May 31, 2009

鳩山さん「友愛」についてもう一押し説明がほしかったな~

北朝鮮、補正予算、インフルエンザ等など問題山積の中での、45分という短時間の党首討論。
それでも、鳩山氏、「友愛」について語られました。
抽象的との批判を気にしてか、三鷹の小学校の例を出して。
確かに超具体的な話だったのですが、それを国又は地方の政策として、どのよう実行してゆくか、国民に何をしてほしいかが、やっぱり見えてこないのです。
おっしゃりたい事、私にはとてもよく分かるのですが・・・

息子は生後6ヶ月から4歳半までロンドンで過ごしました。
1歳の検診は、お近くの古いレンガ造りの民家がにわか検診所になります。
赤ちゃんがハイハイしても大丈夫なようにぴかぴかに磨き上げられた床、子供達が裸でも寒くないように赤々と燃さかる石炭ストーブ、赤ちゃんのお世話してくれる人、育児相談に乗ってくれる人、全てボランティアの手によるものです。
片付けは全員で。
皆で安全を確認し、鍵を掛けて民家を後にしました。
その古い民家、折々の集会に使われていました。

息子の通った幼稚園は英国国教の教会、体育館位の大きさの半地下が平日9時から12時まで幼稚園になります。
朝、教会の倉庫から子供達の遊び道具を出して、にわか仕立ての幼稚園が出来上がり。
2才半から5才までの男女20人に先生4人。
30年前の事ですが、保育料は週15ポイント(日本円にして1,500円位)入学金なし。
そんな幼稚園がひっそりと所々にありました。
もちろん建物も庭もある、日本の程大きくはありませんが、幼稚園もありました。

ある日、先生一人と女の子の為に、お別れ会が開かれました。
先生と女の子は親子で、子供が小学校に上がるので、先生も本業の小学校の先生に戻る為です。
子供の成長に合わせて、仕事の内容も時間も選べる。
自分にとっても、社会にとっても、有益ですね。

当時の英国が理想的な社会だった等というつもりはサラサラありません。
ただ、身に丈に合った社会を築いているような気がしました。

新しい大きな箱物、近代的な設備等を求めないで、あるものを上手に活用する。
人材もボランティアから有償の人まで、上手に働いてもらう事によって、温かい人間関係のあると社会と大きな節税が出来ると思うのです。

さて『三鷹の小学校の話』を民主党の政策の中にどの様に生かし、私達国民にどのような形で「友愛社会」作りに参加して欲しいのか、見えてこないですね~
私はそこが知りたいのですけれど・・・


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November 02, 2008

自治会でハロウィンパーティーを

言い出しっぺは、ご町内に新しい風を吹き込んでいる元校長先生と、その教え子の元幼稚園の先生。
数十年ぶりにお町内でばったり再会して盛り上がったそうな。
子供を集めて催し物をするには、最強のコンビ。

一部のとても協力的な役員さん十数名を除いて、なにしろ“笛吹けど、踊らず”を絵に書いたような自治会。
「自治会員の交流を深める為なら犯罪以外は何でもどうぞ」との主人(自治会長を請け負って7年目)の言葉でお母さん達が大奮闘してくれました。

当日、仮装やら綺麗にお化粧した子らが続々と五十数名、付き添いの親御さん達もいて、互いの声が聞こえないような大騒ぎ。
そこは、リーダーの元幼稚園の先生、一瞬で子供達を静かにさせ、ハロウィンの説明を・・・
まるで魔法を掛けられたように大人しくなる子供達、流石ですね~

「トリック・オア・トリート」(お菓子をくれなきゃ、いたずらしちゃうぞ~)と唱えながら、子供達が訪ねてまわる数件のお店には、事前にお菓子を持参してお願いしてありました。
予定外に自分の店も入れてくださいと申し出てくださる所、リストに入っていないのにお菓子を用意して待っていて下さる処もあって、有難くて感激しました。

私は欧米に長く住んでいたので、子供たちが大挙押し寄せてくるのも、息子達を連れて訪れる方も経験ずみです。でも日本では未だ余り広く知られていない行事なので、余計なことは言わずに完全お任せモード。
『楽チン、楽チン』と思っていたのですが、当然の事ながら、当日はそう行きませんでした。我家がお菓子を渡す最後地だったので、家と自治会館、大通りの子供たちの進行具合を計りに走りまくったもので・・・。

街で子供達の群れと出くわした父のヘルパーさん「お宅の自治会、よくいろんな催しするのね~」と感心していました。
お陰様で私は、我家から1分の自治会館の行事で、老人介護のストレスを発散させてもらっています。
兎にも角にも、ものすごい盛況のうちに無事終わりました。

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March 28, 2007

小児科医労災 厚生省控訴を断念

今朝の朝日新聞に小さな記事を見つけた時は「よかった!!!」
ホッとして、長い間コッコッと戦い続けてこられた我が主治医の「銀座内科診療所のホームぺージ」を開けました。
「亡くなって8年近くたってようやく中原さんが労災と認められた。当然のことだが、その当然が現実になるまでの道のりの険しく遠かったことを思うと嬉しいというよりも、何か気が抜けたような、不思議な気持ちがする」
そうなのでしょうね。
勝訴、が決まっても失われた命は戻ってきません。
控訴しない理由は、判決が認めた過重労働よる心的負担の大きさを覆すのは難しいとの判断だからそうで、これを教訓に働く人々の環境改善をという方向へ行く訳でもないようです。

いつから、当然の事が当然と認められない時代になってしまったのでしょう。
どうして、当然の事が当然と認められるのに裁判まで起さなければならい時代になったのでしょう。

作家の五木寛之さんが「城山三郎さんを悼む」(朝日新聞、3/27)でこのように書いておられました。
『訃報を聞いて最初に感じたのは一つの時代が終わったな、ということだった。その「時代」がどういうものか、とたずねられても、簡単明瞭には答えようがない。漠然とした表現をすれば、経済活動に志(こころざし)がともなっていた時代、とでもいえようか』

働くという字は、人が動くと書いて、はた・らくと読みます。
働くとは“はた”(自分の周りの人々)を“らく” (楽)にさせる為に、住み易い社会を築くために、人が動く事なのです。
働く“志”が、本来の働く意味が、皆の心から失われてしまったような気がします。
経営者も、政治家も、お役人も、今働いていない人が多いですね。
“志”の伴わない仕事、単なるお金儲けの為の仕事が増えれば、世の中に労災も含めてあらゆる危険が増える、そんな恐れを抱いています。

明日は民事訴訟の判決だそうです。
当然の判決でありますように。

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March 07, 2007

個人情報保護法が子供会にも影を・・・

自治会のお母さんから、子供達の集りを開きたいので力を貸して欲しいと頼まれました。
ご町内の子育てを卒業したおじさんおばさんが、助っ人になることに。
先日、会の趣旨と段取りの説明会があったのですが、どうもイマイチ要領を得ないのです。

初回は「おにぎりをにぎろう」
案内のチラシに「事前のお申し込みは要りません」とあります。
おにぎりの為のご飯を仕込む都合もあるので、当日参加も大歓迎だけれど大体の人数を把握した方がよいのではないか?と言うと、
「会った事もない人からの回覧に、親は子供の名前を書きません」と言われて、おじさんおばさんは沈黙。
自治会からの回覧は不審物扱いのようです。

「会に参加した子は“~ちゃん”と名前で呼んであげたいので、受付の時名前だけ聞いてください」との事、当たり前と聞き流していたら、だんだん目が点に・・・
「苗字は聞いてはいけない。名前だけ。住所、電話番号なんてトンでもない」とくるのです。
ここでやっともやもやした訳の分からない説明が、個人情報保護法のせいだと読めてきました。

それでも子供の事、何かあった時に困るから、自宅の住所や電話番号が聞けないのなら、通っている学校、学年、氏名は確かめておいた方がよいのではないか?と言うと、
「学校に問い合わせても絶対に連絡先は教えてくれません。小学校にはクラスの連絡網がありません」
「緊急時などの連絡はどうしているの?」と声を揃えて聞いたおじさんおばさんに、
「連絡事項が発生した時は担任が各児童宅に直接連絡しています」
えらい時代になったものです。
大人が子供を守るのは当然の事です。
安全の為出来るだけの事をするのに反対ではありません。
でも今の在り様が純粋に子供を守る為だけとは受け取れないのです。
そこには極力責任を回避したい、そんな大人の思惑がちらちらしているような気がして・・・

そんな中、危険を冒してまで?子供会を開きたいと提案するお母さんは偉い!
ということで、若いお母さんたちに育っていただく為にもここは黙ってお手伝い。
おじさんおばさんは手分けして4升のお米を炊いて持ち寄る事にしました。
これで当日のおじさんおばさん宅の晩御飯は、残ったおにぎりに決まりだね、何て思っていたら留めの一言。
「ボランティア保険があるのですが・・・」
当節ご近所の子供達と一緒に遊ぶのは、保険を掛けなければならないほど大事なのだ~~

子供達が“おにぎり”を結んで喜んでくれればそれでよいのです。
でも個人情報保護法の扱いも、子供を守る方法も何か少しずれている、そんな感じがするのですが・・・

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February 14, 2007

新しい生命を生み出す事も大切ですが、まず今在る命をもっと大切にする政策を・・・

少子化対策という政策が、私にはよくわからないのです。
誰の為の対策なのでしょう。
明らかに生まれてくる子供の為ではないですよね。

国力の為とかこれからの高齢化社会を支える為とかいろいろ聞えてきますが、人の命を損得勘定で考えているような不純さが透けて見えて不愉快に感じます。
日本の人口がどんどん減って、存続の危機なんて事になったら大変ですから、今のうちから手を打たなければとの考えよく分かります。
でも国民の頭数を増やせば、日本は安泰かと言えばそんな事はないと思うのです。
先ほど問題になった給食費を払わないような親に育てられた子供達が、将来国を支えてゆく力に成り得と政治家は考えているのでしょうか?
女性が頑張って子供を生めば何とかなる問題とは明らかに違います。

私は子供の頃から、結婚して母親になる平凡な生活を夢見ていました。
いざ子供を産んで、生後5カ月の子をロンドンで育てるというハンデーもあったせいか、子育ての大変さを何も知らなかった自分に驚き、そして周りの大人も誰も教えてくれなかった事に呆然としました。
子育てという、命を育む大変な仕事に国家試験が無いのが不思議に思えた位。
高校、大学に入学試験があるように、車の運転に免許がいるように、学校の先生、看護士さん、保育士さん、会社員、何でも試験で合格するか免許や資格が必要です。
子を産むことが、何の資格も免許も要らないからこそ、命の神秘を、生命を育む事の大変さを、人間として教育する大切さを、子供の時から折に触れ学ぶ機会を作るべきではないでしょうか?

例え少子化が進もうとも、生まれてきた命を粗末にする位なら、虐待する位なら、子供を生まないほうがよいのではと思っています。
一つの生命を、キチンとした社会人に育て上げる覚悟が無いのなら、子供を生む前に自分自身を育てるべきでしょう。

大人と子供の社会からいじめを無くす、受験戦争という戦争の中から子供を救い出す、格差社会を是正する、夫婦で子育てがし易い社会を作る、高齢者を大切にする等々・・・
今日本の国に生まれてきた人達が、生まれてきてよかったと思えるような国造りをすれば、子供は自然に増えるはずです。
子供は世界の未来なのですから、まず育て易い環境をつくるのは当然の事でしょう。
子供は天からの授かり物。
柳沢厚生労働大臣の失言にも、それに対する批判の中にも、生命の神秘に対する謙虚さがまるで感じられないことが一番気掛かりです。


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February 09, 2007

柳沢発言と礼節

結婚すると「子供はまだ?」
1人目が生まれると「二人目はどうするの?一人っ子は可哀想よ」とまるで挨拶代わりのように赤の他人から言われるのが日本の社会です。

数十年前の事ですが、息子は主人の仕事の関係で帰国子女になることが分かっていたので、カトリックの小学校を受験させました。
その学校は、一人っ子は受験で不利だと言われていました。
親の面接の時、先ず「ご兄弟をつくるご予定は?」と尼さんの校長さんから聞かれました。
主人は躊躇うことなく大声で堂々と「ありません!」
『こりゃ落ちたな』と内心思いましたが、結果は合格でした。
しかし、よく質問しますよね、そんな事。

個人の家庭の事情にまで踏み込む事は礼に反する、との認識がまるで無いのが私達日本人のようです。
一昔前までは、平気で人の心の中までズカズカと入り込むのは、おばさんの専売特許みたいに思われていました。
この頃は無神経、気配りが出来ない、場の雰囲気が読めない日本人が増えているように感じます。
柳沢厚生労働大臣の発言がその典型です。
日本人は繊細、礼儀正しい、慎み深い国民と言われていたような気がするのですが・・・
礼節を大切にしたのは遠い昔のことなのでしょうか?

結婚するか、子供を産むか、何人生むか、それは明らかに個人の問題です。
他人が立ち入るべきでないと思う一番の理由は、結婚も出産も其れによってその後数十年、自分が下した決断に全責任を持たなければならないからです。

女性に頑張って産んでもらった後は、厚生労働省が責任を持って育ててくれるというのなら、それはまた別ですが・・・
自分が最後まで責任をもてない事を、軽々しく人に勧めるべきではないのでは、と思います。
特に国政に関わる人は。

しかし、礼節無き言葉、態度、考え方、日本列島中に氾濫していますね。
マスコミ、特にテレビにも責任の一端があるように感じています。

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January 25, 2007

給食費滞納 22億円 立派な犯罪です

「全国で約十万人」の文字が、朝日新聞の朝刊に踊っていました。
その内「保護者としての責任感や規範意識」の問題が60%、「経済的な問題」が約33%と見られるとの事。
本当に普通では考えられないような事が、よく次々と起こりますよね。
また!見たいな感じで、段々驚かなくなっていく自分が恐いのですが、この話は酷い。
外で食事をして、お金を払わなかったら無銭飲食、立派な犯罪ですもの。
其れが、学校で堂々と行われているとは・・・

親、学校の先生、医療従事者、警察官、経営者、政治家、みんなレベルが落ちました。
人間全体のレベルが落ちてしまった感すらあります。
このままでいくと、人間が人間としての理性ある行動を取らなくなってしまうのではないか、と恐ろしくなる位。

先生のレベルがいろいろ言われています。
今回の「教育3法改正案」にも、教員免許に更新制を導入とあります。
更新制の導入に別に反対ではありません。
でもその前にか、それと同時にか、するべき事が沢山あるように感じます。

私は学校の先生とは、生徒に社会に出て一人前の人間として生きてゆく為の知識と知恵を教えるのが仕事と思っています。
ところが安心して生徒の教育に専念できる環境作りが出来ているか、とても疑問なのです。

先ず本来家庭で親が教えるべき基本的躾がなされないまま、学校に子供が送り込まれて来る。
部活といわれる課外活動、朝夕の練習そして休日も返上している先生方が結構多いのでは。
オランダでは課外活動は地域社会と親の責任で行われるものであって、学校の先生の領域ではないのが普通です。
これは聞いて話ですが、上への提出書類が多くてパソコンの前で書類の作成に追われている時間が長いとか・・・

これでは本来の学問を教える為の先生自身の勉強や、授業に遅れている子の面倒、いじめ問題に時間を掛けて取り組む事が出来ないと思うのです。
その上、給食費の取立てまで先生の仕事となると、本当にお気の毒です

今回の給食費滞納問題、文科省がどのような解決策をとるのか決まっていません。
ただこれ以上先生に生徒を教えること以外で、負担を掛けるべきでは無いと思います。
そうでないと、結局皺寄せは子供達にいくのですから。
でもね、先ず親を教育し直さないと駄目でしょうね。
そして、そうゆう“親”を育てた“親”を見てみたい。
問題は半世紀以上前から始まっているのです。

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December 21, 2006

銀座で、大~きなクマの縫いぐるみをゲット!

銀座4丁目、鳩居堂へ「大徳寺昭輝書画展」を観に行ってきました。
今年は主人と息子のパートナーの綾ちゃんと孫の菫も一緒に、暖かな雰囲の中でゆったりとした一時を過ごしてきました。

帰り道、銀座の外れの薬局でくじ引きを引いたら、主人が、ななんと一等賞の大当たり。
景品は体長1メートルもある、大きな大きなクマの縫いぐるみです。
私、縫いぐるみ大好きでベッドの枕元でクマ5匹と犬2匹が押し蔵饅頭をしています。
でもこれから主人と二人で銀座をお散歩という時に、縫いぐるみが当たるとは・・・
一瞬クマと3人で銀ブラするのかと頭の中が???

主人は、当たったと分かるや否や銀座で別れた綾ちゃんに携帯を掛け、綾ちゃん達の乗るタクシーにクマも同乗させようと連絡をとり始めました。
いやはや、その行動の素早いこと。
それが無理だと分かると「マンションの住所をメールして。宅急便で送るから明日着くからね」と言っていました。
綾ちゃん、菫を抱えて、クマ騒ぎに巻き込まれて申し訳ない。
主人もクマを連れての銀ブラは大変と必死だったようです。
無事、息子宅へ送り出して、ゆっくり2人で銀ブラをして帰ってきました。
翌日「可愛いクマさん有難うございました」と喜んでくれたのでホッとしています。

1等が当たるとは気分がいいし、クマさんも大好きなのですが、何か今年は予定外のことが起こってバタバタと動け回らなければならない年回りだったような気がします。
今年も残すところ後10日、ゆっくりと落ち着いて過ごさなければ…

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November 11, 2006

虹色スミレ

毎年この時期に、庭のプランターにパンジーを植えます。
昨日やっと一冬花を楽しませてくれそうな良さげな株のパンジーが、ご町内の花屋さんに並びました。
なかなか良い花に出会うのが難しい花屋さんで、苦労しております。
パンジーの横にピンクのポットに入った“虹色スミレ”スイートハートリカとリカちゃん人形の写真と名札が付いた、可愛い花が置いてありました。
何処から如何見てもスミレには見えない。
花びらが7色っぽいパンジーと言う感じなのです。
「これ本当にすみれ?」って花屋さんのおじさんに聞いたら「う~ん、そう書いてあるね・・・」

孫の菫は、スミレの花のように楚々と可憐な赤ちゃん(そんな赤ちゃんいるわけないかな?)というよりも、エネルギッシュでとても活発です。
同じ名前なので菫に見せたくて“虹色スミレ”もお庭に植える事にしました。
うっかりするとパンジーと区別がつかなくなりそうなので名札を付けて。

今日鎌倉の紀ノ国屋にお買い物に行ったら“虹色スミレ”がたくさん売っていました。
ご近所の花屋さんで見た時は、本当にスミレ?と半信半疑だったのですが、紀ノ国屋で売っていると、やっぱりこれはスミレというのだと納得。
そこがお店の信用の差ですね。
でも菫に「これがスミレの花よ」と教えるのはまずいかな?

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November 04, 2006

“抱き癖”と言わなくなつた本当の理由

天命庵の親様の話を伺って「今“抱き癖”と言う言葉は無いんだよ、抱きたいだけ抱いていいんだよ」と息子夫婦が言っているのが理解できました。

『子供の時には、たくさん愛をかけて上げて下さい。
よ~く抱いて上げて下さい。
何故かというと、子供はお母さんのお腹の中でお母さんとへその緒で繫がっていることに安心感があったたわけです。
それがへその緒を切られて生まれてくるわけですね。
一番初めの恐怖というのは、お母さんから離れる恐怖なのです。
だから生まれて直はできるだけ抱っこしてあげてください。
お母さんの心音を聞かせてあげる事。
それが恐怖をどんどんどんどん減らしていくのです。
お母さんと離れることが一番恐いわけです。
だからできる限り抱けるうちは、子供を抱っこして上げて下さい。
抱き締めてあげてください。
そうすると子供というのは優しい子になるんです。
生みっぱなしでは駄目なんですよ』

我家に来た時、菫(すみれ)を抱いて二人でリビングを行ったり来たりしながら、話をしています。
思わず「あなた達なにしているの?ゆっくり座って話せば?」といったら「止まると泣くんだよ~」と言いながら抱っこして行ったり来たり…
「ふ~~む」時代が変われば子育ても変わる。
そんなものなのかなと、ちょっとビックリしながら黙って見ていました。
息子は赤ちゃんの時“石臼君”と呼ばれるほどズシリと重い子でした。
その子の菫も可なり重い。
その菫をいつも華奢なママが抱っこしています。
有難いなと思って見ています。

それにしても、昔の人は偉かったとしみじみ思いました。
赤ちゃんが生まれて首が座るとおんぶして、赤ちゃんはお母さんの背中で心音を聞いていたのですね。
日本では、昔から自然に理に適った育て方が代々伝わっていたのに、何処で途切れてしまったのでしょうね。
週末、息子夫婦と小旅行にいきます。
その時、この話をしようと思っています。

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October 26, 2006

いじめと家庭 (1)

今回の事件、元担任の先生の言動が常軌を逸していたのは言うまでもありません。
でもちょっと、ご自分の回りの老人、大人、若者、子供を、よ~く観察してみてください。
家庭、ご近所、学校、職場、政界で、イジメや仲間外れはないでしょうか?
いじめ、嫌がらせ、無視、仲間はずれ、虐待がそこいらで起きているのではないかと感じています。
残念ですが、それが今の日本の社会の現状のような気がするのです。

子供の世界は大人の社会の鏡です。
子供は大人のまねをしているだけです。
そう、今回の事件の元担任の真似をしたように。
自分達の行動を棚に上げにして子供たちにいじめを止めさせよう、学校からいじめを無くそうと文部科学省を筆頭に必死になっても、教育委員会の権限を大きくしても、抜本的解決にはならないと思います。
勿論今まさにいじめに会っている子を救う手立てを講じる事は、一番にしなければならないことです。
と同時に大人が自分自身の行動を振り返って、いじめの元を作っていないか反省し、大人が変わらなければ、モグラ叩きが永遠に続くような気きがしています。

何処から変えればよいのでしょう。
頭の中で収拾がつかない位ぐらい問題は一杯あります。
でも根っこは1つかもしれません。
社会の一番小さな集団、基礎は家庭です。
今その家庭が崩壊しているようです。
家庭が崩壊していては、世の中の一番弱い者、家庭の元で庇護されなければならない子供が守られるはずがないのです。

 大人が、夫婦がいがみ合っている中で育てる。
 子供に過度の期待をかける―お験といって幼少から受験という戦争で子供を戦わせるような。
 社会で生活する上でのルール、礼儀作法を教えない―弱いものをいじめない、命を大切にする等は人間として生きていく基本です。
理屈ではないのです。

これを天台宗の僧侶の瀬戸内寂聴さんが「人を殺すのは悪い、盗むのは悪い、嘘をつくのは悪い。人間として絶対にしてはいけないことなのです。人間である証拠のバッチのようなきまりなのです。人間には初めから“してはいけない”ということがあるのです。理屈など何もいりません。“してはいけないのよ”ではなく“するな”と子供が小さいうちから、小学校に上がる前から頭にたたき込むのは、親の責任です。

 何よりも子供の心を育てていない―知識を詰め込んで、いかに生きて行くかの知恵を教えていない。
これらは一種のいじめだと思うのです。

穏やかな暖かい家庭で育った子は積極的にいじめには加担しないでしょう。
愛情に満たされて育った子はいじめをしないと思うのです。

いじめ、多種多様な要因があるでしょうが今の家庭教育の在り方、大きな要因ではないでしょうか。

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October 23, 2006

私のブログに何が起こっているの???

アクセス数が週末、異常に増えました。
地味で硬い内容のブログをボチボチ書いております。
ニィフテーさんのブログにはサイト全体のアクセス解析が付いています。
やたら詳しいデーターが分析されていますが、私はアクセス推移とページ別アクセスしが見たことがありません。
普段は1日平均アクセス40前後の推移。
記事の内容によって100を超すこともありますが、それはほんの稀ですし、記事を書いた直後に起こります。

今回のアクセスは20日近く前に書いた記事に集中していました。
記事の内容は音楽家とそのお姉様の病気について書いたものです。
それが土曜日の朝、1時間で50~30数件が数時間続いて、後は15件前後で2日間続きました。
北は北海道から南は沖縄まで日本中から・・・
1時間で、いつもの1日分を軽くクリアー。
何が起こっているのかな???

皆さんに読んで頂く為に書いているブログですから、大勢の方が訪れてくださるのはとても有難く嬉しい事です。
ただもし何か意図あって私のブロウを訪れてくださっているのなら理由を知りたいな?と、思っていました。
昨日の夕方、パソコンを開いた時、ひょっとココログ・トップページに載っている、人気記事ランキングが目に留まりました。
カテゴリーごとの人気記事ランキングが数分おきに入れ替わり立ち代り掲載されています。
それが“育児”のカテゴリーになった時、2位に私の件の記事のタイトルが現れました。
びっくり!
フム、人気記事ランキングに私の記事を載せて皆さんに読んでもらいたい、と思った方たちがいらっしゃるのでしょうか・・・
書いた内容に微かに思い当たることがあります。
目に見えない所で何かが動いている不安を少々感じていたのですが、何かのお役に立っているようでほっとしています。

でもこれが時事問題など扱った記事だったら、やはり不気味に感じただろうと思いながら・・・
良くも悪くも、ブログの力を垣間見た週末でした。


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October 20, 2006

挨拶が出来ない子供たち

「お帰りなさい」小学校から歩道橋を渡って下校してくる児童一人一人に声をかけます。
返事は殆ど「・・・・・」
80名近くの児童が、私と相棒の前を通り過ぎていきました。
「お帰りなさい」との声掛けに「ただいま」と答えた子 0名
「お帰りなさい」に「お帰りなさい」と答えた子 一名
「お帰りなさい」に「こんにちは」と答えた子 数名。
3分の1の子が恥ずかしそうに、特に女の子は微かに頷いて通り過ぎて行きます。
その他の子は、知らん顔。
友達同士話に夢中になっている子は、それはそれでいいのです。
でも声を掛けられたと分かっていて無反応。
こりゃ、日本の将来は危ないぞ~~

当節は子供にとって恐い時代です。
「知らない人に声をかけられても返事をしてはいけません」と教わっているかもしれません。
でも自治会の名入りのお揃いのジャンパーに防犯の腕章、下校時の見守りを始めて1年近くになります。
始めは先生と一緒に立て顔見せもしてあります。
それでもキチット挨拶できる子が本当に少ない。
「ただいま」は自分の家に戻った時の言葉で、道では使わないのかな?とか、家庭で「ただいま」「お帰りなさい」との言葉を使う機会がないのかな?とか考えてしまいました。

そんな中で、一人の女の子が歩道橋の階段の途中で立ち止まって、私達に丁寧に頭を下げ手前の道を曲がっていきました。
思わず私達も姿勢を正しましたよ。
自然で美しい動作でした。
ご家庭できちんと躾をなさっておられるのでしょうね。
「躾」は「身」に「美しい」と書くように動作が美しいことです。
美しい礼儀作法が身に付くと、自然に心も礼儀正しくなるものです。

今学校がいろいろ言われています。
確かに問題は多いと思います
でもまず家庭教育を何とかしなければいけないのではないかと思います。
家庭で基本的な躾をしてから、学校という集団生活の場に出さなければ、学校は機能しないのではないでしょうか。
まず親を、そしてその親(祖父母)を教育し直さなければ。
それは一体誰がするのでしょうね。
大人とは、自分で学習して成長していける人間を言うのではないかと思っています。
今日本の社会に本当の意味での大人が育っていないような気がします。

安部さん、今の状況は教育基本法をいじくっても根本的解決にはならない、と私は感じているのですが、如何でしょうね。

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October 18, 2006

「孫」を代理出産

今の世の中が凝縮されたような出来事です。
起こるべくして起きた、そしてこれからもっとエスカレートしていくのでしょうね。

 私には息子が一人います。「子供のいる人には子供のいない人達の切実な気持ちが分からないでしょう」と言われたら少々怯まざるおえません。
 しかしこれは子供が云々というだけの問題ではなくて、人生全てに通ずることだと思います。
人間は何もかも自分の望む物を手に入れることはできません-健康、体力、優れた運動能力、美貌、端麗な容姿、明晰な頭脳、やりがいのある仕事、地位、名誉、財産、素敵な伴侶、愛情深い親、仲の良い兄弟等々(順不同)
 人、それぞれ持っているものは皆違います。自分にないものを得る為に努力することは大切なことです。
でも度を過ぎた努力は自分の今持っている良いものまでも、失うことに成り兼ねないのではないでしょうか?
 神はその時々に応じてその人の人生に必要なもの、相応しいものを全て与えてくれると聞いています。
後はその人がそれをどのように受けとめ、生かしていくかに掛かっています。
 今現在置かれている自分の立場、役割を喜んで生かすことが、一番素敵な人生を歩む近道ではないでしょうか?
 今子供ができないのは、ひょっとしたら前世で一ダース位の子供達の肝っ玉父さん、肝っ玉母さんをしっかりやり終えて、子育てに関しては修了証書を持っているので、今世は子育て以外の部分の自分を磨く為に生まれて来たからかもしれません。
キャリア・ウーマンとして社会でバリバリ働く為に生まれて来たからかもしれません。
夫婦二人だけで素敵な愛を育む為に生まれてきたからかもしれません。
或は子育ての勉強は来世に予定されているのかもしれません。
 それは“神のみぞ知る”ですが………。

今の自分の人生をそんな風に何でも良い方に考えたら、本当に美しく輝いてくるのではないでしょうか?
 無いものを探し求めるのではなく、今与えられているものに感謝して、大切に生きていけば、自ずと素敵な未来が開けていくと思います。
 《足るを知る》-分相応に満足することを知る。
昔の人は真理を簡単な言葉に表わして残してくれています。
自分の周りの人達をよ~く観察してみて下さい。
子供がいることによって幸せな人もいれば、子供によって苦労している人もいます。
子供がいなくても幸せな人もいれば、子供がいなくて不幸な人もいます。
どちらが幸不幸ではなく、何事も自分の生き方、考え方次第なのです。
当節、お金さえあれば何でも手に入る、何でもすることができると思い違いをしている人が、多い世の中になりました。
でも将来どんなに生命科学、生物学、医学が進歩しても“命”を無の状態から作り出すことは絶対にありえなと思います。
目に見えない形のない“生命”を創造できるのは目に見えない形のない神だけです。
子供が生まれるか否か、それが男の子か女の子か、これは神の領域です。
限りない欲望を手当たり次第可能にしていったら、自然界の摂理は崩れ、社会は崩壊する。そんな危惧さえ抱いています。

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October 02, 2006

かけがえのないもの- 高嶋ちさ子

とんねるずの番組にゲスト出演していた高嶋ちさ子さんの話を聞きながら、主人が大笑いをしていました。
てっきりお笑い系の人かと思っていたら、な、なんとバイオリニスだそうです。
未だ一度もバイオリンを奏でている姿にはお目にかかったことがないのですが、時折テレビのトーク番組で、新聞のエッセイでお人柄に触れることがあります。
早口に喋りまくる声はハスキな低音で底抜けに明るい、話がともかく面白くて笑える、そしてお若いのに妙な迫力があり、この存在感は何処から・・・と興味がありました。

朝日新聞の「な・ま・ね・た」という記事(9月28日)に成る程と納得のいくことが載っていました。
テーマは「かけがえのないもの」―姉がいるから私がいる
高嶋さんには、20歳まで生きられないといわれたダウン症のお姉さんがいます。
お母様はそのお姉さんを守ってくれる子供を生まなくてはと、彼女のお兄さんと彼女を産む決心をしたそうです。
高嶋さん曰く《つまり、兄も私も“使命”をもって生まれてきた子供だったのです》
子供の使命を決めてしまう母親と、それの使命を素直に受け入れた子供。
お母様が偉いのか、高島さんが凄いのか、両方とも天性の素晴らしい物を持っておられるのでしょうね。

以前ブログに書きましたが、人は皆、天の国から“使命”を携えて地上に生まれてきた“天使”なのです。
でもその使命が何なのかわからなくて、何故生まれてきたのか、何故生きているか、その意味が見つけられなくて、何と多くの若者が閉じこもったり自分の使命探しをしている事でしょうか。
ただ生まれてきた時、自分の使命が何である分かっている事が幸せなのかどうかは、私にもよく分かりませんけれど・・・
《「(姉の出来ない分の遊びも学びも)2人分生きなさい」と母に毎日のように言われてきたのを、プレッシャーに感じるどころか、たぶん私には2人分できる能力があるんだろうと、完全に勘違いしていました》
子供が潰れないようにプレッシャーをかけ、そしてそのプレッシャーをよい勘違いに変えてしまう親子、迫力育ちますよね。

でも高嶋さんにとって一番大変だったことは、世間の無理解だったそうです。
宗教家で医学博士の方が書いた、ダウン症に関する記事を読んだことがあります。
ダウン症を持った新生児はどこの国でも約1,000人に1人の割合で生まれるそうです。
それは確率の問題ですから、もしかしたら私だったかも、あなただったかも、自分の家族の誰かだったかもしれない。
そのように考えた時、お互いに助け合って生きていこう、支えあっていこうという気持ちが自然に心から生まれてくるはずではないかと。

今40歳を過ぎたお姉さんは元気に生き生きと働いていて《支えるはずの高嶋さんが可なり支えられているのです》と最後を結んでおられます。

一度彼女のバイオリンの音色、聴いてみたいと思っています。


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June 27, 2006

先生と生徒

ニュースで幼児から青少年まで事件や事故があると必ずと言っていいほど、学校の先生が報道陣に囲まれています。
学校で起こった事件、事故なら当然ですが、まるで学校に関係のない事の時まで。
一人で何十人もの子供を受け持って、細かい事まで聞かれても無理ではないかなと思いながら見ています。

何時頃からか、卒業式で「仰げば尊し」を歌わなくなったようです。
そういえば15年前の息子の卒業式の時、聞かなかったような気がします。
「仰げば尊しわが師の恩」の心、変わってしまったようで・・・

先生から学問を始めいろいろな事を教えてもらいます。
生徒がいなければ先生という役割は生まれてきません。
「親と子の関係」で書いたように、確かにお互い様の部分はあるのですが、教えてもらい、育ててもらい、お世話になった方々を敬う心は人として大切な事だと思います。

先生という漢字は“先に生まれる”と書きます。
自分より先に生まれた人は、みな先生なのですね。
「一日の長」(いちじつのちょう)という言葉があります。
他の人より少し年をとっていること。転じて、経験や知識が他より一歩優れていることをいいます。
でも難しい時代になりました。
パソコン、携帯電話等々、若者は軽々と使いこなしてゆきます。
「一日の長」はおたおたと後から付いてゆくのみ。
余ほど精神的な面で先んじていないと、「一日の長」なんて悠長な事言っていられない時代になってしまいました。
年上、それだけで威張っていられた時代がありましたが、それもちょっとおかしいのではと思います。
歳を重ねただけの知恵、敬ってもらえるような内面的な美しさ、常日頃から磨いているべきですね。
それで始めて若者も、心から敬意を持って接する事が出来るのだと思います。

今時の先生は・・・との声も巷で聞きます。
皆が相手に完全を求めている時代です。
何かちょっとあると、文句を付けて潰してしまう。
これでは人は育たないのではないでしょうか。
優れた先生を育てていかなければ、損をするのは子供たちであり、日本の将来に関わってくる問題なのですが・・・
学校とは、先生、生徒、父兄が共に成長し合っていく場、だといいですね。

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June 26, 2006

親と子の関係―奈良の放火殺人に思う

子がいなけれは、親という役割は生まれてきません。
親がいなければ子は存在しません。
自分の子に生まれてきてくれて有難う。
この世に生んでくれて有難う。
親子はそんな関係のはずです。

親だから、育ててやっているのだから、子供を好きなようにしていいなどという事は絶対にありえないと思います。
学校の成績と人格の良し悪しは関係ありません。
子供の将来は親が決めるものではありません。
親の都合で、離婚や再婚と子供の家庭環境が複雑になった時、子供に対して万全の心配りをするのが親として当然の義務ではないでしょうか。

子育てとは「自分の中の子供を育てる事」と聞いたことがあります。
歳を重ねて大人になっても、必ず心のどこかに育ちきれていない部分を持っているはずです。
子育てをしながら、自分の中の子供も一緒に成長してゆくのです。

このことを、大徳寺昭輝さんが「いのちの光」-春秋社出版-の中にこのように書かれています。引用させていただきます。
「子供を育てながら、あなたの中の子供を育てなさい。
かつて、何が悲しいと言って泣いた、何がいやだと言ってすねた、子供のあなた、まだあなたの中に生きています。今でも時折、顔を出して、泣いたりすねたりしています。
自分の子供が泣いたりすねたりしているとき、それを見ながら、自分の中の子供を思い出しなさい。そうすれば子供が泣いたりすねたりするこころがわかります。
そして子供を慰め、力づけているとき、自分の中の子供も一緒に、慰め、力づけなさい。あなたの親はそういう気持ちではなかったのだ、親はしっかりとあなたを愛していたのだと、あなたはわかるでしょう」

親は子を育て、子は親を育てる。
世の中、全てお互い様なのですね。
親が偉いとか上だとか言う前に、まずお互いの存在に感謝し相手を思い遣るところから、全ての良き関係は始まると思います。
この相手を思い遣る心、今の社会に欠けていますね。
いろんな事件の根底にはそんな事が影響している気がします。

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May 22, 2006

子供の事件が続いています

小一の子供を一人で外へ出す事が当たり前の日本の社会が、私にはどうしても理解できません。
再三このブログに書いています。
自分で身を守れない子供の安全は親や大人が守る。
これは当然のことだと思います。
そしてそれが当然との事として通じる社会をつくらなければ、子供の被害は無くならないのではないでしょうか?

NY、ロンドン、アムステルダムに住んでいました。
小さな子が一人で、又は親から離れて歩いている姿を見た事がありません。
外国が外国が、というつもりはありません。
でも良い面はどんどん見習うべきだと思います。

身の回りのものは目覚ましい変化を遂げました。
車の数は驚異的に増えました。
人の心も変わりました。
それなのに子供たちの安全に対する意識は、昔のまま余り変わっていないように感じます。

国を挙げて、少子化だ、少子化だと騒いでいます。
国が出産費用を出すとか、不妊の治療費を援助するとか、そこまでは良いと思います。
政府の責任で「お見合いパーティー」を開いてはどうか等と猪口少子化担当相が言っているとなると、その前にする事が山のようにあるでしょう!と私は言いたくなります。
子供を生み育てたいと思える環境造り。
経済的に体力的に親に無理な負担の掛からない社会造り。

皆が本気で考えないと、日本の未来はないのですが・・・

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March 10, 2006

子供って変わる

主人のアメリカ留学時代のルームメイト、ボブ一家と私達家族が東京で再会しました。
ボブ達は主人と同じスイスの銀行の東京支店に勤めていた関係で、麻布に6年間住んでいました。
ボブと奥さんのゲイルには数年おきに会っていたのですが、子供達とは15年振りの再会でした。
 息子のマックスがこの春エール大学を卒業、社会人になるので、最後の家族旅行に思い出の日本を訪れています。
当時6歳位だったマックスは突然東洋の異文化に連れて来られ戸惑っていたのか、かなり不機嫌な感じの子供でした。
その後もボブと会う度に「マックスは難しい子だ」とこぼしていたので、どんな大人に成長しているのか、ちょっと心配していました。
 相も変らぬいつもの感想なのですが“人間って本当に変わるのですね!”
 特に子どもは!!
 ルックス、スタイル抜群ということも相まって『爽やかな好青年』を絵に書いたような姿に大変身していて、嬉しくなってしまいました。
礼儀正しく快活でユーモアーのセンスがあり細やかな心遣いも出来て、本当にステキな若者になっていました。
15年前、親に連れられて渋々付いて来ていたような鎌倉観光、鶴岡八幡宮と長谷の大仏さん、そして我が家でのすき焼きパーテーもよく覚えていて「凄く楽しかった。とってもいい思い出になっている」そうな・・・
あれが楽しかった顔なのか、と可笑しくなってしまいましたけどね。
子供の心って、外見ではわからないもののようです。
 それに引き換えお兄ちゃんと同じエール大で芸術と人類学を勉強している妹のケィティーちゃんの方は、当時は子供のモデルにならないかと誘われたという位、お人形のように愛くるしい子でしたが、今回はムスっとしていましたね。
時差ぼけもあったのでしょうが、折角の美人さんが勿体無いという感じでした。
 人間って、ほんとうに解らんものです。
次回会う時は素敵な社会人になっていることでしょうが・・・
 そういえば、我が家の一人息子、立派なビジネスマンになったと、口々に褒めてもらいましたが、彼も当時可なり不機嫌な難しい顔をしていたような気がします。
 子供には皆いろんな時期があるのですね。
 それを乗り越えて大人になっていくのでしょう。
 親が真面目に働いている後ろ姿を見せ、温かい家庭を築く努力をしていれば、多少の紆余曲折があっても子供はそれなりに育っていくものだとしみじみ感じました。
 とっても楽しい再会でした。

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March 06, 2006

荒川静香さんと孫のイナバウアー

孫娘のすみれが格好いいイナバウアーを見せてくれました。
勿論、氷上ではなく床の上で、おしめを変えるついでにですけれど。
早い話が単なる寝返りですが、でもでも、荒川静香さんとそっくりの姿勢なのですよ。
雛祭りの日から寝返りが完全にうてるようになったとかで、わが家でもお披露目。
ママがちょっと手を貸していましたが・・・

荒川さんって、赤ちゃんと同じような体の柔らかさを持っているのですね。
あのしなやかさは多分天性のものなのでしょうが、同時に凄い努力で保っているのでしょうね。
体なんてちょっと怠けていると、直ぐ固くなりますもの。
イナバウアー、イナバウアーと世間で大騒ぎしていますが、私はあの方の凛とした佇まいの方に惹
かれて、余り関心がありませんでした。
でも孫のイナバウアー風そっくり返りを見て、人間の体のしなやかさと、それを維持している荒川さんの努力を敬服しています。

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January 09, 2006

子育て今昔

今時の子育て興味津々で見学しているのですが、30数年前と比べてずいぶん便利になりましたね。
これだけ生活様式が進歩したのですから、当然のことでしょうが。
 哺乳瓶の消毒は、電子レンジでチン。
特製の袋があって、それで小さなものは全て消毒できます。
当然オムツは紙オムツ。
義務付けられている車のチャイルドシート、ベルト留め金がほんとに安全を考えてよく出来ています。
昔は赤ちゃんを背中に負んぶしたものですが、今は前で胸に抱っこ。
その為の道具がコンパクトでボタン式、パチンカチンと組み立てると本当に心地よさそうにその中で抱かれています。
 昔よく言われた“抱き癖”と言う言葉は死語になったとか。
小さい内は抱きたいだけ抱いて、構えるだけ構ってあげていい、と保健所等で言われるそうです。
息子夫婦はとてもいい感じで”菫“を可愛がっているので、余計な口出しをするつもりはありませんが、子供の育て方が豹変した感じです。
いつ頃から、変わったのでしょうね。
 あの小さな子供にまるで関心のなかった息子が、孫を可愛いがっている姿、微笑ましいというか、笑ってしまうというが、本当に人間の方も豹変した感じです。
 とてもおとなしい機嫌のいい子で、ミルクの直前以外は殆ど泣きません。
でもお腹が空くと、真っ赤な顔して凄い形相で泣き叫んでいました。
ちょっと女の子にしては迫力有り過ぎ。
 昨年のクリスマスの時は、菫を連れて先祖代々のお墓参り、お正月は氏神様にお参り。
特に教えたわけではないのですが、そうゆう日本の風習を受け継いでくれる息子夫婦を、ありがたく思っています。

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December 27, 2005

4世代揃ったクリスマスパーティー

私の両親、私達夫婦、息子夫婦、初孫の菫と四世代揃ってクリスマスパーティーが出来ました。
息子が小さな時からクリスマスには冷凍の大きなターキーを買って、2、3日掛けて冷蔵庫の野菜室で解凍し焼く のが恒例でした。
今年も是非焼いて菫と写真を撮りたいと思い、しばし考えていました。
 でも前日に母が車いすで退院してき、朝昼晩とヘルパーさんに身体介護に来てもらっている身ではとても無理と、潔くではなくいのですが、渋々諦めることにしました。
 パーティーの前日買い物に近くのデパチカに行くと、7~8人で食べられるような立派なターキーが飾ってありました。
去年は焼鳥屋さんが小さなターキーを売っていただけだったので期待していなかったのですが。
姿形も美しくおいしそうだったので即予約をしました。
グレービーだけは自分で作ることにして。
 父は母がターキーは硬くて食べられないだろうと、心配していたのですが、なんのそのものすごい食欲で皆ビックリ!飲み込む力が弱いので味わうだけですが、みんなに負けないぐらいたくさんしゃぶっていました
病院の食事まずかったのでしょうね。
 菫は3ヶ月でまだミルクだけですが、主人がオルゴールや音のなるおもちゃをいろいろクリスマス・プレゼントに揃えておいたので、おもちゃに埋もれてご機嫌でした。
来年はどうなるか見当も付かない四世代揃ってのクリスマスパーティーが、無事終わってホッとしています。
ターキーは焼けなかったけれど、両親の元気な姿、息子が会社からご褒美に頂いたワイン、菫の笑顔、みんな最高でした。

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December 08, 2005

英国流、子供の守り方-2

息子が1歳半位の時だったでしょうか、手を伸ばせばすぐに腕を掴める位のほんのちょっと前をヨチヨチと一人歩きさせていました。
人も車もほとんど通らないような閑静な住宅地の歩道でです。
前から歩いてきた杖をついたおばあさんに「すぐに子供の手をつなぎなさい!英国では6歳までの子供は必ず手をつないで歩くと規則で決まっています」と厳しい口調で言われました。
慌てて手をつないでしばらくしてそっと後ろを振り返ると、くだんのおばあさんが私達親子が手をつないでいるかどうか、じ~っと立ち止まって見ていました。
 2歳半から小さな20名程の幼稚園に通わせていました。
9時と12時の幼稚園までの送迎は親の責任で、いつも大体付き添ってくる父親と母親の数が半々位でした。
親が皆自営業というわけはないでしょうに、父親が園児の送り迎えをしている事が、当時の私には異様な光景に見えました。
でも今から思えば、父親不在で子育てをしているような日本人の家庭の方がずっと異様なことだったのでしょうね。
社会全体が父親も育児に参加できるような仕組みになっているのです。
 だから、英国の子供達は皆安全かといえば、決してそんなことはないのですが、親が子供を守る為に出来ることはきちっと決めて、社会全体で子供を守ろうとする姿勢がとても印象に残っています。
 毎日のように我が町で見掛ける光景ですが、親がなが~い井戸端会議をしていて、子供が退屈してちょっと危ないことをしそうになると、物凄い剣幕で怒られている姿を見かけます。
ちょっと手を繋いでいれば子供だって怒られないですむことなのに、「あぁ~、親の勝手で怒られて可哀想に」なんて思って見ています。
 もし日本でも小さな子供は必ず大人と手をつなぐ、小学校の間は親が送り迎えをする、子供を一人で留守番させない等、子供を守る規則が作られれば、かなりの子供の事件や事故は防げるのではないかと常々思っています。
 そして余計なことで子供が怒られる回数も減って、親子関係も良くなるのではないかなと思うのですが・・・

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December 06, 2005

英国流、子供の守り方

“水と空気と安全はタダ”と言われた古き良き時代は、残念な事に終わりを告げたようです。
それなのに、子供を守るべき親や大人がその事実にとても鈍感なような気がします。
子供が暗くなるまで元気に外で遊べる時代は終わってしまったのです。
もっともこの頃小さなうちから塾やお稽古ごとで忙しく、そんな子は殆ど見かけなくなっていましたが・・・。
治安は欧米並みになろうとしています。
一人息子を生後5ヶ月からロンドン郊外で育てました。
住居が決まってすぐ、英国はホームドクター制なので近くのお医者様に登録に行きました。その数日後、息子が寝ている間に急いで買い物に行き帰宅すると、ドアーの下に置手紙がありました。
ドクターから、地域に東洋から来た乳児がいると聞いて、保健所が様子を見に来てくれたようでした。
手紙には「英国では子供を(確か12歳以下だったと思います)一人で家の中に置いておくことは禁止されていて、警察に通報することになっています。英国に来たばかりで知らなかったでしょうが、今後気を付けるように」と書いてありました。
「警察に通報する」のくだりですが、その後現実に身近で起こりました。
海外に赴任していると、大人だけの、子供を連れて行けない集まりが時々あります。
そんな時は何家族かの子供達を1軒の家に集めて留守番をさせたりします。
ところが、その日は子供達が夜9時近くまで騒いでいたようで、ご近所の英国人が警察に通報して一騒ぎありました。
そこまでしなくてもというのが日本人の大半の意見だと思いますが、そこまでしても子供を危険から守る、後から後悔しない為に。
何か事が起こらないと対策を講じようとしない日本の関係者を見ていて、危険を出来る限り減らそうとする努力、大切なことではないかと思っています。 次へ

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November 15, 2005

初孫と学校教育

久し振りに会ってきました。
久し振りと言うよりも、9月に生まれて以来2度目です。
 何せメチャクチャ忙しくて、おじいちゃん、おばあちゃんになった気分が出ません。
孫の方は、ほやほやの新米パパ、ママがしっかり付いているし、先は長いのですから、如何しても後回しになります。
 まず91才と88才の世話をして見送ったら、ゆっくりその気になるのかもしれませんね・・・
 孫を抱いて写真を撮るとか、抱く?、抱く?と聞かれるのですが、やっぱり小さくて、落っことしたら大変と思うと緊張しました。
 新米と思っていた、息子達夫婦は慣れたもので抱くのでも「ヒョイ」という感じ。
サ・スガ~~
若い人達は夫婦で協力して育児をしていて微笑ましい限り、時代は変わったのですね。
大らかにゆったりと育てていて、とてもいい感じでした。
 私は昔かなり神経質だったので、子育てにも反映されていたと思うのですが、大らかなのはいいですね。
 息子には小学校のお受験をさせておいてなんなのですが、教育に対しても今のまま大らかに育ててくれるといいな~と思っています。
少子化で菫達は受験戦争がなくなっているといいな~、というのは楽天的過ぎるかもしれませんが、チラホラ耳にするのはとんでもない話が多くて。
二月に子供の生まれた方等、ご近所のお母さまたちが子供の学校教育のことで騒いでいて、奥様が悩んでいるとか、幼稚園を受験するのに、早朝から家族が交代で並ぶとか・・・
はじめ冗談でしょうと思ったのですか、だんだん腹が立ってきましたね。
そんな小さな時から子供の意思に関係なく、親が騒いでいじくり回してどうするのでしょうね?
何処の学校をでたか、大人になったら余り関係ないと思うのです。
伸び伸び育ってほしいな~~
 笑ったり、微笑んだり、ミルクをゴクゴク飲んだり、お澄ましさんしたり、ちょっと泣いてみたりといろんな表情を見せてくれました。
 とても上機嫌でおとなしい、育て易そうな菫ちゃんでほっとしています。
 チョコッとおばあちゃんの自覚が出てきたかな?

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October 15, 2005

赤ちゃんと老人

赤ちゃんの1ヶ月と老人の1ヶ月、成長と老いという大きな差があります。
でもどちらも進む速度が非常に速いという点が同じなのだと、不思議なことに気が付いたような気がします。
 初孫の“すみれ”が生まれて丁度1ヶ月が経ちました。
赤ちゃんは、すくすくと目に見えて大きくなり、顔の表情も豊かに、動きも活発にと、日々成長していくのがわかります。
 老人もまた80代、90代と10年毎に大きく老いが忍び寄り、90歳を越えてからは目に見えて老いていくのを感じます。
91歳の父は、去年まで運転していた車が運転できなくなり、この夏まで丹精込めてしていた庭の手入れが出来なくなり、先月まで行っていた近所への買い物が行けなくなりと一つ一つ出来ないことが増えています。
気落ちしている父に、まだまだ自分で出来ることの方が多いじゃないのと言って、励ましていますが、年をとるとはこういうことなのかと見ていて感じます。
特に母が骨折して再び歩ける可能性がなくなり、その上精神的に不安定になっているのを知ってから、母親の世話をするためにどうしても自分が頑張らなければと気力で頑張ってきた部分が“プッン”と切れてしまったようです。
 大正生まれの父は自立心旺盛というか、遠慮深いというか、私達に迷惑をかけないように、いつも「大丈夫、大丈夫」と言っていました。
でも今は、何かしようか?と聞くと、「迷惑をかけてすまんな~、申し訳ない」と言いながら、
絶対に断らなくなりました。
月末に住み慣れた家を離れ、私家の隣に作った離れに引っ越してきます。
引っ越しの準備を自分でする気力はないようです。
 人生の始めと終わりの速度は、同じなのかもしれません。
赤ちゃんは一つ一つ出来ることが増え、老人は一つ一つ出来ることが減っていく。
そしてその中間の、人生においていろいろな出来事に出会っている時、体は比較的穏やか変化していっているのでしょう。
 今を大切に生きなければ、そんなことをしみじみと感じながら両親の世話をしています。

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July 11, 2005

失敗を許されない子供達

 学校教育は現在、子供の才能を伸ばすには最悪のような気がします。
 盆栽型教育とでも名づけましょうか?
子供の才能が芽生えてくると「チョッキン」と切り取って、皆一緒、皆同じに均等化しようとしてしまう。
 校則で引縛って個性を出させないようにする。
あの校則等という無意味なものが無かったら、世の中の親子関係がどんなに良くなるが、どんなに無駄なエネルギーを使わずに済むかと思います。
あれは先生が生徒を管理し易い為のものですから、先生にとっては意味ありなのでしょうけれど。
 それと主要5科目とかいって点数で計れるものに重点を起き、美術、音楽、スポーツのような点数で計れないものは疎かにする。
 小、中、高、合わせて十二年間の学校生活を少しでも偏差値の高い高校、大学に入る為に点数ばかりを気にして過ごす。
これでは個性や才能の伸ばしようもありませんものね。
 もう一つ気になっている事があります。
学校は、知識を学ぶと同時に、世の中に出て一人前の社会人として行動できる人間を育てる場所でもあります-勿論家庭の方がその役割は大きいのですが・・・
 小中高、12年間の間には数々の失敗も成功もあるでしょう。
何からでも学べるのですが、失敗からより多くのことを得る場合が多いように思います。
それなのに、今の子供達は失敗が許されない、そんな感じがします。
子供たちは常に点数で計られ、競争の世界でいつもいい子であることを求められています。
 お金は稼いでいません、でも行動は大人と大差ないものを求められているのではないかと感じる事があります。
 人はいい成績を取る為に、いい大学に入る為に勉強するのではありません。
いい人生を、自分らしい人生を生きる為に勉強をするのです。
自分の才能に気付き育て、社会に出て世の中に生かす為に勉強するのです。
子 供の時から学ぶ楽しさ、学ぶ習慣を身に付けておくことは確かに必要です。
それ以上に、人の心を思いやる優しさ、自分の気持をコントロールする自制心、思い通りにならなくてもがまんする忍耐力等良き人格を育てることは重要なことだと思います。
 良き人格を備えていてこそ自分の才能を社会で生かすことができるのですから。

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July 04, 2005

親の見栄と、子の無気力

バブルが弾けた後、俗に言う一流企業や一流学歴を持つ人達による不祥事が噴出しました。
これで日本人の一流偏向も少しはましになるかな?と思いきや、そうは問屋が卸さなかったようです。
どうやら少子化が原因かなと思うのですが、この子だけは、自分の子だけは、と期待というか、欲と見栄が高まる一方のような気がします。
 見栄を張るとは、目に見えるところだけを一生懸命やることです。
目に見える子供の成績を上げる、いい学校に入れることばかりに気を取られて、子供の心を育むことを疎かにしているのは、木に例えれば、花を咲かせることにばかり気を取られて根を育てる、肥料をやることを忘れている姿に似ています。
根が、心がしっかり育ってないと、ほんの些細な失敗や友達とのちょっとしたトラブルで倒れてしまい、子供が潰れやすいのです。
 いい学校へ入る為に勉強する。ゴールがいい学校だと、いい学校に入った時点で、又はとても入れないと分かった時点で人生は終わりです。
二十歳やそこいらで、終わってしまうような目的をもたせる親や学校、社会全体に問題がありますよね。
そう考えていくと、無気力な子、引き篭もりになる子、悲惨な事件を引起す子が増えているのも分かるような気がします。
受験戦争で争うこと、見当はずれの期待を掛け続けられること、点数で表面でしか自分の価値を認めてもらえないこと、自分らしさを生かせない人生にきっと疲れきっているのではないでしょうか。
 どの子供の中にも生まれ出る時携えてきた、キラキラ輝く素晴らしい天の才があります。
親がそれを信じることによって輝きは増します。
疑えば輝きは消えてしまいます。
 子供の個性を認め伸ばそうとする、親や社会であったら、ここまで問題は大きくならなかったと思います。
 子供達の為に、そして社会全体の為に、もう少し皆が幸せに生きられる価値観に変えていきたいですね。

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June 02, 2005

今時の若者と大人

極たまにではあるけれど、『今時の若者は』と言う否定的な言葉に違和感を持つ事があります。
 91と88歳の両親が、我が家に離れを建てて一緒に住むことになりました。
 その建築現場でいろんな若者が働いています。
今6人の若者が家の周りに足場を組んでいる真っ最中です。
これがまた、皆よく働くんですよ。
一人の兄貴分の命令に、きびきびとびっくりするほど真剣に動いています。
2階建ての足場ですから、気を抜いたら大怪我になるということもあるでしょうが・・・
若者が声を掛け合って一生懸命働いている姿、清々しいという言葉がぴったりです。
 今世間で話題になっている、ニート、フリーターと彼らはどう違うのでしょうかね。
 まず一番に感じることは、上に立ってる人が上手に若者を使ってるということです。
昨日までの年配の左官屋さんは、お父さんのような態度で若者に接していました。
今日足場を組んでいる人は、ちょっと年上の兄貴のような感じで、5人の若者を束ねています。
「皆一生懸命ですね」とリーダーに言うと「うちの子達は皆よく働くんですよ」と本当に嬉しそうに答えます。
そして見ているとリーダー格の人は、仕事のやり方をしっかり教えています。
  若者達も自分達がただお金の為に使われているのではなく、信頼されその上技術を身につける事が出来ると感じるから真剣に働くのではないでしょうか。
10時と3時にお茶を出すと皆丁寧にお礼を言ってくれます。
気持ちがいい程、礼儀正しいのです。
 何時の世でも基本は同じだと思います。
まず大人がきちっとしたお手本を示す事。
そうでなくては何事も始まらないのではないかと、日々そんな事を感じています。

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May 16, 2005

働く意味、子に教えてますか?

良い見本を大人が示していない事が、今若者が働く事に意味を見いだせない夢を持てない事の、
根本的な原因の一つだと思います。
それは社会全体の責任でもありますが、特に親が身近な人が働くという事にどういう意識を持っているかという事が、大きく関係していると思います。 
 子供が自分の将来の仕事を考える時、夢見る時、テレビ、映画、本を読んで、社会で活躍している方々を見て、普段お世話になっている方々を通してと、皆それぞれに動機は違うでしょう。
でもやはり家庭で親や身近な人が喜びを持って真剣に働いている姿、姿勢を子供に感じさせる事ができているか否か、ここが一番大きなポイントではないかと思います。
 こんな話を聞いた事があります。 町の三代目の魚屋のご主人が、近くに大手のスーパーが出店し売り上げがガタ落ちになって以来、毎晩お酒を飲んでは、「スーパーに顧客をとられた。うちのような小さな店は太刀打ち出来ない」とぼやき、昼間はお馴染みさんに、「三人も息子がいるのに誰も跡を継いでくれない。この店も三代でお終りだ」と愚痴る毎日。それを耳にした知人から、「そりゃあーそうでしょうよ、あなたがそんなに嫌がって愚痴ばかりいっている仕事、息子さんが継ぎたいというわけないでしょう」と忠告され、そのご主人気を取り直して、小さい店には小さな店の利点があるはず。その利点を生かした商売をすれば良いのだと、いろいろ工夫をして生き生きと仕事に励み子供達に将来の店の夢などを語り出したら、なんと三人の息子のうち二人も店を継ぎたいと言い出したとか・・・。
 そうなんです。
神様に“どうぞ息子が家業を継いでくれますように”
“どうぞ娘が一流企業に就職してくれますように”
“子供を何とか定職につかせて下さい”
なんてお願いする必要はないんです。
 働くことは物事を成し遂げる喜びもあれば、同時にいろんな大変な事も、苦労も、疲れる事もある。
でも、人生は社会に出て如何に人の役に立つ仕事ができるかによって決まる。
そして働くことを通して人間として自分自身を成長させ、世の中の役立っているという生き甲斐を感じることもできる。
そういう働くことの意味を、たとえ休みの日に疲れ果てて家庭でゴロゴロしながらでも、子供の小さい時から(子供が就職する年頃になって突然ではありません)折りに触れて伝えてゆくことは、子供が責任ある大人へと成長してゆく為に絶対に必要なことです。  次回へ

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March 02, 2005

皇太子さまが紹介した詩「子ども」

 子育てを卒業しての感想です。
 英国、オランダと息子が生後5ヶ月の時から海外で子育てをしました。
子育ってほんと大変な仕事です。特に今の時代核家族で周りに助けてくれる人がいないと、休む暇のない体力的にも精神的にも重労働です。
でも後から思い返すと、大変なのはほんの一時なんですね。
子供ってどんどん成長していきます。親よりもお友達と一緒の方が良い時期がすぐきてしまうのです。
今一緒にいられる時間を大切にして下さい。
沢山、いっぱい愛情を注いで育ててください。幼少期のほんの一時の親子関係を大切にすれば、後々多少のことはあっても子供は順調に育っていくものです。
 どのように子どもに接すれば良いかが、見事なまでに描かれた詩です。
 米国の教育学者ドロシー・ロー・ノルトの詩「子ども」
  批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる
  殴られて大きくなった子どもは 力にたよることをおぼえる
  笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる
  皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる
  しかし、激励をうけた子どもは 自信をおぼえるも
  寛容にではあった子どもは 忍耐をおぼえる
  賞賛をうけた子どもは 評価することをおぼえる
  フェアプレーを経験した子どもは 公正をおぼえる
  友情を知る子どもは 親切をおぼえる
  安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる
  可愛がられて抱きしめられた子どもは 世界中の愛情を感じとることをおぼえる

 この詩を探して、サイトをおとずれてくださる方が多いので再登場です。


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February 25, 2005

皇太子さまの詩「子ども」

 真っ当な生き方を教える大人がいなくなったから、真っ当な子供や大人が育たない。
皇太子さまが紹介された詩、アメリカンインディアンの教え「子どもたちはこうして生き方を学びます」を詠みながらつくづく思いました。
当たり前のこと、当然のことが詠まれている詩です。
こんな風に育てられたら、みんな素敵な大人に成れるのにと思うような・・・。
 しかし現在の日本ではその当たり前のことを、いかに大人がおろそかにしていることか。
今子供たちが被害者に加害者になる悲惨な事件を次々と引き起こしている、一因だと思います。
 何から始めたらいいでしょうか?
暖かい優しい社会をつくりませんか?
 まず、小さな一歩から。
自分の周りの人に関心を持って下さい。
子供、夫、妻、お年寄り、友人、隣人、同僚に関心を持つ、理解しようとしてみる。
これが人を愛することの始まりです。
 忙しい、そんな暇はないと言わないで下さい。
忙しいとは、漢字で心を亡ぼすと書きます。
忙しい、忙しいと思って子供や人の心を亡ぼさないで下さい。
それは延いては自分の心も亡ぼすことになります。
周りの人たちにちょっと関心を持つこと、始めてみませんか。

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