January 10, 2009

高齢者にとって“年賀状”とは・・・

去年の今頃、父は出し忘れた方に年賀状の返礼を書いていました。
一枚一枚万年筆で丁寧に、それも可なりの達筆で・・・

昨年末「そろそろ我家の年賀状の印刷を頼むけれど、お父さん、どうします?」 と尋ねてみると、
気がなさそうに「もうええわ・・・」
「それじゃ~、頂いた方に元気にしています、と寒中見舞いのお返事を出す事にしましょうか?」
どちらでもよさげに「そうしてちょうだい・・・」との返事。
世事に段々関心が薄くなってきていたので、予期していた反応ではあったのですが・・・

毎年父は、母の分と合わせて300枚、手書きで宛名を書いていました。
それでも年々亡くなる方、頂かなくなる方が増えて随分減った、と言いながら去年は200枚。
93歳で毎日10枚ずつと決めて、200枚書き上げる姿は立派でしたね。
「宛名をパソコンでプリントアウトしましょうか?」と、随分奨めたのですが、直筆に拘っておりました。

今年は父宛に百数十枚の賀状が届きました。
下さった方もお年を召された方が多く、中には“やっと”書かれたという感じの物もあります。高齢者にとっては、年に1度、互いの無事を確かめ合う、大事な儀式のようなものなのかもしれません。

年賀状が来なくて案じてくださっている方々に、お礼と無事を知らせ、高齢の為新年のご挨拶は今後失礼する旨の「寒中見舞い」を出す為に、只今、宛先をパソコンに入力中です。

私の年賀状は主人が全部プリントアウトして出してくれました。
『楽チン、楽チン』と感謝して喜んでいたのですが、そうは問屋が卸さなかったようで、父の分をやる羽目に・・・

“介護”そのものも勿論大変ですが、一件介護に直接関係無い細々した日常の雑用が以外に多く、結構時間をとられます。

「寒中見舞い」を出し終えたら、我家と父の2軒分の確定申告の準備を始めます。

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November 07, 2006

箱根の冨士屋ホテルでゆっくり

箱根宮の下の富士屋ホテルで温泉にゆったり浸かってきました。
息子夫婦、孫の菫と一緒に。
2年前に泊まった時は110年の歴史の重みを感じさせる、落ち着いた雰囲気がホテル全体に
ゆったりと流れていました。
今回は大安吉日で結婚式が2組、それに紅葉のシーズンが重なってせいか、ホテルのロビーは華やかに賑わっていました。

素敵な庭園を眺めながらティーラウンジ・オーキッドでのお茶を楽しみにしていたのですが、メインダイニング「ザ・フジヤ」で本格的フレンチの遅い昼食を食べたので断念。
今時珍しい位バーターとクリームがどちゃと入った、濃厚なフランス料理でした。

ビックリした事が一つ。
ロビーで絵画の展覧会が催されていました。
ユトリロのリトグラフが2枚並んで飾られていました。
右側のリトが「サンジャック塔」
5年ほど前に主人と私が気に入って求めて、わが家のリビングに飾ってあるものと同じ。
左側のリトが「モンマルトルの雪の朝」
息子夫婦が結婚した時、私の父がニューヨークに住んでいた時に求めたものを、マンションに飾るようにプレゼントしてくれたもの。
ユトリロのリトグラフは沢山あります。
それなのに何故かこの2枚が、しかも並んで飾ってあったのです。
いや~、不思議だったな~~~

菫を見ていると、一つ一つの動作が可愛くて思わず笑えてしまいます。
幼児って心を和ませる不思議な力を思っていますね。

登録有形文化財の木造の建物は、色んな所から色んな音がしたり、漏れ聞こえてきます。
古い歴史のある建物だと思うとその音が趣きがあるように感じるのですから、不思議なものです。
床のきしむ音でも受け取り方次第でこんなに違うのかな、と可笑しくなりました。

箱根の満月は大きくて美しかった。

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August 05, 2006

嫁と姑、この言葉、嫌いです。

私は古い女ではないし、息子の伴侶は我家の女ではありません。
それにしても“嫁”に代わる適当な言葉がなくて困っています。
息子の伴侶、息子のパートナーではちょっと長くてしっくりしません。
主人も私も、普段はあやちゃんと名前で呼んでいます。
でも人に言う時、もごもごと口ごもってしまいます。

人としての生き方を学びに時々伺っている天命庵で「お嫁さんは他家で育てて頂いた自分の娘が、我家に帰ってきたと思って大事にしなさい」とよく言われます。
それもわかるのですが、あやちゃんには産み育ててくれた実のお母さんがいるのですから、娘というのには少々遠慮があります。
ただ我家は一人息子で女の子がいないので、娘が増えたような気分なのは確かですが・・・

呼び方はともかくとして、立派に成人した大人が家庭を持ったのですから、2人で自分達の家風を作っていけば良いと思っています。

この間若い芸能人が自分の奥さんの事を「うちのヨメが・・・」と言うのを耳にしました。
彼の“ヨメ”のニュアンスは、家の女の“嫁”ではなく、自分達の家の女的響きがあって、その微妙な違和感になにか微笑ましい感じがしました。
新しい感覚の“ヨメ”と言う言葉が使われだすのかもしれませんね。

きっとその内、孫中心になって “すみれのママ”とか“すみれのおかあさん”と呼ぶようになって、呼び方は一件落着なのかな?

嫁と姑の不毛な争いだけは、したくない。
主人の義母と義姉達の、確執を見ていて思いました。
争いの連鎖は何処かでというか自分達の代で断ち切る為に、良い関係を築きたいと思っていました。
そうしたらあやちゃんも、まめに孫の様子を知らせてくれたり、両親の介護で忙しい私をとても気遣ってくれます。
人間関係はお互い様なのですね。

一人一人が周りの人と仲良く暮らす努力をすれば、世界中が仲良しになれる。
そんな時代を皆で作れたらいいですね。

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July 22, 2006

夏祭り

土砂降りの中、神酒所開きをしました。
私の記憶にある限り、こんなにお天気の悪いお祭りは初めてです。
宮司さんが雨の夏祭りは、十数年来だと言われていましたが、土砂降りは何年来なのでしょうか。
例年なら梅雨も終わり、からっと晴れた猛暑が続く時期ですから。

幸い、浜降り祭の日は小雨で助かりました。
朝5時45分に集合、男性陣は軽く禊をして、一年の無事を祈願し、お神酒を海にまいて、海岸のコンブと砂を神社に納めに行きます。
宮司さんから「この町内は伝統を守っていらっしゃる」とお誉めの言葉を頂きました。

何事にも人間には計り知れない神の意思が働いているのだろうな~と考えるようになったので、土砂降りの夏祭りも静かで趣があると思えました。
偶然はないのですから、ありのままを自然に受け入れて、それを良い事とする。
人生を楽しく生きる秘訣かもしれません。
晴天もよし、雨もよし、です。
雨はお清めとも言います。
それだけ世の中、汚れ切っていると言うことなのでしょうか?
毎日のように異常な事件が起きていますもの。
でも神様少し手心を加えて下さられないと、豪雨による随分大きな被害が出ています。
これ以上被害が広がりませんように。

土砂降りの中、父が無事手術を終えて退院しました。
今年も一つ、大きな行事が終わりほっとしています。

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May 30, 2006

点数で計れないもの

山形・新潟県境の山村で、70人ほどの女性が受け継いでいる「羽越しな布」と呼ばれる織物が、国の107番目の「伝統的工芸品」に指定されたと朝日新聞の天声人語に載っていました。
「公に認められたことで、後継者を育てていく自信がわいてきた」と喜ぶ一方、指定に伴って行われる予定の「伝統工芸士」の試験を受けようという人が一人もいないことが悩みだそうです。
経済産業省の外郭団体の「伝統的工芸品産業振興協会」が実施している試験で実技とペーパーテストがあり、それぞれ70点以上取らなければ不合格。
伝統工芸士にペーパーテスト?と思いませんか?
しかも、かなりの難問だそうです。
「羽越しな布」に携わる人たちは、平均年齢70歳、その方達に受験とはね・・・
その上、名誉的称号で、経済的恩恵は全く無し。

全国の伝統的工芸品の産地でも、合格者が数人しかいないところが少なくないそうです。
「伝統技術を受け継ぐ人たちに本当に筆記試験が必要なのかどうか。現在のやり方にはかなり疑問を感じる」と結んであります。

何でも試験、何でも点数で計ろうとすることによって、かえって大切なものが失われていくことがあるような気がします。
世の中には点数で測れないものがいっぱいあります。
伝統技術も点数では測れないものの一つではないでしょうか。
「伝統的工芸品」に指定されて「伝統工芸士」が一人もいないとどうなるのか、とちょっと心配になりました。
伝統工芸が時代から時代へと途絶えることなく受け継がれるように守り育てるのが「協会」の役目だと思うのですが、
試験をする、称号を与える、そんな暇とお金があるのなら、少しでもよい伝統工芸を見つけ育てる為に役立ててほしいと思います。

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February 23, 2006

千の風になって-後に残された人へ

大切な方を亡くされた全ての人の心に届けたい、素敵な歌があります。

 『千の風になって』     作者不詳
   
 わしのお墓の前で 泣かないで下さい
 そこに私はいません 眠ってなんかいません

 千の風に 千の風になって
 あの大きな空を 吹きわたっています

 秋には光になって 畑にふりそそぎ
 冬はダイヤのように きらめく雪になる
 朝は鳥になって あなたを目覚めさせ
 夜は星となって あなたを見守る

 わしのお墓の前で 泣かないで下さい
 そこに私はいません 眠ってなんかいません
 
 千の風に 千の風になって
 あの大きな空を 吹きわたっています

 あの大きな空を 吹きわたっています

アイルランド共和軍(IRA)のテロで亡くなった24歳の青年が「僕が死んだときに開封して下さい」と、両親に託していた封筒に残されていた詩だそうです。
そして後にニューヨークの同時多発テロで亡くなった父親をしのんで11歳の少女が朗読したこともあり、この一編の短い詩が欧米や日本で静かに広がっているそうです。
 先日、天命庵で庵主の大徳寺さんから聞きました。
“人間の死は全ての終わりではない。永遠の別れではない”と優しく語り掛けている詩は、日頃天命庵の親様から伺っている真理の話と同じです。
姿かたちは無くなっても、周りの誰かが亡くなった人の事を覚えていたら、いつまでも心の中に生き続けているのです。
お釈迦様、キリストさま、マザーテレサや多くの賢者の説かれた神様の教えの話をよく聞きます。
そんな時、数千年数百年数十年の時を超えて、残された教え、考え方、思いが生き生きと私達の心の中で息づいているのを感ずる事が出来ます。
まるで今もなお生き続けているかのように・・・
 人は亡くなっても、その人の記憶を抱き続けている人がこの世にいる限り、その人は生きているのです。
 そしてその人の美しいしい行為、優しい言葉、暖かい笑顔は、千の風となって、われわれに希望を与え続けるのです。

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July 24, 2005

夏祭り

夏祭りと家の増改築が重なる、狂乱の三日間が終わりました。
体が二つ必要な位忙しいかなと想像していましたが、何とかなりました。
 町内の夏祭りは例年3日間です。
その間は、お御輿が飾ってある町内会館に詰めています。
 今年はその上、私達の自治会が5年に一度の氏子年番でした。
白旗神社から義経と、弁慶の両御輿が三百数十名の担ぎ手によって町内に運ばれてきます。
その担ぎ手と神社のお偉いさん、近隣の氏子をご接待する年だったのです。
男性軍がテントを張って接待の場所を設置し、女性軍が飲み物を用意して三百余名に配りました。
実に手際よくこなすことができて、ご町内のチームワークの良さに感激!感謝!
 それにしてもお御輿の熱気は凄い、壮観です。
老若男女、本当に好きな人たちが担ぎに集まってくるようです。
お神輿の群集の中にいると、私でも日本人の血が騒ぎますからね。
ご近所に御輿好きが高じて、お店の倉庫に1,000万のお御輿を鎮座させている方がいます。
間近でしげしげと見せて頂いたのですが、細工の豪華さはさすがお高そうでした。
でも段々造れる職人さんがいなくなっているそうです。
時々全国各地に貸し出されるそうですが、貸す時は嫁に出す気分だとか。
 さて肝心の町内のお祭りですが、例年なら訪れる人の接待に追われるところですが、氏子年番の催しに精力を使い果たしたのか、お客様も少なく実に静かでした。
 お蔭で、増築中の我が家からの呼び出しにすぐ対応する事ができて、内心上手くできているな~何て思いながら、歩いて一分の自治会館と我が家を行ったり来たり。
何回往復したか数えておけばよかったな~~。
 この頃何事にも、出来るところまでやってみよう何とかなるわ、と思えるようになって、とても生きるのが楽になりました。
面白いものでそんな風に気楽に考えると、意外と物事が上手く運んでいきます。
 何はともあれ、お祭り無事終わりました。


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June 01, 2005

世界遺産登録、良い事ですか?

知床の世界自然遺産の登録が確実になったようです。
世界的に遺産として認められることは素晴らしいことですか、それと引き換えに失うものも大きいのではないかと、複雑な気持ちがします。
 沖縄の世界遺産の一つを、登録が決定される一年前に訪れました。
その日は台風が沖縄を直撃した直後で、数百年を経た石畳のいたるところに枝葉が重なり合い、周辺がぬかるみ、危ないぐらい自然のままでした。
うっそうと茂る木々の間から木漏れ日がキラキラと昨夜からの雨露に輝き、神秘的な光景を醸し出していました。
琉球の霊地、琉球七御獄の一つといわれる場は、人の手で創られた神殿や偶像の全く無い、自然の中に霊気漂う不思議な雰囲気に満ち溢れていました。
 それから僅か数年後、再び訪れました。
行く先はまかせっきりのツアーだったことと、一度訪れた地名や場所を記憶しておくのが不得手な私は、そこが以前来た場所だと気付くのに随分時間が掛かりました。
 入り口にはかなりの人が集まれるような広場が出来、お金を入れるとパンフレットが出る機械があり、うっそうと茂る木々も数百年を経た石畳も、大勢の観光客が行き交っても大丈夫なように整備されていました。
それはあの神秘的な光景も霊気漂う不思議な雰囲気も見事に半減させていました。
 自然をそのままに誰にも知らせずひっそりと息づかせておく。
それも又、もったいない事なのかもしれません。
世界遺産に登録されると締約国の分担金などによる基金で保護することができます。
その代わり、訪れてくる観光客の為に如何しても自然に手を入れなければなりません。
どちらがいいか悪いかは、一概には言えないことです。
 でも今でもふと、あの人間の手では決して作りだすことの出来ない不思議な雰囲気はどこへ行ってしまったのだろう、と残念に思うことがあります。
 一度失ってしまった自然は二度と取り戻すことは出来きません。
 これは私達の身の回りの自然に対しても言えることですが・・・

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May 26, 2005

やっと国会で脱背広、ネクタイ

英国に“背広並木” いう名の一本の並木道があります。
ロンドンの中心部“Savile Row(セビル ロー)”は、日本語で“セビロ、並木” “背広”の語源となった道です。
通りの両側に高級背広を仕立てるお店が、格調高くずらりと並んでいます。
 ロンドンの緯度は樺太北部と同じ。
年間平均気温は東京と比べて5℃低く、8月の平均気温は15℃です。
それに比べて、去年の東京の平均は27,2度℃ですよ。
日本はこのままでいくと、温帯気候から突如熱帯気候に変わるのではないかと思った位ですもの。
その日本においてロンドンで発祥した背広とネクタイを四季を通して着続ける為には、乗り物も職場もガンガン冷房を効かせなければ過ごせなのは当然です。
 日本のエネルギー自給率約4%。電気を作る石油や石炭、天然ガス、ウランなどのエネルギー資源はほぼ全量輸入されているこの国で、冷房ガンガン、排熱バンバンなんて、信じられないと思いませんか?
自然にも、人間の体にも(特に女性の冷房病はかなり深刻です)大きな負担が掛かっています。
 国が重い腰を上げて6月から国会、省庁で「ノーネクタイ、ノー上着」を励行するのは、遅きに失するとはいえ、大変好ましいことだと思います。
それでも本会議は「品位」を重んずるとして上着、ネクタイを着用しなければならないそうです。
国会議員に「品位」を求める・・・
上着とネクタイ着用で「品位」が保たれるというか、出るものなのでしょうかね。
品位はその人の人格から自然に滲みでてくるもので、服装でどうこうなるとは余り思えないのですけど。
 それはともかく、慣行に囚われずその国の気候風土、時代の状況に沿った服装に変えていく勇気は絶対に必要だと思います。
 自分一人位エネルギーを無駄使いしても大丈夫とか、自分一人が努力してもどうなるものでもない、と思わないで私達も始めてみませんか?

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