June 17, 2009
現行法(97年成立)では、「本人に脳死からの臓器提供の意思がある場合のみ脳死は“人の死”(それ以外は心臓死が人の死)」と定められています。
この定義でいくと“人の死”は、条件によってくるくる変わるものなのですね。
そんなバカなことが・・・と思っていたら、法的な整合性がとれるよう「死」を定義する、科学的な死の定義を今国会で決めようとしているようです。
政治家のお仕事は「法律」を作る事なのですから、政治家が「人の死を定義」するのは当然の事なのですが、それでもとても違和感を抱いています。
3年後の見直し規定が放置されて9年経つ現行法。
海外では臓器移植の実施が進んでいるのに、日本では臓器の提供数が増えない事。
世界的に臓器移植は自国での動きある事。
それで、何とかしなければと焦っているように私には見受けられるのです。
「脳死は人の死」と定めるかどうか、重い哲学的判断、生命倫理まで含まれる難しい問題だからこそ、なかなか議論が進まなかったのではないでしょうか。
それぞれの国に、医療制度の在り方、救急医療制度、医師への信頼、命のみとりの文化等の違いがあり、脳死移植への考え方に差が生じるのはいたし方ない事です。
日本には、心身を統合的にとらえようとする仏教的思想が土壌にあり、又、みとりの時間を大切にする文化的な背景もあります。
“死”を国会議員の専権事項にしてしまうのではなく、日本に根ざしている生死感に沿って、国民の選択が反映できるような法体系を整えてほしいと思っています。
朝日新聞の『臓器移植インタビュー』に国会議員で小児科医の阿部知子氏は
「国内でも子供の臓器提供を解禁すべきだとの声が出ていますが」の問いに
「『移植が必要』といわれる子供を減らすことの方が本質的に大事だ・・・本当のよりよい治療をすれば、移植を求める子供の数が大幅に減ると思う」と答えています。
そのことも含め、臓器移植法改正の採決をする前に、議論されるべき問題が山の様にありそうです。
でも何よりも私が感じている事は、物事を考えるには順序というものがあるのではないかと・・・
まず人の死とは、人間がどのような状態になった時をもって決めるのか。
脳死をもって“人の死”と定義する事に、国民が本当に納得できるのか。
そのような議論は、臓器移植に関係する人達を除いてなされた方がより公正なように感じます。
臓器移植についての議論はその後でなされて然るべきものではないかと・・・
その議論の中で、多くの人が納得できる日本型生命倫理を構築していく必要があるのではないでしょうか。
生命にかかわる重要法案が、充分な議論もなされないまま、会期末を控えた時に駆け込みで採決されてしまうことに、不安を禁じ得ません。
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June 05, 2009
「北朝鮮のことは本当に人間の奢り高ぶりですね。地下であのような核実験をしたり、まさに地を汚すという事は、天地の理を狂わすわけであります。
今日の大雨を見て、神様が地を汚されて清めているように思えてなりません。
人間の奢り、自分の権力を示そうとする事が、まさに様々な障害を作ってしまいます。
・・・人間の奢りというのは怖いものです。地下で核実験をして、それによって大地に歪が起こる。起こった歪は、天にも地にも現われます。
人間の奢り高ぶりで起こした事が自然界の流れを変え、水の流れを変え、奢りによって世の中の動きを皆変えてしまいます。
どうすればいいのでしょうか。
祈る事です。お詫びをする事です。
何万分の一でも皆さんがお詫びをして、それこそこのような爆弾の実験をした人々の代わりに詫びをする。
祈るという事は凄い力なのですよ。与える事であります」
天命庵の親さまが“北の核実験”について、こんなお話をされました。
遅々として進まない拉致の問題、独裁者に虐げられている人々、私達の国の上空を飛んでいった自称人工衛星、そして核実験。
いつも『世界の大国が自国の利害ばかり考えているから解決できないのではないか』と苦々しく思っていました。
勿論一番愚かなのは北のトップですけれど・・・
韓国が融和政策を実施しても、国連が事あるごとに制裁決議を出して実行しても、何も変わらないと言うか、おかしくなる一方です。
どうでしょう、こんな時は、祈ってみたら・・・
各人が、それぞれの場で、時間のある時に“北の人々の人間らしい暮らしを、真っ当な政治が行われる事を、核爆発によって汚された自然が清められる事を”心を込めて祈ってみては・・・
祈りには一銭のお金も掛からないのです。
数分間、心を込めるエネルギー以外は何もいらないのです。
人間って不思議なもので、“ただ”だと効き目が無いような気がします。
お高いと如何にも効果がありそうな気分になります。
そうゆう方は変な宗教団体に騙されやすいのですよ。
自然に神に祈るのに、お金は掛かりません。
真心をお供えすれば良いのです。
手詰まりな時は、祈れる人は祈りを奉げる。
大切な事だと信じています。
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June 03, 2009
民主党・岡田幹事長がゲストのタウンミーティングに週末行ってきました。
“岡田幹事長来る”のチラシの折込みを我が自治会の有志で1万数千枚、引き受けました。
小沢元代表の辞任以来、チラシを受け取る人が1.5倍に増えたそうで、追加の緊急作業も請け負ったりしたので、チラシの効果を確かめておきたくもありまして・・・
地元候補者の中塚氏「党首が変わっただけでこんなに風向きが変わるのかと不思議で・・・今後風向がどう変わるか解らないので、気を引き締めていかなければ」と言いつつも嬉しいそうです。
会場は大勢の立ち見が出て満員御礼。
岡田氏の「皆さん!給付金受け取りましたか?」の問いかけで始まって
「間違っても受け取って「有り難う」なんて思わないで下さい。
あれは自分の払った税金が戻ってきただけなんです。
そもそも「国のお金」などというものは一銭もないんですよ。
国のお金とは、全部皆さんが払った税金、保険料、消費税なんです」
TVや新聞で知っている内容でしたが、直接聞くのはやはりいいですね。
まず、司会者、他の出演者、コマーシャル等に遮られないので話がアチコチ飛ばずに主張がしっかり聞ける事。
後半、質疑応答があったのですが、的を得た質問から、何が聞きたいのか???の質問までいろいろ出ました。
その日、県内を6ヶ所講演に廻った最後が我が地だったそうで、お疲れの様子の中、どんな質問にも几帳面に誠実に丁寧に対応しておられました。
生だと、お人柄がモロ見えます。
堅物とか融通が利かないとか耳にしますが、政治家にこうゆう筋の通った生真面目な方がいるのも良い事かもしれません。
余りにも今の政治家さん、融通が効き過ぎて、ご自分の主張がブレまくっていますもの。
何党でも良いのですが、お近くで政治家又は候補者の講演会があったら、是非顔を出してみて下さい。
国の、そして自分の、子供の、孫の未来を託して大丈夫かどうかを確かめに。
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May 31, 2009
北朝鮮、補正予算、インフルエンザ等など問題山積の中での、45分という短時間の党首討論。
それでも、鳩山氏、「友愛」について語られました。
抽象的との批判を気にしてか、三鷹の小学校の例を出して。
確かに超具体的な話だったのですが、それを国又は地方の政策として、どのよう実行してゆくか、国民に何をしてほしいかが、やっぱり見えてこないのです。
おっしゃりたい事、私にはとてもよく分かるのですが・・・
息子は生後6ヶ月から4歳半までロンドンで過ごしました。
1歳の検診は、お近くの古いレンガ造りの民家がにわか検診所になります。
赤ちゃんがハイハイしても大丈夫なようにぴかぴかに磨き上げられた床、子供達が裸でも寒くないように赤々と燃さかる石炭ストーブ、赤ちゃんのお世話してくれる人、育児相談に乗ってくれる人、全てボランティアの手によるものです。
片付けは全員で。
皆で安全を確認し、鍵を掛けて民家を後にしました。
その古い民家、折々の集会に使われていました。
息子の通った幼稚園は英国国教の教会、体育館位の大きさの半地下が平日9時から12時まで幼稚園になります。
朝、教会の倉庫から子供達の遊び道具を出して、にわか仕立ての幼稚園が出来上がり。
2才半から5才までの男女20人に先生4人。
30年前の事ですが、保育料は週15ポイント(日本円にして1,500円位)入学金なし。
そんな幼稚園がひっそりと所々にありました。
もちろん建物も庭もある、日本の程大きくはありませんが、幼稚園もありました。
ある日、先生一人と女の子の為に、お別れ会が開かれました。
先生と女の子は親子で、子供が小学校に上がるので、先生も本業の小学校の先生に戻る為です。
子供の成長に合わせて、仕事の内容も時間も選べる。
自分にとっても、社会にとっても、有益ですね。
当時の英国が理想的な社会だった等というつもりはサラサラありません。
ただ、身に丈に合った社会を築いているような気がしました。
新しい大きな箱物、近代的な設備等を求めないで、あるものを上手に活用する。
人材もボランティアから有償の人まで、上手に働いてもらう事によって、温かい人間関係のあると社会と大きな節税が出来ると思うのです。
さて『三鷹の小学校の話』を民主党の政策の中にどの様に生かし、私達国民にどのような形で「友愛社会」作りに参加して欲しいのか、見えてこないですね~
私はそこが知りたいのですけれど・・・
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May 26, 2009
ここ2ヶ月近く、巣篭もり状態が続いています。
先日、久し振りにご近所のデパートへ。
夕方6時過ぎると地下の駐車場に待たずに車を停められます。
駐車場から売り場へのエレベターの中で、営業時間を書いた張り紙を見て、仰天!
食料品売り場は7時半まで、他の階は6時半までと書いてあります。
今まで連日夜8時まで営業していたのですが「営業時間変更のお知らせ」とも「何時から」とも書いてありません。
紙が“ぱらっ”と貼ってあるだけ!
外商から、3日に開けず種々の催し物のダイレクトメールが送られてきます。
でも、一度も営業時間の変更なんてお知らせありませんでした。
ばったり会ったケアマネに「3階でどうしても買いたい物があるやけど、何時から変わったん?」と聞かれましたから、私が見逃したのではなさそうで・・・
何年前までだったでしょうか、デパートは週1日お休みがあり、夜も6時半か7時まででした。
コンビニも当初は“セブン・イレブン”の名の通り、朝7時から夜11時までの営業でした。
それが今や24時間営業、我家から歩ける範囲に7店舗もあります。
それでも成り立っているのは、需要があるということなのでしょうが・・・
欧米に長い間住んでいました。
宗教上の理由から日曜日(キリスト教の安息日)営業しているお店は殆んどありません。
教会へ礼拝に通う人は年々減っているようですが、日曜日の休業は変わっていません。
日曜日は、街中というか、国中がしっとりと落ち着いた静けさに包まれていました。
そのような静かな時を持つ事、心身共に必要ではないかと思います。
年中無休の業界は交代でお休みを取っているでしょうが、他の皆が働いている中で休むのと、社会全体が緩やかなお休みモードなのとでは気分的に全然違うでしょう・・・
この頃とみに感じるのですが、日本人って(簡単に一括りにしてはいけませんが)何か余裕がないですね。
社会全体に、ゆっくり落ち着いて物事を考える時間も気持ちのゆとりも無いような・・・
マスコミが煽ると「ワー」と一斉に同じ方向に流されていくのは、国民性もあるでしょうが、そんな事も一因ではないかと思います。
物質的には今ほど豊かでなくても、精神的にもう少し余裕のあった一昔前の普通の落ち着いた生活に、戻るのってどうでしょう?
ただその為に仕事を失う人達が出ないよう、社会の構造から変えてゆく事が必要ですけれど。
余りにも速さ、便利さ、快適さを求め、無駄が多い世の中で、デパートの営業時間短縮は良い事と受け止めています。
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May 21, 2009
民主党の党首選の当日、自治会の民主党の元議員さんの為に、我が家で一万枚のチラシの折込み作業をしていました。
党大会のTV中継はつけていたのですが、開票時には有志の皆さん作業に没頭していて、誰も党首選など気にしてない状況に・・・
ああゆう、単純作業は嵌まるのです。
それと、元議員さんは支援しているけれど、民主党の支持者かと言うと???という方が
多いようで・・・
一万枚のチラシ、月末にご近所で開かれるタウンミーティングに岡田氏がゲストとしてみえるお知らせです。
岡田氏のタイトルが副代表と印刷されています。
もし岡田氏が代表になったら、このままでポスティングはまずいのではないかな?などと考えながら、作業をしていました。
私は因みにどちらかといえば鳩山氏、彼の掲げている「友愛」の言葉に関心があったものですから・・・
代表に選ばれた翌日、田原氏のサンデー・モ-ニングに出演し、「友愛」について説明をしておられるのを聞いて全然何を言いたいのかが伝わってこず、正直がっかりというか、歯痒い思いを抱きました。
ゲストのお一人が、“鳩山氏の考え方を、自分は北欧の福祉社会を研究しているので良く解る・・・”とコメントしていました。
私も僭越ですが、多分氏が「友愛」と言う言葉を通して伝えたいであろう事がわかるような気がするのです。
でもそれを一部の人だけにではなく、国民が理解できるような言葉で説明できなければ、ただ単に“抽象的な理念をうたう”だけになってしまいます。
はなはだ勝手な私の思いなのですが、
「お金儲けの為なら手段を選ばす、自分さえよければ何をしてもよい、そんな雰囲気が蔓延している今の社会を変える。相手を思いやる心、自分の出来る事で互いが助け合い、支えあう社会を創り、極端な格差を無くす、それが愛のある社会」位の事を言ってほしかったのですが・・・
今の世の中に、宗教がらみではなく“愛”という言葉が出てくる事をとても素敵な事だと思っています。
期待していただけに『ひょっとしたら鳩山氏、小沢氏と同じ位ご自分の思いを言葉にするのが下手な方なのかも・・・』と思った程。
27日に党首討論会があるようです。
その時には、皆に分かるように説明してほしいですね。
毎日我家の前を通られる元議員さん、学生時代に比叡山でボランティアをし、延暦寺の大阿閣梨から教えを受けた方です。
「友愛」どの様に受け止めておられるのか、是非聞いてみなくては!
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May 14, 2009
“お花屋さんが開店、ご町内が華やかになりました”(4月15日)の記事で書いたお店です。
お若いご夫婦、見事なまでに商売上手です。
銀行員だった主人が見ていて勉強になる、と感心する程。
お店が綺麗で、ディスプレイが上手で、広々していて、入り易い。
お向かいのデニーズでお食事したオバ様達が「あら、お花屋さん」と吸い込まれるように店先のお花を見に行きます。
そして、可愛い紙に包まれた花束を抱えて出てきます。
買わなくては損!
そんな気持ちにさせてしまうお値段。
でも“安かろう、悪かろう”ではないのです。
その証拠にリピーターが多いのです。
主人の同窓生が「家内がはまってしまって、お宅の近くの花屋に毎日自転車で通っているよ」と言う位
花屋さんに毎日?
日替わりで、いえ午前と午後で、お買得で並んでいる花が違うのです。
スイトピー50本、ガーべラ50本、スプレー・カーネイション50等の切花が各399円
インパチエス、ベコニア、マリーゴールド等、苗は1株69円
お安くて品質が良い。
今お庭で咲き誇っているインパチエス、例年40株求めるのですが、ここのなら30株で充分だったみたいです。
1つ1つの株の形が整っていて、根がしっかり、蕾が一杯、それで1株68円。
お値段も安いけれど、今までにこんな良質な株に出会ったことがありません。
夕方になると宅急便が、発送用のお花が入った大小の箱を取りにきています。
当然の事ながら“お買い得品”だけが売れているわけではありません。
「年中無休で、大変じゃない?」と聞いたら
ひまわりのような奥様「なま物だから、休むと無駄が出て・・・花に囲まれていた方が楽なんです」
お好きなんでしょうね。
いつも笑顔で喜々と、そして身を粉にして働いておられる感じ。
父のお見舞いのお花をラッピングする間、幾らもう足は「大丈夫」といっても「座っていてください」とイスを用意してくれます。
「お年を召した方が買いに来てくれるので、お店の前にベンチをおこうかと考えているんですよ。皆さんお店の前で、長話しておられるのでゆっくりして頂くのに・・・」
お若いのに、そうゆう細かい心遣いが出来るご夫婦なのです。
お人柄、お値段、良質、買い易い、これだけ揃えば繁盛しますよね。
「お店が落ち着いたら、自治会の行事に参加させてもらいます」とお夫婦で言われています。
是非、どうゆうスタンスでお商売をしておられるのか、聞いてみたいですね。
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April 23, 2009
ご町内の民主党の元議員さん、悪いことに?“一新会”のメンバーです。
彼の事務所と駐車場の中間に我家がありまして、始終前を通られるのですが、小沢氏の事件の後心なしか元気がないような・・・
京大の金属工学科卒、ご専門通りお堅くて真面目、浪人中の4年間コツコツと地道に政治活動を続けておられました。
見る方は見ているのですね。
事件の後、ご挨拶に行くと『党はどこでも良い。党首も誰でも良い。でもあなたに当選して欲しい』と言って下さるそうです。
自治会で彼を応援している人達も同じ思いのようです。
いつものセリフですが“人間、最後はお人柄”ですね。
主人は頼まれて選対の幹事長を引き受けています。
先日、自治会の“防犯パトロール”の後、庭の藤棚の下で飲み会をするというので準備をしていたら、若い秘書さんが現れて「チラシの折込みをお願いしたいのですが・・・」と申し訳なさそうに・・・
「何時までですか?」と聞くと
「急な話で申し訳ないのですが、明日の午後3時頃までに・・・」
「何枚位?」
「5千部なんですが・・・」
一瞬、これは夜なべかな?と思いましたね。
翌朝9時過ぎ、チラシが運びこまれました。
飲み会の時、ご協力願える方を募ったら急な話だったので5名。
そして唯一の女性の私。
5,000枚といっても、6人集まれば一人800枚ちょっとですから、2時間程で無事完了。
「お手伝いする事があったら、いつでも言って下さい」と秘書さんに伝えてあるのですが、この“悩ましい捻挫”を何とかしないと・・・
総選挙、何時なんでしょうね!
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March 15, 2009
連日の不況報道、どこもかしこも「景気が悪い」「不況」「100年に一度の不景気」という言葉で溢れかえっています。
天命庵の親様が「どうしてこの様に景気が悪くなるかというと、皆が『景気が悪い、景気が悪い』と言うから、景気が悪くなるのです」と言われました。
聖書のヨハネによる福音書は「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は始に神と共ににあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった・・・」と、続きます。
皆が「景気が悪い」と思い、それを口に出し言う。
だから、皆の思っている通り、皆の言葉通り、世の中は「不景気」なのです。
何にも不思議ではありません。
当たり前のことです。
ではどうすれば良いのでしょう。
経営の神様といわれた故松下幸之助氏は「不況は天然現象ではない。我々が人為的に作ったものです。人為で作られたものは必ず人為で克服することができる」と言われたそうです。
そして「行き詰まっても行き詰まっていない、と考えなさい」「気持ちまで不況になるな」とも・・
日本は今までにもっともっとひどい時期を乗り越えてきまたはずです。
それらの時と今と何が違うのでしょう。
テレビやさまざまなメディアが、絶え間なく「不況だ。危機だ。倒産だ。人員整理だ。」と悲観論を振りまいています。
次々とそして繰り返し悪い情報ばかり流されると、人間って思考が止まってしまうのではないでしょうか。
うまくいかないのは不況のせいと全てを責任転嫁したとたん、自分で何とかしようという
気が萎えてしまいます。
「経済は人の心の関数」と言った方があります。
今、人の気持ちが完全に不況に飲み込まれています。
日本語は凄い言葉ですね。
「景気」という言葉の中にちゃんと「気」という言葉がはいっていますもの。
景気を良くするも、悪くするも気持次第。
『皆が「景気は良くなる、景気は良くなる。有難い、有難い」といえば、世の中は有難い世の中になります』と天命庵の親様は言われました。
(この景気が良くなる、とはバブルのような異常な好景気の事ではなく、まっとうな経済社会になる事です。念の為)
そんな簡単な事で!と思いますか?
でもそうなのです。
それが言霊の力であり、聖書に書かれている「・・・すべてのものは、これ(言葉)によってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった・・・」の意味でもあるのです。
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January 08, 2009
国の財政が豊かであるならば、有難く返してもらいます。
でもね、財政赤字の額が数字に弱い私には想像もできないのですが、1000兆円を超えていて、毎秒増え続けているとか言われているのに、返してもらってもね・・・
我家は特別お金持ちではありません。
でも給付金をもらわなくても充分生活出来る程度には豊かです。
やはり2兆円はこの大不況の中で生活に困窮している人を救うために、皆が人間らしい生活を送ることが出来るように、使って欲しいと思います。
「過っては則ち改むるに憚る事なかれ」
(過ちをおかした時は、ためらうことなく、すぐに改めよ)
定額給付金を過ちというのは、言い過ぎかもしれませんが、もっと世の中の為になる使い方があることだけは確かだと思っています。
それに、全国民に配る為の事務経費が800億とも1000億円とも聞きます。
それだけのお金があれば、どれだけ多くの困っている人を助ける事ができるでしょうか?
まあ、公明党と連立を組んでいる以上、撤回は絶対無理なのでしょうけれど。
年末年始に、日比谷公園で「年越し派遣村」というのがありました。
いろいろな批判もあるようですが、この寒空に住む所も食べる物にも事欠いた人達が、人の温もりを感じながら年を越す事ができた。
その人達の中に、働く気のなさそうな人がいても「派遣切り」で無い人がいても、良いのではないかと思っています。
困っている人には、それぞれが出来ることで助けて差し上げれば良いのではないでしょうか。
「年越し派遣村」の事を知って、主人と相談し「有難うございます」の一言を添えて僅かですが寄付を送りました。
以前にもこのブログで書いたことがあります。
何かのご縁で同時代に宇宙船地球号に乗り合わせた仲間、支え合い、助け合って、暮らすことができれば、安心で安全な社会を築いてゆくことができます。
それは、お人の為でもあり、又自分自身の為でもあるはずです。
2兆円、何とか有効な事に使われることを願っています。
私達の払った税金ですから。
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November 12, 2008
「どのような急患も受け入れる」ことを開業以来25年間守り続けている、千葉県にある病院の副院長の言葉です。
数日前の朝日新聞「救急患者 拒みません」で紹介されたこの病院の理念の中に、これからの医療改革へのヒントがぎっしり詰まっているような気がしました。
『先ず医師が患者を見る事。産婦人科はないが、妊婦も断らず、とにかく患者として受け入れる。患者は一般医が診断し必要に応じて他の医療機関に転送する』
その病院は『医師の住宅整備や研修、学会への参加支援など、仕事環境の充実を図ることで規定を上回る医師確保、若い研修医の人気も高い』そうです。
今の医療問題―救急患者の受け入れ拒否、医師不足、医療事故と医療訴訟の多さ―は、厚生労働省の政策ミス、医師の対応の悪さ、患者の専門医志向とすぐに訴訟を起こす、が微妙に絡み合っていると常々思っています。
一人一人が、それぞれの立場で“当たり前”の事を確実にこなせば、自ずと住みやすい世の中になると思うのですが・・・
医師は医師としての“当たり前”の事を、そして患者は患者として“当たり前”の事を。
患者の“当たり前”って何でしょう。
お医者さまは、一般の人よりも医術の勉強をし、経験を積んでいても、普通の人間であり完璧ではないという事。そして人間の命には限りがある事を、患者はもっと自覚するべきではないでしょうか。
お医者さまは、どんな病気でも魔法使いのように治せるはず、そんな過剰な期待をかけ、何かあったら訴える。
これでは医師の成り手がいなくなるのは“当たり前”です。
そういえば、ご近所の元衆議院の方が「今の世の中を変えるのはそんなに難しいことではない。当たり前のことを当たり前にすればよい。・・・皆が普通に生活していける世の中にするには奇策はいらない、慣例やしがらみに囚われず、当たり前のことが当たり前として通る政治をすればよい」と言っていたのを思い出しました。
政治家が政治家として当たり前の政(まつりごと)をする。
国民は選挙権を、当たり前の責任と義務として行使する。
ただこの当たり前が、
金儲けのために、人を騙しても当たり前。
税金の無駄遣いは当たり前。
学校給食代は払わなくて当たり前。
と誤用されていて、とても残念です。
そんな中、一昔前の“当たり前の理念を実践して成功している病院があるなんて、嬉しいですね。
『今の世の中を変えるのはそんなに難しいことではない。当たり前のことを当たり前にすればよい』
名言です。
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November 08, 2008
青春の6年間を N・Yで過ごしました。
40年近く前の事です。
オバマ氏が勝利宣言をするまで、どんなに有利との情報を見聞きしても、アメリカ人がアフリカ系(黒人)の彼を大統領に選ぶかどうか、半信半疑でした。
当時、人種のるつぼで、実力があれば誰にでも平等にチャンスが与えられると言われていたN・Yですら、表立っては現れてこない人種差別の意識が社会の根底には歴然と流れているのを常に感じていました。
今でも米国人の3割が何らかの人種偏見を持っている、との調査結果があります。
44代アメリカ合衆国大統領が初のアフリカ系という事が、まず話題になり、そのことに目を奪われがちです。
しかし、冷静に考えてみると、彼が大統領として最も相応しい資質を持っていった、そしてアメリカ国民の“現状への拒否”がオバマ氏を選んだ。
その彼がたまたまアフリカ系だった、ということのような気がします。
彼の持つ言葉の力、天性の演説力
いかなるときも感情に流されない冷静さ、落ち着いた人柄
多様性や寛容さを感じさせる主張、
どの国の誰とでも話をする用意がある
貧富、人種、世代、イデオロギー、全てを包括し、溝は埋められると、人間の良識を信じる力
核のない世界を目指す、との公約
人間として懐が深い。
心の広さを言葉で現し説得する能力、コミニュケーション能力が凄いですね。
今、アメリカに世界に必要とされる指導者の出現。
ちょっとオーバーな言い方でしょうか?
熱狂の嵐は、厳しい現実の前に落ち着いていくでしょう。
待ったなしの世界情勢ですが、根本から立て直すには時間が必要です。
彼には支持率が上がろうが下がろうが、4年という任期があります。
ジックリと腰を据えてアメリカを再生して欲しい。
青春を過ごした、第二の故郷にそんな思いを抱いています。
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November 04, 2008
「やろうと思えばできるんじゃん!」聞いてまず初めに思った事。
これだから健全な野党は必要ですね、絶対に!
民主党の選挙公約、高速道路料金無料化を意識しての政策である事は明らかですから。
去年、大連立という話がありました。
今度の総選挙の結果次第によっては又蒸し返されるかもしれません。
国民の為に切磋琢磨してよりよい政策を作り出す為に、限りなく政権担当能力のある野党の存在は不可欠だと私は思っています。
次に、何故乗用車が優遇されるのか、不思議です。
曜日、時間帯、ETCを搭載しているかどうかによって違ってきますが、
東京から大阪まで:
自家用車 1,000円
大型トラック 15,000円
原油が急騰していた時、大型トラックの運転手さんが「会社がコスト削減のために高速道路代を負担してくれない、帰りの積み荷を自分で探さなければならない・・・」等々、苦境を訴えていました。
彼らに追い打ちをかけるのでは・・・
今回の政策は、観光やレジャーの活性化の為だそうです。
でもその前に、するべき事があるのではないでしょうか?
商品、原料を運ぶ大型トラックの高速道路料金を抑えれば、物価の上昇を大きく抑える事につながります。
働く ―人のために動く
働く(はたらく)―傍を楽にする
優先されるべきは、こうゆう方々ではないでしょうか?
社会の弱者―幼子・高齢者、障害者、そして働く人を大切にしない国は荒廃していく、そんな気がしています。
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October 28, 2008
ドルが高いので、来月、息子家族と行く海外旅行用のドルを気楽に買い出しに。
レートが銀行よりお得、と派手に広告している我家から数分の金券ショップに行ってみました。
確かに銀行よりも1ドルにつき0.5円程お安い。
でも、そっけなく「ドルは売り切れです。何時入るか分かりません」
“お金が売り切れ”って、なにか不思議な感じ・・・
この時点では、金券ショップだから沢山おいてなかったのだろうな~と、軽く考えていました。
ところがどっこい、
大手MS銀行
「ドルはありません。朝から大口のお客様が多くて直ぐに無くなりました」
日本一のM銀行
「只今手持ちのドルはございません。トラベラーズチエックなら未だありますが、如何ですか?」係りを呼んで直ぐにも買わせそうな勢い。
手続きがめんどくさいのでヤメ。
それから地銀へ
「申し訳ございません。ドルは全て無くなりました。明朝、入ってきます。10時半に次のレートが発表されるまで、今日と同じレートでお取替えしております。すぐ無くなると思いますのでお早めにおいで下さい。
外貨両替予約サービスもありますが、如何ですか?」
パンフレットだけ頂いてきました。
M銀行
あら不思議!大きな銀行って、皆、頭文字“M”なのですね。
「ドルはございません。明朝、10時頃その日のレートが決まった時点で売り出します」
へ~~、レートは同じでも銀行によって売り方が違うのですね。
別に急いで必要では無いので、いい加減で止めようと思ったのですが、お隣にもう一軒地銀があったので、駄目もとでトライ。
「ございます。如何ほど両替いたしましょうか?」
「1000ドルパック(種々の額のお札が入ったもの)ありますでしょうか?」
と聞いたら、行員さん奥へ行って慌てて三人ががりで数えて、50ドルと10ドル札でなら揃うとの事。
それでOKにして買ってきました。
夕方のニュースで“お正月に海外に行く人等が円高でドルを買い、両替店でドルが無くなる店も・・・”と伝えていましたが、甘い、甘い。
そんなものでは無かったですよ。
各店で、朝のうちに無くなったと言ってましたから。
おっとりとドル買いの凄い波に突っ込んでしまった私は、ただただビックリ!
皆さん、世の中の動きに敏感に反応するのですね。
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October 05, 2008
昨日、ご町内の民主党元国会議員夫人から『集まりがあるので是非おいで頂きたい』との電話。
今日は遠縁の国会議員の後援会から「選挙区在住の方をご紹介下さい」との依頼の手紙。
小泉さんの郵政民営化選挙の煽りで只今浪人中の自治会の元国会議員さん、我家から見える所に事務所があります。
夏祭りの“鉢洗い”に見えた折、このご時勢ですから自治会員からいろんな質問を浴びていました。
彼曰く「今の世の中を変えるのはそんなに難しいことではない。当たり前のことを当たり前にすればよい。政治は国と国民の為のもので個人や特定の人の為の物ではない。
だめなものはダメ、おかしいものはおかしい、と政治家がはっきり言わなければいけない。皆が普通に生活していける世の中にするには奇策はいらない、慣例やしがらみに囚われず、当たり前のことが当たり前として通る政治をすればよい」と・・・
彼は京都大学工学部卒の政治家としては変り種。
担当教授が“政治家を目指している”と聞いて絶句したそうな。
学生時代ボランティアで出会った比叡山延暦寺の高僧が人生の師とか。
彼の話を聞いていると、天命庵の親様が常々言われている事と相通ずるところがあるのは、そんな所からきているのでしょうか?
ただ小沢党首の下で、彼の考えている政治がどれだけ通じるか、未知数ですけれど・・・
彼は、2世議員でもないし、特に資産家でもなさそうですし(失礼)、可なり難しいものがありそうです。
“志”のある人が国政に関われる国にしなければ、日本の未来は暗いのですけれどもね。
私は特に民主党支持というわけではありません。
同じご町内だから、よく存じ上げているから、との理由で国の政(まつりごと)を任せる人を選ぶつもりもありません。
今までもそうでしたが、選挙は政党ではなく人物本位で選ぶ事にしています。
さてさて夫人からの電話を、講演会への出席依頼と勘違いしてOKと返事してしまったのですが、後から届いた案内状を見てビックリ!
緊急『打合わせ会』とあるではありませんか。
総選挙へ向けての集まりらしい・・・
主人に「どないする?」
「行くって返事してしまったんだろ?応援はするけれど、忙しくて選挙運動を手伝う暇はないから、黙って聞いてくるよ」
とは言っても、そうゆう席で黙っていられる性格の人ではありません。
絶対に一人で仕切ってきますよ
まずいな~~。
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September 25, 2008
冠婚葬祭の折に会う程度の関係ですけれど・・・
はじめから麻生さんの出来レースだと分かっていても、やはり気になるものです。
候補者の中で最高齢、体力的な事もあり。
党員ではない私には総裁選自体は直接関係のないことですが、自民党の総裁はこの国の首相になり、政策が国民の生活を直撃することでもありますし。
彼自身は誠実な人柄で、言うべき事は言い、お金にきれいなところが政治家として立派だ、と主人はいつも言っています。
でも彼個人がどうこうという以前の問題として、自民党にこのままこの国を任せておいて大丈夫なのか、という大きな不安を抱いています。
かといって民主党というのも、ちょっとね~~
国民が政治にきちっと参加している海外で長く暮らしていた事。
又、昔、主人が自由党から出馬という話があった事もあり、いつも政治に関心を持っています。
今回の総裁選を見ていて気になったことを幾つか。
何故いつも候補者5人がめだかのように群れをなしてつるんでいなければいけなったのでしょうね。
本当に自分の主義主張を伝えたいのなら、それそれが自分の主張を1番訴えやすい場所で、方法で立候補演説するべきだったと思うのです。
毎日毎日どのチャンネルを回しても同じ5人組の顔が同じ席順でとなると、幾ら司会者が変わってもね~
司会者の突っ込みで主義主張が変わったら、それはそれで問題ですし。
ということは、いつも同じ話を聞かされるということで・・・
その上、総選挙で票のとれそうな目先の話が圧倒的となると、どうもね~~~
食料の多くをエネルギー資源の殆どを輸入に頼っている国として、唯一の被爆国として、国際社会とどう関わってゆくのかを含めた世界観、熱く語って欲しかったですね。
安心して子供が生め、安心して子育てが出来、安心して年をとれる社会。
それらこれらの問題を、何か全てお金で解決しようとしているような・・・
物事は全てお金で解決出来るのでしょうか?
確かにお金は大切です。
なくてはならないものです。
でも同時に、私的にはそれ以上に、人と人との繫がり“人間パワー”を生かすことによって解決できる部分も多々あるのではないかと考えています。
寛容な精神、助け合いの心、譲り合い、生きやすい社会をつくるための人間としての基本的な考えかた抜きで予算だけ弄っても、お金が底なしに掛かるだけではないでしょうか?
平和と命と環境はつながっている。
どれもお金では買えない。
そんな事を考えさせられた総裁選でした。
遠縁の彼は留任。
国民の為に頑張ってくれる事を祈っています。
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September 01, 2008
天命庵のお庭で親様のお話を伺いながら、アフガンで亡くなった伊藤和也さんの子供のような純真な笑顔を思い出していました。
《何故、今の世の中はこんなにもおかしくなってしまったのでしょうか。
それは「自分さえ良ければ良き事」という心がはびこってしまったからです。
『自分だけ有名になればいい、自分だけ幸せになればいい、自分だけ豊かになればいい』という心。
分け与えていないのです。
自分が沢山の愛を頂いたら『それをお返しさせて頂きます』
沢山の力を頂いたら『自分も何か人の為にさせて下さい』という気持ちが無くなっているのです。
頂いたら返さなければいけない。
昔は木を切ったら新しい苗木を植えたものです。そうしたら森は、また森となります。
今の人の考え方は、木を切りました。立派な木を頂いて『ああ良かった、よかった』で終わってしまう。
未来のことを考えません。
木を切ったら次の木を植えていく。新しい森を造っていく。そういう考えが無くなりました。
皆さんも幸せな事を頂いたら「自分も何かさせて頂きたい」という気持ちが無くなっている。してもらうことばっかりを皆願っている。「させて下さい」「何か自分にもさせて下さい」という心が失せているのです》
彼のような人は、おかしくなってしまった今の世に、最も必要とされる、貴重な存在だったのに何故あんな悲惨な事に・・・
「ペシャワール会」のホームパージは、
『誰もが行きたがらない所に行き、誰もがやりたがらないことをする』の言葉で始まっていました。
《子供たちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう力になりたい。アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に戻すことをお手伝いしたい》が彼の動機でした。
他者への誠の愛、人に与える事の大切さ、未来を見据える目、を兼ね備えた方だったのですね。
そして何よりも凄いと思うことは、穏やかに楽しそうに喜んで現地の人々と働いている様子が、数々の写真から伝わってくることです。
彼はアフガニスタンの現状と「ペシャワール会」の活動の意味するところを私達に伝えて、この世を去って行ってしまいました。
私にも息子がいます。
もし、アフガンでお人の為に働きたいと言ったら、私は送り出す事ができるでしょうか・・・
伊藤さんは立派な方でした。
そして彼の崇高な志を理解したご両親も、ご立派だと思います。
彼の志が受け継がれてゆくことを願いつつ、そして、私も自分に出来る小さなことをコツコツと続けていきたいと思いつつ、僅かですが「ペシャワール会」に寄付を送ってきます。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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August 16, 2007
東に報復の戦争が起こりそうだと聞けば、武力は武力の、暴力は暴力の、憎しみは憎しみの果てしない連鎖を招くだけで何の解決にもならないことを説きに駆け付け。
どんな戦争にも良い戦争というものは絶対にないはずです。
人の尊い命を奪い人の生活を地球を破壊するのが戦争の本質だからです。
西に宗教戦争があると聞けば、仲裁の為に駆け付け。
日本は現在あらゆる宗教がそれなりに仲良く共存し、そしてほとんどの国民は自分が無宗教だと信じている、世界から見て宗教的に偏っていない無色透明に近い摩訶不思議な国です。
だからこそ紛争国の意見を中立の立場でじっくり聞いて、仲介のお手伝いをするのに打って付けです。
南に貧しさからくる内戦が起こっていると聞けば、貧しい人々が自立できるように資金と技術援助をしにお金を持って駆け付け。
そうです世界平和の為に動き回る資金は、私達日本国民の大切な大切な税金です。
同じ私達の税金を使うのなら、戦争の後方支援や戦後の復興支援の為よりも、争いを未然に防ぐ為に使った方がずーと有益です。
今医療でも病気の発生を抑える予防医学と健康を維持・向上させる健康増進に力を入れている時代ですもの。
平和予防と平和増進に私達の血税は使って欲しいと思います。
北で独裁者が自国の力を誇示する為に核を持とうとしたり、国民を圧制していると聞いたら、周りの国々と結束し皆で知恵を出し合って独裁者に退陣を促がす為に飛び回り。
人も国も一人では一国ではこの地球上で生き延びられません。
他者と他国と協力し合って始めて存続することができます。
そして自国の利益のために独裁者を手助けする国があったら、核戦争がどんなに悲惨なものかを唯一の体験国として訴え、援助しないように説得するのです。
私は日本に、そんな国に成って欲しい。
何から始めましょうか?
詩人、谷川俊太郎さんの言葉、
「人を憎んだり、差別したり、無理に言うことを聞かせようとしたり、自分の心に戦争につながるそういう気持ちがないだろうか。 自分の気持ちと戦争は関係ないと考えるかもしれないが、それでは戦争はなくならない」
あなたが地球の為、子孫の為、自分の為に世界の平和を願うならば、まず自分の身近な所から平和な雰囲気を醸すし出していきましょう。
夫婦、親子、子供、隣人、友人、同僚等皆と仲良くして先ず小さな平和を創る工夫をして下さい。
争いを起こさないで下さい。
物事は全て小さな小さなことから始まります。
“なーんだ”と思うような、ついおろそかにしてしまいそうな小さな事から全ては始まっているのです。
自分の出来る小さなことを一つ一つコツコツと努力していくことが、結果的には平和を成す一番の近道だと思います。
平和の旗を振るには日頃からそれに相応しい行いをしていなければなりません。
信頼されうる国造りをしていなければ、どんな正論を説いても国際社会で相手にされないでしょう。
国民一人一人が平和への思いを地道に積み重ねて始めて叶うことです。
ある平和外交家が「平和は生まれてくるのではなく自分達で作るもの。言葉ではなく行いによって日常生活の中で実践していくもの」と言っていました。
きな臭い昨今、神の教えを学びながら、私なりに平和についての日本の役割をこんな風に感じています。
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August 03, 2007
参議院選が終わっても、自民党の惨敗、安部総理の続投、この時期の赤城氏の更迭と、連日政治のニュースで賑わっています。
選挙に行って国民の義務を果たしたらお仕舞い、次の選挙まで政治の事は忘れてしまう。
そんな国民性なので政治の話題が続くのもいい事かもしれないと思いつつ、可なりレベルの低い話ばかりで呆れ返っております。
投票は、あくまでも始めの一歩です。
自分の1票を投じた人が、私達の大切な税金を使ってどのような活動をするか見守る責任があると思っています。
それでなくては、投票に行った意味がありません。
選挙が終わってからも国民としての義務と責任は続くのです。
日本人(マスコミを含めて)は一寸せっかち過ぎるのではないでしょうか。
猫の目のようにくるくると総理大臣や大臣を代えていては、政策が全部中途半端で終わってしまいます。
すぐに代わる総理や大臣では、対外的にも世界各国からまともに相手にしてもらえないでしょう。
その結果一番損をするのは国民自身だと思います。
何事もそうですが始めが大事なのです。
初めに国会議員にふさわしい人を、将来大臣や総理になれそうな器の人を、育てがいのある人を選んでおかないと、こういうことになります。
参議院選の顔になりそうだから、票が取れそうだからと総理に選んだ自民党の人達、選んだ動機が余りにも不純です。
10カ月で大臣4人、そして総理自身も辞めるとなると、内外に人材不足をまるでアピールしているようなものです。
本当のことなのですから見栄を張っても仕方がないことなのかもしれませんが・・・
今まで国民がしっかりとした政治家を選び、育ててこなかったツケが“どっ”と噴き出している感があります。
ここから新しい流れを作り出す事ができるかどうか、私達、国民の手に掛かっています。
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July 27, 2007
朝の9時過ぎ、妙にソフトムードの若い男性から電話。
この手の声の主は新米の押し売りが多いので、我家の一番忙しい時間帯にと思いながらいい加減に応対していました。
「今回の参議院選の世論調査に協力をお願いしたいのですが、5~6分お時間を頂けませんでしょうか?」
NHKから委託を受けているとの事。
あらあら、あの1000人位が対象の世論調査に選ばれちゃった!
気合をいれて答え始めました。
「ご家族で20歳以上の方は何人ですか?」
「その中の上から3番目の方は何歳ですか?」
「電話をその方に代わって頂けませんか?」
がくっ!
我が家の上から3番目は主人です。
私でなくて、がっかり~~
主人は出掛ける間際だったので、お断りすると「夜2~3回掛けさせてもらっても宜しいでしょうか?」とソフトムードの割には押しが強い。
調査の公平さをきす為に、最初にランダムに選んだ人を変えないそうで、その人が駄目だったら次の人を、とはいかないそうです。
2回目の電話の時主人が帰宅していて、てきぱきと答えておりました。
今回の選挙、投票に行く予定ですか?から始まって、投票する候補者は決まっていますか等、お決まりの質問。
中で意外だったのが、赤城農林大臣の件について4択の質問が含まれていたこと。
主人は「少しは考慮する」と答えていました。
政策で重視することは、年金、格差等4択で、選択肢がなさすぎると「その他」にしていましたね。
この結果は何時頃NHKで発表するのでしょうか。
「ご質問があったらご連絡を・・・」と電話番号を言いかけているのに、主人は「いいよ、いいよ」とさっさと切っちゃったので何も分からず。
感想は世論調査って本当にやってたんだ~。
別に疑っていたわけではないのですが、自分とは関係のないところで行われている事のように感じていたもので・・・
それと、ここ数週間マスコミの選挙報道に感じている事があります。
今朝の朝日新聞にも『民主、勢いを維持』『自民40議席割れも』との見出しが躍っていました。
でも記事を読み進んでいくと「ただ、有権者の5割近くを占める無党派層は棄権も含め投票行動をぎりぎりまで決めない傾向が強く、なお流動的な要素がある」
こういう書き方って変ではないですか?
支持政党をしっかり持っている人達はこういう見出しに左右されることがないでしょうが、無党派層の人達にとってはかなりの影響を与える場合があると思えるのです。
この時期、政治、選挙に関して紙面を割くこと大賛成です。
各政党の考え、候補者の考えを詳しく分かり易く載せてほしいとも思います。
でも投票も始まっていないのに、まるで結果が出てしまったような見出しは、投票率にも候補者の選択にもマイナスではないでしょうか。
誰に投票するかは選挙民一人一人が自分で判断すべきことです。
世論に左右されるものではありません。
でも、よい意味でも悪い意味でも世論の流れを判断基準の中に入れてしまう可能性はかなりあると思います。
あまり派手な見出しやしばしば発表される世論調査は、何か本来の選挙の姿を歪めてしまう様な気がするのですけれど・・・
今回、私は民主党に投票します。
皆さんも選挙に行きましょうね。
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July 15, 2007
『宝くじは買わねば当たらない
世の中は投票せねば変わらない
だから、選挙に行こう』と偶然訪れたtondemoさんのブログにありました。
我家ではここ何十年、主人が宝くじを買う度に同じ会話を交わしています。
「買っても無駄じゃないの」と私。
「買わなければ当たらないよ」と主人。
その言葉が、これからの日本の流れを決める参議院選挙の記事に使われていたので「えっ!!!」
若い方のブログかと思ったら、どうも私と同じ位の方のようで・・・
今の私の願いは、1人でも多くの方が選挙に参加して、政治の流れを変えて欲しい事。
それで、ブログを読んだ方が選挙に関心を持ってくれそうな記事には、拍手を送りたくなります。
私は必ず選挙にゆきます。
政党よりも国の将来、国民の生活、世界の平和を考えてくれそうな人物本位で(なかなかいませんけどね)選んでいます。
どうせ投票しても何も変わらないと思っている方多いと思います。
私も毎回行っていて、政治に民意が反映されている確かな手応えは感じていません。
でも行く理由の1つには、行かなければ組織票の力が強くなってしまう事もあります。
選挙は特定の組織が自分達の都合のよい政治を行う為に、お墨付きを与える為の物ではありません。
特にそれが宗教がらみだったりすると、憲法でうたわれている政教分離はどうなっているのかと不可解になります。
選挙は民主主義の象徴です。
一人一人が自分の意思を投票という形で表明し、国政に関わる最大のそして唯一のチャンスなのです。
日本の将来は私たち国民の選ぶ政治家の手にかかっています。
今、世の中が必ずしも良い方向に向かっているようには私には感じられません。
それなのに政治家が打開策を講じているとは思えないのです。
勿論その政治家を選んでいる、又は無関心でいる私達国民の責任も重大です。
安心できる未来のためにキチット政治に目を向けませんか。
選挙で投票にいかなければ、絶対に世の中は変わりませんもの。
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July 01, 2007
仕方がないので「未納のままだと将来支給される年金はどうなるのですか?未納1ヶ月分、今払うことができるのですか?」と質問をしたら、やっと説明が始まりました。
60歳以上の任意加入の手続きを取って納付すればよい。
ただし保険料は今の額で、未納時の額より大分高くなっています、との事でした。
職員の方からはお金を納付させる話は言い出さないようにしているのかな・・・と何となくそんな感じがしました。
ついでに私の年金が幾ら位なのか、皆目見当もつかなかったので、聞いてみました。
「ズバリ言いましょうかね。驚かないでくださいよ。驚かないでくださいよ」とえらい軽いのりで暫く電卓を叩いてから、教えてくれました。
軽いのりは「少ない!」と文句を言われない為の予防線のようでした。
いろいろ文句を言う方が多いのでしょうね。
私は配偶者の部分だけなので、月数万位かなと思っていたのですが、それよりは支給されそうなので、そんなものかと納得。
65歳まで任意加入して年金を払うと支給される額が年に10万円増える、との懇切丁寧な説明に、うっかりのりそうになりました。
余り待たされなかったし、職員さんも感じが良かったので、1ヶ月の未納は「まぁ~、いいか」と思いながら社会保険事務所を後にしました。
帰宅してから年金の説明の間、左手に握り締めていた “オレンジ色の年金手帳” 職員さんが1度も見なかった事に気付き、慌てて国民年金の記録のページを確かめてみました。
「被保険者となった日」と「被保険者でなくなった日」が9行に渡って、1日のズレもなくつながっています。
そして一つ一つの欄に市のハンコが・・・
勿論、社会保険事務所で渡された記録で未納になっている18日間も、配偶者の“3A”から“強”に変わって記載されています。
年金手帳に記載されている内容と社会保険事務所からもらった記録は、未納の1カ月分以外はぴったり一致。
翌日もう1度社会保険事務所を訪れました。
前回とは打って変わって無愛想な職員さんで曰く、
「年金手帳は関係ないんです。
年金手帳の記録と年金を払ったかどうかは別です。
社会保険事務所が出している記録が全てです。」
と年金手帳を見もせずに言うのです。
そして昨日渡された記録紙の平成5年12月のところに印をつけて「これ以降は正確な記録に基づいて記載されています。でもここからマークが違うでしょう。それ以前の部分は正確な記録ではなく、資料を元に作られたものです。昨日渡した記録が正しいのです」
「私の年金手帳では、全部つながっているのですけど・・」ともう一度言うと、
「つながっていないと年金が支払われなくなるのでつなげてあるだけです」と今にも切れそうな感じなのです。
彼の説明によると、市は保険料が未納であっても、「被保険者となった日」を認めるハンコを押していることになります。
何しろ「年金手帳は関係ない」と言われてしまうと咄嗟に何と言ってよいのか分からず、納得がいかないまま、すごすごと帰ってきました。
本当に市役所の年金課で記載された年金手帳の記録は、過去の納付と関係ないのでしょうか?
年金の記録も説明も、とてもずさんな感じがしています。
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June 28, 2007
「あなたは、平成19年~~日をもって期間満了日に到達し国民年金の保険料を納付できる期間が終了しました」との葉書が社会保険事務所から届きました。
下の欄に未納月数-1-と記載されていてビックリ!
年金問題、私は大丈夫と確信を持っていました。
根拠のない自信ではありません。
主人の転勤で日本と海外を行ったり来たり、転職で日本の銀行と外国の銀行を出たり入ったり、その度市役市で種々の手続きと共に年金の手続きも必ずしていましたから。
一昔前までは市役所の中に年金課がありました。
別に社会保険庁なんて作らなくても、市役所で何の支障もなく正確な手続きができていましたけれどね・・・
我家から歩いて2分ほどの所に社会保険事務所があります。
葉書が届いてから数ヶ月、両親の介護で忙しいのとかなりの自信があったので放っておいたら、この騒ぎ。
混雑しているだろうなぁ~と覚悟して昨日出かけました。
事務所に入ると「只今待ち時間約60分」との大きな立て看板、と同時に年配の男性が飛んできて要件を聞かれました。
葉書を見せると「それはこちらです」と案内された所の番号は3人待ち。
良い方だなぁと思っていると案内してくれた男性が「2階の窓口の方が空いているかもしれないから2階に行ってください」と言います。
エレベーターで2階に上がると、件の男性が階段を駆け上がってきて「未納の件は1階でご案内します」と連れ戻されました。
「今日応援に来たばかりで、まだ詳しくないものですから」としきりに謝っていました。
行ったり来たりさせられましたが、一生懸命さは伝わってきてなかなか良い感じ。
待つこと15分(いい方ですよね)中年の男性職員に葉書を見せると、記録をとってきますと衝立の奥に行って数分後2枚の紙を持って戻ってきました。
この騒ぎ以前の社会保険事務所は、広々とした空間に人が疎らにいてゆったりと働いていました。
それがまるで様変わりし、至る所に衝立が建てられて中で働いている職員の姿がちらっとも見えないようにガッチリとガードされています。
別に隠す必要はないと思うのですけど・・・
説明は懇切丁寧に分かり易くしてくれました。
1枚目の記録紙の平成1年7月のところに未納のマーク。
2枚目には、喪失年月日 平成1年7月12日
そして取得年月日 平成1年8月1日
確かに1ヶ月(18日間)の空白がありました。
ただ、未納を如何したらよいか等の説明が全然始まらないのです???
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May 08, 2007
と日経新聞に載っていました。
要介護5の母がいる我家は介護保険を利用し始めてから数年経ちます。
とても助かっているのは事実ですが、知るほどに不備だらけの制度です。
介護の実態を全く知らない人達が適当に作ったのかな?と思うほど・・・
削減が必要かどうかより、先ずあり方から考え直した方がよいような・・・
詳しくはもう少しまとめてから後日書きますが、先ずは高齢者介護をしている我家の連休の様子から。
今年のゴールデンウイークは、両親とも病状が落ち着いていたので、無事恙無く過ごせました。
お正月、ゴールデンウイーク、お盆と国中がお休みモードになる時期は、高齢者や病人を抱えている家族にとっては気の休まらない時でもあります。
それでもハプニングはありました。
4日の朝、ヘルパーさんが何の連絡もなく来ませんでした。
初めから休みと分かっていれば、母の流動食を作ってから父の朝食の用意と忙しくても何とか一人でこなすのですが、現れるか現れないかわからないのが1番困ります。
緊急の連絡先は知らされています。
でも休みの朝8時から電話をするのは躊躇われ、食事の準備を着々と進めながら20分ほど待って、電話をしました。
コーディネーターが電話口で慌てふためいておられるのが手に取るように感じられました。
でもね、父も私も何となくこの様な事態が起こりそうだと予測してたのですよね。
この4月から金曜日の朝1時間、我家の担当になった彼女、長くは続かないだろうと・・・
一度前もって先輩に同行し母の介護の仕方を習われた後の初仕事の日、「時間が無くなっちゃった。すみません」とお台所の後片付けをほったらかして帰ってしまわれて唖然。
我家は私が同居しているので仕事をし残していかれても何とでもなるのですが、独居老人、老夫婦だけのご家庭ではこうゆう雑な仕事をされては大変です。
ケアマネージャーさんが、介護のような仕事は景気が良くなると人が集まらなくなる。
一人辞めると代りの人はもう来ないとこぼしておられました。
若い人が、新しい人が景気に左右されることなく働きたいと思うような賃金を含めてシステムを作っていかないと、もうすでに始まっている高齢化社会にとても対応できませんね。
1時間遅れて飛んできた彼女の代わりのヘルパーさんが「すいません。すいません」と謝るので「大丈夫よ」と気の毒で止めたのですが、ケアマネージャーからは何の説明もありません。
1年半程お世話になっている介護事業所、とても丁寧な仕事をしてくれる所で良い事業所が見つかったと喜んでいました。
でも3月中旬にコーディネーターが1人辞められて以来、おかしな事が続いています。
今週の金曜日、誰が来るのかちょっと興味津々です。
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April 28, 2007
我家から50m先、130坪の土地に地上10階58戸のワンルームマンションが建ちます。
事業主の部長さんが挨拶に見えました。
主人が不在で応対に出た私に「今はミニバブルです。マンションを建てれば必ず売れます。それも1棟買いで売れるのです。ここは商業地なので建蔽率9割さえ守れば高さ制限も日照権も何も問題ありません」と、ものすごい鼻息で説明していかれました。
確かに彼の言うとおりです。
先月、100メートル先の100坪弱の敷地に14階建て62戸のワンルームマンションが完成しました。
と同時に隣町の個人が一棟買いです。
早い話が「売り抜け」。
近隣の住民や街の景観、そんな事にはお構いなく、ただ少しでも高く売り抜けるためだけの物件を建てる。
そんなものが街に住民に優しい訳がありません。
着工の為の全てのお膳立が整った後で、シブシブという感じで近隣住民との説明会が開かれました。
当自治会は、弁護士、建築士、不動産屋、金融関係と役者が揃っていて、相手をたじたじとさせるほどの追求を繰り広げました。
それでも民間から建築許可が下りていては、住民が反対をしたところで後の祭りです。
4月から建築予定で、3月始めに施工業者が決まっていないというのです。
100m先に出来たワンルームマンションは東京の不動産会社、建設予定のワンルームマンションは東海系です。
何の関係もないそうですが、100m先が完成したらこちらの工事に入ってもらえないか、工事資材と人を動かす費用が節約できるので頼み込んでいるので決まっていないとか・・・
ビル1棟建てるのに、施工業者は現地調達ですか???
幾ら聞いていても物凄くずさんな話なのです。
最後に件の部長さん、リラックスして「ここだけの話ですよ。他で公開してもらっては困るのですが、この市の建築法は“ざるですよ、ざる!”」と言い放ちましたね。
自治会役員10数名を前に、ここだけの話はないでしょう。
黙っているわけないじゃないですか!
主人は“ザル”と言われ市の行政改革の副委員長をしています。
早速、市の助役さんに「市の建築基準は“ざる”だって言われているの知ってるか?」って電話してましたよ。
裏表のない性格の方なのでしょうけれど、実に失言の多い方でした。
それだけによく建築業界の事情が透けて見えました。
ここでもまた日本の社会を覆っている、儲け第一主義。
儲かれば違法でない限り何をしてもいい、という感じが満ち溢れていました。
主人が建築予定のマンションに付けた名前は「湘南財テクマンション」
さすが関係者は苦笑いして俯いていましたね。
今、主人が弁護士さんと住民協定を作っています。
でもね、来年建ち上がると同時に売り抜ける事は確実です。
建物の持ち主が何回か変わったら、住民協定書なんていうものは反故同然になってしまうのでしょうね。
自分達の地域を守るために出来るだけのことはしました。
でもこの国の行政は国民の方を向いていませんね。
一般市民の生活を守る事を忘れているようです。
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April 23, 2007
選挙が終わって街に静寂が戻ってきました。
それにしても政治家の皆さん、いつもの事ながら選挙期間中はホントに低姿勢でしたね。
あの気持ちをずっと持ち続けることができれば国民の為に素晴らしい仕事ができるのに、そうはいかないのが人間のようで・・・
別にこれは政治家に限ったことではないのですけれど。
地位、名声、権力、富などを得ると、殆どの人は変わってしまいますね。
如何してなのかなといつも不思議に思っていたのですか、先日、天命庵の親様の話を聞いていて納得。
自分自身が偉くなったと思って奢ってしまうのですね。
まるで天下を取ったような、1番になったような気分になって。
人が奢る時はたいがい自分が1番だと思ってしまっているとか・・・。
でもホンマモノの信仰を持っている人はいつも自分が2番だと分かっています。
何故ならば、1番は神様だからです。
例え自分がどんなに偉くなっても、神さまが1番と常に己の存在を2番として受け入れることができます。
それは、必ずしも神の存在でなくてもよいのです。
両親、恩師、先輩、偉人、知人、どなたでも・・・
自分よりも偉大な存在を感じている人は謙虚です。
2番を保つということはとても難しい事です。
ちょっと調子がいいとすぐ1番になりたくなります。
2番はいつも己の心が中庸でなければ保てません。
世の中で人気でも地位でも1番になった人というのは奢り高ぶっている方がとても多いものです。
大切なことはどんなに偉くなっても、どんなに人から褒めて頂いても、常に自分を中庸の立場に保つこと。
どんなに成功しても自分は2番でありますという人の心の方が自由なのです。
お偉くなってはいけないのです。
偉くなると神様はこう仰るそうです。
「偉くなるとえらいことになるで~~」
えらいことに成らないように、常に2番の心で謙虚に生きたいものです。
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April 17, 2007
“GIVE & TAKE” という言葉があります。
「あなたにこれだけのことをしてあげるから、私にもこれだけのことをして」と言う感じの割り切り方が、余り好きではありませんでした。
日本語の「お互いさまです」には、自分の行いや心遣いがお相手に負担を掛けないようにとの、深い配慮が感じられて大好きですけれど。
それでも考えてみると“GIVE & TAKE”は、与える事が先、それから貰うのでうね。
“TAKE & GIVE” や“TAKE & TAKE”でないところが、今時の人の考え方よりずっとまともだと、この頃の事件を見聞きして思うようになっています。
今は自分から与えることをしない時代のようです。
個人も企業も与えることを忘れて、奪うことばかりを考えている時代。
いま話題になっている生命保険38社の不払い問題はその典型です。
5年間で、なんと25万件、総額284億円にもなるそうです。
今後、件数、金額とも大幅に増えるのは確実との事。
もっとも「生命保険は史上最大の詐欺商品」と揶揄されているとか。
それでも人は“安心”を求めて買うのです。
そしてそれが無駄になっても、保険金を受け取らなければならないような不幸に会わなくてよかったと、自分を納得させるのです。
欲しい欲しいと相手から奪うことばかりを考えている時代。
奪う始まりは物やお金ですが、最後には人の命をも奪うことに繫がってゆきます。
その最たるものが世界中で起きている紛争であり戦争なのでしょう。
人の生活している国土を破壊し、住んでいる人達を殺す、全てを奪い尽くすのです。
与える。
笑顔を、優しい言葉を、暖かい思い遣りを、周りの方に与える。
皆がちょっと心掛ければ、世の中に穏やかな空気が流れれば、毎日のように起きている命を奪われる事件は、少なくなるのではないでしょうか。
今の世の中、とても複雑そうに見えます。
でも物事の本質は今も昔も何も変わっていないと思います。
実はとても簡単な事でなりたっているのではないかと・・・
与える。
先ずは“GIVE”から。
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March 28, 2007
今朝の朝日新聞に小さな記事を見つけた時は「よかった!!!」
ホッとして、長い間コッコッと戦い続けてこられた我が主治医の「銀座内科診療所のホームぺージ」を開けました。
「亡くなって8年近くたってようやく中原さんが労災と認められた。当然のことだが、その当然が現実になるまでの道のりの険しく遠かったことを思うと嬉しいというよりも、何か気が抜けたような、不思議な気持ちがする」
そうなのでしょうね。
勝訴、が決まっても失われた命は戻ってきません。
控訴しない理由は、判決が認めた過重労働よる心的負担の大きさを覆すのは難しいとの判断だからそうで、これを教訓に働く人々の環境改善をという方向へ行く訳でもないようです。
いつから、当然の事が当然と認められない時代になってしまったのでしょう。
どうして、当然の事が当然と認められるのに裁判まで起さなければならい時代になったのでしょう。
作家の五木寛之さんが「城山三郎さんを悼む」(朝日新聞、3/27)でこのように書いておられました。
『訃報を聞いて最初に感じたのは一つの時代が終わったな、ということだった。その「時代」がどういうものか、とたずねられても、簡単明瞭には答えようがない。漠然とした表現をすれば、経済活動に志(こころざし)がともなっていた時代、とでもいえようか』
働くという字は、人が動くと書いて、はた・らくと読みます。
働くとは“はた”(自分の周りの人々)を“らく” (楽)にさせる為に、住み易い社会を築くために、人が動く事なのです。
働く“志”が、本来の働く意味が、皆の心から失われてしまったような気がします。
経営者も、政治家も、お役人も、今働いていない人が多いですね。
“志”の伴わない仕事、単なるお金儲けの為の仕事が増えれば、世の中に労災も含めてあらゆる危険が増える、そんな恐れを抱いています。
明日は民事訴訟の判決だそうです。
当然の判決でありますように。
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February 19, 2007
でも便利になるという事は人との関わりが少なくなることでもあるような・・・
週末、我家と両親の確定申告書を制作しました。
所得や領収書を項目別に仕分けするのに手間が掛かります。
特に両親の医療費の領収書は半端な枚数ではありませんから。
でも大変なのはそこまでで、後はパソコンがしてくれます。
金額をエクセルに打ち込めば合計がでて、検算の必要はなし。
後は「確定申告書等作成コーナー」の順に沿って打ち込んでゆけば出来上がりです。
2家族の申告書を仕上げるのに1時間ちょっとで終わりました。
こんなに楽をさせてもらって、文句を言うのもなんですが“ フト”感じた事・・・
当節、生活のいろんな場面で楽ができるのですが、其れは同時に人との関わりが少なくなることを意味しているような気がします。
人の代わりに機械がいろんな事をしてくれて、人に支えられる人に助けられる部分が少なくなっているような・・・
一回り年上の友が、駅の改札が自動化された頃から世の中が変わったような気がする、としばしば口にします。
朝夕、通勤通学の時、改札で定期を見せる切符を切ってもらう。
忙しい時間帯ですから言葉を交わすことはなくても、ちょっとした挨拶を、軽い会釈を、子供は大きな声で「おはようございます」と言っていたかもしれません、そこには何らかの人との触れ合いがあったのではないでしょうか。
機械化、効率的でいいのですが、何処かで人間の心も機械的になって温もりがなくなっているような気がします。
パソコンで確定申告書を作り終えて、便利な世の中になるのはよいけれど、何処まで進むのかな?と思いました。
便利なのも、楽なのもよいけれど、人との触れ合いを大切にする社会でありたいですね。
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February 14, 2007
少子化対策という政策が、私にはよくわからないのです。
誰の為の対策なのでしょう。
明らかに生まれてくる子供の為ではないですよね。
国力の為とかこれからの高齢化社会を支える為とかいろいろ聞えてきますが、人の命を損得勘定で考えているような不純さが透けて見えて不愉快に感じます。
日本の人口がどんどん減って、存続の危機なんて事になったら大変ですから、今のうちから手を打たなければとの考えよく分かります。
でも国民の頭数を増やせば、日本は安泰かと言えばそんな事はないと思うのです。
先ほど問題になった給食費を払わないような親に育てられた子供達が、将来国を支えてゆく力に成り得と政治家は考えているのでしょうか?
女性が頑張って子供を生めば何とかなる問題とは明らかに違います。
私は子供の頃から、結婚して母親になる平凡な生活を夢見ていました。
いざ子供を産んで、生後5カ月の子をロンドンで育てるというハンデーもあったせいか、子育ての大変さを何も知らなかった自分に驚き、そして周りの大人も誰も教えてくれなかった事に呆然としました。
子育てという、命を育む大変な仕事に国家試験が無いのが不思議に思えた位。
高校、大学に入学試験があるように、車の運転に免許がいるように、学校の先生、看護士さん、保育士さん、会社員、何でも試験で合格するか免許や資格が必要です。
子を産むことが、何の資格も免許も要らないからこそ、命の神秘を、生命を育む事の大変さを、人間として教育する大切さを、子供の時から折に触れ学ぶ機会を作るべきではないでしょうか?
例え少子化が進もうとも、生まれてきた命を粗末にする位なら、虐待する位なら、子供を生まないほうがよいのではと思っています。
一つの生命を、キチンとした社会人に育て上げる覚悟が無いのなら、子供を生む前に自分自身を育てるべきでしょう。
大人と子供の社会からいじめを無くす、受験戦争という戦争の中から子供を救い出す、格差社会を是正する、夫婦で子育てがし易い社会を作る、高齢者を大切にする等々・・・
今日本の国に生まれてきた人達が、生まれてきてよかったと思えるような国造りをすれば、子供は自然に増えるはずです。
子供は世界の未来なのですから、まず育て易い環境をつくるのは当然の事でしょう。
子供は天からの授かり物。
柳沢厚生労働大臣の失言にも、それに対する批判の中にも、生命の神秘に対する謙虚さがまるで感じられないことが一番気掛かりです。
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February 09, 2007
結婚すると「子供はまだ?」
1人目が生まれると「二人目はどうするの?一人っ子は可哀想よ」とまるで挨拶代わりのように赤の他人から言われるのが日本の社会です。
数十年前の事ですが、息子は主人の仕事の関係で帰国子女になることが分かっていたので、カトリックの小学校を受験させました。
その学校は、一人っ子は受験で不利だと言われていました。
親の面接の時、先ず「ご兄弟をつくるご予定は?」と尼さんの校長さんから聞かれました。
主人は躊躇うことなく大声で堂々と「ありません!」
『こりゃ落ちたな』と内心思いましたが、結果は合格でした。
しかし、よく質問しますよね、そんな事。
個人の家庭の事情にまで踏み込む事は礼に反する、との認識がまるで無いのが私達日本人のようです。
一昔前までは、平気で人の心の中までズカズカと入り込むのは、おばさんの専売特許みたいに思われていました。
この頃は無神経、気配りが出来ない、場の雰囲気が読めない日本人が増えているように感じます。
柳沢厚生労働大臣の発言がその典型です。
日本人は繊細、礼儀正しい、慎み深い国民と言われていたような気がするのですが・・・
礼節を大切にしたのは遠い昔のことなのでしょうか?
結婚するか、子供を産むか、何人生むか、それは明らかに個人の問題です。
他人が立ち入るべきでないと思う一番の理由は、結婚も出産も其れによってその後数十年、自分が下した決断に全責任を持たなければならないからです。
女性に頑張って産んでもらった後は、厚生労働省が責任を持って育ててくれるというのなら、それはまた別ですが・・・
自分が最後まで責任をもてない事を、軽々しく人に勧めるべきではないのでは、と思います。
特に国政に関わる人は。
しかし、礼節無き言葉、態度、考え方、日本列島中に氾濫していますね。
マスコミ、特にテレビにも責任の一端があるように感じています。
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December 13, 2006
クリスマス・ギフト用の超豪華版カタログがクレジットカード会社から贈られてきました。
もう十数年使っていますが、始めてです。
「カード会員様だけにお届する世界の逸品をはじめ、日常に特別な彩りを添える商品を400点以上えりすぐり」ご紹介とあります。
目の保養によさげな美しい物がずらり、しかし並みのお値段ではありません。
最高のものは「地球発、月行きのチケットをご手配いたします」1億米ドル(約120億円)目玉商品というか、話題提供というか、ご愛嬌というか…
英・帝国王冠レプリカ、1億5千万円(1点限り)
スタインウエイ&サンズ、限定グランドピアノ、 1億1550万円(限定2台)
数千万円、数百万円の物がごろごろ載っています。
その中で「むっ!」としたのが「ミラノ発、日本初登場ペットジュエリーを愛犬とともにお楽しみ下さい」という物。
な、なんと1番安いので33,600円、お高いのが472,500円ですよ。
私も小型犬を飼っていたことがあります。
猫可愛がり、じゃなくて犬可愛がりに可愛がって友達からひんしゅくをかっておりました。
でもどんなにお金があっても(ないので余計なことですが)犬に47万円のアクセサリーは買わないだろうなぁ。
だいたい毛に絡まって、犬にとっては凄い迷惑ですもの。
こんな立派なカタログを作って元がとれる程売れるのでしょうか。
カード会社は抜かりないから、勝算ありなのでしょうね。
ひょっとしたら思っている以上に物凄い格差社会が出来上がっているのかもしれない、とふと思いました。
日曜日の夜、NHKで「ワーキングプア」“働く貧困層”を放送していました。
朝、昼間、夜と3つの仕事を掛け持ちして一生懸命働いても、まともな暮らしを維持するのが難しい世の中って何なのだろうかと、冷たい社会に恐さを感じました。
一生懸命額に汗して働いている人が、贅沢は出来なくても普通の暮らしができる社会を築いていく事は、働いている人にとっては勿論ですが、安定した社会を築いていく上においても不可欠なことではないかと思うのです。
働く貧困層と豪華なカタログ、誰が何を買おおと自由なのですが、何か社会の仕組みがおかしいような気がします。
誰もがそこそこ幸せな社会になったらいいですね。
そうゆう政治家を自分達の手で育てていかなければ。
今、皆で真剣に考えなければ大変な事になると思うのですが・・・
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September 29, 2006
見る、聞く、嗅ぐ、触れる、味わうが敏感でなければ六感は生まれません。
まさに五感(視覚、聴覚、臭覚、触覚、味覚)を駆使して始めて6感(直感)、勘が働くようになるのですね。
勘は、神がかる感ともいいます。
今の人は、昔の人々に比べて衰えているそうです。
何にでも便利なものが発達し、又情報が満ち溢れている昨今、物事を総合的に判断するのに六感を働かせる機会が減っているからでしょうか。
文明が発達して文明の利器に頼っていると、人間の本来備えている動物的感覚はどんどん退化してゆくのでしょうね。
天気予報で、絶え間なく「お出かけには傘の準備を、羽織る物を一枚」と教えてくれるのは誠にありがたき事です。
この慌ただしい時代、利用しないてはないのですが、空の色、雲の動き、風の流れから明日の天気を読む“勘”は消滅してしまいますね。
白夜の如く至る所が一日中明るいと、暗闇で目を凝らすなんてことはなくなります。
パソコンに30cm、TVに1mでは視界は狭くなり視力は落ちる一方です。
現代は、五感を刺激して得ようとしているものは「六感」より「若さ」「健康や病気の治療」のようです。
年をとると段々臭覚は衰えます。
それを、よき香りをかぎ続ける事で臭覚を鍛え、肌にハリと潤いを取り戻し、老化を止める研究。
美しい音楽を聴くことによって免疫力を高める研究も進められています。
また高齢者が童謡を聞いたり、歌ったりすると免疫細胞が活性化、認知症の治療に応用されています。
感覚を研ぎ澄ますことによって、外見と内面の両方からの若返りが研究されてしているそうです。
今の時代に必要な事です。
でも、その先に政治、経済の動向を見抜く洞察力(六感)を持った人が育つ可能性が見えてこないような・・・
それも時代の流れなのでしょうか。
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September 09, 2006
5年前の自民総裁選で応援した時の小泉首相と、今回優位に立つ安倍官房長官を比べて田中真紀子氏のこんな発言が載っていました。(5月5日朝日新聞)
《「ドーンと上がってみんなが政治が変わると飛び出したら、5年経ったら何だったの、というのが小泉さん」
「線香花火がつくと思ったら、すぐ落ちてしまうことに国民は気づく」と安倍さんについては線の細さをばっさり。
かつて自民党総裁選の候補者を「変人・軍人・凡人」などと絶妙な例えをした田中氏だが、今回は「あまり興味がない。オーラを持つ人がいなくて。子供花火みたいな人たちが出てきている」と切り捨てた。》
読んでいて、余りの的確な表現に噴出してしまいました。
言いえて妙ですね。
本当に頭の切れる方なのでしょう。
その事と、政治家としての資質は別ですけれど、外務大臣には全くの力不足だったようですから。
さて、ご自身については言及されてないのですが、どんな例えがぴったりなのでしょう。
“ねずみ花火”なんてどうでしょうか。
くるくる手がつけられないほど激しく回って自爆。
ちょっと言い過ぎでしょうか?
彼女の事嫌いではないのですよ、以前ほど期待はしていませんが・・・
やっぱり「2世は浮世場ばれしている」のお一人なのではないかな、と思っています。
兎にも角にも、子供花火と呼ばれた方々に頑張って頂かなくては・・・
言いえて妙なんて感心している場合ではありませんよね。
日本の今も将来も彼らの肩に掛かっているのですから。
私達国民がしっかりと見守らないと、えらい事になりそうです。
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September 04, 2006
世襲議員が衆議院で30%、自民党では40%を占めます。
そして今回の自民党総裁候補、阿部氏、麻生氏、谷垣氏、河野氏、鳩山氏、降りた福田氏も全員世襲議員となると、何処か政治の仕組みがおかしいのではと思いたくなります。
2世だから3世だからと批判するつもりはありません。
でも、素人の私の目から見てですが、彼らが政治家として父や祖父を超える器の大きさを備えているようには、誰一人として見えないのです。
全員一回り小粒になったような、こじんまりした政治家ばかり、そんな感じがしています。
「2世議員は浮世離れしている。僕達とは生きている次元が違いますよ」
ご町内に事務所を構えている元民主党議員の言葉です。
彼は、天台宗のお寺に居候しながら国立の理工科を出て30代で議員になった変わり種。
ここ何年も毎日駅で早朝の街頭演説を続け、地道に自分の主義主張を訴えています。
彼は庶民の次元で世の中を見ています、今のところ・・・
私は特に民主党支持ではありません。
投票の基準は、党ではなく、本当に国民の為に働いてくれそうな人、人物本位で決めています。
民主主義において国民と政治家のレベルは同じ、人は自分に相応しいものしか選べないと言います。
2世議員と私達国民は、どの辺が同じレベルなのでしょうね。
考えてみれば、家族と自分の未来が掛かっている、国と自治体の債務超過、税金、年金、健康保険、教育問題、そして、日本の国の未来と世界の平和が掛かっている外交問題等々を、我が事として真剣に考えている国民は
どれ位いるのでしょう。
やっぱり、世襲議員も国民も浮世離れしているのかもしれませんね。
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August 25, 2006
コードレス・キーボードとマウスがセットになった物を、主人と二人して買いました。
コードレスでは世界No1のLogicool製、diNovo Cordless Desktop DN-800
お値段は少々高めで ¥16,800
謳い文句は:
*デスクトップPCにも、ノートブックPCにも理想的なキーボードとマウス。
*エレガントでウルトラフラットなキーボード。
*フルサイズのキーを採用。
*ノートブックPCのキーよりも快適なタイピング。
*独立したコードレスニューメリックパットは、計算機や温度計さらに時間や日付を表示、そして持ち運び可能。
*コンパクトなUSBミニレシーバーは、PCに直接挿すことも、便利なUSPデスクトップスタンドに挿して使用することも可能。
*スタンドからUSBミニレシーバーを抜いて持っていくだけで何処に行ってもモバイルできます。
*光学式マウスにはオン/オフスイッチが付いているので無駄な電気消費を防ぐ事ができます。
*キャリングケースも付属
と説明は仰々しいのですが、何しろ使い易い、優れものです。
キーボード、マウス共コードレスなので、使わない時は何処にでもおいて置けるし、USBレシーバーはライターよりも小さいのに感度は良好で、何しろ扱い易い。
何故かマウスの扱いがど下手、すぐ机の上からはみ出してしまいそうになって、手首が腱鞘炎気味。
大して長時間操作している訳でもないし、音声入力を使っているので、そんなはずないのにと自分でも不思議だったのですが、これなら大丈夫です。
私は最初の機種がIBMのノート型パソコンだったので、キーボードがフラットのものに慣れてしまっています。
2台目はソニーのバイオなのですが、キーボードの凹凸が使いづらかったので、ず~と適当な物を探していました。
中々思うような物がなかったのですが、ビックカメラでは選り取り見取りでどれにしょうか迷う程の豊富な品揃い。
ここに来れば電気製品の捜し物はほぼ見つかるだろうな~との思いと、こんなには売れないだろうな~如何するのだろうと、ちょっと余計な心配も。
今は夏休みなので子供連れでごった返していますが・・・
ここ何年かの間に、中小の電気屋さんが次々と姿を消した我が市が、お陰で便利になりました。
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早朝、母の介護にヘルパーさんが巡回してくることになっていました。
待てど暮らせど現れません。
電話をしたら留守電。
折り返しの電話が寝ぼけた女性の声でありました。
電話の向こうの眠そうな声は、丁寧に謝りながらも説明がチグハグで要領をえません。
「担当のヘルパーが倒れて連絡が取れなくて、おたくにも連絡できなくて・・・」
一つ確かな事は、今朝は誰も来ないと言う事。
それを確かめて両親の部屋に戻ると、父が母のトイレ介護の真っ最中。
アーア、父は92歳です。
早朝巡回サービスをしているところは数社。
その仲の業界大手C社を、ケアマネジャーさんが苦労して週4日(本当なら毎日来て欲しいのですが需要が多いらしく)確保してくれました。
当てにならないからと、断ったら後がないし・・・
C社からその後の説明は全くなし。
夕方、ケアマネジャーさんから「遅くなってすみもません。C社の中、ヘルパーさんが倒れてガタガタのようで、今後の事がはっきりしないので、他も捜しておきます」と連絡がありました。
電話の女性、寝ぼけていただけではないようです。
朝のヘルパーさんの反応「独居老人のお宅だったら大変な事になりますよ」
以前C社に勤めていたお昼のヘルパーさん「あそこなら倒れるヘルパーもでます」ときっぱり。
それにしてもヘルパーが一人倒れるとガタガタになる会社が、介護業界の大手とは、恐ろしい。
大手だから24時間幅広いサービスが提供できる。
でもそれが当てにならないとなると、如何したらよいものやら。
主人が一言「大手なんてそんなものだよ。それでも名前で客は来るから努力しない」
中小の会社では24時間介護サービスは儲けが薄くて出来ないそうです。
曲がりなりにもしてくれる会社があるのは、有難い事なのでしょうね。
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August 22, 2006
自国の歴史を学ぶことは日本人として世界で生きていく上で、とっても大事なことですが、今まで皆で疎かにしてきたのではないでしょうか。
私は戦後生まれです。
学校の歴史の時間で現代史は習いませんでした。
先生は「大学受験に出ないから大丈夫、自分たちで読んでおきなさい」と・・・
現代史は私の中で空白です。
アメリカ、イギリス、オランダと14年間海外で暮らしました。
自国の現代史を知らなくても「丈夫です」どころの話ではありませんでした。
お祖父さんが日本人に殺された韓国の人。
真珠湾攻撃に出会ったアメリカの人。
日本人の捕虜だったオランダの人。
先の戦争の傷跡は未だ大勢の外国人の中に残っているのです。
勿論日本人の中にも・・・
それなのに私は殆ど何も知らなかったのです。
無知、無関心はとても恐ろしい事です。
でも今から学校で先の戦争を教えるとなったら、皆の見解が大きく異なってまとまらないでしょうね。
以前は時が経ち、当事者たちが亡くなって戦争が過去のことになった時、みんなが冷静に戦争を振り返る事ができるのではないかと漠然と思っていました。
戦後61年では、また過去になり切っていないのですね。
もっと時間が必要なのでしょう。
でも時が経てば経つほどいろんな意見が出てきて真実が見え難くなる、この頃そんな気もしてきています。
戦争責任、東京裁判、A級戦犯、靖国参拝等に対して、日本人皆が納得のいく答えを見出せたらそれが一番です。
でも全ての事に完全、完璧、100%皆が納得ということはありえないと思います。
いろんな見方、意見があって当然ですから。
ですから“先の戦争を教訓として一番学ばなければいけない事は何か”から考えてみてはどうでしょう?
それは絶対に平和を守ることではないでしょうか。
先の戦争で愛する人々を守るために命を落としてくれた人々、そして長崎、広島その他の地で犠牲になられた人々が望んでいる事は“平和な日本を創る事”だと私は信じています。
そして、今を生きている私達も、子供や孫が戦争の犠牲になることを望みはしないでしょう。
考えの基本を“平和を守る”そこに置いた時、日本がいかにあるべきかその姿が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
今度大きな戦争が勃発したら、人類は滅亡してしまうかもしれません。
それ位の数の原爆を作ってしまったのですから。
世界で唯一の被爆国である日本は、平和を訴え続ける責任があると思います。
歴史の時間は、今の日本の平和の有難さをかみ締め、戦争のない世界を創るために、若い頭で考える時間にしてほしいと切に願っています。
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August 16, 2006
「世界が平和になりますように。この美しい宇宙船地球号で皆が仲良く助け合って暮らせますように。紛争が収まり穏やかな世界になりますように」と、毎朝私は祈ります。(その他諸々も祈りますけれど)
平和は、地球上の何処からでも祈れます。
お国の為に亡くなられた方々への感謝も鎮魂も、その深い思いがあれば何処からでも奉げる事ができると信じています。
どうしても「靖国神社でなければならない」そしてそれが「心の問題」と本当に思っているのならば、できるだけ人知れずひっそりと参拝すれば充分ではないでしょうか?
この問題に対しては、いろいろ複雑な思いを抱いている人が内外両方にいるのですから。
騒ぎすぎるマスコミにも責任があります。
そしてそれに安易に乗る国民にも問題があります。
首相と官房長官では立場が違うでしょうが、安倍さんは4月にマスコミに気付かれずに参拝しています。(タイミングを見計らって漏れ聞こえるようにしましたが・・・)
お二人とも参拝したことを公にしたい、公にならないと参拝した意味がない理由があるのでしょうね。
そこが、とても引っ掛かるのです。
神社という神聖であるべきはずの場を、政治的に利用しているような気がいて。
自民党の票集め、そんな気持ちがあるのならば、人として本当に悲しい事です。
それはお国の為に亡くなった方達に対して、又心から恒久平和を願っている人達に対して、とても非礼な事だと思います。
「お国の為に戦場で散った命への感謝と鎮魂、そして恒久平和の誓いを立てる」と純粋に本気で思っているのならば、その思いを政治の中に是非生かして実行して頂きたい。
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August 13, 2006
日本は第2次世界大戦に負けました。
私は、8月15日は終戦記念日ではなく敗戦の日だと思っています。
原爆を落とされて50年間はペン草も生えないだろうと言われた広島、長崎。
それでも日本は奇跡的な復興をなし遂げました。
当時の人々が一丸となって、額に汗して働いてくれたお蔭です。
そして長い険しい努力の末に、世界の経済大国になりました。
エコノミック・アニマル等と言われながらも、いちよう経済の世界では成功したのです。
でも勝つと見えなくなるものがあるのです。
勝って有頂天になり、高慢になってしまうと、周りが見えなくなる。
奢りは心の目を曇らせますから。
勝った時から、私達は努力する事を忘れてしまったようです。
子供たちに努力する事を、心を込めて働く事の素晴らしさを伝えるのを怠ってしまいました。
一生懸命働く人が少なくなりました。
人間努力する事を忘れたら落ちてゆくだけです。
長いトンネルのような不況の時を迎えました。
経済的に落ちて貧しくなるだけならまだ救いようがあるのですが、人々の心が荒んでしまいました。
親が子を殺め、子が親を殺める。
ちょっとした些細な事で、人を平気で傷つける。
そして今儲かれば、自分さえ良い思いができればいい、自分の欲望を満たす為なら、何をしてもよい、そう考えている人達で溢れかえっています。
日本は戦争に負けました。
大きな大きな犠牲を払いました。
でも亡くなった方たちの事を思い、その方達の分も頑張って、見事に立ち直ったのです。
日本は経済大国になりました。
多分成功したと言えるのでしょう。
物質的には豊か過ぎる程、豊かになりました。
でも引き換えに、人間としての心の豊かさを失ってしまったような、気がします
それから長い不況を脱出し、今何処へ向かっているのでしょう。
歴史は繰り返す。
あの敗戦で学んだ事を、私達その後の生き様の中にしっかりと生かせているのでしょうか?
平和を願い続ける思いが、弱くなっているのではないかと気懸かりです。
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August 07, 2006
ギネスブックにも載っている「世界一長い金魚すくい」等のイベントで地元の銀座通りは6万人の人、人、人で賑わいました。
TV局も新聞社も取材に来て大騒ぎ。
商店街の2代目若旦那たちが町の活性化の為に、年に1度大々的に催すお祭りです。
それでも昨今商店街は衰退していく一方ですね。
ポッ、ポッ、とシャッターの開かない店が増えていくのを防ぐ事が出来ません。
数年前歩いて行くにはちょっと距離があるのですが、近くに大きなショッピングモールが出来ました。
それだけでも可なり痛手だったのに、事もあろうにその真横にもう1つ「ミスターマックス」というショッピングセンターが今年できました。
両方合わせて総店舗数157店、駐車台数4,000台、駐輪台数1,963台。
いかに大きいか分ると思います。
1日では回り切れない程。
子連れで時間をつぶすには、最高の場所だとか・・・
それに引き換え地元の商店街は、携帯電話販売店5店、美容室5店、古本屋4店、不動産2店等、子連れで遊びにくる雰囲気とは程遠い。
商店街の景観美化委員会や、活性化委員会などに自治会長をしている主人も招かれます。
2代目さんたち、発想の転換がおできにならない事と、資金面での問題もあり大きな改革は何も出来ないようです。
年に1度6万人の人で賑わっても、根本的解決には程遠く商店街の活性化につながるのかな~と、お祭りを楽しみながらも毎年疑問に感じています。
駅の反対側は、若者の町としてそこそこ賑わっています。
我が銀座通りも何か特長を出さなければ、近い将来シャッター通りになる可能性は大なのですが。
お年寄りが買い物し易いとか、買い物ついでにお茶が飲めて世間話が出来る場を用意するとか、子供を遊ばせる場所を提供するとか、空き店舗を安く借りて、お金を掛けなくても工夫すればできる事があるのではと思います。
ただここでもまたいつもの問題に突き当たります。
地元の人達は一生懸命なのですが、マンションの一階等に店舗を借りている人達はまったくの無関心。
皆で心と力を合わせなくては、根本的な改革は出来ませんよね。
地元の商店街は静かに寂れていくそんな感じで残念です。
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June 28, 2006
家賃7万円、3 LDK、82㎡、赤坂から徒歩4分、家具付き、最上階28階にラウンジとトレーニングルーム。
何のことだと思います?
只今建築中の議員宿舎です。
普通に借りると家賃60万円近くするそうです。
みのもんたさんの朝のテレビ番組で言っていたのですが、諸外国(アメリカ、イギリス、フランス等)には議員宿舎という制度はないそうです。
そして、国会議員が選んでくれた国民よりも、良い生活をする為にお金(税金)を使うということはしないとの事。
ごく当たり前の考え方ですね。
でもこのごく当たり前の事が、日本では通用しないのです。
殆どの(全部とは言いません)国会議員が本当に真剣に国のため国民のため世界の為に汗水たらして働いてくれているのなら、宿舎ぐらいで“がたがた”言うつもりはありません。
一生懸命働いている人がそれなりの待遇を受けるのは、当然の事と私は考えていますので。
でもね~、国会議員が国民の為、国の為、世界の為に知恵を出し合って一生懸命働いてくれているとは思えない部分が多いのですよねぇ、残念な事に。
全て国会議員の責任にするつもりはありませんが、世の中が悪い方へ向っている気がします。それなのに良い方へ転換させるための積極的策を講じているようには感じられません。
勿論責任は、そのような政治家を選んでいる私たち国民にあります
国民と政治家は同じレベルですから。
国がある程度の大きさになると、国の為に専任で働く人、国会議員は必要です。
国民がいなければ国会議員という職業はないのです。
しっかりと政治家を選び、育てる事は国民の義務ではないでしょうか。
日本の将来は私たち国民が選ぶ政治家の手にかかっています。
安心できる未来の為に、政治にきちっと目を向けませんか?
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June 22, 2006
安全性への配慮を欠く製薬会社、肝炎の危険性が明らかになっても規制しない国、耐震強度不足のマンションを立てる建築会社、不当な保険金不払いの損害保険会社、自分の立場を認識できない日銀総裁。
世の中を良くする為に働くのが仕事。
周りの人々を幸せにするのが仕事のはずなのに、皆を不幸にする為に混乱させる為に、仕事をしているような人が多いですね。
それでいて仕事への不満は一人前の人も多い。
こんな仕事をする為に生まれてきたのではない。
自分には向いていない。
忙しすぎる、等々
仕事を選り好みしていると、ご縁を潰す事になります。
世の中の物事は皆“ご縁”縁で丸く円に繋がっているのですから。
働くと言う字は、人偏に動くと書きます。
お人の為に動く事が、働くこと。
今の人は、自分の為に動いています。
自分が金儲けする為に・・・
大人がこれでは、世の中全体が狂っていくのは当然のような気がします。
特に子供の社会が・・・
お手本が悪かったら、子供は良く成りようがないのですから。
今もTVで青少年が関わっていそうな事件を、繰り返し繰り返し垂れ流しています。
マスコミが憶測で情報を撒き散らすのは、世の中を良くする為に働いていると言えるでしょうか?
働けることに喜びを、仕事がある事に感謝が出来れば、自ずと良い仕事ができるはずだと思います。
自分の仕事を通して、周りの人を幸せにする事を考えながら働いたら、つぎつぎに良い仕事が生まれてくるはずです。
結果やお金は後から付いてくるもの。
一生懸命自分の仕事に打ち込んでいる人の姿は美しい。
小さな事にも心を込めて、人の為になる仕事をしたいですね。
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May 31, 2006
当初の51人死亡から、日を追って2,000、3,000、4,000、そして5,137人と増えていくジャワ島地震の死者。
地震のニュースを聞いた時、お恥ずかしい話ですが、心のどこかに又かという諦めにも似た感情が走りました。
阪神大震災、国連のテロ、スマトラ沖地震、中越地震では、直ぐに祈りを奉げました。
地が鎮まる事を願い、亡くなった方に、負傷された方に、被災された方に、救助に携わる方々の為に祈ったのに。
翌28日、天命庵に神の教えの話を聞きに行きました。
その中で大徳寺さんが「皆さんジャワ島の地震で被害を受けた方々の為に祈っていると思いますが・・・」と言われた後「頷いている方が少ないのは、余りいらっしゃらないようですね」と、改めて皆で深い祈りを奉げました。
こう次から次と大事件が起こると、それではいけないのですが少々の事では驚かないというか、慣れてしまった自分が恐くなります。
何かが起こった時ジャワ島のような処では、政府が被害の状況を迅速に把握することは難しく、時を追って被害者がどんどん増えていくであろうということは容易に想像がついていても・・・
それにしても、どうしていつも貧しい国の人達が被害に会われるのか、常々疑問に思っていました。
とっても不公平な気がして。
自然を破壊し、醜い争いを起し、奢っているのは文明国と思っている私達の方なのですから。
でも救援活動をしている各国の人達を見ていて、ひょっとしたらと感じた事があります。
これは私の勝手な考えとお断りした上で・・・
もし世界の政治経済の中心になっている国々が被害に会ったとしたら、貧しい国の人達には救援する力はなく、そして世界全体が成り立たなくなってしまいます。
貧しい国の人達が変わり被害に遭ってくれているのではないかなと・・・
自然の恐ろしさと、人間の愚かさを、天災の形で、まざまざと見せつけてくれているのではないかなと・・・
そして、国を超え、宗教を超えて皆で助け合い、互いに愛し合いなさいと教えてくれているような気がします。
私達には被害を受けた国々のために祈りを捧げ、復興の為の援助をする責任があるのではないか、そんな事を考えています。
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April 30, 2006
横田さんと大統領との面会実現に対する小泉首相のコメントをニュースで見ながら呟いたら「大分ましだよ」との返事が夫から返ってきました。
コメントは『米国が拉致問題に大きな関心を寄せているといる表れ。拉致は許すことのできない人権侵害である。日本も米国と協力し、世界も関心を持ってほしい』
「クールなことはいいことだけど、当事国の首相がまるで他人事のようなコメントするのはいただけないな~」と。
“日本も米国と協力し”と言う下りおかしいと思いませんか?
日本は拉致被害者を大勢出している当事国ですよ。
北朝鮮のような国を相手にする時は、国際世論に訴える事は大事だと思います。
でもまず日本ができる限りのことをして、その上で他の国にも力を貸して下さいと訴えるべきではないでしょうか?
早起江さんはじめ拉致被害者の方々は、人事を尽くしておられると感じます。
でも日本の政府にはまだまだ出来る事があるような気がします。
「闇に包まれたところから少しずつ少しずつ、やっとここまで来た」
横田早起江さんに母親の偉大さを感じます。
アメリカ公聴会での演説、国語の教科書に載せたい位のお手本のような内容と文章だったそうです。
あれだけ筋の通った聡明な女性、そうはいないのではないでしょうか。
私の勝手な考えですが、早起江さんは大きな大きな使命を神様から頂かれているような気がしています。
ご自分のお嬢さん、めぐみさんとその他の拉致被害者を救う為だけではなく、世界中の人権侵害を受けている人達の為に動いておられるような・・・
彼女の姿の中に、神への美しい真直ぐな信仰を見る思いがします。
祈りが一日も早く叶いますよう、願っています。
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April 18, 2006
本日、3件目の未公開株おすすめの電話。
朝日新聞に数日前「未公開株ご用心」という記事が載ったにもかかわらず、懲りずに掛けてきますね。
「すみません。息子が証券会社に勤めているので結構です」電話の相手が「未公」まで言ったら即言う断り文句。
でもこれは嘘ではありません。
外国為替とかその他の金融商品に対しては「主人が同業者ですので・・・」
これは一部本当です。
ここははっきり言っておきたいのですが、絶対に騙す方が悪いのは、当然のことです。
その上で、被害にあった話を聞くと騙される人と騙されない人の、差はどの辺にあるのだろうか?と思うことがあります。
未公開株の売買に関して、06年度の全国の消費生活センターに寄せられた相談件数、1,296件で、前年度の約6倍といいます。
決して少ない数ではありません。
でもいつも私が受け取る電話の周りで大勢の人達ががやがやと電話を掛けているのが聞こえます。
一日、一人、数十件、と考えると相当の数の人が電話勧誘を受けているはずです。
それでも断っている人の方が圧倒的に多いことになります。
騙された人の中には、電話を掛けてきた相手が特に言葉巧みだったということもあるかもしれませんが、同時にどこかで、楽をして儲けたいという心の隙というか欲があったのではないかと思います。
自分が買う株の会社の経営内容、そして自分が取引しようとしている業者の評判位は、最低限でも調べる努力はするべきではないかと思うのですが・・・
一本の電話から、平均支払金額370万円、中には8千万円払った人もいるそうです。
「見ず知らずの人に儲け話など教えてくれる業者などいない」
「いい金融商品とは業者にとっての良い商品であって、買い手にとってではない」
との専門家の言葉を、常に頭の中に入れておいた方がよい時代だと思います。
でも一番大事な事は、何もしないで楽をして儲けようなんて、欲は出さないことだと思います。
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March 13, 2006
近所に耐震強度が一番弱いとされているマンションが建っている事もあり、偽装マンションの建て替えがどうなるか心配しています。
それにしても不可解ですよね。
住民の追加負担が国土交通省の素案よりも、民間業者を活用する建て替え案の方が、現状と同じ七階建、部屋も現在とほぼ同じ広さで一世帯当たり1,000万円程度軽減できるという話。
普通に考えると、国民の為にといろいろ便宜をはかって国の案の方が安くてしかるべきだと思うのですが・・・
当初の国の素案は急いで十分な時間をかけずに作ったといいますが、でも時間をかけて見積もりのし直しをしたところで1,000万円の差はそう簡単には縮まらないと思います。
この差が容易に小さくなるのなら、始めの素案がいかに被害者の事を考えていない雑なものだったか、ということになります。
都市再生機構が示した再建案は、100平方メートルの部屋に入る世帯で追加負担は2,800万円程、部屋の面積を現状の8~5割狭くすることで負担を圧縮という案も含まれていたといいます。
5割狭くしたら、一家で住めない人も出てくるのではないでしょうか。
それで負担金がなくなるというならまだしも、単なる圧縮ですものね。
民間業者は競争があるから、だけでは済まされない問題がそこにはあるような気がします。
お金に対する考え方が、真っ当ではないような。
ブツブツ呟いていたら、市の行革委員をしている主人が、国も市もそんな話がごろごろしていると言います。
市が公共事業等をする時に借りるお金、民間の銀行から借りた方が得でも国から借りるそうな・・・
国から借りるよう定められているのか、借りる枠が決まっているのか、定かではないのですが、どちらにしてもおかしいですよね。
国に国民のお役に立とうという気持ちが全く感じられない。
それが都市再生機構の素案にモロに出ているような気がします。
被害者の方達と周りの住民が、早く落ち着いた生活を取り戻せるといいですね。
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December 16, 2005
“誤発注と認識しながら、瞬時に何億、10何億という利益をえた証券会社が幾つかある”と聞いた時、まるで禿げ鷹のようだ、と嫌な気分になりました。
それが一転「利益返上」の方へ向かっています。
なんだか政界から「美しい話ではない」とか「火事場泥棒」とかの批判が噴出したから渋々という感も無きにしも非ずですが・・・
折角、真っ当な方向に向いてきたのに、利益返上には課題が多いそうです。
朝日新聞の天声人語に、明治期の実業家の草分け渋沢栄一氏の言葉「商売の徳は売る者も買う者も共に利益を得て喜ぶ所にある」が書いてありました。
そして「右手にそろばん、左手に論語」利潤の追求と道徳という、一見相いれない二つのものをあえて両の手に掲げ、商売にも道徳的な美を求めたと。
誰もが渋沢氏のような考え方で商売をしていれば、問題は起こらないのですが・・・
世の中が複雑になり、お金、お金の時代になってしまので、何か明確なルールが必要になのでしょうね。
欧州の証券取引所「ユーロネクスト」では今回のような誤発注が出た場合の対策が決められているそうです。
何でもかんでもルールで決めなくては、まともな行動がとれないというのも、人間として寂しい気がします。
でも何か事が起こらないと重い腰を上げない、日本特有の悪い癖も問題ですね。
実は与謝野金融相、血の繋がりの無い遠縁にあたります。
それで言う訳ではありませんが、「行動の美学」ちょっと考えてみたい言葉ですね。
人間として生まれてきた以上、美しい生き方をしたいものです。
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December 13, 2005
機械が主役で人間が脇役の時代になってしまった。
そんな感じをジェイコム株発注ミスの事件に感じました。
そもそもはコンピューター操作上の単純ミスだったそうです。
でもそれが300億円超の損失に広がっていくのを、人間が止められなかった。
常々、人間は完全ではないと私は思っています。
それは否定的な意味ではなく、完全ではない人間がよりよくなろうと日々努力し、成長しようとしているその姿を美しいとは思っていますが・・・
その完全ではない人間が考え作り出しているあらゆる製造物は、誤作動あり故障あり欠陥ありの不完全な物であっても何の不思議もないはずです。
現代はその不確かな物に余りにも頼り過ぎているのではないでしょうか。
人間はミスをする事がままあります。
その不備を補うはずの機械に、頼りすぎて振りまわれている。
より早く、よりたくさん、より便利に、より高度に、より見栄え良く、よりよりよりとあらゆる場面で無理をする為に。
人間が機械に使われているような感さえします。
機械化によって、確かに私達の生活は便利になり格段の向上をしました。
でも人の心はどうでしょうか?
昔よりも豊かに美しく、皆で助け合って生きていくようになったでしょうか?
地球の自然は美しく保たれているでしょうか?
いろんなことが機械化され文明が進んだことによって、余りにも失ったものが多いのではないでしょか?
もっとゆっくりと、もっと素朴に、人間本来のありのままの姿で生きていける社会が、人間にとって本当は幸せなのではないかと思います。
入力一瞬で300億超の損、私には真っ当な世の中には思えません。
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December 09, 2005
ニュースの画面に、ご近所のマンションが映し出されました。
耐震偽造が明らかになった中で最も危険な建物、震度五弱で倒壊の恐れとアナウンサーが説明しています。
我が家から歩いて2~3分、駅からも2~3分の繁華街の中にあります
市は使用禁止命令を出すそうですが、居住者は勿論、周辺の住民はどうするのでしょう。
家やお店を持って逃げるわけにもいかないし・・・
無事解体が終わるのを待つのみ、なんて虚しいですね。
地震国日本、世界に耐震の技術を教える立場の国がなんというザマ。
技術が泣いているでしょうね。
朝刊の耐震偽造の記事の横には、森派が耐震強度を偽造した建物の建築主や検査機関からの献金660万円を返却と書いてありました。
国民を守る立場の人達が、幾ら認められている献金とはいえ、お金をもらっていては監督が甘くなってしまうでしょうし、おかしいなと感じても強い事は言えないでしょうね。
母の病院へ行くタクシーの中で、運転手さんがかなり怒っていました。
「のらりくらり責任逃れをしようとしている関係者を全員、問題のマンションに住まわせなければ、住民の気持ち等分かるはずがない等々」
こう信じられないような厭な事件が次から次と起こると、皆の考える事がギスギスしてきてしまってこわいようです。
こんな時こそ、美しい音楽とか、心暖まる話とか、マスコミは流してほしいと思うのですが・・・
探せばよい事だって一杯あるはずなのにと思います。
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December 08, 2005
息子が1歳半位の時だったでしょうか、手を伸ばせばすぐに腕を掴める位のほんのちょっと前をヨチヨチと一人歩きさせていました。
人も車もほとんど通らないような閑静な住宅地の歩道でです。
前から歩いてきた杖をついたおばあさんに「すぐに子供の手をつなぎなさい!英国では6歳までの子供は必ず手をつないで歩くと規則で決まっています」と厳しい口調で言われました。
慌てて手をつないでしばらくしてそっと後ろを振り返ると、くだんのおばあさんが私達親子が手をつないでいるかどうか、じ~っと立ち止まって見ていました。
2歳半から小さな20名程の幼稚園に通わせていました。
9時と12時の幼稚園までの送迎は親の責任で、いつも大体付き添ってくる父親と母親の数が半々位でした。
親が皆自営業というわけはないでしょうに、父親が園児の送り迎えをしている事が、当時の私には異様な光景に見えました。
でも今から思えば、父親不在で子育てをしているような日本人の家庭の方がずっと異様なことだったのでしょうね。
社会全体が父親も育児に参加できるような仕組みになっているのです。
だから、英国の子供達は皆安全かといえば、決してそんなことはないのですが、親が子供を守る為に出来ることはきちっと決めて、社会全体で子供を守ろうとする姿勢がとても印象に残っています。
毎日のように我が町で見掛ける光景ですが、親がなが~い井戸端会議をしていて、子供が退屈してちょっと危ないことをしそうになると、物凄い剣幕で怒られている姿を見かけます。
ちょっと手を繋いでいれば子供だって怒られないですむことなのに、「あぁ~、親の勝手で怒られて可哀想に」なんて思って見ています。
もし日本でも小さな子供は必ず大人と手をつなぐ、小学校の間は親が送り迎えをする、子供を一人で留守番させない等、子供を守る規則が作られれば、かなりの子供の事件や事故は防げるのではないかと常々思っています。
そして余計なことで子供が怒られる回数も減って、親子関係も良くなるのではないかなと思うのですが・・・
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December 06, 2005
“水と空気と安全はタダ”と言われた古き良き時代は、残念な事に終わりを告げたようです。
それなのに、子供を守るべき親や大人がその事実にとても鈍感なような気がします。
子供が暗くなるまで元気に外で遊べる時代は終わってしまったのです。
もっともこの頃小さなうちから塾やお稽古ごとで忙しく、そんな子は殆ど見かけなくなっていましたが・・・。
治安は欧米並みになろうとしています。
一人息子を生後5ヶ月からロンドン郊外で育てました。
住居が決まってすぐ、英国はホームドクター制なので近くのお医者様に登録に行きました。その数日後、息子が寝ている間に急いで買い物に行き帰宅すると、ドアーの下に置手紙がありました。
ドクターから、地域に東洋から来た乳児がいると聞いて、保健所が様子を見に来てくれたようでした。
手紙には「英国では子供を(確か12歳以下だったと思います)一人で家の中に置いておくことは禁止されていて、警察に通報することになっています。英国に来たばかりで知らなかったでしょうが、今後気を付けるように」と書いてありました。
「警察に通報する」のくだりですが、その後現実に身近で起こりました。
海外に赴任していると、大人だけの、子供を連れて行けない集まりが時々あります。
そんな時は何家族かの子供達を1軒の家に集めて留守番をさせたりします。
ところが、その日は子供達が夜9時近くまで騒いでいたようで、ご近所の英国人が警察に通報して一騒ぎありました。
そこまでしなくてもというのが日本人の大半の意見だと思いますが、そこまでしても子供を危険から守る、後から後悔しない為に。
何か事が起こらないと対策を講じようとしない日本の関係者を見ていて、危険を出来る限り減らそうとする努力、大切なことではないかと思っています。 次へ
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November 27, 2005
マンションの耐震強度偽造事件に対して、我が家の三ヶ月点検に来た建築関係の人が「氷山の一角ですよ」とさらりと言ってのけました。
その余りに“さらり”とした言い方に、業界ではこうゆう事が公然と黙認されているのではないかと疑問に感じました。
大勢の人の命が関わっているというのに・・・
ちょっと話は変わりますが、お医者さまは人の命を預かる仕事だから税金が優遇されていると聞いたことがあります。
それに対して常々思っていることなのですか、あらゆる仕事は直接間接に関わらず人の命に関わっている場合が多いと思います。
今回の耐震強度偽造事件、我が家から2分の駅の近くに問題のマンションが一棟建っています。
マンションの居住者、その十数階建てのマンションに隣接するかなり広範囲の住民、そしてマンションの周りを通りかかる人々、建設業がどれだけ多くの人々の命に関わっている事か。
食べ物を生産、加工、販売している人も、尼崎の列車脱線事故のように乗り物を運転している人も、乗り物を製造している人も、製薬会社で薬品を製造している人も、薬剤師さんも、又然りです。
一つ一つの仕事が、直接間接に関わらず人の命に繋がっていると感じる感性、想像力が今の人には欠けているのではないでしょうか。
いかに沢山お金を儲けようか、とお金のことばかり考えていると、人間の理性、善悪の判断、常識、良識が曇ってしまうのではないでしょうか。
今日のニュースで姉歯建築士の関わったマンションが35棟、確認されたと報道されていました。
まだ確認されていない物を含めて190棟近くあるのではないかとも言われています。
姉歯建築士一人の責任と言うよりも、お金の為なら何をしてもいいと思っている人と、自分の仕事にプライドと社会的責任を感じていない人が、集まるとこうゆう人間として考えられないような哀しい事件を起すのだと思います。
今度の事件、バブルの頃からのお金を儲ける為には何をしてもいいという風潮の極まりかなという感じがします。
お金を使いこなす人よりも、お金に使われると言うか支配されてしまった人が、増えている気がします。
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September 23, 2005
誰でも国会議員になれる、選挙に当選すれば、一見とても平等でいいことのように思えます。
でもそれは選挙民にしっかりと選ぶ判断力があること。
そして政党が政治家として相応しい中味のある候補者を推薦すること。
そうでないと誰でも国会議員になれて平等でいい、とばかりも言ってられないような気がします。
特に比例代表制のような仕組みの場合には比例の順位を決める政党がよほどしっかりしていないと、候補者を選んだ当事者の一人であるはずの森前首相が「歳費がこれだけもらえてよかったとか、宿舎が立派でよかったとか、こんな愚かな国会議員がいっぱいいる」と皮肉る結果になるのです。
やはり有名人、顔の売れている人のほうが、政治家として中味のある人より有利というのは、なんとかならないものでしょうか?
勿論有権者の良識に頼る以外に道はないのですが。
今の日本の選挙は有名人の人気投票のような感さえありますもの。
政治家になった日から、新人の一票もベテランの一票も国を動かしていく同じ重さがあるのですから、その自覚がある人に当選して貰わないと困まります。
それなのに、少しずつ慣れて国会議員の自覚も出てくるだろう等と悠長なことは言っていられないと思うのですが。
政治家になったその日から、諸般の出来事に適切な判断ができるような基礎学力がある人物かどうか、何か判断する基準がないのかなと思ったりします。
民主主義の国において、国民と政治家は同じレベルです。
あの新人議員と私達は同レベルなのですよ。
そして国のレベルは、政治家と同じです。
日本の国、大丈夫かな~~~
今回の選挙を通じて神様は何を示し申されたかったのかな?
偶然は何一つないのですから。
国民に考えてほしいことが一杯詰まっている、そんな選挙結果だったように感じます。
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September 22, 2005
「日本の政治で一番大切に思っていることは」との問に「それは平和を守ることですよ。海外へ出て武力行使なんてのは絶対やっちゃいかん、それだけだ。なんでそういう愚かなことを考えるのかね」と答えた、後藤田正晴元副総理が亡くなりました。
彼の考え方の全てに賛同していたわけではありませんが、時の総理を始として後輩議員達に、しっかり筋の通った意見を言える貴重な存在だと感じていました。
昨日、まるで大学の入学式のような新人議員の初登院を映し出すテレビの画面に、後藤田正晴氏死去の字幕が流れました。
それが私には、とても象徴的なことのように思えました。
ホンマモノの政治家から軽い政治屋へ時代が変っていく現実を突きつけられたような・・・
料亭に行ける、グリーン先に乗れる、歳費がこれだけもらえる、宿舎が立派だ、そんなことを喜び、母親同伴で登院し、自分の両親のことを“父、母”と言う常識さえもない、そういう人々にこの国を任せなければならない恐ろしさを改めて感じています。
今回の総選挙の結果に対しては、私なりに納得している部分があけます。
それは投票率が高くなったことによって、組織票の力が弱まったことです。
選挙というのは民主主義の象徴です。
一人一人が自分の意思を選挙という形で表明し、国政に関わる最大のチャンスなのです。
それを組織票の力で曲げられたくないと常々思っていました。
特にそれが宗教がらみだったりすると、憲法でうたわれている政教分離はどうなっちているのかなと不思議で仕方がありません。
自民党が単独で過半数を取れたというか2/3の議席を取ってしまったことは、独り勝ちのし過ぎという感は否めません。
でも組織票による政党の影響力が弱まるだろうという点で、それはそれで致し方ないかなとも思っています。
もっとも当選した議員の中身にかなり問題がありそうで、今はそちらの方に愕然としていますけれど。
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August 27, 2005
9月9日は、当市東部地区をあげての一大イベント「敬老会」のお祝いがあります。
一ヶ月以上前から、民生委員の方が一人一人の出欠を確かめたり、会の為に尽力されています。
バスの号車、乗車場所、時間が決まり、知らせがあったその日に、市の建築指導課から「F市違反屋外広告物除去協力員様」宛の手紙が、主人と私に届きました。
大体この名前、何とかなりませんかね。
自分達でさえ一回で正確に言えません、と言うか覚える気にもなりません。
仲間内では「広告剥がし」で通じますけど・・・
お役所って難しい名前をつければ、偉そうなことをしているような気分になるのでしょうか。
ところで内容は「違反屋外広告一斉除去キャンペーンに伴う協力について(依頼)」とあります。
ななんと、キャンペーンの日が9月9日、「敬老会」の日と同じ、しかも時間も同じです。
我が自治会の「広告剥がし」隊は、殆どの人が、「敬老会」に参加もしくは協力する人達です。
東部地区の他の自治体も同じだと思いますが。
人間、体は1つしかないのですけどね~。
いったい市役所は何を考えているのでしょう。
市の、どの課が、どの地区が、何日に何をするか位、把握するのはそう難しいことではないと思うのですが。
横の連絡は全然ないのでしょうね。
主人は今、市の行政改革の委員をやっています。
「日本の縦割り行政の典型ね」と言ったら、「こんなのいいほうだよ。もっと大きな問題が目白押しで」と言われてしまいました。
御もっとも。
でも我が自治会の「広告剥がし」隊は、毎月第3日曜日に活動していて、NHKの「ご近所の底力」にチョコッと出演した事もある位です。
皆でキャンペーンに協力したかったな~、残念!
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August 12, 2005
日本の子供たちは受験戦争という戦争の真っ只中、真っ当な子供が育つわけがないと書いたことがあります。
今回の政治の解散劇とそれに続く選挙戦を見ていて、日本の政界も戦争の真っ只中ですね。
国と国民のことを全く考えていない、政権争い、自分の権力保持、意地の張り合い、恨みつらみの応酬、そんな中で真っ当な国民が育つわけがありません。
今の日本社会の悪いところを全部、政治家に転嫁するつもりもありませんけれど。
でも国を治めてゆく人達には、やはりそれなりの範を示してもらいたいですよね、期待するのが無理とはわかっていても。
そしてこのどうしようもない体たらくは、私たち選挙民の招いたことだということが分かっていても。
昔、政治の事を、政(まつりごと)、祭り事といいました。
祭政一致、祭事と政治とは一致するものと考えられていたからです。
今は“祭り”というとまるで観光行事の一環のような、人集めの為のように扱われていることが多いのですが、本来は“日をきめて神と人との交渉を具現する儀式”でした。
今の政治の場に神は絶対に現れないと思います。
神は争い事が一番嫌いだからです。
人間がみんな協力し合って仲良く暮らしてほしい、それが神様の一番の願いです。
選挙は、確かに当落を決める戦いです。
でもその戦いは国の行く先を決める政策を争う為であって、党をぶっ潰す、相手の政治生命を絶つとか、人格を非難するとかというレベルの争いではないはずです
ホリエモンのニッポン放送買収の時は途中まで応援していました。
でもフジテレビにまで買収の手をのばした時、やり過ぎだなと思いました。
今回の小泉さんも、勝ち目のない総裁選に懲りずに出馬して、改革を訴えていた時から、改革をすることに対しては支持しています。
でもこの選挙の戦い方、やり過ぎだなと思います。
どうゆう結果になっても、後に遺恨を残すでしょう。
“一寸先は光”と信じましょう、と度々このブロックに書いています。
この政局にどうやって光を見出そうかと、考えています。
皆で選挙に行く以外に道はなさそうですね。
光を得る前の、一瞬の闇であることを祈りつつ。
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June 13, 2005
何の仕事だと思いますか?
テレビの生放送のタイムキーパーです。
テレビのCMは一分半1,500万円で売られているそうです。
バブルの頃は3,000万円で売れたといいます。
私達のトイレタイムのCMの時間がそんな高額で売り買いされているなんて信じられませんね。
アメリカの学生時代、「日本のテレビ番組は秒針に合わせて正確に始まる」と何気なく言った言葉に周りの学生たちが、けんけんがくがくの議論になりました。
言いだしっぺの私は英語力の問題で蚊帳の外、どうしてこうもアメリカ人は議論好きなのかなとびっくりして見ていました。
でも最後に「そこまで正確にしないと何か不都合があるのか?」と尋ねられて、「???・・・」
本当にそうなんですよね。
TVを時計代わりにしている人は別として、1~2秒、1~2分遅れたって、どうってことないはずですよね。
むしろ生放送の番組でいつも起こる事ですが、司会者がゲストの話を途中で打ち切って無理に時間内に終わらせてしまう。
内容が中途半端になる、そちらの方がよっぽど問題だと思うのですが・・・。
内味より時間なのですね、日本は。
時間に正確、勿論悪いことではないのですが、秒単位の社会にどっぷりつかっていると、当然弊害も出てきます。
日常生活において待つことの出来ない、余裕の無い人間を作り出している気がします。
大人は、赤ちゃんや子供のすることが待てない。
老人や障害者の時間の掛かる動作が待てない。
不寛容の社会を作り出している一因なのではないでしょうか
待つ事ができないと言う事は、それが人間であれ自然であれ共に生きていくことが下手だということにつながると、言った人がいます。
何事も程々がいいんですよね
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May 18, 2005
自分の衣食住は、空から降って来たものでも地から沸き上がってきたものでもなく、自分の親又は身近な人が汗を流して一生懸命働くことによって守られているということを子供に伝えるのも、親と大人の大きな責任だと思います。
今の子供や若者は、生まれてきた意味、生きている意味、勉強する意味、働くことの意味、そういう人間として本当に大切なことを親や大人から教えてもらえていません。
というよりも親自身が深く考えていないのではないでしょうか?
働くのはお金の為、生活の為。
それも確かに働くことの一面ですが始めにお金有りきではなく、もう一つ深い意味をしっかり見詰めておかないと、お金の為なら何をしてもいいということになりかねません。
バブル以来世の中にそんな風潮がチラチラと垣間見得るような事件が次々と起きています。
『これからは頭脳でお金を稼ぐ時代で、体を動かして稼ぐ時代は終わった。』と言った人がいます。
そう言っている人の、命をつなぐ食べ物は、着ている洋服は、住んでいる家は誰が作ったのでしょうね。
目に見えない陰で体を動かして働いてくれる人がいるから、生活が成り立っているのです。
何か今の若者の考え方と通ずるところがあるような気がします。
小さい時から少しでも良い大学に入る為に勉強さえしていれば、衣食住はあって当たり前。
親が一生懸命働き、そして数え切れない程の大勢の人々の働きによって、生かされているという事実に気付くことなく大人になってしまう。
そしてある日突然、社会人として働かなくてはならなくなっても、上手くいかないのではないでしょうか。
大人が一生懸命生きている、働く姿を小さな時から子供に伝える事が出来たら、感じてもらえたら、後は子供が成長の過程で自分の将来を試行錯誤しながら考えてゆきます。
たとえ子供が親の望んでいる仕事についてくれなかったとしても、その子供なりの方法で、その子の才能を生かして人の役に立ってくれれば、それは素晴らしい事だと思います。
働く意味について、きちんと教えられる親でありたいですね。
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May 12, 2005
“平和ぼけ”、そんなコメントを頂きました。
16年間欧米で暮らし、世界情勢を肌で感じ、日本を冷静に見る事が出来ました。
それだけに、今の世界の状況と日本の置かれている実情には、人一倍危機感を持っているつもりです。
ただその危機感の表し方が、他の方とは違うかもしれません。
でも皆それぞれ自分に出来る方法で、訴えかけていけば良いのではないでしょうか。
私は、人間の生き方、在り様を通して根底から今の危機を考えていきたいと思っています。
今直面している出来事は、対処療法で済まされる程、安易な事では無いと感じているので・・・
遠回りかもしれません、でも物事の本質を根本から考えた時、意外と全体像が、日本と世界のあるべき姿が見えてくるのではないかと信じて・・・
そんなわけで、地味で堅い話をコッコッと書いております。
人類の初めは自分の衣食住を自分でまかなう自給自足でした。
それが進んで狩の得意な人は沢山捕れた獲物を他の人に分けてあげる、その代わりに手先の器用な人に着る物を作ってもらう等々。
それぞれが自分の才能を生かして得意なものを物物交換し、お互いに助け合って生活するようになり。
次第に分業が進んで物物交換に貨幣を伴うようになって、現在に至っているわけです。
要するに経済なんて難しい言葉を使っていますが、早い話が自分一人で何もかもするのは大変だから、それぞれが才能の交換をして、そのお礼にお金を頂く。
自分の才能を生かし、人のお役に立ち、お互いに助け合う、これが働くことの本来の意味であり、同時に人間が生きていく意味でもあると思います。
直接でも間接的にでも人のお役に立つ事をしていれば、自分自身も働く事に喜びを持っことができます。
そして仕事に生き甲斐を感じられたら、仕事から明日へのエネルギーを貰うことにもなります。
喜んで働く、ここが大きなポイントですね、きっと。 次回へ
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May 11, 2005
イラクで拘束された斉藤さん、JR西の脱線事故を起したまだ若い運転手、ふと今私達は『働く』ことをどのように考えているのかなと思いました。
日本の神道では仕事を、仕える事。 神に仕える事と考えるようです。
古代の「祝詞(のりと)」では、人間は大事な稲作りの仕事を神から「依さし」(よさし)依託された。と言っています。
働くという事は、神の仕事を手伝う神聖な事だったのです。
それでは現代の日本人は働くことをどうとらえているのでしょうか?
生活の為、お金の為と思っている方が圧倒的に多いような気がします。
働くという字は、人が動くと書いて、はた・らくと読みます。
人(自分)が動く事によって、はた(側)を、らく(楽)にする。
人(相手)の為に動く事によって、はた(側)を、らく(楽)にする。
はたとは自分の周りの人々の事を言います。
仕事というのは自分の周りの人々を楽にさせる為に動く事なのです。
本来仕事というのは自分が動くことによって人に喜びを提供する事です。
皆がお相手にいかに喜んでもらうか、相手が何を求めているかを考えながら働く。
仕事とは相手を思いやることから始まります。
今どれだけの人が相手を楽にさせたいと思いやって働いているでしょうか?
歌手の南春夫さんが言っていた「お客様は神様です」この心が基本であり根本的な考え方であるはずなのです。
皆がそんな気持ちで仕事をしたら住みやすい社会が出来るとおもいませんか?
拘束されている斉藤さんのご無事を願っています。
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May 09, 2005
交通評論家と称する人―大事件が起こると次々と新種の評論家さんたちが登場してきて、いろんな評論家があるのにびっくりしますね―が朝日新聞で『鉄道に限らず正確さを求める日本の国民性の背景には、人口密度の高さがあると』と言っていました。
欧米と日本の人口密度を比べると、オランダと日本が高くて:
オランダ 386人/平方km
日本 341人
似たような人口密度の高さでも、その内容には雲泥の差があります。
それは日本の国土の80%が山岳地帯で人の住める土地は限られているので、本当の人口密度は1,673/平方kmになるそうです。
オランダは殆ど山や谷が無くどこまでも平地、という事は土地の有効利用率が異様に高い国です。
オランダに住んでいたことがあるのですが、オランダ人の先人達は将来を見据えて国造りをしたのだろうなと感じ入りました。
行政、司法はハーグ市
金融、経済はアムステルダム市
商業はロッテルダム市
学問はライデン市
そして各都市は立派な高速道路によって短時間で行き来できるように創られています。
そういう国造りをした人たちも立派ですけど、その人たちを政治家として選んだオランダ人も自分たちの生活を真剣に考えているのだと思います。
それに引き換え、日本はなんでもかんでも一つの地域にまとめてごちゃ混ぜにしてしまう。
それを便利だ、機能的だと思っている大都市一極集中に歯止めを掛けなければ、今回のような事故を根本から無くす事は難しいのではと感じています。
若い人、働き盛りの人が皆大都市に、我も我もと押し寄せて、小さな町村はどんどん過疎化し仕事もなく、お年寄りだけが残されてしまう。
何時までこんな悪循環を続けていくのだろうかと不可解に思いませんか?
例えば、大学は大都市の中には置かない。専門性の高い、個性のある大学を地方に分散して、偏差値なんかで比較できないようにする。
大病院も自然の豊かな、ゆったりした敷地の取れる所に創った方が良いと思うのですが。
これは看病する家族の問題もありますが、町中で病人と家族を支援する体制を作れば、町興しにもなります、等々。
半分は思い付きで書いたのですが、日本人お得意の小手先だけの解決に終始するのはもう止めて、根本的解決をするように、皆で考えませんか?
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May 06, 2005
「界の発想」という言葉を、以前新聞のコラムで読んだことがあります。
特定の「界」だけでしか通用しない独り善がりの発想の事、を言うそうです。
先ず、頭に浮かぶのが政界―権力闘争に明け暮れ、自分達の私利私欲のために国民の大事な税金を無駄遣いする発想。
宗教界―自分の主義主張のために他宗教宗派の人達を殺戮することを聖戦だという発想。
その他、財界、金融界、芸能界、野球界、教育界、医学界、食品界等々、どれをとっても怪しげな「界の発想」が大手を振って存在していそうですね。
そこに今回、JR西日本の鉄道界が参入です。
人の命、安全よりも時間厳守の方が大切。
遅れの報告、1秒単位で。
事故現場に居合わせても救助もせず出社。
事故現場のご近所の方たちは、阪神大震災の教訓を生かして救助活動に自発的に参加していたというのに。
次から次と「界の発想」が明らかになっています。
でも、今回のJR西日本の事故は氷山の一角で、どこの「界」にも似たような危ない「界の発想」があるのではと思うのでが・・・
いつそれが惨事となって表れるか、ぎりぎりのところで踏み止まっているか、の違いだけで。
日本は「界の発想」を生み易い社会のような気がします。
仲間意識がとても強いのはいい面もあるのですが、やはり何事も程々が大切で、いつも自分達だけで固まっていると回りが見えなくなってしまいます。
それを防ぐには、風通しの良い社会を創る必要があるのではないでしょうか?
職場という縦のつながりだけでなく、地域や子供の学校行事、趣味の集まり、ボランティア活動等何でもいいのですが横のつながりも作れる、時間的に余裕のある生活が営める社会を作り出していかないと、「界の発想」は無くならないと思います。
今回の脱線事故、日本社会の数々の問題を含んでいると感じています。
それをマスコミの「界の発想」で、視聴者が安易に飛び付きそうな目先の話題で人を煽って、それで終わりにしなで、問題の本質に迫って欲しいと願っています。
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May 04, 2005
時間について興味ある記事が朝日新聞に載っていました。
欧米で列車が遅れたと認識されるのは:
ニューヨーク 最終駅到着が5分遅れた時
ベルリン 3分以上の遅れ。
イギリス 短距離の列車ではラッシュアワーで4分を超えた遅れ
イタリア 5分から15分程度の遅れは乗客も認めている
フランス 自動制御システムを導入。
許容範囲を超さないと取り戻せない遅れは、放っておくしかない。
スイス 3~4分の遅れはよくある。
欧米では90秒遅れは「定刻」、3~5分までは通常視が普通だそうです。
これは当然、列車の時刻だけのことではありません、例えば欧米のテレビ番組もそうです。
アメリカに住んでいた時、ニュース番組が1~2分遅れることは時々ありました。
イギリスになると、BBC(国営の放送局)のニュース番組が3~4分遅れることが結構ありました。
ごく当たり前のことのようで、遅れてすみませんでもないし、何分遅れていますとテロップが流れることもありません。
几帳面な日本人といたしましては(私は時間ぎりぎりにやっと滑り込む方なのですが)時間に正確、それだけで何となく信頼がおけそうな気がすると思いながらも、“郷に入っては、郷に従え”で文化の違い、国民性の違いと余り深くは考えませんでした。
でも、今回のJR脱線事故で日本人の時間の観念を、“時間への強迫観念?”と受け取る外国人もいると知った時、文化の違い、国民性の違いで終わらせてはいけないと強く感じています。
今私達は、秒単位で“時”を気にする生活を送っています。
やはり異常ですよね。
人々の心に余裕が見られませんもの、何処かで殺気立っているような。
事故の原因を、JR西日本にしつかり究明してもらう事は当然です。
と同時に“時は金なり”の時間第一の社会を、変えていく努力も必要ではないでしょうか?
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March 11, 2005
中西議員が強制わいせつで逮捕されました。
日本は世界でも稀有なほど、お酒の上での不始末には寛大な国でしたが、近頃は世の中もまともになってきたようです。
でも今度の事件は“国会議員が何ということを・・・”と怒って、それで終わらせてはいけないことではないでしょうか。
民主主義の国においては、国民と政治家は同じレベルのはずです。
なぜならば私たちが投票で、もしくは棄権することによって黙認して、選んだのが政治家なのですから。
このような事件をおこす人を国会議員にしたのは、私達選挙民の責任でもあると思います。
でも選挙の時本当に困るんですよね。
選びたいと思う政治家がいないんです。
どうしてなんだろうかと不思議に思う位、誰もいないんです。
これは今まで国民が、政治家を育ててこなかった結果ではないかと思います。
特に国会議員には日本の将来を考え、世界の未来を考えられる人を選ばなければいけないはずです。
それなのに自分たちの選挙区に高速道路を作ってくれそうな人、橋をかけてくれそうな人、選挙区の団体や企業に仕事を取ってきてくれそうな人、そういう自分たちの小さな地域の利益のことばかりを基準に選んできた結果の積み重ねが、現在のにっちもさっちもいかない日本を作ってしまったのではないかと私は思っています。
日本の自分の将来は私たち国民が選ぶ政治家の手にかかっているということを、民主主義の国家においては、よき政治家を選び育てるのは国民の義務であり責任であるということを、考え直すきっかけになるといいのですが。
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February 17, 2005
京都議定書が発効されました。一歩前進、喜ばしいことだとは思います
日本では経済産業省が対策に乗り出すそうです。
でも前にもちょっと書きましたが、例えば、銀行に行くと行内が暑さでムンムン、「リンゴのほっぺになっちゃうんです」と行員さんが頬を押さえて上せ顔。デパートのレストランでは中年の女店員さんが半そで姿で働いています。真冬にですよ。集中暖房なので自分たちではどうにもならないと言いながら。
夏は去年のような酷暑でもセーターがないと外出できない程、至る所でクーラーがガンガン効いていました。
塵も積もれば山となる。
国に任せるだけでなく、一人一人が自分にできる小さなことからはじめる、それが一番大切なことだと思います
何年か前から“地球との共存”“地球にやさしい環境づくり”という言葉をよく耳にするようになりました。
それって人間の奢りではないかな?と私は思っています。
人間を含めて生きとし生けるものは美しい緑と水の惑星、地球の上で守られ育まれています
私たちは地球上に住まわせてもらっているのです。家賃も払わずに。
せめて汚さない位の努力はしたいですね。礼儀として。
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