August 17, 2009

我家を真ん中に両隣、3軒並んで喪中になりました

高齢化社会になった事を実感する出来事です。
6月末には左隣の娘さんの87歳のお母様、先週末は95歳の私の父、今週末は右隣の郵便局長さんの96歳のお母様が亡くなりました。
父は4年前に我家に引っ越してきたので、お互いにお付き合いしていたわけではなく、全くの偶然です。
この不順な気候、年寄りには応えるのかもしれません。

3人共、可なりの高齢ですから、天寿を全うし、子供、孫、ひ孫達に賑やかに見送られての旅立ちでした。

局長さんが、「時期が悪かった。お盆でお坊さんが皆忙しくて、やっと来てもらえる事になったけれど、お通夜と告別式は別々のお坊さんで・・・本当に参りました」とか・・・
ご町内の参列者の面々も、我家の不幸との間が5日間だったので「喪服をお盆休みの洗濯屋さんから取り戻した」とか・・・
斎場でそんな話しがさり気なくできるのも、天寿を全うされたと信じられるからです。

高齢者とのお別れは、悲しみの中にも無事見送れたという一種の安堵感のようなものが漂っていて、長生きする事の意味はそんなところにもあるのかもしれません。

すぐお近くの時宗総本山“遊行寺”の塔頭からみえたご導師の読経が、静かに心に染み入りました。
読経の流れる中お線香の香りに包まれて、少し落ち着きを取り戻したような気がしています。


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August 14, 2009

父を天に見送りました

コブクロの“CALLING”を聴きながら、時々、止めどなく流れる涙に身を任せています。

悲しみの涙か?と問われたら、多分違うと・・・

我慢強い人でした。
入院してからも、いつでも、どんな体調の時でも「お父さん大丈夫?」と気遣うと、途切れ途切れに「だ・い・じ・ょ・う・ぶ」と必ず返してくれました。
亡くなる2週間程前から、39度の熱が下がり切らなくなり、「大丈夫」の言葉は返ってこなくなりました。
その代わり、熱が少し下がると定まらぬ目が「まっちゃん、もお、ええわ~」と訴えているように思えて、切なかった・・・

親を失った悲しみと言うより、長い間同じ思いを共有した同士がいなくなったような寂しさが心の中にひたひたと広がっています・・・

乾杯のコップを持って微笑んでいる父の遺影を見ながら思い出していた事は、子供時代の思い出でも、華やかなNYでの生活でもありません。
母が精神的に不安定になってから10年以上、ただただ父と二人で力を合わせて母を守り、母を守る為に励まし、慰め、褒め、そして母を思う余りに争い・・・支え続けた日々を・・・

でも母が大変だったから、いつもあなたの事は後回しでしたね。
それでも母の為に駆けずり回っている私に「迷惑を掛けるな~、有難うよ」と、いつも・・・

最大の願いだった母を見送る、大仕事を終え、日々衰えていくあなたと母の思い出話をしながら1年ちょっと、あなただけの為に穏やかに介護が出来てよかった。

無事両親の介護を終えられたのは、大勢の、数えられないほどの大勢の人達の助けのお陰だと感謝しています。

そして、僕は住む場所と緊急時の労力を提供しますから、後は親子でお好きなように・・・
一日7~8人のヘルパーさんが我家を訪れ、誰の家だか分からないような状態が数年続いても、可なり際どいブラックジョークで私を苦笑させながら、常に冷静だった主人。
本当にありがとう。

一昨年末、母を見送った時は1滴も出なかった涙、今二人分の別れの涙を誰にも遠慮もせずに流し続けています。

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July 13, 2009

天命庵のお話ー物事の受け取り方、考え方

天命庵にお話を伺いに、捻挫以来始めて自力で行ってきました。
主人に連れて行ってもらうと、仕事の関係でどうしても、午後のお話しか伺えないのですが、今回は一人で午前からゆっくりと・・・

《大阪、南の道頓堀川は人口池です。船を浮かべてお祭りをするのですが、人口池には神様をお奉りしていないので、八大竜王様をお迎えする事になりました。
七夕の日の11時からお祭りを始めました。
そうすると、雷と土砂降りの雨、太陽と風。それが10分の間に大雨、大風、太陽と雷と、10分間だけですけれど・・・その後ぱーと晴天になったのです。
八大竜王さまは、天気の神様で雨の神様と言われています。

私も素直ですから「神様が来たという事を教えて下さっているんですよ」とお側の方々にそっと耳打ちしましたら「そうですか~~」と・・・
それまで「雨だ、え~ぇ~」と渋い顔をしていた方々が、心が変わると顔が変わりますね。
「神様が来たと言っているのですよ」“ごろごろごろ”と雷が鳴るのを聞いて 、
“ハッ”となさって「大徳寺さんが仰るから、そうですよ」と皆さんにこにこと笑顔になられて・・・
人間というのは受け取り方が変わると、顔が変わりますね。
はっきり分かります》

《桂米團次さんの襲名披露講演の最終日行ったのですが、大雨だったのです。
楽屋にお伺いすると、桂米團次さんが「どうして私の襲名講演のラストがこんな雨なんですか?」と残念そうに言われるので、
「雨が降って地固まる、地が固まって、一生懸命日本国中廻って蒔いた芸の種が実る咲かせる雨ですよ」と言いますと「ほっ!そうですか」
丁度そこに花禄さんがいまして、米團次さんが花禄さんに嬉しそうに話されて、又、それを講談の時に、会場にいた800人位の方に伝えられたら、皆さんが「まぁ~」と・・・
人間、変わりますね。
それまで「なんでこの襲名のラストに大雨なんだろう」と会場中シュンとしていたんですよ。
それが、米團次さんが「雨降って地固まって、種から芽が出る縁起が良い雨です」と言ったら、お客様がら拍手が沸き起こったのが印象的でした。
今日、親様がおっしゃったように、人間の考え方、受け取り方を変えるだけで人間の気というのが変わるわけですね。
それが、人間の心が曇っていると駄目なんです。。
受け取り方を変える。気持ちを変える。それだけで、皆さんから出てくる気も顔つきも変わると感じました。》
と言うような事を、最後に大徳寺さんが話されました。

神様は、いろんな場面場面で、そのつど示し申されています。
“神”とは、示す偏に申すと書きますから。
それも必ず、良い事に繫がっていく道を示めされています。
でも、私達はそれをマイナスに受け取る事が多いような気がします。
自分の望んでいるようにならないと、悪い事のように思ってしまう。

“大雨が降った”その状況は何も変わらないのに、受け取り方を考え方を180度変えれば、全く違った世界が広がって行きます。

いつも物事を良い方に受け取り、考える事の大切さを、学ばせて頂いています。

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July 05, 2009

人生は気の向く事だけして、とはいかないようで・・・

入会して5分後の帰り際に転倒、お休みしていたスポーツジムに3ヶ月ぶりに行ってきました。
リハビリの為の水中ウオーキングを勧められたのと、3ヶ月動かなかったので体が固まって体調が芳しくないので、思い切って始めました。
どちらにしろ、私は金づちなのでウオーキングしか出来ないのですが。
始めは2往復からと言われたのですが、水の中は何の不安もなく歩けるので3往復、幾らでも歩けそうだったのですが自制しておきました。

N・Yの学生時代、体育の授業が必須科目でした。
最初の授業で、25m泳ぐテストがあり、合格すると水泳の上級クラス、又はテニスその他、自分の好みのスポーツを選べます。
泳げない私は、自動的に水泳の授業を受ける破目に・・・
学期末のテストはプールの一番深い所から飛び込んで底を蹴って浮上し泳ぐ。
教授と助手2人の万全の態勢の中で行われます。
「危なかったら、直ぐ助けるから出来るところまで」と言われてトライしたら、なんと25m泳ぎきって無事合格。

その夏、学生仲間の婚約パーティーに呼ばれました。
N・Y郊外には、プール付の家が多く、彼女の家にも大きなプールがありました。

水泳の授業に合格して“B”を貰ったと自慢していたので、いざ!お披露目。
でも、でも、浮いただけで前には進まず。
仲間達から「アメリカの男性は女性に甘いからな~」とからかわれました。
25m泳げたあれは一体何だったのでしょうね。まぐれというか“火事場のバカ力”のようなものだったようで・・
人生で泳げたのは、後にも先にもあの時の1回きりとなりました。

体を動かすのが苦手で、気功とかピラティスのような軽い動きのもの以外、スポーツとは無縁で生きてきたし、生きて行くつもりでした。
ところがそうは問屋が卸さないようで、人生はよく出来ています。
怪我のリハビリと、再び転ばない為に筋肉を付ける運動をせつせとする事に・・・
気の向く事だけして生きてゆく、では済まされないようになっているのですね、きっと。

我家には、私よりもっと運動をした方が良さげな主人がいます。
車で連れて行ってもらい、帰りにお昼を食べて、とジム通いを楽しむ事にしました。
父の病院通いとジム、気分転換にもなっていいかもしれません。

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July 02, 2009

95歳、治療の選択

朝9時、電話が鳴りました。
父の入院している病院から、検査の結果が思わしくないので輸血をした方がよい状態ですが・・・どうしましょうか?と。

何時からなのでしょうね?
治療をどうするか?家族が決めなくてはならなくなったのは・・・
輸血をしなければ、命が危ないのならば「輸血をしますから、同意書に署名に来てください」と言ってもらえれば、それで全ては決まることなのですが・・・

答えは決まっていても、改めて決断を迫られて、それも即決となると、一瞬『どないしょう???』姉が2人いますし・・・

一昨年亡くなった母の時もそうでした。
ただ、母の時は90過ぎの父がまだしっかりしていたので、医師からの情報を出来るだけ正確に伝えて、父の意見を聞き、それを姉達に伝えてまとめていました。

前日お見舞いに行った時、最近のうちでは調子が良さそうで、院長さんと「ちょっと落ち着いていますね」と立ち話をしたばかりだったので、急変に驚いたこともあり、
「私が決めないといけないのですか~~~」と思わず大きな声を・・・
「今は了解を得てから治療をしないと訴訟問題になりますので・・・」
そうなのですよね。それもよく分かっています。

医療の進歩で選択肢が増えました。
医療側で選択肢を増やして、決断は全て患者側にと言われても・・・
特に高齢者は治療をする事によって、人間らしい生活が送れるようになることは難しい場合が多いですから。

姉達の意見を聞く時間がなかったので院長先生に「宜しくお願いします」と返事をした後、事後報告。
その折「そろそろ、娘3人で院長先生とお会いして自分達の考えを伝えておいた方がいいと思うのだけど」と聞いてみました。
長女は「あなたの判断に任せるから。あなたの考えが私達3人の意見でいいから」と、いともあっさりと。
このよく考えないで答えるタイプは、後が難しいのです。
次女の主人はプロテスタントの牧師でクリスチャン、余り自分の意見を主張するタイプではなく、後でジュックリお祈りをしているようです。
3日間の輸血が終わる日に、関西からお見舞いに来るので、時間が合ったら一緒に院長先生に会うことにしました。

私達3人は“もう95歳ですから出来るだけ穏やかな最後を”と願っているのですが、お若い院長先生にどの程度その思いが通じるか分かりません。


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June 29, 2009

『南無阿弥陀仏』は全てを阿弥陀様にお任せする

との意と、時宗のご導師がご近所のおばあちゃんの葬儀で言われました。

昨年まで、娘さん(といっても67歳ですが)ご夫婦とご一緒に住んでおられました。
ご夫婦で血相変えて「姿が見えない」と近所を探し回られたり、デパートで呼び出しのアナウスを耳にしたりと、段々認知症が進んで大変そうでした。
お近くに良い民間の老人ホームがみっかり、最後はそこで迎えられました。

ご近所の方が亡くなられると、主人が自治会長をしているので、知らせがきます。
ご町内に、お通夜、葬儀の場所と日時等の緊急の回覧を出します。

ところがこの頃、これがなかなか難しいのです。
家族葬にするので、伏せておいてほしいとの事もあれば、
“近親者のみで”との知らせを受けて、そのつもりでいると、遠慮しておられる事が分かり慌てて回覧を回したりとか・・・

今回も、娘さんが「母が亡くなりました。葬儀は近親者だけでいたしますので、お宅とお向かい(遠縁に当たられる)だけにお知らせします」
と、亡くなった日時、葬祭場、お通夜、葬儀の日時が書いた紙を持って尋ねて来られました。

急な事で本当にビックリし、お悔やみを述べながら、一段落して『さて、どうしょう???』
身内だけでなさる場合は、後から正式な連絡がくるか、詳しい内容は知らせないのが普通なものですから・・・
「身内だけで」と何度も言われるけれど、ここまで詳しく知ってしまって、おばあちゃんと戦前からお付き合いのあった“地の方々”に黙っているのも心苦しいし・・・
「本当に親しくしていた方にお知らせしなくていいのですか・・・最後のお別れをしたい方がおられると思うのですが・・・」とやんわりと聞いてみると、
「あら、そうですわね~それではお任せします」
『いや・・・その・・・お任せされても困るのですが・・・何方まで知らせるかはご自分で決めて頂かないと・・・』(これ本心です)

ご導師さまが「今夜、読経の中で、何度も『南無阿弥陀仏』と申し上げました。
ご家族は、亡くなった方に“ああもしてあげたかった、こうしてあげれば良かった” 。
又、亡くなった方が“ああもしたかったのではないか?心残りがあるのではないか?といろいろ思われるでしょう。
「南無」はお任せする。全てを阿弥陀仏にお任せする。後は阿弥陀さまに全てをお任せします。と言う事です」
「そして今晩は皆さんで、亡くなられた方の“所作、笑顔、志、嗜好、思考”この5つを偲んであげて下さい」と話されました。

この頃は、お別れの仕方にもいろいろあって、どれがどうとは言えません。
でも、ご導師のお話を聞きながら、おばあちゃんを偲んでくださるご近所の方々にお知らせして、よったのではと思いました。


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June 21, 2009

リハビリが始まりました \(^o^)/

「そろそろ杖は使わなくても大丈夫」とか「しっかりテーピングしてあるから包帯はもういらないかな?」と整骨院の先生に言われても、「もうちょっと今のままにしておいて」と私がストップを掛けるような状況が、ここのところ続いていました。
先生も無理にとは言わないタイプの方で、私が納得するのを待っていた様子。

昨日突然「そろそろリハビリに入りましょうか?ちょっと痛い位で、過激な事はしませんから」と断わってから、靭帯損傷した方の足をぐりぐりと可なりの力で揉みほぐしだしました。
私、痛みには滅法弱いので“痛かったら騒ぐわよ!”と身構えたのですが、騒ぐ程の痛みではなくホッ!
「私の足そんなに揉んで壊れないの?」
痛くないと分かって余裕がで、結構失礼な事をさらりと聞いてしまう悪い癖が・・・
「よ~~くほぐしておかないと、将来気候の変化によって、俗に言う“古傷が痛む”事になるから、ちゃんとリハビリしておきましょうね」と言いながら、先生も“痛い”と騒がれなくてほっとしている様子。
扱い難い患者ですみません。
なにせ大きな怪我は生まれて初めてなもので・・・

その後、10度の傾斜の付いたボードに起立。
痛くも痒くもなくて楽勝と思ったら、体は正直で、見る見る足首から下が真っ赤に。
物凄い負担が掛かって足が頑張っているからだそうで、でも1回目は3分だったのですぐお仕舞い。
傾斜を段々20度~25度に上げて慣らし、リハビリの最終はクッションボードに片足で上手に立てるようになる事。
そこまで筋力を付けると、年を取ってからの転倒の危険性がぐっと低くなるそうです。

「怪我をして動かないでいると、誰でも筋肉が落ちて当然だけれど、香川さんはもともと筋力がないから、頑張らないと、またすぐ蹴躓いて転ぶよ」と言われてしまいました。
何か一々言われる事が、つい数ヶ月前まで、私が両親の介護をしながら常に言っていた事と同じで・・・それにしてもちょっと言われるの早過ぎ!

私、気が向いた事はとことん努力するのですが、向かないと見向きもしない性格でして、体を動かすのをサボってきたツケが早々と回ってきたようで、焦っております。

リハビリをもう少ししたら“歩く、ただ歩く、ひたすら歩く、歩く為に歩く”
足にあった靴を履いてせっせと歩けば、足腰を鍛えるのは今からでも遅くないと言われました。
筋力は充分あるけれど、メタボ気味の主人を誘って一緒にテクテク歩きます。

怪我のお陰で2ヶ月半ゆっくり休めたし、足腰の鍛え方も教わったし、大収穫です。

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June 17, 2009

臓器移植法改正について(1)

現行法(97年成立)では、「本人に脳死からの臓器提供の意思がある場合のみ脳死は“人の死”(それ以外は心臓死が人の死)」と定められています。
この定義でいくと“人の死”は、条件によってくるくる変わるものなのですね。

そんなバカなことが・・・と思っていたら、法的な整合性がとれるよう「死」を定義する、科学的な死の定義を今国会で決めようとしているようです。
政治家のお仕事は「法律」を作る事なのですから、政治家が「人の死を定義」するのは当然の事なのですが、それでもとても違和感を抱いています。

3年後の見直し規定が放置されて9年経つ現行法。
海外では臓器移植の実施が進んでいるのに、日本では臓器の提供数が増えない事。
世界的に臓器移植は自国での動きある事。

それで、何とかしなければと焦っているように私には見受けられるのです。
「脳死は人の死」と定めるかどうか、重い哲学的判断、生命倫理まで含まれる難しい問題だからこそ、なかなか議論が進まなかったのではないでしょうか。

それぞれの国に、医療制度の在り方、救急医療制度、医師への信頼、命のみとりの文化等の違いがあり、脳死移植への考え方に差が生じるのはいたし方ない事です。
日本には、心身を統合的にとらえようとする仏教的思想が土壌にあり、又、みとりの時間を大切にする文化的な背景もあります。

“死”を国会議員の専権事項にしてしまうのではなく、日本に根ざしている生死感に沿って、国民の選択が反映できるような法体系を整えてほしいと思っています。

朝日新聞の『臓器移植インタビュー』に国会議員で小児科医の阿部知子氏は
「国内でも子供の臓器提供を解禁すべきだとの声が出ていますが」の問いに
「『移植が必要』といわれる子供を減らすことの方が本質的に大事だ・・・本当のよりよい治療をすれば、移植を求める子供の数が大幅に減ると思う」と答えています。
そのことも含め、臓器移植法改正の採決をする前に、議論されるべき問題が山の様にありそうです。

でも何よりも私が感じている事は、物事を考えるには順序というものがあるのではないかと・・・
まず人の死とは、人間がどのような状態になった時をもって決めるのか。
脳死をもって“人の死”と定義する事に、国民が本当に納得できるのか。
そのような議論は、臓器移植に関係する人達を除いてなされた方がより公正なように感じます。
臓器移植についての議論はその後でなされて然るべきものではないかと・・・
その議論の中で、多くの人が納得できる日本型生命倫理を構築していく必要があるのではないでしょうか。

生命にかかわる重要法案が、充分な議論もなされないまま、会期末を控えた時に駆け込みで採決されてしまうことに、不安を禁じ得ません。

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May 12, 2009

冷やすのか・暖めるのか?迷った時は・・・

足の靭帯損傷で、ゆっくりお休みする時間を頂いたようなのですが、性格ですね~
この連休には、お庭に色とりどりのインパチエスの花を40株植えて、“花さかおばさん”を満喫。
整骨院の先生には「口と手はいくら動かしてもいいけれど、足は使わないで下さい」と釘を刺されていましたれど・・・
ちょっとおかしいかな?と感じるとすぐガッチリとテーピングした足をアイスノンで冷やしています。

怪我とは無縁で生きてきたので、“何となく体は冷やさない方が良い”と勝手に思っていましたが、“冷やす”って凄い効果があるのですね。

自治会の役員さんで1ヶ月以上帯状疱疹を患っている方がいます。
皮膚科から市民病院に紹介されて、ペインクリニックに行く程ではないと言われ、お薬が処方されたそうですが、お会いする度に“痛たそう~”でお気の毒でした。
それが、私の行っている鍼灸整骨院にいったら「数時間で痛みが取れて楽になった」と自治会の集まりでとうとうと話されるのです。
主人等は「そんなバカな!整骨院で帯状疱疹が治るわけがない」と端から信じなくて、みんなで喧々諤々、興味津津。

それで、毎日通院している私が代表で先生に「どおして???」と聞いてみました。
理由は2つ
1つは、「病院で診察を受けている方にしかしませんけれど」と前置きした後で、上帯状疱疹の痛みは、興奮している部分の神経を鎮める治療をすると楽になるそうな・・・
もう1つは、幹部を冷やすようにしたからだそうです。(先生ははっきり言わなかったのですが、役員さん他の整骨院で「暖めなさい」と言われて可なり暖めていたそうな・・・)

「冷やすのと暖めるのとで、そんなに違うのですか?」と聞いてみたら「全然違います」との事。

冷やすのか・暖めるのか?迷った時は、まず冷やす事。
冷やして悪くなる事は殆んど無い。
せいぜいだるくなる位。
でも暖めてはいけない幹部を暖めると、炎症を起こしたり、熱が出たり、腫れる等、悪化する事があるとの事。
家庭で処置する時は、まず冷やして様子をみるのが一番と言われました。

急な時慌てずに済む、良い事を教えてもらいました。

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May 05, 2009

イライラした心を静める方法

「今、世の中は慌ただしい。
忙しくて誠に騒がしく、物事がとても速いスピードで動いています。
こうゆう時は、イライラする方が増えますね。

どうやったらこのイライラした心を静める事ができるでしょうか?
呼吸を整える事です。
呼吸を整える事が、一番早く気持ちを整える方法です。
気がイライラした時、又とてもカッカした時、「鼻からスーツと静かに吸い込んで、口からなれべく長くゆっくりと静かに吐き出す」

呼吸を整える事。
人はイライラするから、また忙しくなるから、いらないことを人に言うようになるのです。
カッカしているから気が整わない。
息の気が行き渡っていないから、さまざまに悩み、さまざまに問題を起こすのです。

これを逆に、息を吸って“はっ”と出す。
浅く忙しく息をすると、イライラするわけです。
皆さんがイライラしている時の呼吸は、競馬場の馬がスタートの所に立って、ハッハッと息を荒く出しているようなもの。
そういう状態は喧嘩をしている状態と同じです。

常に呼吸を整えることに気を付ける事。
呼吸を整えると、体の気の巡りが良くなって、病気も消えていきます。
健康になりたい方は、常に呼吸を整える事です。

呼吸を整えて物事を成すこと。これがとても大切です。
呼吸を整えて物を成す人は、わりと失敗しても早く整える事が出来るわけです。
しかし気が落ち着かない方というのは、なかなか取り戻せない。

まず呼吸を整えること。そうするとさまざまな障害を変えていく事ができます」

天命庵の親様の教えのテープを整理していますが、どれを聞いても病気の話しが耳に入ってきます。
今、必要なお話だからでしょうね

動けなくてじっとしている時間が多いので、呼吸が浅いな~と自分でも感じています。
深呼吸!
深呼吸!

深呼吸をすると確かに気持ち良いですよ!

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April 26, 2009

病気になったら「丸い言葉」

「どうやって病気から抜ける事ができるかというと、与える事をすればよい。
例えば病気になったら、神様が“人に与えなさい”と教えてくれているのだと考えればいいのです。
神様の与えなさいは、お金や物ではありません。
心を与えなさいという事です。
“お人の為に何かさせて頂きたい”その心(気持ち)が与えるという事。

人は病気になると、自分の家族や身近な人を随分責める事が多くなります。
病気になるとついつい責める言葉が口から出てしまう。
責める言葉が多くなると、どんどん病状が悪くなっていきますよ。
優しいい言葉、丸い言葉。
丸い言葉が、実は“薬”なんです。
だから病気になったら、これは難しい、いろんな事を考えたり、不安になったりして、なかなか丸い言葉って言い辛いかもしれない。
でもその言い辛い言葉を出すようになると、段々心がほどけてくる。
優しくしなさい。優しい言葉をかけるんですよ。
自分が大変な時ほど優しい言葉、与える言葉をしっかりと掛けると自然に病気も良くなっていきます」

捻挫で動けないので、天命庵の親様のテープを整理しながら聴いていて“ドキッ”
今回は動けない以外は、体調も良く口も元気で、始終口が滑っておりますから。
「丸い言葉???」そんなお話し伺った事あったっけ~~~
“神様の教え”を学んでおります、なんて言っても、その程度なのですが・・・

「捻挫で思うように動けない」と知人に言うと、「介護で忙しかったから休みなさいと言う事よ」と判で押したように言われます。
私としては忙しい間にたまった家事をブルトウザーのような勢いで片付けたい心境なのです。
その辺の焦りが、まん丸のお月様のような言葉より、五個の角のあるキラキラ星の言葉となって、思わず出ているような・・・

「病気をした方が、それを機会にとっても優しい人になる。病気をした事も、素敵な事になるのですよ」

ちょっと休養して、丸い言葉を心の中で育てる良い機会のようです。

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April 12, 2009

捻挫は悩ましい病気で・・・

「痛いのよね。なかなか治らなくて3ヶ月もかかったわ。」ご近所のおばさま。
「私も、3年前に足首を捻挫したけれど、今でも違和感があって・・・最も、家ではギブスを外して動いたりしていたからかもしれませんけれど・・・」内科の予約のキャンセルを入れた受付の方。
「痛いでしょう~僕も学生の時、靭帯が伸びて治らなくて、1年以上松葉杖を付いてました」民主党の元国会議員さん。

意外と捻挫した事のある方多いですね。
でも、すんなり直った話しを聞かないのです。

接骨院の先生「捻挫は悩ましい病気で・・・骨折だとギブスで固めてしまうから、諦めがついて大人しくてくれるのですが、捻挫はどうしても動いてしまうので治りが悪くて・・・」
怪我とは無縁で生きて私は『そんなものなのかな~』と思いながら聞いていたのですが、
“悩ましい・・・”の意味が段々読めてきました。

初めての怪我で不安だったのと怖がりなので、優等生みたいに大人しく暮らしていました。
「こんな酷い捻挫は1年に1人か2人しか診ない」と言われていたのに、処置が早かった事と、治療がお上手だったせいか、痛みもなく順調に回復。

ところが、1週間後、雨戸を閉める為にべットに乗った拍子にバランスを崩して倒れこみ、微かに捻った感じに。
人間の体は実に正直ですね。
微かな捻りも見逃さず、新しい内出血が小さく出来ていました。

「べットの上で骨折して動けなくなるお年より結構いるんですよ」と先生
「ほんとですか~」
「硬い所よりも柔らかい所の方が転びやすいんです」
「してしまったものはしょうがない。直しましょう」ときっぱり。
先生、お若いから切り替えが早い。

2週間でギブスをとって、連休までにはリハビリを終えて出歩けるように、と治療計画を立てておられたようですが、現在微妙な状況に・・・

捻挫は本当に悩ましい。


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April 08, 2009

生きてる~~~あ~~幸せ~~~

足の甲から踵まで綺麗な紫色に内出血した足を浸けないように、そーっと湯舟に沈んだ時に、何故か口から突いて出た言葉。
生きてなければお風呂に入れるわけないのですから、当然の事なのですが・・・
でもそれが実感でした。

見るも無残な内出血の割には、痛みも腫れも殆んど無く、ただ動く時に右足に体重を掛けないようにするのが大変。
なまじ痛みが無いだけに“お掃除がしたいよ~”とか、思うように動けない事へのストレスが溜まってきます。
そんな時、最高の援軍(以前来てくれていたお掃除のプロの女性)が現れ、手際よく、家中をきれ~いに片付けてくれました。
有難かった!

子供の頃から体力のある方ではありませんでした。
でも両親の世話を始めだして、だんだん体調が整い随分丈夫になった気がします。
20年来の友のケアマネイジャー「あんたが親の介護をするとは思わなかった。それも二人も・・どちらかといえば、あんたの方が介護されるタイプだったじゃないの・・・」といつも言います。
でも、親の介護をしている間は、大きな病気にならないという自信というか確信がありました。
人の役に立っている間は大丈夫みたいな・・・

“人の役に”等と言うと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、
今の世の中の在り方に対して『忘れている人が多いけれど、社会とは本来、皆で支えあうもの』と言った方があります。
『忘れている人が多いけれど、家族とは本来、助け合うもの』でもあると思います。

でも無理はいけませんね。
介護は如何しても歳を取ってから、体に余り無理が利かなくなる年代になってからすることになりますから。
自然の流れで父が長期入院する事になりました。
でも、私のどこかに割り切れない思いがあり、その辺に捻挫で動けない理由がありそうです。


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April 04, 2009

歳を取ると可愛くなる?

“クリスマス時のお菓子の入った長靴”みたいな足に男物のサンダルをつっ掛けて、雨傘を杖代わりに、父の面会に行ってきました。
老人病院なので、おばさんの傷病兵みたいなのは、目立つ事、目立つ事。
お会いする看護婦さん達に「どうなさったの?」と聞かれ、怪我の説明をする為に行ったみたいでした。

物静かで余り表情を表に出さない感じの院長先生、ビックリして目をまん丸に。
病状が落ち着いたら、介護病棟に移って様子を見る事になっていたので「父、どんな具合でしょうか?」と尋ねると。
「時々誤嚥をするのと、微熱が出ているので今のまま一般病棟の個室でいいですか?」との事。
「勿論、結構です。ただ、食事が“ナース介助”でお手数をお掛けているのではないかと・・・申し訳なくて・・・」と答えると、
『看護士達に「お父さん“可愛い”」と人気がありまして、今の所、大変だとの苦情は上がってきてないので大丈夫ですよ」と言われるのです。
片足立ちのような不安定な状態でなければ「父が“可愛い”のですか~~~」と突っ込む所ですが、その余裕はなかったですね、残念!

歳を取ると子供に返ると言います。
皆、可愛くなるのかもしれません。

娘の私にはよく解らないのですが、そう言えば、ディ・サービス、ショート・ステイとお世話になる先々で、
「笑顔に元気を貰っています」
「いつもニコニコ対応して頂いてます」
「人気者なんですよ」と云って貰ってましたっけ・・・
家に来てくれるヘルパーさん達も、年配の方はは遠慮がちに「お父さま、可愛い方ですね」
若いヘルパーさんはストレートに「可愛くて大好きなんです」と・・・

父の耳元で「お父さん、看護婦さん達に人気があるんですって。良かったね」と囁くと
「くふっ」と、とても嬉しそうに小さく笑いました。

今まで、娘として親を褒めて頂くのはとても嬉しい半面、使い過ぎるほど気を使う人なので、その歳になってまで、そんなに無理をしなくてもいいのにと思っていました。
でもそのお陰で、皆さんに快くお世話して頂けているのですね。
息遣いから、決して楽な体調だとは思えないのですが、とても穏やかないい顔をしています。

介護をしていて、父の笑顔、心遣い、我慢強さに改めて気が付きました。
亡くなった母の体が弱かった事もあって、若い時から両親を支えてきました。
それで可なり早い時期に『精神的には親を越したな』と勝手に思っていたのですが、そんなに甘くは無かったような・・・
私にはあの我慢強さはありません。
さすが、戦争を生きて抜いてきた大正生まれ、親ながら立派です。


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April 01, 2009

アンラッキーなのか?ラッキーなのか?

フィットネス・ジムの入会手続きを終え帰り際、出口の階段で、ものの見事に転倒。

両親の介護で中断していたジムを再開しようと思い立ったのは、平地は凄い勢いで歩けるのですが、階段の下りが危なっかしくて、足腰の衰えを感じたからです。
鍛えるなら年齢的に最終段階、今しかないと思ったのですが、すでに遅かったのかも・・・

実はその日の午前中、ジムに入会する前にと、ご近所の鍼灸整骨院で外反母趾を診てもらいました。
入り口に外反母趾の治療の写真が貼ってあって、半年前から気になっていたのですが介護でバタバタしていて行きそびれていたのです。

診断は“年と運動不足の両方から筋肉が落ちて外反母趾になりかかっているので、少し運動した方が・・・”との事。
早速午後から、もっと運動した方がいい主人と二人で、再入会に行きました。

ジムの出入口はかなり急な階段が20数段。
面倒な手続きを終え、主人に「年とったらこの階段は危ないよね」と言いながら一段一段慎重に降りきった後、道路とのわずかな段差で転倒。
入会して数分後には運動はおろか主人に支えてもらって歩くのがやっとの、アンラッキーな状態に。

お医者さんは皆、お昼休みの時間帯、3時間前に始めて掛かった整骨院が帰り道の途中だったので、前から携帯を掛けて「転んだのですが・・・」と、言うと、先生が慌てて治療室を開けて診てくれました。
足に手早くシップをしてアイスノンで冷やしながら、骨折を調べ「ひどく転んだでしょう。下手に庇っていたら、骨折していたかも・・・」と。
運動神経ゼロなので、何とも無防備にそのまんま道路に“バタン”と倒れたのが幸いしたようで、これはラッキー。

「可なり酷い捻挫。内出血と腫れが始まっているからしっかり固定してしまいます」と、
薄い白い網の様な物がギブスのように捻挫した部分をぴたっとガード。
今時は便利な物があるのですね、と可なりの痛さも忘れて感心。
3時間前に始めて掛かった先生にお昼休みに飛び込んで診て貰えて、お見立ても、治療の腕も良さ気で、超ラッキーと感謝。

杖とサンダルをお借りして、帰宅した時は、当分普通の生活は無理かな?と思いました。 
でも夕方には、痛みも可なり治まり、家の中はほぼ普通に歩け、階段も何とか上がれるようになりました。
治療が早かったお陰です。本当にラッキー。

思いがけない怪我をしても“ラッキー”と思えるのは、幸せです。
そして、半年間も気になりつつ行かなかった整骨院に、どうして転ぶ日に行ったんのだろう、と思う時、そこに偶然以上の大きなものを感じるのです。
守られていると・・・

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March 20, 2009

父が要介護5に・・・

父の急激な衰えに戸惑っています。
入院初日、院長先生から検査結果と治療に付いて丁寧な説明を受けた後、「今の状態では寝たきりになられますが、どうなさるおつもりですか?ご自宅で面倒を看られるのは大変だと思いますが・・・」

そ、そ、そ、そんな事、いきなり言われても・・・と思いながら
「数日前まで、転倒を繰り返しながらも、なんとか普通に暮らしておりましたので特にどうしようとは考えていませんでした。誤嚥性肺炎が治った時点で今後の事は考えたいと思います」と答えてから、後ろで一緒に説明を聞いてくれていた主人に同意を求め、その話は保留に。

今年に入ってからの度重なる転倒で、もう歩く事が無理なのはわかっていました。
でも、今回の病状が誤嚥性肺炎によるものなら、自力で歩けなくても、意思の疎通がそこそこできて、柔らかい食事でも取れれば、自宅でそれなりの生活が送れる可能性はあるのではと、何となく考えていました。

院長先生はお若い方で、多分40代後半かな・・・
彼は、その病院の4代目さん。
でもさすが老人病院の院長をしておられるだけの事はあり、父の先を見越しておられたようです。

誤嚥性肺炎が治っても、嚥下力は回復せず、今はミキサー食に。
それでも飲み込むのが難しく、べッドの上に「食事、ナース介助」の札が1ヵ月半、掛かったままです。
院長先生に「看護婦が付きっ切りで食事の介助をしていますが、それでも誤嚥をしないという保障はありません」といわれています。

今日も面会に行った時「いつ誤嚥性肺炎をおこしてもおかしくない状態です・・・」と、その後に、院長先生が何を言いたいか、だいたい察しがついています。

我家の主治医からもケアマネージャーからも、今はどの病院も歳に関係なく誤嚥性肺炎になると、直ぐ“胃楼”にすると聞いてますから。

母の時も“胃楼”の話はありました。
でも何せ体重が20数キロの母には、医師も強いて勧める事はなく“一様説明しておきます”みたいな感じでした。

主治医もケア・マネージャーも「個人的な意見だけれど」と断った上で「“胃楼”は賛成しない」と言われます。
それでもこの辺の殆んどの病院は“胃楼”を勧めるそうです。

姉達に「“胃楼”どうするかよく考えてみて」と電話で伝えました。

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March 15, 2009

不景気の訳と解決法

連日の不況報道、どこもかしこも「景気が悪い」「不況」「100年に一度の不景気」という言葉で溢れかえっています。
天命庵の親様が「どうしてこの様に景気が悪くなるかというと、皆が『景気が悪い、景気が悪い』と言うから、景気が悪くなるのです」と言われました。

聖書のヨハネによる福音書は「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は始に神と共ににあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった・・・」と、続きます。

皆が「景気が悪い」と思い、それを口に出し言う。
だから、皆の思っている通り、皆の言葉通り、世の中は「不景気」なのです。
何にも不思議ではありません。
当たり前のことです。
ではどうすれば良いのでしょう。

経営の神様といわれた故松下幸之助氏は「不況は天然現象ではない。我々が人為的に作ったものです。人為で作られたものは必ず人為で克服することができる」と言われたそうです。
そして「行き詰まっても行き詰まっていない、と考えなさい」「気持ちまで不況になるな」とも・・

日本は今までにもっともっとひどい時期を乗り越えてきまたはずです。
それらの時と今と何が違うのでしょう。
テレビやさまざまなメディアが、絶え間なく「不況だ。危機だ。倒産だ。人員整理だ。」と悲観論を振りまいています。
次々とそして繰り返し悪い情報ばかり流されると、人間って思考が止まってしまうのではないでしょうか。
うまくいかないのは不況のせいと全てを責任転嫁したとたん、自分で何とかしようという
気が萎えてしまいます。
「経済は人の心の関数」と言った方があります。
今、人の気持ちが完全に不況に飲み込まれています。

日本語は凄い言葉ですね。
「景気」という言葉の中にちゃんと「気」という言葉がはいっていますもの。
景気を良くするも、悪くするも気持次第。

『皆が「景気は良くなる、景気は良くなる。有難い、有難い」といえば、世の中は有難い世の中になります』と天命庵の親様は言われました。
(この景気が良くなる、とはバブルのような異常な好景気の事ではなく、まっとうな経済社会になる事です。念の為)
そんな簡単な事で!と思いますか?

でもそうなのです。
それが言霊の力であり、聖書に書かれている「・・・すべてのものは、これ(言葉)によってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった・・・」の意味でもあるのです。


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February 22, 2009

花粉症の目薬の差し方、と百年もつ“眼”

父の緊急入院の手続で院内をバタバタしてる間に、メガネを失くしてしまいました。
視力は裸眼で両目共2.0。
軽い乱視と紫外線よけの薄い色がついた、殆んど素通しのようなメガネです。
ただし、この季節は花粉除けに重宝していました。

大分前に作ったので、眼科へ検眼に。
眼球の中を覗き込みながら先生曰く「よく見える目だね~。何でも見えるでしょう?この眼なら100年は充分もつな~」
『そんなに長生きするつもりないんですけれど・・・それよりもパソコンを長時間しても疲れない眼がほしいんだけどな~』と心の中で・・・
何しろこの先生には「狩猟民族の目で、手先でコチョコチョする農耕民族の目ではない。パソコンなんて疲れる為にやるようなもの」と言われていますので・・・

「お父さん幾つ?」
「95歳です」
「子は親より10歳長生きするというから、アンタは105歳か・・この眼なら大丈夫だ」
『先生、父は未だ生きております。それに目は100年持つと保証して頂いても、他の臓器の都合もありますし・・・』と心の中で・・・
マア、何はともあれ、よき目を頂いて感謝ですけれど。

大分昔から花粉症で、耳鼻科で診断してもらい目薬を含む薬一式を処方してもらいました。
今は内科で貰っています。
眼科で診てもらうよい機会と思い「花粉症の目薬余り効かないんですけど・・・」と言うと、
「薬を差す前に眼を洗わないと意味が無いんだよ」と言いながら私の目に薬を2滴。
差すと同時に、目頭と目尻に溢れた液を指で目の外へ拭い去る。
その素早い事、何が起こったのかと思う位。
「もたもたしていたら、花粉が目の中へ逆流してしまう」
目薬にも、効く差し方があるのです。
でも「先生お化粧が・・・」
きっぱりと「諦めてください。どっちを取るかだな?」だそうです。

内科だと0.01%とか0.025%の点眼薬が多いそうですが、今回眼科で処方されたのは0.05%。
これで効かなかったら、まだがいろいろあるけれど、強いのは副作用もあるから、との事。
やはり“餅屋は餅屋”
たかが花粉症の目薬と思うこと無かれ。
より取り見取りという感じでサンプルが並んでいました。
お陰で目の不愉快なのがスッきり治りました。
古いメガネを失くした効用は大きかったようです。

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February 20, 2009

往診、休日、夜間診療をする開業医は、優遇するべきでは・・・

父の病状が少し落ち着いたら、私と主人が次々にダウン。
それも間の悪い事に、二人とも休日の夜に具合が悪くなり、母が散々ご迷惑を掛けた主治医に、私達までもお騒がせする事になってしまいました。

私は土曜日の夜中から“ひょっとするとインフルエンザかも?”という感じに・・・
何しろ毎日病院に通っていましたから、うっても全然おかしくないわけで・・・
勿論マスクで武装して行くのですが、人と話す時はお相手に失礼なような気がして、顎にずらしてしまいます。
『マスクの意味がないな~』と思いながら、皆が“顎にマスク状態”でインフルエンザの真っ只中に。
日曜の朝まで待って、主治医に電話。
「来れそう?来てくだされば診察しますよ」と快く診てくださり、検査結果は陰性。
風邪と疲労という事で“ほっ”と一安心、5日間寝こけました。

私が全快した土曜の夜、今度は主人の様子がおかしいのです。
頑強で病気慣れしていないせいか、上手く自分の不調を説明できない不思議な人でして。
人の体調に異様に敏感な私は『これはまずい』
土曜の夜、人様の家に電話を掛ける限界の9時まで様子を見ていて、主治医の携帯に電話をしてご相談。
指示どうり、一晩様子をみていたら、落ち着いてきました。
でも、主治医に相談できなかったら、一瞬、救急車を呼ぼうかと思いました。

日曜の朝、「落ち着きましたか?」と先生から先にお電話を頂いて恐縮。

先生とは、両親が我家に来てからのお付き合い、3年ちょっとになります。
いつもなかなか出来る事ではないな~と思いながら、お仕事ぶりを拝見しています。
休診日と土曜の午後は往診。
平日も急患がいると、お昼休みとか診察時間の後に往診に来てくれます。
お休みは日曜だけ、お正月もお盆も、急な時はいつでも実に気楽に診てくれます。

私の子供の頃は、お医者様は皆、こんな感じでした。
でも今は、診療時間以外は連絡の取れない医師が圧倒的に多い時代。

開業医の時間外診療や往診を、個人の善意に頼るのではなく、きちっと制度化して優遇するとか、月数回でも義務化する事はできないものでしょうか。
そうすれば、病院も本当の急患の対応に専念する事が出来るし、救急車の利用も押えられると思うのですが・・・
お近くにこうゆう医師がいてくれる安心感、何ものにも代えがたいものがあります。

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February 05, 2009

94歳の父が入院

日曜日の夜、父が38度の発熱。
毎夜、父の部屋に定期的に様子を見に行っていました。
私、人の体調の変化に異様に敏感です。

高齢者介護も2人目となると流石の私も慌てず騒がず“冷えピタッ”を張って一晩様子を見る余裕が出てきました。
朝、熱は下がったのですが、明らかに様子がおかしくて、ヘルパーさんも「どうしたのかしら・・・」と首をかしげるので、主治医に携帯で連絡をとりました。

昨夜からの経過を報告すると、女医さん「それはすぐ入院した方が・・・救急車を呼んでね」
「お熱は下がったのですけれど・・・」と私。
「お父さまはご高齢だから、急激に悪化する事があるので入院して病院にお任せしましょう。香川さん、その間少し休んだ方がいいし・・・」との返事。
予期せぬ返答に頭の中が混乱。
それでも、度々転倒したのに病院に連れていく事ができずにいたので、診て頂くいい機会かも、と入院に関しては納得。

しかし、幾ら高齢でも微熱で救急車を呼ぶのは可なりの抵抗を感じまして・・・
母で3回呼んでいるので、4度目の同乗は避けたいとの思いもありましたし・・・

まず、NY時代の父の部下の方が、母がお世話になった病院に知人がおられた事を思い出して早速連絡。
「主治医の紹介状を持参するので、個室が空いていたら入院させてほしい旨」頼んで頂くようお願い。
その間に、主人が“地”の人でそこいらに知り合いがいるので、午前中に民間の寝台車を手配できるか、当たってもらって、私は入院の準備。
主人が主治医の所へ、紹介状を頂きに行ってくれ「救急車で寝かせて連れて行くように」と念を押されて戻ってきました。

病院と、民間の寝台車の手配が“あっ”という間に完了。
やっぱり神様のお陰かな・・・

救急車ではないけれど、確かに父を寝かせて入院先へ連れて行きました。

2時間の検査の結果、どこも骨折はないという事でほっ。
でも誤嚥性肺炎と、もう少し検査の必要な病気の疑いがあるとの事で、退院の予定は未定の入院になりました。


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February 02, 2009

父母の永遠の望み

94歳の父、今年に入って4回の転倒。
“転び上手”とヘルパーさん達に言われていますが、そういつも上手にとはいきません。
3度目の転倒で可なり痛そうなので、整形外科に代診に行ってきました。

母の時、左右大腿骨骨折、脊椎圧迫、最期に骨盤骨折と救急車で乗り付けて散々お世話になったので、整形外科には掛かり慣れております。
先生にお会いして、必要な症状を要領よく説明。

先生曰く「今、僕が往診しても、病院へ連れて行っても出来る事は何もありません。
患部にシップ、痛い時は痛み止め、静かにしていれば2週間で大体痛みはとれ、完治には4週間かかります。
それより、そんなに転倒を売り返す歩行器を使っているのはおかしい。何か他に良い物があるでしょう?」

突然話題が変わったのと、整形外科医なら転倒が歩行器のせいではない位判るでしょうが!との驚きのダブルパンチで何と答えれば良いものやらモゴモゴ。

前々日、転倒を防ぐ為に、ケアマネイジャー、コーディネイター、介護福祉用具の人と堂々巡りの話し合いを重ねての今の状況。
その堂々巡りを、お会いするのが2度目の先生になんと説明したものか、モゴモゴ。

今年に入ってから、歩行器を使っても歩くのが難しい状態で、それを当人に伝えるべきか否か、皆で苦慮しております。
「一人の時は動かないでね、危ないから」と、繰り返し伝えているのですが、効果はまるでなし。
父にはその自覚が無いのか、認めたくないのか定かではないし、説明をどの程度理解でき、又その理解した事を持続できるのかどうかもよく分からない、そんな状況なのです。

先生と看護婦さん3人が分厚い介護用品のカタログを見ながら歩行器について“ああでもない、こうでもない”とがやがや。
余りの親切さに口を挿む事も出来ず、有難く拝聴していました。
結局「何かあるはずだからケアマネイジャーに探してもらいなさい」と言われて終わり。
この辺では可なり評判の良い先生であり、又唯一整形外科で往診に来てくださる貴重な存在なので、私、おとなしくしておりました。

母は遥か彼方を見つめて、永遠に生きる事を望んでいました。
父は足元だけを見つめて、永遠に自力で1歩前に進む事を望んでいます。

残念ですが、どちらも私には叶えられない望みです。

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January 19, 2009

在宅介護は、最高の贅沢?

デイサービスへ、父が3週間振りに行きました。
という事は3週間振りの入浴という事になります。
高齢者介護には、介護の仕方を大きく変えなければならない時が幾度かあるのですが、入浴もその一つです。

ほんの半年前まで、自宅でヘルパーさんに見守ってもらって自力で入っていました。
数ヶ月前から、ヘルパーさんを二人体制にしても足元が危ないという事で、デイサービスで入れて頂く事に。
父は嫌がるかと思ったのですが、専門家によって大きなお風呂に入れてもらうのは安心で気持ちがいいと、とても気に入ってくれました。

寒さに滅法弱い父は、お正月を挟んで、寝ている時間が長くなりました。
往診に見える度に主治医から「90歳過ぎると人間って昼間もよく寝るようになるのよ」と聞いていたのですが、父は94 歳を過ぎてその時が来たようで、午前中“うっらうっら”している事が多くなりました。

朝10時過ぎのお迎え、眠いのと寒いので億劫だろうと思うのですが、デイサービスを止めると入浴に困ってしまうのです。
家のお風呂も、デイサービスへ行くのも無理となると、後は訪問入浴を頼む以外にありません。

父に「デイサービスに行くの面倒だったら、訪問入浴をお願いする?」と聞いてみました。「あれは大袈裟やから、ええ」との答え。
まだまだ、しっかりしております。

訪問入浴、要介護5の母の時、頼んでいました。
父の言う通り、可なりの大事です。
看護婦さんとヘルパーさん2名が浴槽(洋風の風呂桶ですね)と供に現われます。
車のボイラーでお湯を沸かして、ベッドルームが10分程で浴室に変身。
その間に看護婦さんがメディカルチエックをして、その後、寝かせたまま入浴させます。
全ては手際よく小1時間で終了します。

料金は1回1万2千500円。
介護保険を使うと1割の1,250円  
でもですね、介護保険には持ち点がありまして、訪問入浴を必要とする状態の者には、介護用品、訪問介護といろいろ必要不可欠なものがあって、とても足りません。
それで、母の場合は全額自己負担でした。
それプラス夏場は床ずれ等の心配があるので、看護婦さんに本格的な清拭を頼むと、入浴関係だけで月々7~8万円になります。

厚生省が療養病棟を次々閉鎖して“高齢者は在宅介護”の方針ですが、入浴一つとっても難しいものがあります。
今の日本において在宅介護は、最高の贅沢のような気がします。
それっておかしいのではないでしょうか?
介護保険制度自体を、もう一度抜本から見直した方がよい、と感じつつ日々介護に追われています。

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January 05, 2009

今年の目標は“程々に”

明けましておめでとうございます。

年末年始の慌ただしさから、やっと落ち着きを取り戻しつつあります。
何せ2年分の大掃除(一昨年の年末母が亡くなったので)を一挙にしょうとしたもので、とんでもない忙しさでした。
ヘルパーさんに手伝って貰ったのですが、私、異常な程の整理魔、きれい好き。
要所要所は自分でしないと気のすまない性質。

介護をしながらのこの性格は本当に“困ったもんだ”です。
自分で自分の首をしめているのですが止められない。
その上、主人は雑然としていても全然気にならないタイプで「何、一人で騒いでるの?ゆっくりしたら」とチャチャを入れるし。
そこを押して、大晦日までに何とか仕上げたい、と働きまくりました。

大掃除一本に絞って、おせちは和食と中華をデパートに頼んだので、何もしないつもりだったのですが、これもまた、創りたくなって・・・
一様、主婦を張っているのだから、ほんのお印までにと思ったのが間違いの元。
主人曰く「誰がそんなに食べるの?」
そう言われてみればそうなのですけれど・・・・

“今年こそは紅白をゆっくり座ってみるぞ~”と頑張っていたのですが、あえなく挫折。
最も、主人は紅白には興味が無いので他番組を、私はキッチンで紅白を横目で見ながら働いておりました。

それで、今年の目標は「何事も程々に」
目標達成の自信は全然ありません。
性格はそう簡単に変えられませんもの。
でも年々体力の衰えを感じつつの介護生活が4年目に入ります。
“程々”を心掛けるようにしょうと思っています。


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December 03, 2008

市の検診結果(2)ー発作性突発性頻脈もクリアー

小さい時から体が弱かった事もあって、神経質、心配性が服を着ているようなタイプでした。
それが、生き方、ものの考え方を学ぶようになって、程々を心掛けるようになりました。
食べるのも程々、心配するのも程々、悩むのも程々、喜ぶのも有頂天にならずに程々に。
それで、88歳と91歳の両親の介護を頼まれた時、深く考え過ぎること無く引き受ける事ができたような・・・

丁度去年の今頃、24時間の心臓のホルターを付けて“発作性突発性頻脈”との病名が付いて以来、初めて心電図をとりました。
発作時しか異常が出ないので、検査をしても正常といわれるのは予想していましたけれど、データーを見ながら「きれいな、心拍、心配ありませんね」と言われると、これまた複雑な心境で・・・

発作がでた時用の薬を処方して頂いてあるのですが、この頃全く飲んでいません。
発作の前触れのような症状はしばしば起こるのですが、頻脈にまでは至たらずに過ごせています。

心臓が落ち着いている原因は幾つかあると思うのですが、その一つに、これまた天命庵で伺ったお話です。
「今の人は忙しい忙しいと云って忙しいことが偉い事のようにせわしなく動き回ってる人が多い。自分の心臓の鼓動よりもせわしく動いていると、体に負担を掛けますよ」

『なるほど・・・思い当たる事がいっぱい』
私、猛烈なせっかちです。
駅まで500メートルの道のりを、10人抜きの勢いで飛んでおります。
漫画によく描かれている、足が車輪のように廻っているあの状態です。
整体の先生が「町で見かけたけど凄い勢いで声を掛けられなかった。何が急ぎの用があるのかと思って・・・」
「いいえ、普通に歩いておりました」
《一時が万事》と言いますが、ちんたらちんたら出来ない性格です。
心臓の鼓動よりせわしく動いているな~と反省。
以来、家を出て100m「CoCo壱番」のカレーの匂いか漂ってくると「オットット~」と速度をゆるめて「ゆっくり、ゆっくり」と呟きながら歩くようにしています。

お陰様で、血はさらさらと流れているようで、心臓もバクバクいわず、検診の結果は優等生でした。


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November 27, 2008

血液サラサラ20代の数値と言われました

高齢者介護で可なり草臥れているので、検診の結果を聞いた時は「ホンと~~~」とちょっぴり複雑な気分・・・
いえいえ、そんな勿体ない事を言ってはいけませんね。
有難い事です。
神のご加護と、感謝しなければ(ブログのタイトルと裏腹にこの頃全く“神さま”が登場してないので、この辺でちょっと頑張って・・・)

あえて言えば、血圧(上-98、下-58)が、低めですが、「低血圧は命に別状ないから・・・」と、女医さん。
朝起き抜けは(上-78、下-53)と超低血圧、昼間、上が100を少し越えると調子いいのですが、草臥れているとなかなか難しい。

降圧剤は幾らでもあるけど、低血圧を上げる薬はない、と言われています。
ところが、私、漢方の煎じ薬に「甘草」を混ぜると、いとも簡単に世間でいう正常値になります。
結果は、首の後ろが詰まったような、脳血栓とか脳溢血とかそんな病気でパタッと倒れそうな感じになります。
上が120~130で「危ないかも・・・」と言うと主人は「そんな、ばかな・・・」と本気にしません。
銀座の主治医は「タイムカプセルに入れて江戸時代に送り帰したい」と呟かれました。
新薬はダメ、漢方もダメとなったら、あの時代の民間療法位しか使えない体のようで・・・
江戸時代に戻る訳には行かないから、1時間かけて銀座まで通っているのですけどね。

血液サラサラの理由は、少食のせいかな~?
主人に言わせれば、「小鳥が菜っ葉をついばんでいる」ような食べ方だそうな・・・
少々甘い物に偏りがちながらも、あれこれ少しずつバランス良くついばんでおります。

もう一つ、こちらの方が大きいと思うのですが、天命庵の親様から伺ったお話。
『心の働きと、血液の働きは同じ。
流れ、生き方の流れを常に良い方に流していけば、血も良い流れになる。
思いの心が、血液の流れを止めてしまうと、血の流れが悪くなってどろどろになったり、ひどい時には止まってしまう事になる。
思いの心とは、拘り、思い過ごし、悩み、不安、心配等
俗にいうマイナス思考ですね。
心と体はお互いに作用しあっています。
マイナスの考えを一つ一つ取り除いて、良い生き方、良い思い方が出来るようになると、血液も良く流れるようになる』と・・・
          続きは後日!

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November 12, 2008

“当たり前”の役割を果たせば、日本の医療はちゃんと黒字経営できる

「どのような急患も受け入れる」ことを開業以来25年間守り続けている、千葉県にある病院の副院長の言葉です。
数日前の朝日新聞「救急患者 拒みません」で紹介されたこの病院の理念の中に、これからの医療改革へのヒントがぎっしり詰まっているような気がしました。

『先ず医師が患者を見る事。産婦人科はないが、妊婦も断らず、とにかく患者として受け入れる。患者は一般医が診断し必要に応じて他の医療機関に転送する』
その病院は『医師の住宅整備や研修、学会への参加支援など、仕事環境の充実を図ることで規定を上回る医師確保、若い研修医の人気も高い』そうです。

今の医療問題―救急患者の受け入れ拒否、医師不足、医療事故と医療訴訟の多さ―は、厚生労働省の政策ミス、医師の対応の悪さ、患者の専門医志向とすぐに訴訟を起こす、が微妙に絡み合っていると常々思っています。

一人一人が、それぞれの立場で“当たり前”の事を確実にこなせば、自ずと住みやすい世の中になると思うのですが・・・
医師は医師としての“当たり前”の事を、そして患者は患者として“当たり前”の事を。
患者の“当たり前”って何でしょう。
お医者さまは、一般の人よりも医術の勉強をし、経験を積んでいても、普通の人間であり完璧ではないという事。そして人間の命には限りがある事を、患者はもっと自覚するべきではないでしょうか。
お医者さまは、どんな病気でも魔法使いのように治せるはず、そんな過剰な期待をかけ、何かあったら訴える。
これでは医師の成り手がいなくなるのは“当たり前”です。

そういえば、ご近所の元衆議院の方が「今の世の中を変えるのはそんなに難しいことではない。当たり前のことを当たり前にすればよい。・・・皆が普通に生活していける世の中にするには奇策はいらない、慣例やしがらみに囚われず、当たり前のことが当たり前として通る政治をすればよい」と言っていたのを思い出しました。

政治家が政治家として当たり前の政(まつりごと)をする。
国民は選挙権を、当たり前の責任と義務として行使する。

ただこの当たり前が、
金儲けのために、人を騙しても当たり前。
税金の無駄遣いは当たり前。
学校給食代は払わなくて当たり前。
と誤用されていて、とても残念です。

そんな中、一昔前の“当たり前の理念を実践して成功している病院があるなんて、嬉しいですね。

『今の世の中を変えるのはそんなに難しいことではない。当たり前のことを当たり前にすればよい』
名言です。

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November 05, 2008

“褒め育て”の難しさ

父のデイ・サービスの日でした。
春先には1人だったお迎えのヘルパーさんが、夏過ぎから2人になり、最近は抱えられて車までいきます。

子供は“褒め育て”とよく言いますが、人間は幾つになっても同じですね。
ヘルパーさん達、本当に褒め上手。
「あら~いいですね~。今日は足が良く動きますね~、日に日に足取りが軽くなりますね。その調子、その調子・・・」と、家から車までの間、褒めっぱなし。
初めは「年寄りも子供と同じで、誉め育てなのだな~」といつも感心して観ていました。

しかし、父を両脇から抱えて、中に浮かせるようにして歩かせながら「あら凄い!どんどん足取りが軽くなりますね~」と褒めているのを聞きながら、次第に複雑な気分になり始めています。
褒め育てだけでは、行き詰まる時がくるのではと・・・

希望を夢を持たせる事、喜ばせるてその気にさせる事、とても大事です。
父の夢は、また歩いてお向かいのデニーズに食事に行く事。
夢があるから、デイ・サービスでのリハビリを一生懸命励んでいるようです。
でも自分で歩くことにのみに拘らなくても、歩行器でも車椅子に乗ってでもデニーズに行って楽しむ事は出来きます。

リハビリをすることで、昔のように歩ける場合もあるでしょう。
リハビリをすることで、現状を維持できる事もあるでしょう。
でも、リハビリをしても衰えていく事を止める事は出来ない。スピードを遅くするのが精
一杯、という事だってあるのです。
人が老い、衰えていくことは自然の流れです。
まず周りがその自然の流れを受け入れなければ、当人は認めたくないことですから。

父の場合、今年になって急激に歩行が困難になりました。
未だ大丈夫なはずとの思い込みと、しっかりしているとはいえ何せ94歳ですから現状を認知するのが難しくなっているのと、現実を受け入れたくないとの思いと、褒め上手に乗っているのとの、4重奏で、転倒を繰り返しています。
褒めるだけでなく、現実に目を向けないと、危険を伴なうのですが・・・

年をとって現実を見つめるということは夢や希望、やる気を失うことに繋がってしまうのでしょうか。
生かされている、そのこと自体に感謝できる。
そしておかれた状況の中で出来る事を楽しめる。
そんな心を育てておかないと、老いる事はとても難しいことなのかもしれません。

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October 10, 2008

父の主治医が、入院、手術・・・

お医者さまといえども人間ですから、当然ありですよね。
主治医が病気になるかも・・・不覚にも想定外でした。

月1度の父の往診日に、「先生が盲腸の手術で入院の為、本日伺えなくなりました。お薬だけお届けします」と看護婦さんからの電話。
これも勝手な思い込みなのですが、自分が子供の時したもので、盲腸って子供の病気かと思っていたりして・・・

どちらにしろ盲腸なら、10日もすれば診療再開されるだろうと軽く考えていました。
ところが手術は無事終わったそうですが、傷口が化膿して、3週間たった今も入院中。
まだ退院の日は決まっていないそうです。

「万一の場合、救急車は呼ばず、まず連絡を下さい。今の日本ではお医者さまの見ていない時に最後を迎えると、警察が介入して嫌な思いをすることが多いので・・・。落ち着いて行動するのよ。あなたなら肝が座っているから大丈夫だと思うけれど・・・」と老人介護の心得を教えて頂いています。

自称天然ボケの女医さん、ご自宅で開業しておられ、緊急の時はいつでも見てくださるし、携帯の電話番号も教えて下さって、24時間連絡を取れるようにしてくれています。
本当に頼りに仕切っていました。

今のところ、父の健康状態は安定しているので心配はないと思いますが、何しろ94歳、先ず何処に連絡するか位は考えておいた方いいのかもと、思い始めております。

お疲れが溜まっておられるのでしょうね。
ゆっくり静養して頂きたいのは山々ですが、軽く焦っております。

世の中、次々と思い掛けない事が起こりますね。

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September 16, 2008

ついに車椅子を使う事に・・・

「楽や!これは楽や!車椅子があるとええな~」
ショートステイ中、施設内は広いので車椅子を使っての移動で”楽さ”に目覚めたようです。

まだ可なり危なっかしいながらも歩行器を使って何とか自力で歩けるので、家で車椅子を使うことには抵抗があるだろうと思い、勧めていませんでした。
それと車いすを使い出したら、早晩自力で歩く事はできなくなりますので。

長年、親子をやっていって全く気付かなかったのですが、大正生まれの戦争と戦後の困難の中を生き抜いてきた人達は、真面目、我慢強い、努力家。
(何故か娘達の誰にもどれ一つとして遺伝しなかったですね、残念なことに・・・)
昔からですが、新しいことには抵抗を示すタイプで、物凄く変化を嫌います。
言い出すタイミングの難しいこと難しい。
でも自ら望むのは余ほど大変だったのでしょう。
まるで新しい玩具を得た子供のように嬉しそうに心地良さげに“ちょこっと”座っています。

母の時は介護者が操作する用のコンパクトなタイプ、何の問題もありませんでした。
でも父のは自分で動かすタイプの物。
トイレもおふろ場もバリアフリーで、車イスが入るスペースもとってあるのですが、自分で動かすとなると切り返しなどかなり高度の技術が必要となります。
「たかが車椅子、されど車椅子」高齢者介護は車椅子一つとっても簡単にはいきませんわ。

使い始めて数日、目に見えて歩く力が落ちてきたのが判ります。
「ハビリで機能を取り戻すには大変な時間が掛かるけれど、落ちていくのは“あっという間”」と整形外科の先生からお聞きしたことがあります。
本当なのですね!
今、お試しで借りています。
このままレンタルに切り替えるかどうか、父が望むようにしようと思っています。
94歳、無理をして歩いてとは言いえませんもの・・・

母が入院した時の担当医の言葉「こうなると、何が良い悪い。どうしなければいけない、してはいけない。ということは何もありません」
いつも思い出している言葉です。


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September 10, 2008

老人介護事件簿

朝5時過ぎ、階下から私を呼ぶ父の悲壮な声が、夢の中に割り込んで来ました。
『すわ転倒!』と階段を転がるように降りて父の部屋へ
部屋中コウコウと明かりを付けて、庭に出る窓の前にイスを運び、シャッターを数十センチ持ち上げ、私の名前を必死で呼んでいます。
今の父の状態でこれだけのことをするのには、1時間以上かかるでしょう。
両手で歩行器を持っていなければ立っていられないのですから。
「シャッターを開けておかんとヘルパーか入って来れない。門に車が止まっている」とブッブッ文句を言いながら。
まだ朝早い事を説明し、落ち着かせてもう一度ベッドに寝かせ、1軒落着!
転倒しなかったことが奇跡のような出来事でした。

次の日は母のお墓参りに行く予定でした。
朝6時半にシャッターを開けにいった時は何の異常もなかったのです。
出発45分間前、留守の間のヘルパーさんの予定を説明に行くと、べットに座って黙々と自分で着替えをしています。
いつもヘルパーさんにしてもらっているのに様子がおかしいと思いながら、ひょっと洗面所の方を見て、我が目を疑いました。
床中水浸し、大洪水です。

便器の中で紙おしめが水分を吸ってパンパンに膨れ上がって水の流れを止めています。
今の紙おしめは本当に優れもので吸収力抜群、お化けのように大きくなるのだ!と暫し見取れる程。
一瞬、出掛けるのは無理かな?との思いが過ぎりました。

まず父の着替えを手伝って落ち着かせ。
30分後に朝のヘルパーが来て全部後始末をくれるからと、時間と戦いながら解る様にゆっくりと説明。
こんな時の為に用意しておいたボロタオルを洗面所中に敷き詰めて出発。
新幹線のホームから電話をかけて後始末を頼みました。

次の日は、父が気に入っているデイ・サービスの日でした。
個別にリハビリを丁寧にしてくれる所で、毎回いそいそと出掛けていきます。
夕方、戻って来て、忘れ物をしてきたから電話で探してもらって欲しいと言います。
ところが何を忘れてきたのかが思い出せないのです。
持ち物は、全部持って帰って来ています。
でも彼にとっては何か忘れ物がある、引っ掛かっている事があるのです。
小1時間拘り続けました。
食事をすれば気が紛れるかもと、ヘルパーさんに急いで夕食の支度をしてもらいました。
案の定、食べ終わったら、ケロッと忘れていました。
父は94歳、本当によく頑張っていますが、何が起こっても不思議のない状態である事は確かです。

亡くなった母は要介護5の寝たきりで、自分分の状態が良く理解できていませんでした。
父は辛うじてですが歩行器を使いながら自力で動け、また意識も可なりしっかりしています。
全く違う2つのタイプの老人介護を体験しながら、上手に年をとることの難しさをヒシヒシと感じています。
明日は我が身ですから・・・


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September 01, 2008

アフガンで亡くなった伊藤和也さんの笑顔

天命庵のお庭で親様のお話を伺いながら、アフガンで亡くなった伊藤和也さんの子供のような純真な笑顔を思い出していました。

《何故、今の世の中はこんなにもおかしくなってしまったのでしょうか。
それは「自分さえ良ければ良き事」という心がはびこってしまったからです。
『自分だけ有名になればいい、自分だけ幸せになればいい、自分だけ豊かになればいい』という心。
分け与えていないのです。
自分が沢山の愛を頂いたら『それをお返しさせて頂きます』
沢山の力を頂いたら『自分も何か人の為にさせて下さい』という気持ちが無くなっているのです。
頂いたら返さなければいけない。
昔は木を切ったら新しい苗木を植えたものです。そうしたら森は、また森となります。
今の人の考え方は、木を切りました。立派な木を頂いて『ああ良かった、よかった』で終わってしまう。
未来のことを考えません。
木を切ったら次の木を植えていく。新しい森を造っていく。そういう考えが無くなりました。
皆さんも幸せな事を頂いたら「自分も何かさせて頂きたい」という気持ちが無くなっている。してもらうことばっかりを皆願っている。「させて下さい」「何か自分にもさせて下さい」という心が失せているのです》

彼のような人は、おかしくなってしまった今の世に、最も必要とされる、貴重な存在だったのに何故あんな悲惨な事に・・・

「ペシャワール会」のホームパージは、
『誰もが行きたがらない所に行き、誰もがやりたがらないことをする』の言葉で始まっていました。
《子供たちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう力になりたい。アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に戻すことをお手伝いしたい》が彼の動機でした。
他者への誠の愛、人に与える事の大切さ、未来を見据える目、を兼ね備えた方だったのですね。

そして何よりも凄いと思うことは、穏やかに楽しそうに喜んで現地の人々と働いている様子が、数々の写真から伝わってくることです。

彼はアフガニスタンの現状と「ペシャワール会」の活動の意味するところを私達に伝えて、この世を去って行ってしまいました。

私にも息子がいます。
もし、アフガンでお人の為に働きたいと言ったら、私は送り出す事ができるでしょうか・・・
伊藤さんは立派な方でした。
そして彼の崇高な志を理解したご両親も、ご立派だと思います。

彼の志が受け継がれてゆくことを願いつつ、そして、私も自分に出来る小さなことをコツコツと続けていきたいと思いつつ、僅かですが「ペシャワール会」に寄付を送ってきます。

心よりご冥福をお祈りいたします。

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August 21, 2008

宗教、信仰、神の教えに集まる人々とは―天命庵でのお話(2)

「両親の介護でなかなか天命庵にも伺えなくて・・・・」と何気なく言った一言に、
「えっ!他に行ってるんじゃないんですか?」
「はぁ~、他って何ですか?」と私、
「・・・神さまの話を聞きく所・・・香川さんも行ってるって・・・」

3年近く両親の介護でバタバタしている間に、あらぬ噂をたてられていたような。

ここでちょっと天命庵について。
宗教団体でも組織でもありません。 
大徳寺さんが自宅を月3回無料で開放して、神さまの教えの話しを伝えておられる庵です。
昔の辻説法を、個人のお宅で開かれている、そんな感じでしょうか。
公共の場に人が大勢集まるには許可が必要な時代ですから。
氏素性を聞かれることもなく、心ある方ならどなたでも訪れる事ができます。
クリスチャン、お坊さん、他の団体で学んでいる方等さまざまな方が、毎回、1年に1度、数年に1度、一生に1度と思い思いに訪れて学んでいかれます。

そんな自由な学びの場で“他に行っているのではないか?”と噂されるとは、摩訶不思議!
それだけだったら『私も噂をたてられるほどの有名人だったんだ~』(冗談ですけれど)
お気に入りの神さまの教え《人が何事言おうとも、神が見ている気を静め》
で、お仕舞いにするところです。

「でも時々だけど・・・ず~っと来ていたんだけど・・・・」と私
「うん、本を書くために来ているって・・・」
「はぁ???」

6年前、主人が『金儲け、素人がやっていいこと、わるいこと』という本を出版しました。
金融のプロの主人が一般の方向けに、如何に分かり易く書か、心を砕いているのを側で見ていて、私も普通の方が関心を持って下さるような、分かり易い神さまについての本を書いてみたくなりました。
神さまの教えと、宗教団体の教えは別物ですから。

ほんの親しい数名の方にだけ、本の事を話しました。
「本を書く為に来ている」と言っている方がいると聞いた時『私って人を見る目がないんだ~』と、瞬間落ち込みました。

大徳寺さんに「噂をたてられているのですけど・・・」と申し上げると
「堂々としていればいいのです。堂々としていればそんな話、直ぐどこかに消えてしまいます」
「不安に思っているから、いろんなものを呼ぶのですよ」

この《堂々と》《不安》と言う言葉に“はっ”と気付いた事がありました。
親の介護の事でトラブルがあり、どうしようか考えていました。
《堂々と》していれば良いのだ、《不安》に思わなければ良いのだ、と今回の噂を通して、今私に最も必要な事を教えてもらいました。
神様も手の込んだ事をなさる、等と思うのは考え過ぎでしょうか。

人生は一話完結ではなく、連続ドラマなのです。
全ては繫がってゆく。
一っの出来事に囚われる事は無い、改めてそう感じた出来事でした。


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August 18, 2008

宗教、信仰、神の教えに集まる人々とは―天命庵でのお話(1)

『無差別の恐ろしい事件が次々と起こる原因は、今世の中に(神の)教えが消えてしまっているから。
教えを聞いていると、人を殺せなくなります。
教えを聞いていると物を生かせるようになるのです。
教えを聞いていると自然を大切にできるのです。

そう云うと、どうして宗教戦争が起こるのですか?と疑問を持つ人がいます。
宗教は教えではないのです。
神様の名前を語って、人に言うことを聞かせ、神様の名を語って人を怖がらせ、怯えさせ、そして宗教団体の上の方の人達が私利私欲の為に怖がらせてお金を集めているのです。それは本当の教えではありません。

本当の教えというのは聞けば聞くほど、心が魂が向上したいと思うものです。
教えを聞いていると心が自由になるのです。
教えを聞いていると変な事を言われても気にならなくなる。教えを聞いていると何やかや云われても関係ない。そんな小さな事でぐちゅぐちゅしているのが勿体ない。
人は神様の方だけみればいいんだけれど、集まりに来ている周りの人の姿を見るのですね。
神様はよくおっしゃいます「人を見てはいけない。神だけを見なさい」

だってそうですよ、ここに来る方が聖人君子だったら、ここに教えを学びに来ないわけです。
皆、出来損ないだから来るのです。神様が呼んでくれているわけです。
心もできて、身もできて、性格も良かったら来ないわけです。性格が悪いから頑固だから来るわけです。呼び付けられるわけです。心を変えさせて頂くわけです。
“節から目が出る”と仰るでしょう。
いろんな問題-病気、夫婦、親子、仕事-で教えを学びなさい、とお呼びがくるわけです。それだけ皆可愛いわが子だから世の中にちらしておいたら何をするか分からないから呼んで下さるわけです。有難いではありませんか。育ててくださって有難いね。
そう思ったら、こんな良い所にどうしてあんな人がいるのかしら?あんな悪口を言う人がいるのかしら?
自分の中にもそういうものがあるのです。
ここは鏡屋敷です。出会う方はご縁のある方です。自分の映し鏡のように出会うのです。お互いに映しながら直していく。
もし教えの場で、いやなことを聞いたり耳にしたら、その方を通じて自分に教えて下さっている“有難うございます”と拝むと消えていきます。
本当ですよ。
神様のお側にいるから直ぐに消して下さる』

先月、湯河原の天命庵で伺ったお話です。
「良く言えば、それだけあなた方は個性的なのです。だから神様の教えを聞いて、周りの方に伝えていく、世の中を変えていく力になれるのです」と、いつもなら上げたり下げたり笑わせながら続いていきますが、可なり厳しいお話でした。

私にとって、本当に必要があって伺った内容でした。
実は、天命庵でちょっとした噂をたてられている事を知り、困惑しているところだったのです。


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August 13, 2008

介護と不寛容さ・インドネシアからの助っ人

父のショートステイ先から電話。
「ご自分でべッドから車椅子に移ろうとしてすべり落ちられたようで・・・」と本当に申し訳なさそうな女性職員さんの声。
「直ぐ看護婦が調べて、今の所何処にも異常はありませんが注意深く経過を観察します。申し訳ございませんでした」との事。

「家でも時々転倒しております。骨が丈夫なようですから調べて頂いて異常がなければ大丈夫だと思います。預かって頂けるだけでも有難いので、余りご心配していただきませんように」と答えて受話器を置きました。

何しろこの暑さ。
何しろ昨年末母を亡くしてから急激に体力が落ちている94歳。
夜の突然の電話は、心臓によくないですよねぇ。

大した事がなくてホッとすると同時に『そこまでご丁寧に知らせて頂かなくてもいいんだけどな~』というのが私の本音。
次の日に帰宅の予定なので、その時に報告してくだされば充分だと思うのですけれど・・・
このご時勢、預かっている方としては、そうはいかないのでしょうね。

施設に預ける、人に世話をお願いするという事は、相手を信頼してお任せする事だと思っています。
少しでも不安があるのなら、ちょっとのミスも許せないのであれば、全部自分で面倒をみるか、付きっ切りで世話をしてくれる人を雇うべきではないでしょうか。自分が出来なくて人にお願いする以上、相手に完璧を求めるのは筋が違うのではないかと思うのですが・・・
誰の目から見ても明らかな不注意によるミスは、勿論、他の方の為にも言うべきですけれど。

このままでいけばと言うか、すでに始まっているようですが、重労働で低賃金、その上ちょっと何かあれば苦情が出る。これでは介護の担い手がいなくなってしまって当然です。
結局言いたい放題をしていると、最後に困るのは自分達なのですけどね。

先日インドネシアから看護師・介護福祉士の候補生が来日したという記事が載っていました。
日本語の難しさ、3~4年でそれぞれの資格を取得しなければならない事、大きな壁だと思います。
でも一番大きな壁は、今日本中に蔓延している相手に完璧を求める不寛容さではないか、そんな気がします。

この夏、ヘルパーさんがいる時間帯と夜中以外は1時間おきに安全確認と冷房の温度調節をしています。
ショートステイの間、昼間は何かと忙しかったのですが、夜はゆっくりさせてもらいました。

“いつも笑顔でスタッフに接して下さり、気持ちよくお世話させてもらいました”との報告書と共に、父は無事帰宅しました。

私にとって、預かって下さる所がある事はとても有難い。
そして、父が皆さんと気持ちよく過ごす努力をしていてくれる事も、とても有難く思っています。


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August 06, 2008

行政はどこまで老人介護に立ち入るべきなのでしょうね

「わ~、涼しい。天国!やっぱりご家族と同居はいいですね」
往診に見えた女医さんと看護婦さんが、父の部屋に入るなり口々に歓声をあげられました。

独居老人。
老老介護のご夫婦
軽い認知症のご夫婦
息子さんはお勤めで昼間は独居状態のおばあちゃん
最後が我家の往診だったそうです。

クーラー無し、窓も閉め切ったまま
クーラーがあってもリモコンの使い方がわからない、これが圧倒的に多いとか。
父もそうですからよく分かります。
35℃近い猛暑の中クーラーとホットカーペット両方の電源が・・・毎回その家の往診は、ホットカーペットの電源を切ることから始まるとか。

「同居してない家は大変。今年の猛暑は特に・・・」と先生
思わず「ヘルパーさんは?」
「入ってない家がほとんど。本人か身内しか申請の手続が出来ないので・・・
民生委員が手続きの代行をできるようだけど・・・
それぞれに家庭の事情があるし
他人に家の中を見られたくないという方も多いし
介護保険、複雑すぎて説明してもわからないし
負担は1割と云ってもお金のかかることなので「結構です」という方も多いし
たとえ本人が了解しても、他人がお金のかかることの手続きをした、と後でトラブルになることもあるようだし」
し、し、だらけでビックリ!

ぎりぎりまで、誰にも何もできない、何故なんでしょうね。
「お父さまは、娘さんとご一緒で本当に幸せですよ」と何回も言われるのを
複雑な気持ちで聞いていました。

一昔前のような他人の家庭の中にどっぽり入り込むようなお付合いは、私もしたくありません
でも何かあった時にはお互いに助け合える様な、程良い近所付き合いを普段からしておくことって大切だと思うのです。

今、自分の出来る範囲で出来る事でお人の役に立つ。
そして出来なくなったら頑なに拒絶するのではなく、人に有難く助けてもらって感謝する。
お互いさま、持ちつ持たれつの精神が、これから必要になってくるのではないでしょうか。
昔の人はいい事を言っています。
「遠い親戚よりも近くの他人」
もう始まっている高齢化社会、行政の力にも限界があるでしょう。
自分達で出来る事は自分達で。

主人と自治会の活動をしていて難しいと感じつつも、日頃から一人一人が小さな努力をすれば、もう少し住みやすい安心して暮らせる社会になると思うのです。

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July 14, 2008

特養のショート・ステイの感想

父は「皆さんによくして頂いた」と言って帰ってきました。
どうやら“センサーマット”の力が大きかったようです。
「“もぞっ”と動くとヘルパーさんがすぐに飛んで来て助けてくれるんだよ」と笑いながら皆に報告。

立ち上がる事、歩行が大変になった父にとって、動きたい時、即、人が飛んで来て手伝ってくれる。何物にも代えがたいのでしょう。
「食事はまあまあ、来ている人達は有料老人ホームと雲泥の差」とキチッと状況を把握した上での感想ですから。
年と共に自分にとっての大事な物が変わっていくのですね。
94年間貫いてきた生き方、考え方がある所を境にコロリと変わってゆく。
老いるとは、なかなか察するのが難しい世界です。

ケアマネに「父の方は“合格”」とすぐ連絡を入れました。
彼女「本当?本当?」とにわかには信じがたい様子。
夕方様子を見に来て父と話をし「ほんまや~。でも今回はお試しで短期間だったから、1週間位いたら感想が変わるかもしれへんよ」と“言い出しっぺ”なのに一転して慎重に・・・

特養の送迎はストレッチャーが乗る超大型車に運転手さんとヘルパーさん2人。
様子を見て、歩行器から即車いすに変更、父は車いすごとリフトで車の中に吸い込まれていきました。
出発の立ち合いに来ていたケアマネと二人で「すごい~~」と顔を見合わせました。
有料老人ホームとか民間のデイサービスの送迎は、ミニバンでヘルパーさん一人か二人で走り回っていますから。
公立と民間の差は結構大きいのかもしれません。
後は自分にとって何が大切かにかかってくるような・・・

父から話を聞いて「特養にもいろいろあるわよ。良い所に当たったんじゃないですか?」といつも来ているヘルパーさんが言ってました。
ケアマネの言う通り、責任者がしっかりしておられるのは大きい。
滞在中、度々父の部屋に様子を見に来て何くれと気を遣ってくださったようです。

特養はお安いのと、個室が2部屋しかないので、中々思うようには予約は取れないのですが、でも父の気に入るショートステイが1つ見つかり、その上すぐお近くで少しほっとしています。


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July 10, 2008

特養のショートステイ

父のショートステイ先を探し始めて4カ月、やっと今月から軌道に乗り始めました。

実はその間どうしようと悩んでいた5月頃、書類を届けにきたケアマネが会うなり「綺麗にお化粧しているけど疲れた顔してるね~」
しばし思案した後、思い切ったように何処かに携帯を掛け始めました。
それが、彼女にしては超丁寧語で話しています。

電話の後、以下関西弁です。
「誰と話してたん?」
「そこの、特別養護老人ホームの責任者」
我家から歩いて4~5分の所にあります。
「これだけ家庭で手厚く介護をしていたら、特養は無理や、と言ったのあんたやん。前のケアマネも同じ事言ってたけど・・・」
「そこのショートステイの責任者がとてもしっかりした人で、彼女の元なら預けても安心かと思って・・・」
等々話していたら折り返し電話があり「来週早々“2泊3日のお試し”の個室が取れました。日が迫っているので、明日ご本人とご家族の面談に伺います」

現れた責任者は、一分の隙も無いようなキリッとした中年女性。
スキだらけの私といたしましては、この上なく緊張しました。

父を預かるにあたって必要なことをテキパキと尋ねていかれ、その的を得た質問に、ケアマネが彼女なら安心といった意味が分かりました

転倒の危険性が高い事と「転倒は何処にいても起こりえるので、転倒した時はした時と思っております。家でも私が24時間付いて歩いているわけではありませんので」と伝えました
初めて顔を和ませて「なかなかそう言って下さる方はいらっしゃらないのですよ。すぐ苦情がくるので働いている者は落ち度がないようにピリピリしています」との事。
私なんか預かって頂けるだけで有難いと思うのですが、世の中の方は違うのですね。不思議!
べッドの足元にセンサーマットを敷いて、父がベッドから降りるとヘルパー・スーテションにすぐ連絡がいくようにしてもいいですか?と聞かれたので、
「結構です」と答えました。
試してみて、もし父が嫌がったら、その時はその時で考えればいい事。
私もやっとそんな風に柔軟に介護を考える事が出来るようになりました。

考えもしなかった思い掛けない方向に物事が進んでいきます。
深く考える暇も停める暇もないほどの勢いで・・・
こんな時、私は見えざる力が働いているような気がするのです。
たかだか父のショートステイのような小さな事に神様を引っ張り出さなくても、と思われるかもしれません。
ても“神の御業は細部にまでも行き渡る”そんな言葉を聞いたことがあります。

まあ、どちらにしても駄目で元々、そんな程度のことですけれど。
ショートステイの父の感想は・・・

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June 24, 2008

訪問歯科

父の入れ歯がまっ二つに割れてしまいました。
94歳でステーキをパクパク、ピーナツをポリポリ、何でも噛めるご自慢の入れ歯でした。
それで具合が悪くなっていることに全く気が付きませんでした。

今日から何を食べさせたらいいものやら、慌てましたね。
でもそこは老人介護も2人目、母の時に訪問歯科のお世話になった事があるので、早速、友達のケアマネジャーに電話して、緊急で探してもらいました。

訪問歯科は、洗濯物を入れるような籠2ヶ分の品々で自宅が歯科医院に早代わり、入れ歯でも作ってもらうことが出来ます。
在宅介護、いろいろ困ることがいっぱいありますが、“歯”に関してはかなり制度が整っている感じ。
もっとも技術面ではばらつきがあるようで、ケアマネもその辺はよく分かっていて「腕がいいかどうかわからないけれど、明日訪問してくれる予約が取れたから応急処置してもらって」と連絡がありました。

父は歯科医師、特に入れ歯を作る時は、経験を積んだベテランがよいとの持論がありまして、当日、どんな歯医者さんが現れるか、ちょっぴり心配でした。

若いおっとりした感じの医師と、やはり若くて、でもテキパキやり手そうな助手との女性2人組が現れました。
「先生、先生」と煽てられながら医師が助手に使われている感じで、2人のやりとりが面白いこと。

やはり割れた方の修理は難しく新しい入れ歯を作ることになりました。
それまでは、応急修理をするので柔らかい食事をとの事。

1週間後にショートステイを控えていて、一瞬「どうしよう・・・」
今までの私ならば慌ててキャンセルするところですが、落ち着いて考えて“刻み食”をお願いして、預かって頂くことに。
流石の私もだいぶ慣れてきました。

母の時の医師と助手も若い女性の2人組でした。
母は痩せていて土手(歯茎の事)が無いも等しく超難易度の高い入れ歯作りだったので、こんなに若い人達で入れ歯が上手く作れるのだろうか、と正直不安でした。
ところが、出来栄えはそれはお見事。
それまで、母が合う入れ歯を造る為につぎ込んだ時間とお金は何だったのだろうと呆気にとられた程。

もしこれで父のがぴったり出来上がったら“入れ歯創りは若い女性歯科医に限る”と考え方を変えようかしら・・・
でも密かに、最近は腕前よりも、良い素材が開発され、技工士さんの技術も進歩したからかもしれない等と思ったりもしていますけれど。

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May 29, 2008

人によく思われたいと思うのは、色気だね

またやってしまった。そんな気分です。
月初めに父を4泊5日のショートステイに預かってもらう予定でした。
ところが、1週間前にデイサービスで流行のお腹の風邪をもらってきた様子。2回程下痢をしただけで熱もなく元気でしたし、1週間経てば他の方にうつす心配もなかったのですが、キャンセルしてしまいました。高齢なので大事を取った方がとの思いと、お世話してくださる方々にご迷惑を掛けてはと考えて・・・

月に1度の往診に見える女医さん曰く「いいのよ、そういう時は預けてしまえば。向こうが大変だと思ったら“引き取って下さい”と連絡があるから。高熱とか全身状態が余ほど悪ければ別だけれど、預けて大丈夫よ。深く考えないでいいのよ。真面目なんだから」と言われてしまいました。
そして、止めの一言「年を取れば、何時でも何処かしら悪いものよ。施設の方がそうゆう事に慣れているのだから」
うん~、あれこれ考えていたら、永遠にショートステイに預ける機会等ないということです。

そういえば去年、母をショートステイに預ける時、睡眠薬と安定剤の調整中で薬が定まらず、とても無理ではないかと躊躇った事がありました。
女医さん、心療内科の先生、家政婦さんに「大丈夫。大丈夫」と言われ、いろいろ智恵を授けてもらってやっと預けたことがありましたっけ・・・
本当に皆から言われたとおり、何の問題も起こりませんでした。
私、全然経験が生かせてないようで・・・がっくり。

性格的に何事もキチットとしたい方ないのですが、体力とも相談しながら、程々で妥協しないと長い介護生活は体力が持たなくなってきています。
どうもその辺が私は妙に真面目で、融通が利かない。
真面目の前に何か余計な言葉が付きそうな・・・
余り気を使い、心配をし、慎重になると、身動きが取れなくなってしまう、と今更ながら気が付いた次第です。
遅い!
ショートステイは主に介護者の為にある制度です。
だからお任せしてしまえばいいようなのですが、なかなか割り切れない性格で等と考えていたら、なんと超心配症の両親のしていた事と同じではありませんか。
これは一大事。
そしてもう一つ。
作家の曽野綾子さんが何かの本に「人によく思われたいと思うのは、色気だね」と書いておられたのを読んだ事があります。
そうなのです。
“キチットしていたい”とか“人様に迷惑をかけたくない”との思いはとても大切ですが、その中に“人に良く思われたい”そんな気持ちも結構混じっていて頑張っているところもあるような・・・

今は、色気よりも自分の体力を考えて行動しないと、返ってはた迷惑になりそうです。
考え方を変えるいい機会を頂いているようです。


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May 09, 2008

後悔と取り越し苦労

両親が我家に来た時から、90歳まで生きてきたのですから、後の人生は出来る限り好きなように過ごせばよいと思っていました。基本的にその考えは、今でも変わっていません。
それでいくと、お気に入りの絨毯は転倒の危険性があっても、父の気の済むようにすれば良いという事になります。

ところがここで問題が一つ。
父は後で“ふか~く”後悔するタイプです。もし絨毯のせいで何かが起こったら「あの時片付けておけば良かった」と後悔し続けるでしょう。後々悔いを残させないようにと思うと、父の好きなようにとはいかなくなります。
そこが非常に困るのです。

母は常に先々の事を心配し、そして過去の事をくよくよと悩むタイプでした。でも父はバリバリ仕事をするタイプだったので、晩年になるまで両親が似たような性格だとは気付きませんでした。若いころは違ったのに、年と共に似たもの夫婦になったのかもしれませんけれど・・・

私は母を見ていて、もうちょっと違う考え方、生き方があるのではないかと感じたので、天命庵で神の教えと云うか、人としての生き方のお話を時々伺っています。

こんなお話を聞いた事があります。
日々、前向きに楽しく暮らす事を阻む、2つの荷物
一つは、今さら考えても悩んでもどうにもならない過去を、いつまでも悔やんで抱えこむ荷物。
もう一つは、まだ経験したことの無い未来への不安や心配をする、取り越し苦労の荷物。
過去を必要以上に悔やまず、将来を案じないで、今日一日を精一杯プラス思考で暮らす。これが生き方の秘訣のようです。

この両親の娘ですから、私もかなり重い2つの荷物を背負っていました。
でもこの話を何かにつけ思い出し、考え方に気を付けていると、精神的にも身体的にも体が楽になり、ずいぶん健康になりました。
荷物は軽い方が楽で負担が少ないのですから、当然ですよね。

絨毯を片付けて寂しい思いを引きずるかと心配したのですが、父はすっかり忘れている様子。
歳と共に物忘れが進むのも、神様の計らいかもしれません。


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May 04, 2008

命を掛けるほどのもの?

N・Yの5番街で集めたお気に入りの品々と共に、2年半前、父は我家に引っ越してきました。想い出がぎっしり詰まった物の中には2枚の置きカーぺットもありました。

年をとって何が怖いといって、転倒ほど怖い事はありません。骨折から寝たきりに、打ち所が悪ければ最悪の事態になる危険すらあるからです。転倒の原因は、お風呂場で滑るのと、カーペットの端につまずくのが圧倒的に多いとか。
友のケアマネは我家に来る度に、2枚の置きカーぺットを見て「危ない。危ない」と目の敵にしています。皆でカーペットを敷くのはを止めた方がいいと事在るごとに話すのですが、父は「大丈夫。大丈夫」の一点張り。

ヘルパーさんから「朝来たら床に座っておられました(転倒した事を意味します)痛い所は無いと言われています。絨毯の端が捲れていたので歩行器が引っかかったのではと思うのですが・・・」との報告がありました。

父に「大事に至らなくて良かったけれど、お母さんのように転んで骨折して寝たきりになったら、つまらないじゃない。絨毯片付けたらどう?」とやんわり勧めてみました。
返事は「いやや!」ときっぱり。
「そうね、お気に入りだもんね」と言って、改めて件の絨毯をしげしげと見てみました。確かに上等そうで美しい、そしてちょっと珍しい物です。
でもねえ~「命がけで敷いて置く程のものでもないんじゃないの?」と本当に感じたので、大きな声でそのまま呟いてみました。
父は声を出して笑い「そぉやな~、も~ええわ。片付けて・・・」
気が変わらないうちに、クルクルと蒔いて次の部屋へ担ぎ出しました。我ながら手早かった事。

長い間ハラハラドキドキさせたケアマネに報告の電話「やっと絨毯、片付けたわよ」歓声と共に「なんて言ったん?」
「命がけで敷いて置く程のものでもないんじゃないの?って言ったら意外とあっさり納得してくれたのよ」
「そのまんま、言うたん?」
「うん、そのまんま」
「さすがやね。今度何かの時に使わせてもらうわ」と受話器の向こうで大笑い。可なり受けておりました。
危険の種は、その辺にごろごろしているのですが、まずは1つ解決です。


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April 24, 2008

ショートステイ先探し

父の介護は、昨年亡くなった母と比べて楽勝と勝手に思っていました。
私はどうも見通しが甘いようで、だから90歳と88歳の2人を我家に引とれたのですが・・・

昨年末、母が亡くなってから父は毎月1段階ずつ要介護度が上がっていきます。
国の介護保険の抑制政策で認定条件がどんどん厳しくなっているにもかかわらずです。
主治医の女医さんも長年の友のケアマネも、介護度が上がる度に「良かったわね、と言っていいのか、介護度が進んで残念ですねと言うべきか・・・でも支援の枠が広がるのだか良しとしましょうか・・・」と複雑な様子です。

父は特に大きな持病も無く、認知も年相応程度なので、デイサービスとショートステイを組み合わせながら何とか介護が続けられると思っていました。
ところがどっこい、そもそもショートステイを実施している有料老人ホームが殆どありません。
終身で入居するなら、御安いのから超お高いのまで選り取り見取りなのですが・・・

母の時、やんわり断られた有料老人ホーム、先月なんとか2泊3日の“お試し”にこぎつけました。
帰宅する日にホームから電話があり「あと1時間でご自宅へお送りするところだったのですが、転倒されまして・・・すぐ看護士が検査いたしました。どこも異常はありませんが・・・」と平謝り。
受話器から“あと1時間で何事もなく無事帰宅させられたのに・・・”との責任者の思いがひしひしと伝わってきました。
「自宅でも24時間見守っているわけではございません。転倒する時は転倒すると覚悟をいたしておりますので、そんなに気にして頂かなくても大丈夫です」と私。
返事が良かったせいか、まぁ、そんなこともないでしょうけれど、とにかく父は無事合格をしました。
7月から(3カ月前に予約を取らなければいけないので)毎月4~5日預かって頂けます。
そのホーム、大きくて新しく綺麗、一見高級老人ホーム風です。
建ってから数年経つのにまだ空き部屋があり、人の気配が余りしないというか、妙に静かな点が引っ掛かっています。
贅沢を言ってられる立場ではないのですが、心配しながら父を預かって頂いても私の休養になりませんしね。

国は高齢者の在宅介護を奨めています。
療養病棟を今ある35万床から15万床に減らすとか減らさないとか・・・
確かに母を病院のショートステイに預けると、何処の病院もそうですが、毎回健康診断(心電図、レントゲン、血液検査等々)をするのです。
必要も無いのに何で?と常々医療費の無駄遣を感じていました。
ですから療養病棟の削減に決して反対の訳ではありません。
でも減少は、何らかの受け皿を作ってからにしてくれなければ・・・
介護は期間限定ではないのです。
何年、何十年続くかわかない仕事ですから。

今辛うじてあるショートステイは、2カ月、3カ月前に予約を取らなければなりません。
そんな先の予定、わからないですよ。
それに、1番肝心な万一の時に役に立ちそうにありません。
ショートステイ先探しは、まだまだ続きそうです。

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March 27, 2008

母の納骨を済ませました

2月4日の節分が、母の49日でした。
春へと季節の移り変わる節目の前日、一つの区切りとして納骨を済ませたかったのですが、
何せ実家の菩提寺は滋賀県、雪深い所です。
都会の整地された墓地とは違って、木の生い茂る自然の中のお墓は、雪が降ると納骨が出来ません。
ご住職さんが「それは“たんと”降りました。まだ裏に“たんと”あるので、何でしたらお持ち帰りになりますか?」と冗談を言われ位、今年は降ったそうです。
それでも父の子供時代とは比べものにならない程、雪の量が減って過ごし易くなったそうですけれど・・・

菩提寺は奈良時代に開かれたお寺で、広大な敷地は県名勝指定の庭園があり、重要文化財の観音様、仏画を所持しておられます。
土地がいくらあっても、都会のように「墓地好評分譲中」「セール」と上りを立てて販売しても、売れるような土地柄ではないでしょうし。
檀家の限られたお寺としては維持をしていくのは並大抵のことではないのでしょう。
時の重みを加味しても、全体が可なり草臥れた雰囲気を醸し出していました。

納骨の後墓前で、子供の頃童謡歌手だった母が好きだった童謡を歌いました。
後でご住職さんに「童謡、良かったですねぇ。難しいお経よりもお母さんの心に届いたの
ではないかな」と言って頂きました。

魂は生まれ出てきた天に戻ってゆく。
人の体は自然に帰ってゆく。
土に戻ってゆく。
静かで豊かな自然の中で、改めて自然の摂理を感じました。


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March 15, 2008

花粉症、3種の神器

フルナーゼ点鼻薬、アイビナール点眼薬、飲み薬はアレギサール錠5mg
ここ10数年、花粉の時期をこの3点セットで上手に乗り切ってきました。
多くの西洋医学の薬に異常反応を起こす私にとっては、珍しい事に全く副作用が出ない本当に3種の神器なのです。
花粉を目で感じ始めてから使い出してもすぐに効くし、この3点セットを使っていると殆ど自分が花粉症だという事を忘れている位、素晴らしい効き目を発揮してくれていました。

ところが、ところが、今年は3種の神器の神通力が落ちてしまったみたいで・・・
例年と同じように使っているのに、目はかゆい、時折凄まじいくしゃみと鼻水、頭の中は“ぼーっ”
どうしてしまったのか、まるで理解不能状態。
今年は去年より花粉が多いことは、確かなようですが・・・
でも、去年まで効いていた薬が、突然効かなくなるなんて事があるのでしょうか?
お医者さんに相談しなければと思いながら、去年との差は何だろ、と考えておりました。

それが思い当たったのですよ!
花粉情報を聞く前から『今年の花粉症は、疲れていて免疫力落ちているからひどいだろうなぁ~』と完全に気力負けしておりました。
病気は何でも“気”のせいと思っているわけではありません。
でも「病は気から」というように、気の持ち方もとても大きいと思っています。

時々掛かっている若い整体の先生、お鼻グシュグシュ、いかにも花粉症ぽいのです。
でも「先生、花粉症?」と効くと「僕は花粉症はありません!」と即、きっぱりと言い切ります。
花粉症が恐れをなして逃げて行きそうな、先生の周りの花粉が飛び散って消えてしまいそうな、そんな凄い勢いで。
病気に対する、そういう心構え必要かもしれませんね。
始まる前から『今年はひどいだろうな~』ではまるで花粉症を呼んでいるようなものですもの。
残念ながら、気が弱い方なので「花粉はない!」と花粉を撃退するほどの勢いはありません。
でも、心を入れ替えて『いつもの3種の神器を使っているのだから、今年も大丈夫』と思い直すことにしました。
そういえば昔「薬は効かない、と思ったら絶対に効きません!」とお医者さまに言われた事がありましたっけ・・・
それと、花粉情報は見ません。

あ~ら、不思議!
ここ数日、目の“かゆ、かゆ”が全然違って軽くなりました。
結構いい調子なのです。
気の持ちよう、考え方って大切ですね。

さてさて、検査で引っ掛かっている他の病気についても考え直さなくては・・・

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March 07, 2008

専門医を紹介してもらうのは、難しい

新薬は副作用が出やすい体質です。
それで10年ほど前から、一般内科なのですが望めば漢方を中心に治療してくれる、銀座のお医者さんに看て頂いています。
心臓に異常を感じた時、我家の近くの心臓専門の先生を探して紹介書を書いてもらいました。
私としては、検査をして病名がはっきりしたら、主治医に漢方中心で治療をお願いするつもりでした。
検査結果を報告すると、専門医とはまた違う角度から日常生活の細かな注意点等を教えてくれました。
でも専門医に紹介状を書いてお任せしたのだから、治療については手を出したくないという感じでした。
それは確かにそうなのですが、何故に1時間以上も掛けて先生の所に通って来ているのか考えて下さいよ。
どうしよう、参ったな~~~という感じでした。

昨年末から、胃腸の具合が悪くて、両親がお世話になっている女医さんに、胃カメラの検査の出来る医院を紹介してもらいました。
検査の後「女医さんに報告書を書きますから、治療はあちらでお願いして下さい」と言われました。
私としては消化器系の病気なので、専門の先生に相談したかつたのですが、なにか“もやっと”不思議な感じに話しが噛み合わないのです。
暫くして、お人の良さそうな、ちょっと気の弱そうな、胃カメラの腕前は抜群の先生が「はっきりした事が言えなくてすいません」と言われた時『あ~、そうゆうことなのか』と謎が解けました。

紹介してくれた内科の女医さんと、内科消化器科クリニックは、駅を挿んで南北に数分の距離。
駅前はお医者様の激戦区。
我家から歩ける範囲に、いったい何件の内科系の医院があるのか分からない程。
そんな中で同業者がうまく付き合っておられるのは、暗黙の不可侵条約を守っていらっしゃるからなのでしょうか?
紹介された患者に、頼まれた検査をしたら、カラー写真入りの報告書と紹介に対する丁寧なお礼状を持たせて、即、送り返す。
私にはそんな感じにとれました。

報告書を読んだ女医さん「お薬、強いのに変えますか?」
私「副作用が・・・」
女医さん、優しく「そうね、止めておきましょうね」
深く追求すると、お薬が増えそうなので、逃げ腰の私のほうが悪いのですが、余りの呆気なさに???

致し方なく銀座の主治医に「どうしょう?」
丁寧に病気と使う薬の説明してくれました。
「悪化する可能性の高い病気だから、強い新薬飲んだ方がいいと思うけど、よく考えてみたら・・・」と言いながら、いつもの煎じ薬の調合を症状に合わせて少し変えてくれました。

エコーの結果、他の科に検査に行くように云われているのですが、紹介無しの方が後の自由がきくのかな?と思案しています。


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February 22, 2008

不調の訳

1ヶ月半、思うように食事ができない日々が続いていました。
自称天然ボケの女医さんも銀座の漢方メインの主治医も「お母さんの介護が大変だったから、その性では・・・」と言われるのです。
確かにそうなのですが、それにしても具合の悪すぎ。
「胃カメラの検査を受ける!」と、先週強行してきました。
結果は「胃・食道逆流症」
消化器科の先生、検査の後「最近、何か生活に変化がありましたか?」
『え~~、やっぱり、そうきますか・・・』
2年前から、母の事は覚悟ができていたし、自分としてはちょっと冷静過ぎるかなと思う位、気持ちの整理が付いているつもりなのです。
でも、3人のお医者様の反応をみていて、不安になってきました。
体に裏切られているような気がして・・・
自分の本心は何処にあるのだろう、みたいな・・・

子供の頃から体が弱くて、60年間行く先々でお医者と親戚付き合いをしながら生きてきました。
でもいつも一過性の病気で、どちらかというと“病は気から”みたいなものばかり。
本格的な?病気とはご縁がないと勝手に決めていました。
それがここにきて、連続で“発作性上室部頻脈”“胃・食道逆流症” と、一人前の病名が付きだして正直うろたえました。

先日、友のケア・マネージャーとコーディネターさんが、父の介護の認定が2段階上がって要介護2になったので、支援の相談に見えました。
ヘルパーさんに抱えられてやっと歩いている父の姿に、一瞬二人とも驚愕の表情を浮かべられました、余りの急激な衰え方に・・・
ケア・マネが「これは、もう一段階上の認定やわ・・・」と呟いていました。

それから2時間半、皆で父の動線と、転倒した場合の危険を考えながら家具をあちこち動かして、今後のヘルパーさんの手配の打ち合わせ。
何のことは無い、母が亡くなって2ヶ月、又どっぽり介護生活に戻りました。

体調が悪かったのは、疲れと年の性もあるのでしょうが、母の介護が終わって一休み出来そうな、父の事があるので気が抜けないような中途半端な状態が大きかったようです。
性格上、介護生活なら介護生活とはっきりした方が生き易いタイプのようで・・・

ただし、今回は、友のケア・マネージャーがいろいろ考えてくれているので、お任せしょうと思っています。
母は特殊だったので私が走り回らなくてはならなかったのですが、父の場合は大丈夫そうです。
私、人任せが出来難いタイプなのですが、これも良い勉強になると思います。
ヘルパーさんたちに感謝しながら、体調が戻るまで出来るだけゆったり過ごすよう心掛けています。


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January 28, 2008

成って来る“縁”を大切に

母の49日が過ぎてから父のリハビリを考えようと思っていました。
ところが足腰が目に見えてに弱っていくのが日に日に感じられ、そんなにおっとり構えてられない状況に。
ケアマネージャーさんが、近くて、リハビリが中心で、小規模で、短時間の所をいろいろ探してくれたのですが、条件に合う所は少なくそしてみんな空き待ち状態。
「新しく開所した処で一箇所、すぐに受け入れてくれるところがあるけれど、どうする?」
探していた条件とはまるで違う、機能回復のトレイニングをすると言うよりも、“ディサービス”で一日ゆっくり過ごす所。

父は93歳です。
「今更リハビリ等したくない。このままでいい」というのであれば彼の意思を尊重しようと考えていました。
それで、どうするか尋ねてみると、行って見たいとの事。
自分でもこのままでは寝たきりになると危機感を抱いていたようなのと、春になったら又いっぱい顔馴染みのできたお向かいのデニーズに行きたいとの夢があってかなり意欲的でした。

当日の朝は、あいにくの今年初めての雪。
朝のお世話に来ているヘルパーさんが心配するほど、父は緊張して落ち着かない様子。
お迎えの時は、付き添いのヘルパーと運転手さんの2人に両脇を抱えられてやっと車に乗り込んだのですが、帰りはヘルパーに支えてもらい杖をつきながら戻ってきました。
数時間行くだけでも違うのですね。
「いろいろ参考になった、勉強になった、皆親切だったと」言いながら戻ってきました。

ケアマネとは“人生について”お勉強していた時の仲間同士。
大阪弁で「どないする?でも一箇所だけというのが何か意味がありそうやね。これもご縁や。なんとかなるか~」
母を見送った後で体調を崩していたので、そんな乗りだったのです。
体力があったら、あれこれ考えて躊躇っているところです。
でも、成って来たご縁を大切にして良かった。
流れに沿ったお陰で、私にとっても思い掛けない収穫がありました。

我家に両親が来て以来、初めて自分の家で一人ゆったりとした時を過ごしました。
これからこうゆう時間が毎週持てそうなので元気が出てきました。

父のデイサービス・デビュー、初めて幼稚園に行くわが子を送り出す母親のような心境でした。

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January 23, 2008

相変わらずの介護の日々

何年振かで救急車を呼ぶ心配なしのお正月を迎えられると思ったのですが、そんなに甘くはありませんでした。
母が亡くなってから、93歳の父の足腰が急激に弱わり、度々転倒します。
90歳近くまで車の運転とテニスをしていたので運動神経は抜群、上手に転ぶのと骨が丈夫なようで大事には至っておりませんけれども。

でも一度は転倒の後、息ができない程の痛みが間欠的に襲ってきて、内科の主治医に相談しました。
この周辺に1軒だけ往診してくださる整形外科があると教えて下さり、すぐ電話を掛けたら、午前の診察の後往診に来てくださるとの事。
自宅までの道案内に診療所まで来て下さいと言われ、緊急でヘルパーさんをお願いして、父を看ていてもらい地図を片手に先生をお出迎えに行きました。
自称天然ボケの女医さん「医師会で1番ダンディーな素敵な先生よ~」とべた褒め。
父の常時ではない痛がり方が気掛かりながらも、ちょっと興味津々。
お会いしてみると、お医者さまというより学者のような、浮世離れした感じのご年配の先生でした。
看護婦さんと駐車場で待っていると、挨拶も名乗りもせず、いきなり運転席に乗られるので私も慌てて助手席に、道順を確かめられると即発車。
私、こうゆう状況苦手なのです。
でもまあ何とか名乗ってご挨拶をしました。
全然反応なし。
人の好みはいろいろで、どうも女医さんと私の好みは全く違うようで・・・
ただ電話1本で今まで看た事もない患者の為に、お昼休み食事もせずに往診に来て下さるとは、まるで“医者の鏡”のようないい先生であることは間違いないですよね。

痛み止めの注射して、それで痛みが治まったら単なる打撲。
それで治らなければ、打撲のショックで内臓が痙攣を起こしている為の痛みだろうとの事。
骨折の心配ばかりしていたので、全く違うお見立てに一瞬キョトン!
そういえば女医さんから“すてきな方よ”とばかり聞かされて、腕前については全然聞いてなかったと少々不安に・・・
緊急で来てくれていたヘルパーさんが「木島先生?息子が見てもらったことあるけど、親の間で理論的で評判いいんですよ」とそっと耳打ちしてくれたのでほっと一安心。

痛み止めの注射は全然効きませんでしたが、内臓の痙攣を止める薬を二錠飲んだら間欠的に襲っていた激痛がぴたりと止まりました。
先生がダンディーかどうかは私にはわかりませんでしたが、腕前は確かでした。

それにしてもまあよく次々と騒ぎが起こります。
そして本当に凄いタイミングで“拾う神”の登場。
ブログはなかなか更新できませんが、何とか生きております。

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January 14, 2008

氏神さまの“どんと焼き”に参加してきました

お飾りや門松を焚き上げてその年の無病息災を願う火祭りです。
地域によってさまざまな言い伝えがあるとか。
どんと焼きの火で、書き初めの紙が高く舞い上がると字が上手くなる、火に体をあてると若返る、体が丈夫になる。
また、この火で焼いた団子や餅を食べると病気をしない、お尻をあぶれば長生きをする、残り灰を体にまぶして無病息災のおまじないをする等、いろいろな願いがこの火祭りに込められているそうです

今日は雪空で飛び切り寒い一日でした。
そんな中、例年よりも大勢の300~400名の氏子が集まって賑やかに行われました。
住んでいる神奈川県では、お団子を火で炙る神社が多いとか・・・
我が氏神さまも、長い竹の先に白、緑、ピンクの3色のお団子を刺して老若男女が集まりました。
3~4mの竹に直径5~6cmのお団子3つ、自家製の人、神社の俄か団子売り場で買った人といろいろでした。

白幡神社どんと焼き団子の3つの色には、意味が込められていて、
白のお団子は、白幡神社の大地に
緑のお団子は、新しい芽が息吹き
ピンクのお団子は、希望の花が咲く
だそうです。

消防団の見守る中、空高く火柱が上がり、炎が舞い上がり、そして青竹の爆ぜる音が響き渡りました。
地域で伝統行事を受け継ぎ守っていく大切さを思いながら、無病息災を祈ってきました。

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December 25, 2007

母が息を引き取りました

発熱してからは急激に体力が落ちていって、ほとんど手の打ちようがなかったそうですが、眠るように安らかな最後でした。
もともと体が弱く、特にここ数年は20数kgの体でしたから、よく90歳まで頑張ったと思います。

滋賀県にある実家の菩提寺に「母が息を引き取りました」と伝えました。
母は娘3人、孫5人、曾孫2人に息を引き継いで、命を繋いでゆきました。
丈夫ではなく、か細い母が、しかも今のように物も無く便利でない時代に、3人も生み育てたのは、子供からみてとても立派な事に思えます。

天命庵の親様は「人が亡くなったら“良く頑張りましたね。ご苦労さまでした”と必ず生きていたことを労らって差し上げて下さい。亡くなった時この世でたった一人の人からでも“ご苦労さま”と言って貰った方は、『自分の人生はこれでよかったのだ。この世での本分は全うできたのだ』と安心して天の国へ戻って行くことができるのですよ」とよく話されます。

私は “ご苦労さま”は“亡き人を天国へ送るパスワード”と信じています。

「ご苦労さま。そして有難う」と、母に語り掛けています。


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December 16, 2007

また母が入院

母のショートステイ最終日、迎えに行くタクシーの中で携帯がなりました。
私の携帯は “バックの底で昼寝をしている”と主人に言われる位、何処からもかかってこない代物で、たまに鳴ると心臓が飛び上がる程ビックリします。
しかも後10分程で着く予定の病院から、「帰宅の準備をしていたら熱が38度5分はありますけど、どうしましょうか?」
「どうしましょうか?」と突然言われてもね・・・
看護婦さん、大分慌てておられて要領を得ないので、「もうすぐ着きますので、それから・・・」と切りました。
急なことで混乱した頭で考えるに、先月からショートステイに預かってもらうようになった新しい病院なので、まだ外来に掛かった事が一度もないのです。
それで自宅に連れて帰って、掛かり付けの医師に看てもらいたいかどうか、の意向を確かめられてたような・・・

病院に着くと看護婦さんとヘルパーさんが、往診中の院長先生が戻ってみえるのを今か今かと待ちわびている様子。
でもまごまごしていると、迎えの寝台車が来てしまうので、一般病棟に空きがあるか調べてもらってから、寝台車をキヤンセル。
寝台車をキャンセルして、病室に空きがなかった母は宙に浮いてしまうし、8度5分で帰宅してやはり入院となったら、今度は救急車(寝台車は台数が少ないので)になりかねないし。
老人介護は瞬時に判断しなければならないことの連続で、ホントに気が休まりません。

実に素朴で親切な看護婦さんとヘルパーさんの達が総出で、母を一般病棟へ移動させてくれました。
院長先生が戻られて、いろいろ検査が始まりました。
炎症反応の数値が異常に高いのですが、原因は特定できず様子を見る事になりました。
勿論無事帰宅できたにこしたことはないのですが、でも病院にいる間の発熱でよかったと思っています。

今の私の体調では、発熱している母と転倒の危険性のある父の両方を看るのは難しいものがありますから。
病院で預かってもらえれば一番安心なので、しばらく休ませてもらいます。
しかし事件が多いな~。
心臓に優しくない毎日です。

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December 13, 2007

ホルダー心電図の結果

検査結果はホルダーを外してから5分後にでました。
「今日はお1人ですか?」と先生が主人を探されたので、余り良い結果ではないかもと直感。
「データーはきれいなのですが、一箇所気になる乱れがあります」
「2時50分。八幡宮の所ですか?」との私の問いに頷かれました。
検査の間、分刻みで克明に行動と体に感じた異常を記録しました。
やはり八幡宮の前で感じた異常は気のせいではなかったようです。
さすが心臓の専門医、パソコンと色刷りされた絵を使って、今の心臓の状況と今後の治療について丁寧に説明してくれました。

ここ数年、心因性と固く信じていたので、本当に悪かったのだと一瞬うろたえました。
その上、将来ひどくなると心不全の可能性もと聞いて、
「え~~心不全、それって死ぬんじゃないですか?」と例によって素っ頓狂な声を・・・
「まあ、そういうことにならないように治療しましょう」と先生。
要するに“薬を飲みなさいと、いうことかな”と思ったのですが、薬は発作が出た時の頓服から徐々にということになりました。

かなりショックを受けたのですが、その後すぐに母をショートステイの病院に連れて行く寝台車が迎えに来て、慌ただしく一日が過ぎました。
忙しいのもあれこれ考える暇がなくていいような、疲労が1番よくないというからやはり忙しいのは問題のような・・・
いつも忘れたころに起こる発作が、24時間ホルダーを付けている間に起こるとは幸運のような、やっぱり病名のつくような病気ではなかった方がよかったような・・・・
でも今の状態で何も出なかったら、24時間では見つけるのが無理なのだろうと、きっと不安な思いを抱きつつ日々を過ごすでしょうから、やはり幸運だったことにしておきます。
きっと、八幡様のお陰かな?
どうやらかなり頻繁に発作の前触れ症状が出ていたようなのですが、忙しさにかまけて気付かづにいた様です。

「心因性だと信じていたんですけどねぇ~」と先生に言ったら、
「心臓の心は“こころ”と書くから全く関係ないわけではないんですよ」と・・・
そうです、そうです。
病は気から。
いい機会ですから、この訳のわからない介護生活を見直して、心の使い方、時間の使い方を整理してみようかと思っています。

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December 09, 2007

24時間のホルダー心電図を付けました

明け方から、脈拍毎分136、血圧上77、下64。
血圧計は異常事態に対応できずエラーの連発。
それでもやっと出たのがこの数字です。
右の頚動脈とお臍の回りがドクドクと異様に脈打っていました。

ここ何年か年に数回、脈拍が異常に速くなることが続いているので、万一の時の為に銀座の主治医から我家の近くの心臓血管外科へ紹介状を頂いてありました。
“御守り”代りにと思っていたのですが、どうやら出番がきてしまったようです。
紹介状を書いて下さった主治医も、書いて頂いた私も、どうせ心因性で検査をしても何も出ないだろうと内心思っていたのですが・・・

発作は3時間ほどで収まったのですが、念のため主人の車で歩いて数分の病院に。
子供の頃から“医者ずれ”をしておりまして、結構お医者様にはうるさいのです。
待合室からちらりと見えた先生に、主人と付けたあだ名は「メタボ先生」
主人も可なりメタボリック症候群の気があるのですが、先生その上をいってましたね。

「メタボ先生」何故に私が銀座の医師からの紹介状を持って現れたのか、気になるご様子なので、
「新薬は副作用が出易い体質なので、体調を崩すと漢方薬で治療をして頂いています」と説明すると
「じゃあ僕も余り薬は使えないということですね」と実に物分かりがよく、いい感じで合格。
もっとも先生の方は、思うように薬の使えない患者なんて不合格でしょうけれどね。

心電図をとったのですが、予想通り何の異常も出ず。
「もう少し発作が頻繁に起こるようなら“24時間のホルダー心電図”を付けましょうか?」と、誰もが考える結論に落ち着きかけた時、
せっかちが洋服を着ているような主人の「いい機会だからやってしまえば」との一声で
“ホルダー心電図”を付ける羽目に。

明け方から数時間、心臓がバクバクしていたので、両親の介護をヘルパーさんに任せて一日ゆっくり休もうと考えていました。
ところがホルダーを付けながら、看護婦さんが「いい機会だから色々と試して、心臓に付加を掛けて具合をみてください。静かにしていては何も出ませんから」と言われビックリ仰天。
付加を掛けてひっくり返えりでもしたら如何してくれるのですか?

でも、根が妙に真面目なものですから、お言葉に従って動き回りました。
母の代診の心療内科に行って、ついでに?歩いて数分の鶴岡八幡宮へ。
境内へ入ろうとした所で、心臓が“ヒクッ” 発作が「来たか!」と思いましたが、それだけで止まったので、61段の石段を登って上宮へ。

神様に、日々恙無く暮らさせて頂いている事にお礼を述べて参拝。
それから例の御神籤を引きました。
今年何度目かな???
何と「大吉」
鶴岡八幡宮はなかなか「大吉」が出ない神社なので、とってもいい気分に・・・
『病気 軽いけれども充分に注意をして下さい』と書いてあります。
「フム、フム」と明日の検査結果を楽しみに帰ってきました。

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November 03, 2007

孫家族と一緒にグワムに旅に出ます

この日々緊急事態の中で、どうして旅行する事になったのか自分でもよく分かりません。
この春息子が外資系に転職し、夏休みが11月にずれました。
11月なら温かい所にでも皆で行こうかと、何となく決めてしまいました。
物事が決まる時は、そんなものなのかもしれません。
いろいろ考えていたら切りの無い状況ですから。

当初の予定では母をショートステイに預け、父にお留守番をしてもらうはずでした。
ところがこの1カ月半程の間に、父が1人で家にいるのは難しい状態になり、家に2人を置いてヘルパーさんと泊まりの家政婦さんに看て貰うことしました。
この準備が、かなり大変で飛行場に辿り着く前に疲れてしまいそうです。
B4-7枚に緊急時の対応の仕方から5日間の献立まで、事細かに書き出しました。
薬から日常品まで揃えると、買出しも結構な量になります。

主治医の女医さんも心療内科の先生も「ゆっくり楽しんでいらっしゃい」と賛成してくれました。
ただケアマネージャーとコーディネーターのお二人は、今からハラハラドキドキしているようです。
友のケアマネとは本音トークなので「ヘルパー達皆、自分の担当の間に何も起こらないように、と祈るような気持ちだと思うよ」と言われてしまいました。
誠に申し訳ない。

周りからは「介護の事は忘れて、楽しんで」と言われますが、なかなかそうそう吹っ切れるものではありません。
A 型のせいもありますし・・・

これからやっと自分の荷作りです。
いつも主人が荷物の多い私に「お家中持って行ったら」とからかいます。
今回は荷物を集める体力も無いので、程よい量になりそうです。

ドコモショップで海外で使用できる携帯電話を借りました。
鳴らない事を信じて出かけます。

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October 26, 2007

心療内科の先生がお疲れモードだったので、ちょっと気分転換のお手伝いを・・・

いつも人の話をジックリ聞いてくださる物静かで思慮深い先生の苛立ちムードが、若い受付嬢達とのやり取りから伝わって来ました。
完全予約制で午後の診察が始まったばかりなのに、何故か待合室には5人も患者さんが溜まっています。
夕方まで心を病んだ患者さんが先生を頼って次々と来院するのですから、ここは何とか先生にいつものモードに戻って頂かないと・・・

すぐ呼ばれたので飛び切り明るい声と笑顔で診察室に入り、
「こんにちわ。お陰様で母、無事合格しました。有難うございました」と、ショートステイ先の病院へ紹介状を書いて頂いたので、まず報告と御礼。
そして先方から預かって来た手紙を渡しました。
「それはよかった」と喜んでくださりながら、報告書を見て「あれ!“おかあさん、昼間時々大声を出しておられました”と書いてあるよ・・・・」
「エ~~、私、そんなこと聞いていません。看護婦さんに“母、大人しくしてましたでしょうか?”って伺ったら“大丈夫でしたよ。来月もどうぞ”と言って下さったので次回の予約もしてきたのですけど・・・」
「ここはお言葉に甘えましょう。先方が受け入れて下さると言うのだから、あなたは聞かなかった事にして・・・」と先生が言われたので、一緒に笑ってしまいました。

ちょっと前の私なら、ご迷惑ではないかと、いろいろ気にするところです。
でも只今そこまで考える気力もなく“成るがままでいいかっ?”てな感じになってきました。
どうやらそれが丁度良い加減のようです。

「来月、気分転換に孫達と海外旅行に行くので、お薬3週間頂けませんでしょうか?」
カルテを書きながら私の話を聞いておられた先生
「エッ!お孫さんいらっしゃるんですか???」
ハトが豆鉄砲を食ったような、虚をつかれたようなお顔。
そこまでビックリしてくれなくてもいいのですけどね。
ちょっと驚かすつもりだけだったのですから。
「幾つ?いや何年生まれ?」
「今年還暦です」
私の場合、下手な冗談を言うよりも、自分の年を言った方がず~っとお相手の反応が面白い。
「僕より年上なんだ。少しですけどね・・・」
母がお世話になって8年、時として娘のように対応して下さっていたのは、私の方が年上などとは思って見たこともなかったからなのでしょうね。
「しかしお元気ですなぁ~、僕なんかあちこち悪くてもうボロボロですよ」。
2人の老人介護でヨレてる私の方が元気に見える位、本当に心身ともにお疲れの様子。

それから、グワムの話をあれこれ。
生真面目な先生が、旅行の間母をどうするのかも聞かれず、暫し無駄話をもったりと。
いつもご迷惑を掛けてばかりなので、ほんのちょっと先生の気分転換のお役に立てたかな?
もっとも“暗めで物静かなムード”の先生が声を上げて笑うのを見て、ニヤッなんて、結構私のストレス解消も兼ねていたのですが。
私のささやかなご恩返しでした。

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October 11, 2007

昨日アクセスが集中したブログランキング第2位―2476件

自分のブログ名がニフティーのトップぺージに載っているのに出くわした時は、狐に抓まれた様な心境でした。
何が起こったのか訳が分からなくて・・・

アクセス解析で調べてみたら、丁度1年前の10月2日にアップした「かけがいのないもの-高嶋ちさ子」にアクセスが集中しています。
バイオリンニスト・高嶋ちさ子さんとダウン症のお姉様についての記事です。
高嶋さんにとってかけがえのないものとは、ダウン症のお姉様。
「姉のおかげで今の自分がある」と言い切れる彼女と彼女を育てたお母さまはとても立派だと思います。
彼女、もう少し言葉遣いが美しいと、言うことないのですけれどね・・・

『・・・高嶋さんにとって一番大変だったことは、世間の無理解だったそうです。
ダウン症を持った新生児はどこの国でも約1,000人に1人の割合で生まれるそうです。
それは確率の問題ですから、もしかしたら私だったかも、あなただったかも、自分の家族の誰かだったかもしれない。
そのように考えた時、お互いに助け合って生きていこう、支えあっていこうという気持ちが自然に心から生まれてくるはずではないかと、ある医学博士で宗教家が書いておられたのを読んだことがあります』そんな内容です。

そういえば前日の夜、TBSテレビ「ぴったんこカン・カンスペシャル・肉食怪獣高嶋ちさ子・・・極上牛肉を丸呑み・・・」を主人とみて大笑いしました。
番組をみた方が高嶋さんの迫力のある独特のキャラクターに関心をもって私のブログを訪れて下さったのかも・・・

神様の教えについて、両親の介護について、地味で硬い内容のブログをボチボチ書いております。
最近、93歳と90歳の介護疲れを少々感じておりました。
暫くブログを休止しようかなと考えていた矢先のランキング2位。
またボチボチ続ける気力を貰ったような気がします。

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September 29, 2007

捨てる神あれば、拾う神あり

我家での受け入れ態勢の手順を考えながら家路を急いでいると、家の近くで休診日の母の主治医にばったり。
病院の担当医との話を聞いて「転院先を探しましょうか」と尋ねられました。
一瞬、その手もあったのかと・・・
でも、もう一度父の側で過ごさせようと決め、家での介護の段取りを考えていたので「一旦連れて帰るつもりです」と答えました。
「必要ならば毎日点滴に伺いますよ。訪問看護士さんとも相談して出来るところまでご自宅で。難しくなったら“あのお高い病院”にお願いすることにしましょうか」と言われたので、笑ってしまいました。
今、唯一快く母をショートステイに預かってくれる病院のことを、女医さんとの間で「あのお高い病院」と呼んでいます。
ただ2週間後にお盆休みを控えているので「休み明けまで入院させておいてもらえないか」お願いしてみたら、と言われました。

担当医の答えは「主治医とご家庭の都合でお母さんを“箱”(彼は何故か病室の事を箱、箱といいます)に後2週間も入れておくのですか???」でした。
断られる事を予期していたので「そうですね。受け入れ態勢が整い次第退院させます」と
あっさりと引き下がってきました。

ケアマネージャーと家政婦会に母の症状を伝え、介護と時間延長の相談をしました。
家政婦会は、病院の付き添い等をこなしているのですんなりOK。
20年来の友のケアマネージャーは「怖いね~」と言った後、暫し考えていました。
私も“怖い”と思っているのですから当然でしょうね。
何が起こっても不思議のない状態での退院なので「何なら責任は全て私がとります、と一筆入れましょうか?当分、特に食事の時間帯は私が家にいるようにするけれど・・・」と話したら、そこまでしなくてもと引き受けてくれました。

今回何が助かったかといって、母の心療内科の先生の夏休みが9月始めでお盆休みとずれていた事。
続々と“拾う神さま”がお出まし下さっている、そんな感じです。


その後も“捨てる神あれば、拾う神あり”と状況が目まぐるしく変化しております。

ケアマネージャーに「うちの介護、結構ドラマチックでしょう」と言ったら「激動です!」と返ってきました。
ウム、やっぱり・・・
激動の中に身を置いて、過労で少々のびております。
老人介護、老人医療について書きたいことが沢山あります。
ぼちぼち更新できればいいな~と思っております。

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September 06, 2007

世の中で出会うことに、偶然も無駄なことも無い

連休明けの1番忙しい時間帯に救急車で運ばれてきた母に、担当になった若い医師は明らかに不機嫌そうでした。
診察室で立ったままレントゲンを見て「誤嚥性肺炎と脱水で2週間程の入院です」と告げただけで、後何の説明もありませんでした。
これは言い訳ですが、救急車での緊急入院は、主治医の女医さんと受け入れてくれた病院の主任さんの判断で、私が決めたのではありません。

毎度お馴染みの「当院は老人病院ではありませんので、延命治療はいたしません。その旨了解しておいてください」の説明も当然然ありませんでした。

担当医からの初めての説明らしい説明はそれから1週間後、病室で母のべットを挟んで始まりました。
カルテを見ながら『こうなると何が良い悪い、どうしなければいけない、してはいけない、と言う事は何もありません。
誤嚥性肺炎は近日退院出来る位良くなっています。
でも何しろ食べられない。
看護婦が付きっ切りで食べさせても、病院食の1~2割の摂取がやっとです。
食べられないのをどうするか、ご家族でよく相談してください。
胃楼という方法もありますが、当人が食べないのに人工的に栄養を仕込むというは人道的にどうかとも思いますし・・・
このままにしておくのも・・・お母さんは意識がとてもはっきりしているので・・・
選択肢が増えてしまったので、反ってどうするか難しくなってきているのです。
今の状態だと退院しても緊急入院の繰り返しになります。
「しばらく療養病棟で看て頂くことはできませんでしょうか?」との私の問いに
「療養病棟で何をするんですか?」と問い返されました。
早晩この体では(体重20数キロ)点滴も出来なくなる時がきます。
点滴には限界がありますから・・』
そこで言葉を止めて、母の方をちらっとみて、声を落とし
『餓死ですな・・・まあどうするか、ご家族でよく相談してください。
立ち話ですみません』
と小さな声で呟いて病室を出ていきました。

母は異常に勘の鋭い人なので、自分を挿んで交わされた話の内容を感じとっていたはずです。
「お母さん、もうすぐ退院できるんですって。ヘルパーさんや訪問看護士さんの手配をするからもう少し待っていてね」と言うと母が嬉しそうに頷いたのでほっとしました。

“世の中で出会うことには、偶然も無駄なことも何も無い”
神様の教えの話をうかがいに行く天命庵でよく聞く言葉です。
丁度2日前、ご町内の同じ年配の女性から「祖母(彼女はご両親が亡くなった後に残され106歳の父方のお母さんの面倒を見ている奇特な方です)が、食事がほとんど取れないのに病院から退院してくれと言われた」との話を延々1時間半にわたって聞かされました。
彼女は医師と掛け上がって、毎日外来で点滴をしてもらうことを条件に退院をシブシブ認めたと激怒していました。

母の担当医の話を聞いてすぐ、同じ事が我が身にも起こっている事がわかりました。
厚生労働省が、2012年までに療養病棟の削減と廃止、高齢者の診療報酬(特に入院の)を儲からないようにした結果がすでにこうゆう形で現れているのです。
彼女の話を聞きながら、私ならどうするかなとぼんやり考えていた事が、即役に立ちそうでした。
そう、世の中で出会うことには、偶然も無駄も無い。
それをどう生かしてゆくかに掛かっている、そんな気がしています。

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August 28, 2007

延命治療・径管栄養(胃楼)・人間の生命力-2

寝たきりになった母にとって、食べることは唯一の楽しみです。
そして若い時から痩せていた母は、食べることに異常なまでの執着をもっています。
その母に食べる事を諦めさせる。
精神的バランスを崩してしまって母には、どんなに説明しても理解する事は出来ないでしょう。
自分の口から食べられる可能性がある限り、食べる喜びを残しておきたい。
父も姉達も母の胃楼に賛成しませんでした。

ご相談した母の主治医も、胃楼について暫らく考えた後「私も同じ位の歳の母がいますが、母にはしたくないですね~」
「香川さん、ご自分だったらどうですか?」と突然振られました。
私自身についてなら、答えは決まっています。
神様の教えを伺っている天命庵で「人は如何に生きていくべきか」を学んでいると、自然に人の生死について、日頃から何となく考えていますから。
できる限り自然に逝きたいですね。
それが私の寿命だと思うので・・・
自分の考え方が誰にでも当てはまるとは思っていないし、当然押し付ける気もありません。
だからこそ他の人については、難しいのです。
特に、母は永遠に生き続けるつもりでいる人ですから・・・

それから1年8カ月、流動食ですが何とか自分の口から食べていました。
胃楼をせずにここまでこれたのは、偶さかの幸運だったのかもしれません。
でもそれが母の持っている生命力なのだと思います。
母が「美味しい。美味しい」と流動食を食べているのを見て、胃楼にしなくて良かったと思っていました。
そして先月、救急車で緊急入院。


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延命治療・径管栄養(胃楼)・人間の生命力-1

「当院は老人病院ではありませんので、延命治療はいたしません。その旨了解しておいてください」
母が再三お世話になっている病院は、入院初日に必ず担当医からこのような説明があります。
どの医師も皆同じ内容をほぼ同じ言い方で・・・
マニュアル通り伝えているのでしょうね。

2年前、母が誤嚥性肺炎で入院した時も、毎度お馴染みの「当院は老人病院では・・・」の説明を受けました。
それから3日後、検査結果と今後の治療について話がありました。
誤嚥性肺炎は非常に繰り返す可能性が高く完全な治療法はないとの事。
再発の可能性を小さくする選択肢として“胃楼”、腹部から胃に穴を開けて高カロリー栄養を入れる方法があると言われました。
主治医は、88歳(当時)体重23キロの母に強いて勧めはしませんでしたけれど。

説明を聞きながら、主人の両親が二人共径管栄養で数年、意識のないまま命を繋ぎ亡くなった時の事を思い出していました。
私の中では高齢者に対する径管栄養は延命治療と感じていたのです。
それが「延命治療はいたしません」と宣言した担当医の口から胃楼の話が出たので“胃楼は延命治療には入らないのだ”と驚きながら説明を聞いていました。

胃楼、経管栄養を、全て延命治療と決め付けるつもりはありません。
それらの治療法によって、生活のレベルを向上さている方々がたくさんおられるのも知っています。

人は自然治癒力を始め、生きようとする生命力を備えています。
その生命力がなんらかの理由で弱った時に補うのが医療の役割であって、医療が人間を生かす、医療が主役ではないと私は常々考えています。

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August 16, 2007

敗戦の日に思う 日本の平和への役割ー2

東に報復の戦争が起こりそうだと聞けば、武力は武力の、暴力は暴力の、憎しみは憎しみの果てしない連鎖を招くだけで何の解決にもならないことを説きに駆け付け。
どんな戦争にも良い戦争というものは絶対にないはずです。
人の尊い命を奪い人の生活を地球を破壊するのが戦争の本質だからです。

西に宗教戦争があると聞けば、仲裁の為に駆け付け。
日本は現在あらゆる宗教がそれなりに仲良く共存し、そしてほとんどの国民は自分が無宗教だと信じている、世界から見て宗教的に偏っていない無色透明に近い摩訶不思議な国です。
だからこそ紛争国の意見を中立の立場でじっくり聞いて、仲介のお手伝いをするのに打って付けです。

南に貧しさからくる内戦が起こっていると聞けば、貧しい人々が自立できるように資金と技術援助をしにお金を持って駆け付け。
そうです世界平和の為に動き回る資金は、私達日本国民の大切な大切な税金です。
同じ私達の税金を使うのなら、戦争の後方支援や戦後の復興支援の為よりも、争いを未然に防ぐ為に使った方がずーと有益です。
今医療でも病気の発生を抑える予防医学と健康を維持・向上させる健康増進に力を入れている時代ですもの。
平和予防と平和増進に私達の血税は使って欲しいと思います。

北で独裁者が自国の力を誇示する為に核を持とうとしたり、国民を圧制していると聞いたら、周りの国々と結束し皆で知恵を出し合って独裁者に退陣を促がす為に飛び回り。
人も国も一人では一国ではこの地球上で生き延びられません。
他者と他国と協力し合って始めて存続することができます。
そして自国の利益のために独裁者を手助けする国があったら、核戦争がどんなに悲惨なものかを唯一の体験国として訴え、援助しないように説得するのです。

私は日本に、そんな国に成って欲しい。

何から始めましょうか?
詩人、谷川俊太郎さんの言葉、
「人を憎んだり、差別したり、無理に言うことを聞かせようとしたり、自分の心に戦争につながるそういう気持ちがないだろうか。 自分の気持ちと戦争は関係ないと考えるかもしれないが、それでは戦争はなくならない」
あなたが地球の為、子孫の為、自分の為に世界の平和を願うならば、まず自分の身近な所から平和な雰囲気を醸すし出していきましょう。
夫婦、親子、子供、隣人、友人、同僚等皆と仲良くして先ず小さな平和を創る工夫をして下さい。
争いを起こさないで下さい。
物事は全て小さな小さなことから始まります。
“なーんだ”と思うような、ついおろそかにしてしまいそうな小さな事から全ては始まっているのです。
自分の出来る小さなことを一つ一つコツコツと努力していくことが、結果的には平和を成す一番の近道だと思います。
平和の旗を振るには日頃からそれに相応しい行いをしていなければなりません。
信頼されうる国造りをしていなければ、どんな正論を説いても国際社会で相手にされないでしょう。
国民一人一人が平和への思いを地道に積み重ねて始めて叶うことです。

ある平和外交家が「平和は生まれてくるのではなく自分達で作るもの。言葉ではなく行いによって日常生活の中で実践していくもの」と言っていました。
きな臭い昨今、神の教えを学びながら、私なりに平和についての日本の役割をこんな風に感じています。

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August 15, 2007

敗戦の日に思う 日本の平和への役割

日本には世界に類のない2つの特徴があります。
1つ、地球上で唯一の戦争による核の被爆国であること
2つ、戦争放棄を詠った平和憲法を有していること
この2つの特徴を踏まえて、日本には国際社会の平和に貢献してゆく大きな使命があるはずだと感じています。
しかし平和憲法を有していても何も行動をしなければ、それは宝の持ち腐れです。
ただ護憲、護憲と叫んで飾っておいては何の価値もありません。
世界の平和の為に行動し、汗をかいて始めて平和憲法が生きてくるのです。
活用して初めて価値が生まれてきます。
世界には日本が平和憲法を有していることすら知らない国が多いのではないでしょうか。
それでは平和憲法は実在しないも同然です。
しかし真に平和の為に貢献したいと願うのなら、それが叶う充分な下地が日本にはがあります。

それが初めに書いた2つの特徴です。
被爆後50年はペンペン草も生えないだろうとまで言われた無残な被爆地の実情。
被爆地となった広島と長崎の人々がその悲劇を限りなく連鎖してゆく憎しみ恨みの世界へではなく、世界の平和を願う愛の世界へと高めていった心情。
憎しみ怨みに囚われ続けることなく、ひたすら努力をして見事なまでの復興を成し遂げた街並みと被災者の姿。
これらのことを私達は世界中の人々に伝える責務があるのではないでしょうか。
日本が何故被爆国になったのか、誰が核を落としたかを問い責めるのではなく、ただコツコツと地道に核の悲惨さを、戦争のおぞましさを訴え続けていく。
それが故に日本は絶対に戦争はしないという平和憲法を有し、そして世界平和を築く為にあらゆる協力を惜しまない国であることを、地球上の全ての国々に認識してもらう努力をするべきだと思います。

地球上の国々は其々の役割に応じて必要な資源や資質を有して創造されています。
日本は“和の心”の資質を持っている国です-平和、調和、温和、混和、和睦、和解を生み出す力です。
和の心で美しい精神文化を工夫して創っていく心の資質を持った国です。
和の精神文化とは皆が仲良く輪になってお互いの良さを認め合い生かし合って“美しい心”を醸していく文化です。
日本には国々の間に入って友好関係を築きそれを保つようにお手伝いをする役割ができるはずです。
テロと戦争で幕を開けてしまった新たな21世紀に、私が理想とする日本の姿を次回に書いてみます。

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August 05, 2007

最後をご自宅で看取る覚悟は・・・

「何時か伺おうと思いながら聞きそびれていたのですが、ご両親の最後をご自宅で看取る覚悟はおありですか?」
「覚悟がおありかどうか伺っておきたくて・・・」
「もう覚悟はできていらっしゃると思うけど・・・」
「どうしても在宅で、との覚悟がおありならばお手伝いします」
この1年8カ月、何度か主治医に尋ねられ、答えようと思うと何故か不思議に話が逸れてしまう、そんな繰り返しが続いていました。

自称天然ボケの女医先生、明るく気さくで優しくて、医師としての腕前はともかくとして、お人柄は申し分の無い方です。
在宅介護に力を入れておられ、最後の見取りもされているとの事。
ただ、この「覚悟」「覚悟」には正直当惑しておりました。

私を含めて全ての人は、後か先かの時間の差はあっても、いいずれ必ず最後の時を迎えます。
この世に生を受けた以上、死は誰にも平等に訪れるものであり、自然な事です。
常々生まれて出ることと、死に行くことは神の領域だと思っています。
なので、自分の最後についても、身内の最後についても、自分がどうこうしようとか、どうこうしたいという考えが殆どありません。
行き当たりばったりというのではないのですが、一番自然な形でその時を迎えられたらと思っています。

死とは、自分が生まれ出て来た“源”へ帰ること。
この世に生を受けた事が、めでたき事であるならば、生まれ出てきた“源”へ帰って行くことも又めでたき事。
日頃から、そんなふうに考えています。

明日母が退院してきます。
いつ再び緊急入院することになるかわからない状態での退院です。
今後の事を主治医と話し合った折「出来るところまで自宅で、難しくなったら病院にお世話になるつもりです。93歳の父のこともありますので」と伝えました。

母の意識がはっきりしている間に、もう一度二人で過ごしてもらいたい。そして静かに母を見送ってもらいたい、と思っています。
母にとって、父にとって、一番良き道へとつながつて行く事を信じて、祈りながら自然体でいきたいと思っています。


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July 24, 2007

忙しいのは元気な証拠?

万燈みこしが氏神様に戻られるのを神社までお見送りして、今年も夏祭りが無事終りました。
お参りして、ひょっとお賽銭箱の横を見ると何故かおみくじの箱が置いてあるのです。
いつも社務所の受付にある箱が・・・
おみくじ好きとしては、折角移動して待ってくれているのに、引かないわけには参りません。
今年何度目かな???
神社の境内のほの暗い提灯の下では何を引いたのかよくわからなかったのですが、後で見たら“大吉”でした。
大吉は何度引いても嬉しい、気分が良いものです。
くたびれ果てている私への神様からのプレゼントかな・・・
「おもうがままになる運です」と書かれていました。
残念ながらくたびれ果てていて“思うがまま”が何なのか頭に浮かびません。
両親も93歳と90歳、神様にあれこれお願いする事はなくなりました。
毎朝「御心のままに。父と母が今日1日、恙無く過ごせますようにお守りください」と祈っています。

お祭りの間に、長姉がお見舞いに行ってくれて、父に様子を知らせに我家に寄って行きました。
私は自治会館に詰めていたので後から父に聞いたのですか「母はだいぶ弱っていて、今年いっぱいは無理だと思う。そろそろ寿命じゃないか」といって帰ったそうで・・・
前日私が母に会いに行った時は、点滴をしてもらって静かに寝ていました。
看護婦さんからも「症状は落ち着いている」と説明を受けたばかりだったのですけれど。
でも姉の話を聞いて父はおろおろしているし、年寄りは急に病状が変わる事もあるので、お祭りを抜け出して様子を見に行きました。
抗生剤の点滴が効いてきているのか、大分元気になっていました。
一安心。

姉は思っている事を何気なく口に出してしまう性格なので、電話を掛けて余り年寄りを脅かさないようやんわりと忠告。
「先月ショートステイで見舞いに行った時より大分弱っていたから」と言うのですが、それはそうですよ、救急車で運ばれる位ですから。
でも「そろそろ寿命」はないでしょう。
人の生き死は、神の領域ですもの。
私は毎日母を看ていますが、たまに会うと変化を大きく感じるのでしょうね。
父が落ち着かないようなので、これから一緒に母に会いに行ってきます。
次から次と用事が絶えないのは、元気に生きて働ける証拠ですよね、きっと。

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July 21, 2007

今年2度目の救急車に母の付き添いで乗りました

1度目は元旦の夜。
2度目は3連休、海の日の翌日でした。
子供とお年寄りは医師の休みの日を狙うかのように体調を崩して慌てさせてくれます。
この祭日は主治医の女医さんが遠出をしておられ、携帯電話で指示を仰ぎながら訪問看護士さんが3回処置に訪れてくれました。
結局、翌朝、いつもお世話になっている病院に救急車で入院になりました。

いつも感じることですが、救急車の隊員さん、本当に親切でした。
こんなに親切な人達が世の中にいるのかと感激するほど。
心から頭が下がりました。
両親の介護を始めて1年7カ月、お世話になる方々に一生分の頭を下げたような気がします。
まだまだ続きますけれど・・・

病名は誤嚥性肺炎。
1年半前、誤嚥性肺炎で入院した時、胃楼の(腹部から胃に穴を開けてそこから高カロリーの栄養を直接摂取する)打診を受けました。
と言ってもお若い担当の先生、当時体重21キロの母の手術には消極的で、半部逃げ腰の感じでした。
一様あらゆる可能性は説明しておかなければならない規則ですからみたいな・・・
父も姉達も、胃楼の手術には賛成しませんでした。

それから1年7ヶ月、ミルで作った流動食とはいえ、すき焼、うなぎ、フライ物と好きな物を味わう事ができました。
ですから今回の誤嚥性肺炎はある程度覚悟していた事です。
また流動食がむせずに食べられるようになるのかどうか、分かりません。

入院の手配をして下さった主治医の先生に報告に伺うと「病院に預けておけば安心だから、まずゆっくり休みましょう。これからの事は後で考えましょう」と言われました。

入院の当日から、庭師さんが4人。
そして翌日から夏祭り。
目が回りそうな忙しさです。
夏祭りの間は、一日中自治会館に詰めて、お参りに来る方への接待と金庫番をしています。

姉が代わりにお見舞いに行ってくれています。
それにしてもゆっくり休むとは程遠い生活ですが、今の私にはいいのかもしれません。
病院にお任せする、それが一番ですから。

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July 12, 2007

ユニセフの募金と助け合う意味

ユニセフから住所と名前を書いたパーソナルラベルが届きました。
毎年僅かながら支援を続けています。
開発途上国では、栄養不良や感染症、不衛生な飲み水などが原因で1日に29,000人の子供たちが貧困の中でなすすべもなく命を落としているそうです。
1日に29,000人の命を救う為に、私が微かばかりの募金をしても・・・との思いもあります。
それでも募金をし続けているのは、かつて敗戦で荒廃していた日本がユニセフの援助によって支えられたことがあると聞いたことがあるからです

ユニセフは1946年に戦禍に苦しむ子供たちへの援助活動を開始しました。
その3年後の1949年から、日本は学校給食でのスキムミルク(大人になった今でも覚えているほど恐ろしく不味かったですけれど・・・)や毛布、衣料の原料、医薬品、医療資材、災害時の緊急援助等、15年の長きに渡り当時の金額で65億円もの援助を受けました。

現代のように情報が世界中を飛び交っていなかった時代、アメリカやヨーロッパに住む普通の人達は日本が地球上のどこに位置するかもよく分からなかったであろう時代に、遥か彼方からの心のこもった募金で、大勢の日本の子供達が救われたのです。
国レベルでの援助は国に任せるとして、私たち一般市民も自分たちのできる範囲でお返しをするのも大切な事かなと感じています。

天命庵の親様は人が助け合うことの大切さをよく話されます。
なぜ人は助け合わなければいけないのでしょう。
人はこの世に生まれ出る時、自分で勝手にお母さんのお腹から出てきた人はいません。
人の手を借りて、人に助けてもらって生まれてきます。
この世に生を受ける時から、人は皆、他の人に助けてもらっているわけです。
そのお返しに、自分の出来る事、無理なく出来る事で、人の為、世の中の為に何か良い事をするのは当たり前のことではないでしょうか。
皆が互いに助け合う事によって世の中は成り立っています。
その事を忘れずに生きてゆきたいと思っています。

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June 24, 2007

そうすりゃ自然と、命は長し

「耳は大きく、人のことをよく聴き
目は高く、目上の人を見習い
鼻高からず、天狗にならず
口は小さく、人の悪口は言わず
頭は低く、気は長く
腹を立てずに、心は丸く
そうすりゃ自然と、命は長し」と続きます。

お世話になっている内科の待合い室に、達筆で書かれ大きな額が掛かっています。
待っている間に読んでいる人達の感想というか反応が、ほとんど同じなのが気になります。

検診に来たと思しき4人組の中年女性。
「いいこと書いてあるはね、でも最後は余計よ」と1人が言い出すと皆が賛同。
その後は身内、知り合い、ご近所の高齢者と世話をしている人の大変な話が尽きることなく次々と・・・

品のいい初老のご夫婦、2人で声を揃えて読み進まれ、最後の行で沈黙・・・

先日、隣に座った女性に、「その通りだけど、するのは難しいね。長生きはしなくていいよ」と話しかけられました。
今年80歳で、診察を終えたら、病院の近くのお店で午後4時から夜中の12時まで仕事だそうです。
とてもそんなお年には見えなかったしお元気そうだったので「その年でお仕事があって元気に働けるなんてお幸せですね」と言いました。
「この年で働けるのは有難い事だと思ってるけど、もう充分」実感がこもっていました。

この文章を考えた方、皆の反応にビックリしておられるでしょうね。
多分真意は“この様な心遣いをしながら日々暮らしていれば、体にも精神にも優しく、穏やかに健康に長生きできますよ”と言いたかったのではないかと思います。

でも今、誰もそこまで考えられないのですね。
「命は長し」その言葉に抱く不安はとても大きいのです。
長生きをする事は、決して幸せな事ではないと多くの人が思っている国。
本当に「美しい国」と言えるのでしょうか?
特別“美しく”なくてもいいから、国民が不安を感ぜずに普通に暮らせる社会のシステム、医療体制を造って欲しいと、私は思っています

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June 22, 2007

母が“お試しのショートステイ”に合格しました。

病院に迎えに行くと、今回お世話になった若い事務員に「担当医からお母様お預かりして何も問題が無かったので、次回から2週間でも大丈夫です、との連絡が入っています」と告げられました。
これで何とか母を預ける先を1カ所、確保することができました。
高齢者を2人抱えている身にとっては、これは「バンザイ」したい位とても大きな事なのです。

病棟に上って看護婦さんから滞在中の様子の説明を受けました。
それで合格した理由が判明。
就寝時の薬、よく説明して量に幅をもたせて薬剤師さんに渡してありました。
1週間、その薬が目いっぱい飲まされていました。
それは問題が無かったと言うよりも、眠りこけていたのでしょうね。
トイレの訴えをする間も無く・・・

それだけ眠らせても、食事は毎回食堂で、飲み込み違いを全くさせないでそこそこの量のミキサー食と薬を取らせる事ができるのですね。
心療内科の先生の絶妙の組み合わせで眠り過ぎても危険のないようにしてくれてありますが、家庭では眠り過ぎるとどうしても嚥下が困難になって、危険な状態になります。
さすがプロ集団は違います。

帰路、ストレッチャーに乗った母と受け付けの前を通りかかったら、件の事務員さんに呼び止められ「来月13日から2週間ショートステイの予約を入れておきましょうか?金曜日が今回の担当医ですから・・・」と尋ねられました。
「有難うございます。家に帰って、父と相談してまたご連絡させて頂きます」と予期せぬ問いに頭の中が混乱・・・・。

帰宅すると、6月15日から入院した母の1日分の施設療養費請求書(15日絞めらしい)が病院から届いていました。
1日分、29,573円
今の我家にとつては、それでも預かって頂ける病院があるのは有難いことで、感謝しています。

でも正直言ってお金次第というの、私の好みではありません。
今度は落ち着いて他も当たってみようと思っています。
でも落ち着いて他を探す余裕は、今回の病院のお陰?
矛盾しているかな?
何はともあれ一息つけました。

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June 17, 2007

今の人達は知識や情報は溢れる程得る機会がある。でも生きていく為の知恵を教えてもらう場所がない。

天命庵でよく伺う話です。
いつも頷きながら聞いています。
でも自分に当てはめて深く考えた事はありませんでした。

今回、母を病院にショートステイに預けるにあたって、周りの方からいっぱい知恵を付けて助けてもらいました。

母を送り出す前日、内科の女医さんが父を安心させる為に再度往診に来てくれました。入院当日、担当医師、担当看護士、薬剤師、栄養士と面談があるので、今の母の状態をなんと言ったらよいものかと思案していたら、対応の仕方を伝授していかれました。
其れが、凄い。
「医療情報提供書に必要なことは全て書いてあるのだから、今度はこちらの聞きたい事を質問して、お願いしたい事を全部頼んでいらっしゃい。間違っても預かって頂くなんて思わないのよ、高いお金払うのだから。(本当にお高いのです。でも只今我家は選んでなどいられない状況ですから致し方ありません)おたくに預けてあげる位の気持ちで連れていらっしゃい」と。

お見かけホンワカムードの自称天然ボケの女医さんなのですが、恐れ入りました。
「え~~、そんな~~~」と笑い転げた私、正直そういう芸当は無理ですわ。
ご迷惑をかけると思うと、申し訳なくて弱気になりますもの。
 
このやりとりを見ていた家政婦会から来ているヘルパーさんにも、しっかりハッパをかけられました。
老人介護施設でも働いておられるそうで「高齢者は2週間も経ったら体調が変わって当たり前。昨日と今日、場合によっては1時間前とでも違うのが普通です。安心して連れていかれたらいいですよ。全然大丈夫」ときましたね。

心療内科の先生も夜9時、母が寝た頃を見計らって電話を下さいました。
「病院でお母さんの様子を看て何か聞かれたら、昨夜寝つきが悪かったので少し薬の量を増やしました。何かわからないことがあったら心療内科の先生に電話をして下さい」と伝えなさいと。

私メチャクチャ頼りなく見えるようです。
母が迷惑をかけているというよりも、私の方が周りの方に迷惑をかけているのかもしれませんね。
私も知識や情報を生活の中で生かす知恵を余り持ち合わせていないのではないかと、考え込んでおります。
皆さんに知恵を付けて頂いて、無事母を預けてきました。


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June 13, 2007

睡眠薬と安定剤の微調整をしています

母は体重20数キロ、中々うまくいかず時間が掛かっております。
それがブログの更新が滞っている理由なのですが・・・

1年以上前から心療内科の先生「ご家庭で薬の調整をするのはもう無理」と言われていました。
かといって心療内科と内科の両方があり、薬の調整の為に高齢者を受け入れてくれる適当な病院も見つからないようで、結局いつものように先生の細かい支持を受けながら私がする羽目に・・・
母の状態を、週末も夜も先生の携帯に連絡を入れながら薬を調節してゆくのも大変なのですが、それ以上に大きな問題がおきています。
微調整の結果、眠り続ける日もある事を説明しても、父には理解できないようなのです。

昨日も「母さんは、90歳の誕生日(5日後の6月17日)までもたない。このまま死ぬのだからショートステイには行かせないで、家で死なせてやってほしい」と悲壮な顔で訴えます。
一昨日、心療内科に私が代診で行く時は「どこでもいいから病院を探して貰ってくれ」と言ったのですが・・・

もちろん揺れる気持ちは重々わかります。
ただこういう時に大切なのは普段からの言動なのですよね。
昔から何かあると思い詰めて悲壮になり、事態が落ち着くときれいさっぱり忘れてしまう、の繰り返し。
毎日、母の薬の調整で神経を使い果たしていますから、それに対応してあげる余裕がなくなっています。

考えあぐねて女医先生に母の状態を報告がてら電話で相談したら、午後の診療が終了後往診に来てくださいました。
本当に有難い!
母を見て「あら!お元気そうじゃないの、大丈夫よ」と言ってブドウ糖を注射して「明日も診に行きますからね」と帰っていかれました。
父は納得していないようですけれど。

その他にもいろいろありまして、病院にショートステイの相談に伺った頃と母の症状が大分違うので、どうしょうかと“オロッ”としております。
でも、心療内科の先生も主治医の先生も「大丈夫。預けてしまいなさい」と軽く言われます。
連れて行くの私なんですけどね~~

「朝食の時、眠りこけていて起きなかったら、病院側困られますよね」と言ったら、女医先生曰「1食抜くと体力が落ちるので、起して食べさせて下さい」と看護婦さんに頼んでいらっしゃい、との事。
「そんなのありですか~~?」と、笑ってしまいました。
世の中そんなものなのでしょうかね。
こんな時に笑っている自分がいるのも不思議です。
でも先生方の反応が、どこか自分が思っているのと違うところがあって・・・
今、私が冷静な判断が出来ていないのか、高齢者に対しては可なりアバウトでいいのか?
よくわからん世界で暮らしております。


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June 03, 2007

気分は、合否の連絡を待っている受験生???

母のショートステイの審査結果を待っていた病院から「少々遅くなりますが6月の中旬に1週間“お試し”でお預かりします」との返事が来ました。
“お試し”でも“1週間”でも今の我家にとっては預かって頂けるのは有難い事です。
5月末から過ごしやすい気候になって、93歳の父が体力、気力共に持ち直してきたので、入院まで2週間何とか母と同室で過ごせそうです。

神様が「いいあんばいしてくださる」と信じながらも、今回は焦りましたね。
何しろ受け入れてもらえるかどうかの結果が判明するのに、1ヶ所につき2週間近くかかるので、どんどん時間が経ってゆきます。
まず電話で母のショートステイの打診してから、入院相談室の方に会いに行き可能性がありそうだと医療情報提供書申を頂いて、主治医二人に書いて頂きます。
この医療情報提供書、作成に1週間近くかかるといわれるなかなかの代物。
それを先生方は3~4日で書いて下さいます。
出来上がると連絡が来るので取りに行ってそれを病院に提出、審査会の結果を待ちます。
この審査会の開かれ方が病院によって、随時、1週間に1度、月に1度とまちまちです。

3件トライしたら、疲れと相まって諦めムードになってきました。
今後の為に、2件位は受け入れ先を捜しておかなければならないので、まだまだ続きます。

ところで今度“お試し”で受け入れてくださる病院、実は以前アポなしで偵察に行って、受付の余りの感じの悪さに止めた所です。
何しろ我が家は只今あれこれ選んでいられない状況なのです。
でも今回の入院相談室の小柄なお姉さんは、とっても感じの良い方でした。
母のショートステイが2週間先になる理由を丁寧に説明してくれました。
それがなんと入院患者さんに夜中15分おきの頻尿の方がいて、看護婦さん達が大変な状態だと聞いて、悪いとは思いつつ笑いながら思わず聞いてしまいました。
「母はそこまでひどくはないのですが、でもそういう状態でも預かって頂けるのですか~~?」
「今までは2時間おきぐらいだったものですから・・・」と相談室のお姉さん。

でもこの話を聞いた友が「その患者さんの後に入ったあなたのお母さん優等生に見えて、次回はお試しじゃなくて正式に預かってもらえるわよ、きっと」と慰めてくれました。
母は夜、睡眠薬でぐっすり寝ていて、そうゆうご迷惑を掛ける心配はないので、ひっとしたら上手くいくかもしれないと、微かな期待を抱きはじめています。
今の心境は補欠でやっと引っかかった受験生、そんなところでしょうか・・・

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May 30, 2007

「ZARD」の泉水さん、十数年前、高校生だった息子がファンでした

いつしか私も彼女の歌と歌声に魅せられていました。
時が経ち、彼女は40歳になっていたのですね。
私の中ではいつまでも澄んだ爽やかな歌声の20代のお嬢さん、そんな感じだったのですが・・・

澄んだ歌声に乗せて、若者から中高年まで世代を越えて、勇気と生きるメッセージを伝えできた彼女。
ミリオンセラーを連発し日本の音楽シーンを代表する1人、“トップ10”入りした彼女の歌は女性歌手の中で最多の40作だそうです。
今の人の平均年齢を考えると、40歳はまだまだこれからと早すぎる死がとても残念に思えますが、人の一生はその人の生きていた年月の長さではなく、内容だと常々考えています。
彼女は、多くの人に感動と元気を与えてくれました。
短いように見えるけれど、ぎゅっと凝縮された中身の濃い豊かな人生を、送られたのではないでしょうか。

久し振りにCD「揺れる思い」を聞きました。
慌ただしい今日此の頃、思いがけずゆったりと過ごす機会を彼女からもらったような気がしました。
彼女は彼女の歌と共に、人々の心の中に生き続けるのでしょう。

お疲れさまでした。
素敵な歌声をありがとう。
天国でゆっくりお休み下さい。


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May 27, 2007

母のショートステイを打診していた有料老人ホームからやんわりとお断りが・・・

「やっぱり」との思の方が強いのですが、現実を突きつけられてショックを受けております。
この1年半、本来ショートステイをあつかっていない総合病院に、ベッドの空きがある時は入院させてもらっていました。
今回は5月の連休過ぎにとお願いしていましたが、うまく個室の調整が付かないので他をあたってほしいと医療相談室の方から連絡がありました。
実は前々からもう1箇所ショートステイ先を捜しておいてほしいと言われていたのですよね。
でも今まで奇跡的にうまく預かってもらえていたのと、父が 母を預けるのはその病院の個室にと拘り続けるので捜すのを怠っていました。

慌てまくって思い付いた結果の一つが、車で15分ほど先に最近建った有料老人ホーム。
電話をしてみたら、まだ入居者が半分ほどなので当分ショートステイ用の部屋も用意しているとの事。
早速主人と見学に行っていろいろ母のことを説明し、審査会の為の書類を提出することになりました。
書類を作って頂きに行った自称天然ボケの内科の女医さん「あそこなら大丈夫よ~」と軽いのりで書いて下さいました。
一方、心療内科の先生は「五分五分ですな~」
残念な事に「五分五分ですな~」の方が当たってしまいました。

2軒目の病院は、所定の審査書類をざっと見て心療内科の先生曰く「この病院けっこう敷居高そうだな~~」
帰り道もう1軒、女医さんが「ちょっと心配だけど(何が心配なのかははっきり言われないのですが・・・)あそこの病院ならいつでも入れるわよ」と常々名前の上がっている病院に寄ってみました。
玄関先の入院案内のパンフレットに個室1室とあったのですごすご退散。

そうなんですよ、ただでも預かって頂くのが難しい状態なのに、あれこれ条件を付けたら預かって頂ける所なんてないんですよ。

父は若い時から変化を嫌うタイプ、それが特に年をとってからは頑ななまでに固執します。
できるだけ願いは叶えてあげたいのですが、そうもいかなくなってきて今回は無理なようです。

物事を自分で選べなくなる時もくる。
流れのままに従わざるを得ないこともある。
自分達の置かれた条件の中で、成ってきた事を受け入れることも大切だとは思いつつ・・。
父もそして私もそれができにくいタイプなのかもしれません。
家庭で面倒みるのは無理との医師の意見を無視して在宅介護、ショートステイに預かって頂けそうな病院や施設にはもう少し良い所をと高望み・・・
母の為とはいえ、ずいぶん我儘で贅沢なのでしょうね。
そろそろ現実を受け入れなければどうにもならないところに来ているのですか、またジタバタとあがいてインターネットで少しでも良い所がないか捜しまくっている自分がいます。

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May 14, 2007

陳建一の“四川飯店”で気晴らし

母の心療内科の代診に行ってきました。
母の症状は比較的落ち着いているのですが、父が体力的に大分弱ってきて母のちょっとした呟きにおろおろしてしまう現状を伝えてきました。
先生「なかなか楽にはなりませんね~」と深い深いため息をつかれたので、思わず「ため息をつきたいのは私の方なんですけど・・・」と。
でもふか~いため息が“あなたの気持ち分かってますよ”と言ってくれているようで有難くもありました。

帰り道すぐ近くの鎌倉八幡宮にお参りして、本殿の側の売店でおみくじを引ました。
私おみくじを引くのが大好きで、数週間前に氏神さまで大吉を引いたばかりです。
それで止めておけばいいのに、神社にお参りに行くとどうしても引きたくなる悪い癖と、大吉の内容がいまいちピンとこなかったこともあって、またまた引いてしまいました。
それが、な、なんと大凶!
毎年10数回は引くのですが、めったにでない人生2度目の大凶です。
神社におみくじを結んできてしまったので内容ははっきり覚えてないのですが、1つだけ強烈に記憶に残っていることが「気晴らしが必要」との1行。
大当り。
絶対に言えてます。
でも何をしても気が晴れないのですよ。
両親の介護で考えることがいっぱいあって・・・

昨日、主人が都心のホテルでセミナーを開いたので、その間息子一家と一緒にお茶を飲み、夕食を鉄人 陳建一の“赤坂四川飯店”でとりました。
ビルの5階にひっそりとある落ち着いた雰囲気のお店です。
孫がいるので個室をとったのですが、専属でサーブをしてくれる人が絶妙のタイミングでお料理を出してくれます。
ちょっとそこいらでは出会えないような、まぁ~~、いいお味。
ホントに美味でした。
カニの卵入りのフカヒレスープ。
牛肉と春野菜の炒め物、牛肉がこの世の物とはと思えないほど柔らかくて感激。
最後の名物「麻婆豆腐」は主人が辛い方を頼んだので、口の中が火の海状態で余りたくさん食べられなくて残念。
美味しいものは人の心を幸せにしてくれます。

しかし幸せは束の間でした。
今日の夕方買い物から帰ってきたら、看護婦さんが2人母のベットの側に・・・
ヘルパーさんが「お母さんの痰を吸引してほしいと」お父さんが緊急連絡先に電話をかけて呼ばれました、と小さな声で。
言外に「必要ないのに」とのニュアンスが含まれていました。
何せ便利な所に住んでいるので、お医者様でも看護婦さんでも5分で飛んで来て下さいます。
でもね、余りそれをやったら“オオカミ少年”になってしまうのですけどね・・・
93歳に分かってもらうのは難しいものがあります。
要介護5のお母さんだけでも大変なのだから、お父さんは静かにしていてくれないかな~
私の切なる願いです。

当分「気晴らし、気晴らし」と呪文のように唱えて気分を変え続けた方がよさそうです。

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April 23, 2007

地位、名声、権力、富を得ると、人間は何故変わってしまうのでしょう?

選挙が終わって街に静寂が戻ってきました。
それにしても政治家の皆さん、いつもの事ながら選挙期間中はホントに低姿勢でしたね。
あの気持ちをずっと持ち続けることができれば国民の為に素晴らしい仕事ができるのに、そうはいかないのが人間のようで・・・
別にこれは政治家に限ったことではないのですけれど。

地位、名声、権力、富などを得ると、殆どの人は変わってしまいますね。
如何してなのかなといつも不思議に思っていたのですか、先日、天命庵の親様の話を聞いていて納得。
自分自身が偉くなったと思って奢ってしまうのですね。
まるで天下を取ったような、1番になったような気分になって。
人が奢る時はたいがい自分が1番だと思ってしまっているとか・・・。

でもホンマモノの信仰を持っている人はいつも自分が2番だと分かっています。
何故ならば、1番は神様だからです。
例え自分がどんなに偉くなっても、神さまが1番と常に己の存在を2番として受け入れることができます。
それは、必ずしも神の存在でなくてもよいのです。
両親、恩師、先輩、偉人、知人、どなたでも・・・
自分よりも偉大な存在を感じている人は謙虚です。

2番を保つということはとても難しい事です。
ちょっと調子がいいとすぐ1番になりたくなります。
2番はいつも己の心が中庸でなければ保てません。
世の中で人気でも地位でも1番になった人というのは奢り高ぶっている方がとても多いものです。
大切なことはどんなに偉くなっても、どんなに人から褒めて頂いても、常に自分を中庸の立場に保つこと。
どんなに成功しても自分は2番でありますという人の心の方が自由なのです。

お偉くなってはいけないのです。
偉くなると神様はこう仰るそうです。
「偉くなるとえらいことになるで~~」
えらいことに成らないように、常に2番の心で謙虚に生きたいものです。

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April 15, 2007

お誕生日だ♪ 還暦だ♪ 嬉しいな♪

若い頃はお誕生日を迎えても「年を取る」とは言いません。
いつ頃からでしょうか?
「年を取る」と言い出すのは・・・
お誕生日の度に重ねてきた年を、今度は1才づつ取ってゆく。
若返るのですね。
「年を取る」って素敵だと思いません?
私、お誕生日が大好きです。
周りの人から「おめでとう」と言ってもらって、ご馳走とケーキを食べて、プレゼントも貰って、良い事尽くめ。
年に一回なんて勿体ないみたい・・・

主人には単純だと言われますが、誕生日が大好きな理由がもう一つ。
若い時に何度か「中年以降運が開け年と共に幸せになる」みたいなことを言われたり読んだりしました。
それで年を重ねると、どんどん幸せに近づいていくような気がして、とても楽しみでした。
国語辞典で中年とは幾つからの事か調べたりして・・・。
昔の考え方では、還暦は中年というよりは初老に入るのでしょう。
でも今と昔では、平均寿命も年齢に対する感覚も違います。
私、只今気分は中年真っ只中です。

年と共に精神的に落ち着いてきて、今とっても幸せ♪
中年に、神様の教えに出会ったことが大きかったと思います。
還暦、人生に於ける充実した季節、そんな気がしています。

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April 04, 2007

93歳の伯母、母の姉が亡くなりました

3人姉妹の長女として家業を継ぎ、妹達の実家として私達姪も大変可愛がってもらいました。

母がショックを受けて寝られなくなるのではと案じたのですが、両親の代理で滋賀県まで出掛ける私に「宜しくお願いします」と一言、心を乱された様子もなかったのでほっと一安心。
むしろ父の方が、1歳年上の伯母が亡くなってショックを受けている様子でした。

人の死に出会うと『「良く頑張りましたね。ご苦労さまでした」と必ず生きていたことを労らって差し上げて下さい』との天命庵の親様の教えを思い浮かべます。
何故ならば、亡くなった時この世でたった一人の人からでも「ご苦労さま」と言って貰った方は、『自分の人生はこれでよかったのだ。この世での本分は全うできたのだ』と安心して天の国へ戻って行くことができると伺っているからです。
ここがとても大事なのですが、その方の人生の長さ、その方の亡くなり方、その方がこの世でどの位の仕事をなし遂げたかということとは無関係です。
この世に生を受け、生きたことに対する労いの言葉。
「ご苦労さま」は亡き人を天国に送るパスワードなのです。

もう2度と会えないのは寂しいけれど、私は人の生まれ変わりを信じているので、この世でご縁があった方にはまた何時か何処かで出会うのでは、そんな気がしています。
だからこそ今この世で出会っている人々に、優しく温かく接することができればいいな~と思いながら生きています。

おばちゃま、ゆっくり天国でお休みください。

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March 30, 2007

他力本願と母の介護

母がショートステイから帰宅しました。
10日間の予定だったのですが、途中発熱して22日間も預かって頂きました。
お蔭で、父も私も久し振りにゆっくりした日々を過ごしました。

退院の折、主治医が母の状態を説明した後で「お母様をご自宅で介護したいというお気持ちは充分わかります。でもご一緒のお父様か、あなたが倒れる前にお母様を施設に預ける事をお考えになられる時期だと思います」
若い女医さん、柔らかい微笑みを浮べながらもきっぱりと・・・

一昨年の暮れ、母を我家に引き取る時から、心療内科の先生に自宅で面倒をみる限界はとっくに過ぎています、と散々言われています。
この頃は時折「まだ頑張りますか?」と半ば諦めムードで聞かれる位で、余り話題になっていませんでした。
それをショートステイ先の医師から言われるとは予想だにしていなかったので、人間、不意を付かれると弱いですね。
周りの方は私を気遣って、1人で両親2人の介護をするのは大変だからと要介護5の母を施設に預けるようにと勧めてくれます。
でもね、私的には、両親がこの年まで(90歳と93歳)一緒に生きてこれたのだから、出来たら最後まで一緒に、と思っているのです。
一瞬『やっぱり無理なのかな~』との思いが胸を過ぎりました。
でも私、立直り早いのですよ。
なにせ14年間も神の教えの話を伺っているもので・・・

他力本願という言葉があります。
「人に頼って物事をしょうとする事」等と余りよい意味で使われないのですが、本来の“阿弥陀様の他力本願”という意味は違います。
甘えとか、人任せにするというような、いい加減な頼り方ではく「阿弥陀様に全てを預け信じること」だそうです。
絶対的な他力本願というのは、全てを信じて委ねること。
人生で現れる様々な事は全部素晴らしい事と受取り、流れに沿って生きてゆく事が、絶対的な他力本願だそうです。
自分がああしたい、こうしたい、こうあるべきだ、こうしなければならない、と余計なことを考えると無駄な力が入ります。
寝て待つのでもなく、優柔不断でボーと待つのでもなく、人に決めてもらうのでもなく、自分が今なすべきことを淡々とこなして、後は天に任せる。
聖書の言葉「人事を尽くして天命を待つ」に通ずるようです。
それで、私は他力本願でいく事にします。
マア、私の場合は絶対的な他力本願と言う程、大げさなものではなく成り行き任せ的なところもあるのですが・・・
どうしても自宅介護が無理になったら、その時はその時の流れに従うつもりです。
急いで決めなくても、物事は成るように成ってゆくのですから。

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March 28, 2007

小児科医労災 厚生省控訴を断念

今朝の朝日新聞に小さな記事を見つけた時は「よかった!!!」
ホッとして、長い間コッコッと戦い続けてこられた我が主治医の「銀座内科診療所のホームぺージ」を開けました。
「亡くなって8年近くたってようやく中原さんが労災と認められた。当然のことだが、その当然が現実になるまでの道のりの険しく遠かったことを思うと嬉しいというよりも、何か気が抜けたような、不思議な気持ちがする」
そうなのでしょうね。
勝訴、が決まっても失われた命は戻ってきません。
控訴しない理由は、判決が認めた過重労働よる心的負担の大きさを覆すのは難しいとの判断だからそうで、これを教訓に働く人々の環境改善をという方向へ行く訳でもないようです。

いつから、当然の事が当然と認められない時代になってしまったのでしょう。
どうして、当然の事が当然と認められるのに裁判まで起さなければならい時代になったのでしょう。

作家の五木寛之さんが「城山三郎さんを悼む」(朝日新聞、3/27)でこのように書いておられました。
『訃報を聞いて最初に感じたのは一つの時代が終わったな、ということだった。その「時代」がどういうものか、とたずねられても、簡単明瞭には答えようがない。漠然とした表現をすれば、経済活動に志(こころざし)がともなっていた時代、とでもいえようか』

働くという字は、人が動くと書いて、はた・らくと読みます。
働くとは“はた”(自分の周りの人々)を“らく” (楽)にさせる為に、住み易い社会を築くために、人が動く事なのです。
働く“志”が、本来の働く意味が、皆の心から失われてしまったような気がします。
経営者も、政治家も、お役人も、今働いていない人が多いですね。
“志”の伴わない仕事、単なるお金儲けの為の仕事が増えれば、世の中に労災も含めてあらゆる危険が増える、そんな恐れを抱いています。

明日は民事訴訟の判決だそうです。
当然の判決でありますように。

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March 24, 2007

涙を拭っている知人の顔が新聞にクローズアップ

「小児科医自殺は労災」との朝日新聞の見出しに、ひょっとしたらと思い社会面を見ると、いつもお世話になっている中原のりこさんの大きな写真が載っていました。
彼女は自殺した小児科医の奥様で、私が通院している漢方診療中心の銀座内科側で薬剤師をしている方です。

労災と認められて「よかった。よかった」と単純に喜んだのですが、銀座内科診療所のホームページを開いて愕然。
一審で勝訴したからといって、終わりではないのですね。
とっさに頭が回らなかったのですが、当然のことです。
勝訴の判決と同時に、国に対して控訴断念を要請する為の運動準備が整えられていて、今まさに大展開中です。
さすが我が主治医、九鬼先生。
この先生かなりユニークな方で、元朝日新聞記者、鍼灸師の資格を持ち、富山医科薬科大学で学んで40歳過ぎて医師になられた経歴の持ち主。
“余は如何にして医者となりしか”を「記者のち 医者 ときどき患者」のタイトルで朝日新聞社から出版しておられます。
いろいろな経験を経てこられたからか又はご性格からか、多分両方なのでしょうが、患者とトコトン付き合って下さる先生です。
この2年間あまり、中原さんの訴訟にもトコトン付き合っておられるのが、ひしひしと伝わってきていました。

全ての仕事や労働は、直接的間接的に人の命にかかわっています。
だからこそ労働条件や環境は全ての働く人にとって守らなければならない大事な事だと感じています。
過労死寸前だっり疲労のために精神を病んでいるお医者さんに診察してもらう、疲れきった人の運転する乗り物、製造した食品、薬剤、機械等々では私達の生活の安全は守られませんもの。
働く人を大切にしなければ、人災が起こるリスクはどんどん高くなります。

新宿労働基準監督署、東京労働局、厚生労働大臣に控訴しないように葉書を出して訴える運動に、知人にも声をかけて参加しています。
微力でも自分の出来るところから住み易い世の中を創るために努力したいと思いつつ・・・


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March 19, 2007

沖縄はナハテラスとブセナテラスに行ってきました

“大人の隠れ家”といわれているナハテラス。
那覇の新都心にありながら静かな落ち着いた雰囲気のホテルでした。
息子夫婦と一緒の旅で、育児疲れのママと介護疲れの私は、リラックス空間でゆったり寛いできました。
私達夫婦は3度目の沖縄、今回は1歳5ヶ月の孫娘連れなのでナハテラスの周辺だけを散策しました。
近くにDSFギャラリー・沖縄があって、なんとフード・コロシアムでの昼食を含めて、3時間半の滞在。
広々とした建物に豊富な品揃え、幼児を遊ばせながらゆっくり買い物が出来ます。
世界各地にあるDFSギャラリーの中でも充実している方ではないかと思います。

国際通り周辺は土産品店と飲食店がギッシリと立ち並ぶ一大繁華街。
わき道に入っても何処までもお店、出店が続いていてどの店もカラフルな商品が山積み。
通りが南国の色彩に染まっていました。

翌日名護のブセナテラスへ。
数年前訪れて是非もう一度と思っていた地へ、家族で訪れる事ができてとても幸せでした。
事前の予報では滞在中、曇り一時雨だったのですが、グラスボートや水中水族館を訪れる日は薄日が差す穏やかな日になりました。
透明な青い海とサンゴの白い砂浜を思いっ切り満喫。
“潮騒が非日常へ誘う南国のリゾート”とはピッタリの表現です。
ほんの4日間でしたが何もしない贅沢でフレッシュ。
いつも介護で時間に追われていますからね。

テラス系ホテルは、インテリアもアメニティーも細部にまで心遣いが感じられ、従業員の穏やかな笑顔と行き届いたサービス、そして何よりもお食事が美味でした。
海外までわざわざ出掛けなくても、日本の中に至福の時を過ごせる楽園がありました。


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February 28, 2007

花粉、平年並みから平年の20%(環境省予測)に騙されました

ここ数年、殆ど感じなかった花粉を日増しに感じて『少ないはずなのに、おかしい、おかしい』と不可解に思っていました。
くたびれているので体力落ちているからかな?とかいろいろ考えていたのですが、何のことはない花粉が飛んでいるのです。
「予想外れ、2週間早く花粉猛威」との記事を読んで、心外ながらも納得。
こうゆう要らないことには敏感に反応する体質です。
今年は少ないからといい加減に使っていた、目薬、飲み薬、点鼻薬の3点セットを気合を入れて使っています。

それにしても、見事に外してくれますね。
外れた理由は「想定外の暖冬」だそうです。
でもこれだけ“地球温暖化”が騒がれている時に予測の中に暖冬が加味されていないのは、花粉予測を真に受けた私の想定外でした。

天気予報は年中外れるので当てにしていません。
花粉情報については必要ないと思っていました。
「花粉が多いです」と予報を聞いただけで鼻がムズムズするという方、意外と多いのです。
予防の為に知りたい方にはインターネットとか電話で情報を流すとかの工夫が必要ではないかなと感じています。

日頃、自然界で起こる事等、誰にも分かるはずないと思っているにも関わらず、人間自分に都合の良いことは信じたいもので、平年の20%に飛び付きましたね。
自然は人智を超えたもの。
人間は自然のほんの一部。
その人間が自然を完全に予測したりコントロールする事は不可能だと思っています。
過去の統計、科学技術の進歩等によって、天気、地震、台風、津波等自然現象の当たる確率は上がるかもしれません。
でも自然界の天災に人災の部分が加わって余計にややこしくなっている時代ですから、予測はあくまでも予測の域を超えないのではないでしょうか。

母の往診に見えた女医さん曰く、今年の花粉症は例年の薬では治まらない患者さんが多いとの事。
“病”は“気”から。
期間限定の症状なので気合で打ち勝たねば。


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February 23, 2007

素晴らしい生き方にふれました

『38歳桑田 挑戦 自然体』朝日新聞(2月20日)スポーツクリック欄
桑田投手(前巨人)が大リーグを目指して単身渡米し、ゼロからの出発、との記事が載っていました。

記者の『なぜ、大リーグ昇格を争う相手に牽制球の技術を教えたのか』との問に、
笑顔で「巨人時代から、他の選手を『ライバル』なんて考えたことがない。人は人。昔から、自分がやるべきことを、思うようにやっているだけ。試合で(自分を)使うかどうかは監督が決めること」と。
この“人は人。自分は自分の本分を全うするのみ”の意識が本物だからこそ次の言葉へと続きます。

『限界説もささやかれる』
「何歳だから、ダメというのはない。人の評価に絶対はないと思う。神様じゃないんだから、偉そうなこと言っても当たらない。だから気にしても仕方がない」
今まで偉そうな評論家と呼ばれる人達にいろいろ無責任なことを言われてきたのでしょうね。
自分の心に少しでも不安があったら乗せられてしまうところですが、自然体だからこそ流せるのでしょう。
「人が何事言おうとも、神が見ている気を静め」私の好きな言葉です。
人の意見に耳を傾けてみることは大切ですが、それに振り回される必要はないのです。

『生き残れる勝算はあるのか』
「外国人だって、同じ人間でしょ。だったら、僕にも出来る。どうして皆物事を深刻に考えるのかなあ」
これは日本人の特性です。
余り深刻に考えるから緊張して失敗してしまう。
プラス思考の彼にはその心配はなさそうです。

『通算200勝まであと「27」』
「当然、狙いたい。結果がすべての世界だが、大事なのは過程。目標に向かって、どれだけベストを尽くせたか。それが人間を成長させると思っている」
本当にその通りです。
人生における全ての事は、自分自身を成長させ磨く為のものです。
でも今時は結果ばかりを追い求めすぎて、心が偏ってしまっているように感じます。

『野球人生は米国で全うするのか』
「今は、1年1年が勝負としか考えていない」
記者さん!愚問です。
先の事なんか誰にもわかりません。
今を一生懸命生きるのみです。
難しい事ですが・・・

そして最後に笑顔でこう語ったそうです「人間は200年も300年も生きていられない。だったら、自分の思うまま、自分らしくやろうよ」
いいですね~
自分の思うまま、自分らしく生きられたら最高です。
“人によく思われたい”とか“良く見せたい”とか余計な事を考えてしまうと、なかなかそうはいきません。

実は私、巨人時代の桑田投手、まるで関心がありませんでした。
たまたま記事を読んで、38歳あっぱれ!と思いました。
彼はどういう結果になっても後悔しない人生を自信をもって歩んでいるのですね。
考えさせられました。

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February 15, 2007

女性を救出して殉職されたお巡りさん

もう一度お元気になられる事を祈っていました。
こうゆう方にこそ命を繋いで頂きたいと願っていたのですが残念です。

小学生が千羽鶴を、母親に手を引かれた子供がお見舞いの手紙を、お年寄りがお花を、地域の人々に、心から慕われておられた事が伝わってきます。
日頃から心を込めて、命を込めて警察官という危険の伴う仕事に向き合っておられたから、あのような行動がとれたのでしょうね。
告別式で奥様が「夫の性格からして、これは夫の天命と受け止めようと努力しています。夫の行動を誇りに思っています」と挨拶なさったそうです。

『親が厳しく小遣いが少ない。との理由でご近所の親子を殺害する学生』
お金が欲しかったら自分で働きなさい!
『障害者のお金 守ってあげるつもり。と27億円の詐欺をはらたく福祉会社の女社長』
障害を持っている方達の身近で仕事をしていて、あなたが一番彼らの大変さを分かっているはずではないのですか?
と、怒りを通り越して余りの酷さに気が滅入りそうな昨今、宮本警部さんは人の心に温もりと勇気を残していってくれました。
人への限り無い暖かさを持っておられたのではないかと思います。

そして宮本警部さんのように、それぞれの持ち場で自分の本分を尽くしている大勢の人達に支えられていることに改めて気付かされました。

職責を、この世に生まれてきた使命を全うされて天の国に旅立たれた宮本警部さん。
頭が下がります。
心からご冥福をお祈りします。

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February 14, 2007

新しい生命を生み出す事も大切ですが、まず今在る命をもっと大切にする政策を・・・

少子化対策という政策が、私にはよくわからないのです。
誰の為の対策なのでしょう。
明らかに生まれてくる子供の為ではないですよね。

国力の為とかこれからの高齢化社会を支える為とかいろいろ聞えてきますが、人の命を損得勘定で考えているような不純さが透けて見えて不愉快に感じます。
日本の人口がどんどん減って、存続の危機なんて事になったら大変ですから、今のうちから手を打たなければとの考えよく分かります。
でも国民の頭数を増やせば、日本は安泰かと言えばそんな事はないと思うのです。
先ほど問題になった給食費を払わないような親に育てられた子供達が、将来国を支えてゆく力に成り得と政治家は考えているのでしょうか?
女性が頑張って子供を生めば何とかなる問題とは明らかに違います。

私は子供の頃から、結婚して母親になる平凡な生活を夢見ていました。
いざ子供を産んで、生後5カ月の子をロンドンで育てるというハンデーもあったせいか、子育ての大変さを何も知らなかった自分に驚き、そして周りの大人も誰も教えてくれなかった事に呆然としました。
子育てという、命を育む大変な仕事に国家試験が無いのが不思議に思えた位。
高校、大学に入学試験があるように、車の運転に免許がいるように、学校の先生、看護士さん、保育士さん、会社員、何でも試験で合格するか免許や資格が必要です。
子を産むことが、何の資格も免許も要らないからこそ、命の神秘を、生命を育む事の大変さを、人間として教育する大切さを、子供の時から折に触れ学ぶ機会を作るべきではないでしょうか?

例え少子化が進もうとも、生まれてきた命を粗末にする位なら、虐待する位なら、子供を生まないほうがよいのではと思っています。
一つの生命を、キチンとした社会人に育て上げる覚悟が無いのなら、子供を生む前に自分自身を育てるべきでしょう。

大人と子供の社会からいじめを無くす、受験戦争という戦争の中から子供を救い出す、格差社会を是正する、夫婦で子育てがし易い社会を作る、高齢者を大切にする等々・・・
今日本の国に生まれてきた人達が、生まれてきてよかったと思えるような国造りをすれば、子供は自然に増えるはずです。
子供は世界の未来なのですから、まず育て易い環境をつくるのは当然の事でしょう。
子供は天からの授かり物。
柳沢厚生労働大臣の失言にも、それに対する批判の中にも、生命の神秘に対する謙虚さがまるで感じられないことが一番気掛かりです。


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February 05, 2007

介護はどこかで緊張しています

心電図をとりに銀座まで行って来ました。
ところが病院にたどり着く前に東海道の中で気分が悪くなって、あらあら本当に体調が悪いのだと自覚する破目に。
昔から乗り物に余り強い方ではないのですが、電車で酔ったのは初めてのような・・・

青い顔をして診察室に入ったら、先生が「疲れてるんだよな~、よくもっているよ」と。
我家の事情をよくご存知なのと、ご自身の両親を有料老人ホームへ預けておられるので、いつもそっと見守るって下さっている感じなのですが、もろ本音が出てました。

丁寧に聴診器で心音を聞いて、今は綺麗な音でどこも異常が感じられないから、心電図をとっても何もでないと思うけれど、暫く取ってないのなら念の為ととってくれました。
結果は規則正しい綺麗な線が描かれていて無事合格。

不調の訴えによく耳を傾けてくださり、一生懸命考えて丁寧に説明して下さる先生です。
心臓は自律神経の影響を受け安く、寝入り端とか明け方は自律神経が一番不安定になる時間帯だから、たぶん心配ないだろうと思うとの事。
「家族に心臓の悪い人がいるとか、特に心配な理由ある・・・」と聞きかけて「ご両親その年まで長生きしているのだから心臓は丈夫だよね・・・」と自問自答しておられました。
もしひどくなるようなら24時間モニターを付けることを考えましょう、とのいつもの結論になりました。

心臓よりも疲労が溜まっている事の方が心配な様子で「安定剤でも飲んでゆっくり寝るのは無理だよね~」と呟かれました。
無理な事はないのですが・・・
年が年ですから(93と90歳)なるようにしかならないと思っていますし、先は神様が良い按配にしてくださると信じています。
でもね、老人介護は瞬時に決断しなくてはいけない事が多くて、何処かで神経がたっています。

母の主治医に万一の時は落ち着いて先ず主治医のところ電話をするように、救急車を呼ぶ前に電話をするようにと言われています。
お医者様のいない所で最後を迎えると後がいろいろあって、イヤな思いをなさる事があるから・・・と。
自称天然ボケの女医さんから「肝が座わっていらっしゃるから、大丈夫、出来るわよ。」とお墨付きを頂いておりますが、草臥れていると怪しいものです。
自分では可なり上手に気分転換しているつもりですが、体がしっかり裏切ってくれております。
ちょっと心の使い方見直してみます。

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February 01, 2007

「医者も薬も神が知恵をつけたもの」

介護を始めてから数ヶ月に1度、寝付く間際に数分間心臓が異常に早く打ち出し呼吸がし難くなる事があります。
医師から、心電図を取っても症状が起こっている時しかモニターに出ないので、もっと回数が多くなったら24時間モニターを付けてみますか???と言われています。
先生も私も内心、心因性で大丈夫と思っているので軽い感じの会話が交わされていました。

それが実家の片付け中日の明け方、いつも数分で治まる症状が止まりません。
口から心臓が飛び出してきそうな動悸を体全体で感じながら、夜の明けるのを待ちました。
今心電図を取ったら、異常があれば分かるかもしれないと少々残念に思いながら・・・

夜明けと共に起きて、まずいつもの朝の祈りを朝日を燦燦と浴びながらゆっくりと丁寧に。
祈りは大きな事から小さな事へ。
遠くの人から身近な人へ、そして自分の足元へと祈っていきます。
世界中の人が仲良く支えあって幸せに暮らせる世の中に早くなりますように。
戦闘の地にある人々の上に一日も早く平和が訪れるよう世界中の人が力を合わせられますように・・・ブログで出会った方々が恙無く一日を過ごされますように・・・それから主人、息子一家、両親へと。
そして最後に、実家の後片付が無事終わるように今日一日働かせてくださいと・・・
1時間ほど祈った後、気が付いたら普通に息をしておりました。

日頃、天命庵の親様から「医者も薬も神が知恵をつけたもの」と伺っています。
私は子供の頃から体が弱かったので、病状を楽にしてくれるお医者さまも薬も大好きです。
体調を崩すと直ぐに病院へ飛んで行きます。
転勤先の各国でも良いお医者様を見つけ出しては親戚付合い(ちょっとオーバーかな?)をする私を、若い時は病気知らずだった主人は呆れ返って見ておりました。

でもお医者様や薬と同時に、自分の体を直すのは自分自身だとも思っています。
体調を崩す時は、やはり精神的にバランスを崩している事が多いようなので。
「体の痛みは心の痛み、心の痛みは体の痛み」
静かに座して祈りを捧げる。
自分の拘りや囚われから心を開放することから始めると、随分体が楽になることがあります。

片付けも無事終わり、やっと時間が取れたので、明日検査に行ってきます。
心臓は大丈夫との自信がありますが、疲労が溜まっていそうなので念の為。

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January 21, 2007

「納豆で減量」我が夫も引っかかりました

健康によいもの、ダイエットに効く物が、主人は大好きです。
「これは体にいいんだよな~。これを食べると太らないんだって」と言いながらパクパク食べます。
本当に美味しそうに食べるので黙って見ております。
でも何であれ食べたら絶対に肥る。
これは自然の法則だと私は思っています。
本当かどうか知りませんが、水を飲んでも肥る人は肥るという話を聞いたこともありますし。

先週近くのデパートで仙台の物産展を開催していました。
納豆売り場は午前中で完売。
世の中ビックリする位痩せたい人がいるのですね。
数カ月前、ストレス太りで体重が増える危機感を初めて持ちました。
今は完全に元の体重に戻りましたが、戻った原因は簡単。
介護と実家の整理で疲れすぎて、食欲がガタ落ちになったからです。
食べてないのに動き回っていたら、あっと言う間に痩せました。

物事って何でも本当に簡単な事なのではないかと思います。
痩せたかったら、摂取エネルギーと消費エネルギーのバランスを考えて食べればいい。
簡単に言えば食べたら食べた分以上に動く。
動かないのだったら食べる量を控える。

番組の内容を捏造する放送局が悪いに決まっていますが、見ている方も簡単に乗りすぎではないかなと思います。
これはダイエットの話だけでなく、病気が治る、お金が儲かる、何でも通ずることです。
“誰にでも簡単に出来る”という話には必ず裏があると思うべし。
「納豆を食べればやせる、というなら水戸の人はみんな痩せてなきゃおかしい」と朝日新聞にコメントしている方がいて、言えてると笑ってしまいました。

主人は元々納豆が好きで、以前から殆んど毎日食べていました。
今回の騒ぎで量が増えただけですが、毎日納豆2箱ってかなりのカロリーだったのではないかな?

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January 15, 2007

“自分がしてほしいことをして差しあげる”は善意の押し売り?

「人に自分がされたくない事はしない。自分がしてほしいことをして差し上げる」
よく聞く言葉です。
前半の部分はその通りだと思います。
でも後半の言葉、この頃両親を見ていて段々疑問に感じています。
自分のして欲しい事と、相手がして欲しいと思っている事はいつも同じでしょうか?
人間は十人十色、千差万別です。
考えている事、感じている事、思っている事、人それぞれです。
それなのに相手に“自分がしてほしいことをして差し上げる”ちょっと無謀なような気がするのですが・・・
相手に何かして差し上げる時は、相手が何を望んでいるかよく相手の気持ちを推し量って相手の身になって考えることが、大切なのではないかと思うのです。

例えば子供に、人に優しくすることの初歩の心遣いとして「自分がされたくないことはしてはいけません。自分がしてほしいと思うことをしましょう」という表現はとても分かり易くていいと思います。
でもそれは優しさの“始めの一歩”のような気がします。
本当の優しさというのは、相手の身になって考え相手がしてほしいと思っていることをさり気なくして差しあげる、ことではないでしょうか。

相手が良かれと思ってしてくれた事が自分の意に沿わないことであったとしても、その心遣いは有り難く受け取って感謝するべきです。
でもそれがいつもいつもだと、ため息が出ますよね。
相手のことを本当に心から考えているのかな?と疑問に感じてしまいます。
“自分がしてほしいことをして差し上げる”この言葉、一歩間違うと善意の押し売りに繫がりかねません。

父が母を気遣って、善意の押し売りをせっせと致しております。
92歳という年のせいもありますが、昔からそうだったような・・・
この善意の押し売り、母の命に関わりそうなことがあって、ヘルパーさん達とそっとカバーするのが大変です。
「人に自分がされたくないことはしない。人がして欲しいと思っていることをして差しあげる」
とても難しい事ですが、これが本当ではなかと感じています。

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January 11, 2007

初詣で感じた、日本人の宗教観

4神社を初詣巡りしました。
どこの神社もちょっとお洒落をした若者でいっぱい。

数年前の調査ですが「あなたは、宗教や信仰に関心がありますか。関心がありませんか」との問いに、「宗教に関心がある」と答えた人23%。特に女性の20代ではわずか6%でした。
信じる以前の関心もないはずの神仏に、硬貨数枚で家内安全、商売繁盛、交通安全、健康、受験祈願、縁結びまで、何でもかんでも、なが~いお願い。
さぞや神様も仏様も当惑されているだろうと思うのですが・・・
その時だけ変身して信じるのか、初詣で神仏の前で祈る事は若者にとって宗教的行為ではなく年の初めの行事みたいなものなのでしょうか。

これだけ数多くの神社仏閣に囲まれて(日本全国に宗教施設はおよそ23万ヶ所)子供が生まれればお宮参りに始まり、七五三、成人祝いだといっては神社にお寺にお参りに行き、結婚式は殆どの方は神式で、又はにわかクリスチャンになって教会で、そして人生の最後はお坊さんにお経をあげてもらってお寺の先祖代々のお墓に入る。
人生の節目節目で何らかの形で神社仏閣と関わりを持ちながら、神、仏、宗教、信仰について深く真剣に考える事無く一生を過ごしていく、しかもその時々に応じて宗教を使い分けながら・・・

その時々によってまるで宗教を変えるかのような日本人の宗教に対する姿勢は、キリスト教やイスラム教のような一神教を信仰する人々から見れば無節操にいい加減に見えることでしょうね。
でもいい加減は、好い加減でもあります。
近年の世界情勢を見ていて、リーダーの宗教、宗教観が紛争を巻き起こし平和の邪魔をしているなと感じる事が多々あります。
それに比べると、なんと大らかな宗教観を日本人は持っているのでしょう。
全ての神仏を敬い大切にする。
日本独特の宗教に対する大らかさは、世界が平和に共存していく為に必要なことなのかもしれません。

ただ神仏へのお参りは、何でもかんでもお願いをする為ではありません。
先ず、平素のお礼と感謝、世の中への祈り、それからこのような努力をしますので思いが叶うようにお願いします、と祈るのが順番かなと思います。

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January 07, 2007

亥年は観音さまの心で

『イノシシは直進してポーンとやってきます
慌てず騒がずのんびりと心を磨いて、神様の教えに沿った穏やかな生き方を来年は心がけてください』
そんなお話を天命庵で去年の暮れ、亥年に気を付ける事と一緒に伺ったのを思い出しました。

本当に元旦の夜、直球で“ポーン”と来ました。
お医者さんが皆、休んでいるお正月だったから慌てましたね。
でも主人が、即「救急車を」と判断したので後は流れのままでしたけれど・・・
今の状況で慌てず騒がずのんびりとは、余ほど心を磨かないと、とてもとても無理ですわ。

穏やかに生きられたらいいですね。
先ず笑顔からだそうです。
笑顔というのは祝福です。
「笑う角には福来る」と言いますね。
『いろんな事があっても直ぐに嫌いとか嫌とか思うのではなく、先ず微笑んでから考えみること。
恐い顔をしてあちこちガンを売っていると変な方が寄ってきますよ』なんてお話もあって大笑いをしました。
『相手を嫌わず心からお相手を理解しょう、許そうとする心が大切な一年』とも。
これは観音さまの心です。
観音さまは菩薩さまであり、慈悲の方です。
92と89歳を抱えて、どこまで慌てず騒がず微笑んで過ごせるか、今年の課題です。

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January 03, 2007

明けましておめでとうございます。

今年は無事落ち着いてお正月が迎えられるかと思っていたのですが、そうはいきませんでした。
元旦の夜、2度目の救急車に同乗しました。
お正月休みでなければ、主治医とか訪問看護士さんに処置をお願いできる程度だったのですが、元旦は連絡がつきませんでした。
仮に連絡がついても皆さんご迷惑ですよね。

痰が詰まってあっという間に、呼吸困難に。
119番に電話して事情を説明したら、お年がお年ですから向かいますといわれ、元旦から、救急車のサイレンが我家の前で止まる羽目に・・・
皆さん、お騒がせしました。
車の中で吸引をしたら大分落ち着いて、病院で点滴をして帰宅できました。

それにしても救急隊の人も病院の先生も看護婦さんも、元旦から働いてくれていて、皆本当に親切で頭が下がりました。
新聞やテレビから漏れ聞こえてくる嫌な世の中とはまるで違う、大勢の人が一生懸命気持ちよく働いている世界が身近にはあるのですね。
とても有り難かったです。

大事に至らなくて良かったのですが、3年連続主人はオチオチお酒も飲んでいられないお正月です。
元旦から救急車騒動、エネルギーを使いました。
立ち直るのに少し時間が要りそうです。

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December 29, 2006

来年、亥年に気を付ける事

天命庵に今年一年つつがなく過ごさせて頂いたお礼参りに伺って、来年の心構えを伺ってきました。
毎年きまっておっしゃることですが「良い事をした人は幸せになるでしょう。悪いことをした人は幸せにはならないでしょう」
これは占う以前の生きてゆく基本ですね。
自分勝手なことをしておいて来年はいい年でありますようにと願っても、そうは問屋が卸しませんもの。

『亥年は十二支の最後の年です。
十二支の最初に戻る最後の年という事で、やり残したことがないだろうか、ああ、あれもしておかなければいけないわね、と焦る年でもあります。
「急いては事を仕損じる」
あまり前進し過ぎないで、いつもブレーキをかけて、なれべく走らないようにしてくださいよ。
調子の良い「す~」と行きやすい年ですから。
そういう時は用心してください。
どうぞ気を付けてください。
来年は特に気をつけるのですよ。
よーく自分に問うて、余り物事がよく動き過ぎたら止まることです。
甘い話に乗らぬように、流れをしっかり見て。
今まで積み上げてきた事でなってきたことは良いですけれども、急に思い掛けなく起きてきたことにはよ~く気をつけること。
欲の心のある人は騙されますよ。
気を付けましょう。
欲の心を取って、人さんの為に喜んで良いことをして下さい』

随分気を付けなければいけない年のようですが、はじめの言葉のように良い事をしていればいいわけで、何事も自分次第ということですね。

喜んで人さんの為にというのは、家族を含めた身近な方にちょっと気を使う事も含まれるのです。
とても簡単な事のような、この身近な人というのが意外と曲者のような・・・
ただ今、私、人さん(92と89歳の両親)の為にいくらでもする事があります。
私、来年は年女です。
赤いちゃんちゃんこなんて時代ではないので、洒落たダウンのベストでもリクエストしようかな?
どんな年になるのかとても楽しみです。

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December 24, 2006

若い人の詫びる姿は美しい。其れに比べて要職にある大人は・・・

体調を崩したヘルパーさんがいて母の介護のローテイションが崩れ、皆がアタフタしていました。
そこに突然若くて可愛い新米のヘルパーさんが出現。
「先輩に同行してお母さまの介護を見習わせて頂きます」とのこと(そういえばそんな話があったような・・・)
彼女にバイクを停める場所を教えて、主人の世話に母屋に戻りました。

それからすぐに異様な声で呼び戻されました。
バイクを止め損なって「お向かいの塀にぶつけてしまいました」と新米さんがオロオロしています。
「怪我は?」と無事を確かめてから、早速彼女を連れてお向かいに謝りに。
お向かいのおじさん、可愛い美人さんが今にも泣きそうな顔をして頭を下げ、真摯に謝るので「いいよ、いいよ」てな感じ。
「あの塀は古くて、いずれやり直すつもりだったから・・・」
こういう時、若い美人さんは得なような~

「内の方は全然気にしなくていいし、向かいのおじさんもいいと言ってくれているのだから、会社に戻ったら“ご迷惑を掛けました”とよーく謝って終わりにしなさい。後は保険でカバーしてくれるはずだから」と慰めても「どうしょう。どうしょう。大変な事をしてしまって・・・」と震えが止まらない様子。
それにしても今時珍しいような初心な子で、予想外の出来事の連続よりも彼女の態度の方にびっくり!
先輩のヘルパーさんは、内に来ているヘルパーさんの中で一番男っぽいさぱさぱした性格の人で「先ず仕事、仕事。グチュグチュ考えるのは家に帰ってからにしなさい」と厳しいお言葉。
「先輩!いじめては駄目よ。新米なのだから」等と言いながら、先輩のヘルパーさんと私で母の世話を次々とこなしていくのを、彼女はボーっと見ていました。

人が真摯に詫びる姿は美しい。
清々しさがあります。
それに引き代え、TVのニュースでよく見かける、不祥事を起した責任者一同が頭を下げている姿、時々私は見苦しさ感じます。
勿論心からと言う方もおられるのでしょうが、責任逃れの弁明を続けた後逃れ切れなくなって致し方なくなんて場合が多いようで・・・

年を取り、地位や権力を手にすると、真摯な心、潔さ、良心、なんて何処かに忘れてしまうものなのでしょうか。
最も、先輩ヘルパーさんと「私達もあんな時代があったわね」なんて会話を交わしたのですから、忘れるものなのでしょうね。
ふむ、あの初々しさには逆立ちしても戻れない、でも上手に年を重ねたいと彼女の姿に感じた次第です。

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December 14, 2006

心を掛けるとは

ちょっとした心遣いでいいのです。
 微笑みを掛ける。
 声を掛ける。
 優しさを掛ける。
 思い遣りを掛ける。
 気遣いを掛ける。
 相手を気に掛ける
 気持ちを掛ける。
全部「掛ける」ですね。
心を掛ける事によって、人に喜んで頂くことができます。
今の世の中「どうせ言っても駄目だろなぁ~」と、一言掛ける事を諦めてしまっている人が多いように思います。
家族同士、先生と生徒、上司と部下、国民と政治家、皆がお互いに心を掛け合わなくなっているような。
でも声を掛ける、思いを掛ける事はとても大切な事です。
掛けずに駄目だろうな、と諦めてしまっては、そこからは何も生まれてきません。
どうせ駄目だろうな、と思っている人は、だいたい何も「掛けてない」のです。
行っていないのです。
掛けてみて、始めて実るものがあるはずです。
ちょっと心を掛ける事で、人に喜んで頂けると、自分も幸せな気持ちになれます。
慌ただしいこの時期だからこそ、特に周りの身近な人に「心を掛け」よい関係を築きませんか?
HAPPY NEW YEAR!間違いなしです。


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December 07, 2006

いじめと言葉の暴力

いじめは正真正銘の犯罪だと思います。
凶器で人を殺す事だけが殺人ではありません。
言葉の暴力だって追い詰められた子供達が死んでいるのですから、立派な殺人です。

キリスト教の聖典、聖書のヨハネの福音書は『始めに言葉があった』と始まります。
『言(ことば)は神と共にあった。
言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
この言に命があった。 
そしてこの命は人の光であった。
光は闇の中に輝いている。 
そして闇はこれに勝たなかった』
言葉にどれだけの力があるか、この何行かで全てを表しています。

これはキリスト教だけの考え方ではありません。
世界に共通した考え方です。
日本においては「言霊」という思想があります。
言霊とは言葉自体に力が備わっているという考え方です。
言葉は単なる記号ではなく、話せば消えてしまうのでもなく、それ自体に霊力が備わっていると思われています。
言葉の霊力とは言葉の内容に即して物事を実現する力のことです。
当然そこには言葉に対する畏敬の念があって然るべきです。
言葉は、他の動物には使うことの出来ない、人間だけが使うことのできる、大切な大切な物なのです。

使い方一つで、人を幸せにする事も、殺す事も、やる気を出させる事も、駄目にする事も、何でも可能なのです。
それなのに、今政治家を筆頭に誰も言葉を大切にしていませんね。
テレビのバラエティー番組等はその典型のようなものです。
とっても不思議な事です。
とっても恐い事です
「いじめと家庭」の記事で、いじめは社会と親の姿を映し出しているだけ、と書きました。
社会と大人が変わらなければ絶対に無くならないと、元を正さなければ無くならないと・・・
いじめの原因はいろんな要素が絡み合っています。
その一つに、大人の言葉に対する姿勢が問われているのではと思います。

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November 24, 2006

“千の風になって”を聞いて

秋川雅史さんの“千の風になって” ミュージック・ショップで 広告のポスターを見て以来、どんな風に歌われるのか聞いてみたいと思っていました。
昨夜、NHKのTVで聞く事ができまた。
さすがテノール歌手。
見事な歌唱力、素晴らしい声量で雄大に朗々と歌い上げておられました。
秋川雅史さんのアルバム“威風堂々”の中に収録されているそうですが、“千の風になって”も“威風堂々”のように迫力がありました。

あの詩に、私は春のそよ風のような暖かく柔らかい、包み込むような優しさを感じていましたので、抱いていたイメージと微妙に違いました。
これはあくまで私の感じ方ですが…

“千の風になって”を始めて知った時の記事を再録します。

大切な方を亡くされた全ての人の心に届けたい、素敵な歌があります。

 『千の風になって』     作者不詳
   
 わしのお墓の前で 泣かないで下さい
 そこに私はいません 眠ってなんかいません

 千の風に 千の風になって
 あの大きな空を 吹きわたっています

 秋には光になって 畑にふりそそぎ
 冬はダイヤのように きらめく雪になる
 朝は鳥になって あなたを目覚めさせ
 夜は星となって あなたを見守る

 わしのお墓の前で 泣かないで下さい
 そこに私はいません 眠ってなんかいません
 
 千の風に 千の風になって
 あの大きな空を 吹きわたっています

 あの大きな空を 吹きわたっています

アイルランド共和軍(IRA)のテロで亡くなった24歳の青年が「僕が死んだときに開封して下さい」と、両親に託していた封筒に残されていた詩だそうです。
そして後にニューヨークの同時多発テロで亡くなった父親をしのんで11歳の少女が朗読したこともあり、この一編の短い詩が欧米や日本で静かに広がっているそうです。
 
“人間の死は全ての終わりではない。永遠の別れではない”と優しく語り掛けている詩は、日頃天命庵の親様から伺っている真理の話と同じです。
姿かたちは無くなっても、周りの誰かが亡くなった人の事を覚えていたら、いつまでもその人の心の中に生き続けているのです。
お釈迦様、キリストさま、マザーテレサや多くの賢者の説かれた神様の教えの話をよく聞きます。
そんな時、数千年数百年数十年の時を超えて、残された教え、考え方、思いが生き生きと私達の心の中で息づいているのを感ずる事が出来ます。
まるで今もなお生き続けているかのように・・・
 人は亡くなっても、その人の記憶を抱き続けている人がこの世にいる限り、その人は生きているのです。
 そしてその人の美しいしい行為、優しい言葉、暖かい笑顔は、千の風となって、われわれに希望を与え続けるのです。

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November 19, 2006

前世についてーつづき

私は江原さんの事よく知らないのですが、若い人達の反応を見ていて、「前世、前世」と見えない事が分かる不思議さに目を向け過ぎている様な気がしています。
今現在と、迫り来る未来に、真剣に向かい合う事の大切さをしっかり伝えているのかな?と不安を覚えるのです。

過去から学ぶことは、とても大切な事です。
でももし、人間に本当に過去を生かすだけの知恵と能力があったら、この世から争いも戦争もとっくに無くなっているはずです。
過去から学ぶ、生かすのは、とても難しい事です。
必要以上に過去(前世を含めて)に囚われず、今を心を込めて生きる。
それが一番大切な事だと思います。

宗教家で医学博士のこんな話を聞いたことがあります。
「人は皆、八千八度(数限り無く何回もの意味)の生と死を繰り返している。その中では聖人の様に素晴らしい人間であったことも、非常に悪人だったこともある。人はいろんな人生を経験しながら魂を磨いている。今現世で、権力を手に入れた、富を得た、地位がある、頭がよい、美人だからと言って偉そうにするな。大きな顔をするな。長い長い生と死の繰り返しの中から見れば、其れはほんの一時の事、自慢するに値することではない。」

真実かどうか確かめようもないのですが、私、この考え方が大好きなのです。
どんな時でも、自分を自慢する事も卑下することもなく、また人のことを羨むこともあれこれ言う必要も無い。
今の自分の人生を一生懸命生きていればそれだけでいい。
来世への素敵な人生に繫がるかも知れないし、又魂を磨くための試練が待ち受けているかもしれない。
それは皆が通る道であり、そして通ってきた道なのですから。

“八千八度の前世”のほんの一部を教えてもらっても大して役には立たないような気がするのですが・・・

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November 16, 2006

「前世、悪人だったのではないかと思うんです。

暗闇の中追われて逃げる夢、よ~く見るんです」と、母の流動食を作りながら若いヘルパーさんが楽しそうに言います。
「アラ、アラ、アラ」と思いながら「知って、如何するの~」とさり気なく。
答えは「知りたいんですもの~~~」
「今生でそんなに可愛くて生まれて(美人ではないけど容姿も性格もとってもかわいい子です)お年寄りのために心を込めて働けてるのだから、前世なんか気にしなくてもいいと思うんだけどな~~~」と私。
「でも、知りたいんです~~」と彼女。

それにしても、前世を知ってどうする積もりなのでしょう。
私は物事知って為になる事と、知らない方が良い事があると考えています。
前世のように確かめようの無い事は、遇えて知る必要がないのではないかと…
あなたの前世は良くなかったと言われて、今生こそは立派に生きようと頑張れる人もいるかもしれません。
でも人間は、強くも弱くもあります。
何かの誘惑に出会った時、どうせ前世悪かったのだから「どうしょうもないのよ」と誘惑に嵌る原因になりかねません。
全てを前世のせいにして…

人は、今の生きている姿が一番大切なのです。
何故ならば、今を見れば全部わかります。
今の生き方が、過去、現在、未来を全部写し出す鏡なのですから。
今、この時を如何に生きるか、その事によって未来の自分が決まります。
これは誰でも知っていることですね。
そしてもう一つ、今、この時を如何に生きるか、其れによって過去に自分のしてきた事の意味が変わります。
今生き生きと輝いて生きていれば、前世も過去も、今を輝かせる為のものだった事になるのですから。
前世、前世と囚われなくても、今をしっかり生きる事で全て変えられるのです。
言い換えれば、自分の前世は今をしっかり見詰めて生きる事以外に変える方法はないのです。

江原さんが“人には前世がある”と若い人達に気付く切っ掛けを作ったことは素晴らしいと思います。
でもね・・・                    
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November 14, 2006

コブクロ-ALL SINGLES BEST Disc 1&2

手軽な気分転換は、好きな曲を部屋中に響かせ、床に寝転がって音の中にフワッと身を任せる事。
我ながら単純な人間だと思います。
1階は両親のヘルパーさん達が行き来して落ち着かないので、リビングに置いてあったコンポを2階の書斎に。
Jポップには、ちょいと勿体ない位の音色の中で、心が開放されてゆくのを感じます。

コブクロ-ALL SINGLES BEST Disc 1&2
レミオロメン-HORIZON
AI-What’s goin’on AI
一青窈-一青想
最初の3枚は、今ベストアルバムです。
どれから聴こうかワクワクして迷ってしまうほど・・・

始めにかけた、コブクロのDisc 2 、一曲目の“風”に嵌ってしまい、ここ数日一曲リピートで聴き続けています。
「人は誰も恋をして始めて知る本当の自分の弱さと強さと向き合っていくんだ、雲が遠ざかる~~~」
人生に起こる恋を始めとした諸々の出来事は、自分の弱さと強さと向き合いながら、心の中に優しさを育ててゆく為のものなのかもしれません。

“Door~the knock again~”から一部を書かせてもらいます。
この荒れ狂う大海原を簡単に渡ろうなんて思っちゃいないさ・・・
・・・真実は胸の中にある
進むべき道なんて自分で決めるのさ
不安や恐れに足元を掬われそうになるけれど
巡り来るこの時に逆らい続けよう
後悔は僕に何を教えてくれただろう
行くしかないだろう
自問自答を繰り返し、思い悩み立ち止まるけど
あの日夢みた輝きだけが
又僕の心を揺さぶるよ
眠れない日々を過ごすのなら
眠らない明日を追いかけよう
夢みることが全てじゃなくて
叶えようとする事が全て・・・

音楽-音を楽しむと書きます。
今、音を楽しむというよりも、慈しみ育まれるように音に包まれて、そして心を揺さぶられています。
彼らの歌の持つ迫力、力強いメッセージは何処からくるのでしょうね。
凄い!

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November 12, 2006

高齢者介護に付きもののハプニングかな?

両親を泊まりのヘルパーさんにお願いしての1泊旅行、上手くいってホッとしていました。
でもやっぱりそんなに甘くなかったな~
帰宅して数日後、家の前に大きなトラックが止まり、実家で親しくしていた花屋のお兄ちゃんが降りてきました。
「お父さんに頼まれました」と、実家にあった大きな石で出来た植木鉢4つとパンジー25株。
私達の旅行中に、これ幸いと父は一人で家に帰り手配をしてきのです。

半年ほど前、実家に一人で衣類を取りに行った父は、お隣のご夫婦に週末の混雑の中、車で送られて戻ってきました。
もし私が反対の立場だったらやはり92歳の老人を一人では帰さないだろうと反省して以来、父が実家に用がある時は、主人が送り迎えをしてくれています。

2週間前も冬物の衣類を取りに行ったばかりです。
その時、庭の大きな石の植木鉢を4個、我家に運ばせるというので「うちの庭にはこれ以上物を持ってこないでね」とやんわり断りました。
その場では収まったようでしたが、諦めていなかったのですね。

昨年末、父の引越し時に、我家にもあるのにガーデンセットが持ち込まれ置き場に困っています。
そして引越しの直ぐ後、件のお兄ちゃんに天使の頭上が植木鉢になった、我家の庭には不釣合いな大きいな石像を持ってこさせて、事もあろうに門を入った正面に置かせました。
場所を変えたくても力持ちの男の人が二人係でないと動かない代物。
そして今回。
これで実家の庭にあった、動かせる物は全部我家に持ち込まれたことになります。

「あなたの両親との事は親子でやってください」と両親に住む場所を提供してくれた主人は、殆ど口を挿みませんが、さすがいやそうな顔をしています。
曰く「我家は持ち込み放題の居酒屋じゃないんだぞ~」
主人は何でも冗談にしてくれるので、本当に救われております。

ケアマネジャーさんが「寝たきりのお母様も大変ですが、お父様も段々別の意味で大変になってこられます」と言われたのが現実になってきました。
基本的には“両親のしたいように最後を暮らしてもらいたい”と考えていたのですが、周りの人々に掛ける迷惑を考えると、そうはいかなくなってきました。
対応の仕方を考え直さなくては・・・

庭の物は植木屋さんが来たら時、主人の気に入るように適当に整理してもらうつもりです。

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November 04, 2006

“抱き癖”と言わなくなつた本当の理由

天命庵の親様の話を伺って「今“抱き癖”と言う言葉は無いんだよ、抱きたいだけ抱いていいんだよ」と息子夫婦が言っているのが理解できました。

『子供の時には、たくさん愛をかけて上げて下さい。
よ~く抱いて上げて下さい。
何故かというと、子供はお母さんのお腹の中でお母さんとへその緒で繫がっていることに安心感があったたわけです。
それがへその緒を切られて生まれてくるわけですね。
一番初めの恐怖というのは、お母さんから離れる恐怖なのです。
だから生まれて直はできるだけ抱っこしてあげてください。
お母さんの心音を聞かせてあげる事。
それが恐怖をどんどんどんどん減らしていくのです。
お母さんと離れることが一番恐いわけです。
だからできる限り抱けるうちは、子供を抱っこして上げて下さい。
抱き締めてあげてください。
そうすると子供というのは優しい子になるんです。
生みっぱなしでは駄目なんですよ』

我家に来た時、菫(すみれ)を抱いて二人でリビングを行ったり来たりしながら、話をしています。
思わず「あなた達なにしているの?ゆっくり座って話せば?」といったら「止まると泣くんだよ~」と言いながら抱っこして行ったり来たり…
「ふ~~む」時代が変われば子育ても変わる。
そんなものなのかなと、ちょっとビックリしながら黙って見ていました。
息子は赤ちゃんの時“石臼君”と呼ばれるほどズシリと重い子でした。
その子の菫も可なり重い。
その菫をいつも華奢なママが抱っこしています。
有難いなと思って見ています。

それにしても、昔の人は偉かったとしみじみ思いました。
赤ちゃんが生まれて首が座るとおんぶして、赤ちゃんはお母さんの背中で心音を聞いていたのですね。
日本では、昔から自然に理に適った育て方が代々伝わっていたのに、何処で途切れてしまったのでしょうね。
週末、息子夫婦と小旅行にいきます。
その時、この話をしようと思っています。

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November 01, 2006

人生に問題なし

天命庵に、息子さんが入院した友とお参りに行ってきました。
「神様にお参りに行けば病気が治る」等と安易に考えて行った訳ではありません。
数日前何となく気になって掛けた電話に、暗い声で出てきた彼女は「又息子が入院したの。でも前の時よりも症状は軽いのよ」との事。
それを聞いた時に即「それはよかったね。お礼参りに行こう」と誘ったのです。
病気になったのに“お礼参り”なんて普通の人が聞いたら不思議に思われるかもしれません。
でもね、病気で入院しているとはいえ、しっかり生きているのですよ。
有難い事ではないですか。
生きてさえいれば、これから先どんな良い事が起こるかもしれませんもの。

案の定、午後の親様のお話は「問題なし」から始まりました。
「人が様々な問題に遭遇した時、この問題はどうなるのだろうか、これからどうなっていくのだろうか、折角ここまで築き上げてきたのに何でこうなったのだろうか、等とクヨクヨしないで、先の事は何にも問題ないという心になって通る事がとても大切です。
神様に全てを委ねる、信じる心を大切にした時に大きな道が現れてきます」とのお話。

「人が天の国からこの世に生まれ出る時、神様から困らないようにと、命の衣に宝石を一つ縫い付けてもらって生まれています。
宝石とは神聖、仏教で言えば仏性、良い心のことです。
その宝石を取り出す方法は、神の教えを知る事です。
神の教えに出会い良い考え方が出来るようになると、宝石は現れて、問題は問題で無くなります。
皆、素晴らしい宝物を頂いて生まれてきているのですよ。
困った時、大変な時に助けになるものは、昔から、生まれた時から皆与えられているのです。
天命庵に来たことのない人でも、誰でも皆、宝石を持って生まれてきているのです」
 
お話を伺っていて楽しくなってきました。
皆の心の中に美しい宝石があるのです。
きっと世界で一番美しいダイヤモンドよりもっと輝く宝石が・・・
それを神様の教えで磨いて良い心遣いが出来るようになればキラキラと光り輝いて、全ての物事を光に変える力を皆備えてこの世に生まれてきているのです。

神様の教え出会うには、釈迦様、キリスト様、マザーテレサさんやガンジーさんのような偉大な方々の考え方、生き方の中に、世界の文学の中に、童謡の中に何処からでも気付く事ができます。
いつもこのブログに書いていることですが神の教えに触れるのに、特別な方法は必要ありません。
宗教組織や団体に入らなければ、得られないものではないのです。
自分の心の宝石を磨きたいと望めば、日々の生活のあちこちに気づく為の種はまかれているます。
心の中の宝石、輝かせなくては勿体ないですね。

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October 28, 2006

心療内科での禁句

別れ際に「頑張りま~す!」
心療内科の先生と母の代診で話した後、殆ど無意識のうちに口を突いて出ているようです。
私が言うと同時に、実に穏やかな先生がまるでこの世から「頑張る」という言葉を抹殺したいかのように即、打ち消されるか、諦めたように止められます。
「頑張らないで下さい」
「頑張ってはいけないのです」
「頑張る必要はないんですよ」
「頑張るのが一番悪いんです」

始めは『なして???』と“ぽかん~”としていました。
『いいじゃないの、2週間後の代診の日まで何とか母の世話頑張って持ち堪えてきますわ』位、軽く言わせてくれても・・・と思っていました。

心療内科の先生も内科の女医さんも、しばしば母の事を「頑固な方だから」と言われます。
今回は、父がベッドの脇に手摺りを付けてほしいと言い、取り付ける位置の事で、業者さん、ケアマネジャーさんと父の間ですったもんたがありました。
その後で、ケアマネジャーさんが「お父様も、お母様も“なかなか”でございますね」とさらりと言われまして、はっとしました。
両親が“なかなか”という事は、二人の血を引いている私も当然“なかなか”のはず・・・
これはえら事と、暫し日頃の言動を振り返りドッキリ。

両親の介護を始めて以来、ケアマネジャーさんを始め、お医者さん、病院関係の方々が、いろいろアドバイスをしてくれます。
在宅介護を長続きさせる為には、ご両親にも少し我慢をしてもらわなければ続かないのですよと。
それをほぼ全部一言の元に却下、蹴飛ばしておりました。
うちの父には、母には、とてもとても無理ですわ、と。
その結果、私が頑張らざるおえなっておりました。
頑張るとは、我を張る事。
しっかり頑固に我を張っていました。

そうだったのか、先生は「頑張ります」の奥にある「しっかり我を張って介護します」という私の心の動きを敏感に感じておられたのでしょうね。
だから本当は「頑張らないで下さい」ではなく「我を張らないで下さい」と、ず~っと言いたかったのではないかと思い当たりました。
皆さんご迷惑をかけました。

そういえば、天命庵の親様が「素直が一番やで」とよくおっしゃいます。
何を聞いていたのでしょうね、今まで。
お恥ずかしい。
我を張るのヤーメタ、と思ったら、だいぶ楽になりました。

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October 26, 2006

いじめと家庭 (1)

今回の事件、元担任の先生の言動が常軌を逸していたのは言うまでもありません。
でもちょっと、ご自分の回りの老人、大人、若者、子供を、よ~く観察してみてください。
家庭、ご近所、学校、職場、政界で、イジメや仲間外れはないでしょうか?
いじめ、嫌がらせ、無視、仲間はずれ、虐待がそこいらで起きているのではないかと感じています。
残念ですが、それが今の日本の社会の現状のような気がするのです。

子供の世界は大人の社会の鏡です。
子供は大人のまねをしているだけです。
そう、今回の事件の元担任の真似をしたように。
自分達の行動を棚に上げにして子供たちにいじめを止めさせよう、学校からいじめを無くそうと文部科学省を筆頭に必死になっても、教育委員会の権限を大きくしても、抜本的解決にはならないと思います。
勿論今まさにいじめに会っている子を救う手立てを講じる事は、一番にしなければならないことです。
と同時に大人が自分自身の行動を振り返って、いじめの元を作っていないか反省し、大人が変わらなければ、モグラ叩きが永遠に続くような気きがしています。

何処から変えればよいのでしょう。
頭の中で収拾がつかない位ぐらい問題は一杯あります。
でも根っこは1つかもしれません。
社会の一番小さな集団、基礎は家庭です。
今その家庭が崩壊しているようです。
家庭が崩壊していては、世の中の一番弱い者、家庭の元で庇護されなければならない子供が守られるはずがないのです。

 大人が、夫婦がいがみ合っている中で育てる。
 子供に過度の期待をかける―お験といって幼少から受験という戦争で子供を戦わせるような。
 社会で生活する上でのルール、礼儀作法を教えない―弱いものをいじめない、命を大切にする等は人間として生きていく基本です。
理屈ではないのです。

これを天台宗の僧侶の瀬戸内寂聴さんが「人を殺すのは悪い、盗むのは悪い、嘘をつくのは悪い。人間として絶対にしてはいけないことなのです。人間である証拠のバッチのようなきまりなのです。人間には初めから“してはいけない”ということがあるのです。理屈など何もいりません。“してはいけないのよ”ではなく“するな”と子供が小さいうちから、小学校に上がる前から頭にたたき込むのは、親の責任です。

 何よりも子供の心を育てていない―知識を詰め込んで、いかに生きて行くかの知恵を教えていない。
これらは一種のいじめだと思うのです。

穏やかな暖かい家庭で育った子は積極的にいじめには加担しないでしょう。
愛情に満たされて育った子はいじめをしないと思うのです。

いじめ、多種多様な要因があるでしょうが今の家庭教育の在り方、大きな要因ではないでしょうか。

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October 18, 2006

「孫」を代理出産

今の世の中が凝縮されたような出来事です。
起こるべくして起きた、そしてこれからもっとエスカレートしていくのでしょうね。

 私には息子が一人います。「子供のいる人には子供のいない人達の切実な気持ちが分からないでしょう」と言われたら少々怯まざるおえません。
 しかしこれは子供が云々というだけの問題ではなくて、人生全てに通ずることだと思います。
人間は何もかも自分の望む物を手に入れることはできません-健康、体力、優れた運動能力、美貌、端麗な容姿、明晰な頭脳、やりがいのある仕事、地位、名誉、財産、素敵な伴侶、愛情深い親、仲の良い兄弟等々(順不同)
 人、それぞれ持っているものは皆違います。自分にないものを得る為に努力することは大切なことです。
でも度を過ぎた努力は自分の今持っている良いものまでも、失うことに成り兼ねないのではないでしょうか?
 神はその時々に応じてその人の人生に必要なもの、相応しいものを全て与えてくれると聞いています。
後はその人がそれをどのように受けとめ、生かしていくかに掛かっています。
 今現在置かれている自分の立場、役割を喜んで生かすことが、一番素敵な人生を歩む近道ではないでしょうか?
 今子供ができないのは、ひょっとしたら前世で一ダース位の子供達の肝っ玉父さん、肝っ玉母さんをしっかりやり終えて、子育てに関しては修了証書を持っているので、今世は子育て以外の部分の自分を磨く為に生まれて来たからかもしれません。
キャリア・ウーマンとして社会でバリバリ働く為に生まれて来たからかもしれません。
夫婦二人だけで素敵な愛を育む為に生まれてきたからかもしれません。
或は子育ての勉強は来世に予定されているのかもしれません。
 それは“神のみぞ知る”ですが………。

今の自分の人生をそんな風に何でも良い方に考えたら、本当に美しく輝いてくるのではないでしょうか?
 無いものを探し求めるのではなく、今与えられているものに感謝して、大切に生きていけば、自ずと素敵な未来が開けていくと思います。
 《足るを知る》-分相応に満足することを知る。
昔の人は真理を簡単な言葉に表わして残してくれています。
自分の周りの人達をよ~く観察してみて下さい。
子供がいることによって幸せな人もいれば、子供によって苦労している人もいます。
子供がいなくても幸せな人もいれば、子供がいなくて不幸な人もいます。
どちらが幸不幸ではなく、何事も自分の生き方、考え方次第なのです。
当節、お金さえあれば何でも手に入る、何でもすることができると思い違いをしている人が、多い世の中になりました。
でも将来どんなに生命科学、生物学、医学が進歩しても“命”を無の状態から作り出すことは絶対にありえなと思います。
目に見えない形のない“生命”を創造できるのは目に見えない形のない神だけです。
子供が生まれるか否か、それが男の子か女の子か、これは神の領域です。
限りない欲望を手当たり次第可能にしていったら、自然界の摂理は崩れ、社会は崩壊する。そんな危惧さえ抱いています。

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October 16, 2006

ストレス太り

私とは無縁のものと思っていました。
20代から体重は2キロ前後の範囲内で一定。
唯一変わったのは、息子がお腹にいる時だけ。
25年前の洋服がクローゼトに掛かっています。
毎年サイズが変わる主人とは、対照的に超経済的な人間です。

両親の介護を始めて、体力が余り無い方なので「しっかり食べなくては、食べなくては」と「気分を変えなければ、変えなければ」と、心の中でいつも呟いています。
一種脅迫観念に近いものがあります。
食事の時「小鳥が餌を啄ばんでいるみたい」と主人に言われていました。
もっとも主人はライオンが獲物を丸呑みしているような食べっぷりですけれど。

一番手っ取り早い気分転換と、英国風に入れた美味しい紅茶とお菓子を毎日数回。
若い頃、大の甘党でした。
年と共に食べられなくなった、と思っていた甘いものが完全復活。
と同時に体重が未知の世界に突入。
平均体重を6~7キロ下回っていたので健康診断のたびに、太りなさいと言われていました。
でも体が慣れないのと、お菓子で太るのは健康的ではないのでしょうねぇ。
体が重くて、体調がいまいちです。
痩せなくては・・・

ストレス解消のはずのお菓子が、体重を落とさなければとストレスの原因に、こういうのを典型的悪循環というのでしょうね。
でも上手いぐあいに胃が甘いもの攻勢に疲れたようで、お休みモードに入りました。
自然に無理なく体重が減っていってます。

するべき事をしていれば、後は神様がい~い案配にして下さると信じています。
それなのに何故こんなにストレスを感じるのかな?とこの文章を書きながら考えていました。
あれ~、全然自然の流れに身を任せてなんかいないような・・・
心療内科の先生が「ご自宅での介護はとうの昔に無理です」と言われているのに、強行しているのですから。
身を任せているつもり、だけだったようです。
仕切り直ししなければ。
1年経って、少し冷静に見られるようになってきたのかもしれません。

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October 14, 2006

日本は医療も縦割りです

自称天然ボケの内科の女医さん「あ~ら、お母様など良い方よ。まだまだ自宅で大丈夫よ」と、こともなげにおっしゃる。
確かに7種類の薬は全部心療内科からの処方で、内科の薬は単発でしか出ません。
今、内科的には一様安定しているようです。
でも週2回、訪問看護士さんと医師が往診に現れるのは常時ではないのでしょうけれど。

他方、心療内科の先生は今年の初めから一貫して「ご自宅で面倒みる限界はとっくに過ぎています」とおっしゃる。
今日の代診では、言っても駄目と諦められたのか「ご家族が疲れないように、ショートステイでもデイケアーでも何でも利用して休みなさい」と言われる。
「先生、母はデイケアーで面倒を看て頂けるような状態ではありません」と言葉を返そうと思って慌てて止めました。
次にくる先生の言葉は決まっていますから。
それにしても先生達、今一分かっておられるような、おられないような・・・
私にもよく分からん。

イギリスもオランダもホームドクター制でした。
具合が悪くなったらまず登録してあるホームドクターに診てもらいます。
ホームドクターは大概の治療ができます。
手に負えない時は、それぞれ専門の先生に紹介してくれます。
何科に掛かっても、幾つ科に掛かっても、ホームドクターへ報告がいくので、結果を見て総合的に判断を下せるシステムになっています。

でも日本の場合それぞれの科に横の繋がりがなく、ここが一番大きいと思うのですが、他の科の事には専門外ですからと一切口を挟まないのですね。
実に奥ゆかしい。
結果、いつも2人の医師の両極端の意見を聞きながら、「一体私は如何すればいいのよ???」と考えているうちに、一年が過ぎようとしています。
どうやら先生方の意見を聞いて総合的に判断するのは、同居している娘の私の役目のようだ、と気が付いて今更ながらビックリしております。
92歳と89歳、二人揃って今まで生かされているのには、何か意味があるのでしょう。
自然の流れに任せつつ、その意味が全うされることを祈っています。


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October 06, 2006

介護、笑い話と言えるかな~

1週間のショートステイから戻ってきた母は、いつものように「借りてきたネコ」状態です。
ヘルパーさんも私も今までの経験上この静けさは束の間で、すぐに時無しの頻尿の訴えが再開されることを知っています。
できるだけ長く平和が保たれる事を祈りながら。

でも92歳の父には、この静けさの意味が理解できません。
母が帰宅して数時間後から「お母さん、おしっこと言わなくなって、偉いねぇ。おしっこおしっこと言わなくて、偉いねぇ」と真面目に褒め続けています。
母のトイレ介助の為に、朝6時半から夜の8時まで5人のヘルパーさんがローテーションを組んでお世話をしてくれています。
私が様子を覗いにドアを開ける度に「お母さん、おしっこのこと忘れて帰ってきはった(ドアの向こうは関西弁です)」と本当に嬉しそうに私に報告するのですよ。

同居し始めた去年の末は、「それは違うのよ・・・」と説明すると何とか理解できました。
今は耳の遠い父に大声で説明する事によって、母の頻尿の訴えを刺激しそうなので黙っています。
私は諦めモードで開き直って、ときどき大笑いをしております。
でもヘルパーさんが、母の気を逸らそうと童謡を歌ったり昔話をしたりしてやっと落ち着いたかな?というところで「お母さん、童謡を唄っていると、おしっこ忘れるんやね~」と大声で父。
皆の努力が遭えなく消えてゆきます。
本当に申し訳ない。
正直なヘルパーさんは、父の一言に「腰から力が抜けていきます」と言われます。
それでも皆さん、よく頑張ってくれています。

その上、私のことを「この中で、いつも笑っていて偉いですね」と褒めてくれます。
実は、私、内心では可なり危ないかも・・・と思っているのですが・・・
でも結構笑えるのですよ。
ドアの向こうは関西のお笑いモード、こちらは関東、別世界と思える時はですけれどね。

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October 04, 2006

臓器売買事件

「中国での臓器移植、日本人急増」「待たずに手術」「法制度は不備」「提供、死刑囚も多く」との字が大きく朝日新聞に踊っていた今年の2月“臓器移植”についてこのブログで書きました。
その内容と今回の事件について。

 かわいい盛りの我が子が、自分の大切な人が臓器移植で命が助かるとしたら、受けさせたいと思うのが人情だと思いつつも、臓器移植に対して、何かすっきりしないものを感じ続けていました。
 それが『新しい漢方』〈東洋の知と医療〉寺沢捷年著(考古堂刊)を読んで、もっと自然に在りのままに考えれば良いのだと思いました。
 本の中に生物学者、池田清彦教授(山梨大学)の臓器移植についての明確な考えが書かれています。
《人間の体は非所有物である。人間は誰だって自分で生まれてこようと思って生まれてきたわけではない。・・・自分の存在というのは「管理権」はあるけれども所有物ではない。自分の健康を維持して、元気で天寿を全うするというのは、ある意味では義務もあるし管理するという立場ですよね。この体は決して自分が買って得たものでもないし、人から何か分けてもらったものでもない。そうするとこれは「非所有物」ですね。したがって臓器を売ったり、買ったりするというのはそもそも間違いだし、死んでからもそれを人に提供したりするというのは、善意と言われるかもしれないけれど、本来やってはいけないことだと》
生物学者の立場からこのように考える方がいることを知って大きな発見でした。

 《生命も人間の生死も神の領域》と私は思っています。
現代の医学や科学を超えた向こう側にまだ解明されていない命の神秘がいっぱい在るかもしれません。
なにしろ人の命は目に見えないのですから。
《体はこの世に生きている間、神様から借りているもの》とも思っています。
借りているものを貸主に無断で又貸しというか、無断贈与してもよいものかどうかも思い悩みます。
 移植希望者に対して提供者が少ない現状で、何が起こってくるかと言うと提供要件をどんどん緩和していきます。
アメリカ、カリフォルニア州では、交通事故、行き倒れなどで脳死状態(当然心臓が動いて息をしている)の時、二十四時間身元を捜して、身元不明だったら臓器を移植してもよいことになっています。
スペイン、ベルギーなどの国々は、本人が生前に何も意思表示をしていなければ提供に同意したとみなされます。

その上開発途上国では移植用臓器の摘出を目的とした子供の誘拐までおきています。
「子供の誘拐」日本人はまさかそこまではしないだろうと思っていたのですが《04年に法務省は刑法に「人身売買罪」を新設し、臓器を得る目的の人身取引にも同罪を適用できるようにする。》と加えました。
残念ながら日本でも関係のない話ではありません。
 臓器移植をそこまでしてするのには、人の命を救うという「純粋な行為」とは又別に、関係者の巧名心と移植をすると医療費とそれに付随して何億というお金が動く面があるからです。

 それぞれの立場からいろいろな考え方があるでしょう。
しかし臓器移植、生殖医療、ヒトクローン胚作り等の医療技術を進めていくには、日本を含めた世界の国々の社会がまだ精神的に充分成熟していないような気がします。
成熟していないと言うより人間が本来持っていた自然に、生きとし生けるものの命に対する、畏敬の念、畏怖の念を文明の驚異的な進歩の前に置き去りにしてしまったといった方が適当かもしれません。
 そもそも生とは何か?死とは何か?生きるとは何か?
人の命に直接関わる仕事をしている人達ですら、自分なりの考えを持っている人は少ないのではないでしょうか。
 例え学術的に先へ先へと進むことが可能であったとしても、もう一度原点に戻って踏みとどまる限界を見極めるべき時なのではないかと思います。
全ての物事には超えてはいけない一線があるはずです。
健康な人の体にメスを入れ、臓器を取り出すことは大変危険な事です、人の命を救う為であれ超えてはいけないことではないかと、私は考えています。
ましてやそれを売買する、またはその為に子供を誘拐する等は言語道断です。
脳死も本当に人間の終わりと決めてよいのかどうか、わかりません。
今回の事件で専門家は皆、臓器移植を進める上での制度や仕組みを改めるべきだと言っていました。
でも私は臓器移植そのものをもう一度考えるべきではないかと思っています。
根本から考え直さなければ、今回のような事件は後を絶たないのではないでしょうか。

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October 02, 2006

かけがえのないもの- 高嶋ちさ子

とんねるずの番組にゲスト出演していた高嶋ちさ子さんの話を聞きながら、主人が大笑いをしていました。
てっきりお笑い系の人かと思っていたら、な、なんとバイオリニスだそうです。
未だ一度もバイオリンを奏でている姿にはお目にかかったことがないのですが、時折テレビのトーク番組で、新聞のエッセイでお人柄に触れることがあります。
早口に喋りまくる声はハスキな低音で底抜けに明るい、話がともかく面白くて笑える、そしてお若いのに妙な迫力があり、この存在感は何処から・・・と興味がありました。

朝日新聞の「な・ま・ね・た」という記事(9月28日)に成る程と納得のいくことが載っていました。
テーマは「かけがえのないもの」―姉がいるから私がいる
高嶋さんには、20歳まで生きられないといわれたダウン症のお姉さんがいます。
お母様はそのお姉さんを守ってくれる子供を生まなくてはと、彼女のお兄さんと彼女を産む決心をしたそうです。
高嶋さん曰く《つまり、兄も私も“使命”をもって生まれてきた子供だったのです》
子供の使命を決めてしまう母親と、それの使命を素直に受け入れた子供。
お母様が偉いのか、高島さんが凄いのか、両方とも天性の素晴らしい物を持っておられるのでしょうね。

以前ブログに書きましたが、人は皆、天の国から“使命”を携えて地上に生まれてきた“天使”なのです。
でもその使命が何なのかわからなくて、何故生まれてきたのか、何故生きているか、その意味が見つけられなくて、何と多くの若者が閉じこもったり自分の使命探しをしている事でしょうか。
ただ生まれてきた時、自分の使命が何である分かっている事が幸せなのかどうかは、私にもよく分かりませんけれど・・・
《「(姉の出来ない分の遊びも学びも)2人分生きなさい」と母に毎日のように言われてきたのを、プレッシャーに感じるどころか、たぶん私には2人分できる能力があるんだろうと、完全に勘違いしていました》
子供が潰れないようにプレッシャーをかけ、そしてそのプレッシャーをよい勘違いに変えてしまう親子、迫力育ちますよね。

でも高嶋さんにとって一番大変だったことは、世間の無理解だったそうです。
宗教家で医学博士の方が書いた、ダウン症に関する記事を読んだことがあります。
ダウン症を持った新生児はどこの国でも約1,000人に1人の割合で生まれるそうです。
それは確率の問題ですから、もしかしたら私だったかも、あなただったかも、自分の家族の誰かだったかもしれない。
そのように考えた時、お互いに助け合って生きていこう、支えあっていこうという気持ちが自然に心から生まれてくるはずではないかと。

今40歳を過ぎたお姉さんは元気に生き生きと働いていて《支えるはずの高嶋さんが可なり支えられているのです》と最後を結んでおられます。

一度彼女のバイオリンの音色、聴いてみたいと思っています。


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September 29, 2006

六感(直感)は五感を駆使して始めて生まれる

見る、聞く、嗅ぐ、触れる、味わうが敏感でなければ六感は生まれません。
まさに五感(視覚、聴覚、臭覚、触覚、味覚)を駆使して始めて6感(直感)、勘が働くようになるのですね。
勘は、神がかる感ともいいます。
今の人は、昔の人々に比べて衰えているそうです。

何にでも便利なものが発達し、又情報が満ち溢れている昨今、物事を総合的に判断するのに六感を働かせる機会が減っているからでしょうか。
文明が発達して文明の利器に頼っていると、人間の本来備えている動物的感覚はどんどん退化してゆくのでしょうね。

天気予報で、絶え間なく「お出かけには傘の準備を、羽織る物を一枚」と教えてくれるのは誠にありがたき事です。
この慌ただしい時代、利用しないてはないのですが、空の色、雲の動き、風の流れから明日の天気を読む“勘”は消滅してしまいますね。

白夜の如く至る所が一日中明るいと、暗闇で目を凝らすなんてことはなくなります。
パソコンに30cm、TVに1mでは視界は狭くなり視力は落ちる一方です。

現代は、五感を刺激して得ようとしているものは「六感」より「若さ」「健康や病気の治療」のようです。
年をとると段々臭覚は衰えます。
それを、よき香りをかぎ続ける事で臭覚を鍛え、肌にハリと潤いを取り戻し、老化を止める研究。
美しい音楽を聴くことによって免疫力を高める研究も進められています。
また高齢者が童謡を聞いたり、歌ったりすると免疫細胞が活性化、認知症の治療に応用されています。
感覚を研ぎ澄ますことによって、外見と内面の両方からの若返りが研究されてしているそうです。

今の時代に必要な事です。
でも、その先に政治、経済の動向を見抜く洞察力(六感)を持った人が育つ可能性が見えてこないような・・・
それも時代の流れなのでしょうか。

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September 27, 2006

切り札が・・・

前回何を書いたかも忘れてしまった程のご無沙汰です。
母と同室の父と私の介護の休養を兼ねて、ず~っと勧められながらなかなか踏み切れなかったショートステイに母を1週間預けました。
その間に2泊3日で東北の方に仲間と温泉旅行に行ってきました。
湯沢温泉はお湯が柔らかくてお肌がすべすべに。
魚沼産コシヒカリの産地でもあり、炊き上がった新米は本当に真っ白、白米の白さが違いました。
綺麗な水のせいも大きいのかな?
両親の介護を始めて以来、夫婦で出かけた久し振りの旅でした。

ショートステイを利用した感想は、介護のリフレッシュが出来たというよりも、くたびれました。
一般的にはショートステイは、受け入れ先の施設が自宅まで送り迎えをしてくれます。
玄関先で「よろしくお願いします」と御挨拶した後、家族は介護休暇に入れるのです。
ところが母の場合は、お願いする先が病院なので、前もって入院の手続き、先生との面談、送り迎えの寝台車の手配等々、前後にいろいろしなければならない事が目白押し。
5日間の休養の為には手間が掛かり過ぎです。
今回上手くいけば月に1週間位定期的に、との予定だったのですが、毎月こんな事はしておられませんわ。
でも母を預けるには医師のいるところでないと難しい、とケアマネージャーさんも内科の先生も言われますし。
この辺が心療内科の先生が「ご家庭で介護する限界はとっくの昔に来ています」言われる由縁なのでしょうね。

10月から母は要介護5、一番重い等級になります。
母のショートステイ中はゆっくり休む必要があるのでしょうが、それでは主人のストレスが溜まるでしょうし・・・
切り札としてショートステイを頼りにしていたところがあったので、当てが外れて少々がっかりしています。
何か新たな手を考えなければ、可なり疲れが溜まっています。
いろいろ試しながら、我家に一番合った介護の方法が見つかっていくのでしょうけれど・・・

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September 19, 2006

「どれだけ若者を笑わせたか、どれだけ若者を引き立てたか、どれだけ良き物を伝承したか」

江戸時代の老人の評価は、この3つで決まったそうです。
朝日新聞の暮らしうるおう「江戸のしぐさ」という記事を人ごとのように思いながら読んでいました。
あれ、ちょっと待てよ、江戸時代の老人って幾つ位だったのでしょう。
ひ、ひょっとしたら、今の私位の年かも・・・

どれだけ若者を笑わせたかというのは、なかなかユニークな老人の評価基準ですね。
お江戸の人は「笑いの秘めたる力」を知っていたのでしょうか。
でも今時の若者を笑わせるなんて、ちょっと自信がありません。

なんとなく昔は“目上を立てる社会”のように思っていたのですが、違ったようです。
老人が若者を上手に引き立てて、1人前の大人に育て上げていたのでしょうね。
お年寄りだからこそ出来る業です。

一番の難問は「どれだけ良きものを伝承したか」のような気がします。
私達は、便利、簡単、お安い、そして皆一緒の考え方に流されて、古き良き物をどんどん消滅させている時代に生きていますから。
反省しなければ。
一度なくなったものを復活させるのは至難の業ですから。

今の老人の評価は何で決まるのでしょう。
江戸時代の老人の評価でいくと、私達は落第点確実です。

今年の100歳以上の長寿者は最多更新で2万8390人。
1世紀を生き抜いてきた方達が、大勢いらっしゃるのですね。
老人の貴重な体験、経験から得た知恵を生かしながら、若者を引き立てて共に社会を築いていけたら、もうちょっとましな世の中になるのではないかな?
そんな事を、昨日の“老人の日”に考えていました。

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September 11, 2006

“前世”のような不思議な事にばかり関心がいって・・・

身近なところへの関心がとても薄れているような気がします。
先日(9月8日)天命庵で伺ったお話です。

『今の人は、わしが天の鏡で眺めていると、凄く不思議なことが好きな人が増えています。
自分の前世は何んだろうか?とか、そういう不思議な事ばっかりに関心があって、身近なところへの関心がとても薄れているような気がします。
身近なところにもっともっと目をやって下さい。
例えば夫婦がお互いに感謝し合う。
身近な事に感謝できるようになる、それが大きな心に行き着く事です。
何気ない小さい事に感謝できた時に、人は大きな心を得ることができます。
今一番関心を持たなければいけない事に、思いがいっていない。

一番身近なものは命ではないですか?
命というものに対して感謝が足りなくなっています。
だからさまざまな事件が起きるのです。
人を殺めてみたり、自分が亡くなってみたり、命に対する尊さが、凄く忘れられています。
皆さんの中に命があるから、今日ここに来る事ができたわけでしょう。
命の大切さという事を、今の人は本当に忘れていますね。
これから一番尊ばなくてはならないのは、自分の命にもっと合掌すること、拝む事、感謝をすること。
そういう事がとても必要ですね』

今よく話題になる、前世や(守護霊)についてこんなお話がありました。
もしもこの世を生きていく上で、自分の前世が誰であったか、守護霊が誰であるかを知っている必要であるのならば、当然私達は教えられて生まれてくるはずだと、常々私は思っています。
私達が何も教えられずに、まっさらな状態で白紙でこの世に生まれて来たということは、前世とか守護霊とかを知る必要がないからではないでしょうか?
私達がこの世で生きていく上で、かえって邪魔になるのではないかとすら感じていました。
何故なら、自分の頭で考え、自分の体で行動し、自分の足で歩んでこそ、初めて自分の人生を生きたと言えるのだと思うからです。
自分の前世がこの人だからこのような人生を、守護霊がこう言っているからこのように生きよう、では自分のオリジナルの人生では無くなってしまいます。
過去に気を取られていると、今現在の自分を大切に一生懸命生きる事が疎かになってしまいそうです。
自分で自分の人生を努力して積み上げてこそ、自分の命の有難さもわかる、お話を聞いていてそんな気がしました。

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September 03, 2006

“アポなし”は素顔が見える

ホテル風の洒落た建物が病院だと知って以来、母をお願いするのにいいな~と思っていました。
綺麗でお近くなら言う事ありませんもの。
定期的にショートステイでお世話になる先として、主治医とケアマネージャーさんからその病院の名前が挙がりました。

予約をしてから伺うことになっていましたが、ほんのお隣に用事があったのでパンフレットだけでもと立ち寄ってみました。
いちよう母の書類を整えておいたのですが、出掛けに掛かってきた電話でコロリと忘れて出発。
この話は駄目なのかな、との予感。
用事を終えて病院へ向う為地下の駐車場から出てきたら、いきなりドシャブリの雨。
主人に「こりゃあかんわ」と言うと、主人は「雨降って地固まるということもあるよ」と至って暢気なもの。

ホテル風のエントランスから入っていくと平日なのに病院は混んでいる風もなく、誰にも会わずにだだっ広い広間を抜けて受け付けへ。
受け付けにも誰もいず。
奥の方で中年のおばさんが1人事務をとっていたので声をかけると、そこから座ったままでの応対。
心の中で「こりゃあかんわ」
途中から主治医の紹介で立ち寄ったと分かると、大分態度が変わりました。
建物が立派だと、中で働いている自分も立派って思い違いするのかな?
そんな感じの受け答えでした。

待ってくれていた主人に「こりゃあかんわ」というと、主人は「トイレはホテル並みにきれいだった」といたく感心しております。
確かに建物としては素晴らしい。
建築主の名前を聞きたくなるような洒落た外観。
ホテルもどきのエントランス。
採光に工夫がなされているのが雨天なのに、中は明るく広々と清潔。
でも母をお願いしたいとは思いませんでした。
温もりを感じなかったから。
人が人を介護しているという温かい雰囲気が全く伝わってこない病院でした。

予約を取っていたら、彼女はどんな態度だったのでしょうか?
アポなしで偵察に行ってみて良かった。
素顔の病院を見ることが出来ました。

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August 31, 2006

童謡の中にも神の教えが・・・

『結んで開いて、手を打って結んで、また開いて手を打って、その手を上に~』
子供の頃よく唄った歌です。
今の子供達も唄っているのかな?
母と唄う童謡を探していて、ひょっとしたらと思って唄ってみたら、仰向けに寝たまま寝返りをうたない母が振りを付けて唄いました。
以来何気なく母のリハビリに気分転換にいいかなぁ~、と思って唄っていました。

そうしたら天命庵の親様のお話に「日本の子供の美しい童謡には愛が溢れています。この愛によって全てが助かるのです」とありました。
『結んで開いて』の結ぶは、命を結ぶという事。
何故かというと「祈り」とは結びなのです。
神に祈る。
神と自分を結ぶ。
神に、家族や身近な方の為に祈りを捧げるという事は、その方達を神様に結ぶ事。
結ぶ事によって、開くのです。
開くとは、助かる事。
開くという事は、そこから物事が良い方へ始まっていくのです。
全ての事は、結んで、開いて、そして始まります。
それから『その手を上に』と神様に万歳と両手を上げて祝福です。

母は軽い認知症です。
歌いだすと何度も何度も繰り返しています。
いい唄を気に入ってくれて良かった。

今はおにぎりという事の方が多いですが、おむすび(御結び)も命を結ぶのです。
童謡も、日本語も凄いですね。
昔話も凄いらしい。
何からでも神の教えを感じる事が出来るようになっていて、パズルを解くように楽しんでいます。

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August 30, 2006

悲惨な追突事故は、想像力の欠如

可愛い盛りの愛する幼子を3人までも一瞬のうちに亡くすなんて・・・
それも飲酒運転とはひど過ぎます。

今回の事件に衝撃を受けた人は多く、いろんな意見が出ています。
車のメーカーを訴えるべきだというものもありました。
30数年前、アメリカに住んでいた時、もうすでに訴訟大国でした。
道でもスーパーマーケットの中でも何処でも、何しろ転んだらそのまま動いてはいけないと、知人に忠告されました。
転んだのは、あなたの管理の仕方が悪かったからと訴える為にです。
今はもっと極端になっています。
訴訟大国のアメリカの社会が良い方に変わり住み易くなったかどうか、私は非常に疑問に感じています。
人は誰も完全ではありません。
不完全な部分を、皆で助け合い、補い合い、許しあう事が、より成熟した住み易い社会を創り上げていくには不可欠ではないでしょうか。

NPO法人「MADD(飲酒運転に反対する母親たちの会)JAPAN」によると、米国やカナダの大半の州では、飲酒運転を送り返す違反者は、酒気を検知すると車を動かなくする装置を取り付けなければならない。スウェーデンでは、12年からすべての新車にこの装置の搭載が義務づけられるという(朝日新聞から)

機械を上手に利用して飲酒運転を止める事は一考だと思います。
でも同時に、物事の善悪、良し悪しを機械に決めてもらう事にばかり頼らないで、自分で判断できる人間を育てる努力をしなければいけないと思います。

飲酒運転をしたら、車は凶器になり得ると考える想像力の欠如。
それは飲酒運転だけでなく、耐震強度が充分でなければ建物はどうなるか?家に火を放てば家人はどうなるか?全てに共通している事です。
根底には、訴訟や機械では解決しない、相手を思い遣る心、物事を考える力が育っていないことがあるように思えます。

今回の悲惨な事故で、一人でも多くの方が「飲酒運転は絶対にしない、させない」と考えた事を願いつつ、亡くなったお子さん達のご冥福をお祈りします。

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August 29, 2006

怒ると体の中に猛毒が発生

一人の人間が1時間腹を立てていると、80人を殺せる毒が体内に発生するそうです。
アメリカの心理学者、エルマー・ケイツ博士の有名な実験です。
ガラス管に息を吹き込んで、それを冷却すると液体空気になります。
息を吐き出した時の人間の感情の状態によって、色が違います

普通の人の場合、無色に近い液体です。
苦痛や悲しみにある人のは灰色。
後悔して苦しんでいる人のは薄紅色。
怒っている人の息を冷却すると、栗色の沈殿物が結晶状になって浮かびます。
これを実験用のラットなどに注入すると、そのラットは神経過敏になります。
さらに激怒している人の息を冷却して出来た沈殿物を、ラットに注入すると数分で死んでしまいます。
怒った時、人間は有害な物質を自分の体内に放出しているのです。
ネズミを殺してしまう程の毒なのですがら、自分の健康を当然害するでしょうね。
短気は本当に損気です。

でも怒って自分で猛毒を製造し自分が病気になるのは、致し方ないでしょうが、側にいる人達はどうなのでしょう。
烈火の如く怒っている人の側なんぞは、避けた方がよいかもしれません。
毒殺されてしまったら大変ですもの。
殺されないまでも毒気にはあたりそうです。

何時頃からか、街中で行き交う人の表情から穏やかさが消えたように感じます。
皆、イライラしてしていて、笑顔を交わすとか譲り合う場面が少なくなったような・・・
猛毒とまではいかないまでも、微量の毒を撒き散らしている人は多そうです。
争いはそんな雰囲気の中から生まれるのではないでしょうか?

いつも穏やかな無色でありたいですね。
出来れば笑顔で、周りに素敵な色を醸し出す。
博士に「笑っている時。楽しい時。喜んでいる時」の息の色も調べて頂きたかったと思います。
七色の虹みたいに美しい色かな~きっと。

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August 23, 2006

救急車2台呼ぶ事態が段々近づいて・・・

心療内科の先生が「その後どうなりました?」といつもの物静かな口調で尋ねました。
「母は先々週、帰って参りました」
「えっ!帰ってこられたのですか?出来るだけ粘って病院において頂けばよかったのに・・・惜しかったな・・・」と心底残念そう。
いつもの落ち着き払ったご様子はどこえやら、先生、素のままでしたよ。

気を取り直して、改めてという感じで「それでどうなりました?」と聞き直されましたので、「もうグチャグチャです」と答えたら、仰け反って天を仰いでおられました。
先生、すみません。
脅かすつもりはないのですが、根が正直なもので・・・
薬は限界まで使ってしまっています。
家族の接し方次第で幾らか違うと言われても、母と同室の父は92歳、何を言っても老々介護を止める事は出来ません。
じっくり話を聞いて下さり、親身になって相談に乗ってくださるとても良い先生ですが、諦めムードが漂っています。
私?とっくに腹を括っております。
「お父様とお母様が同じ部屋にいる事がそもそも間違いです」
分かっていますよ、先生。
ケアマネジャーさんにも「救急車2台呼ぶ事態が段々近づいて来ている」と言われていますから。

「仲がいいというのも問題ですな」と先生。
「特別仲が良かったとは思いませんが、今は運命共同体なのでしょうね」
60数年、一緒に暮らしてきた事実は、好きとか愛しているとかそんな時限を超えて、そこに共に居ることが一つの形なのだと感じています
父も母もまた意識がしっかりしていて、お互いのことを心配し合っているのに、その2人を引き離す事は私には出来ないですよ。
先生の薦めるとおり母を病院に入れれば、救急車を2台呼ぶという最悪の事態は免れるでしょう。
でも2人がバラバラになって最後の時を過ごすより、例え最悪の事態が起きたとしても、それまでの間2人で暮らした方が幸せな最後ではないかと思うのです。
最悪の事態は起こらない、それに賭けてみよう。
起こったら起こった時、何とかなるわ。
世の中に、一番良い方法なんて存在しないことが一杯ある。
92歳と89歳が望むことが、一番良い事ですよ、きっと。

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August 22, 2006

靖国問題から歴史教育を考える

自国の歴史を学ぶことは日本人として世界で生きていく上で、とっても大事なことですが、今まで皆で疎かにしてきたのではないでしょうか。
私は戦後生まれです。
学校の歴史の時間で現代史は習いませんでした。
先生は「大学受験に出ないから大丈夫、自分たちで読んでおきなさい」と・・・
現代史は私の中で空白です。

アメリカ、イギリス、オランダと14年間海外で暮らしました。
自国の現代史を知らなくても「丈夫です」どころの話ではありませんでした。

お祖父さんが日本人に殺された韓国の人。
真珠湾攻撃に出会ったアメリカの人。
日本人の捕虜だったオランダの人。
先の戦争の傷跡は未だ大勢の外国人の中に残っているのです。
勿論日本人の中にも・・・
それなのに私は殆ど何も知らなかったのです。
無知、無関心はとても恐ろしい事です。

でも今から学校で先の戦争を教えるとなったら、皆の見解が大きく異なってまとまらないでしょうね。
以前は時が経ち、当事者たちが亡くなって戦争が過去のことになった時、みんなが冷静に戦争を振り返る事ができるのではないかと漠然と思っていました。
戦後61年では、また過去になり切っていないのですね。
もっと時間が必要なのでしょう。
でも時が経てば経つほどいろんな意見が出てきて真実が見え難くなる、この頃そんな気もしてきています。

戦争責任、東京裁判、A級戦犯、靖国参拝等に対して、日本人皆が納得のいく答えを見出せたらそれが一番です。
でも全ての事に完全、完璧、100%皆が納得ということはありえないと思います。
いろんな見方、意見があって当然ですから。

ですから“先の戦争を教訓として一番学ばなければいけない事は何か”から考えてみてはどうでしょう?
それは絶対に平和を守ることではないでしょうか。
先の戦争で愛する人々を守るために命を落としてくれた人々、そして長崎、広島その他の地で犠牲になられた人々が望んでいる事は“平和な日本を創る事”だと私は信じています。
そして、今を生きている私達も、子供や孫が戦争の犠牲になることを望みはしないでしょう。
考えの基本を“平和を守る”そこに置いた時、日本がいかにあるべきかその姿が浮かび上がってくるのではないでしょうか。

今度大きな戦争が勃発したら、人類は滅亡してしまうかもしれません。
それ位の数の原爆を作ってしまったのですから。
世界で唯一の被爆国である日本は、平和を訴え続ける責任があると思います。
歴史の時間は、今の日本の平和の有難さをかみ締め、戦争のない世界を創るために、若い頭で考える時間にしてほしいと切に願っています。

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August 13, 2006

負けたが為に得られるものもあり、勝ったが為に失うものもある

日本は第2次世界大戦に負けました。
私は、8月15日は終戦記念日ではなく敗戦の日だと思っています。
原爆を落とされて50年間はペン草も生えないだろうと言われた広島、長崎。
それでも日本は奇跡的な復興をなし遂げました。
当時の人々が一丸となって、額に汗して働いてくれたお蔭です。
そして長い険しい努力の末に、世界の経済大国になりました。
エコノミック・アニマル等と言われながらも、いちよう経済の世界では成功したのです。

でも勝つと見えなくなるものがあるのです。
勝って有頂天になり、高慢になってしまうと、周りが見えなくなる。
奢りは心の目を曇らせますから。
勝った時から、私達は努力する事を忘れてしまったようです。
子供たちに努力する事を、心を込めて働く事の素晴らしさを伝えるのを怠ってしまいました。
一生懸命働く人が少なくなりました。

人間努力する事を忘れたら落ちてゆくだけです。
長いトンネルのような不況の時を迎えました。
経済的に落ちて貧しくなるだけならまだ救いようがあるのですが、人々の心が荒んでしまいました。
親が子を殺め、子が親を殺める。
ちょっとした些細な事で、人を平気で傷つける。
そして今儲かれば、自分さえ良い思いができればいい、自分の欲望を満たす為なら、何をしてもよい、そう考えている人達で溢れかえっています。

日本は戦争に負けました。
大きな大きな犠牲を払いました。
でも亡くなった方たちの事を思い、その方達の分も頑張って、見事に立ち直ったのです。

日本は経済大国になりました。
多分成功したと言えるのでしょう。
物質的には豊か過ぎる程、豊かになりました。
でも引き換えに、人間としての心の豊かさを失ってしまったような、気がします

それから長い不況を脱出し、今何処へ向かっているのでしょう。
歴史は繰り返す。
あの敗戦で学んだ事を、私達その後の生き様の中にしっかりと生かせているのでしょうか?
平和を願い続ける思いが、弱くなっているのではないかと気懸かりです。

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August 01, 2006

プロは凄い!

母は一部研ぎ澄まされたように冴え渡っていた神経を穏やかに落ち着かせて、無事我家に戻ってきました。

父の手術を機に、病院にあずかって頂いたのですが、とても家庭では世話しきれないほどの頻尿で内心どうなる事かと思っていました。
勿論、担当のお医者様に状況を詳しく話しました。
面白い先生で「3週間、お父さんの手術が無事終わるまで何とか持ち堪えますよ」と笑わって言われたので、症状が改善することは余り期待していませんでした。
預かって頂けるだけで有難い事ですから。

最初の一週間、ベッドの横にトイレの回数の記録が克明につけられていました。
1日19回というのがあって、どうしょうかと思いましたよ。
いつも小走りに動きまわっている看護婦さんたち、あの忙しい中で19回、母のトイレに付き合ってくださったのかと思うと申し訳なくて本当に頭が下がりました。
そんな中で、秘尿器科の先生、担当医、看護士さん達が、解決策を編み出してくれました。
下腹を押して排尿を助けると自力での2倍出て残尿感が減るので、間隔をなんとか2時間位に伸ばせるとの事。
さすが、プロですね。

でも看護婦さんたちは何気なく母の下腹を押していましたが、これが結構やってみると力の入れ方、タイミングが難しいのです。
やはりプロは違う。
なにしろ体重20数キロ、壊れ物のような母に、ヘルパーさんたちは恐る恐る。
それでは2倍は出ません。
みんなを叱咤激励して一生懸命覚えてもらっています。

お陰で、父と母か又一緒に暮らすことができるようになりました。
病院の皆さんのお蔭です。感謝!

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July 24, 2006

道徳と宗教-うなぎを食べながら思った事

昨日は土用の丑の日でした。 
『金子みすず全集』(JULA出版局)の「お魚」について、以前「朝日新聞」に載っていた記事を思い出しました。
 
海の魚はかはいさう。
 お米は人につくられる、
 牛は牧場で飼はれてる、
 鯉もお池で麩を貰ふ。
 けれども海のお魚は
 なんにもお世話にならないし
 いたずら一つしないのに
 かうして私に食べられる。
 ほんとに魚はかはいそう。
 
公立校の道徳の授業でよく取り上げられる詩だそうです。
そして教師向け参考書にはこんな目標が載っているとか・・・
「自分の命を支えてくれる動植物に感謝しよう」 
「自分のことだけでなく、他の立場も考えよう」 
「小さな命を大切にする心を育てよう」
一方、ある仏教系の高等学校では《道徳的には、人間は他の動植物の生命をいただいて生きているから感謝。宗教としては、他の生命を奪うことなしには生きられたい私に気づくこと。悲嘆、悲しみ》
人間の悲しみに気付くことから教えるという。
キリスト教の学校なら《動植物を食物として与えてくれた神に対して感謝》だろう。
神道なら《生き物の霊に頭を下げるの》だろう、と書いてありました。
 
世の中にはいろんな考え方があってもちろん当然です。
でもここまでが道徳だ、ここからは宗教だと区別する前に、まず自分の頭で自由にちょっと考えてみてはどうでしょうか。
 
もしあなたが“うなぎ”だったとしたら、かば焼きにされて(白焼きでもいいのですが)人間に食べられた時、「あー美味しかった。ご馳走様。お陰でこの猛暑もなんとか乗り切れそうだわ。有難う。」と心から感謝されて喜ばれるのと、「ご馳走様、おいしかった。でも人間、他の生き物を殺生しなければ生きていけない悲しい生き物なのね。」と思われるのと、どちらが嬉しいでしょうか?
私が“うなぎ”だつたら、どうせ食べられるのなら、喜んで感謝されて有難がられた方が嬉しいと思います。
ほんとうに喜んで食べてもらえたら、食べた方の身について血となり肉となり、その方の中で生き生きと活かされるような気がするので・・・
“うなぎさん”も浮かばれると思うのです。
 
この考え方が道徳的なのか、宗教的なのか、よくわかりません。
皆がそれぞれに自由に考え、自然に感じられるままで、良いのではないでしょうか?
どこまでが道徳でどこまでが宗教と、心に線を引く必要はないように思います。

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July 16, 2006

入院中のスリル満点の母、早速やつてくれました。

入院の翌朝9時に病院から電話。
夜中にベッドにつけてある柵の留め金を外して柵を取り、床にすべり落ちていたとの事。
すぐどこにも怪我がないか検査をした結果、異常がないとの報告で「気を付けていたのですが・・・」と申し訳なさそうに言われました。

入院時に担当医と1時間余り面談をして、いろいろしっかり情報を耳に入れておきました。
「未来の事をあれこれいっていてもどうにもならないので、今日の話し合いはここまでにしましょうか」と言って分厚い母のファイルを閉じた、若いお兄さん先生ビックリしているだろうな~~。
母が脅かしてすみません!
でも自力では立てない、寝返りも打てない、夜は睡眠薬をどっさり飲んでいる20数キロの母が、柵を自分で外してベッドから降りるとは誰も想像できないですよね。

我家で最初に発見した時は、皆唖然として一瞬“ポカ~~ン”状態。
誰かが柵を付け忘れたのかと半信半疑。
2度3度と繰り返されるまでは信じられませんでした。
それもどんどん学習していって、初めは柵をとるとガタンと下に落として大きな音を立てていました。
でもそうすると人が飛んでくるとわかったようで、丁寧に横に重ねて置いてあります。
ベッドの上から、どうやってそれらの事をするのか?謎のままです。
人間は思いつめたら、予測不可能な力を発揮することができるのでしょうか。
常識的には起こり得ないことが、起こっています。

昨日は、父の手術が無事終わった事を数分おきに5~6度確かめてから、「早く家に帰りたい」と不満グチュグチュで泣かれてしまいました。
でもね、前日姉が大阪から両親のお見舞いに来て、母に会った時とても穏やかだったとの連絡が入っていたので、おかしいな~と思い。
「お姉さんには何も言わなかったのに、どうしたの?」と聞いたら、
「あの人に言っても何もできへん。あの人ではあかん!」泣いていたはずなのにケロッと言うのですよ。
相手をみてちゃんと使い分けているのですね。
賢い。
我が母親ながらあっぱれです。
もう少しの間だから、大人しくしていてね。

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July 07, 2006

“とろい”のも有難い

「追い返されないように、お父様の手術日ぎりぎりにお母様を入院させた方がよいかも・・・」と、いつも往診に見えている女医さんに言われてビックリ!
「え~、本当ですか?」
「ないとは思いますけどね・・・」
そう言われてみれば、母の《地球は自分を中心に回っている的な、さまざまな訴え》病院は手を焼かれるだろうな…
でも自称“天然ボケ”の女医先生、いつもふんわり優しく母に接して下さっていますが、母の態度は入院先では通用しないかも、と思っていらしたのですね。
うっかり気が付かずに失礼をしていたようです。

心療内科の先生にも母の入院を報告したら、本当にほっとした様子で「それはよかったですね。ご家庭で介護される限界はとっくの昔に過ぎていたので・・・」と。
《そんな事言われていたかな~》と思いながら考えてみたら、数ヶ月前「これ以上薬は増やせないのですよ」と言われた時「じゃあ、どうすればいいのですか?」と聞くべきだったのでしょうね。

私、自慢じゃないのですが、そうとう“とろい”と言うか“天然ボケ”と言うか。
今まで自覚がなかったわけではないのですが、今回両親の介護をしていてつくづく感じます。
でも“とろい”ままでいられるのも有難い事だと思っていますけれど。
本当に良い方たちに恵まれ、女医先生、看護士さん、ケアマネージャーさん、ヘルパーさん、最強の軍団に守られているお陰です。
そして一番大きいのは、自分がするべきことをしていれば、後は神様が“いいあんばい”にして下さると信ているからです。

さてさてどうなります事やら、母の入院、結構スリル満点です。

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June 27, 2006

先生と生徒

ニュースで幼児から青少年まで事件や事故があると必ずと言っていいほど、学校の先生が報道陣に囲まれています。
学校で起こった事件、事故なら当然ですが、まるで学校に関係のない事の時まで。
一人で何十人もの子供を受け持って、細かい事まで聞かれても無理ではないかなと思いながら見ています。

何時頃からか、卒業式で「仰げば尊し」を歌わなくなったようです。
そういえば15年前の息子の卒業式の時、聞かなかったような気がします。
「仰げば尊しわが師の恩」の心、変わってしまったようで・・・

先生から学問を始めいろいろな事を教えてもらいます。
生徒がいなければ先生という役割は生まれてきません。
「親と子の関係」で書いたように、確かにお互い様の部分はあるのですが、教えてもらい、育ててもらい、お世話になった方々を敬う心は人として大切な事だと思います。

先生という漢字は“先に生まれる”と書きます。
自分より先に生まれた人は、みな先生なのですね。
「一日の長」(いちじつのちょう)という言葉があります。
他の人より少し年をとっていること。転じて、経験や知識が他より一歩優れていることをいいます。
でも難しい時代になりました。
パソコン、携帯電話等々、若者は軽々と使いこなしてゆきます。
「一日の長」はおたおたと後から付いてゆくのみ。
余ほど精神的な面で先んじていないと、「一日の長」なんて悠長な事言っていられない時代になってしまいました。
年上、それだけで威張っていられた時代がありましたが、それもちょっとおかしいのではと思います。
歳を重ねただけの知恵、敬ってもらえるような内面的な美しさ、常日頃から磨いているべきですね。
それで始めて若者も、心から敬意を持って接する事が出来るのだと思います。

今時の先生は・・・との声も巷で聞きます。
皆が相手に完全を求めている時代です。
何かちょっとあると、文句を付けて潰してしまう。
これでは人は育たないのではないでしょうか。
優れた先生を育てていかなければ、損をするのは子供たちであり、日本の将来に関わってくる問題なのですが・・・
学校とは、先生、生徒、父兄が共に成長し合っていく場、だといいですね。

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June 26, 2006

親と子の関係―奈良の放火殺人に思う

子がいなけれは、親という役割は生まれてきません。
親がいなければ子は存在しません。
自分の子に生まれてきてくれて有難う。
この世に生んでくれて有難う。
親子はそんな関係のはずです。

親だから、育ててやっているのだから、子供を好きなようにしていいなどという事は絶対にありえないと思います。
学校の成績と人格の良し悪しは関係ありません。
子供の将来は親が決めるものではありません。
親の都合で、離婚や再婚と子供の家庭環境が複雑になった時、子供に対して万全の心配りをするのが親として当然の義務ではないでしょうか。

子育てとは「自分の中の子供を育てる事」と聞いたことがあります。
歳を重ねて大人になっても、必ず心のどこかに育ちきれていない部分を持っているはずです。
子育てをしながら、自分の中の子供も一緒に成長してゆくのです。

このことを、大徳寺昭輝さんが「いのちの光」-春秋社出版-の中にこのように書かれています。引用させていただきます。
「子供を育てながら、あなたの中の子供を育てなさい。
かつて、何が悲しいと言って泣いた、何がいやだと言ってすねた、子供のあなた、まだあなたの中に生きています。今でも時折、顔を出して、泣いたりすねたりしています。
自分の子供が泣いたりすねたりしているとき、それを見ながら、自分の中の子供を思い出しなさい。そうすれば子供が泣いたりすねたりするこころがわかります。
そして子供を慰め、力づけているとき、自分の中の子供も一緒に、慰め、力づけなさい。あなたの親はそういう気持ちではなかったのだ、親はしっかりとあなたを愛していたのだと、あなたはわかるでしょう」

親は子を育て、子は親を育てる。
世の中、全てお互い様なのですね。
親が偉いとか上だとか言う前に、まずお互いの存在に感謝し相手を思い遣るところから、全ての良き関係は始まると思います。
この相手を思い遣る心、今の社会に欠けていますね。
いろんな事件の根底にはそんな事が影響している気がします。

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June 24, 2006

世の中がおかしいのは何故?

自然に対して感謝をすること
命に対して感謝をすること
食べ物や水の恵みに感謝すること
お陰の力に感謝すること

人を敬うこと
家族を思いやること。
親を敬うこと
お年寄りを大切にすること
子供を大切にすること

自分を育ててくれる先生を大事にすること
お世話になった方々を大切にすること
人生の先輩を敬うこと

昔から日本人が大切にしてきたこれらの心を、信仰心といいます。
戦後日本はこの大切な信仰心を忘れてしまいました。
疎かにしてきた結果が、今数々の信じられないような事件が起きている原因です。

信仰心というと、神仏に手を合わせことと考えている方が殆どだと思います。
宗教団体に入る事と信仰心を持つことが同じになってしまっています。

親を大事にして親孝行をする。
お世話になった先生や知人の顔を潰すような事は絶対にしない。
いろんなことがあっても、人を立て人に対する思いやりを持ち続ける。
この心は、宗教心ではなく信仰心なのです。
神仏を信じている、いないに関わらず、人としての基本なのです。

今の日本には自分の事しか考えていない人が溢れています。
人の事はソッチノケ、自分さえ良ければの世界が、数限りない事件を生み出しているのです。

先週の日曜日、天命庵で親様の信仰心についての話を聞きながら、今の世に致命的に欠けているのは宗教心ではなく信仰心なのだとしみじみ感じました。

やはり人の心が変わらなくては、この混沌とした世界は変えられないのです。
戦後61年かけて失った心を取り戻すには、どれだけの年月が掛かるのでしょうか?
気が遠くなりそうですが、頑張らなくては。
このままでは、まともに暮らしていく事が難しい世の中になってしまいますもの。

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June 17, 2006

誰の為の心療内科?

「どうしました? 疲れた顔をして・・・、平和は来ませんでしたか・・・」と医師。
「先生、来るわけ無いじゃありませんか?ますます混迷を深めておりますわ!」
「困りましたな~~」
と挨拶が終わるや否や、先生と私の会話はいつもこんな調子で始まります。

もう6~7年、初めは母を連れて、だんだんいつの間にか2週間毎に私が代診、そして時々往診に来てくださいます。

子供の頃から体の弱かった私は、お医者様とは親戚付き合い。
やっと自分が卒業したら、今度は母をあちこち診てもらいに連れて歩いて、今は母の代診専門。
メチャクチャ、医者ズレしております。
そのせいか、長い付き合いで気心が知れているせいか、母の病と闘う同志だからか、歳のせいか、言いたいことを言って“暗めで物静かなムード”の先生が声を上げて笑うのを見て、ニヤッなんてしています。
これって結構私の精神衛生上、良いみたい。
完全予約制なので、余り大勢の患者さんと会うことは無いのですが、診察室から笑い声や奇声が漏れているのは私だけのようです。

診察の内容は深刻なのですけれど。
高齢、体重20数キロ、複雑骨折のような精神状態。
阿吽の呼吸で、深刻な話を世間話のように淡々と進めています。
正直な先生で、母の状態を包み隠さずと言うか、嘘が付けないタイプなんでしょうね。

「あなたには酷ですけど、これ以上薬は増やせないので、お母さんの状態を見つつ飲む時間で調整していってください」
「先生、高齢者にはよくあるケース?」
「いえ、ほとんどありません」
「え~ぇ~、ほんとですか~~?」
これもお決まりの会話になりつつあります。

私は全部母の症状を話しているのですが・・・
どうも話していると「それは誰の事?あなた?お父さん?おかあさん?」と確かめられるのですよ。
と言う事は、只今皆ぎりぎりの状態で誰がおかしくなっても、不思議じゃないって事かな?
まぁ、いいかっ!
診療内科の先生に会って「あなたも、お薬飲んだほうがいいですよ」と言われないのですから、未だ大丈夫ということで・・・
心療内科、母の代診というよりも、自分がまだ大丈夫という事を確かめに行っているのかも。

良い先生方に、ヘルパーさんに出会えたお陰で何とが介護無事こなせていて感謝です。

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June 16, 2006

童謡と思いやり

認知症の母は子供の頃歌っていた童謡の歌詞をよ~く覚えています。
明治生まれの主人の母もそうでした。
今のようにテレビ、漫画、ゲームといろいろ娯楽の無かった時代、皆で歌う童謡が楽しみの一つだったのでしょうか。

童謡は子供が歌うのですから、可愛らしい楽しい歌が多いと勝手に思っていたのですが、母がか細い声で歌う童謡は何故か寂しい歌ばか。
「金襴緞子の帯締めながら、花嫁御陵は何故泣くのでしょ・・・」
「赤い靴履いてた女の子、異人さんに連れられていっちゃった・・・」

来てくださるヘルパーさん達、年代はまちまちなのですが、皆童謡をよく知っています。
本を持ってきたりして、一緒に歌ってくれています。
その中の30代半ばの若いヘルパーさんに「童謡って悲しい歌が多いのかな?夜聞くとわびしくて」と雑談のついでに話しました。

そしたら、帰り際に「カナリアの歌、を覚えてもらいました。あれなら寂しくないと思います」と私に耳打ちして帰っていきました。
本当にその夜は「カナリアの歌」を繰り返し歌っていました。
やっぱり、侘びしかったけれど、彼女の心遣いは心に沁みました。

それからは、明るそうな歌を探して母と歌っていますが、余りありませんね。
心に染み透るような情景が心に描き出されるような、味わい深い歌は沢山あるのですが・・・
昔の日本人は根暗だったのかな?
子供まで・・・何て考えています。

もし私が彼女の立場だったら、あんな心遣いができるだろうか、と改めて人の身になって思い遣る事の大切さを、かみ締めながら、母と童謡を歌っています。

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June 12, 2006

お布施もいろいろ∸和顔施、心施、法施、財施、

お布施とは、自分が心からプレゼントすることだそうです。
必ずしもお金ではないと瀬戸内寂聴さんは言います。
例えば*:
財施-お酒、お菓子、家で取れたお米や野菜等、物を施す事。
心施-やさしい心を施すこと
優しい言葉を掛けてあげれば、それが立派なお布施だそうです。
顔施-顔を施すってなんでしょう?
にっこりした笑顔を見せる。
特に悲しそうな顔している人には優しい顔をしてあげる。
和やかな顔を施すことを和顔施ともいいます
法施-皆さんがお寺にお布施を差し上げると、お坊さんはそれに対して仏法の法-仏様の教えを皆さんに施してくださる。
本当にいろいろあるのですね。
法施は別ですけれど、他の3つは誰にでも出来そうです。
特に和顔施、素敵な言葉ですね。
この頃両親の介護で忙しく、穏やかな笑顔忘れていることがあります。
そんな自戒を込めてこの文章を書いています。
お金も物も要らないただ、“にっこり”するだけで、人の心を明るく、気持ちよく、楽しく、
軽やかにすることができる、和顔施。
和顔施に心施も込めると最強のお布施になりそうですね。
簡単な事程続けるのは難しい。
でも是非、日々努力したい事です。

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June 04, 2006

「切に生きる」

瀬戸内寂静さんがよく使われます。
“切に生きる”これは道元禅師(鎌倉時代の禅僧で、日本曹洞宗の開祖)の言葉だそうです。
ただ、今を一生懸命に生きる。
私達には一寸先のことは分かりません。
仏教ではそれを“無常”といいます。
無常-常ならず。
世の中、次の瞬間何が起こるか分からない。
ですから、
お釈迦様は「明日のことは思いわずらうな」そして「過去のことをくよくよするな」
キリストさんは「明日のことは思い煩うな」
天命庵の親様は「過去を必要以上に悔やまず、未来を先案じしない」
皆、同じような意味の事を説かれています。

今さらどう悩んでも、もがいてもどうにもならない過去の問題をいつまでも心から離さないで抱え込んでいると、今を楽しむことができません。
まだ経験したことのない未来への不安、先案じを心に抱いていると、今という時を疎かにしてしまいます。
未来を心配しても起こる事は起こる。

だから、過去のことをくよくよしない、明日のことも思い煩わない、今日今を精一杯楽しんで切に生きなさい。
そこに本当の生きている喜びがわいてくのですと・・・
「切に生きる」これが生きていく極意だそうです。


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June 03, 2006

疲れる=憑かる?

社会人になると、上司から「ご苦労様と」ねぎらわれたら、部下は「お疲れさまです」と答えるように習うそうです。
それがマニュアル用語化されて、何でもかんでも挨拶は「お疲れさま」で済ませてしまう傾向にあるようで・・・
朝ならば「おはようございます」が適当なのに「お疲れさまでございます」
電話でもいきなり「お疲れさまです」から会話がはじまるとか。
朝から皆がお疲れ、お疲れの会社って、いい仕事ができるのかなと思ったりします。
一仕事終えた後とか一日の終わりの「お疲れさま」はお互いを労わり合う感じでわかるのですが。

 疲れたと言うと“疲れた”という言葉を心が聞いて、どっと疲れた気分になってしまいます。
ですからお相撲さんの世界では稽古の後「疲れた」という言葉を使わないで、その代わりに「力が入りました」と言うそうです。
それ位、昔の人は言葉の持つ力を考えていたのですね。
言葉、言霊を大切にしていたのです。

そしてもう一つ『今の人はすぐに「つかれた、つかれた」といいますけれど、一体何に“憑かれた”のでしょうね』と天命庵の親様が言われた事があります。
フム、日本語は凄いですね。
“疲れた”と“憑かれた”
どっと“疲れたさん”に取り付かれないように、気を付けたい言葉です。

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May 20, 2006

大きな大きな虹が夕方のにわか雨の後、青空に掛かりました。
夏になると毎日庭の木々に水を撒きます。
強い日差しを背に受けてホースの先に、まるで魔法使いのおばあさんように幾つもの虹を描いて楽しみます。

でもやっぱり空に出た自然の虹はいい。
雄大で思わず見とれてしまいました。
何故か“希望”という言葉が心に浮かびました。
お空からの贈り物、そんな言葉がぴったりの美しい虹でした。

私の好きな歌に、尊敬する大徳寺昭輝さんの“虹”があります。
とっても素敵な歌なので、著作権を失礼して、書かせてもらいます。

  虹(湯川れい子作詞)
 小さな私を抱きしめて そっと教えてくれたひよ
 お空もあなたと同じに、今は涙をこぼすけど
 いい子でいつか泣きやめば 大きな虹がかかるでしょう
 そうよ 坊や 虹は 神様の約束
 だから悲しい時は 泣きなさい 天を見上げて 泣きなさい

 いつでも笑顔を見せながら 僕を支えてくれたひと
 空から光が射すように 笑顔も天からおりてくる
 辛いと下を向くけれど 天使は空で見ているから
 ほらね 坊や 星は天国の湖
 涙 空に返して 泣きなさい 天に甘えて 泣きなさい

 そうよ 坊や 虹は神様の約束
 いつか 必ず願い叶うから 天を見上げて 泣きなさい

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May 17, 2006

一般病棟と療養病棟

父の手術の間母を預かって頂く病院へ、主治医の紹介状を持って面談に行って来ました。
何しろ、寝台車でしか移動出来ない母にとって、一月末以来の病院行きになります。
この際両足の大腿骨骨折と骨盤骨折、誤嚥性肺炎の経過を調べて頂きたいと、意気込んでいたのですが、当てが外れて一瞬がっかり。
検査入院の場合は、事前に外来で受診して医師が必要と認めた場合のみ入院とならるそうで・・・
母の場合は療養病棟で担当の医師がついて健康管理をし、何か異常が出れば治療をするが、それ以外は検査とか治療はしないとの説明を受けました。
療養で入院の患者さんに検査をすると、検査漬けと批判が出るので何処の病院でも同じそうです。

その代りというか何というか分かりませんが「今回は医療付ショートステイ、そんな感覚でどうぞ。短期でも長期でもいつでもお預かりできます」と言われてビックリ。
これが再三再四、ケアマネジャーさん達が「利用してはどうですか?」と勧め「母にはとても無理ですよ」と私が受け入れなかった“ショートステイ”かと、拍子抜け!

世の中難しいものですね。
マニュアル通りすると、同じ検査が行く先々で繰り返されたり、寝台車でやっと連れて行く病院で検査が受けられなかったりしてしまうのです。
不自由なことです。
でも以前の私ならば「そこおなんとか、どうしても」と無理をしてでもあらゆる努力をするタイプでした。
可なり生き難いタイプ。
今は自然の流れに任そうと思えます。
成ってきた事が今に一番相応しい事。
事態は常に流動的で、どうにでも変わっていくのですから。
主治医の先生、ケアマネージャーさんと皆で母にとって一番良い病院をと考えて決めたところです。
お任せする事にしました。

それでも家に戻って、主人に「折角、病院に行くのだから病後のチェックしてもらいたかったな~」と呟きました。
そしたら「体調が悪くなったら、その時はその時でまた寝台車頼んで診てもらいに行けばいいじゃないか」とさらりと言いました。
御もっとも。
父の手術の間、母にとって一番安心できる所に預かって頂ける。
それだけで有難い事です。

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May 14, 2006

「試練はな、乗り越えてこそ完璧やろう」

父親を漁船の事故で失いショックで寝込んでいた母親に、小学5年の女の子が言った言葉。
母は娘が『そんな難しい言葉をどこで覚えたのか、きっと夫が言わせているのだ』と思い、立ち直ったそうです。
大人でもおいそれとは言えないような、含蓄のある言葉です。

父は幼少の頃母親を亡くしました。
昔の思い出話になると「僕は母親がいなくて不幸だった。寂しかった」と言います。
慰めようもなく黙って聴いていました。
でも何時頃からか、不幸だ、寂しいと言っていても何も変わらないのではないか、と思うようになりました。

私は自分が結婚して子供が生まれたら絶対に寂しい思いはさせない、愛情をいっぱい掛けようと決めていました。
世の中、なかなか思うようにはいかないもので、息子は私の愛情の洪水に溺れかけた時期があったようですけれど(笑)
中庸、ほどほど、というのは難しいものです。
今息子夫婦は、孫の“菫”をメチャクチャ可愛がって育てています。
子供に寂しい想いはさせたくない、との私の思いは、息子に無事受け継がれたようです。

数限りない様々な形の試練があり、その解決の方法もいろいろでしょう。
でも試練に出会った時、こうゆう想いを人に味わわせたくない、と思うところから考えをスタートしてみると、意外と試練を乗り越える方法が見つかる場合もあるように思います。
他人の事を気遣う心を持てた時、試練に対する囚われからすでに開放され、始めの一歩を歩み始めているのではないでしょうか。

私は常々何もない人生などないと思っています。
自分に必要のある出来事に出会い、その中から学びながら生きていく。
試練の前で立ち止まってしまったら、そこで成長は止まってしまいます。
試練を乗り越えてそれを糧として前に進んでこそ、人として成長していけるのではないかと。
そう乗り越えてこそ完璧なのです。


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May 12, 2006

総合病院の検査

父の手術前検査の為に病院へ行きました。
検査は血液検査、尿検査、心電図、胸部レントゲン。
父は同病院で二週間前に血液検査をしたばかりなので、受け付けで聞いてみました。
説明は、前回の検査は、手術が出来る状態かどうかの検査。
今回は手術前の体調を調べるための検査、と言われました。
分かったような、分からないような・・・
人間の体って2週間位でそんなに変わるのでしょうかね。
母も、度々入院するのですが、最短で退院後10日目、次は14日後に再入院。
其の度に、最初から検査のやり直しです。
血液検査、尿検査、心電図、胸部レントゲンは何処の病院でもお決まりの基本コースなのですね。

これでは国の医療費が増え続けるのは当然です。
それでも病院側によると、無駄な検査を省いているそうですが・・・
今父が通っている市民病院は、殆どの患者さんが市内の小さな病院から紹介されてきた方、検査の行く先々で、前の病院でも同じ検査をしたのにと不満を呟いている人達に出会いました。
感じていることは同じです。
市民病院の方が最新の機械が入っているとか、専門の技師がいるとかいろいろ事情があるのでしょう。
でも同じ検査ならば前のものを使う、そうゆう姿勢は何処の病院にもありませんね。
もう少し流通を利かせれば、増え続ける医療費を少しは抑える事ができるのではないかなと思います。
そして同じ検査を繰り返される患者にとっても、優しい医療になるのではないか、そんなことを考えながら父と検査室を回っていました。

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May 04, 2006

「あなたの五分を分けてください」

と描いたカードと小さなロウソクを添えて、曹洞宗の若いお坊さんが道ゆく人々に配ったそうです。
ロウソクが点灯している5分の間に、世界中で起きている事を考えてみようと呼び掛けて・・・
5分間に:
☆ 世界で1,260人の人が生まれ、1,540人が死んでいます。
☆ 世界中で、87人が飢えと貧困のために亡くなっています。
☆ エイズで28.5人、戦争と暴力で7.5人、事故で51人、自殺で8.5人が亡くなっています。
☆ エアコンを一日5分停めると34.1円の節約。
   34.1円で12.2人分のエイズの薬が買えます。
   シャワーを一日5分、1ヶ月停めるとなると558円の節約。
   558円で27.9人分のポリオワクチンが買えます。
☆ 0.57平方キロメートルの土地が砂漠に変わっています。
   サッカー・グラウンド50個分の面積です。
  (☆のデーターは中外日報からの引用です)

忙しい忙しいと、慌ただしく過ごしている“時”をちょっと停めて、世界中で起こっている出来事に思いを馳せてみてはどうでしょうか。
時間の貴重さ、凄さ、残酷さに気付けるはずです。
たかが5分、されど5分。
宇宙船地球号の上で起こっている事は、何らかの形で私達の生活とつながっているはずです。
マスコミに報道されるような、大事件が起きた時その時だけ世界の人々の事を考えるのではなく、いつももっともっと関心を持つべきだと思います。
世界的に見たらまだまだ平和な恵まれた国、日本。
でも地球上では5分という短い時間にも、悲喜こもごものドラマが繰り返されている事をいつも心に停めて、世界中の人々の幸せを祈り続けてきたいものです。


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May 01, 2006

王監督、一流になりたければ・・・

いつの間にか、野球への情熱に輝いて、笑顔の似合う人になっていました。
(野球を余り見ないので、私が知らなかっただけでしょうけれど)
昔は口が重く“陰”のイメージが強い方でした。
朝日新聞の「フロントランナー」に載っていた、王監督の言葉、一言一言が凄い。
努力して一流になった人、経験の幅の広い人の言葉は深い味わいがあって違います。

王監督はお父さんが中国から日本に働きに来て、国籍が中国だった為に可なりな苦労があったようです。
日本と日本人に対して「四季の美しさは一番でしょう。体は小さくても、和と創意工夫で今日の地位を築いたところが素晴らしいと思います」
多くの日本人が忘れかけている日本の良い面をちゃんとみておられる。
日本人としての誇りを持って、その素晴らしいところをもっと生かしていけるといいな、と思います。

打撃の神様と言われた川上元巨人監督、世界のホームラン王の王監督、現役の間は悩み通しだったという。
そして今、イチロー選手も・・・
「一流になりたければ、まず畏れを知ること。不安や恐れと闘って勝つ為には、必死で練習するしかないんです」。
悩む事なんかない様な幸せな人生に憧れる人が多いけれど、何も悩まないで一流になった人なんていないのではないでしょうか?
不安や恐れに打ち勝つ精神力は、人事を尽くしたところに生まれるのでしょうね。

WBC優勝の次の目標は「、本業の監督としての任務をきちんと果たすことです。
もし監督が気を少しでも緩めたらチームはガタガタになります。選手はちゃんと見てますから。勇将の下に弱兵なしというじゃないですか。
高い目標を掲げ続けていくためには、僕の気力が充実していることが不可欠なんです。どんな仕事でも、トップにいる人間が熱くないと、下の人間はついてこないじゃないでしょうか」
フム、日本のトップ、小泉首相は熱いかな?と思わず考えてしまいました。

「今に至るまで人に恵まれたと思います。人間、一人じゃ何もできないんですね。この年になって、つくづくそう思うようになりました。」

人に恵まれたのは、王監督のお人柄ゆえなのでしょうね。
彼の言葉は、世界一を成し遂げた力強さと、気品に満ちています。

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April 29, 2006

窮すれば通ずる

「90歳で手術は・・・」と明らかに避けたがっていた主治医だったのですが・・・
父の鼻のポリープを手術することが決まりました。
全身麻酔は無理なので、局部麻酔でポリープの一部だけをとって鼻のとおりを確保する為です。
CTの結果を診て主治医は手術と決めていたようで、どんどん話を進めていかれるので、「ちょっとすみません」とドクターの話を遮り、「本当に手術して頂くのね」と父に念を押した位です。
インターネットで調べたら、日帰りも可能と載っていたので、高齢の父なら一泊二日位かなと思っていました。
ところが最低で三泊四日、その後は様子を見ながらだそうです。

そうなると問題は母です。
有り難いことに、どうなるかと心配した去年の暮れの衰弱ぶりから、かなり回復しました。その代り体力がついてきた分思いがけない行動をとり、目を離せない状況になっています。
ヘルパーさんと私が“真っ青”になるような出来事がしばしば。
父は何事が起こっているのか分からない様子です。
24時間家政婦さんに来てもらうことを考えていたのですが、ケアマネージャーさんは母の世話は普通の人では難しいのではと思っている様子。
病院付属のショートステイに預けるより方法がなさそうなのですが、初めての所に馴染めるかどうか、認知症が進む恐れがあり考えあぐねていました。

でも窮すれば通ずる、とはこの事ですね。
内科の主治医に父の結果報告をして、母をどうしようかとケアマネジャーさんと苦慮しています、と話しました。
そうしたら先生が骨盤骨折、誤嚥性肺炎で入院以来、一度も病院に連れていけていないので、良い機会だから、経過の検査入院をしてはどうかと言われました。
母にはショートステイより、医師と看護士さんが身近にいる所の方が安全とのこと。
ここ数年まるで別宅のように入院していた病院なら、慣れている場所だし、馴染みの看護婦さも大勢いて、安心です。

お医者さんや看護婦さんが身近にいた方がよい状態の人を、家で介護しているのかと思ったら、改めてギョっとしましたね。
私、かなり“ボー”とした性格です。
何処かで、物事なるようになるのだろうな~”と漠然と思うっています。
余りのトロイさにびっくりして、皆が助けてくださっている、そんな感じです。
有難いことに、ぎりぎりでいつも救われております。


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April 25, 2006

病人力

赤瀬川原平氏が「病気旅行に出かける」とのタイトルで「う・ら・ら」という健康冊子にエッセイを書いていました。
氏は画家であり作家だそうです。

《病気はチャンスだと思う。
成りたくて成る人は一人もいない。
でも時と場合によっては成ってしまう。
自分から成れないものに成ったのだから、これはチャンスだと思うようにしている。
一定期間、病気の世界を通り抜けていく。
いわば病気観光、病気旅行だ》

病気を旅行や観光に例えるとは凄い発想!
でも確かに似たところがあるような・・・
健康な時には見えなかった風景、気付かなかった事に気付く。
日頃、考えもしなかった人生や生死について深く熟考するチャンスでもあります。
よく病気になって人生観が変わった、と言う人がいます。
病人力を得たのでしょうね。
病気を含めてどんな事でも、出会ったことを経験として生かす、人生の糧にしていく、大切なことだと思います。
人間は何からでも学ぶことができるようになっているようです。
それを生かせるかどうかは、全て受け取り方、考え方次第ですが・・・

《自分が病気になって思うことは、人体の病気と地球の天気はどことなく似かよっていることがある。
自分の体が晴れたり曇ったり、だいたいの理由はわかるのだけど、それが高じて嵐になったり、雹(ひょう)が降ったりして驚く。
健康なときは体は体にまかせているが、病気になると体がありありと見えてくる。
僕はそれをチャンスだと思うのである》
子供の頃から体の弱かった私には、とても頷けるエッセイでした。
私が得た病人力は、神の存在を知った事です。
そして病気旅行には終わりを告げました。

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April 19, 2006

めまい=迷い

フワーと軽いめまいが、朝シャッターを開けようと頭を下げた時襲ってきました。
オランダにいたとき地底に吸い込まれるような回転性のめまいメヌエル氏病に掛かった事があります。
「まずい!」と急いで薬を飲み、両親の朝食の準備を整えて朝のヘルパーさんにバトンタッチ、ベッドに倒れ込みました。

昔、入っていた宗教団体で病気も含めて物事の因果関係を勉強していた事があります。
もう随分前に辞めたので今も同じかどうか分かりませんが、会の中心の方が命がけで発見した法則を勝手に流用すると、命にかかわるとかいってましたね。
普通はお人の役に立たつことを見つけたら、どうゆう形にするかは別として、世の中の為に役立てたいと考えると思うのですが・・・
そこが宗教団体になってしまうと違うのです。
何でも囲い込んで、自分達だけの物にしてしまうのは組織を作る弊害ですね。

それはそうとして、めまいは迷いから生じると聞いたことがあります。
これが思い当たるのですね・・・
明日父が鼻の手術をする事が可能かどうかを決める、CTの検査を受けます。
父は大した病気ではないので、早速手術をして楽になりたいとその気でいます。
耳鼻科のお兄さん先生、父の年が年な上に他の病気の事も考えて、出来得る限り手術は避けたいという雰囲気が色濃く漂っています。
父の気持ちも、手術は避けたい主治医の気持ちも分かります。
もう一つ、昨年11月の骨折で延期になっている母の腕のおできの手術。
皮膚科の先生に往診してもらっていますが、母の体力の回復を待ちながら病院へ連れて行くタイミングを計っておられます。

ケアマネージャー曰く、市民病院は待ち時間が長くて体力を使うので、ひどい病気の人の行く所ではないそうな・・
確かにそんな感じなのですが、小さな病院では無理なので紹介されたのですし・・・

両親に付き添っていると、お医者さん人の顔をじっと見て「どうしますか?」って聞くのですよね。
素人に決めろと言われてもねぇ~~

神の存在を信じているので、皆にとって一番よい方向へ物事が動いていると信じています。
でもね(前文を帳消しにする接続詞ですね)二人抱えていると「迷わない」とはなかなかいかないよな~、って思っていたらふわーとめまいが襲ってきましたね。
なるようにしかならない。
神様の御心のままにと心を決めたら、めまい落ち着きました。


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April 18, 2006

騙されない為に

本日、3件目の未公開株おすすめの電話。
朝日新聞に数日前「未公開株ご用心」という記事が載ったにもかかわらず、懲りずに掛けてきますね。
「すみません。息子が証券会社に勤めているので結構です」電話の相手が「未公」まで言ったら即言う断り文句。
でもこれは嘘ではありません。
外国為替とかその他の金融商品に対しては「主人が同業者ですので・・・」
これは一部本当です。

ここははっきり言っておきたいのですが、絶対に騙す方が悪いのは、当然のことです。
その上で、被害にあった話を聞くと騙される人と騙されない人の、差はどの辺にあるのだろうか?と思うことがあります。
未公開株の売買に関して、06年度の全国の消費生活センターに寄せられた相談件数、1,296件で、前年度の約6倍といいます。
決して少ない数ではありません。
でもいつも私が受け取る電話の周りで大勢の人達ががやがやと電話を掛けているのが聞こえます。
一日、一人、数十件、と考えると相当の数の人が電話勧誘を受けているはずです。
それでも断っている人の方が圧倒的に多いことになります。

騙された人の中には、電話を掛けてきた相手が特に言葉巧みだったということもあるかもしれませんが、同時にどこかで、楽をして儲けたいという心の隙というか欲があったのではないかと思います。
自分が買う株の会社の経営内容、そして自分が取引しようとしている業者の評判位は、最低限でも調べる努力はするべきではないかと思うのですが・・・
一本の電話から、平均支払金額370万円、中には8千万円払った人もいるそうです。

「見ず知らずの人に儲け話など教えてくれる業者などいない」
「いい金融商品とは業者にとっての良い商品であって、買い手にとってではない」
との専門家の言葉を、常に頭の中に入れておいた方がよい時代だと思います。
でも一番大事な事は、何もしないで楽をして儲けようなんて、欲は出さないことだと思います。

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April 15, 2006

童顔

50代最後の誕生日を迎えました。
でも私、メチャクチャ童顔です。
「若く見られて嬉しいでしょう」とよく言われるのですが、とんでもございません!
海外を転々として、高級ジプシー?のような可なり波乱万丈な人生を過ごしてきました。
2~3歳ならともかく10~20歳となると、物凄く損をしたような気分になります。
あの一生懸命生きた年月を断りも無く、すっ飛ばさないでよ、みたいな。
苦労が滲み出ているのも何ですけれど、全然顔に出ないのもなんかね・・・

でも嫌な思いをしているのは、主人と息子かもしれません。
本当は夫と2歳半しか違わないのに、なかなか夫婦に見てもらえなくて・・・
ロンドンに旅した時、ホテルのフロントから電話がかかってきて、私が出ると「ダディーに変わってください」と。
「彼は私の夫です」と言うと、その後フロントを通る度に、ホテルマンが皆不思議そうに結構じろじろ見るのですよ。
チエックインの時、ちゃんとパスポートを見せたのに。

息子とも中々親子には見てもらえません。
道で会った中年の獣医さんに息子を紹介した時「本物のお子さん?」って聞くのです。
この間は、ヘルパーさんが孫の菫を見て、しばし絶句。
その後「本当に香川さんのお孫さん?」
人間ってビックリすると可なり失礼な事を口走るのですね。
主人は、そんなに人をビックリさせる方に問題があるのでは・・・と、笑いますけれど。

この頃は、やっと相手の反応を見て楽しむ余裕が出てきました。
朝から両親の介護の用事が立て込んでいて自分の誕生日を忘れかけていました。
そんな中、息子の伴侶からピンクの可愛フラワーアレンジメントと菫の最新の可愛い写真が届きました。
今日は誕生日なんだと実感!

明日、3月の息子の伴侶と4月の息子と私の誕生祝を一気にまとめてします。

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April 12, 2006

病院もサービス業なのですね

財政赤字のお荷物の一つ、と主人が言っている、市民病院で父が診てもらいました。
まあ~、綺麗な事。
何処も彼処も、広々としてゆったりとスペースがとられ、看護婦さんも事務の人も大勢いて、説明は至れり尽くせり。
設備は最新の物が揃っているとか・・・
地元の医師の紹介が原則で、予約制なので待ち時間が短い。
両親をいろんな病院へ連れて行く度にこの頃同じことを感じます。
医師が若い、何しろ若い、部長さんにみてもらったのですが・・・
人当たりはとても良い方でしたが、お見立てはまだ分かりません。
箱物にお金を掛け過ぎて、若い医師しか呼べないのかな~~というのは考え過ぎでしょうけれど。
カトリック系の小さな総合病院、私立の大総合病院、公立の市民病院と両親を連れて診てもらって感じたこと。
3種3様ですが、それにしても私立と公立の差は大きいですね。
ホテルで例えれば、一流ホテルとビジネスホテル位の違いがあります。
市民の為とはいえ、税金の使いたい放題という感じがするのは私だけでしょうか?

一昔前とは違って今は病院もサービス業に入るのでしょう。
「患者さんはお客様」という扱いで至る所で気を遣っているようなのですが、全員がまるで文句をつけられないようにあたふた動いている感じ。
大分前になりますが、新聞沙汰になるような事故が続いた事も影響しているのかもしれません。
もうちょっと自然に普通でいいと思うのですがね。
母が別宅のようにお世話になったカトリック系の病院の看護婦さん達には、接していて頭が下がったのですが、今回は目を丸くして観察してきました。

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April 06, 2006

歳相応と認知症

「うちはお湯しか出ないから、花の水やりは冷たい水でしないと」と父が庭の水道から水を汲んで家の中に入ってきました。
新築の離れは、蛇口からお湯しか出ない???
父の言葉の意味を理解しょうと、頭の中を忙しく働かせて数秒後、水とお湯が混合になっている蛇口の調節が出来ないのだと判断。
今までも数回説明したのですが再度説明のし直し「難しいなあ・・・最近の物は分からんな・・・」
お湯の出ない家はあるかもしれないけれど、水の出ない家ってね・・・

母が「寝られないと言った」から「僕の睡眠薬を1錠飲ませておいた」と翌朝聞かされると、引っくり返りかけます。
母は不眠症で夕方から寝るまでの間に、寝つき具合を確かめながら、7種類の薬を順次飲ませていきます。
30~40分おきに微妙な匙加減をしているのに・・・
父がたまに飲んでいる睡眠導入剤は、軽い薬なので1錠増えたところで大差はないと思いつつも、一瞬ドキッとします。
この手の薬は飲み合わせがあるので。
説明する度に「知らなかったな・・・・」

父は91歳、こうゆうのを歳相応の現象と言うようです。
歳相応よりも体も心も相当しっかりしていて立派だと思いながら、日々見守っていますけれど。
この手の事は、出来るだけさり気無く対応しなければなりません。
忘れた頃に時々起こる予想外の出来事を、サラリと受け流しながら、心臓に悪いなと心の中で思っています。

母は認知症と診断されています。
よく聞く、認知症の症状がそのまま現れています。
予備知識があるので「おっ、きたか」と言う感じで、今のところ余り慌てず対処する事が出きています。
昼間は私の姿から“食事”を連想するようで、私を見ると「ご飯まだ?ご飯まだ」と聞きます。
夜は睡眠薬を飲ませてくれる人と思っているようで「薬ちょうだい。薬ちょうだい」と言われています。
勿論私が娘だとわかった上での事です。

主人は冗談好きで、昼間は「かがわ ご飯」、夜は「かがわ 薬(やく)」に名前を変えたら?とか言って笑わせてくれます。
これが結構私のストレス発散になっています。

老いの現れ方はそれぞれですね。
でも若い時の生き様が“モロ“出てくるような気がします。
心して日々を過ごさなければ、明日は我が身です。

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March 26, 2006

睡眠薬がまるで効かない

熟睡している母を起こして睡眠薬を飲ませていたのがまるで嘘のように、ここ数週間5種類の薬を飲んでも母が寝ません。
朝寝、昼寝、夕寝、そして睡眠薬を飲んで夜寝、入院している時以外はここ何年間かこのリズムだったのですが突然崩れました。
夜中の十二時、薬が効いて寝ているのを確認してから私は寝ます。
でも父に言わせれば、その後起きて一晩中寝なかったと言います。
心療内科の先生に相談して、薬の飲み方を変えていただきました。
夕食後に安定剤を飲んで気持ちを落ち着かせ、寝る前の9時に三種類の薬を飲み、一時間後に寝ていなければ睡眠導入剤を飲ませる。
これで完璧なはずなのですが、その後3~40分して見に行くと、これが起きているのですよ。
ちょっと朦朧とした感じで「寝られないのよ」と言われるとギョッとします。
睡眠薬遊びしているみたいで・・・

昔、主人が仕事で忙しくて眠れなかった時に処方して貰ったことがある薬です。
「あれはよく効いた。本当に熟睡できるし、目覚めもすっきりしている」と言っていました。
主治医が面白い方で、「行くところへ行くと、一粒7,000円で売買されていますよ」と言いなが処方箋書くのですよ。
主人も「一週間分で4万9千円か、悪くないですね」なんて・・・
よく耳にする薬なので、そんなに強くはないのでしょうが、母の場合は4種類飲んだ後にかぶせて、最後の決めとして使うものなのに・・・

一睡もしなかった翌日お電話をしたら、心療内科の先生が電話の向こうで絶句・・・
一晩なんだかんだと起こされた父は、ふらふら。
私は本当に次から次と難問を抱えて頭が痛い。
ただ本当に眠ていないのか判断が非常に難しいのですよ。
91歳と88歳が一緒の部屋で寝ているのですが、生活のサイクルが見事にずれているので、本当のところがよく分からないのです。
母が寝入ろうとする頃に父がごそごそ動き出す感じもあったりして。
その上に父は耳が遠く片方はほとんど聞こえないので、母の寝言というかうわ言に丁寧に返事をして起こしている節もありますし。

今回の入院以来、母は寂しがって一人で寝なくなったので、父が別室で寝るわけにもいきません。
父に母をそっとしておくように言ってみたのですが、話がよく通じない部分もあり、此の頃は91歳と88歳で適当にやってもらうより仕方が無いかと開き直っています。
毎朝母は「昨夜はぐっすり寝たわ」と満足そうな顔しているので・・・
一つ確かな事は、安定剤と睡眠薬4錠飲んでも3時間は起きています。
明日、心療内科の先生に会ってきますが、どうもよくわからん世界に首を突っ込んでいるようです。


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March 24, 2006

王監督と長島さん

王監督は「世界の王」でありながら、日本では国民的人気者の長島さんの影に、ON時代から隠れがちだったような気がします。
今回の世界一は、地道にたゆまぬ努力をしてこられた王監督への神様からのご褒美かな、と思ったりしています。
名プレーヤーと一流の指導者は必ずしも一致しないことが多い中で「世界のホームラン王」と「世界一の監督」という偉業を成し遂げました。

「オレは運が強い」と言ったそうですが、
運は自分で運ぶもの、過去の積み重ねが運んでくるものです。
良い種をいっぱい蒔いて、丁寧に愛情を掛けて育ててこられたのでしょうね。
それが、イチロー選手に「野球人としての品格にたけている人。ただ単に数字を残した人じゃない」」と言わしめたのでしょう。

勿論長嶋さんの周りを明るく楽しくさせる天性の魅力、大好きです。
そして今リハビリに励んでいる長島さんの姿、大勢の人に勇気をあたえています。
でも野球監督としては、王さんの方が遥かに上のような気がします。

米国戦での誤審騒動、韓国戦の連敗、準決勝進出が絶望的にと、地獄の中から這い上がった。
恐い物はなにもなかった。
開きなおった戦士は強い。
人生に起こることで、無駄な事は一つもない。
地獄を見ることを恐れる必要はない、と改めて思った世界一でした。

スポーツはドラマ。
筋書きの無いドラマ。
人生そのものですね。
最高のドラマを見せてもらいました。

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March 17, 2006

蒔かぬ種は生えぬ。蒔いた種は育てねば実らぬ-1

若いころ海外に住んでいて、日本の友からの便りをいつも心待ちにしていました。
そんな私を見て、母は『蒔かぬ種は生えないのよ』とよく言ったものです。
筆不精の私は余り手紙を出していませんでした。
でも懐かしい日本からの情報を待っていました。
確かに出さない手紙に返事はこないのです。

人生も同じです。
愛されたい。
幸せになりたい。
認めてほしい。
良い仕事がしたい。
どうすればいいのでしょう?
種を蒔けばよいのです。
愛がほしかったら、周りの人を愛することです。
幸せになりたかったら、人を幸せにすることです。
人に認めてもらいたかったら、人を認めることです。
良い仕事に出会いたかったら、今の仕事を精一杯することです。

ほしいことを先ず自分から行う、これが“種を蒔く”の意味です。
種を蒔かなくては実はなりません。
何もしないのに、庭に美しい花が咲いた、おいしい果実が実った、という事は殆どありえません。
たまに、風や鳥が種を運んできて美しい花を咲かせることがあったとしても、それは偶然の出来事で滅多に起こらないし、長くは続かないと思います。
一生偶然を待っているわけにはいきません。
自分で種を蒔く努力をして、初めて芽が出てくるのだと思います。


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March 10, 2006

子供って変わる

主人のアメリカ留学時代のルームメイト、ボブ一家と私達家族が東京で再会しました。
ボブ達は主人と同じスイスの銀行の東京支店に勤めていた関係で、麻布に6年間住んでいました。
ボブと奥さんのゲイルには数年おきに会っていたのですが、子供達とは15年振りの再会でした。
 息子のマックスがこの春エール大学を卒業、社会人になるので、最後の家族旅行に思い出の日本を訪れています。
当時6歳位だったマックスは突然東洋の異文化に連れて来られ戸惑っていたのか、かなり不機嫌な感じの子供でした。
その後もボブと会う度に「マックスは難しい子だ」とこぼしていたので、どんな大人に成長しているのか、ちょっと心配していました。
 相も変らぬいつもの感想なのですが“人間って本当に変わるのですね!”
 特に子どもは!!
 ルックス、スタイル抜群ということも相まって『爽やかな好青年』を絵に書いたような姿に大変身していて、嬉しくなってしまいました。
礼儀正しく快活でユーモアーのセンスがあり細やかな心遣いも出来て、本当にステキな若者になっていました。
15年前、親に連れられて渋々付いて来ていたような鎌倉観光、鶴岡八幡宮と長谷の大仏さん、そして我が家でのすき焼きパーテーもよく覚えていて「凄く楽しかった。とってもいい思い出になっている」そうな・・・
あれが楽しかった顔なのか、と可笑しくなってしまいましたけどね。
子供の心って、外見ではわからないもののようです。
 それに引き換えお兄ちゃんと同じエール大で芸術と人類学を勉強している妹のケィティーちゃんの方は、当時は子供のモデルにならないかと誘われたという位、お人形のように愛くるしい子でしたが、今回はムスっとしていましたね。
時差ぼけもあったのでしょうが、折角の美人さんが勿体無いという感じでした。
 人間って、ほんとうに解らんものです。
次回会う時は素敵な社会人になっていることでしょうが・・・
 そういえば、我が家の一人息子、立派なビジネスマンになったと、口々に褒めてもらいましたが、彼も当時可なり不機嫌な難しい顔をしていたような気がします。
 子供には皆いろんな時期があるのですね。
 それを乗り越えて大人になっていくのでしょう。
 親が真面目に働いている後ろ姿を見せ、温かい家庭を築く努力をしていれば、多少の紆余曲折があっても子供はそれなりに育っていくものだとしみじみ感じました。
 とっても楽しい再会でした。

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March 06, 2006

荒川静香さんと孫のイナバウアー

孫娘のすみれが格好いいイナバウアーを見せてくれました。
勿論、氷上ではなく床の上で、おしめを変えるついでにですけれど。
早い話が単なる寝返りですが、でもでも、荒川静香さんとそっくりの姿勢なのですよ。
雛祭りの日から寝返りが完全にうてるようになったとかで、わが家でもお披露目。
ママがちょっと手を貸していましたが・・・

荒川さんって、赤ちゃんと同じような体の柔らかさを持っているのですね。
あのしなやかさは多分天性のものなのでしょうが、同時に凄い努力で保っているのでしょうね。
体なんてちょっと怠けていると、直ぐ固くなりますもの。
イナバウアー、イナバウアーと世間で大騒ぎしていますが、私はあの方の凛とした佇まいの方に惹
かれて、余り関心がありませんでした。
でも孫のイナバウアー風そっくり返りを見て、人間の体のしなやかさと、それを維持している荒川さんの努力を敬服しています。

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March 03, 2006

天上天下唯我独尊-3 『世界に一つだけの花』

余りに素敵な歌詞なので、著作権に失礼をして書かせてもらいます。

 花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
 人それぞれ 好みはあるけれど どれもみんな きれいだね
 この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで
 バケツの中で 誇らしげに しゃんと胸を張っている

 それなのに 僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
 一人一人違うのに その中で一番になりたがる?

 そうさ 撲らは 世界に一つだけの花
 一人一人違う種を持つ 
 その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい
 
 困ったように 笑いながら ずっと迷っている人がいる
 頑張って咲いた花はどれも きれいだから仕方ないね
 やっと店から出てきた その人が抱えていた
 色とりどりの花束と 嬉しそうな横顔

 名前も知らなかったけれど あの日僕に笑顔をくれた
 誰も気付かないような場所で 咲いていた花のように
 そうさ 僕らも世界に一つだけの花
 一人一人違う種を持つ
 その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい

 小さい花や 大きな花 一つとして 同じものはないから
 No.1にならなくて いい
 もともと特別な Only one

本当にあなたは、この世に一人しかいない尊い存在なのです。
自信を持って、胸を張って、自分の個性を大事にして生きていってほしいな~~。
“もともと特別な Only one ” なのですから。

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March 02, 2006

天上天下唯我独尊-2 『世界に一つだけの花』

生きていく上で大切な考え方がギッシリ詰まっていて、それでいて分かり易くて魅力的な歌。
こんな凄い曲を創った、ミュージシャン槇原敬之ってどんな人かな?と、常々思っていました。

歌の核心となった言葉“ナンバーワンよりオンリーワン”は、槇原氏が「ご神職」と慕う神社の神主さんの話が元になっているそうです。
「昔から僕は仏教が大好きで、お釈迦様の言われた『天上天下唯我独尊』という言葉がこの『世界に一つだけの花』だったりします。どの宗教がどうとかでなく、今の時代に一番求められている考えかただよね。僕にできるのは世の中を正すことじゃない。”余(自分)の中”を直すことを通じて、それを伝えるのが役目かなと」
やっぱりそうでした。
『天上天下唯我独尊』と『世界に一つだけの花』は繋がっていたのです。

それだけではなくて、素敵な考え方を一杯持っている方です。
21歳でデビューし、立て続けにヒット曲を飛ばし、その後事件を起して逮捕。
頂点とどん底を経験したからこそ、得られた境地なのでしょうか?
「音楽を取ったら自分には何も価値がない」という考えから「一生懸命生きていれば、音楽じゃないことをやっていても生きていけるという確信が持てるようになった。自分のことが一番じゃなくて、人のことが一番だって生きている人は、誰も悪いようにはしない。人が悪いようにしても神様が放っておかないよ、という心の強さを得て、本当に楽になりましたね」
分かりますね。
どの宗教がどうとかではなく、どの神様がどうとかではなく、自分のするべき事を真面目に一生懸命していれば、人間より偉大な存在が守ってくれる、と気付いた時から、本当に楽になりましたもの。

「人はさびしがりやであるべきだと思うよ。さびしくないように、相手のことを考えるから。多少は不安な方がいいんだよ。そのほうが助け合えるからね」
人が助け合いながら生きていく事の大切さをさり気なく。

それにしても一番グサリと来た言葉は《「余(自分)の中」を直し伝える 》
ブログに分かったような事を書いておりますが、まず自分から正さなければ!ですね。

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February 28, 2006

天上天下 唯我独尊

金子みすずの“私と小鳥とすずと”や、 SMAPの“世界に一つだけの花”を、天命庵のお庭で“天上天下 唯我独尊”の話を聞きながら思い浮かべていました。
いろんな表現の仕方があるけれど、真理は一つ、同じ事を意味しているのではないかな?と思いながら。
 天上天下 唯我独尊、お釈迦様が誕生した時、四方に七歩ずつ歩み、右手で天を左手で地を指差して唱えたと言われる言葉です。
『天にも地にも、唯、我、独りにして尊し』
宇宙間に自分より尊いものはない、と独り善がり的な意味にとられていますが、自分の存在の尊さが理解できれば、自ずと他の人の尊さにも気付く事が出来るはずです。
お釈迦様のいう唯我独尊とは、天にも地にもみんなそれぞれ一つしかない大切な存在、かけがえのない尊い存在であるという、あらゆる生きとし生けるものの命の尊厳を言い表わしていると思います。

 詩人の金子みすずさんの有名な詩に『私と小鳥と鈴と』というのがあります
 わたしが両手をひろげても 
 お空はちっともとべないが
 とべる小鳥はわたしのように 
 地面をはやくは走れない
 わたしがからだをゆすっても 
 きれいな音はでないけど
 あの鳴るすずは私のように
 たくさんな歌は知らないよ。
 すずと、小鳥と、それからわたし、 
 みんなちがって、みんないい

みんなちがって、みんないい
地球上の全ての物は皆違う、そしてそのままで、ありのままで皆いいのです。
皆、天にも地にも唯一、ただ一つだけの尊い存在です。
 今この事実を若者に自信をもって伝えられる、大人が、親が、先生がどれ位いるでしょうか?
自分の存在価値の基本と成る意味を・・・
天上天下唯我独尊、この真の意味がわかれば、リストカットする若者も、薬物に溺れる人達も、自殺する人も、他人を傷つける人も、いなくなるはずです。
 自分は尊い存在。
 周りの人も尊い存在。
 一人一人が掛け替えのない存在。
 誰にとって?
 神様にとつて!
 地球上の全ての物は神様が創ったオリジナルなのですから。

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February 23, 2006

千の風になって-後に残された人へ

大切な方を亡くされた全ての人の心に届けたい、素敵な歌があります。

 『千の風になって』     作者不詳
   
 わしのお墓の前で 泣かないで下さい
 そこに私はいません 眠ってなんかいません

 千の風に 千の風になって
 あの大きな空を 吹きわたっています

 秋には光になって 畑にふりそそぎ
 冬はダイヤのように きらめく雪になる
 朝は鳥になって あなたを目覚めさせ
 夜は星となって あなたを見守る

 わしのお墓の前で 泣かないで下さい
 そこに私はいません 眠ってなんかいません
 
 千の風に 千の風になって
 あの大きな空を 吹きわたっています

 あの大きな空を 吹きわたっています

アイルランド共和軍(IRA)のテロで亡くなった24歳の青年が「僕が死んだときに開封して下さい」と、両親に託していた封筒に残されていた詩だそうです。
そして後にニューヨークの同時多発テロで亡くなった父親をしのんで11歳の少女が朗読したこともあり、この一編の短い詩が欧米や日本で静かに広がっているそうです。
 先日、天命庵で庵主の大徳寺さんから聞きました。
“人間の死は全ての終わりではない。永遠の別れではない”と優しく語り掛けている詩は、日頃天命庵の親様から伺っている真理の話と同じです。
姿かたちは無くなっても、周りの誰かが亡くなった人の事を覚えていたら、いつまでも心の中に生き続けているのです。
お釈迦様、キリストさま、マザーテレサや多くの賢者の説かれた神様の教えの話をよく聞きます。
そんな時、数千年数百年数十年の時を超えて、残された教え、考え方、思いが生き生きと私達の心の中で息づいているのを感ずる事が出来ます。
まるで今もなお生き続けているかのように・・・
 人は亡くなっても、その人の記憶を抱き続けている人がこの世にいる限り、その人は生きているのです。
 そしてその人の美しいしい行為、優しい言葉、暖かい笑顔は、千の風となって、われわれに希望を与え続けるのです。

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February 19, 2006

睡眠薬と笑い話ー2

昼寝だけじゃなく朝寝も夕寝もして、その上夜もグッスリ眠りたい。
それは欲張りというものですよ、と言ったところで夜寝られない事が大問題の母に通用するわけもありません。
一日の2/3は寝ているか、寝ていなくてもベット上の生活。
全然体を動かしてないわけですから、心地よい疲れ等とはほど遠い状態。
それでグッスリ眠りたいというのも無理な話で、睡眠の質が落ちるというか浅くなるのは当然のように思います。
こればかりは当人が納得しなくては如何ともし難くて・・・
要するに母の不眠というのは寝られないのではなくて、寝たという満足感が持て無いのだと、側で見ていて気付きました。
 こういうところに、人間の性格というのはもろ現れるのですね。
母は何事に対しても満足できないというか不満の多いタイプです。
 何でもそうですが、物事は表裏一体。
良い面と悪い面を併せ持っています。
不満が多いということを裏返すと、現状よりもより良くなりたいという気持ちが強い事にもつながります。
 度重なる骨折の度に生活のレベルがワンランク落ちますよ、と主治医に言われます。
それでも周りの人がビックリする程リハビリを頑張って、不死鳥のように蘇り、ほぼ元の生活のレベルに戻ることを繰り返してきました。
ワンランク落ちた状態では満足できない、元のように動けるようになりたいという思いがとても強いのです。
 でも不眠症に関しては母のそういう満足できない悪い面が出ているような気がします。
もっとグッスリ寝たいという気持ちが余りにも強すぎるような・・・
 なかなか全ての事に程々とはいかないものですね。
 今も気持ちよさそうに寝ている母を起して、睡眠薬を飲ませてきました。
薬を飲むと、本当に安心した様子で「有難う、おやすみなさい」と言います。
母にとって薬は“安心薬”なのでしょうね。
 当分笑い話の主人公を続けるようです。

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February 17, 2006

睡眠薬と笑い話

「ご主人様、薬を飲む時間です」と熟睡している主人を起こし、睡眠薬を飲ませる。というジョークを読んで“くすッ”と笑った記憶があります。
数年後に自分がその立場になるとは思いもせずに。
 母は5~6年前にかなりひどい不眠症にかかり、内科、神経科、精神化とかかりましたが薬が合わず、顔の表情がなくなってしまう程の状態になりました。
幸い出会った心療内科の先生がとてもよい先生で、合う薬を見つけてくださり寝られるようになりました。
でも以来寝られない事に対する恐怖心は異様な物があります。
それなのに骨折で入院する度に、心療内科の主治医からの紹介状を持っていって同じ薬を飲ませてもらうように頼むのですが、お医者様にはそれぞれ自分の流儀があるようで必ず薬を変えられてしまいます。
その度に不眠の恐怖が蘇るようです。
 去年の年末から一緒に住むようになって、余り早く飲むと明け方起きてしまうという母の希望で、夜9時に睡眠薬を3種類飲ませます。
でも夕食が終わって8時過ぎになるとグッスリ寝入っています。
「お母さんお薬のみましょう」と声を掛けると、パッと目を開ける時は、熟睡しているように見えても眠りが浅いのかもしれないと、納得して飲ませますが、呼んでも起きない時は本当に迷いますね。
 殆ど毎日、「このまま寝かせておくべきか、起すべきか」ハムレットの心境です。
 往診に来て下さっている内科の先生に相談したら「飴でも砕いて飲ませてみましょうか」と言って笑っておられましたが、結局そのまま続行ということになりました。
 寝ている人を起して睡眠薬を飲ませる、本当に笑い話ですよね。
でも夜中に目が覚めて、周りが薄暗かった時の母の恐怖を思うと、起して薬を飲ませることを止めることができません。
笑い話にあった位ですから、こういうことをしている人結構いるのでしょうねと思いながら・・・
 昼も夜も、グーグー鼾をかきながら寝ているのに「寝られない。寝られない」と訴える母を見ていて感じたことがあります。   次へ

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February 13, 2006

宇宙船地球号の資源とごみ

前の車の若い女性がファーストフードのゴミをのせたトレーを、躊躇するでもなく投げ捨てるでもなく、至極当然のように何気なく路上に載せるように置いてドアーを閉めました。
5、6年前交通渋滞に巻き込まれた時のことです。
その振る舞いは物を捨てるという動作とは全く違っていました。
 一瞬我が目を疑う程驚いたのですが、それから数年周りを見回すとあらゆる物が、缶、ぺットボトル、雑誌、コンビニのレシート、ビニール袋等、何の抵抗もなく路上に捨てられています。
ビル風に煽られて街中をゴミが舞い、時折我が家の庭まで侵入してきます。
いつから私達はゴミをゴミ箱に捨てるという当たり前の事をしなくなったのでしょうか?
いつから私達は街にゴミが散らかっていても気にしなくなったのでしょうか?
日本人の公衆道徳はどこへ行ってしまったのかと探しに行きたい心境です。
 40年前ニューヨークに行った時、敗戦から20年の日本とは比べようもない文明度の高さに度肝を抜かれたと同時に、街中にゴミが舞っていてたばこの吸い殻がいたるところに落ちているのに唖然とした記憶があります。
 その時、生活水準の高さと公衆道徳は必ずしも正比例しないものであることを実感しました。
近年は9月11日の同時多発テロの時優れた陣頭指揮で有名になったジュリアーニ前ニューヨーク市長が街の犯罪の撲滅と美化に尽力し街は見違えるように変化しています。
 生活が豊かになり物が溢れるようになると、物を大切にしなくなる。
余り認めたくはないのですが、そこまではある程度仕方のない流れなのかもしれません。
 しかし問題はその後です。
所構わずゴミを捨てる、そして誰もそれを気に留めない。
物質的に豊かになると、人間の心は貧しくなるのでしょうか?
たかがゴミ位で目に角を立てなくてもと言わないで下さい。
街のゴミや落書きの数と軽犯罪率は比例するという統計があのですから。 
やはり美しい整然とした環境は人々の心を穏やかにし、汚れた雑然とした環境は人間の心を荒廃させ犯罪を招くのでしょう。
 たかがゴミ、されどゴミ。
 何事も小さな事を大切に、疎かにしない事から始まるような気がします。

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February 07, 2006

臓器移植と、もし自分なら・・・

「子供の誘拐」日本人はまさかそこまではしないだろうと思っていたのですが《04年に法務省は刑法に「人身売買罪」を新設し、臓器を得る目的の人身取引にも同罪を適用できるようにする。》と加えました。
残念ながら日本でも関係のない話ではありません。
 臓器移植をそこまでしてするのには、人の命を救うという「純粋な行為」とは又別に、関係者の巧名心と移植をすると医療費とそれに付随して何億というお金が動く面があるからです。
お金儲けの為なら手段を選ばない、今の制度はそうゆう輩に隙を与えている面もあるようです。
 社会の歪はいつも弱い者へ、貧しい者へ、と向かって行きます。
今の臓器移植のあり様に無理があるからそうゆう歪が出てくるのでかないでしょうか?
 それぞれの立場からいろいろな考え方があって当然です。
しかし臓器移植、生殖医療、ヒトクローン胚作り等の医療技術を進めていくには、日本を含めた世界の国々の社会がまだ精神的に充分成熟していないような気がします。
成熟していないと言うより人間が本来持っていた自然に、生きとし生けるものの命に対する、畏敬の念、畏怖の念を文明の驚異的な進歩の前に置き去りにしてしまったといった方が適当かもしれません。
 そもそも生とは何か?死とは何か?生きるとは何か?
人の命に直接関わる仕事をしている人達ですら、自分なりの考えを持っている人は少ないのではないでしょうか。
 例え学術的に先へ先へと進むことが可能であったとしても、もう一度原点に戻って踏みとどまる限界を見極めるべき時なのではないかと思います。
全ての物事には超えてはいけない一線があるはずです。
 もし私が臓器移植をしなければ生命が危ないと宣言されたとしたら・・・
残された時間で自分の出来る事をして、天の国へ帰っていきたいと思っています。
死は誰にでも公平に訪れる物であり、私だけが死ぬわけではないのですから。
死は突然訪れてくれた方がいいような気がしますが、「告知」が大勢になりそれも選べない時代になってしまったようです。
 天の国へ帰ったらゆっくり休養した後、新しい身体と新しい使命を携えてこの世へ又舞い戻って来るつもりです。
今世でし残した事は、それからゆるりと焦らずに・・・
 そうなれるように、努力中です。

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February 06, 2006

臓器移殖の行方を考える-2ー

の記事によると《米国のキリスト教界は99%が賛成している。
臓器の提供は愛の実践と見なされ、信仰の証と受け止められる。
ユダヤ教正統派では91年に認める決議を出した。
日本の仏教協会は臓器移植法が議論された頃、6割以上が他人の臓器を求めるのは「我欲」で
ある、死者は仏であり神聖な存在であるとして反対した。
賛成する宗派は臓器提供は布施の行為、心臓死にこだわること自体が生に執着していると主張した。現在はあまり意見が出ていない。》
 宗教界も本当にさまざまですね。
と言うよりも何事もそうですが、それぞれが自分で判断して決めることであって、所属している団体の“お上”が決めたから全員その考えに従う等というのは、恐ろしいことなのですが・・・
 《生命は神の領域》と思っています。
現代の医学や科学を超えた向こう側にまだ解明されていない命の神秘がいっぱい在るかもしれません。なにしろ人の命は目に見えないのですから。
人の死を脳死で決められるものかどうか、とても疑問に感じています。
 《体はこの世に生きている間、神様から借りているもの》とも思っています。
借りているものを貸主に無断で又貸しというか、無断贈与してもよいものかどうかも思い悩んでいます。
 移植希望者に対して提供者が少ない現状で、何が起こってくるかと言うと提供要件をどんどん緩和していきます。
アメリカ、カリフォルニア州では、交通事故、行き倒れなどで脳死状態(当然心臓が動いて息をしている)の時、二十四時間身元を捜して、身元不明だったら臓器を移植してもよいことになっています。
スペイン、ベルギーなどの国々は、本人が生前に何も意思表示をしていなければ提供に同意したとみなされます。
 その上開発途上国では移植用臓器の摘出を目的とした子供の誘拐までおきています。  次へ

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February 05, 2006

臓器移植について

「中国での臓器移植、日本人急増」「待たずに手術」「法制度は不備」「提供、死刑囚も多く」
との字が大きく朝日新聞の朝刊に踊っていました。
 低次元の話で申し訳ないのですが、日本で臓器移植法が議論され出した頃(97年)、痛みに滅法弱い私が一番に思ったことは「痛そー」でした。
 それが《臓器移植の行方を考える》の朝日新聞の記事を読んで案外当っていたのかもしれないと思いました。
《00年に英国の麻酔学の専門誌に「脳死者は臓器摘出時に痛みを感じている可能性がある」との警告論文が出て議論を呼び、「移植大国」の米国では、臓器の摘出時に、麻酔や筋弛緩剤を打つ。
無麻酔でメスを入れると体が動くためだ。
動くのは、脳以外の体の反射が残っているからと医学的には説明されているが、その状態は「死んでいる」としていいのか。
激痛は本当に感じていないのだろうか。》とありました。
 かわいい盛りの我が子が、自分の大切な人が臓器移植で命が助かるとしたら、受けさせたいと思うのが人情だと思いつつも、臓器移植に対して、何かすっきりしないものを感じ続けていました。
 それが『新しい漢方』〈東洋の知と医療〉寺沢捷年著(考古堂刊)を読んで、もっと自然に在りのままに考えれば良いのだと思いました。
 本の中に生物学者、池田清彦教授(山梨大学)の臓器移植についての明確な考えが書かれています。
《人間の体は非所有物である。
人間は誰だって自分で生まれてこようと思って生まれてきたわけではない。・・・
自分の存在というのは「管理権」はあるけれども所有物ではない。
自分の健康を維持して、元気で天寿を全うするというのは、ある意味では義務もあるし管理するという立場ですよね。
この体は決して自分が買って得たものでもないし、人から何か分けてもらったものでもない。
そうするとこれは「非所有物」ですね。
したがって臓器を売ったり、買ったりするというのはそもそも間違いだし、死んでからもそれを人に提供したりするというのは、善意と言われるかもしれないけれど、本来やってはいけないことだ》と。
生物学者の立場からこのように考える方がいることを知って大きな発見でした。
 意外に感じるのですが、宗教界は総じて肯定的な意見です。          次へ

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February 04, 2006

神を信じていると、天然になる?

次々と起こる緊急事態の中で、天然自然体に周りからはみえるようです。
 両親と暮らす事になった時、介護は大変だとあちこちから聞きました。
それにしても、去年の十月からわけのわからない生活で一体どうなっているのだろうと首を傾げつつも、何処かで何の根拠もなく、私なんかはいい方なのだろうな~勝手に思っていました。
ケアマネさん、ヘルパーさん、内科のお医者さん、24時間体制の訪問看護士さんと良い方達に恵まれて幸せな方なのだろうな~と。
 先日父も要支援の認定が下り、両親の今後の介護についてケアマネさんと突っ込んだ話を交わしました。
母は今現在、介護5段階の中の丁度真ん中、介護3です。
ケアマネさん曰く母の状態が落ち着き次第、介護度の見直しを申請する用意をしていますが、たぶん介護5になる状態だと思いますと言われました。
介護5???一番重度の?それ以上、上が無い?
 その時、自分の置かれている状態が始めて分かりましたね。
そうとう、とろい!
なんか、大変なのか、大変でないのか、それすらよく分からなかったのですが、やっぱり大変だったみたいです。
ヘルパーさんが真顔で「よく頑張っておられますよ。だから私達も応援しているのです」と言われた時は「ウッ」と詰まりましたね。
本当に皆さんに助けて頂いています。
「きゃー、どうしよう」って言ったら「さっ」と手を差し伸べて下さる感じで。
 退院して10日目、お腹の風邪で体力を消耗したようで昨日から熱を出していて、今日は又又再入院するかどうかの騒ぎでした。
女医さんがお昼休みに往診に見え「病院を行ったり来たりするだけでも、お体に堪えますから、もう少し様子を見ましょう」という事になりました。
 その後「香川さんにすごい親近感があるんですよ。天然のところが私と似ているような気がして。アラ失礼だったかしら」と言われて皆で大笑い。
この年になるまで天然って言われたことなのですが・・・
でも思い当たる節は確かにあります。
かなり危機的状態の中にいるようなのですが(余り自覚が無い)フワッと天然自然の精神状態を保っています。
 それは神の存在を信じているので、母にとって一番良いようになると信じられるからです。
 今を、そしてこれから起こることを、ありのまま自然に受け入れようとしている姿が、天然に見えるのかもしれません。

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January 31, 2006

取り越し苦労と楽天的

子供の世話にはならないから大丈夫。
本当かな?
自分でトコトコ歩いて先祖代々のお墓に入るつもりだったのかな?
 父は地方の長男です。
子供は三人姉妹。
でも誰にも跡を取らせず、自分達の事は大丈夫だから嫁ぐように、と子供の頃から私達に言っていました。
姉二人が半年の間に相次いで結婚した時は、さすが寂しそうでした。
特に次女はアメリカで牧師の卵との駆け落ちみたいな形だったので、がっくりきたようです。
それから5年後、私が結婚する時「後、二人で大丈夫?」と聞いたのですが、一瞬の躊躇いもなく「大丈夫」と言っていましたね。
 子供達に迷惑をかけたくない、というその思いと意気込みは確かに立派だと思います。
でも、先の事をきちっと考えておかないと結果的にもっと迷惑を掛けることになるのですけどね。
 父にとつては、91歳と88歳まで長生きしているのは、想定外だったようです。
でも自分の将来を考えた時、死ぬ時期も死に方も誰にも想定できませんものね。
 去年父が我が家に引っ越して来た時「母のためにと思ったのに、僕が世話になるとは、こんなはずじゃなかった・・・」
母が車椅子で流動食になって帰ってくるとわかった時も「ちょっと土地を貸してもらっただけだったのに、こんなに迷惑をかけるとは思わなかった・・・」と。
一つ一つ新たな局面を迎える度に、父は「こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかった」と呟きます。
 楽天的なのは素晴らしいことだし、先々をクヨクヨ心配しないのも立派だと思うのですが「先の見通しが甘いというか、全然考えていなかったのかな」と私のほうも呟いております。
今、父と母から始まり、そして私、最後に主人とウイルス性のお腹の風邪にかかっています。
母は下痢がひどく、退院4日目で又再入院かという騒ぎでした。
主人も私も、母が退院して4日ともたないとは想像していませんでいたが、それ以外は大体想定内です。
 お父さん、まだまだ序の口ですよ。
これからが本番です。
 テンヤワンヤの中で“先々を取り越し苦労せず、将来に対する心の備えをする難しさ”そんな事を考えています。

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January 23, 2006

心、暖かい人達

堀江社長が逮捕されましたね。
今年も又、病院から赤ちゃんの誘拐という嫌な事件で始まり、よくもマアと思うような事が毎日のように次々と起こっています。
 余り毎日ショッキングな事を見聞きするので、世の中大変な事ばかり起こっているように思いそうになりますが、決してそうではないと思うのです。
暗い嫌な事件はほんの一部で、いいことの方が多いはずだと。
小さくて目立たなくて当たり前すぎて、マスコミで報道されるようなことではないけれど、
気が付こうと思えば、私たちの身の周りにはいいいことがいっぱいあるのです。
 例えば今両親の介護をしていて、数え切れない程の人の暖かさを感じています。
88歳、体重20kgの母は、孫のようにお若い主治医と看護婦さん達に世話して頂いて、今日無事退院してきました。
看護婦さん達にエレベターの前まで送ってもらって・・・
 主治医の先生、検査の数値が正常に戻ると「元気な時は一日でも家で過ごされた方が・・・」とすぐ電話を下さいました。
 我が家に戻ると同時にケアマネジャーさんが現れ、母の様子を確認して微に入り細に入り世話の仕方を教えてくださり、ヘルパーさん達の手配を整えていかれました。
このケアマネさん、凄いんですよ。
お正月の4日の夜、急患で入院した次の日の朝、主治医が決まり病状を聞いて病室に戻って来たら、母の面倒を看てくれていました。
始に、母と私が落ち着くまでしっこく何回も尋ねます、最後には塩をまかれるまで来ますから、と宣言された通り本当にメチャクチャ面倒見がいいのです。
そしてヘルパーさんは、大晦日もお正月も一日も休まず母のお世話に来てくれました。
 仕事とはいえやはり心がなければ、なかなかそこまではできないと思う程の心遣いをしてくれます。
 女医さんも往診の準備をして待っていてくれます。
 大勢の人の真心に助けられ、新米の私はやっと介護を続けているそんな感じです。
世の中には本当に凄い人、地味で目立たないけれど、自分の仕事を全うしているたくさんの人かいるのです。
心暖かい人達が。
 そんな人達の素晴らしさに皆が気付けば、少しは世の中変わっていくのではないでしょうか。


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January 22, 2006

雪が妖精のように舞い降りていました

今年初めての雪です。
この辺は見渡す限り一面真っ白とまではいかないのですが。
 豪雪地帯の方達に申し訳なくて文句は言えませんが、天気予報のお姉さんに「降る、降る」と何回騙された事か。
主人などは、TVの予報図の長野県辺りにある“雪だるまマーク”に「ごろっと転がって湘南の方においで」と真面目に呼び掛けておりました。
お見掛けイタリアン・マフィアみたいな人がするのですから、結構笑えます。
 程々ならばやはり冬には雪、一度は会いたいですね。
雪が木によって、浮雲だったり、綿帽子だったり、細い枝で曲芸をしていたり、黄色の柚子と雪のコントラスト、自然の描き出す姿は本当に見事な芸術です。
雪という綺麗なぺイントで、今の汚れの多い社会が真っ白に清められ塗り替えられたらいいのに、なんて思いながら次々と舞い降りてくる妖精を見続けていました。
 

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January 20, 2006

治療の選択ー2

「それ、誰?」って後ろを振り向きそうになりました。
私達夫婦と理解するのに数秒!
何事にも、どこか当事者というか渦中の人になりにくい性格のようで・・・
いつも適当に覚めております。
 今まで父が歳の割にカクシャクとしていたこともあり、いろんな情報を私が集めては父が一人で決断していました。
 姉が二人いるのですが、いろいろ家庭の事情があり、父は今まで「言うに及ばず」「来るに及ばず」の一点張りでした。
 ただし一昨年の母の手術の際、「お母さんに何かあった時、私が困るから」と説得して、手術をする事だけは姉達に連絡をしました。
「来るに及ばず」は変わりませんでしたが・・・
手術当日、父を母との面会に連れて行き、タクシーで一人実家に帰ってもらいました。
そし私は一人、『手術中』の赤いランプが無事消えるのを見詰めていました。
5人家族なのに、どうして90歳の父が実家に一人、そして手術室の前に私が一人、早急になんとかしなければと思いつつ・・
 あれから一年、その間に姉達のことを、父にわかってもらえるようにコツコツと取り成し続け(それまでもづ~としていたのですが)ギクシャクしながらも何とか親子らしい関係になってきました。
やっと間に合った、そんなギリギリのタイミングで。
 女医さんが「若夫婦でしょうね」の後に「お父さまはもう無理だと思いますよ」と続きました。
 “胃ろう”について、姉達の意見を聞きました。
現在、母の唯一の楽しみである、好きな物を食べる。
その事を大切に、今のまま、自然にいく事に、姉妹3人の意見が一致しました。
 どうするのが一番なのかはわかりません。
答えはないような気がします。
ただ命に関わる事を素人が判断しなくてはいけないなんて・・・
そうゆう時代なのですね。
ご自分の意見を言ってくださった先生に感謝!

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January 18, 2006

治療の選択。

一昨年の暮れ、母は大腿骨骨折で人工骨頭の手術を受けました。
その時執刀医に「延命はどの程度希望されますか?」と聞かれ「えっ、私が決めるのですか~~~」と素っ頓狂な声を出したのを覚えています。
それから一年、又大きな選択を迫られているようです。
母は誤嚥性肺炎で入院しています。
非常に繰り返す可能性の高い病気で、完全な治療法はないとのこと。
誤嚥性肺炎になる可能性を小さくする選択肢として“胃ろう”とわれる胃に穴を開けて直接高カロリーの栄養を入れる方法があるそうです。
ただ、母は高齢で体重も23キロと体力がなく、その手術に耐えられるかどうか、又いろいろ問題がある口振りでした。
今時はお医者様も、あらゆる情報と可能性を伝えておかなければいけないのでしょうね。
でも聞いてしまうと、やはり迷うのが人間というものです。
今回母がお世話になった女医さんに、入院の報告に伺い“胃ろう”の話になりました。
しばらく考えた後「私も同じ位の歳の母がいますが、母にはしたくないですね~」
「香川さん、ご自分だったらどうですか?」と突然私に振られました。
「うっ」と詰まりましたね。
 私自身についてなら、答えは決まっています。
天命庵で「人は如何に生きていくべきか」を学んでいると、自然に人の生死について、日頃から何となく考えていますから。
できる限り自然に逝きたいですね、それが私の寿命だと思うので・・・
自分の考え方が誰にでも当てはまるとは思っていないし、当然押し付ける気もありません。
だからこそ他の人については、難しいですね。
特に、母は永遠に生き続けるつもりの人ですから・・・
答えに詰まります。
正直にご自分の意見を聞かせて下さる先生に出会えて幸せだと思います。
「こうゆう事は、誰がきめるのでしょう?」との問いに。
「若夫婦でしょうね」と女医さん。
「若夫婦???・・・」


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January 16, 2006

名医とお人柄

年末退院した母は3日目から高熱を出し、早速にお世話になることになりました。
 検査の数値を見て、再入院した方がよいと思われたようですか、母の「もう入院はたくさん」という言葉を尊重して、医院の診察後の夜に、お昼休みに(お食事する時間無くなったでしょうに)冬休み中も往診にきてくれました。
さすがお正月三が日はお出掛けになるという事で、お守り代わりにと万一の場合の総合病院宛の紹介状と、緊急の場合相談できるようにとご自分の携帯電話の番号を教えていかれました。
 お世話になって、記事の言葉通りのことを、実行しておられるのがわかりました。
 お化粧毛無し、パーマ毛無し、服装全然構わず、飾り気も無し、でも素朴なままの可愛い感じの先生。
近くのコンビでお見掛けしたのですが、余りに普通のおばさんで挨拶しそびれた位。
 私と似ているのですが、遥か上をいっていますね。
あそこまで自然体はなかなかです。

 お医者様になられた動機は、結婚して一年半でご主人が病気で亡くなられた時、お医者様だったお父様の「思い切って医学部を受けて勉強し直してみないか」との言葉からだそうです。
聖心女子大の英文科卒だったので、高校生に混じっての予備校通いからはじめ、医学博士号をとるまで、寝る間もないほどの忙しさだったとか・・・
 人生って、いろんなドラマがあるのですね。
でも始めからお父様の跡を継いで二代目のお医者様になっていたら、多分今の先生の味わいは醸し出されていないかも・・・
心優しいお医者様にはなられていたとは思いますが。
 苦労にも「いい苦労と悪い苦労の仕方がある」というか、苦労を自分の成長の糧にできた人は、後の人間的暖かさが一味も二味も違う、そんな気がします。
 「私の人生、いろいろあった」なんて事をおくびにも出さないで、優しく人を包み込む暖かさ、又尊敬できる方に出会いました。

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January 14, 2006

名医とは

「内科医の最後の務めは患者さんのお通夜に行くことだと考えています」
 今の地に住んで20数年、ご近所に掛かりつけの内科医を持っていませんでした。
それが高齢の両親が同居することになり慌てて探していた時、タウン誌で冒頭の言葉に出会いました。
家から2分と近い事、往診して下さる事、勿論それも決めた大きな理由です。
でも最大の決め手は記事から感じるお人柄
 「これはあくまで個人的な考えなのですが、人生に幕を引かれるお年寄りには、家で家族に囲まれた中で最期を迎えていただきたい。
入院ももちろん必要な場合がありますが、本人が希望されればできるだけ往診にお伺いしています。
人間にとって死は避けられない定めですが、最期のときに家族に手を取ってもらって見送られるのかその方にとって最良の形ではないかと思うのです。

私は、内科医の最後の務めは患者さんのお通夜に行くことだと考えています。
亡くなられた患者さんには”いろいろなことを教えていただいてありがとうございます”とお礼を言い、ご家族の皆さんには”これまでよく看病されましたね”と労いの言葉をかけています。・・・
医師として患者さんだけでなく、そのご家族の心のケアまでできたらと考えています」
 両親をどのような形で看取る事になるか、その時にならなければわからない事です。
でもこの言葉はとても心に響きました。
このような考えのお医者様が身近におられ、出会えてことは、とても幸せなことだと思っています。                                
 つづく


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January 13, 2006

13日の金曜日や大安仏滅、気にしますか?

今日は13日の金曜日、クリスチャンでもないのに気にしている人いるのでしょうね。
 先日『縁起かついで増える医療費』という記事が朝日新聞の日曜版に載っていました。
カレンダーや手帳の日付の下に小さく書いてある、大安、仏滅・・・。
正式には六曜と言われて、6日ごとに吉凶が巡って来るという観念です
普段、特に若い人達は殆ど気にしないでしょうが、それでも結婚式や家の上棟式等は大安に、お葬式は友引を避けてと、まだまだ結構幅を利かせている風習です。
日本では古くから信じられていて、兼好法師が「徒然草」に「吉凶は、人によりて、日によらず」と記しているように、縁起をかついで何かを選ぶということは昔からやっていたようです。
 この風習が日本の医療費を増やしているとなると由々しき問題だと思うのですが・・・
病院の入退院日を調べた幾つかのデータによると、退院日は大安が多く、仏滅は少ない傾向にあり、特に50歳以上に目立つようです。
退院予定日が仏滅だった場合、翌日の大安まで退院を延ばしてもらう人がいるそうで・・・
この結果から日本全体を推定すると年間数十億円の医療日増しになるとか。
でも入院日には差はない。
当然ですよね。
人は病気になる日を選べませんものね。
 天命庵の親さまが、「この世は神の創った世界。全て良き日、全てよき方向。悪い日も悪い方向も一つもない」とよく言われます。
神が創ったかどうかはさておき、常識で考えても、日本中の全ての人にとって吉日とか悪い日なんてあるわけないですよね。
 六曜、仏教の信仰とは何のかかわりも無い「風俗的観念」だそうです。
仏教では仏教の教えに従って生きていれば「一切日皆善」と説いていますから。
 私たちが古くから伝えてきた文化の中には、後世まで伝えていくべき文化と、改めていかなければならない文化が有ると思います。
六曜信仰は、一つの風俗的観念であって孫や子の代まで大事に伝えていくべき観念だとは言えないのではないでしょうか。
 勿論何を信じるのも自由です。
信じたい人はそれでいいのです。
 でもカレンダーや手帳のように頂く場合が多く自分で選べない物には、記載しない方がよいと思うのですが・・・
見たら意味無いと分かっていても、それなりに・・・ですもの。

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January 05, 2006

“おみくじ”って当たる?

数年、大吉が多いので調子に乗って、年に何度も引きます。
微妙に当たっているような、外れているような、どちらとも取れる絶妙の言い回しに、いつも人事のように感心しながら読んでいます。
 今回のは、“吉”『こちらによくすれば あちらにわるく 右によくすれば左にわるく悪く常に心の迷いあり・・・』
思わず苦笑してしまいました。
大当たり。
ただ今の私の状態そのまんまです。
 91歳の父と88歳の母の介護をしています。
これが間にはいっていろいろありまして・・・
母は体重23kg、昨年26日から熱が下がり切らず肺炎の疑い、痴ほう症もあり、壊れ物要注意状態で介護をしています。
父は年相応にいろいろありますが、年の割には元気です。
それでも母が壊れ物要注意状態という事を理解することは無理なようなのです。
 私は正月三が日、救急車を呼んで入院すべきか、様子を見ているべきか、ハムレット状態で過ごしました。
 去年、母が再々骨折するまで、父と母は二人だけで住んでいました。
それで父は自分が母を守らなければという気持ちが強いのと、私に迷惑をかけないようにとの思いから、一生懸命母の面倒を見ようとします。
それが母の状態を把握できていないので、うっかりすると母の命取りになりそうで・・・
 何事も起る時は起こる、無事な時は無事と腹を括りました。
両方に程良く接して、できるだけ見ないようにして、後は神任せしかないと。
父の熱意を神さまはかっていて下さるかもしれないと思いつつ。
 4日になっても熱が下がらず、母も入院することに同意したので、主人の車で10日前まで入院していた病院に連れて行きました。
 誤嚥性肺炎と診断され即入院が決まりました。
 一年間に4度目の入院は気の毒ですが、父は病名を聞いて、母が壊れ物のように気を付けなければならないと、やっと理解できたようです。
 余りにそのものズバリだったので、小さな小さなおみくじの中に、神様がいつも見ていますよとメッセージをくれたような気がしました。
 おみくじの内容が変わりそうなので、引き直しに行ってこなくては(笑)

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January 03, 2006

戌年の心構え

 明けましておめでとうございます
 今年の干支はイヌですね。
 母の介護の合間を縫って、天命庵に初詣に行き、親様から戌年の過ごし方の話を聞いてきました。
『犬の年というのは、天に忠実に、人生に忠実に、自分に忠実に。
忠犬ハチ公のように、忠実に添いきること。
そうすると今年は良い年になります。
又、犬は“ワンワン”と吠えます。
“ワンワン”と言う事は“一、一”一から始めなさいということ。
一に戻って物事をなしていく年です。
年の最後にはいろいろな嫌な出来事がありましたが、何も心配しないで一に戻って物事を始める年。
全部一に戻って物事をすると結構になりますよ』
というお話を聞いてきました。
 去年は人に会社に社会に対する信頼と安全が、足元から崩れていくような感じがした一年でした。
でもその気持ちを、新しい年に持ち込むのではなく、今年は新たに一から始まり。
互いが信じあえる社会を作っていくために、皆で小さな思いやりをコッコツと積み重ねていけるとよいな~、そんな事を年の初めに感じました。
 今年こそ明るい良い年にしたいですね。

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December 28, 2005

今年2度目の救急車?

一昨日の朝から、何となく母の様子がおかしいかな?と思っていました。
年をとると飲み込む力が弱くなるので、むせているのと咳の区別がとても難しいのです。
それに23キロになった母は病院にいる時から、咳をする力がとても弱々しいこともあって。
朝食もおやつも昼食も量は少ないのですが、おいしいいといって食べるので、食欲があれば大丈夫かなと思っていました。
 午後4時、訪問入浴の下見に会社の方と看護婦さんが一緒に見えました。
何気なく「朝から風邪っぽい様子なんですけれど、明日大丈夫かしら?」と言ったら、熱を計ってみましょうという事になりました。
なんと37.7℃
低体温の母にしては高熱です。
 ケェアマネーさんと両親の主治医になっていただく予定の内科のY先生に、3日前に退院してきた病院が一番事情が分かっているので、救急車で連れて行くことを薦められました。
7度台で救急車は抵抗がありますよね。
それに病院に連れて行けば、「お年もお年なので一様入院」ということになるのは目に見えています。
母は精神的に入院に耐えられそうにありません。
 Y先生が夜なら往診してくださると言うので、待つ事にしました。
2~3日往診で治療をして、それからお正月が入るので入院をするかどうか決めましょうということになっています。
2日して熱は下がりました。
でも高齢なので平熱になったから、無事お仕舞いとはいかないようです。
 入院の場合は安全をとってということになりますが、体力が無いのでやはり救急車で運ぶそうです。
 ん~ん、3ヶ月間に2度の救急車はきっいな~~~

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December 23, 2005

いいかげんは、良い加減

母が一回り小さく23kgになって2ヶ月半振りに退院しました。
自分の家へではなく、父の待つ我が家の離れへ。
待ち構えていた父が甲斐甲斐しく世話をしています。
 91歳の父に母の世話は無理だと思いながら、暫く様子を見ていたら、二人で極楽、極楽と言いながらベッドで寝ていました。
退院の時、看護婦さんが父と母が一緒の部屋で生活する事を「大丈夫かな」と心配していましたが、今のところ結構のどかな雰囲気でホッとしています。
 突然退院が決まってから二週間、隣町から両親の住民票を移し、ケアマネージャーさんを変えて、車いすの生活になった母の為に介護プランを立て直してもらい、電動のベッドと車いす、トイレの手すりが搬入されのは昨日。
ぎりぎり間に合いました。
 しかし今年は私にとってなんだったのでしよう、毎日毎日がめちゃくちゃ忙しい年でした。
最後まで忙しいままで、クリスマスもお正月もありません。
 これから毎日、朝、昼、夜と三人のヘルパーさんが世話をしに通ってくれます。
やってみなければわからないことだらけです。
 可なり強い睡眠薬を飲んでいるので、夜中はおむつなのですが、夜のヘルパーさんが寝る準備を完璧にして帰られた後で、「寝る前にもう一度トイレに行きたい」と言われて、慌てました。
夜用の紙おむつは、パンツ式ではないので、トイレの後、上手くセッティングし直せたか自信なしです。
明朝は凄い事になっているかも・・・
早い夜に来ていただくのはあまり意味がないのかなと思います。
 これから介護プランはどんどん手を入れていかなければならなくて一仕事です。
落ち着くのは当分先の事のようです。
明日は初孫の菫が初めて我が家に来ます。
クリスマスには来る事にだいぶ前から決まっていたので、決行です。
 昔の私は神経質で何事もきちっとしなければ気が済まなかったのですが、こう次から次といろいろ押し寄せてくると開き直り、いいかげんになってきました。
 いいかげん、良い加減、程よくなったのでしょうね。
年のせいかな~~。
でも、いいかげんって、周りもホッとするみたいです。

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December 22, 2005

飛蚊症が整体で直りそう

2、3日前から右目の上の方に小さな黒い点がチラチラする様になりました。
 誰が病名を付けたのかしりませんが、飛蚊症とは本当にぴったりの病名です。
目の球を動かすと、その動きに合わせて蚊もマイマイと飛びます。
眼科に行きたいのですが、何しろ母の退院騒ぎでめちゃくちゃ忙しくそれどころではありません。
でも、主人も母もかかった事があるのですが、いつの間にか治ったようなので様子を見ていました。
 この頃、かなり疲れているので、倒れる前にと思って整体に通っています。
私は凝り性なので体をほぐしてもらいに行っていますが、かなりいろいろな病気も治るようなのです。
それで駄目もとで何気なく「飛蚊症なんだけど」と言ってみました。
 私がブログを書いてる事を知ってる数少ない人の彼は、「目の酷使、パソコンのし過ぎ」とあっさり言切りました。
両親の介護で忙しく、そんなにパソコンをしている暇はないのですが、何せ視力2.0の疲れた体にはパソコンはかなりきついのかなと思いました。
「ブログは私の大切な気分転換だから、飛蚊症なんとかしてよ」と言うと、本当になんとかしてくれちゃいました。
ビックリ!!!
 完全とはいきませんが、8分通りかな?
蚊は小さく薄くなり、殆ど気にならない位です。
 またパソコンをごそごそやっていると、戻ってきそうですが、通っているうちに治りそうです。
 でも一度、眼科でチエックはしてもらうつもりですが。

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December 21, 2005

どこまでリハビリを希望しますか?

母の退院が、この23日に決まりました。
基本的には両親の介護、本人達の意思を尊重して自分達のしたいようしてもらいたい、と思っていました。
やっぱり甘かったのかな?
そうも言ってられない状況になっています。
 この度の入院、ハプニングの連続でしたが、最後もまた何故退院になったのかよくわからないまま決まりました。
一月中旬まで掛かる予定だったリハビリを途中で端折ってという感じなので・・・
 1ヶ月程前に主治医とリハビリの主任さんから「どこまでリハビリすることを希望されますか」と聞かれました。
「え~~、私が決めるのですか???」
不思議な話なのですが、その辺がみんなもやもやとしているのです。
歩けるものならば歩かせたい。
でも歩いたら転倒する。
そして今度転倒したら命の保証がない。
付き添い無しで歩かないようにと、母に言っても覚えている事が難しい。
 現在母の体重23キロ。
この軽さが度々の重度の骨折にもかかわらず、骨折した部分に負担を掛けずにフワフワッと中を浮くように歩くことができる原因です。
リハビリをして歩行器を使って歩けないことはないと、先生達は考えているようです。
現実に自覚せずにですが、真夜中に歩きましたので。
でも一年間に三回、転倒、骨折、入院を繰り返し、最後は生命の危険にまで及んだことを考えると、歩けるところまでリハビリをする事の危険性を危惧されています。
 多分どうすればよいかという答えは、誰にも分からないのだと思います。
と言うか世の中には正解、これが一番なんて決められないこともあるのです。
自然の流れには逆らわず、出たとこ勝負でいくしかないようです。
 でもみんな内心思っている事があるのです。
母はまたフワ~っと歩くだろうな~~~って。
ギネスブックものだって。
 23日からの生活、想像もつきません。

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December 18, 2005

身体拘束の3割に違反

との記事に複雑な気持ちがしています。
 『介護保険施設で入所者が受けた身体拘束のうち、約3割は生命の危険性など「緊急性」がなかったことが、厚生省の初の全国調査で分かった』と朝日新聞に載っていました。
 骨盤骨折で入院中の母は6週間の牽引の後、足の重りを取って5日目の真夜中に自分でベッドから降り、高熱で緊急入院していた隣の病室の父のところまで歩いてしまったのです。
 翌日父母の面会に病院を訪れると、主治医と看護士さん達の顔が引きつっていました。
先生は開口一番「朝一番でレントゲンを撮りましたが、骨のずれは認められませんでした」と報告しながら、起こり得ない事が起きてしまったという当惑が隠し切れないようでした。
 そして最後に言い難そうに、病院としては出来る限りのことはしていますが、母に一日中看護士が付いて見守っているわけにはいかない。
特に夜は看護士の人数が少なくなるもので・・・もし了解を得られればと切り出されました。
ベッドの位置を看護士が通りすがりにいつも見えるように動かしたい。
ベッドの一方を壁に付けて、簡単に降りられないように柵をしたい。
人権問題になるので出来る限り避けたいのですが、どうしてもベッドから降りようとする事を止められない場合のみ身体拘束の許可を頂ければ、有難いのですが・・・と言われました。
 母の場合、骨折が内臓に近い部分で万一の場合は出血多量で命に関わる、と入院時に詳しく説明を受けていたこと。
それとここ数年で4度目の長期入院、看護士さん達も顔なじみが多く信頼関係が出来ていたことで、躊躇いは感じましたが了承をしました。
幸いな事にその時一回だけの出来事で終わり、その後は何とか無事過ぎています。
 病院と介護施設は違うでしょうけれど、どんな場合でも大切なのは信頼関係ではないかと思うのです。
 『厚生省の調査で身体拘束は、安全確保を理由に介護をする側の都合で不必要に起こだわれていると指摘されてきたが、その実態が浮かび上がった』『・・・拘束廃止への取り組みがない施設への報酬を減らすことも検討』『人手不足が一因』とも載っています。
そういう措置も当然必要でしょう。
でもお役所仕事だなと思います。
 身体拘束は人権問題ですが、その非を世話をする人達だけに押し付けるのではなく、労働条件の改善-人数の緩和、労働時間の短縮、待遇の改善-等も考えるべきではないでしょうか?
そして大切な家族を預かって頂く場所なのですから、入所する前もまた入所してからも何度も足を運んで信頼関係を作る、入所者が精神的に落ち着けるように家族が協力する事も大事なことの一つだと思います。
 何事も関係する人皆がそれぞれの立場で、よい方向へ向けて努力する必要があるのではないかと感じます。

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December 12, 2005

感謝は言葉にして・・・

母を病院に見舞った帰りの電車で、前の座席に外来でとっても世話になった事のある看護婦さんが座わりました。
91歳の父が39℃c熱で待合室に座っていられず、処置室で甲斐甲斐しく世話をしてくれた方です。
ちょっと知的でクールな感じのする美人で一瞬声をかけるのを躊躇ったのですが「先だっては父が世話になりました」と思い切ってお礼を言いました。
 そして「私今尊敬する人というか、職業は看護婦さんなんですよ」と言うと、本当にびっくりした顔をして「本当ですか?そんなこと言って頂いたの初めてです」と言われたので、今度は私の方がビックリ!
皆あんなにお世話になっていても、余りお礼を言わないのですね~
 看護婦さん達本当に見ていて頭が下がります。
皆忙しそうに走り回っているのに、患者さんに声を掛けられると患者さんの目線になって分かるまで説明しています。
老人病院というわけではないのですが圧倒的に高齢者が多いので、意思の疎通を行うのは本当に大変だろうと思います。
それと医師はくるくる変わるのですか、看護婦さんは長い方が多いのです。
だからかなり長くお世話になっている母などは、名前を覚えていて、皆さん声をかけてくれます。
看護婦さんでもっている病院、それはちょっと言い過ぎですが・・
 喋っていてさり気なく出てくる言葉がさすが仕事人という感じ。
「患者さんのお世話をさせて頂くのか私たちの仕事ですから」
「それでお給料を頂いていているのですから」
「子供の頃からこの仕事に興味があったので」
そして未だ若いのに、患者さんのことをいろいろ気遣いながら仕事をしている様子が言葉の端々に感じられます。
皆がこうゆう姿勢で自分の仕事に向かったら、不祥事がグーンと減るでしょうね。
 日ごろ感じていることを話しただけなのですが、別れ際に「外来担当なので、患者さんやその家族の方とゆっくりお話する機会がなかったので、いろいろ言って頂いてとても嬉しかったです」
「こんなふうに思って頂いていたなんてとても幸せです」と
クールな美人さんの顔が、とても嬉しそうな可愛いお顔になりました。
 やっぱり感謝は言葉にして伝えないと相手に伝わりにくいですね。
 連日の病院通いで疲れていたのですが感謝の気持ちを伝えた事で、とても爽やかな気分になりました。

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December 05, 2005

女児殺害について思う事

又小1の女の子が、栃木で殺害さた事件が報道されています。
まるで次々と押し寄せてくる大波のように、暗い悲惨なニュースに接し、被害者の方達のお気持ちを察すると暗澹たる思いがする毎日です。
それもテレビで再三同じ内容を、これでもかこれでもかというように垂れ流がし続けられると、悲惨な事件がまるで現実の二倍も三倍もあるように感じてしまいそうな始末です。
マスコミは事実だけを正確に伝えてくれればよいのにと思います。
犯人探しや、情報収集は警察に任しておけばいいのではないかと・・・
世の中で何が起こっているかを知る事はとても大事ですが、プライバシーに関わるような事まで事細かに知らせる必要があるのでしょうか?
私には今のマスコミの態度は犯罪を煽っているような気がしてなりません。
同じような事件が、続いて起こるのを見ていて特にそう思います。
もちろん悪いのは事件を起こした当事者である犯人です。
でもこんな世の中を創り出した私たち大人一人一人にも、責任があると感じています。
「姉歯事件」で関係者が醜い責任のなすり合いをしているように・・・
今回の栃木の殺害事件では、小学校の責任を問う声が父兄の間から上がっているように・・・
どこかで皆が、責任の転嫁をして、誰も責任を取ろうとしない。
自分は関係ないような顔をして、物事をやり過ごそうとしている態度が蔓延しているような気がします。
一人一人が今社会で起こっていることを、自分の事として受け止めて、何とか良い方向に持っていこうと力を合わせないと、一連の事件は止まらないと思います。
今地球上で起こっている出来事は、全部連なっていて自分も関わっているのだと感じる想像力、連帯感、皆で助け合って生きていこうという気持ちが生まれる事を祈っています。

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December 03, 2005

「有難う」の語源

人に何かして頂いた時、私たちは「有り難う」と言って感謝します。
 「有り難う」とは「難しい事、困難なことが有り」と書きます。
それがどうして感謝の気持ちを表す言葉として、日常で何気なく使われているのでしょうか?
本来は感謝を表す言葉ではありませんでした。
「有り難う」は「有り難し」から派生しています。
「有ることが難しい」「非常に稀である」という意味です。
 その昔、世に極めて稀な事や珍しい事は、神や仏の力で実現されると考えられていました。
そういう稀な出来事や奇跡を起こした神仏の力を讃え、同時に感謝の気持ちを表して「ありがたし」と手を合わせて神仏を拝んだそうです。
珍しい、有り得ない事が起こった場合に使ったわけです。
 今日私達の日常においても、人の好意、親切、助け、協力はいつも「有る」ものではありません。
時々示してもらうからこそ「有り難い」のです。
ですから「有り難う」が感謝やお礼の言葉に使われているのです
 「有り難う」の語源は、神仏への感謝の「有り難し」が変化したものです。
神への感謝の言葉であった「有り難う」を、折りに振れ心を込めて言うことは、「難有り」を「無難」に変えていく事だと聞いたことがあります。
 ちょっとしたお人の心遣いにも、心から感謝できる人間でありたいですね。
 日本人は心を込めて、又はさりげなく「有り難う」と自分の気持ちを相手に伝えるのが余り上手ではありません。
 感謝の気持ちを素直に気軽に現せる「有難う」をもっと日常の生活の中に生かすと、住みやすい世の中になると思います。


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November 26, 2005

頑張らない、努力しない、必死にならない

「風に柳といきたい」と日経新聞の“健やかに美しく”の欄に書いてありました。
落語家、柳家花家さん34歳、若者からこんなに含蓄のある言葉を聞くとは恐れ入りました。
“「頑張る」は「我を張る」に由来する、だから頑張らないのは怠惰ではなく、感謝するの意につながる。
今を否定してより良くなりたいと頑張るよりも、目の前の今を肯定して感謝する。
身につければこの方が心の充足感は得やすく、ずっと幸せです“
 「頑張ってね」「頑張ります」何気なく使う慣用句みたいなものですけれど、我を張るとは気が付きませんでした。
 “否定的な言葉をぶつけられれば聞き流す。
相手側の気持ちを理解できるようになれば、同情して水に流せるものですよ。
心が広いなんて、とんでもない。
損得勘定です。
しこりを残せば怒りで眠れなくなったり酒量が増えたりして結局自分の体を痛めて損してします。
我慢でなく理解できれば、負のものがなかったことになるのです“
出発は損得勘定からでも、相手の気持ちを我慢ではなく理解して、負を無くす。
凄いですね。まだまだ修行が必要です。
この考え方、世界平和にも繋がりそうです。
“つまりはストレスをいかになくすかということ。
食でもこだわりは一切なく、何でも有り難く頂きます。
あれこれ気にするよりも、体の潜在能力に任せた方がきちんと機能するでしょう“
 最後にこう締めくくっています。
 “風に柳とでもいいましょうか。
無理せずこだわらず。
物事に一喜一憂しない強さを持ち、それを実践すること。
健康とは生き方そのものにほかなりません“
 本当に実践してこられたのでしょうね。
94年戦後最年少の22才で真打昇進だそうですから。
どんな噺家なのか、聞いてみたいですね。
ちょっぴり日本の未来に希望が持てそう。

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November 24, 2005

忙しいは,心を亡ぼす

出来るだけ“忙しい”と“疲れた”は言わないようにしています。
「忙しい、忙しい」と言っていると、余計忙しい気分になって、する事が雑になるような気がするので。
 それにしても、日本中が忙しそうですよね。
11月に入るや否や、街中クリスマス・ムードに駆り立てられています。
クリスマスと言えばやはり師走、もう今年も終わりね~、なんて言いながら2ヶ月も(一年の内の1/6ですよ)慌ただしい気分で過ごすの異常じゃないかなと思います。
 何となく、忙しくないと一人前の人間じゃないような雰囲気が日本中にあります。
「ひま」なんて言ったら、「何かしなさいよ!」って言われそうな。
 私の子供の頃、洗濯は手洗い、掃除ははたきと箒、お料理は手作り、移動の乗り物も不便でゆっくりでした。
何をするにも、どれ一つとっても時間と手間が掛かった時代でした。
そんな中で、皆時間を上手に大切に使っていたように思います。
 これだけ文明が進み便利になったのですから、心に時間にゆとりができても良さそうなものです。
行動範囲が広がり、出来ることが多くなった事もあるのでしょうが、余計に忙しくなったようです。
 忙しいは漢字で、りっしん遍(心)に亡ぶと書きます。
現代人は心の亡んでいる人が多いのですね、きっと。
 忙しい忙しいに流されて、大事な事を見失っているそんな時代のような気がします。

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November 18, 2005

今年は入院ラッシュです

母が3度目の入院中の病院に、父が壁を隔てて隣の部屋に入院。
うっそ!てな感じですね。
夫婦で隣同士の部屋に入院なんて。
 父は39度の熱が下がらず、原因が分からないので入院して検査と治療をという事になりました。
なにしろ91歳なので看護婦さんと主治医がてきぱきと動いて下さり、あれよあれよという間に決まりました。
 入院手続きとなると去年の暮れから四度目、書類をこちらから催促して、看護婦さんが説明しかけると「わかってます。わかってます」と主人と二人でサッサと手分けして書き込んでしまいました。
 外来の主治医は院長先生でかなりご年配の方ですが、入院病棟に上がると、例によって若いお姉さん先生が主治医になりました。
本当に不思議なのですよね。
中年のお医者様が病院から消えてしまったような・・・
年々病院の医師が若くなっていって、今や本当にお姉さんお兄さんの時代です。
正直、何だか頼りなさそ~~~
まあ、患者本人が不安そうではないので、それはそれでいいのですが。
 母の精神的な不安定さが、父が傍に来ることになってどうなるか・・・
 病院の中では、夫婦だから同室にという話もあったようですが、父の病気が感染する恐れがあるので別室になりました。
でもよりによって隣の部屋が空いていたとは摩訶不思議です。
この世に偶然は無いと思っていますから、何か意味があるのでしょう。
 二人の回復を祈りつつ、楽しみに待っていようと思います。

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November 12, 2005

般若心経-2

「空」のお経、と仏教学者のひろさちや氏は「般若心経88講」に書いています。
お経を読誦(どくじゅ)し始めた頃、意味がチンプンカンプンでは心がこもらないと思い、解説が一番易しそうにみえた氏の本を読んでみました。
 「般若心経」は今、日本で一番良く読まれ、日本人が最もよく知っているお経です。
その一番の理由は約300字たらずの短いお経だからだそうです。
ちょっと寂しい理由ですね。
でも忙しい現代人にはお経を読誦するにも、写経するにもこの短さはとても魅力的なことだと思います。
 内容についてですが、フム、当時私の頭の中には仏教的思考回路がなかったのか、易しく書いてあるのは感じるのですが、解ったような解からないような・・・
本を読み終えた後、まさに「空」何も頭の中に残らない不思議な感じでした。
 それが天命庵で親さまの話を聞いていて、いろんな事が繋がりました。
真理はやっぱり一つなのですね。
神様はお一方だから。
聖者や教祖がそれぞれの違った教え方をしていますが、内容は同じことなのです。
 ひろさちや氏は「空」を、こだわるなということだと書いています。
肉体も精神も、煩悩、健康、物欲にもこだわらなければいい、物事から良い悪いの差を取ればいいと。
差を取る-さとる-悟る、差別することを止めれば悟れるのですね。
 この世は神が創った世界です。
神はこの世に良き事しか創っていません。
死をも病をも含めて、全て良き事です。
人の死に接して、病になって、その中からいろんな教えを得ることができます。
それを人間が勝手に自分達の都合で「良きこと」「悪いこと」と差を付けてしまっているのです。
 自分の体、親兄弟、友達、才能、財産、名誉、健康、全て天からこの世に生きている間、借りている物です。
その証拠に死んで天に帰る時、持っていくことは出来ません。
自分の所有物ならば当然持っていけるはずです。
 「空」とは、自分の物は何も無いのだよ、だから拘らないで生きなさい。
 天に持って帰れる魂だけを大切にして生きなさい、と説いている気がします。


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November 09, 2005

般若心経

先祖代々のお墓とお仏壇を我が家で守っています。
 主人は三男坊です。
でも長男が亡くなった時初めてわかったのですが、義姉が他に墓地を用意していました。
次男には、嫁いだ女の子しかいません。
 6年前義母が亡くなり、今風の小さなお仏壇を日本間に備えました。
お仏壇を守るからには、お経の一つ位は唱えられなくてはまずいのではないかと思い、仏教に詳しい友に相談して般若心経を唱える事にしました。
 父が我が家に引っ越してくる時、身の回りの物だけを持ってくるつもりで迷っていたようでしたが、「ご先祖さまもご一緒にね」と言って実家のお仏壇を持って来てもらいました。
 この頃いくらか落ち着いてきたので毎朝、我が家と実家のご先祖様に般若心経を唱えています。
 いろいろ両親と話をしていると不思議なのですよ。
父方も母方も主人の方も二代前までは、毎日誰かがご先祖さまにお経を唱えていたのです。
父は子供の頃祖父から般若心経と観音経を習い、夕方家族が集まって唱えていたと言います。
母の方は、祖父が毎朝お墓参りをし、お仏壇にお経をあげていたそうです。その祖父が亡くなった後は祖母が引き継いでしていたといいます。
それが私達の両親の代で途絶えてしまっています。
 祖先が脈々と命をつないでくれたから、今の自分がある。
両親、祖父母、曾祖父母・・・と血が繋がってきたのです。
誰か一人でも欠けていたら今現在の自分は存在していません。
そのように考えると、常に両親にそして祖先に感謝の念を持つことはとても大切な事だと思います。
別にお墓参り、お線香やお経をあげなければ、ご先祖の供養ができないと言っているのではありませ。
感謝の気持ちを持てば充分なのですが、それを毎日ちょっと形で現せたら、もっと素敵かなと思います。
父も母も私がお経をあげることを、とても懐かしそうに喜んでくれています。
 脈々と命をバトンタッチしてくれた先祖の存在を意識した時、私達は自分の命も人の命も大切にしなければいけないことを自覚できるのではないでしょうか。

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November 07, 2005

母の精神不安定の原因

天命庵の親さまは、「この世で起こっていることは、この世に生きているうちに解決できるようになっている」と言われます。
 ほぼ毎日、入院中の母を見舞って2時間前後話をしています。
母が精神的に不安定になっている原因がどの辺にあるのか、子供の頃からの話じっくり聞きながらヒントを探しています。
60年近く縁あって母と子として過ごしていて、知らないこと気付いてなかったこと、いっぱいあるのですよ。
母はこんなふうに感じていたのか、母はこんなふうに考えていたのかと思うことが・・・
 親子、夫婦、兄弟、意外と近い間柄の人のことほど、わかっているようなつもりになっていて、その実本当はわかっていないのかもしれませんね。
相手を理解する努力を、疎かにしていたと言うか。
と同時に、一人で我が家に引っ越してきた父が寂しいだろうと、お茶を飲みながらいろんな話をしていると、父に対しても今まで気付かなかった性格がいろいろと見えてきます。
 二人の話を突き合わせて見ると、母が精神的に不安定になっている原因がおぼろげながら見えてきました。
夫婦の間の信頼関係って、当然のことですけれど大切なのですよね。
それも、いちいち言わなくても分かってるじゃないかではなく、きちっと言葉で態度で表わさなければ、完全には通じないのですよ。
父は母にとって、典型的大正初期生まれの日本男児、亭主関白だったのです。
若い頃はともかく、中年になってからは海外での生活も長く、レディー・ファーストでスマートに母をエスコートしているように感じていたのですが・・・
薄薄気づいていた点もあるのですが、そこまでとは思いがいたりませんでした。
我慢強い人ですから、積もりに積もっていたようです。
 でも今本当に良かったと思っています。
あんなに重い“思い”を持って、天国にはとても帰れませんもの。
そして父も今回のことで母の思いに気付いて、気を付けなければと心から思っているようです。
 入院中の神経精神科の先生から、この病気は完全に治すのは難しいといわれています。
でも少しずつ光が見え始めています。

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November 03, 2005

心療内科というネーミング

不眠症になった母を何科へ連れて行こうかと、イエローページを見ていた時、不眠症の治療を掲げていたのは圧倒的に心療内科でした。
神経科か精神科の領域だと思っていたのですが・・・
 神経科、精神科、両方共神という字が入っていますね。
 神経科-神経の経は「すじみち、とおりみち、道理」の意味があり、「まっすぐ」の意の言語から来ています。
そして、もののすじみち、普遍の道理を説いた書物-経典、経文、経書等を経といいます。
きっと日々の生活において考え方の中に、神仏の教えをまっすぐに通せば、神経を病むことはないのでしょう。
 精神科―神によって清める科と読めます。
現代は日々の雑事の中で、心が疲れて段々汚れていくこと多いですね。
「忙しい」と言う字は心を亡ぼすと書きます。
神の教えによって、心遣いを美しい方へ正しい方へと常に清めていると、精神を病む事はないのではと思います。
 神の教え等と書くと、何処かの宗教団体や組織に入らなければいけないのかと思われがちですが、決してそうではありません。
日々の生活でよい心を使い正しい行いをする、悪い心を使わない悪い事をしない。
ただそれだけでいいのです。
神の考え方から外れて、自分が自分と我丸出しになったり、人よりも社会的地位、名誉、財産、愛情が欲しいと欲を出し過ぎたり、恨み、妬み、争いと悪い心を使っていると、心が汚れてくるのは当然ではないでしょうか。
心が汚れると気の流れが悪くなります。
気の流れが悪くなって普通の流れと違ってくる、それが「気が違う」ということだと思います。
 昔から使われている言葉には、それなりの深い意味のあるように感じます。
昔の人達は言葉を大切にして、的確に表現していたようです。
それが間違った使い方をされ、人に悪い印象を与えてしまう言葉になったが為に、新しい言葉に言い替えられ、余り意味のはっきりしないぼんやりとした言葉になってしまった。
心療内科などはその典型ではないかと思います。
でもそのために病気にある本質が見えなくなってしまって、もったいないような気がします。
 言葉の持つ深い意味を考えるとて、物事を解決する本当の切っ掛けになるのではないかと思うのですが・・・
 

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November 01, 2005

先生と呼ばれる程の馬鹿はなし

主人は市の行革の委員をしています。
委員は学識経験者と一般市民からなっていて、学識経験者は先生と呼ばれているそうです。
「それって差別じゃない」と言うと、「そういうところも改革していかなければ」と言っていましたが、まだ先生と呼ばれているようです。
市の担当の方から「香川先生いらっしゃいますか?」と電話が掛かってきますから。
電話を受ける度に、高等学校の社会の先生をしていた亡き義父の顔が浮かびます。
最も学識経験者の中には大学の教授が数名いらして、まさかその方たちの前で「先生と呼ばれるほどの馬鹿なし」とは、いくら言いたい放題の主人でもなかなか言えないようです。
学校の先生は先生でいいと思いますけれど。
 それにしてもこの頃日本では、著書が一冊あると先生と呼ばれるようになるそうです。
先生という言葉の重みも変わりましたね。
そこいら中、先生だらけだったりして。
 先生と呼ばれる政治家がいろいろ事件を起こしていた時だったと思うのですが、天命庵の親様が「先生と呼ばれるほどの馬鹿はなし」と言われたことがあります。
先生、先生と呼ばれて煽てられ、乗せられ、その気になって馬鹿な事をしでかすという意味でしょうか?
日本人にとって「先生」という言葉は、自尊心をくすぐる独特の響きがあるようです。
 主人が外資系の会社に勤めていた時、役職に関係なく皆、外国人も含めて「さん」付けでお互いを呼んでいました。
当時、日本の会社では考えられないことでしたが、仕事上は種々の役職があっても、人間としてはみんな平等、そんな感じがしてとても好ましく感じました。
 どんな職業の人も、立場の人も皆、「さん」でいいのではないかと、私は思います。
その方が、人間関係に変な「差」を作り出さなくて自然ではないかと・・・

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October 26, 2005

心療内科と精神科の先生

母のお供で心療内科の先生に、5年程前から月に1~2度お目に掛かっています。
先生もお若い頃、精神的にいろんなことで悩まれ、それでこの道を志したのかな?と思わせるような物静かな雰囲気の先生です。
初診は小1時間かけて、母の子供の頃から現在までの歴史をじっくりと聞いてくださり、それ以来そっと寄り添うように治療を続けてくださっています。
5年間も付き添っていると、いつしか母の病気と闘う同志のような感じになり、私も心の安らぎを得ているようなところがありました。
この度の転倒で入院した病院は、心療内科がないので神経精神科で診て頂くことになり、先生からの紹介状を持って会ってきました。
 別に精神科の先生に特別なイメージがあったわけではないのですが、妙に明るい雰囲気の先生で面食らいました。
開口一番、「精神科のSです」と名乗られた後、「お母様にはまだ名乗っていません。聞かれれば嘘はつきませんけれど」と、ニヤッと笑われました。
今までの症状を詳しく聞かれて説明している間も、これが楽しいのです。
結構深刻な話をしているのに、時々二人で笑っていたりするのですよ。
それとこの頃どこの病院に行っても、お兄さん、姉さんと呼びたくなるような若い先生ばかりに巡り合っていたので、中年と呼べそうな年頃の先生だったのでなんとなくホッとしたこともありますし。
医師の腕と、年は関係ありませんけれど・・・
 母は急激な環境の変化に軽い妄想が出ています。
別れ際、「これから会って詳しく聞いてみます」と実に楽しそうに言われました。
 正反対のタイプの先生に、今回母は治療して頂く事になりました。
吉と出るか凶と出るか私にはわかりません。
でもやっぱり明るいっていいことだな~。
気分がとても楽になります。
これは患者の立場ではなく、介護している方の勝手な話ですが・・・
 心の病を治療している先生に、明るい楽しい先生がいるという事は1つの発見でした。

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October 20, 2005

思い=重い

オフコースの歌が、病院へ向かうタクシーの中に流れていました。
ふと涙ぐみそうになった自分に、やっぱりかなり疲れているな、と改めて感じました。
 母の精神的不安定さは、4度目の入院で、住み慣れた?病院に戻り、時が経てば落ち着くかと思っていたのですがはかばかしくありません。
 人間が自然に考えている事の8割は否定的なことだと、何かの本で読んだことがあります。
よくいわれている、マイナス思考というあれですね。
体調の悪い年寄りに、プラス思考等といっても無理なことは承知ですが、落ち込み方が常時ではありません。
 大正、昭和、平成と三つの時代を生き、戦争をくぐり抜け、波乱にとんだ困難の多い人生だった事は事実だと思います。
多くの日本人がそうだったように。
でも母は、子供時代、童謡歌手という華やかな世界に身を置き、結婚してからは父の仕事の関係でニューヨークに8年暮らし、普通の人には味わえないようないい思いもいっぱいしたはずです。
それなのに今心に残っているのは、苦労した思い出だけのようです。
 人の“思い”はとても“重い”ものです。
思い=重い。
日本語って面白いですね。
重い思いの中でも、楽しいこと、嬉しいこと、喜ばしいこと等は軽いのです。
嬉し時、天にも上るような気持と表現するように。
でも、悲しかったこと、つらかった事というのは本当に重いのですね。
気分が沈む、重くて下に引っ張られてしまうのでしょうね、きっと。
 天の国に帰るのにそんなに重い思いを持っていては、天まで昇るの大変ですよ、と心の中で思いながら、毎日2時間近く沈んでいる気分が軽くなるような話を、昔の楽しい思い出が蘇えるような話を、し続けています。
「人生、骨が折れた、骨の折れた」と思っていると本当に骨が折れて、くっ付かなくなってしまうから、楽しいこと、嬉しいことを一杯考えて早く元気になろうねと言いながら。
 88年間に積もった思いは、そう簡単に変わることはないでしょう、でも少しでも心が軽くなってくれればと願いつつ・・・

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October 18, 2005

絶体絶命はない

お手伝いさんに事情が出来て、今月一杯で来れなくなりそうとの電話がありました。
両親がわが家の離れへ引っ越す準備と、その後の介護のお手伝いをお願いするつもりでした。
若いプロの彼女を当てにして予定をたてていました。
引越しは月末に決まっています。
前々から当てにしていたので、他に思い当たる人もなく、一瞬目の前が真っ暗になりました。
 でも何時頃からか何かあると、神様は何を示し申されたいのかな?と考える癖がついています。
 神とは「示す偏に申す」と書きます。
いつでも身の回りの出来事を通して何かを教えてくれているはづです。
 これから彼女が一番必要という時に、こういう事になったというのは、何か意味があるのだろうなと冷静に考えることができました。
とても気持のやさしい彼女は、無理を言えば何とか都合をつけてくれそうな気配があります。
私にとって彼女は両親の事を手伝ってもらうには、他の人を考えられない位最高の人です。
でも、もう一度軽く頼むだけで、ゴリ押しはやめておこうと思っています。
 なんでもそうですが、無理をすればしただけの事が後から必ず起こってきますから。
無理に何とかしようと思うと、とても疲れるし、神様の用意してくれている流れを止めてしまうような気がします。
 現実にはこの週末から絶体絶命のピンチです。
どう考えても体が2つ必要で・・・
 今日実家で、今お世話になっているヘルパーさんに、父が月末でお別れになる事を告げお礼を言っていました。
そうしたら、彼女が「近いから困ったら“会”に頼んでなんとか・・・」
市を移転すれば、今のヘルパーさんを続けてお願いするのは当然無理だと思いこんでいました。
フム、そういう手もあるのか・・・

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October 12, 2005

試練は行列して順序正しく

救急車に同乗しました。
 88歳の母の転倒で動転している91歳の父を実家に一人残して、救急車は出発しました。
去年の暮れから今年の4月まで大腿骨骨折で入院していた病院に受け入れてもらえること確認した後、救急車を頼んだので、すぐサイレンを鳴らして動き出しました。
意外な事に、車の中ではサイレンはほんの微かにしか聞こえませんでした。
 実家の夕食の後片付けをして帰宅後45分、「二人で転んだ」という父の呻く様な電話で呼び戻されたのは想定外でしたが、いずれこうゆう時が来るだろうということは、覚悟していたように思います。
到着を待っている間に、保険証と入院に当座必要なものを用意し、救急車ってえらく乗り心地の悪いものだなと冷静に感じている自分がいました。
母の寝台にはスプリングが効いていて、振動を吸収するようになっているようでした。
 病院に3分で到着すると、いつも見慣れた病院の夜間は冷たく静まり返っていて、自分達が緊急事態の中にいることを改めて告げているようでした。
当直の医師から、骨折の場合出血多量で血圧の低下ということもありうるのでそれは覚悟しておいて下さいと説明されました。
書きなれた何枚もの入院手続きの書類に記入をし、病室に落ち着いた母を見届けて父の待つ実家に戻ったのは、日付が変わってからでした。
 それから5日、母は輸血をし、軽い認知症なので精神的に不安定になり、父は老いが一段と進んだようです。
毎日実家、病院、我が家を三角に動く5ヶ月前の生活に戻りました。
 去年の暮れから二回の母の入院、そして元気だった五ヶ月の間に家の増改築、完成してほっとしたところで再び母の入院。
いつでも父が引っ越して来られるよう準備は整っています。
 まるで試練が行列して待っているように、次々と順序正しく起こっています。
私のこなせるギリギリの範囲で、何とか倒れないでもつ範囲で。
 神は人に「越えられない試練は与えない」との言葉を信じて、一つずつ丁寧にこなしてきたいと思っています。

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September 30, 2005

祈り

神の“意に乗る”ことが祈りです。
 以前は祈りと願いが、私の中でごちゃごちゃでした。
天命庵で“神の教え”を学んでいて気付きました。
祈りとは、自分の望みを神様にお願いすることではないのです。
私達はこの世に生まれいずる時、それぞれ天からの使命を持って生まれてきています。
祈りとは、その神の意を、無心に祈る事によって感じ取ろうとすることかな、と思います。
これは私の勝手な想像なのですが、きっと神は人間に対して「平和な世界を創ってほしいとか、皆で仲良くしてほしい」と日々祈っていると思うのです。
人々が神様に、あれこれお祈りをしているように。
もちろんレベルは全然違いますが。
神様の祈りは純粋に人類の為のものですが、人の祈りには純粋なものもありますが、自分の欲で祈っていることが多いですね、きっと。
 天命庵の庵主、大徳寺昭輝さんの著書「いのちの光」(春秋社)の中に、願っても叶わない理由がとても分かり易く書てある部分があります。
引用させてもらいます。
 『皆さんはよく神様に「こうして下さい」「こうなりますように」とお願いします。
そして願っても叶わないと、こんなに祈っているのに、なんで叶わないのだろうかと考えます。
答えは簡単です。
皆さんには縁がないからです。皆さんがいくら願っても、いくら思っても、縁がないことは現れてこないのです。
皆さんに良くないことは、絶対に現われてこないのです。
皆さんがわがままな願い、自分勝手な願いをしても、神様が見ていて、これはこの者のためにならないと思ったら、全部祓ってくれるのです』
 本の中のほんの一部を引用すると、全体に流れている雰囲気が伝わりにくいのですが、私はこの中に、人が生まれる時託された天の使命から大きく外れた願い事も、含まれているのかなと思っています。
 静かに祈り神の意に乗る、自分らしい人生を生きてゆく秘訣だと思います。

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September 29, 2005

従流志不変

流れに従い志を変えず
 臨済宗大徳寺最高顧問・立花大亀さんに、井植歳・三洋電機取締役が父親をなくし事業に困難が生じたときに相談した折、贈られた書に書いてあった言葉だそうです。
「難問を前に立ち往生したら、流れに身を委ねよ。ただし、志は忘れるな」という意味とか。
 「なるほど」と頷けます。
困難に出会うと、何とかしなくてはと焦って、どうしても無駄な動きをしてしまいがちです。
そして結果もっと物事が複雑になって、解決に時間とエネルギーを要することになります。
 そうじゃないですね。
静かに流れに身を任せ回りを静観していると、今自分の置かれている立場が次第に見えてくるようになります。
自分の立ち位置が理解できた時、志を遂げる為に、次にどう動けばいいかということが自然に分かってくるのですね、きっと。
“ボー”と流れに身を委ねているだけでは駄目なのです。
志を常に意識していないと。
 その後この書は、州知事時代に初来日し三洋電気を訪れたクリントン元米大統領が興味を示し、井植氏は贈呈したそうです。
知事公邸に書を飾り大統領への志を保ち続けたとの事。
クリントン氏、確かに志を果たしましたね。
 言葉の持つ力って凄いなと思います。
現在、書はクリントン家の家宝になっているそうです。

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September 26, 2005

おみくじ

ここ数年、ほとんど大吉を引いています。
恥ずかしながら“おみくじ”大好きです、
今年はメチャクチャ忙しくて、神社にお参りする時間がなく“おみくじ”が、なかなか引けなくて、残念!
 今、14個の大吉のおみくじが、箱に大事にしまってあります。
主人に余り大吉ばかり引くので、もちろん冗談でですけれど、「いやな奴」と言われています(笑)
 江ノ島神社、相性抜群のようです。
 鎌倉八幡宮、時々しか大吉が出ません。
 氏神さまとも相性がよいようです。
大吉を続けて引いた後は、今年はもうこれで辞めておこうといつも思うのですが、ついつい誘惑に負けて引いてしまいます。
 どの程度信じているのか?当たっていると思うのか?と問われると、私にとってはそうゆう問題ではないようで・・・
まあ趣味というか、わくわくしながら読んで、今の自分をちょっと立ち止まって考えてみるそんなところでしょうか。
 内容は大体自分の受け取り方によって、どうにでも取れるようなことが書いてあることが多いような気がします。
どういうことかなと考えてみると、自分の将来というのは自分の心というか、自分の思いが作っていくものですから、自分次第でどうにでもする事ができる、という事ではないかと思います。
だから人生は、よい方にプラス思考で、そして常によい心を使って生きていく努力をしていれば、必ず時間が掛かったとしても上手くいくよ、そう言いたいのではないかという気がします。
小吉や末吉の方が、努力すれば将来が楽しみ、みたいな内容だったりすること意外と多いものです。
 天命庵の親さまが、毎年暮れになると次の年の運勢を占われます。
「今年、良い心を使っていた人は、来年は良い年でしょう。悪い心を使った人は良い年にはならないでしょう」と必ず言われます。
当たり前のことですね。
それが何時の世にも変わらぬ、真理だと思います。
 それがわかっていて、何故わざわざ何回も?
私の趣味というか気分転換みたいなものですね。
 その時その時の、神の一言のような気がします。
 “おみくじ”度々引く必要はないと知りつつ、今度は何処で引こうかな?

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September 21, 2005

病院について

18日には初孫に会いに東京の病院へ、20日21日は実家の母が悪性腫瘍の疑いで検査の為に地元の病院へ。
何とも言えないこの落差が、私に平静さを保たせているような気がします。
 母を最初に連れていった実家近くの総合病院らしきものは、皮膚科の診察日は週一度で細胞検査は出来ないとのこと、少し遠くのもうちょっと大きい総合病院を紹介されました。
近くの総合病院は提携している大学病院から研修医が一年単位で赴任している場合が多く、医師がくるくると変わります。
皮膚科は若いお姉さん先生という感じで、それでもてきぱきと転院の手続きをしてくれました。
 紹介された総合病院にはそれ相応の先生がいるだろうと期待していたのですが、これがまた若いお兄さんのような先生、それも皮膚科はその先生お一人。
お姉さんがお兄さんに変わっただけか、という感じです。
 今、何故か若い医師が多いですね。
大丈夫かなと少々不安になるような・・・
「手術の場合は他の病院でなさるとか、勿論ここでもいいのですが・・・」と素直に本音をちらり。
ひょっとしたら悪性腫瘍の手術は自信ないのかな???
患者に接するマナーは徹底的に教育されているのでしょうか、本当に優しくて親切で何でもぬかりなく丁寧に説明してくれます。
マニュアル通りなんでしょうね。
これは腕の良しあしとは関係ないのですけど。
 丁度東京から一時間圏内に入るこの付近は、なかなか適当な病院がありません。
もっと若くて、重症の患者さんは、東京の大学病院とか大きな総合病院に行ってしまうので、地元の病院が育たないようです。
でも年寄りには体力的に、車で20~30分以内が通院できる最長距離だと思うのですが。
やはり東京の一極一極集中は何とかしなければいけませんね。
 検査結果は来週半ば、お若い先生に任せるかどうか、また難しい選択を迫られそうです。
 泊まり込みだったので、今晩はゆっくり寝て、明日いろいろ調べてみるつもりです。

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September 15, 2005

人が変わるという事は

昨日、息子に女の子が生まれて、目出度く “おばあちゃん”になりました。
9月9日が予定日だったのですが、その間無事に生まれてくることを祈りつつ考えていたのは、『人って変わるものだな』ということでした。
この場合の人というのは息子のことなのですが。
 二十代「結婚は面倒だからどちらでもいい」と言いながら、会社近くのマンションで気楽に一人住まいを楽しんでいました。
 それが一昨年の1月2日、突然「結婚することに決めました。お相手が帝国ホテルで結婚式をしたいと言うのだけど、僕、貯金全然ないんだよ」と告げられました。
想定外の息子の結婚、帝国ホテル、貯金ゼロに、お屠蘇気分は吹っ飛びましたが、身を固めるには丁度いい年頃でホットもしました。
でも結婚は面倒だからは、どうしたのでしょうね?
 昨年の秋、息子の伴侶とバーベキューパーティーの準備をしていた時、息子の友達に赤ちゃんが生まれる話になりました。
「あなた達はどうするの?」と何気なく聞いたら「彼、赤ちゃん可愛いと思わない、って言うんです」との返事。
『息子らしいな~、でも二人で決めればよい事だから』と思っていました。
 それが今年の1月3日 「赤ちゃん出来たみたい」と何とも嬉しそうな声で電話が掛かってきました。
以来もうメロメロ状態で、生まれる前から「目に入れても痛くない」と言います。
主人と二人で、息子の豹変振りを喜びつつも、ちょっと引いております(笑)
 主人は仕事が忙しく、私は実家の両親の事で忙しく、ゆっくり孫が生まれる喜びに浸っている暇がなかったのですが、日曜日息子の伴侶と孫娘の“すみれちゃん”に会いに行ってきます。
私たちはクールに爽やかに“じいちゃん”“ばあちゃん”をやりたいと思っているのですが、度々豹変する息子の母ですから一抹の不安はありますけれど・・・
 息子を見ながら人が変わるという事は、簡単なことなのか、難しいことなのか考えています。

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September 06, 2005

人を許すとは

作家の曽野綾子さんが、朝日新聞の「時のかたち」に『一生の仕事』とのタイトルで 《この世で何が難しいと言って人を赦す事ほど難しいことはない 》と書いています。
 一番簡単なのは、傷つけられていると思う相手からそれとなく遠のく、距離的赦し。
 それと対照的なのが、時が癒してくれるのを待つ、時間的赦し。
 「赦す」という事は、仏教でもキリスト教でも最も重要な教えの一つとして説かれています。
「赦しなさい、愛しなさい」と神の教えを説いたイエス・キリストは最後の時に、自らを十字架に張り付けにした人達の為に「父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは何をしているかを知りません」と神に赦しを祈ったと聖書に記されています。
そしてクリスチャンの作家である曽野綾子さんは“赦す”ことについて《少なくともキリスト教の世界では許しが現世で最も控えめで強い輝きを持つ英雄的な行為だと、認められている。人間の晩年の最大の偉大な仕事は赦しだということになっている》と 述べています。
キリストように傷つけられた相手を赦すということは、人間にとって途方も無い程難しい行為であると同時に、偉大なことなのです。
  赦す事を、超越しているかのようにみえる方に河野義行氏がいます。
94年6月のオウム真理教による松本サリン事件で、警察から「条件がそろい過ぎている」という理由だけで容疑者として扱われ、奥様共々被害者であるにもかかわらず連日マスコミにあたかも氏が犯人であるかのように報道されたあの方です。
 氏は一連の出来事に対して「これまで警察やマスコミに敵意を抱いたことはない。
判断が間違ったのだから、反省し、教訓にしてほしいと訴えてきただけ」と述べています。
敵意-憎しみの感情を持たなかったということは相手を赦す必要もないわけで、河野氏は始めから赦しを越えた世界に身を置いているように私には思えます。
 私は人に恨みを持ち続けられるタイプではないと自分を思っています。
理由は残念ながら神を信じているからではなく、ただ単に体力がないからです。
以前親しくしていた方が、数十年来、嫁姑問題で恨み辛みを持ち続けていたのを見聞きしていたのですが、人を恨むという行為が莫大な圧倒されるようなエネルギーを使うということをつくづく感じました。
そして一度憎しみに囚われてしまうと、自分の心の中で何度も繰り返し思うことで、どんどん憎しみを育て、膨らましていく恐ろしさをしみじみ感じました。
私は体力があり余っている方ではないので、疲れる事はしたくないのです。
そしてどうせなら自分のエネルギーは、もっと前向きに建設的なことに使いたいと思っています。
これは赦すという高邁な精神とは程遠い消極的な考え方ですが、少なくとも相手を恨み続けるという最も不毛な行為に囚われ、無駄なエネルギーを使わなくてすむ利点だけはあります。
 曽野綾子さんは《赦しとは相手のためではない。自分のために相手を赦すのである》と書いています。
 憎しみを抱きながら、穏やかに一生を過ごすことは不可能なことですから。
 最終的には、「赦すこと」とは自分自身の為といえるのかも知れません。


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September 02, 2005

自分を許すとは

“心と体”のブログを読んでいると、時々「自分を許してあげられない」という言葉に出会うことがあります。
 自分のしたある行動が許せない、というのは理解できます。
私も、昔はしばしばあり、くよくよしたものですから。
年と共に物忘れがひどくなったというか、気持ちの切り替えが早くなったというか、“神の教え”(特定宗教団体には属していません、念のため)を知った事も大きく、今は余りありませんけれど。
 でも今の人達は自分自身の存在の否定へと繋がっていくのはどうしてなのかな、と考え込んでいます。
やはり社会全体の雰囲気と深い関わりがあるのでしょうね。
いろいろな社会現象を見ていて、人が人に完璧を求めているのではないか、失敗を許さない不寛容な時代になったのではないかと感じることが多々あります。
 私は人間が完全な存在だとは思っていません。
その長所も欠点もいっぱいの人間同士が、助け合い、支え合い、協力しながら生きていく姿が美しいのだと思っています。
完璧でない人間が、成長しようと努力している姿が美しいと思います
完璧でないからこそ、人には努力していく楽しさが、成長してく喜びがあるのではないでしょうか、勿論生みの苦しみと共に。
始から人間が完全無欠だったら、努力なんて必要ないし成長もないですよね。
 自分を許せないと感じるのは、人間は完璧であるべきだと思い込んでいるからではないでしょうか?
完璧な人なんて、一人もこの世に存在しないのに。
 人は自分が完全でないと認める事が出来て、初めて人にも寛容に優しくなれるのだと思います。
自分には人よりも優れた部分も劣った部分もある、という“ありのまま”の自分を受け入れた時、人間本来の心の強さが出てくるような気がします。
あきらめでもなく、自分のレベルを下げるのでもなく“ありのまま”でいいのです。
 人は皆、50歩100歩。
 長所と欠点は同じ数だけ。
 失敗は成功のもと。
迷惑をかけた時は、素直に潔く謝ってお仕舞い。
人間は皆、迷惑を掛けたり、掛けられたり、お互い様で生きているのですから。
失敗は次に生かせばいいだけのことなのです。
 人として完璧でないことも、失敗をすることも、自分を許すとか許さないとかの問題ではなく、ただ自分が人間であるという証拠だと、ただそれだけの事だと思うのですけれども・・・

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August 31, 2005

愛情を平等に注ぐ難しさ

子育ての話かと思うでしょ?
違うのです。
 91歳で年齢より元気な父と、88歳で軽い認知症の母への話しです。
“愛情を掛けられる”人間にとって、永遠のテーマなのでしょうね。
 先日食事をしながら、母に「元気に頑張っていて、偉いわね」と言ったら、横で父が「僕も頑張っている」とポツリと呟きました。
僕の方がお母さんの看護を頑張って大変なのに認めてもらえない、という不満感が溢れていましたね。
 日頃は、母を“老老介護”している父のことを褒め慰労しています。
そして母には、両足骨折にもメゲズ、自力で歩こうと頑張っている姿勢を褒めています。
いつもの父を労ってから、母を褒める、その順序かちょっと逆になった為に出てきた言葉です。
 父は、ニューヨークでバリバリ仕事をしていたビジネスマンでした。
歳のせいと、24時間母と二人の老老介護にとても疲れきっているのか、すっかり変わってしまいました。
91歳、当然と言えば当然ですけれど・・・
 私は三人姉妹の末っ子です。
子供の頃、『両親からこんなに気を使って愛情を掛けてもらったかな・・・』と非常に疑問に感じながら、父と母に平等に接するよう気を付けています。
 でも結構難しいですよ、平等にするって。
愛情のように目に見えないものは、受け取り手の感じ方次第ですし、それぞれに求めている愛情の形が違いますから。
 幸いなことに???二人共耳がとっても遠くなりました。
リビングルームを挟んで別々の部屋を寝室にしているので、それぞれの部屋でゆっくり不満を聞いて、なだめています。
時々不思議な役回りだな、と首をかしげながら。
でも人はいろいろな形で人の役に立つように、出来ているのだとしみじみ感じています。

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August 25, 2005

銀座の空気

2ヶ月半振りに銀座に行ってきました。
漢方の煎じ薬を処方してもらいに。
病名は10数個。
どれも当たっているような、当たっていないような、こじつけたような。
なにせ以前は日替わりで症状がかかわっていたもので・・・
一番適当そうなのは、今流行の自律神経失調症というところでしょうか。
 知人の間では有名なのですが、銀座の空気を5分間吸ってトンボ帰りします。
銀座の地下鉄の駅から病院まで2分、病院から薬局まで1分、薬局から帰りの地下鉄の駅まで2分の計5分。
病院内と薬局内の空気は、銀座の空気とはちょっと言い難い気がするので入れていませんけれど。
 異常に帰趨本能が発達しているようで、すぐ「お家」に帰りたくなります。
あまり体力がない方なので、最小必要限の動きですませる為の防衛本能かもしれません。
家事を隅々にまでしたら(とってもきれい好きです)後は休んでいる。
そんな日々をず~っと過ごしてきました。
 ところが両親がだんだん年をとり、特にここ数年は入院手術が続いています。
88歳の軽い認知症の母を91の父が介護していて、私が動かざるおえなく、自分の体のことをあれこれ言ってられなくなりました。
余りの忙しさに自律神経失調症がビックリして、どこかへ吹っ飛んでいたようです。
それでも、介護と家の増改築をこなすだけの体力はなく、当然のことながらいくら頑張っても気力だけでは補えない部分がありますので、時々ぱたっと倒れて、近所の病院で点滴をしてもらっています。
ところがこれがうまい具合に両親の介護の用事がない時に、倒れるようにできているのですよ。
両親は、私が倒れて手伝いに来てもらえなくなる事を一番心配していますので・・・
 これも神様の配慮かなと思っています。

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August 21, 2005

食べ物への感謝

他の動植物の生命を食べなければ、人間は生きてゆくことが出来ません。
魚、牛、鳥だって、人間に食べられるよりは広い海で悠々と泳いでいたかったでしょうし、牧場で草を食べて寝そべっていたかったでしょう。
それを人間は自分達が生きる為に捕まえて食べる、食べる為に飼育するのですから、食事の前に「頂きます」と手を合わせる気持、食後「美味しかった。有り難う」という感謝の心を持つのは当然必要なことだと、私は思います。
 食物とは命なのです。
 食事とは命を頂くことなのですから。
それをお腹が空いたから食べる。
自分の食欲を満たす為に貪欲に食べる。
少しでも美味しいもの、珍しい物、高価な物を競って探して食べる。
そして余ったら惜しげもなく捨てる。
 食べ物の中に自然の恵みを感じることが難しくなったからでしょうか。
パン、カップ麺、スナック菓子、ヨーグルト、特にコンビニに並んでいる食品の中に命を感じるにはかなりの想像力がいります。
 先日夕刻にデパ地下へ食パンを買いに行ったら、売り切れですと言われたのに、レジの横に1ケース(20~25袋入)の食パン置いてありました。
若い店員さんが「これは午後3時までしかお売りできない、破棄する物です」と申し分けなさそうに言いました。
 賞味期限、消費期限、消費保持期限が切れると(安全をみてかなり早めに付けてあるでしょう)全ての商品はコンビニ、スーパー等の店頭から消えます。
消費者に安全で新鮮な物を提供することが大切なことは言うまでもありませんが、まだ食べられる物がどんどん捨てられていくというのも、正常なこととはとても思えません。
お豆腐も牛乳も納豆も賞味期限がかなり過ぎても、充分美味しくいただけます。
 日本の食料自給率は40%(アメリカ100%、イギリス75%)です。
世界各地の人が作った農産物をせっせと輸入し、その一方で輸入した農産物やその加工品が惜しげもなく捨てられていくことに、ほとんどの人は無関心です。
私はちょっと常識では考え難いことが起こっていると思うのですが・・・。

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August 19, 2005

水の神秘

気と波動の研究をしている方に会った時のことです。
二つのコップに水道水を入れて、片方のコップにその方の名刺を立てかけほんの数秒後、「飲んでみて」と言われました。
両方の水を一口ずつ飲んでみると、名刺を立てかけてあった方のコップの水は水道水の臭みが全くありませんでした。
当時、私は余り気とか波動に関心がなかったので、ただ『気を掛ける、波動を変えるとはこういうことなのか、フーン』と思っただけでした。
自分の想像を遥かに超えた事に対しては、“そういうこともありえるのだな~”とぼんやり思うだけで、余り深く追及しない性格なもので・・・
 でもその後、きれいな水を雪のように凍結させると美しい六角形(雪印食品のあのマークです)の結晶になるように、水道水でも「有り難う」と声を掛けてから凍結させると美しい六角形の結晶を創ることを知りました。
又水の研究をしたある本に、水に『幸せ』『きれいだよ』等の文字を書いたものを見せて凍結させると、まるで大小のダイヤモンドで作った宝石のような奇麗な結晶が出来る写真が載っていました。
出来る結晶は皆六角形なのですが、水によって一つ一つ六角形の形が全部違います。
丁度人間の姿かたちが、指紋が皆それぞれ違うように。
 気、感謝、きれいな言葉、それらを繋ぎ合わせると、水に対する一つの答えがほんのり見えてくるような気がします。
一人の人間が水に「ありがとう」と心をかけて創れるきれいな水は、一回にコップ一杯ペットボトル一本位かもしれません。
でも、もし世界人口63億人が水に有難うと感謝の気持を持つたら、世界中の水が美しい姿に戻ることは絶対に不可能なことではないと思います。
 その上、もっと凄い事は、人間の体は70%が水分です。
自分自身に周りの人に、感謝の心、美しい思いを掛ければ、掛け続ければ、人の体の中の70%の水がキラキラとダイヤモンドのように輝いて、きっと皆、身も心も元気になるに違いないと思うのです。
人間は例えれば水の7割入ったペットボトルのようなものなのですから。
 これって単なる夢かな?
やってみる価値はあると思うのですが・・・

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August 09, 2005

神様の夢が叶いますように

これが究極の祈りです。
何故ならば神様は、地球上で人間が皆仲良く幸せに暮らしている姿を見て、楽しみたいと思い、人間を創造することを思いついたそうです。
地球上の全ての人が幸せに暮らすことが神様の願いなのです。
 世界が平和でありますように。
 争いが起こりませんように。
 天変地異が起こりませんように。
 世の中から病気が無くなりますように。
 結婚して、幸せな家庭が作れますように、等々。
日頃又は初詣でのような何かの折に、皆さんがお願いしている事は、神様の夢と同じなのです。
だから、神様の夢が叶えば、世界中の全ての人が幸せに暮らせます。
 祈りは、陽の光、空気、水等、自然の恵によって日々守られている事に、先ず感謝。
 それから、大きな事から、小さな事へ。
大きな事とは、世界の平和、人類の幸せのような。
小さな事とは、自分とか自分の身の回りの人の健康とか就職、受験のような。
だからまず『神様の夢が叶いますように』
 本当は、祈りはこれだけでいいのです。
 この中に全てが含まれているのです。

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August 04, 2005

人に求めない

会長四年目の主人は基本的には自治会の集まりは自由参加で、強要はしたくないという考えを貫いています。
それでも “市のごみ分別収集の説明会”の様な直接自分達の生活に関わる集まりの出席者が余りに少なかったりすると、憮然としていますけれどもね。
 マンションを除く住民を10組に分けて順番に1年間組長をして頂いています。
さすが殆どの方は組長になると協力して下さいますが、それ以外の時は知らん顔の方が大半で、いつも決まった十数名のメンバーでいろいろな催しをこなしています。
私達夫婦は、皆で集って協力して何かをするのが嫌いではないので、結構楽しんでやっています。
でも自治会館を借りてのカラオケ教室には、毎週熱心に我が家の前を通って通っても、地域の為の集まりには一切出てこないなどという人を見たりすると、いつも心穏やかとはいきませんね。
 そんな時思い出すある方がいます。
息子が高校生の時、卒業準備委員の一人になりました。
六月、これから委員の仕事が忙しくなるという時、77歳の義母が骨折で入院そのまま寝たきりになりました。
15年前、病院はまだ完全看護ではなく、付き添いさんの手配とか食べ物の差し入れとか用事が多く、委員の仕事どころではなくなりました。
 その時委員長をしていた方は、殆ど委員の責任を果たせない状態だった私に「大変な時はお互いさまだから」と返ってこちらの立場を気遣って下さり、いやな顔をされたことが一度もありませんでした。
彼女は当時、まだ珍しかった白の上下のトレーナーに白のスニーカーを履いて、いつも生き生きと楽しそうに自分のするべきことをテキパキこなしていまいした。
ちらほら、彼女のお嬢さんが息子と同じ帰国子女であること、テストの時以外は学校に登校していないこと、それでも成績は超優秀であること、彼女がクリスチャンであることなどが耳に入ってきました。
 人には一切何も求めずに、自分の出来る事を生き生きとこなす。
彼女は本当に神様を信じていたのだろうな~~
神様が全てを見ているのだから、自分は自分の出来ることを一生懸命していればいいのだと、わかっていただろうな~~
 私?
ただいま、努力中です。

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July 26, 2005

死に対する考え方

91歳の父と88歳の母を観ていて、死についていろいろな考え方があると感じています。
 89歳まで車の運転をし、テニスをしていた父は、数年前から体の衰えを感じ始めたようで「こうやって段々弱って、最後は老衰で死ぬのかな~」と言うようになりました。
 軽い認知症の母は、「おとうさん、そんなこと考えているの?私考えた事あらへん。(両親は大阪弁です)」心底からビックリしたような顔をして言います。
永遠に生き続けるつもりのようです。
それは、認知症になる前からそうでした。
死ぬ事を考えたくないとの思いが、自分は死ぬ事が無いとの思いへ飛んでいったのでしょうか?
それでいて、父との別れが何時か来る事はわかるようで、それも父が先に行くと決めているようです。
その時は紋付を着ると頑張っています-両足の大腿骨骨折で立っている事も無理なのに・・・
 誰の世話にもならないで、一人で永遠に生き続けるつもりの母。
 先々の事を考えて身辺整理を着々と進め、母の行く末を案じて我が家に離れを建て「長生きしたばかりに迷惑かけるな、母さんを宜しく頼む」と、すまなそうに何度も言う父。
静かにヒタヒタと近づいてくるその時の足音を、一つ一つ確かめるように日々を生きています。
 どちらが幸せなのか、私には全くわかりません。
世の中には幸せとか、不幸とか、いいとか、悪いとか決められない事がたくさんある様な気がします。
 この歳まで二人で手を取り合って生き延びてきた、ただその事に娘として感嘆しています。


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June 30, 2005

天命庵の教え-宗教を止めることについて

神、宗教団体、宗教団体を止めることについて最初に聞いたお話の中に全てが含まれているように感じるので、引用させてもらいます。
 《別に(天命庵に)来るもこないも自由や、来なくなったからというて不幸になる人は一人もいません。皆神様の愛情に守られているのやから。
来れた時が又その時期であり、来れなくなることもまたその時期であります。
そやから難しいことは一つもありません。
巷にはこれ(宗教団体)を止めたらあんたは死にますとか、これを止めたらあんたは不幸になりますとか言うて人を脅かす処があります。
そんなこと言うのは本物ではありません。
何処に行ったからというて呼吸が吸えないということはありませんやろう。
親神様はいつも愛情をかけていて下さる。
 今日ここに来た中にもいろんなことを言われて、本当に脅かされた人も何人かいるようや。
そのつど熱が出てしまったり気持が悪くなったりする。
これは自分を越えなければいけません。
そのような自己暗示に負けてはいけません。
具合が悪くなるとか、気持ちが悪くなるというのは、まさにそれは自分で自分に自己暗示をかけているようなもの、聞いた言葉を聞いて脅え心が生まれて自己暗示をかけているようなもの。
それを乗り越えていく強さを持ちなはれ。
他力本願やから怯えるのや。
自力で起きあがりなはれ。
自分でしっかり物を見てごらん。
 人間は神様の大きな懐の中で生かされております。
怯えることも震えることもありません。
親神様はいつでもあんた方を守っていてくださる。
何処にいても、何をしていても。》
 神様については「私達は何処にいても、何をしていても愛されているのか・・・、守られているのか・・・、そうなのか・・・」と思い、宗教団体の在り方については「えらいはっきりと、本物ではありませんと言い切られるなー」と驚き、他力本願の下りでは胸に「グサリ」ときました。
 当時某新興宗教を自分で勝手に卒業した後でした。
でも実は、そこにいた八年の間に数回聞いただけで別に脅かされたとは思っていませんでしたが「某会を止めると必ず人生は落ちてゆく、中には命を落とす人もいる」と言われたことが心の何処かで引っかかっていました。
そしてそれよりもなによりも、某会を辞めたことによって自分の歩む道を自分自身で決めて行かなければならなくなったことに(当たり前のことでなのですけどね!)微かな戸惑いと不安を感じていました。
 《自力で起きあがりなはれ。自分でしっかり物を見てごらん》この言葉を聴いた時、他力本願で宗教団体に頼っていたことに気が付きました。
 “天命庵の神の教え”は、人として日々生活していく上での考え方、当たり前なだけに、疎かにしがちなことを易しく説いています。

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June 29, 2005

一期一会の庵-天命庵

湯河原の小さな庵に、神様の教えの話を聞きに行ってきました。
 芹沢光次郎氏の著書「神シリーズ」の中に描かれている、天命庵です。
本の中の伊藤青年は、天命庵では大徳寺昭輝さんと名を変えて庵主になられています。
 2500年前、お釈迦さまがはじめた地べたに座って聴く青空説法のように、2000年前イエス様が行く先々の山上や湖で神様の教えを説いたように、鎌倉時代に日蓮上人が道行く人々に仏教の教えを説いた辻説法のように、一期一会の精神で人としての生き方を伝えています。
 天命庵は宗教団体でも組織でもなく、大きな伽藍や立派な神殿もありません。
月3回、大徳寺さん個人のお宅を、神の話しを伝える場として一般の人に開放しています。
二階にはこぢんまりと簡素ながら立派な神殿があって祭壇が設えてあり、神社のような趣がありますが、別荘地にひっそりと建つ二階建ての普通の家です。
 それにしても神の教えを学ぶ場として、大きな建物を莫大なお金を掛けて建て、まるで権力を誇示するような処が多い世の中で、工夫すれば大勢の人が集まれる暖かい場を作りだすことができる。手作りの庵、そんな見本のような処です。
訪れた人達はお座敷に座ったり、庭に立ったり、小さなイスを持参して座ったり、しゃがんだと思い思いの格好で話を聞きます。
 それにしても現代の日本で、神の教えを伝える本来の姿に近いものを実現する為に、自宅を開放して普段は300人前後、お祭り等があると600人前後の人が集えるよう、庭も家の中も準備する家族の方達はどんなに大変だろうかと察するに余り有るものがあります。
 しかもその上、お金は一切集めていません。
誰かに尋ねなければ解からないような神殿の隅の方に小さなお賽銭箱が置いてあることには置いてありますけれど・・・
 この教えの説き方を今年で25年間続けているのです。
ホンマモンでないと出来ないことだと思います。
 本の登場人物を目の当たりにした時の感想は『ワー、やっぱり実在したんだ。』と嬉しいような懐かしいような何とも不思議な気分でした。


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June 24, 2005

3万人を超える自殺に思う

「一寸先は光」と言う台詞が、NHKの大河ドラマ“利家とまつ”(2002年)の中にありました。
“光”とは何でしょう?
光とは明るいもの、希望を意味します。
 宗教活動の一部として使われている“信仰”という言葉、宗教関係者に独占させておくには、もったえない言葉です。
信仰は、漢字で信じて仰ぎ見ると書きます。
「しんこう」は当て字で・進光・信光・進行・神光、等々と書くこともできます。
進行方向に光がある。
光が在ると信じて進む。
自分が進んでいく方向に希望がある、良い事があると信じること。
信仰とは自分の未来に光があると信じて、人生を前へ前へと進んで行くことです。
今自分のするべきことをコツコツやっていれば、必ず光が行く道を照らし、希望にたどり着く事ができる。
どんな困難に出会ってもどんな困難の中でも、常に先に光があると、強い信念を持って生きている人が、信仰を持っている人と言えます。
 「信じる者は救われる」とは「一寸先は光」と信じることの出来る人は幸せになれますよ、との意味だと聞いたことがあります。
神仏を信じていようが、いまいが、関係なく。
 今の世の中、特に日本人の中に“一寸先は闇だ、闇だ”と思い込んでいる方が多いように感じます。
それは結果的に、皆で一生懸命“闇”を呼び込んでいるようなものです。
それがこんなに混沌とした世の中を作り出し、希望を失って命を絶つ人達を作り出している一因ではないでしょうか。
 「一寸先は光」皆が希望を持って生きていける社会を、と強く思います。

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June 23, 2005

周りの人、物を信じてますか?

何気なく当たり前のこのように、日々の生活の中で私たちは人、物を信じて行動しています。
そして熱心に神仏を信じている人もあれば、時によって(困った時だけ)神仏を信じる人もいます。
信じるってどういうことでしょうか?
例えば、寝ている時というのは最も無防備な状態です。
家族を同居している人を信じているから、毎夜安らかに寝ることができます。
食品をお店で買う。
製造された食べ物を、又お店を信用しているから買います。
飛行機、電車、バスに乗る。
安全に目的地まで運んでくれることを信じて乗ります。
体調の悪い時、病気を治してくれると信じるからお医者さんに診てもらいます。
私は飛行機に乗る機会が多いのですが、特にジャンボジェット機になってから、あんなに大きくて重いものが空を飛ぶことが、いくら説明されても理解できません。
それでも乗っているのは、心のどこかで事故はそうめったには起こらないと信じているから、自分は大丈夫と勝手に信じているから、乗っているのだと思います。
当節、電車も飛行機も食品も医療も事件事故が多く、信じきれないけれど、生きていく上で仕方なくという面も結構多いとは思いますけど・・・
でも100パーセント信用していなかったら、なにしろ命にかかわることですから利用しないのではないでしょうか?
人間のすることですから絶対安全ということはないと分かっていても、ある種信頼しているから
電車や飛行機に乗り、食べ物を食べ、医者にも掛かるのだと思います。
でも信じることで一番凄いと思うのは、目に見えない明日が未来が来ることを信じて、今を生きていることではないでしょうか。
そして人が信頼しあって生きている事が、一番美しいと思います。
世の中はあらゆる事を、信じることによって成り立っているのですね。
深く意識している、していないに係わらず。

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June 21, 2005

人格者とは

妖怪変化には、童話の世界でしか出会ったことかありませんが、普通の人以上に見える、聞こえる、感じる、匂うというような能力を持っている人達に接したことはあります。
持って生まれた方、努力して磨いた方様々なようでしたが、不思議な事にそうゆう人たちに人間としての魅力を感じることはありませんでした。
 普通の人の出来ないことが出来るのは、悟りを開いたから人格が高いからと思いがちです。
でもそれは単に人より勘が優れているというだけでスポーツ、音楽、料理に優れているのと同じことなのです。
ですから人格者であることとは全く別問題ないのです。
優れた感性それは良いことに使えば確かに人を助ける一助にはなりえますが、自分の一寸した能力に溺れてしまっている人の方が多いように見受けました。
 むしろ日々弛まず努力して自分自身を向上させている人の方が、謙虚で大らかで懐が深いように感じます。
 日々生活している社会の中で、常に人に穏やかに優しく接する、微笑みをたやさない、小さなことにも感謝を忘れない、そのような当たり前の事?を淡々とこなすことの出来る人が本当の人格者だと思います。
 修行とは、滝に打たれてり、断食する事ではありません。
当たり前のことを大切に思い、毎日し続ける事が本当の修行なのです。
 前出の本にこう書いてあります。
『特別な行に溺れてしまう人が妖怪変化になるのなら、一方、毎日の当たり前の生活を喜び、感謝する人は天人になります。ごく普通の日常生活の中で笑顔を絶やさないということが、実は一番の修行なのです』
これは本当に大変な難行ですよね。
 でも世界中の人が皆この修行をしたら、一発で世の中が平和になりますね。

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June 20, 2005

妖怪と修行

旅先のある民宿でこんな夢の体験をしました。
と始まる、大徳寺昭輝さん著「天の光」(大法輪閣出版)の中の妖怪と修行について書かれているところから引用させてもらいます。
 『夜、寝ていると、ろくろ首、一つ目小僧、傘お化けなどの妖怪が、窓からどんどんどんどん入って来て私の布団のまわりを幾重にも取り囲みました。
 そこで、私は夢の中で妖怪たちに一生懸命教えの話を説かせて頂きました。
いかに当たり前のことが大切か、いかに自然体でいることが大切か、いかに日々の生活に感謝することが大切か・・・。
そして、そこにこそ素晴らしいものがある、そこにこそ神様も仏さまもおられるのだ。ということを話しました。
すると、私の周りを取り囲んでいた妖怪たちがだんだん普通の人間の姿になっていきました。
 目覚めて私は思いました。夢に現れた、あの妖怪たちは、間違った行(ぎょう)にとらわれた人たちの、行き着いた果ての姿だったのではないか、と。
滝に打たれたり、火の上を渡ったり、断食をしたり、いろいろ体を痛めつけるようにして行をしてきた人というのは、業溺れてしまうのです。
自分は普通の人がわからないことがわかる。
普通の人が見えないものが見える。
人の財布の中身だって見える、そうやって、周囲の人たちをびっくりさせて得意になる。
心がそういう方向にばかり動いてしまうのです。
 こうなるとだんだん妖怪変化(へんげ)になっていきます。』   次へ


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June 17, 2005

不思議の世界とサイババさん(2)

人はすぐ超常現象や神秘現象、超能力や霊能力のような変わったものや不思議なものに心惹かれ飛びつきます。
神の教えに触れるのに特別な法則はありません。
入口はどこからでもいいのです。
不思議な物からでも別に構わないのですが不思議好きの方は不思議に慣れてしまうと飽きて、すぐ新しい不思議を求めて渡り歩く傾向があるように思います。
不思議を入り口としてその奥にある真理に気付けるのなら、不思議は不思議としてその価値があるのですが。
 私たちの身の回りには不思議なことがいくらでもあります。
46億年前地球が誕生して以来、地球は規則正しく一日掛けて自転し、一年掛けて太陽の周りを回っています。一日として動きを止めたことも軌道から外れたこともありません。
 人の心臓は1分間に約70回、一日で約10万回動いています。
この動きが3分以上停止する心臓が再び動いても意識は戻りません。
あなたの私の地球上56億人の人々の心臓が休むことなく規則正しく動いていることが不思議だと思いませんか。
生物学者の本川達雄さんの研究によると哺乳類の心臓が一生の間に打つ数は、寿命が70年ほどの体の大きいゾウも3年ほどの小さなネズミも同じ約20億回といいます。
 人間の体は約60兆個の細胞から成り立っています。
一秒間にそのうちの約一千万個が死に、新しい細胞に生まれるという新陳代謝が常に行われています。
理論的には人間は二ヶ月余りすると全く新しいものに生まれ変わっていることになり、これを規則正しく一生繰り返すことによって人は命を繋いで生きているのです。
これらのことが全て偶然によって起こっているとは、とても言い難いと思います。
 超常現象も神秘現象も霊能力も確かに不思議かもしれません。
しかし人間を取り巻く自然、その中で生きている私達人間の方が、比べ物にならないほど不思議で神秘的です。
余りにもスケールが大きすぎて気付くのが難しいのでしょうか。
 万物が存在していることの不思議に気付いた時、人は人間より偉大な力によって生かされているという事実に出会えるはずだと思います。


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June 16, 2005

不思議の世界とサイババさん

5、6年前になるでしょうか、インドの宗教家サイババさんが超常現象が出来ると注目を集めテレビや雑誌等に時々取り上げられていた時期がありました。
まるで手品のように(本当に手品なのかもしれませんが)手からサラサラと聖なる白い灰を出し、何故かお金持ちや著名人には聖なる灰の変わりに金のネックレスが出るとか出ないとか。
真相はわかりませんが某写真週刊誌がスクープとして、サイババさんがテーブルの下からネックレスを取り出す写真を載せていたりしました。
 偶然に見たテレビ番組で彼が語っている内容がアフロヘアに超常現象という特異な印象に反して、余りにまともだつたことに拍子抜けしてしまいました。
とても解かり易く優しく愛を説いていました。
ほんの一部を聞いただけですが心が暖かくなるような話でした。
 サイババさんがインドやシンガポール、マレーシアなど東南アジアで今も絶大な人気を誇っているのは、厳しい修練や戒律を求めず又特定の宗教にこだわらない大らかさと優しさがあるからかもしれません。
超常現象から一時的な感動や感激を得られても人がそれによって真から幸せにそして世界が平和になることに繋がってゆくとは思えないので、私は宗教家と呼ばれる人が空中から灰やネックレスを出すことに疑問を持っています。
しかし彼の超常現象は一見何気ないように感じる神の教えに、人々の心を向かせる為のものなのかもしれなと思ったりもします。 次へ
 

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