置も当然必要でしょう。
でもお役所仕事だなと思います。
身体拘束は人権問題ですが、その非を世話をする人達だけに押し付けるのではなく、労働条件の改善-人数の緩和、労働時間の短縮、待遇の改善-等も考えるべきではないでしょうか?
そして大切な家族を預かって頂く場所なのですから、入所する前もまた入所してからも何度も足を運んで信頼関係を作る、入所者が精神的に落ち着けるように家族が協力する事も大事なことの一つだと思います。
何事も関係する人皆がそれぞれの立場で、よい方向へ向けて努力する必要があるのではないかと感じます。
、
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December 16, 2005
“誤発注と認識しながら、瞬時に何億、10何億という利益をえた証券会社が幾つかある”と聞いた時、まるで禿げ鷹のようだ、と嫌な気分になりました。
それが一転「利益返上」の方へ向かっています。
なんだか政界から「美しい話ではない」とか「火事場泥棒」とかの批判が噴出したから渋々という感も無きにしも非ずですが・・・
折角、真っ当な方向に向いてきたのに、利益返上には課題が多いそうです。
朝日新聞の天声人語に、明治期の実業家の草分け渋沢栄一氏の言葉「商売の徳は売る者も買う者も共に利益を得て喜ぶ所にある」が書いてありました。
そして「右手にそろばん、左手に論語」利潤の追求と道徳という、一見相いれない二つのものをあえて両の手に掲げ、商売にも道徳的な美を求めたと。
誰もが渋沢氏のような考え方で商売をしていれば、問題は起こらないのですが・・・
世の中が複雑になり、お金、お金の時代になってしまので、何か明確なルールが必要になのでしょうね。
欧州の証券取引所「ユーロネクスト」では今回のような誤発注が出た場合の対策が決められているそうです。
何でもかんでもルールで決めなくては、まともな行動がとれないというのも、人間として寂しい気がします。
でも何か事が起こらないと重い腰を上げない、日本特有の悪い癖も問題ですね。
実は与謝野金融相、血の繋がりの無い遠縁にあたります。
それで言う訳ではありませんが、「行動の美学」ちょっと考えてみたい言葉ですね。
人間として生まれてきた以上、美しい生き方をしたいものです。
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December 13, 2005
機械が主役で人間が脇役の時代になってしまった。
そんな感じをジェイコム株発注ミスの事件に感じました。
そもそもはコンピューター操作上の単純ミスだったそうです。
でもそれが300億円超の損失に広がっていくのを、人間が止められなかった。
常々、人間は完全ではないと私は思っています。
それは否定的な意味ではなく、完全ではない人間がよりよくなろうと日々努力し、成長しようとしているその姿を美しいとは思っていますが・・・
その完全ではない人間が考え作り出しているあらゆる製造物は、誤作動あり故障あり欠陥ありの不完全な物であっても何の不思議もないはずです。
現代はその不確かな物に余りにも頼り過ぎているのではないでしょうか。
人間はミスをする事がままあります。
その不備を補うはずの機械に、頼りすぎて振りまわれている。
より早く、よりたくさん、より便利に、より高度に、より見栄え良く、よりよりよりとあらゆる場面で無理をする為に。
人間が機械に使われているような感さえします。
機械化によって、確かに私達の生活は便利になり格段の向上をしました。
でも人の心はどうでしょうか?
昔よりも豊かに美しく、皆で助け合って生きていくようになったでしょうか?
地球の自然は美しく保たれているでしょうか?
いろんなことが機械化され文明が進んだことによって、余りにも失ったものが多いのではないでしょか?
もっとゆっくりと、もっと素朴に、人間本来のありのままの姿で生きていける社会が、人間にとって本当は幸せなのではないかと思います。
入力一瞬で300億超の損、私には真っ当な世の中には思えません。
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December 09, 2005
ニュースの画面に、ご近所のマンションが映し出されました。
耐震偽造が明らかになった中で最も危険な建物、震度五弱で倒壊の恐れとアナウンサーが説明しています。
我が家から歩いて2~3分、駅からも2~3分の繁華街の中にあります
市は使用禁止命令を出すそうですが、居住者は勿論、周辺の住民はどうするのでしょう。
家やお店を持って逃げるわけにもいかないし・・・
無事解体が終わるのを待つのみ、なんて虚しいですね。
地震国日本、世界に耐震の技術を教える立場の国がなんというザマ。
技術が泣いているでしょうね。
朝刊の耐震偽造の記事の横には、森派が耐震強度を偽造した建物の建築主や検査機関からの献金660万円を返却と書いてありました。
国民を守る立場の人達が、幾ら認められている献金とはいえ、お金をもらっていては監督が甘くなってしまうでしょうし、おかしいなと感じても強い事は言えないでしょうね。
母の病院へ行くタクシーの中で、運転手さんがかなり怒っていました。
「のらりくらり責任逃れをしようとしている関係者を全員、問題のマンションに住まわせなければ、住民の気持ち等分かるはずがない等々」
こう信じられないような厭な事件が次から次と起こると、皆の考える事がギスギスしてきてしまってこわいようです。
こんな時こそ、美しい音楽とか、心暖まる話とか、マスコミは流してほしいと思うのですが・・・
探せばよい事だって一杯あるはずなのにと思います。
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December 08, 2005
息子が1歳半位の時だったでしょうか、手を伸ばせばすぐに腕を掴める位のほんのちょっと前をヨチヨチと一人歩きさせていました。
人も車もほとんど通らないような閑静な住宅地の歩道でです。
前から歩いてきた杖をついたおばあさんに「すぐに子供の手をつなぎなさい!英国では6歳までの子供は必ず手をつないで歩くと規則で決まっています」と厳しい口調で言われました。
慌てて手をつないでしばらくしてそっと後ろを振り返ると、くだんのおばあさんが私達親子が手をつないでいるかどうか、じ~っと立ち止まって見ていました。
2歳半から小さな20名程の幼稚園に通わせていました。
9時と12時の幼稚園までの送迎は親の責任で、いつも大体付き添ってくる父親と母親の数が半々位でした。
親が皆自営業というわけはないでしょうに、父親が園児の送り迎えをしている事が、当時の私には異様な光景に見えました。
でも今から思えば、父親不在で子育てをしているような日本人の家庭の方がずっと異様なことだったのでしょうね。
社会全体が父親も育児に参加できるような仕組みになっているのです。
だから、英国の子供達は皆安全かといえば、決してそんなことはないのですが、親が子供を守る為に出来ることはきちっと決めて、社会全体で子供を守ろうとする姿勢がとても印象に残っています。
毎日のように我が町で見掛ける光景ですが、親がなが~い井戸端会議をしていて、子供が退屈してちょっと危ないことをしそうになると、物凄い剣幕で怒られている姿を見かけます。
ちょっと手を繋いでいれば子供だって怒られないですむことなのに、「あぁ~、親の勝手で怒られて可哀想に」なんて思って見ています。
もし日本でも小さな子供は必ず大人と手をつなぐ、小学校の間は親が送り迎えをする、子供を一人で留守番させない等、子供を守る規則が作られれば、かなりの子供の事件や事故は防げるのではないかと常々思っています。
そして余計なことで子供が怒られる回数も減って、親子関係も良くなるのではないかなと思うのですが・・・
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December 05, 2005
又小1の女の子が、栃木で殺害さた事件が報道されています。
まるで次々と押し寄せてくる大波のように、暗い悲惨なニュースに接し、被害者の方達のお気持ちを察すると暗澹たる思いがする毎日です。
それもテレビで再三同じ内容を、これでもかこれでもかというように垂れ流がし続けられると、悲惨な事件がまるで現実の二倍も三倍もあるように感じてしまいそうな始末です。
マスコミは事実だけを正確に伝えてくれればよいのにと思います。
犯人探しや、情報収集は警察に任しておけばいいのではないかと・・・
世の中で何が起こっているかを知る事はとても大事ですが、プライバシーに関わるような事まで事細かに知らせる必要があるのでしょうか?
私には今のマスコミの態度は犯罪を煽っているような気がしてなりません。
同じような事件が、続いて起こるのを見ていて特にそう思います。
もちろん悪いのは事件を起こした当事者である犯人です。
でもこんな世の中を創り出した私たち大人一人一人にも、責任があると感じています。
「姉歯事件」で関係者が醜い責任のなすり合いをしているように・・・
今回の栃木の殺害事件では、小学校の責任を問う声が父兄の間から上がっているように・・・
どこかで皆が、責任の転嫁をして、誰も責任を取ろうとしない。
自分は関係ないような顔をして、物事をやり過ごそうとしている態度が蔓延しているような気がします。
一人一人が今社会で起こっていることを、自分の事として受け止めて、何とか良い方向に持っていこうと力を合わせないと、一連の事件は止まらないと思います。
今地球上で起こっている出来事は、全部連なっていて自分も関わっているのだと感じる想像力、連帯感、皆で助け合って生きていこうという気持ちが生まれる事を祈っています。
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July 01, 2005
嫌な事件が続いています。
新聞やTVを見る度に、今大人が何とかせねばとの思いにかられています。
家庭と学校の大きな役目の一つは、子供の持って生まれた才能を見っけ育成することだと思います
でも残念なことに、今家庭も学校もその大切な役割を果たしていません。
それよりもなによりも、家庭では母親が子供によい成績を取らせよう、よい学校に進学させようと躍起になっています。
隣の子が、知り合いの子が有名校に入ったから内の子も入れなければならない。
こうしなければ遅れてしまう、ああならなければいけないと、親の欲と見栄で子育てをしている人が殆どです。
親の欲と見栄で子供達を争わせて、受験戦争という戦争まで子供の世界に巻き起こしています。
アフガン戦争、イラク戦争と世界で戦闘が起きると日本でも「戦争反対」「Stop The War」と口々に叫びながらデモ行進をする人々をTVで観ます。
受験戦争という言葉が使われて久しいにもかかわらず、子供達の為に「受験戦争反対」とデモ行進をしている人達を見かけたことがありません。
不思議なことだと思いませんか?
極端な場合には“お受験”とかいって幼少の時から精神的戦争の中に置かれるのです。
それは一部の子供だとしても、殆どの子供は高校、大学の受験戦争を経験します。
最も感受性の強い思春期に戦争の中に身を置くのです。
しかも敵は一日の大半を過ごす級友であり、同学年の生徒全部ときたら、真っ当な精神状態の大人に育つことを望む方か無理だと思うのですが・・・
今の子供達は皆よく頑張っていますよね。
でも子供たちに頑張ってもらうのは、もう限界なのではないでしょうか?
大人達が価値観を変え、社会を変えていかなければ、事件は続く。
残念ですが、そんな気がします。
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June 25, 2005
人の命が奪われてゆく
信じられない程、安易に
一番安心していられるはずの家庭の中で
親が幼子の、子が親の、弟が兄の命を奪う
ニュースを見ながら暗澹たる思いである
人々の心から何が失われたのだろうか
思い当たる事の一つに
人間関係の間合いの取り方が下手になった
皆、土足で人の心にズカズカと入り込む
テレビでは、それを笑いと勘違いしている
ただ礼儀を知らない、無作法なだけなのに
人の心を深く傷つる行為なのに
他人とは当然、親しい間柄でも
言ってはいけない一線
振れてはいけない一線があると思う
家庭の中で、その一線が崩壊したのではないか
各家族という、余りにも限られた集まりの中で
親が子を守り育むはずの場が
互いを傷つけあう場になってしまった
人間関係に礼儀と節度を忘れた時
世の中は崩壊してゆく
まず大人が襟を正さねば
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June 08, 2005
いや~~~、よかった。よかった。
勝ちましたよ!!!
ワールドカップ、世界で一番乗りを決めました。
暗いニュースが多い世の中、なんでもおめでたいのはいいですね。
主人は高校、大学とサッカー選手でした。
サッカー中継中は、我が家に自前の解説者を持っているような状態で、これが結構うるさくて、でも的を得ているようなのです-私はサッカーには詳しくないので定かではりませんが・・・
本日の感想は“大黒様、大黒天様(だいこくてん)” だそうです。
大黒天は、七福神のひとりで福徳を与えるといわれています。
それと“北朝鮮での試合でなくて良かったな~。イラン戦の後のようになりかねなかったよ”と言っています。
私は平和主義者です。
世界中のみんなが仲良く元気に暮らせたらいいな~~、といつも思い祈っています。
でもね、今回の北朝鮮戦はスポーツの勝ち負けを超えて、絶対に勝って欲しいと思っていました。
スポーツと政治は別物と分かっています。
それでも拉致被害者のご家族の心情を考えると、心穏やかに、フェアーに応援とはなかなかいきませんよね。
本当に勝ってくれて、ほっとしています。
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June 01, 2005
知床の世界自然遺産の登録が確実になったようです。
世界的に遺産として認められることは素晴らしいことですか、それと引き換えに失うものも大きいのではないかと、複雑な気持ちがします。
沖縄の世界遺産の一つを、登録が決定される一年前に訪れました。
その日は台風が沖縄を直撃した直後で、数百年を経た石畳のいたるところに枝葉が重なり合い、周辺がぬかるみ、危ないぐらい自然のままでした。
うっそうと茂る木々の間から木漏れ日がキラキラと昨夜からの雨露に輝き、神秘的な光景を醸し出していました。
琉球の霊地、琉球七御獄の一つといわれる場は、人の手で創られた神殿や偶像の全く無い、自然の中に霊気漂う不思議な雰囲気に満ち溢れていました。
それから僅か数年後、再び訪れました。
行く先はまかせっきりのツアーだったことと、一度訪れた地名や場所を記憶しておくのが不得手な私は、そこが以前来た場所だと気付くのに随分時間が掛かりました。
入り口にはかなりの人が集まれるような広場が出来、お金を入れるとパンフレットが出る機械があり、うっそうと茂る木々も数百年を経た石畳も、大勢の観光客が行き交っても大丈夫なように整備されていました。
それはあの神秘的な光景も霊気漂う不思議な雰囲気も見事に半減させていました。
自然をそのままに誰にも知らせずひっそりと息づかせておく。
それも又、もったいない事なのかもしれません。
世界遺産に登録されると締約国の分担金などによる基金で保護することができます。
その代わり、訪れてくる観光客の為に如何しても自然に手を入れなければなりません。
どちらがいいか悪いかは、一概には言えないことです。
でも今でもふと、あの人間の手では決して作りだすことの出来ない不思議な雰囲気はどこへ行ってしまったのだろう、と残念に思うことがあります。
一度失ってしまった自然は二度と取り戻すことは出来きません。
これは私達の身の回りの自然に対しても言えることですが・・・
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April 28, 2005
今回の事故の報道を見ていて人間の世界に、完全、絶対、必ずはないと、改めて感じています。
自然界には絶対、必ずが存在します。
朝東から太陽が出て、夕方西に沈みます。
日本では毎年四季が巡ってきます。
潮の満ち干気があり、月が満ち欠けします。
今日は太陽が出るのはお休み、今年は春は来ない等ということはありえません。
でも人によって創られている社会では、良き事も悪い事も何でも起こりえます。
どんなに努力をしても、人間である限り事故を皆無にすることは出来ないと思います。
何故ならば、人間は完全ではないからです。
この事を、NHKの番組“クローズアップ現代”であるゲストが「人間はある確率で愚かな行動をする」と表現していました。
でも事故が起こるまでは、人間は完全だと思い違いをしていることに気が付きません。
そして、少しでも速く、少しでも便利に、少しでも快適に、少しで儲かるようにと、少しでも少しでもと至る処で無理をしているのが、現代社会のような気がします。
神という漢字は“示す偏に申す”と書きます。
神は時空を超えた存在なので人間に直接話し掛けはしません。
でも世の中で起こるあらゆる現象は、神の思いを示し申しています。
脱線の衝撃でヒシャゲテ折れ曲がったアルミ製の車体と大勢の犠牲者は、私たちに何を示し申しているのでしょうか?
事故原因の徹底的解明と同時に、今の何よりもまず効率を経済性を追い求める社会の在り方を、今一度よく考えてみなさいと、示し申されているような気がするのですが・・・・。
残された私達がこの悲惨な事故を教訓にして、より安全な社会を創っていくことが、犠牲になられた方々への責任でもあります。
心より亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
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April 20, 2005
他事ながら、新法王には積極的に他宗教宗派との対話を進める、英知と体力のある方がなられる事を願っていました。
ところが、20世紀以来で最高齢の78歳、その上超保守的な思想や中央集権的な管理体制と、私の願いとは裏腹な結果がでたようです。
まあ、信者で無い者がとやかく言う筋合いのことではないのですが・・・
産児制限、避妊、婚前交渉、同性愛、急進的フェミニズムの否定、女性司祭、聖職者の結婚禁止と保守本流を行く方と聞き及びます。
私はこれらのことに対して、きちっとした考えを持っているわけではありません。
ただ多分に個人的問題が含まれているように感じます。
“神が人間を創造した時、人間に心の自由を与えた”と、天命庵で親さまからよく聞きます。
私たちはこの世で物事を自由に考え、自由に思い描き、それを実現しようと努力する自由を持って生まれてきたのです。
自分の意志で考え、行動し、責任をとる、それが人間として生まれてきた意味ではないでしょうか。勿論他の人に迷惑を掛けない範囲内でのことですが。
ところが何故か往々にして、その神からもらった心の自由を、宗教組織という神の教えを説く場所で制約されて、返って心を不自由にしている信者さんが多いように感じます。(これは宗教組織一般に対して感じる事です)
自分で望んでそうしているのですから、それもまた自由といえば自由なのですが、とっても不思議なことです。
今も昔も、宗教組織は世界に平和をもたらすよりも、世界に紛争を戦争を起こす原因になっています。
新法王には約11億人のカトリック信者のことよりも、世界のこと、人類のことを考えてほしいと切に願います。
それがひいては、カトリック信者を含む、地球上全ての人間の幸せにつながっていと思うので。
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April 17, 2005
学生時代のある出来事を、中国各地で起こっている反日デモを見て思い出しました。
三十数年前アメリカに住んでいた時、大学の英語のクラスに、五人の韓国人の青年がいました。
日本人は私とM子さんの二人。
彼らは私たちにだけ妙によそよそしく、明らかに避けられていました。
そんなある日、彼らは仲間の一人を指さして、「彼のお母さんは日本人だ。韓国人の男性の方が日本人の男性より優れているから、彼のお母さんは韓国人と結婚したんだ」と誇らしげに言い放ちました。
何という理論の飛躍!と思ったけれど、お互い不十分な英語で言い合ったところで溝は深まるばかりでしょうし、何よりもM子さんも私も反論するには余りにも韓国と日本の歴史的認識が浅かったのです。
彼らは韓国と日本の不幸な歴史についてしっかり教え込まれているようでした。
それに対して私は歴史の現代の部分は、自分達で読んでおきなさい。受験には出ないから大丈夫ですと、殆ど素通り状態。(今も当時とそう変わっていないようですが。)
日本の学校で六年間習った文法中心の英語はアメリカで全く通じないし、習った歴史はいざという時まるで役に立たない、“日本の教育ってどうなっているの?”とぼやきたかったけど、その暇はありませんでした。
なにせ、彼らと毎日顔を会わせるのですから。
のほほんと暮らしていた私の中に日本人としての自覚が芽生えた瞬間でもありました。
当時韓国は優秀な人材をアメリカの大学、大学院にどんどん留学させているという話を耳にしていました。韓国の次の世代を担うであろう彼らに実際に日本人と接してその上で彼ら自身の日本人観を持って欲しいと願いました。
私達と付き合う事によって彼らの日本人観が変わるか変わらないか、それは私には計り知れないことでしたが。
そして彼らに指差されても、黙ってうつむいて一言も言い返せないもう一人の韓国人を目にして、日本人として自分の出来る範囲で何かをしたいとも思いました。(若気の至りかな?)
私達はクラスメートとして彼らと出来るだけ仲良くするように努めました。
半年経つて皆がそれぞれの進路に向かつて旅立つ時、彼らは私達に「日本人は嫌いだけど、あなた達は良い人だ」と告げました。
願いは半分通じました。
私が彼らに本当に気付いてほしかったことは、日本人には良い人も、素敵な人も、普通の人も、悪い人も、非を認めない人もいる、他の地球上のどこの国の国民もそうであるように。
政府や外務省に任せておくだけでは、戦後60年経ってもこの有様です。
利害関係の絡まない一般市民のレベルで、コツコツと理解を深める場を作っていけば、お互の認識の違いを超えて分かり合う事が可能ではないでしょうか。
僕も私も外交官、皆がそんな心持になって。
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March 30, 2005
地が揺れています。足元が揺れています、地球規模で。
地とは-陸地、大地、地面-人がよって立つところです。
心の-心地、境地-存するところです。
“地に足のついた”という言葉があります。
現実離れのしていない、とか地道なという意味です。
20世紀後半から、私たちは地に足の付いた生活をしていないような気がします。
科学、化学、生命医学、医療、土地開発等必ずしも現実に即さないことにまで手を伸ばし、地道でない生活を日々送っているのではないでしょうか。
快適さ、便利さ、手軽さ、楽しさ、欲しいものの飽くなき追求を続ければ、必然的に自然破壊(戦争、核実験、地球温暖化、森林伐採、水の汚染)が起こります。
進歩と称して、結果は自分達の生活環境を破壊し、自然界のバランスを崩して天災を呼んでいます。
では何故スマトラ島が二回も、もちろん答えは神のみが知ることです。
でも今日(3月30日)の朝日新聞、天声人語に気になる言葉が載っていました。
『イスラムの世界では、天災の犠牲者は特別な意味を持つという。病気や老衰でなく、天変地異で亡くなると、幼児でも老人でも殉教者として扱われる。たとえば、聖戦ジハードで命を落とした殉教者と高貴さにおいて同列で、そのままでも十分に清らかだという』
後半の聖戦ジハード云々は置いておいて、私も天変地異で亡くなった人達は殉教者だと思います。
それは残された私たちに、「なぜ天変地異が起こったのか考えて二度と起こらないように皆で知恵を出し合いなさい」と、無言で語りかけて使命を果たそうとしているように思えるからです。
義援金を送って、それでお終い。
そんな人が多いような気がします。
彼らの犠牲を無駄にしない為に、一人一人が自分の出来るところから自然を大切にしませんか?
そして天災が起こり難い世界を創る努力をしませんか?
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February 21, 2005
本音で話す人、正直な人に私は好感を持ちます。
放送界とインターネットをつないで何をしたいのか、今一はっきり見えてこないのは不満ですが・・・。
今回の問題で一番の非はフジテレビの社長が自社の株を守るという最も大切な経営戦略を怠っていたことにあります。ところが、そのことが全然問題にされず堀江社長の株の時間外取引とか外資からのお金の調達の仕方とか、そんなことばかりが騒がれています。
うっかり言うと自分のところに火の粉が降りかかってくるので言えないのかな?
机上の空論ばかりいう学者、知ったか振りの経済評論家の愚問に、思わず自分の経営戦略をポロっと言ってしまっているような気がして、その辺がちょっと心配です。
本音で正直にビジネスをしていくには、周りが悪すぎます。
今回のようなこと、アメリカなら十年前に起こっても全く問題にならない次元のことです。
当然のことながら、日本がアメリカと同じになる必要は全然ないのですが、世界の中で生きてゆくのに、自分たちだけの価値観にしがみついていては立ち行かなくなるでしょう。
良きものは残し、改革するべきところは潔く変えていく。
今回の騒ぎが日本の経済界に一石を投じ、“新しい風を巻き起こしてくれるといいなあ~”と期待しています。
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February 16, 2005
記事を見て仰天しました。
挨拶を交わす。人間として生きていく上で基本的なことだと思います。
きちっと挨拶のできる大人が少なくなった、親が子供に挨拶を身に付けさせていない、今子供たちがおかしくなっている一因かなと思っていました。
でもその基本的な挨拶を交わすこと自体が身に危険が及ぶ時代になってしまったのです。
日本の社会はどうなってしまったのでしょう。
集団下校、防犯ベルを持たせる、学校の出入り口に施錠する。地域で防犯パトロールをする、身を守る方法として大切なことです
でももっと根本的なこと、どうやって人間としての心を育てる、取り戻すか、成熟した社会をどうやって作っていくか、に力を入れないと小手先だけのことでは防ぎきれないのではないでしょうか。
今の政治家、教育者、宗教家に任せておける問題ではないと思います。
一人一人が今の社会の在りようを真剣に考えて変えていかなければ、子供が人と挨拶も出来ない世の中になってしまっているのですから。
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