August 17, 2009
高齢化社会になった事を実感する出来事です。
6月末には左隣の娘さんの87歳のお母様、先週末は95歳の私の父、今週末は右隣の郵便局長さんの96歳のお母様が亡くなりました。
父は4年前に我家に引っ越してきたので、お互いにお付き合いしていたわけではなく、全くの偶然です。
この不順な気候、年寄りには応えるのかもしれません。
3人共、可なりの高齢ですから、天寿を全うし、子供、孫、ひ孫達に賑やかに見送られての旅立ちでした。
局長さんが、「時期が悪かった。お盆でお坊さんが皆忙しくて、やっと来てもらえる事になったけれど、お通夜と告別式は別々のお坊さんで・・・本当に参りました」とか・・・
ご町内の参列者の面々も、我家の不幸との間が5日間だったので「喪服をお盆休みの洗濯屋さんから取り戻した」とか・・・
斎場でそんな話しがさり気なくできるのも、天寿を全うされたと信じられるからです。
高齢者とのお別れは、悲しみの中にも無事見送れたという一種の安堵感のようなものが漂っていて、長生きする事の意味はそんなところにもあるのかもしれません。
すぐお近くの時宗総本山“遊行寺”の塔頭からみえたご導師の読経が、静かに心に染み入りました。
読経の流れる中お線香の香りに包まれて、少し落ち着きを取り戻したような気がしています。
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August 14, 2009
コブクロの“CALLING”を聴きながら、時々、止めどなく流れる涙に身を任せています。
悲しみの涙か?と問われたら、多分違うと・・・
我慢強い人でした。
入院してからも、いつでも、どんな体調の時でも「お父さん大丈夫?」と気遣うと、途切れ途切れに「だ・い・じ・ょ・う・ぶ」と必ず返してくれました。
亡くなる2週間程前から、39度の熱が下がり切らなくなり、「大丈夫」の言葉は返ってこなくなりました。
その代わり、熱が少し下がると定まらぬ目が「まっちゃん、もお、ええわ~」と訴えているように思えて、切なかった・・・
親を失った悲しみと言うより、長い間同じ思いを共有した同士がいなくなったような寂しさが心の中にひたひたと広がっています・・・
乾杯のコップを持って微笑んでいる父の遺影を見ながら思い出していた事は、子供時代の思い出でも、華やかなNYでの生活でもありません。
母が精神的に不安定になってから10年以上、ただただ父と二人で力を合わせて母を守り、母を守る為に励まし、慰め、褒め、そして母を思う余りに争い・・・支え続けた日々を・・・
でも母が大変だったから、いつもあなたの事は後回しでしたね。
それでも母の為に駆けずり回っている私に「迷惑を掛けるな~、有難うよ」と、いつも・・・
最大の願いだった母を見送る、大仕事を終え、日々衰えていくあなたと母の思い出話をしながら1年ちょっと、あなただけの為に穏やかに介護が出来てよかった。
無事両親の介護を終えられたのは、大勢の、数えられないほどの大勢の人達の助けのお陰だと感謝しています。
そして、僕は住む場所と緊急時の労力を提供しますから、後は親子でお好きなように・・・
一日7~8人のヘルパーさんが我家を訪れ、誰の家だか分からないような状態が数年続いても、可なり際どいブラックジョークで私を苦笑させながら、常に冷静だった主人。
本当にありがとう。
一昨年末、母を見送った時は1滴も出なかった涙、今二人分の別れの涙を誰にも遠慮もせずに流し続けています。
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July 02, 2009
朝9時、電話が鳴りました。
父の入院している病院から、検査の結果が思わしくないので輸血をした方がよい状態ですが・・・どうしましょうか?と。
何時からなのでしょうね?
治療をどうするか?家族が決めなくてはならなくなったのは・・・
輸血をしなければ、命が危ないのならば「輸血をしますから、同意書に署名に来てください」と言ってもらえれば、それで全ては決まることなのですが・・・
答えは決まっていても、改めて決断を迫られて、それも即決となると、一瞬『どないしょう???』姉が2人いますし・・・
一昨年亡くなった母の時もそうでした。
ただ、母の時は90過ぎの父がまだしっかりしていたので、医師からの情報を出来るだけ正確に伝えて、父の意見を聞き、それを姉達に伝えてまとめていました。
前日お見舞いに行った時、最近のうちでは調子が良さそうで、院長さんと「ちょっと落ち着いていますね」と立ち話をしたばかりだったので、急変に驚いたこともあり、
「私が決めないといけないのですか~~~」と思わず大きな声を・・・
「今は了解を得てから治療をしないと訴訟問題になりますので・・・」
そうなのですよね。それもよく分かっています。
医療の進歩で選択肢が増えました。
医療側で選択肢を増やして、決断は全て患者側にと言われても・・・
特に高齢者は治療をする事によって、人間らしい生活が送れるようになることは難しい場合が多いですから。
姉達の意見を聞く時間がなかったので院長先生に「宜しくお願いします」と返事をした後、事後報告。
その折「そろそろ、娘3人で院長先生とお会いして自分達の考えを伝えておいた方がいいと思うのだけど」と聞いてみました。
長女は「あなたの判断に任せるから。あなたの考えが私達3人の意見でいいから」と、いともあっさりと。
このよく考えないで答えるタイプは、後が難しいのです。
次女の主人はプロテスタントの牧師でクリスチャン、余り自分の意見を主張するタイプではなく、後でジュックリお祈りをしているようです。
3日間の輸血が終わる日に、関西からお見舞いに来るので、時間が合ったら一緒に院長先生に会うことにしました。
私達3人は“もう95歳ですから出来るだけ穏やかな最後を”と願っているのですが、お若い院長先生にどの程度その思いが通じるか分かりません。
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June 29, 2009
との意と、時宗のご導師がご近所のおばあちゃんの葬儀で言われました。
昨年まで、娘さん(といっても67歳ですが)ご夫婦とご一緒に住んでおられました。
ご夫婦で血相変えて「姿が見えない」と近所を探し回られたり、デパートで呼び出しのアナウスを耳にしたりと、段々認知症が進んで大変そうでした。
お近くに良い民間の老人ホームがみっかり、最後はそこで迎えられました。
ご近所の方が亡くなられると、主人が自治会長をしているので、知らせがきます。
ご町内に、お通夜、葬儀の場所と日時等の緊急の回覧を出します。
ところがこの頃、これがなかなか難しいのです。
家族葬にするので、伏せておいてほしいとの事もあれば、
“近親者のみで”との知らせを受けて、そのつもりでいると、遠慮しておられる事が分かり慌てて回覧を回したりとか・・・
今回も、娘さんが「母が亡くなりました。葬儀は近親者だけでいたしますので、お宅とお向かい(遠縁に当たられる)だけにお知らせします」
と、亡くなった日時、葬祭場、お通夜、葬儀の日時が書いた紙を持って尋ねて来られました。
急な事で本当にビックリし、お悔やみを述べながら、一段落して『さて、どうしょう???』
身内だけでなさる場合は、後から正式な連絡がくるか、詳しい内容は知らせないのが普通なものですから・・・
「身内だけで」と何度も言われるけれど、ここまで詳しく知ってしまって、おばあちゃんと戦前からお付き合いのあった“地の方々”に黙っているのも心苦しいし・・・
「本当に親しくしていた方にお知らせしなくていいのですか・・・最後のお別れをしたい方がおられると思うのですが・・・」とやんわりと聞いてみると、
「あら、そうですわね~それではお任せします」
『いや・・・その・・・お任せされても困るのですが・・・何方まで知らせるかはご自分で決めて頂かないと・・・』(これ本心です)
ご導師さまが「今夜、読経の中で、何度も『南無阿弥陀仏』と申し上げました。
ご家族は、亡くなった方に“ああもしてあげたかった、こうしてあげれば良かった” 。
又、亡くなった方が“ああもしたかったのではないか?心残りがあるのではないか?といろいろ思われるでしょう。
「南無」はお任せする。全てを阿弥陀仏にお任せする。後は阿弥陀さまに全てをお任せします。と言う事です」
「そして今晩は皆さんで、亡くなられた方の“所作、笑顔、志、嗜好、思考”この5つを偲んであげて下さい」と話されました。
この頃は、お別れの仕方にもいろいろあって、どれがどうとは言えません。
でも、ご導師のお話を聞きながら、おばあちゃんを偲んでくださるご近所の方々にお知らせして、よったのではと思いました。
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April 08, 2009
足の甲から踵まで綺麗な紫色に内出血した足を浸けないように、そーっと湯舟に沈んだ時に、何故か口から突いて出た言葉。
生きてなければお風呂に入れるわけないのですから、当然の事なのですが・・・
でもそれが実感でした。
見るも無残な内出血の割には、痛みも腫れも殆んど無く、ただ動く時に右足に体重を掛けないようにするのが大変。
なまじ痛みが無いだけに“お掃除がしたいよ~”とか、思うように動けない事へのストレスが溜まってきます。
そんな時、最高の援軍(以前来てくれていたお掃除のプロの女性)が現れ、手際よく、家中をきれ~いに片付けてくれました。
有難かった!
子供の頃から体力のある方ではありませんでした。
でも両親の世話を始めだして、だんだん体調が整い随分丈夫になった気がします。
20年来の友のケアマネイジャー「あんたが親の介護をするとは思わなかった。それも二人も・・どちらかといえば、あんたの方が介護されるタイプだったじゃないの・・・」といつも言います。
でも、親の介護をしている間は、大きな病気にならないという自信というか確信がありました。
人の役に立っている間は大丈夫みたいな・・・
“人の役に”等と言うと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、
今の世の中の在り方に対して『忘れている人が多いけれど、社会とは本来、皆で支えあうもの』と言った方があります。
『忘れている人が多いけれど、家族とは本来、助け合うもの』でもあると思います。
でも無理はいけませんね。
介護は如何しても歳を取ってから、体に余り無理が利かなくなる年代になってからすることになりますから。
自然の流れで父が長期入院する事になりました。
でも、私のどこかに割り切れない思いがあり、その辺に捻挫で動けない理由がありそうです。
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April 04, 2009
“クリスマス時のお菓子の入った長靴”みたいな足に男物のサンダルをつっ掛けて、雨傘を杖代わりに、父の面会に行ってきました。
老人病院なので、おばさんの傷病兵みたいなのは、目立つ事、目立つ事。
お会いする看護婦さん達に「どうなさったの?」と聞かれ、怪我の説明をする為に行ったみたいでした。
物静かで余り表情を表に出さない感じの院長先生、ビックリして目をまん丸に。
病状が落ち着いたら、介護病棟に移って様子を見る事になっていたので「父、どんな具合でしょうか?」と尋ねると。
「時々誤嚥をするのと、微熱が出ているので今のまま一般病棟の個室でいいですか?」との事。
「勿論、結構です。ただ、食事が“ナース介助”でお手数をお掛けているのではないかと・・・申し訳なくて・・・」と答えると、
『看護士達に「お父さん“可愛い”」と人気がありまして、今の所、大変だとの苦情は上がってきてないので大丈夫ですよ」と言われるのです。
片足立ちのような不安定な状態でなければ「父が“可愛い”のですか~~~」と突っ込む所ですが、その余裕はなかったですね、残念!
歳を取ると子供に返ると言います。
皆、可愛くなるのかもしれません。
娘の私にはよく解らないのですが、そう言えば、ディ・サービス、ショート・ステイとお世話になる先々で、
「笑顔に元気を貰っています」
「いつもニコニコ対応して頂いてます」
「人気者なんですよ」と云って貰ってましたっけ・・・
家に来てくれるヘルパーさん達も、年配の方はは遠慮がちに「お父さま、可愛い方ですね」
若いヘルパーさんはストレートに「可愛くて大好きなんです」と・・・
父の耳元で「お父さん、看護婦さん達に人気があるんですって。良かったね」と囁くと
「くふっ」と、とても嬉しそうに小さく笑いました。
今まで、娘として親を褒めて頂くのはとても嬉しい半面、使い過ぎるほど気を使う人なので、その歳になってまで、そんなに無理をしなくてもいいのにと思っていました。
でもそのお陰で、皆さんに快くお世話して頂けているのですね。
息遣いから、決して楽な体調だとは思えないのですが、とても穏やかないい顔をしています。
介護をしていて、父の笑顔、心遣い、我慢強さに改めて気が付きました。
亡くなった母の体が弱かった事もあって、若い時から両親を支えてきました。
それで可なり早い時期に『精神的には親を越したな』と勝手に思っていたのですが、そんなに甘くは無かったような・・・
私にはあの我慢強さはありません。
さすが、戦争を生きて抜いてきた大正生まれ、親ながら立派です。
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March 22, 2009
日経プラスワン(21日)に載っていた記事です。
6人を実感するかどうかはおいておいても「世間は狭い」と感じるような経験をした事は誰にでもあるのでは?
「世界はたった6人の知人でつながっている」実はこれ、「6次の隔たり」と呼ばれるれっきとした数学の理論だそうです。うわさの伝わり方やウイルス感染を考えるのにも応用されているとか。
大規模な実証実験が何度も行われ『数百人を無作為に選び、面識のない特定の人物に手紙を届けるのに何人の知人を介せばよいかを実験したところ、6人以内で多くが目標にたどりつき、平均が5.5人。また電子メールを使った実験でも、6人程度で世界各地の目標の相手に届く』ことが確認されたそうです。
「人は人と出会いながら人脈を築く。その鎖をうまくたどれば、世界に約六十六億人いる人間が六人(仲介者は五人)でつながる」と実証されているそうです。
“その鎖をうまくたどれば”がミソかもしれませんね。
規則的でもバラバラでもない構造が、顔が広い有名人らが「ハブ」として機能することによって、意外なほど短い経路でつながるのだそうです。
先月の父の入院の時“世間は狭い、意外なところで人は繫がっている”と感じたばかりなので「ホー」と思いながら読みました。
40年前、父がニューヨークで仕事をしていた時の部下の方、帰国後、鎌倉で住まいがお近くでした。
数年前、母が入院した時、お見舞いに見えて「この病院の理事長と親しいので、何かあったら何時でも・・・」
それで、今回父の入院の手配をお願いしました。
病院へ連れて行くと、部下の方と理事長さんが待っていてくださり、主人と私とご挨拶の後、4人で世間話を。
部下の方と理事長さんが同窓と聞いて、主人「失礼ですが、どちらの高校ですか?」
3人とも湘南高校と分かりびっくり、主人は大分後輩ですけれど。
その上、湘南の校長をしていた主人の父をご存知だったりして、病院の検査室の前で、共通の先生、知人の昔話をなっかしそうにひっそりと。
主人曰く「湘南卒の匂いがした」そうな・・・
両親の介護を始めて、それまでと違う世界の人々と接する中で、意外な人との繫がりを発見する事があり「世界はたった6人の知人でつながっている」本当かも、と感じています。
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March 20, 2009
父の急激な衰えに戸惑っています。
入院初日、院長先生から検査結果と治療に付いて丁寧な説明を受けた後、「今の状態では寝たきりになられますが、どうなさるおつもりですか?ご自宅で面倒を看られるのは大変だと思いますが・・・」
そ、そ、そ、そんな事、いきなり言われても・・・と思いながら
「数日前まで、転倒を繰り返しながらも、なんとか普通に暮らしておりましたので特にどうしようとは考えていませんでした。誤嚥性肺炎が治った時点で今後の事は考えたいと思います」と答えてから、後ろで一緒に説明を聞いてくれていた主人に同意を求め、その話は保留に。
今年に入ってからの度重なる転倒で、もう歩く事が無理なのはわかっていました。
でも、今回の病状が誤嚥性肺炎によるものなら、自力で歩けなくても、意思の疎通がそこそこできて、柔らかい食事でも取れれば、自宅でそれなりの生活が送れる可能性はあるのではと、何となく考えていました。
院長先生はお若い方で、多分40代後半かな・・・
彼は、その病院の4代目さん。
でもさすが老人病院の院長をしておられるだけの事はあり、父の先を見越しておられたようです。
誤嚥性肺炎が治っても、嚥下力は回復せず、今はミキサー食に。
それでも飲み込むのが難しく、べッドの上に「食事、ナース介助」の札が1ヵ月半、掛かったままです。
院長先生に「看護婦が付きっ切りで食事の介助をしていますが、それでも誤嚥をしないという保障はありません」といわれています。
今日も面会に行った時「いつ誤嚥性肺炎をおこしてもおかしくない状態です・・・」と、その後に、院長先生が何を言いたいか、だいたい察しがついています。
我家の主治医からもケアマネージャーからも、今はどの病院も歳に関係なく誤嚥性肺炎になると、直ぐ“胃楼”にすると聞いてますから。
母の時も“胃楼”の話はありました。
でも何せ体重が20数キロの母には、医師も強いて勧める事はなく“一様説明しておきます”みたいな感じでした。
主治医もケア・マネージャーも「個人的な意見だけれど」と断った上で「“胃楼”は賛成しない」と言われます。
それでもこの辺の殆んどの病院は“胃楼”を勧めるそうです。
姉達に「“胃楼”どうするかよく考えてみて」と電話で伝えました。
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February 22, 2009
父の緊急入院の手続で院内をバタバタしてる間に、メガネを失くしてしまいました。
視力は裸眼で両目共2.0。
軽い乱視と紫外線よけの薄い色がついた、殆んど素通しのようなメガネです。
ただし、この季節は花粉除けに重宝していました。
大分前に作ったので、眼科へ検眼に。
眼球の中を覗き込みながら先生曰く「よく見える目だね~。何でも見えるでしょう?この眼なら100年は充分もつな~」
『そんなに長生きするつもりないんですけれど・・・それよりもパソコンを長時間しても疲れない眼がほしいんだけどな~』と心の中で・・・
何しろこの先生には「狩猟民族の目で、手先でコチョコチョする農耕民族の目ではない。パソコンなんて疲れる為にやるようなもの」と言われていますので・・・
「お父さん幾つ?」
「95歳です」
「子は親より10歳長生きするというから、アンタは105歳か・・この眼なら大丈夫だ」
『先生、父は未だ生きております。それに目は100年持つと保証して頂いても、他の臓器の都合もありますし・・・』と心の中で・・・
マア、何はともあれ、よき目を頂いて感謝ですけれど。
大分昔から花粉症で、耳鼻科で診断してもらい目薬を含む薬一式を処方してもらいました。
今は内科で貰っています。
眼科で診てもらうよい機会と思い「花粉症の目薬余り効かないんですけど・・・」と言うと、
「薬を差す前に眼を洗わないと意味が無いんだよ」と言いながら私の目に薬を2滴。
差すと同時に、目頭と目尻に溢れた液を指で目の外へ拭い去る。
その素早い事、何が起こったのかと思う位。
「もたもたしていたら、花粉が目の中へ逆流してしまう」
目薬にも、効く差し方があるのです。
でも「先生お化粧が・・・」
きっぱりと「諦めてください。どっちを取るかだな?」だそうです。
内科だと0.01%とか0.025%の点眼薬が多いそうですが、今回眼科で処方されたのは0.05%。
これで効かなかったら、まだがいろいろあるけれど、強いのは副作用もあるから、との事。
やはり“餅屋は餅屋”
たかが花粉症の目薬と思うこと無かれ。
より取り見取りという感じでサンプルが並んでいました。
お陰で目の不愉快なのがスッきり治りました。
古いメガネを失くした効用は大きかったようです。
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February 20, 2009
父の病状が少し落ち着いたら、私と主人が次々にダウン。
それも間の悪い事に、二人とも休日の夜に具合が悪くなり、母が散々ご迷惑を掛けた主治医に、私達までもお騒がせする事になってしまいました。
私は土曜日の夜中から“ひょっとするとインフルエンザかも?”という感じに・・・
何しろ毎日病院に通っていましたから、うっても全然おかしくないわけで・・・
勿論マスクで武装して行くのですが、人と話す時はお相手に失礼なような気がして、顎にずらしてしまいます。
『マスクの意味がないな~』と思いながら、皆が“顎にマスク状態”でインフルエンザの真っ只中に。
日曜の朝まで待って、主治医に電話。
「来れそう?来てくだされば診察しますよ」と快く診てくださり、検査結果は陰性。
風邪と疲労という事で“ほっ”と一安心、5日間寝こけました。
私が全快した土曜の夜、今度は主人の様子がおかしいのです。
頑強で病気慣れしていないせいか、上手く自分の不調を説明できない不思議な人でして。
人の体調に異様に敏感な私は『これはまずい』
土曜の夜、人様の家に電話を掛ける限界の9時まで様子を見ていて、主治医の携帯に電話をしてご相談。
指示どうり、一晩様子をみていたら、落ち着いてきました。
でも、主治医に相談できなかったら、一瞬、救急車を呼ぼうかと思いました。
日曜の朝、「落ち着きましたか?」と先生から先にお電話を頂いて恐縮。
先生とは、両親が我家に来てからのお付き合い、3年ちょっとになります。
いつもなかなか出来る事ではないな~と思いながら、お仕事ぶりを拝見しています。
休診日と土曜の午後は往診。
平日も急患がいると、お昼休みとか診察時間の後に往診に来てくれます。
お休みは日曜だけ、お正月もお盆も、急な時はいつでも実に気楽に診てくれます。
私の子供の頃は、お医者様は皆、こんな感じでした。
でも今は、診療時間以外は連絡の取れない医師が圧倒的に多い時代。
開業医の時間外診療や往診を、個人の善意に頼るのではなく、きちっと制度化して優遇するとか、月数回でも義務化する事はできないものでしょうか。
そうすれば、病院も本当の急患の対応に専念する事が出来るし、救急車の利用も押えられると思うのですが・・・
お近くにこうゆう医師がいてくれる安心感、何ものにも代えがたいものがあります。
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February 05, 2009
日曜日の夜、父が38度の発熱。
毎夜、父の部屋に定期的に様子を見に行っていました。
私、人の体調の変化に異様に敏感です。
高齢者介護も2人目となると流石の私も慌てず騒がず“冷えピタッ”を張って一晩様子を見る余裕が出てきました。
朝、熱は下がったのですが、明らかに様子がおかしくて、ヘルパーさんも「どうしたのかしら・・・」と首をかしげるので、主治医に携帯で連絡をとりました。
昨夜からの経過を報告すると、女医さん「それはすぐ入院した方が・・・救急車を呼んでね」
「お熱は下がったのですけれど・・・」と私。
「お父さまはご高齢だから、急激に悪化する事があるので入院して病院にお任せしましょう。香川さん、その間少し休んだ方がいいし・・・」との返事。
予期せぬ返答に頭の中が混乱。
それでも、度々転倒したのに病院に連れていく事ができずにいたので、診て頂くいい機会かも、と入院に関しては納得。
しかし、幾ら高齢でも微熱で救急車を呼ぶのは可なりの抵抗を感じまして・・・
母で3回呼んでいるので、4度目の同乗は避けたいとの思いもありましたし・・・
まず、NY時代の父の部下の方が、母がお世話になった病院に知人がおられた事を思い出して早速連絡。
「主治医の紹介状を持参するので、個室が空いていたら入院させてほしい旨」頼んで頂くようお願い。
その間に、主人が“地”の人でそこいらに知り合いがいるので、午前中に民間の寝台車を手配できるか、当たってもらって、私は入院の準備。
主人が主治医の所へ、紹介状を頂きに行ってくれ「救急車で寝かせて連れて行くように」と念を押されて戻ってきました。
病院と、民間の寝台車の手配が“あっ”という間に完了。
やっぱり神様のお陰かな・・・
救急車ではないけれど、確かに父を寝かせて入院先へ連れて行きました。
2時間の検査の結果、どこも骨折はないという事でほっ。
でも誤嚥性肺炎と、もう少し検査の必要な病気の疑いがあるとの事で、退院の予定は未定の入院になりました。
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February 02, 2009
94歳の父、今年に入って4回の転倒。
“転び上手”とヘルパーさん達に言われていますが、そういつも上手にとはいきません。
3度目の転倒で可なり痛そうなので、整形外科に代診に行ってきました。
母の時、左右大腿骨骨折、脊椎圧迫、最期に骨盤骨折と救急車で乗り付けて散々お世話になったので、整形外科には掛かり慣れております。
先生にお会いして、必要な症状を要領よく説明。
先生曰く「今、僕が往診しても、病院へ連れて行っても出来る事は何もありません。
患部にシップ、痛い時は痛み止め、静かにしていれば2週間で大体痛みはとれ、完治には4週間かかります。
それより、そんなに転倒を売り返す歩行器を使っているのはおかしい。何か他に良い物があるでしょう?」
突然話題が変わったのと、整形外科医なら転倒が歩行器のせいではない位判るでしょうが!との驚きのダブルパンチで何と答えれば良いものやらモゴモゴ。
前々日、転倒を防ぐ為に、ケアマネイジャー、コーディネイター、介護福祉用具の人と堂々巡りの話し合いを重ねての今の状況。
その堂々巡りを、お会いするのが2度目の先生になんと説明したものか、モゴモゴ。
今年に入ってから、歩行器を使っても歩くのが難しい状態で、それを当人に伝えるべきか否か、皆で苦慮しております。
「一人の時は動かないでね、危ないから」と、繰り返し伝えているのですが、効果はまるでなし。
父にはその自覚が無いのか、認めたくないのか定かではないし、説明をどの程度理解でき、又その理解した事を持続できるのかどうかもよく分からない、そんな状況なのです。
先生と看護婦さん3人が分厚い介護用品のカタログを見ながら歩行器について“ああでもない、こうでもない”とがやがや。
余りの親切さに口を挿む事も出来ず、有難く拝聴していました。
結局「何かあるはずだからケアマネイジャーに探してもらいなさい」と言われて終わり。
この辺では可なり評判の良い先生であり、又唯一整形外科で往診に来てくださる貴重な存在なので、私、おとなしくしておりました。
母は遥か彼方を見つめて、永遠に生きる事を望んでいました。
父は足元だけを見つめて、永遠に自力で1歩前に進む事を望んでいます。
残念ですが、どちらも私には叶えられない望みです。
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January 19, 2009
デイサービスへ、父が3週間振りに行きました。
という事は3週間振りの入浴という事になります。
高齢者介護には、介護の仕方を大きく変えなければならない時が幾度かあるのですが、入浴もその一つです。
ほんの半年前まで、自宅でヘルパーさんに見守ってもらって自力で入っていました。
数ヶ月前から、ヘルパーさんを二人体制にしても足元が危ないという事で、デイサービスで入れて頂く事に。
父は嫌がるかと思ったのですが、専門家によって大きなお風呂に入れてもらうのは安心で気持ちがいいと、とても気に入ってくれました。
寒さに滅法弱い父は、お正月を挟んで、寝ている時間が長くなりました。
往診に見える度に主治医から「90歳過ぎると人間って昼間もよく寝るようになるのよ」と聞いていたのですが、父は94 歳を過ぎてその時が来たようで、午前中“うっらうっら”している事が多くなりました。
朝10時過ぎのお迎え、眠いのと寒いので億劫だろうと思うのですが、デイサービスを止めると入浴に困ってしまうのです。
家のお風呂も、デイサービスへ行くのも無理となると、後は訪問入浴を頼む以外にありません。
父に「デイサービスに行くの面倒だったら、訪問入浴をお願いする?」と聞いてみました。「あれは大袈裟やから、ええ」との答え。
まだまだ、しっかりしております。
訪問入浴、要介護5の母の時、頼んでいました。
父の言う通り、可なりの大事です。
看護婦さんとヘルパーさん2名が浴槽(洋風の風呂桶ですね)と供に現われます。
車のボイラーでお湯を沸かして、ベッドルームが10分程で浴室に変身。
その間に看護婦さんがメディカルチエックをして、その後、寝かせたまま入浴させます。
全ては手際よく小1時間で終了します。
料金は1回1万2千500円。
介護保険を使うと1割の1,250円
でもですね、介護保険には持ち点がありまして、訪問入浴を必要とする状態の者には、介護用品、訪問介護といろいろ必要不可欠なものがあって、とても足りません。
それで、母の場合は全額自己負担でした。
それプラス夏場は床ずれ等の心配があるので、看護婦さんに本格的な清拭を頼むと、入浴関係だけで月々7~8万円になります。
厚生省が療養病棟を次々閉鎖して“高齢者は在宅介護”の方針ですが、入浴一つとっても難しいものがあります。
今の日本において在宅介護は、最高の贅沢のような気がします。
それっておかしいのではないでしょうか?
介護保険制度自体を、もう一度抜本から見直した方がよい、と感じつつ日々介護に追われています。
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January 10, 2009
去年の今頃、父は出し忘れた方に年賀状の返礼を書いていました。
一枚一枚万年筆で丁寧に、それも可なりの達筆で・・・
昨年末「そろそろ我家の年賀状の印刷を頼むけれど、お父さん、どうします?」 と尋ねてみると、
気がなさそうに「もうええわ・・・」
「それじゃ~、頂いた方に元気にしています、と寒中見舞いのお返事を出す事にしましょうか?」
どちらでもよさげに「そうしてちょうだい・・・」との返事。
世事に段々関心が薄くなってきていたので、予期していた反応ではあったのですが・・・
毎年父は、母の分と合わせて300枚、手書きで宛名を書いていました。
それでも年々亡くなる方、頂かなくなる方が増えて随分減った、と言いながら去年は200枚。
93歳で毎日10枚ずつと決めて、200枚書き上げる姿は立派でしたね。
「宛名をパソコンでプリントアウトしましょうか?」と、随分奨めたのですが、直筆に拘っておりました。
今年は父宛に百数十枚の賀状が届きました。
下さった方もお年を召された方が多く、中には“やっと”書かれたという感じの物もあります。高齢者にとっては、年に1度、互いの無事を確かめ合う、大事な儀式のようなものなのかもしれません。
年賀状が来なくて案じてくださっている方々に、お礼と無事を知らせ、高齢の為新年のご挨拶は今後失礼する旨の「寒中見舞い」を出す為に、只今、宛先をパソコンに入力中です。
私の年賀状は主人が全部プリントアウトして出してくれました。
『楽チン、楽チン』と感謝して喜んでいたのですが、そうは問屋が卸さなかったようで、父の分をやる羽目に・・・
“介護”そのものも勿論大変ですが、一件介護に直接関係無い細々した日常の雑用が以外に多く、結構時間をとられます。
「寒中見舞い」を出し終えたら、我家と父の2軒分の確定申告の準備を始めます。
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January 05, 2009
明けましておめでとうございます。
年末年始の慌ただしさから、やっと落ち着きを取り戻しつつあります。
何せ2年分の大掃除(一昨年の年末母が亡くなったので)を一挙にしょうとしたもので、とんでもない忙しさでした。
ヘルパーさんに手伝って貰ったのですが、私、異常な程の整理魔、きれい好き。
要所要所は自分でしないと気のすまない性質。
介護をしながらのこの性格は本当に“困ったもんだ”です。
自分で自分の首をしめているのですが止められない。
その上、主人は雑然としていても全然気にならないタイプで「何、一人で騒いでるの?ゆっくりしたら」とチャチャを入れるし。
そこを押して、大晦日までに何とか仕上げたい、と働きまくりました。
大掃除一本に絞って、おせちは和食と中華をデパートに頼んだので、何もしないつもりだったのですが、これもまた、創りたくなって・・・
一様、主婦を張っているのだから、ほんのお印までにと思ったのが間違いの元。
主人曰く「誰がそんなに食べるの?」
そう言われてみればそうなのですけれど・・・・
“今年こそは紅白をゆっくり座ってみるぞ~”と頑張っていたのですが、あえなく挫折。
最も、主人は紅白には興味が無いので他番組を、私はキッチンで紅白を横目で見ながら働いておりました。
それで、今年の目標は「何事も程々に」
目標達成の自信は全然ありません。
性格はそう簡単に変えられませんもの。
でも年々体力の衰えを感じつつの介護生活が4年目に入ります。
“程々”を心掛けるようにしょうと思っています。
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December 29, 2008
6泊7日のショート・ステイから父が戻ってきました。
その間にしていた事。
初日 ―大洗濯と寝具干し
2日目―母の一周忌のお墓参りに滋賀県へ日帰り
4日目―ご町内の元民主党国会議員さんの集まりに夫婦で出席
5日目―父の部屋の年末大掃除と、次の日の自治会のイベントに我家のお庭を開放するのでその準備
6日目―「子供と一緒に、町内美化とほっとドッグをほおばる会」を朝から夕方まで
11月末に開いた自治会の“ハロウィン・パーティー”は63名の子供達が集まって大盛況でした。
それに気を良くして計画した企画、ものの見事に空振り。
お手伝いの親御さんの子達を含めて子供の数は10数名。
がくっ!
でも、12月のこと、風邪でも引かせてはとお呼びするのを見送った高齢者のお宅に、民生委員の方達が大量に作った豚汁を配って喜んでいただきました。
春のように暖かな日だったので、我家の庭で30人程、気心のしれた自治会役員の忘年会という感じで、ホットドッグ・トン汁・焼きそばにお好み焼きで和気藹々と楽しい一時を過ごしました。
町内会の元議員さんも参加され、「制度、仕組みを変えれば、日本は必ず良くなります」と1分間スピーチ。
それに、いつもの役員、プラス子供のお父さんが数名加わってくれました。
当自治会といたしましては若い人達が例え数名でも参加してくださる事は画期的な出来事でして・・・
何よりの収穫かな?
7日目―午後父帰宅。1時間半後、ヘルパーさんが夕食の準備中に転倒。
上手に転んでくれたようで軽い打ち身ですみましたが、又気の抜けない日々が始まりました。
ショート・ステイに行っている間位、ゆっくり休めばいいものを、普段出来ない事をしておきたくて結局いつもバタバタ。
何か介護の日々と全く違う事をしたいという反動のようなものかもしれません。
介護生活4年目に突入です。
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November 05, 2008
父のデイ・サービスの日でした。
春先には1人だったお迎えのヘルパーさんが、夏過ぎから2人になり、最近は抱えられて車までいきます。
子供は“褒め育て”とよく言いますが、人間は幾つになっても同じですね。
ヘルパーさん達、本当に褒め上手。
「あら~いいですね~。今日は足が良く動きますね~、日に日に足取りが軽くなりますね。その調子、その調子・・・」と、家から車までの間、褒めっぱなし。
初めは「年寄りも子供と同じで、誉め育てなのだな~」といつも感心して観ていました。
しかし、父を両脇から抱えて、中に浮かせるようにして歩かせながら「あら凄い!どんどん足取りが軽くなりますね~」と褒めているのを聞きながら、次第に複雑な気分になり始めています。
褒め育てだけでは、行き詰まる時がくるのではと・・・
希望を夢を持たせる事、喜ばせるてその気にさせる事、とても大事です。
父の夢は、また歩いてお向かいのデニーズに食事に行く事。
夢があるから、デイ・サービスでのリハビリを一生懸命励んでいるようです。
でも自分で歩くことにのみに拘らなくても、歩行器でも車椅子に乗ってでもデニーズに行って楽しむ事は出来きます。
リハビリをすることで、昔のように歩ける場合もあるでしょう。
リハビリをすることで、現状を維持できる事もあるでしょう。
でも、リハビリをしても衰えていく事を止める事は出来ない。スピードを遅くするのが精
一杯、という事だってあるのです。
人が老い、衰えていくことは自然の流れです。
まず周りがその自然の流れを受け入れなければ、当人は認めたくないことですから。
父の場合、今年になって急激に歩行が困難になりました。
未だ大丈夫なはずとの思い込みと、しっかりしているとはいえ何せ94歳ですから現状を認知するのが難しくなっているのと、現実を受け入れたくないとの思いと、褒め上手に乗っているのとの、4重奏で、転倒を繰り返しています。
褒めるだけでなく、現実に目を向けないと、危険を伴なうのですが・・・
年をとって現実を見つめるということは夢や希望、やる気を失うことに繋がってしまうのでしょうか。
生かされている、そのこと自体に感謝できる。
そしておかれた状況の中で出来る事を楽しめる。
そんな心を育てておかないと、老いる事はとても難しいことなのかもしれません。
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October 10, 2008
お医者さまといえども人間ですから、当然ありですよね。
主治医が病気になるかも・・・不覚にも想定外でした。
月1度の父の往診日に、「先生が盲腸の手術で入院の為、本日伺えなくなりました。お薬だけお届けします」と看護婦さんからの電話。
これも勝手な思い込みなのですが、自分が子供の時したもので、盲腸って子供の病気かと思っていたりして・・・
どちらにしろ盲腸なら、10日もすれば診療再開されるだろうと軽く考えていました。
ところが手術は無事終わったそうですが、傷口が化膿して、3週間たった今も入院中。
まだ退院の日は決まっていないそうです。
「万一の場合、救急車は呼ばず、まず連絡を下さい。今の日本ではお医者さまの見ていない時に最後を迎えると、警察が介入して嫌な思いをすることが多いので・・・。落ち着いて行動するのよ。あなたなら肝が座っているから大丈夫だと思うけれど・・・」と老人介護の心得を教えて頂いています。
自称天然ボケの女医さん、ご自宅で開業しておられ、緊急の時はいつでも見てくださるし、携帯の電話番号も教えて下さって、24時間連絡を取れるようにしてくれています。
本当に頼りに仕切っていました。
今のところ、父の健康状態は安定しているので心配はないと思いますが、何しろ94歳、先ず何処に連絡するか位は考えておいた方いいのかもと、思い始めております。
お疲れが溜まっておられるのでしょうね。
ゆっくり静養して頂きたいのは山々ですが、軽く焦っております。
世の中、次々と思い掛けない事が起こりますね。
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September 16, 2008
「楽や!これは楽や!車椅子があるとええな~」
ショートステイ中、施設内は広いので車椅子を使っての移動で”楽さ”に目覚めたようです。
まだ可なり危なっかしいながらも歩行器を使って何とか自力で歩けるので、家で車椅子を使うことには抵抗があるだろうと思い、勧めていませんでした。
それと車いすを使い出したら、早晩自力で歩く事はできなくなりますので。
長年、親子をやっていって全く気付かなかったのですが、大正生まれの戦争と戦後の困難の中を生き抜いてきた人達は、真面目、我慢強い、努力家。
(何故か娘達の誰にもどれ一つとして遺伝しなかったですね、残念なことに・・・)
昔からですが、新しいことには抵抗を示すタイプで、物凄く変化を嫌います。
言い出すタイミングの難しいこと難しい。
でも自ら望むのは余ほど大変だったのでしょう。
まるで新しい玩具を得た子供のように嬉しそうに心地良さげに“ちょこっと”座っています。
母の時は介護者が操作する用のコンパクトなタイプ、何の問題もありませんでした。
でも父のは自分で動かすタイプの物。
トイレもおふろ場もバリアフリーで、車イスが入るスペースもとってあるのですが、自分で動かすとなると切り返しなどかなり高度の技術が必要となります。
「たかが車椅子、されど車椅子」高齢者介護は車椅子一つとっても簡単にはいきませんわ。
使い始めて数日、目に見えて歩く力が落ちてきたのが判ります。
「ハビリで機能を取り戻すには大変な時間が掛かるけれど、落ちていくのは“あっという間”」と整形外科の先生からお聞きしたことがあります。
本当なのですね!
今、お試しで借りています。
このままレンタルに切り替えるかどうか、父が望むようにしようと思っています。
94歳、無理をして歩いてとは言いえませんもの・・・
母が入院した時の担当医の言葉「こうなると、何が良い悪い。どうしなければいけない、してはいけない。ということは何もありません」
いつも思い出している言葉です。
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September 10, 2008
朝5時過ぎ、階下から私を呼ぶ父の悲壮な声が、夢の中に割り込んで来ました。
『すわ転倒!』と階段を転がるように降りて父の部屋へ
部屋中コウコウと明かりを付けて、庭に出る窓の前にイスを運び、シャッターを数十センチ持ち上げ、私の名前を必死で呼んでいます。
今の父の状態でこれだけのことをするのには、1時間以上かかるでしょう。
両手で歩行器を持っていなければ立っていられないのですから。
「シャッターを開けておかんとヘルパーか入って来れない。門に車が止まっている」とブッブッ文句を言いながら。
まだ朝早い事を説明し、落ち着かせてもう一度ベッドに寝かせ、1軒落着!
転倒しなかったことが奇跡のような出来事でした。
次の日は母のお墓参りに行く予定でした。
朝6時半にシャッターを開けにいった時は何の異常もなかったのです。
出発45分間前、留守の間のヘルパーさんの予定を説明に行くと、べットに座って黙々と自分で着替えをしています。
いつもヘルパーさんにしてもらっているのに様子がおかしいと思いながら、ひょっと洗面所の方を見て、我が目を疑いました。
床中水浸し、大洪水です。
便器の中で紙おしめが水分を吸ってパンパンに膨れ上がって水の流れを止めています。
今の紙おしめは本当に優れもので吸収力抜群、お化けのように大きくなるのだ!と暫し見取れる程。
一瞬、出掛けるのは無理かな?との思いが過ぎりました。
まず父の着替えを手伝って落ち着かせ。
30分後に朝のヘルパーが来て全部後始末をくれるからと、時間と戦いながら解る様にゆっくりと説明。
こんな時の為に用意しておいたボロタオルを洗面所中に敷き詰めて出発。
新幹線のホームから電話をかけて後始末を頼みました。
次の日は、父が気に入っているデイ・サービスの日でした。
個別にリハビリを丁寧にしてくれる所で、毎回いそいそと出掛けていきます。
夕方、戻って来て、忘れ物をしてきたから電話で探してもらって欲しいと言います。
ところが何を忘れてきたのかが思い出せないのです。
持ち物は、全部持って帰って来ています。
でも彼にとっては何か忘れ物がある、引っ掛かっている事があるのです。
小1時間拘り続けました。
食事をすれば気が紛れるかもと、ヘルパーさんに急いで夕食の支度をしてもらいました。
案の定、食べ終わったら、ケロッと忘れていました。
父は94歳、本当によく頑張っていますが、何が起こっても不思議のない状態である事は確かです。
亡くなった母は要介護5の寝たきりで、自分分の状態が良く理解できていませんでした。
父は辛うじてですが歩行器を使いながら自力で動け、また意識も可なりしっかりしています。
全く違う2つのタイプの老人介護を体験しながら、上手に年をとることの難しさをヒシヒシと感じています。
明日は我が身ですから・・・
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August 13, 2008
父のショートステイ先から電話。
「ご自分でべッドから車椅子に移ろうとしてすべり落ちられたようで・・・」と本当に申し訳なさそうな女性職員さんの声。
「直ぐ看護婦が調べて、今の所何処にも異常はありませんが注意深く経過を観察します。申し訳ございませんでした」との事。
「家でも時々転倒しております。骨が丈夫なようですから調べて頂いて異常がなければ大丈夫だと思います。預かって頂けるだけでも有難いので、余りご心配していただきませんように」と答えて受話器を置きました。
何しろこの暑さ。
何しろ昨年末母を亡くしてから急激に体力が落ちている94歳。
夜の突然の電話は、心臓によくないですよねぇ。
大した事がなくてホッとすると同時に『そこまでご丁寧に知らせて頂かなくてもいいんだけどな~』というのが私の本音。
次の日に帰宅の予定なので、その時に報告してくだされば充分だと思うのですけれど・・・
このご時勢、預かっている方としては、そうはいかないのでしょうね。
施設に預ける、人に世話をお願いするという事は、相手を信頼してお任せする事だと思っています。
少しでも不安があるのなら、ちょっとのミスも許せないのであれば、全部自分で面倒をみるか、付きっ切りで世話をしてくれる人を雇うべきではないでしょうか。自分が出来なくて人にお願いする以上、相手に完璧を求めるのは筋が違うのではないかと思うのですが・・・
誰の目から見ても明らかな不注意によるミスは、勿論、他の方の為にも言うべきですけれど。
このままでいけばと言うか、すでに始まっているようですが、重労働で低賃金、その上ちょっと何かあれば苦情が出る。これでは介護の担い手がいなくなってしまって当然です。
結局言いたい放題をしていると、最後に困るのは自分達なのですけどね。
先日インドネシアから看護師・介護福祉士の候補生が来日したという記事が載っていました。
日本語の難しさ、3~4年でそれぞれの資格を取得しなければならない事、大きな壁だと思います。
でも一番大きな壁は、今日本中に蔓延している相手に完璧を求める不寛容さではないか、そんな気がします。
この夏、ヘルパーさんがいる時間帯と夜中以外は1時間おきに安全確認と冷房の温度調節をしています。
ショートステイの間、昼間は何かと忙しかったのですが、夜はゆっくりさせてもらいました。
“いつも笑顔でスタッフに接して下さり、気持ちよくお世話させてもらいました”との報告書と共に、父は無事帰宅しました。
私にとって、預かって下さる所がある事はとても有難い。
そして、父が皆さんと気持ちよく過ごす努力をしていてくれる事も、とても有難く思っています。
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August 06, 2008
「わ~、涼しい。天国!やっぱりご家族と同居はいいですね」
往診に見えた女医さんと看護婦さんが、父の部屋に入るなり口々に歓声をあげられました。
独居老人。
老老介護のご夫婦
軽い認知症のご夫婦
息子さんはお勤めで昼間は独居状態のおばあちゃん
最後が我家の往診だったそうです。
クーラー無し、窓も閉め切ったまま
クーラーがあってもリモコンの使い方がわからない、これが圧倒的に多いとか。
父もそうですからよく分かります。
35℃近い猛暑の中クーラーとホットカーペット両方の電源が・・・毎回その家の往診は、ホットカーペットの電源を切ることから始まるとか。
「同居してない家は大変。今年の猛暑は特に・・・」と先生
思わず「ヘルパーさんは?」
「入ってない家がほとんど。本人か身内しか申請の手続が出来ないので・・・
民生委員が手続きの代行をできるようだけど・・・
それぞれに家庭の事情があるし
他人に家の中を見られたくないという方も多いし
介護保険、複雑すぎて説明してもわからないし
負担は1割と云ってもお金のかかることなので「結構です」という方も多いし
たとえ本人が了解しても、他人がお金のかかることの手続きをした、と後でトラブルになることもあるようだし」
し、し、だらけでビックリ!
ぎりぎりまで、誰にも何もできない、何故なんでしょうね。
「お父さまは、娘さんとご一緒で本当に幸せですよ」と何回も言われるのを
複雑な気持ちで聞いていました。
一昔前のような他人の家庭の中にどっぽり入り込むようなお付合いは、私もしたくありません
でも何かあった時にはお互いに助け合える様な、程良い近所付き合いを普段からしておくことって大切だと思うのです。
今、自分の出来る範囲で出来る事でお人の役に立つ。
そして出来なくなったら頑なに拒絶するのではなく、人に有難く助けてもらって感謝する。
お互いさま、持ちつ持たれつの精神が、これから必要になってくるのではないでしょうか。
昔の人はいい事を言っています。
「遠い親戚よりも近くの他人」
もう始まっている高齢化社会、行政の力にも限界があるでしょう。
自分達で出来る事は自分達で。
主人と自治会の活動をしていて難しいと感じつつも、日頃から一人一人が小さな努力をすれば、もう少し住みやすい安心して暮らせる社会になると思うのです。
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July 31, 2008
例年、3日間のお祭りの1日は必ずお清めの雨が降るのですが、今年は連日のかんかん照り。
こんな所にも気候の大きな変化を感じます。
お祭りの間は、祭典副委員長を務めているので、自治会館に詰めて金庫番です。
主人は元銀行員ですが、私はお金とは全然関係がないので、大きなお金の出入りに最後に帳尻が合うかヒヤヒヤ。
でも文明の利器、パソコンのエクセルのお陰で皆がお神輿など片付けている間に会計報告書を仕上げました。
これって結構凄い事なのですよ(ちょっと自慢)
今年は有難い事に数名新しい方が参加してくれました。
新しい人が入ると新しい風が吹く。
わけのわからない物がぎっしり詰まっていた倉庫が、ワンルームマンションとして貸し出せそうな位、様変わり。
腰高の窓が現れて、そこから光がさし込んでいるのを見た時は感動ものでした。
皆で「倉庫に窓があったんだ~~~~」
指揮を取ったのは元私立高校の校長先生。
彼のいた学校は、隅々まで整理整頓が行き届いていたでしょうね。
でも生徒はちょっと大変だったかも等と思ったりして・・・
介護で時間と体力の無い元掃除魔の私といたしましては「我家も是非」と頼み込みたかったですね、マジで。
時々、94歳の年寄りを抱えながら物好きに何をやっているのだろうと自分でも思うことがあります。
でも介護の中に閉じこもらないで、外に出てと云っても徒歩2分の自治会館ですが、いろんな出会いがあって、ちょっぴり地域のお役に立て、そんなことがよい気分転換になっています。
彼のお陰で、我が自治会館の将来は明るい。
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July 14, 2008
父は「皆さんによくして頂いた」と言って帰ってきました。
どうやら“センサーマット”の力が大きかったようです。
「“もぞっ”と動くとヘルパーさんがすぐに飛んで来て助けてくれるんだよ」と笑いながら皆に報告。
立ち上がる事、歩行が大変になった父にとって、動きたい時、即、人が飛んで来て手伝ってくれる。何物にも代えがたいのでしょう。
「食事はまあまあ、来ている人達は有料老人ホームと雲泥の差」とキチッと状況を把握した上での感想ですから。
年と共に自分にとっての大事な物が変わっていくのですね。
94年間貫いてきた生き方、考え方がある所を境にコロリと変わってゆく。
老いるとは、なかなか察するのが難しい世界です。
ケアマネに「父の方は“合格”」とすぐ連絡を入れました。
彼女「本当?本当?」とにわかには信じがたい様子。
夕方様子を見に来て父と話をし「ほんまや~。でも今回はお試しで短期間だったから、1週間位いたら感想が変わるかもしれへんよ」と“言い出しっぺ”なのに一転して慎重に・・・
特養の送迎はストレッチャーが乗る超大型車に運転手さんとヘルパーさん2人。
様子を見て、歩行器から即車いすに変更、父は車いすごとリフトで車の中に吸い込まれていきました。
出発の立ち合いに来ていたケアマネと二人で「すごい~~」と顔を見合わせました。
有料老人ホームとか民間のデイサービスの送迎は、ミニバンでヘルパーさん一人か二人で走り回っていますから。
公立と民間の差は結構大きいのかもしれません。
後は自分にとって何が大切かにかかってくるような・・・
父から話を聞いて「特養にもいろいろあるわよ。良い所に当たったんじゃないですか?」といつも来ているヘルパーさんが言ってました。
ケアマネの言う通り、責任者がしっかりしておられるのは大きい。
滞在中、度々父の部屋に様子を見に来て何くれと気を遣ってくださったようです。
特養はお安いのと、個室が2部屋しかないので、中々思うようには予約は取れないのですが、でも父の気に入るショートステイが1つ見つかり、その上すぐお近くで少しほっとしています。
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July 10, 2008
父のショートステイ先を探し始めて4カ月、やっと今月から軌道に乗り始めました。
実はその間どうしようと悩んでいた5月頃、書類を届けにきたケアマネが会うなり「綺麗にお化粧しているけど疲れた顔してるね~」
しばし思案した後、思い切ったように何処かに携帯を掛け始めました。
それが、彼女にしては超丁寧語で話しています。
電話の後、以下関西弁です。
「誰と話してたん?」
「そこの、特別養護老人ホームの責任者」
我家から歩いて4~5分の所にあります。
「これだけ家庭で手厚く介護をしていたら、特養は無理や、と言ったのあんたやん。前のケアマネも同じ事言ってたけど・・・」
「そこのショートステイの責任者がとてもしっかりした人で、彼女の元なら預けても安心かと思って・・・」
等々話していたら折り返し電話があり「来週早々“2泊3日のお試し”の個室が取れました。日が迫っているので、明日ご本人とご家族の面談に伺います」
現れた責任者は、一分の隙も無いようなキリッとした中年女性。
スキだらけの私といたしましては、この上なく緊張しました。
父を預かるにあたって必要なことをテキパキと尋ねていかれ、その的を得た質問に、ケアマネが彼女なら安心といった意味が分かりました
転倒の危険性が高い事と「転倒は何処にいても起こりえるので、転倒した時はした時と思っております。家でも私が24時間付いて歩いているわけではありませんので」と伝えました
初めて顔を和ませて「なかなかそう言って下さる方はいらっしゃらないのですよ。すぐ苦情がくるので働いている者は落ち度がないようにピリピリしています」との事。
私なんか預かって頂けるだけで有難いと思うのですが、世の中の方は違うのですね。不思議!
べッドの足元にセンサーマットを敷いて、父がベッドから降りるとヘルパー・スーテションにすぐ連絡がいくようにしてもいいですか?と聞かれたので、
「結構です」と答えました。
試してみて、もし父が嫌がったら、その時はその時で考えればいい事。
私もやっとそんな風に柔軟に介護を考える事が出来るようになりました。
考えもしなかった思い掛けない方向に物事が進んでいきます。
深く考える暇も停める暇もないほどの勢いで・・・
こんな時、私は見えざる力が働いているような気がするのです。
たかだか父のショートステイのような小さな事に神様を引っ張り出さなくても、と思われるかもしれません。
ても“神の御業は細部にまでも行き渡る”そんな言葉を聞いたことがあります。
まあ、どちらにしても駄目で元々、そんな程度のことですけれど。
ショートステイの父の感想は・・・
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June 24, 2008
父の入れ歯がまっ二つに割れてしまいました。
94歳でステーキをパクパク、ピーナツをポリポリ、何でも噛めるご自慢の入れ歯でした。
それで具合が悪くなっていることに全く気が付きませんでした。
今日から何を食べさせたらいいものやら、慌てましたね。
でもそこは老人介護も2人目、母の時に訪問歯科のお世話になった事があるので、早速、友達のケアマネジャーに電話して、緊急で探してもらいました。
訪問歯科は、洗濯物を入れるような籠2ヶ分の品々で自宅が歯科医院に早代わり、入れ歯でも作ってもらうことが出来ます。
在宅介護、いろいろ困ることがいっぱいありますが、“歯”に関してはかなり制度が整っている感じ。
もっとも技術面ではばらつきがあるようで、ケアマネもその辺はよく分かっていて「腕がいいかどうかわからないけれど、明日訪問してくれる予約が取れたから応急処置してもらって」と連絡がありました。
父は歯科医師、特に入れ歯を作る時は、経験を積んだベテランがよいとの持論がありまして、当日、どんな歯医者さんが現れるか、ちょっぴり心配でした。
若いおっとりした感じの医師と、やはり若くて、でもテキパキやり手そうな助手との女性2人組が現れました。
「先生、先生」と煽てられながら医師が助手に使われている感じで、2人のやりとりが面白いこと。
やはり割れた方の修理は難しく新しい入れ歯を作ることになりました。
それまでは、応急修理をするので柔らかい食事をとの事。
1週間後にショートステイを控えていて、一瞬「どうしよう・・・」
今までの私ならば慌ててキャンセルするところですが、落ち着いて考えて“刻み食”をお願いして、預かって頂くことに。
流石の私もだいぶ慣れてきました。
母の時の医師と助手も若い女性の2人組でした。
母は痩せていて土手(歯茎の事)が無いも等しく超難易度の高い入れ歯作りだったので、こんなに若い人達で入れ歯が上手く作れるのだろうか、と正直不安でした。
ところが、出来栄えはそれはお見事。
それまで、母が合う入れ歯を造る為につぎ込んだ時間とお金は何だったのだろうと呆気にとられた程。
もしこれで父のがぴったり出来上がったら“入れ歯創りは若い女性歯科医に限る”と考え方を変えようかしら・・・
でも密かに、最近は腕前よりも、良い素材が開発され、技工士さんの技術も進歩したからかもしれない等と思ったりもしていますけれど。
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May 29, 2008
またやってしまった。そんな気分です。
月初めに父を4泊5日のショートステイに預かってもらう予定でした。
ところが、1週間前にデイサービスで流行のお腹の風邪をもらってきた様子。2回程下痢をしただけで熱もなく元気でしたし、1週間経てば他の方にうつす心配もなかったのですが、キャンセルしてしまいました。高齢なので大事を取った方がとの思いと、お世話してくださる方々にご迷惑を掛けてはと考えて・・・
月に1度の往診に見える女医さん曰く「いいのよ、そういう時は預けてしまえば。向こうが大変だと思ったら“引き取って下さい”と連絡があるから。高熱とか全身状態が余ほど悪ければ別だけれど、預けて大丈夫よ。深く考えないでいいのよ。真面目なんだから」と言われてしまいました。
そして、止めの一言「年を取れば、何時でも何処かしら悪いものよ。施設の方がそうゆう事に慣れているのだから」
うん~、あれこれ考えていたら、永遠にショートステイに預ける機会等ないということです。
そういえば去年、母をショートステイに預ける時、睡眠薬と安定剤の調整中で薬が定まらず、とても無理ではないかと躊躇った事がありました。
女医さん、心療内科の先生、家政婦さんに「大丈夫。大丈夫」と言われ、いろいろ智恵を授けてもらってやっと預けたことがありましたっけ・・・
本当に皆から言われたとおり、何の問題も起こりませんでした。
私、全然経験が生かせてないようで・・・がっくり。
性格的に何事もキチットとしたい方ないのですが、体力とも相談しながら、程々で妥協しないと長い介護生活は体力が持たなくなってきています。
どうもその辺が私は妙に真面目で、融通が利かない。
真面目の前に何か余計な言葉が付きそうな・・・
余り気を使い、心配をし、慎重になると、身動きが取れなくなってしまう、と今更ながら気が付いた次第です。
遅い!
ショートステイは主に介護者の為にある制度です。
だからお任せしてしまえばいいようなのですが、なかなか割り切れない性格で等と考えていたら、なんと超心配症の両親のしていた事と同じではありませんか。
これは一大事。
そしてもう一つ。
作家の曽野綾子さんが何かの本に「人によく思われたいと思うのは、色気だね」と書いておられたのを読んだ事があります。
そうなのです。
“キチットしていたい”とか“人様に迷惑をかけたくない”との思いはとても大切ですが、その中に“人に良く思われたい”そんな気持ちも結構混じっていて頑張っているところもあるような・・・
今は、色気よりも自分の体力を考えて行動しないと、返ってはた迷惑になりそうです。
考え方を変えるいい機会を頂いているようです。
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May 09, 2008
両親が我家に来た時から、90歳まで生きてきたのですから、後の人生は出来る限り好きなように過ごせばよいと思っていました。基本的にその考えは、今でも変わっていません。
それでいくと、お気に入りの絨毯は転倒の危険性があっても、父の気の済むようにすれば良いという事になります。
ところがここで問題が一つ。
父は後で“ふか~く”後悔するタイプです。もし絨毯のせいで何かが起こったら「あの時片付けておけば良かった」と後悔し続けるでしょう。後々悔いを残させないようにと思うと、父の好きなようにとはいかなくなります。
そこが非常に困るのです。
母は常に先々の事を心配し、そして過去の事をくよくよと悩むタイプでした。でも父はバリバリ仕事をするタイプだったので、晩年になるまで両親が似たような性格だとは気付きませんでした。若いころは違ったのに、年と共に似たもの夫婦になったのかもしれませんけれど・・・
私は母を見ていて、もうちょっと違う考え方、生き方があるのではないかと感じたので、天命庵で神の教えと云うか、人としての生き方のお話を時々伺っています。
こんなお話を聞いた事があります。
日々、前向きに楽しく暮らす事を阻む、2つの荷物
一つは、今さら考えても悩んでもどうにもならない過去を、いつまでも悔やんで抱えこむ荷物。
もう一つは、まだ経験したことの無い未来への不安や心配をする、取り越し苦労の荷物。
過去を必要以上に悔やまず、将来を案じないで、今日一日を精一杯プラス思考で暮らす。これが生き方の秘訣のようです。
この両親の娘ですから、私もかなり重い2つの荷物を背負っていました。
でもこの話を何かにつけ思い出し、考え方に気を付けていると、精神的にも身体的にも体が楽になり、ずいぶん健康になりました。
荷物は軽い方が楽で負担が少ないのですから、当然ですよね。
絨毯を片付けて寂しい思いを引きずるかと心配したのですが、父はすっかり忘れている様子。
歳と共に物忘れが進むのも、神様の計らいかもしれません。
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May 04, 2008
N・Yの5番街で集めたお気に入りの品々と共に、2年半前、父は我家に引っ越してきました。想い出がぎっしり詰まった物の中には2枚の置きカーぺットもありました。
年をとって何が怖いといって、転倒ほど怖い事はありません。骨折から寝たきりに、打ち所が悪ければ最悪の事態になる危険すらあるからです。転倒の原因は、お風呂場で滑るのと、カーペットの端につまずくのが圧倒的に多いとか。
友のケアマネは我家に来る度に、2枚の置きカーぺットを見て「危ない。危ない」と目の敵にしています。皆でカーペットを敷くのはを止めた方がいいと事在るごとに話すのですが、父は「大丈夫。大丈夫」の一点張り。
ヘルパーさんから「朝来たら床に座っておられました(転倒した事を意味します)痛い所は無いと言われています。絨毯の端が捲れていたので歩行器が引っかかったのではと思うのですが・・・」との報告がありました。
父に「大事に至らなくて良かったけれど、お母さんのように転んで骨折して寝たきりになったら、つまらないじゃない。絨毯片付けたらどう?」とやんわり勧めてみました。
返事は「いやや!」ときっぱり。
「そうね、お気に入りだもんね」と言って、改めて件の絨毯をしげしげと見てみました。確かに上等そうで美しい、そしてちょっと珍しい物です。
でもねえ~「命がけで敷いて置く程のものでもないんじゃないの?」と本当に感じたので、大きな声でそのまま呟いてみました。
父は声を出して笑い「そぉやな~、も~ええわ。片付けて・・・」
気が変わらないうちに、クルクルと蒔いて次の部屋へ担ぎ出しました。我ながら手早かった事。
長い間ハラハラドキドキさせたケアマネに報告の電話「やっと絨毯、片付けたわよ」歓声と共に「なんて言ったん?」
「命がけで敷いて置く程のものでもないんじゃないの?って言ったら意外とあっさり納得してくれたのよ」
「そのまんま、言うたん?」
「うん、そのまんま」
「さすがやね。今度何かの時に使わせてもらうわ」と受話器の向こうで大笑い。可なり受けておりました。
危険の種は、その辺にごろごろしているのですが、まずは1つ解決です。
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April 24, 2008
父の介護は、昨年亡くなった母と比べて楽勝と勝手に思っていました。
私はどうも見通しが甘いようで、だから90歳と88歳の2人を我家に引とれたのですが・・・
昨年末、母が亡くなってから父は毎月1段階ずつ要介護度が上がっていきます。
国の介護保険の抑制政策で認定条件がどんどん厳しくなっているにもかかわらずです。
主治医の女医さんも長年の友のケアマネも、介護度が上がる度に「良かったわね、と言っていいのか、介護度が進んで残念ですねと言うべきか・・・でも支援の枠が広がるのだか良しとしましょうか・・・」と複雑な様子です。
父は特に大きな持病も無く、認知も年相応程度なので、デイサービスとショートステイを組み合わせながら何とか介護が続けられると思っていました。
ところがどっこい、そもそもショートステイを実施している有料老人ホームが殆どありません。
終身で入居するなら、御安いのから超お高いのまで選り取り見取りなのですが・・・
母の時、やんわり断られた有料老人ホーム、先月なんとか2泊3日の“お試し”にこぎつけました。
帰宅する日にホームから電話があり「あと1時間でご自宅へお送りするところだったのですが、転倒されまして・・・すぐ看護士が検査いたしました。どこも異常はありませんが・・・」と平謝り。
受話器から“あと1時間で何事もなく無事帰宅させられたのに・・・”との責任者の思いがひしひしと伝わってきました。
「自宅でも24時間見守っているわけではございません。転倒する時は転倒すると覚悟をいたしておりますので、そんなに気にして頂かなくても大丈夫です」と私。
返事が良かったせいか、まぁ、そんなこともないでしょうけれど、とにかく父は無事合格をしました。
7月から(3カ月前に予約を取らなければいけないので)毎月4~5日預かって頂けます。
そのホーム、大きくて新しく綺麗、一見高級老人ホーム風です。
建ってから数年経つのにまだ空き部屋があり、人の気配が余りしないというか、妙に静かな点が引っ掛かっています。
贅沢を言ってられる立場ではないのですが、心配しながら父を預かって頂いても私の休養になりませんしね。
国は高齢者の在宅介護を奨めています。
療養病棟を今ある35万床から15万床に減らすとか減らさないとか・・・
確かに母を病院のショートステイに預けると、何処の病院もそうですが、毎回健康診断(心電図、レントゲン、血液検査等々)をするのです。
必要も無いのに何で?と常々医療費の無駄遣を感じていました。
ですから療養病棟の削減に決して反対の訳ではありません。
でも減少は、何らかの受け皿を作ってからにしてくれなければ・・・
介護は期間限定ではないのです。
何年、何十年続くかわかない仕事ですから。
今辛うじてあるショートステイは、2カ月、3カ月前に予約を取らなければなりません。
そんな先の予定、わからないですよ。
それに、1番肝心な万一の時に役に立ちそうにありません。
ショートステイ先探しは、まだまだ続きそうです。
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February 22, 2008
1ヶ月半、思うように食事ができない日々が続いていました。
自称天然ボケの女医さんも銀座の漢方メインの主治医も「お母さんの介護が大変だったから、その性では・・・」と言われるのです。
確かにそうなのですが、それにしても具合の悪すぎ。
「胃カメラの検査を受ける!」と、先週強行してきました。
結果は「胃・食道逆流症」
消化器科の先生、検査の後「最近、何か生活に変化がありましたか?」
『え~~、やっぱり、そうきますか・・・』
2年前から、母の事は覚悟ができていたし、自分としてはちょっと冷静過ぎるかなと思う位、気持ちの整理が付いているつもりなのです。
でも、3人のお医者様の反応をみていて、不安になってきました。
体に裏切られているような気がして・・・
自分の本心は何処にあるのだろう、みたいな・・・
子供の頃から体が弱くて、60年間行く先々でお医者と親戚付き合いをしながら生きてきました。
でもいつも一過性の病気で、どちらかというと“病は気から”みたいなものばかり。
本格的な?病気とはご縁がないと勝手に決めていました。
それがここにきて、連続で“発作性上室部頻脈”“胃・食道逆流症” と、一人前の病名が付きだして正直うろたえました。
先日、友のケア・マネージャーとコーディネターさんが、父の介護の認定が2段階上がって要介護2になったので、支援の相談に見えました。
ヘルパーさんに抱えられてやっと歩いている父の姿に、一瞬二人とも驚愕の表情を浮かべられました、余りの急激な衰え方に・・・
ケア・マネが「これは、もう一段階上の認定やわ・・・」と呟いていました。
それから2時間半、皆で父の動線と、転倒した場合の危険を考えながら家具をあちこち動かして、今後のヘルパーさんの手配の打ち合わせ。
何のことは無い、母が亡くなって2ヶ月、又どっぽり介護生活に戻りました。
体調が悪かったのは、疲れと年の性もあるのでしょうが、母の介護が終わって一休み出来そうな、父の事があるので気が抜けないような中途半端な状態が大きかったようです。
性格上、介護生活なら介護生活とはっきりした方が生き易いタイプのようで・・・
ただし、今回は、友のケア・マネージャーがいろいろ考えてくれているので、お任せしょうと思っています。
母は特殊だったので私が走り回らなくてはならなかったのですが、父の場合は大丈夫そうです。
私、人任せが出来難いタイプなのですが、これも良い勉強になると思います。
ヘルパーさんたちに感謝しながら、体調が戻るまで出来るだけゆったり過ごすよう心掛けています。
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January 28, 2008
母の49日が過ぎてから父のリハビリを考えようと思っていました。
ところが足腰が目に見えてに弱っていくのが日に日に感じられ、そんなにおっとり構えてられない状況に。
ケアマネージャーさんが、近くて、リハビリが中心で、小規模で、短時間の所をいろいろ探してくれたのですが、条件に合う所は少なくそしてみんな空き待ち状態。
「新しく開所した処で一箇所、すぐに受け入れてくれるところがあるけれど、どうする?」
探していた条件とはまるで違う、機能回復のトレイニングをすると言うよりも、“ディサービス”で一日ゆっくり過ごす所。
父は93歳です。
「今更リハビリ等したくない。このままでいい」というのであれば彼の意思を尊重しようと考えていました。
それで、どうするか尋ねてみると、行って見たいとの事。
自分でもこのままでは寝たきりになると危機感を抱いていたようなのと、春になったら又いっぱい顔馴染みのできたお向かいのデニーズに行きたいとの夢があってかなり意欲的でした。
当日の朝は、あいにくの今年初めての雪。
朝のお世話に来ているヘルパーさんが心配するほど、父は緊張して落ち着かない様子。
お迎えの時は、付き添いのヘルパーと運転手さんの2人に両脇を抱えられてやっと車に乗り込んだのですが、帰りはヘルパーに支えてもらい杖をつきながら戻ってきました。
数時間行くだけでも違うのですね。
「いろいろ参考になった、勉強になった、皆親切だったと」言いながら戻ってきました。
ケアマネとは“人生について”お勉強していた時の仲間同士。
大阪弁で「どないする?でも一箇所だけというのが何か意味がありそうやね。これもご縁や。なんとかなるか~」
母を見送った後で体調を崩していたので、そんな乗りだったのです。
体力があったら、あれこれ考えて躊躇っているところです。
でも、成って来たご縁を大切にして良かった。
流れに沿ったお陰で、私にとっても思い掛けない収穫がありました。
我家に両親が来て以来、初めて自分の家で一人ゆったりとした時を過ごしました。
これからこうゆう時間が毎週持てそうなので元気が出てきました。
父のデイサービス・デビュー、初めて幼稚園に行くわが子を送り出す母親のような心境でした。
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January 23, 2008
何年振かで救急車を呼ぶ心配なしのお正月を迎えられると思ったのですが、そんなに甘くはありませんでした。
母が亡くなってから、93歳の父の足腰が急激に弱わり、度々転倒します。
90歳近くまで車の運転とテニスをしていたので運動神経は抜群、上手に転ぶのと骨が丈夫なようで大事には至っておりませんけれども。
でも一度は転倒の後、息ができない程の痛みが間欠的に襲ってきて、内科の主治医に相談しました。
この周辺に1軒だけ往診してくださる整形外科があると教えて下さり、すぐ電話を掛けたら、午前の診察の後往診に来てくださるとの事。
自宅までの道案内に診療所まで来て下さいと言われ、緊急でヘルパーさんをお願いして、父を看ていてもらい地図を片手に先生をお出迎えに行きました。
自称天然ボケの女医さん「医師会で1番ダンディーな素敵な先生よ~」とべた褒め。
父の常時ではない痛がり方が気掛かりながらも、ちょっと興味津々。
お会いしてみると、お医者さまというより学者のような、浮世離れした感じのご年配の先生でした。
看護婦さんと駐車場で待っていると、挨拶も名乗りもせず、いきなり運転席に乗られるので私も慌てて助手席に、道順を確かめられると即発車。
私、こうゆう状況苦手なのです。
でもまあ何とか名乗ってご挨拶をしました。
全然反応なし。
人の好みはいろいろで、どうも女医さんと私の好みは全く違うようで・・・
ただ電話1本で今まで看た事もない患者の為に、お昼休み食事もせずに往診に来て下さるとは、まるで“医者の鏡”のようないい先生であることは間違いないですよね。
痛み止めの注射して、それで痛みが治まったら単なる打撲。
それで治らなければ、打撲のショックで内臓が痙攣を起こしている為の痛みだろうとの事。
骨折の心配ばかりしていたので、全く違うお見立てに一瞬キョトン!
そういえば女医さんから“すてきな方よ”とばかり聞かされて、腕前については全然聞いてなかったと少々不安に・・・
緊急で来てくれていたヘルパーさんが「木島先生?息子が見てもらったことあるけど、親の間で理論的で評判いいんですよ」とそっと耳打ちしてくれたのでほっと一安心。
痛み止めの注射は全然効きませんでしたが、内臓の痙攣を止める薬を二錠飲んだら間欠的に襲っていた激痛がぴたりと止まりました。
先生がダンディーかどうかは私にはわかりませんでしたが、腕前は確かでした。
それにしてもまあよく次々と騒ぎが起こります。
そして本当に凄いタイミングで“拾う神”の登場。
ブログはなかなか更新できませんが、何とか生きております。
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December 25, 2007
発熱してからは急激に体力が落ちていって、ほとんど手の打ちようがなかったそうですが、眠るように安らかな最後でした。
もともと体が弱く、特にここ数年は20数kgの体でしたから、よく90歳まで頑張ったと思います。
滋賀県にある実家の菩提寺に「母が息を引き取りました」と伝えました。
母は娘3人、孫5人、曾孫2人に息を引き継いで、命を繋いでゆきました。
丈夫ではなく、か細い母が、しかも今のように物も無く便利でない時代に、3人も生み育てたのは、子供からみてとても立派な事に思えます。
天命庵の親様は「人が亡くなったら“良く頑張りましたね。ご苦労さまでした”と必ず生きていたことを労らって差し上げて下さい。亡くなった時この世でたった一人の人からでも“ご苦労さま”と言って貰った方は、『自分の人生はこれでよかったのだ。この世での本分は全うできたのだ』と安心して天の国へ戻って行くことができるのですよ」とよく話されます。
私は “ご苦労さま”は“亡き人を天国へ送るパスワード”と信じています。
「ご苦労さま。そして有難う」と、母に語り掛けています。
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December 16, 2007
母のショートステイ最終日、迎えに行くタクシーの中で携帯がなりました。
私の携帯は “バックの底で昼寝をしている”と主人に言われる位、何処からもかかってこない代物で、たまに鳴ると心臓が飛び上がる程ビックリします。
しかも後10分程で着く予定の病院から、「帰宅の準備をしていたら熱が38度5分はありますけど、どうしましょうか?」
「どうしましょうか?」と突然言われてもね・・・
看護婦さん、大分慌てておられて要領を得ないので、「もうすぐ着きますので、それから・・・」と切りました。
急なことで混乱した頭で考えるに、先月からショートステイに預かってもらうようになった新しい病院なので、まだ外来に掛かった事が一度もないのです。
それで自宅に連れて帰って、掛かり付けの医師に看てもらいたいかどうか、の意向を確かめられてたような・・・
病院に着くと看護婦さんとヘルパーさんが、往診中の院長先生が戻ってみえるのを今か今かと待ちわびている様子。
でもまごまごしていると、迎えの寝台車が来てしまうので、一般病棟に空きがあるか調べてもらってから、寝台車をキヤンセル。
寝台車をキャンセルして、病室に空きがなかった母は宙に浮いてしまうし、8度5分で帰宅してやはり入院となったら、今度は救急車(寝台車は台数が少ないので)になりかねないし。
老人介護は瞬時に判断しなければならないことの連続で、ホントに気が休まりません。
実に素朴で親切な看護婦さんとヘルパーさんの達が総出で、母を一般病棟へ移動させてくれました。
院長先生が戻られて、いろいろ検査が始まりました。
炎症反応の数値が異常に高いのですが、原因は特定できず様子を見る事になりました。
勿論無事帰宅できたにこしたことはないのですが、でも病院にいる間の発熱でよかったと思っています。
今の私の体調では、発熱している母と転倒の危険性のある父の両方を看るのは難しいものがありますから。
病院で預かってもらえれば一番安心なので、しばらく休ませてもらいます。
しかし事件が多いな~。
心臓に優しくない毎日です。
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November 03, 2007
この日々緊急事態の中で、どうして旅行する事になったのか自分でもよく分かりません。
この春息子が外資系に転職し、夏休みが11月にずれました。
11月なら温かい所にでも皆で行こうかと、何となく決めてしまいました。
物事が決まる時は、そんなものなのかもしれません。
いろいろ考えていたら切りの無い状況ですから。
当初の予定では母をショートステイに預け、父にお留守番をしてもらうはずでした。
ところがこの1カ月半程の間に、父が1人で家にいるのは難しい状態になり、家に2人を置いてヘルパーさんと泊まりの家政婦さんに看て貰うことしました。
この準備が、かなり大変で飛行場に辿り着く前に疲れてしまいそうです。
B4-7枚に緊急時の対応の仕方から5日間の献立まで、事細かに書き出しました。
薬から日常品まで揃えると、買出しも結構な量になります。
主治医の女医さんも心療内科の先生も「ゆっくり楽しんでいらっしゃい」と賛成してくれました。
ただケアマネージャーとコーディネーターのお二人は、今からハラハラドキドキしているようです。
友のケアマネとは本音トークなので「ヘルパー達皆、自分の担当の間に何も起こらないように、と祈るような気持ちだと思うよ」と言われてしまいました。
誠に申し訳ない。
周りからは「介護の事は忘れて、楽しんで」と言われますが、なかなかそうそう吹っ切れるものではありません。
A 型のせいもありますし・・・
これからやっと自分の荷作りです。
いつも主人が荷物の多い私に「お家中持って行ったら」とからかいます。
今回は荷物を集める体力も無いので、程よい量になりそうです。
ドコモショップで海外で使用できる携帯電話を借りました。
鳴らない事を信じて出かけます。
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October 26, 2007
いつも人の話をジックリ聞いてくださる物静かで思慮深い先生の苛立ちムードが、若い受付嬢達とのやり取りから伝わって来ました。
完全予約制で午後の診察が始まったばかりなのに、何故か待合室には5人も患者さんが溜まっています。
夕方まで心を病んだ患者さんが先生を頼って次々と来院するのですから、ここは何とか先生にいつものモードに戻って頂かないと・・・
すぐ呼ばれたので飛び切り明るい声と笑顔で診察室に入り、
「こんにちわ。お陰様で母、無事合格しました。有難うございました」と、ショートステイ先の病院へ紹介状を書いて頂いたので、まず報告と御礼。
そして先方から預かって来た手紙を渡しました。
「それはよかった」と喜んでくださりながら、報告書を見て「あれ!“おかあさん、昼間時々大声を出しておられました”と書いてあるよ・・・・」
「エ~~、私、そんなこと聞いていません。看護婦さんに“母、大人しくしてましたでしょうか?”って伺ったら“大丈夫でしたよ。来月もどうぞ”と言って下さったので次回の予約もしてきたのですけど・・・」
「ここはお言葉に甘えましょう。先方が受け入れて下さると言うのだから、あなたは聞かなかった事にして・・・」と先生が言われたので、一緒に笑ってしまいました。
ちょっと前の私なら、ご迷惑ではないかと、いろいろ気にするところです。
でも只今そこまで考える気力もなく“成るがままでいいかっ?”てな感じになってきました。
どうやらそれが丁度良い加減のようです。
「来月、気分転換に孫達と海外旅行に行くので、お薬3週間頂けませんでしょうか?」
カルテを書きながら私の話を聞いておられた先生
「エッ!お孫さんいらっしゃるんですか???」
ハトが豆鉄砲を食ったような、虚をつかれたようなお顔。
そこまでビックリしてくれなくてもいいのですけどね。
ちょっと驚かすつもりだけだったのですから。
「幾つ?いや何年生まれ?」
「今年還暦です」
私の場合、下手な冗談を言うよりも、自分の年を言った方がず~っとお相手の反応が面白い。
「僕より年上なんだ。少しですけどね・・・」
母がお世話になって8年、時として娘のように対応して下さっていたのは、私の方が年上などとは思って見たこともなかったからなのでしょうね。
「しかしお元気ですなぁ~、僕なんかあちこち悪くてもうボロボロですよ」。
2人の老人介護でヨレてる私の方が元気に見える位、本当に心身ともにお疲れの様子。
それから、グワムの話をあれこれ。
生真面目な先生が、旅行の間母をどうするのかも聞かれず、暫し無駄話をもったりと。
いつもご迷惑を掛けてばかりなので、ほんのちょっと先生の気分転換のお役に立てたかな?
もっとも“暗めで物静かなムード”の先生が声を上げて笑うのを見て、ニヤッなんて、結構私のストレス解消も兼ねていたのですが。
私のささやかなご恩返しでした。
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September 29, 2007
我家での受け入れ態勢の手順を考えながら家路を急いでいると、家の近くで休診日の母の主治医にばったり。
病院の担当医との話を聞いて「転院先を探しましょうか」と尋ねられました。
一瞬、その手もあったのかと・・・
でも、もう一度父の側で過ごさせようと決め、家での介護の段取りを考えていたので「一旦連れて帰るつもりです」と答えました。
「必要ならば毎日点滴に伺いますよ。訪問看護士さんとも相談して出来るところまでご自宅で。難しくなったら“あのお高い病院”にお願いすることにしましょうか」と言われたので、笑ってしまいました。
今、唯一快く母をショートステイに預かってくれる病院のことを、女医さんとの間で「あのお高い病院」と呼んでいます。
ただ2週間後にお盆休みを控えているので「休み明けまで入院させておいてもらえないか」お願いしてみたら、と言われました。
担当医の答えは「主治医とご家庭の都合でお母さんを“箱”(彼は何故か病室の事を箱、箱といいます)に後2週間も入れておくのですか???」でした。
断られる事を予期していたので「そうですね。受け入れ態勢が整い次第退院させます」と
あっさりと引き下がってきました。
ケアマネージャーと家政婦会に母の症状を伝え、介護と時間延長の相談をしました。
家政婦会は、病院の付き添い等をこなしているのですんなりOK。
20年来の友のケアマネージャーは「怖いね~」と言った後、暫し考えていました。
私も“怖い”と思っているのですから当然でしょうね。
何が起こっても不思議のない状態での退院なので「何なら責任は全て私がとります、と一筆入れましょうか?当分、特に食事の時間帯は私が家にいるようにするけれど・・・」と話したら、そこまでしなくてもと引き受けてくれました。
今回何が助かったかといって、母の心療内科の先生の夏休みが9月始めでお盆休みとずれていた事。
続々と“拾う神さま”がお出まし下さっている、そんな感じです。
その後も“捨てる神あれば、拾う神あり”と状況が目まぐるしく変化しております。
ケアマネージャーに「うちの介護、結構ドラマチックでしょう」と言ったら「激動です!」と返ってきました。
ウム、やっぱり・・・
激動の中に身を置いて、過労で少々のびております。
老人介護、老人医療について書きたいことが沢山あります。
ぼちぼち更新できればいいな~と思っております。
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September 06, 2007
連休明けの1番忙しい時間帯に救急車で運ばれてきた母に、担当になった若い医師は明らかに不機嫌そうでした。
診察室で立ったままレントゲンを見て「誤嚥性肺炎と脱水で2週間程の入院です」と告げただけで、後何の説明もありませんでした。
これは言い訳ですが、救急車での緊急入院は、主治医の女医さんと受け入れてくれた病院の主任さんの判断で、私が決めたのではありません。
毎度お馴染みの「当院は老人病院ではありませんので、延命治療はいたしません。その旨了解しておいてください」の説明も当然然ありませんでした。
担当医からの初めての説明らしい説明はそれから1週間後、病室で母のべットを挟んで始まりました。
カルテを見ながら『こうなると何が良い悪い、どうしなければいけない、してはいけない、と言う事は何もありません。
誤嚥性肺炎は近日退院出来る位良くなっています。
でも何しろ食べられない。
看護婦が付きっ切りで食べさせても、病院食の1~2割の摂取がやっとです。
食べられないのをどうするか、ご家族でよく相談してください。
胃楼という方法もありますが、当人が食べないのに人工的に栄養を仕込むというは人道的にどうかとも思いますし・・・
このままにしておくのも・・・お母さんは意識がとてもはっきりしているので・・・
選択肢が増えてしまったので、反ってどうするか難しくなってきているのです。
今の状態だと退院しても緊急入院の繰り返しになります。
「しばらく療養病棟で看て頂くことはできませんでしょうか?」との私の問いに
「療養病棟で何をするんですか?」と問い返されました。
早晩この体では(体重20数キロ)点滴も出来なくなる時がきます。
点滴には限界がありますから・・』
そこで言葉を止めて、母の方をちらっとみて、声を落とし
『餓死ですな・・・まあどうするか、ご家族でよく相談してください。
立ち話ですみません』
と小さな声で呟いて病室を出ていきました。
母は異常に勘の鋭い人なので、自分を挿んで交わされた話の内容を感じとっていたはずです。
「お母さん、もうすぐ退院できるんですって。ヘルパーさんや訪問看護士さんの手配をするからもう少し待っていてね」と言うと母が嬉しそうに頷いたのでほっとしました。
“世の中で出会うことには、偶然も無駄なことも何も無い”
神様の教えの話をうかがいに行く天命庵でよく聞く言葉です。
丁度2日前、ご町内の同じ年配の女性から「祖母(彼女はご両親が亡くなった後に残され106歳の父方のお母さんの面倒を見ている奇特な方です)が、食事がほとんど取れないのに病院から退院してくれと言われた」との話を延々1時間半にわたって聞かされました。
彼女は医師と掛け上がって、毎日外来で点滴をしてもらうことを条件に退院をシブシブ認めたと激怒していました。
母の担当医の話を聞いてすぐ、同じ事が我が身にも起こっている事がわかりました。
厚生労働省が、2012年までに療養病棟の削減と廃止、高齢者の診療報酬(特に入院の)を儲からないようにした結果がすでにこうゆう形で現れているのです。
彼女の話を聞きながら、私ならどうするかなとぼんやり考えていた事が、即役に立ちそうでした。
そう、世の中で出会うことには、偶然も無駄も無い。
それをどう生かしてゆくかに掛かっている、そんな気がしています。
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August 28, 2007
寝たきりになった母にとって、食べることは唯一の楽しみです。
そして若い時から痩せていた母は、食べることに異常なまでの執着をもっています。
その母に食べる事を諦めさせる。
精神的バランスを崩してしまって母には、どんなに説明しても理解する事は出来ないでしょう。
自分の口から食べられる可能性がある限り、食べる喜びを残しておきたい。
父も姉達も母の胃楼に賛成しませんでした。
ご相談した母の主治医も、胃楼について暫らく考えた後「私も同じ位の歳の母がいますが、母にはしたくないですね~」
「香川さん、ご自分だったらどうですか?」と突然振られました。
私自身についてなら、答えは決まっています。
神様の教えを伺っている天命庵で「人は如何に生きていくべきか」を学んでいると、自然に人の生死について、日頃から何となく考えていますから。
できる限り自然に逝きたいですね。
それが私の寿命だと思うので・・・
自分の考え方が誰にでも当てはまるとは思っていないし、当然押し付ける気もありません。
だからこそ他の人については、難しいのです。
特に、母は永遠に生き続けるつもりでいる人ですから・・・
それから1年8カ月、流動食ですが何とか自分の口から食べていました。
胃楼をせずにここまでこれたのは、偶さかの幸運だったのかもしれません。
でもそれが母の持っている生命力なのだと思います。
母が「美味しい。美味しい」と流動食を食べているのを見て、胃楼にしなくて良かったと思っていました。
そして先月、救急車で緊急入院。
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「当院は老人病院ではありませんので、延命治療はいたしません。その旨了解しておいてください」
母が再三お世話になっている病院は、入院初日に必ず担当医からこのような説明があります。
どの医師も皆同じ内容をほぼ同じ言い方で・・・
マニュアル通り伝えているのでしょうね。
2年前、母が誤嚥性肺炎で入院した時も、毎度お馴染みの「当院は老人病院では・・・」の説明を受けました。
それから3日後、検査結果と今後の治療について話がありました。
誤嚥性肺炎は非常に繰り返す可能性が高く完全な治療法はないとの事。
再発の可能性を小さくする選択肢として“胃楼”、腹部から胃に穴を開けて高カロリー栄養を入れる方法があると言われました。
主治医は、88歳(当時)体重23キロの母に強いて勧めはしませんでしたけれど。
説明を聞きながら、主人の両親が二人共径管栄養で数年、意識のないまま命を繋ぎ亡くなった時の事を思い出していました。
私の中では高齢者に対する径管栄養は延命治療と感じていたのです。
それが「延命治療はいたしません」と宣言した担当医の口から胃楼の話が出たので“胃楼は延命治療には入らないのだ”と驚きながら説明を聞いていました。
胃楼、経管栄養を、全て延命治療と決め付けるつもりはありません。
それらの治療法によって、生活のレベルを向上さている方々がたくさんおられるのも知っています。
人は自然治癒力を始め、生きようとする生命力を備えています。
その生命力がなんらかの理由で弱った時に補うのが医療の役割であって、医療が人間を生かす、医療が主役ではないと私は常々考えています。
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August 05, 2007
「何時か伺おうと思いながら聞きそびれていたのですが、ご両親の最後をご自宅で看取る覚悟はおありですか?」
「覚悟がおありかどうか伺っておきたくて・・・」
「もう覚悟はできていらっしゃると思うけど・・・」
「どうしても在宅で、との覚悟がおありならばお手伝いします」
この1年8カ月、何度か主治医に尋ねられ、答えようと思うと何故か不思議に話が逸れてしまう、そんな繰り返しが続いていました。
自称天然ボケの女医先生、明るく気さくで優しくて、医師としての腕前はともかくとして、お人柄は申し分の無い方です。
在宅介護に力を入れておられ、最後の見取りもされているとの事。
ただ、この「覚悟」「覚悟」には正直当惑しておりました。
私を含めて全ての人は、後か先かの時間の差はあっても、いいずれ必ず最後の時を迎えます。
この世に生を受けた以上、死は誰にも平等に訪れるものであり、自然な事です。
常々生まれて出ることと、死に行くことは神の領域だと思っています。
なので、自分の最後についても、身内の最後についても、自分がどうこうしようとか、どうこうしたいという考えが殆どありません。
行き当たりばったりというのではないのですが、一番自然な形でその時を迎えられたらと思っています。
死とは、自分が生まれ出て来た“源”へ帰ること。
この世に生を受けた事が、めでたき事であるならば、生まれ出てきた“源”へ帰って行くことも又めでたき事。
日頃から、そんなふうに考えています。
明日母が退院してきます。
いつ再び緊急入院することになるかわからない状態での退院です。
今後の事を主治医と話し合った折「出来るところまで自宅で、難しくなったら病院にお世話になるつもりです。93歳の父のこともありますので」と伝えました。
母の意識がはっきりしている間に、もう一度二人で過ごしてもらいたい。そして静かに母を見送ってもらいたい、と思っています。
母にとって、父にとって、一番良き道へとつながつて行く事を信じて、祈りながら自然体でいきたいと思っています。
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July 24, 2007
万燈みこしが氏神様に戻られるのを神社までお見送りして、今年も夏祭りが無事終りました。
お参りして、ひょっとお賽銭箱の横を見ると何故かおみくじの箱が置いてあるのです。
いつも社務所の受付にある箱が・・・
おみくじ好きとしては、折角移動して待ってくれているのに、引かないわけには参りません。
今年何度目かな???
神社の境内のほの暗い提灯の下では何を引いたのかよくわからなかったのですが、後で見たら“大吉”でした。
大吉は何度引いても嬉しい、気分が良いものです。
くたびれ果てている私への神様からのプレゼントかな・・・
「おもうがままになる運です」と書かれていました。
残念ながらくたびれ果てていて“思うがまま”が何なのか頭に浮かびません。
両親も93歳と90歳、神様にあれこれお願いする事はなくなりました。
毎朝「御心のままに。父と母が今日1日、恙無く過ごせますようにお守りください」と祈っています。
お祭りの間に、長姉がお見舞いに行ってくれて、父に様子を知らせに我家に寄って行きました。
私は自治会館に詰めていたので後から父に聞いたのですか「母はだいぶ弱っていて、今年いっぱいは無理だと思う。そろそろ寿命じゃないか」といって帰ったそうで・・・
前日私が母に会いに行った時は、点滴をしてもらって静かに寝ていました。
看護婦さんからも「症状は落ち着いている」と説明を受けたばかりだったのですけれど。
でも姉の話を聞いて父はおろおろしているし、年寄りは急に病状が変わる事もあるので、お祭りを抜け出して様子を見に行きました。
抗生剤の点滴が効いてきているのか、大分元気になっていました。
一安心。
姉は思っている事を何気なく口に出してしまう性格なので、電話を掛けて余り年寄りを脅かさないようやんわりと忠告。
「先月ショートステイで見舞いに行った時より大分弱っていたから」と言うのですが、それはそうですよ、救急車で運ばれる位ですから。
でも「そろそろ寿命」はないでしょう。
人の生き死は、神の領域ですもの。
私は毎日母を看ていますが、たまに会うと変化を大きく感じるのでしょうね。
父が落ち着かないようなので、これから一緒に母に会いに行ってきます。
次から次と用事が絶えないのは、元気に生きて働ける証拠ですよね、きっと。
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July 21, 2007
1度目は元旦の夜。
2度目は3連休、海の日の翌日でした。
子供とお年寄りは医師の休みの日を狙うかのように体調を崩して慌てさせてくれます。
この祭日は主治医の女医さんが遠出をしておられ、携帯電話で指示を仰ぎながら訪問看護士さんが3回処置に訪れてくれました。
結局、翌朝、いつもお世話になっている病院に救急車で入院になりました。
いつも感じることですが、救急車の隊員さん、本当に親切でした。
こんなに親切な人達が世の中にいるのかと感激するほど。
心から頭が下がりました。
両親の介護を始めて1年7カ月、お世話になる方々に一生分の頭を下げたような気がします。
まだまだ続きますけれど・・・
病名は誤嚥性肺炎。
1年半前、誤嚥性肺炎で入院した時、胃楼の(腹部から胃に穴を開けてそこから高カロリーの栄養を直接摂取する)打診を受けました。
と言ってもお若い担当の先生、当時体重21キロの母の手術には消極的で、半部逃げ腰の感じでした。
一様あらゆる可能性は説明しておかなければならない規則ですからみたいな・・・
父も姉達も、胃楼の手術には賛成しませんでした。
それから1年7ヶ月、ミルで作った流動食とはいえ、すき焼、うなぎ、フライ物と好きな物を味わう事ができました。
ですから今回の誤嚥性肺炎はある程度覚悟していた事です。
また流動食がむせずに食べられるようになるのかどうか、分かりません。
入院の手配をして下さった主治医の先生に報告に伺うと「病院に預けておけば安心だから、まずゆっくり休みましょう。これからの事は後で考えましょう」と言われました。
入院の当日から、庭師さんが4人。
そして翌日から夏祭り。
目が回りそうな忙しさです。
夏祭りの間は、一日中自治会館に詰めて、お参りに来る方への接待と金庫番をしています。
姉が代わりにお見舞いに行ってくれています。
それにしてもゆっくり休むとは程遠い生活ですが、今の私にはいいのかもしれません。
病院にお任せする、それが一番ですから。
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June 24, 2007
「耳は大きく、人のことをよく聴き
目は高く、目上の人を見習い
鼻高からず、天狗にならず
口は小さく、人の悪口は言わず
頭は低く、気は長く
腹を立てずに、心は丸く
そうすりゃ自然と、命は長し」と続きます。
お世話になっている内科の待合い室に、達筆で書かれ大きな額が掛かっています。
待っている間に読んでいる人達の感想というか反応が、ほとんど同じなのが気になります。
検診に来たと思しき4人組の中年女性。
「いいこと書いてあるはね、でも最後は余計よ」と1人が言い出すと皆が賛同。
その後は身内、知り合い、ご近所の高齢者と世話をしている人の大変な話が尽きることなく次々と・・・
品のいい初老のご夫婦、2人で声を揃えて読み進まれ、最後の行で沈黙・・・
先日、隣に座った女性に、「その通りだけど、するのは難しいね。長生きはしなくていいよ」と話しかけられました。
今年80歳で、診察を終えたら、病院の近くのお店で午後4時から夜中の12時まで仕事だそうです。
とてもそんなお年には見えなかったしお元気そうだったので「その年でお仕事があって元気に働けるなんてお幸せですね」と言いました。
「この年で働けるのは有難い事だと思ってるけど、もう充分」実感がこもっていました。
この文章を考えた方、皆の反応にビックリしておられるでしょうね。
多分真意は“この様な心遣いをしながら日々暮らしていれば、体にも精神にも優しく、穏やかに健康に長生きできますよ”と言いたかったのではないかと思います。
でも今、誰もそこまで考えられないのですね。
「命は長し」その言葉に抱く不安はとても大きいのです。
長生きをする事は、決して幸せな事ではないと多くの人が思っている国。
本当に「美しい国」と言えるのでしょうか?
特別“美しく”なくてもいいから、国民が不安を感ぜずに普通に暮らせる社会のシステム、医療体制を造って欲しいと、私は思っています
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June 22, 2007
病院に迎えに行くと、今回お世話になった若い事務員に「担当医からお母様お預かりして何も問題が無かったので、次回から2週間でも大丈夫です、との連絡が入っています」と告げられました。
これで何とか母を預ける先を1カ所、確保することができました。
高齢者を2人抱えている身にとっては、これは「バンザイ」したい位とても大きな事なのです。
病棟に上って看護婦さんから滞在中の様子の説明を受けました。
それで合格した理由が判明。
就寝時の薬、よく説明して量に幅をもたせて薬剤師さんに渡してありました。
1週間、その薬が目いっぱい飲まされていました。
それは問題が無かったと言うよりも、眠りこけていたのでしょうね。
トイレの訴えをする間も無く・・・
それだけ眠らせても、食事は毎回食堂で、飲み込み違いを全くさせないでそこそこの量のミキサー食と薬を取らせる事ができるのですね。
心療内科の先生の絶妙の組み合わせで眠り過ぎても危険のないようにしてくれてありますが、家庭では眠り過ぎるとどうしても嚥下が困難になって、危険な状態になります。
さすがプロ集団は違います。
帰路、ストレッチャーに乗った母と受け付けの前を通りかかったら、件の事務員さんに呼び止められ「来月13日から2週間ショートステイの予約を入れておきましょうか?金曜日が今回の担当医ですから・・・」と尋ねられました。
「有難うございます。家に帰って、父と相談してまたご連絡させて頂きます」と予期せぬ問いに頭の中が混乱・・・・。
帰宅すると、6月15日から入院した母の1日分の施設療養費請求書(15日絞めらしい)が病院から届いていました。
1日分、29,573円
今の我家にとつては、それでも預かって頂ける病院があるのは有難いことで、感謝しています。
でも正直言ってお金次第というの、私の好みではありません。
今度は落ち着いて他も当たってみようと思っています。
でも落ち着いて他を探す余裕は、今回の病院のお陰?
矛盾しているかな?
何はともあれ一息つけました。
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June 17, 2007
天命庵でよく伺う話です。
いつも頷きながら聞いています。
でも自分に当てはめて深く考えた事はありませんでした。
今回、母を病院にショートステイに預けるにあたって、周りの方からいっぱい知恵を付けて助けてもらいました。
母を送り出す前日、内科の女医さんが父を安心させる為に再度往診に来てくれました。入院当日、担当医師、担当看護士、薬剤師、栄養士と面談があるので、今の母の状態をなんと言ったらよいものかと思案していたら、対応の仕方を伝授していかれました。
其れが、凄い。
「医療情報提供書に必要なことは全て書いてあるのだから、今度はこちらの聞きたい事を質問して、お願いしたい事を全部頼んでいらっしゃい。間違っても預かって頂くなんて思わないのよ、高いお金払うのだから。(本当にお高いのです。でも只今我家は選んでなどいられない状況ですから致し方ありません)おたくに預けてあげる位の気持ちで連れていらっしゃい」と。
お見かけホンワカムードの自称天然ボケの女医さんなのですが、恐れ入りました。
「え~~、そんな~~~」と笑い転げた私、正直そういう芸当は無理ですわ。
ご迷惑をかけると思うと、申し訳なくて弱気になりますもの。
このやりとりを見ていた家政婦会から来ているヘルパーさんにも、しっかりハッパをかけられました。
老人介護施設でも働いておられるそうで「高齢者は2週間も経ったら体調が変わって当たり前。昨日と今日、場合によっては1時間前とでも違うのが普通です。安心して連れていかれたらいいですよ。全然大丈夫」ときましたね。
心療内科の先生も夜9時、母が寝た頃を見計らって電話を下さいました。
「病院でお母さんの様子を看て何か聞かれたら、昨夜寝つきが悪かったので少し薬の量を増やしました。何かわからないことがあったら心療内科の先生に電話をして下さい」と伝えなさいと。
私メチャクチャ頼りなく見えるようです。
母が迷惑をかけているというよりも、私の方が周りの方に迷惑をかけているのかもしれませんね。
私も知識や情報を生活の中で生かす知恵を余り持ち合わせていないのではないかと、考え込んでおります。
皆さんに知恵を付けて頂いて、無事母を預けてきました。
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June 13, 2007
母は体重20数キロ、中々うまくいかず時間が掛かっております。
それがブログの更新が滞っている理由なのですが・・・
1年以上前から心療内科の先生「ご家庭で薬の調整をするのはもう無理」と言われていました。
かといって心療内科と内科の両方があり、薬の調整の為に高齢者を受け入れてくれる適当な病院も見つからないようで、結局いつものように先生の細かい支持を受けながら私がする羽目に・・・
母の状態を、週末も夜も先生の携帯に連絡を入れながら薬を調節してゆくのも大変なのですが、それ以上に大きな問題がおきています。
微調整の結果、眠り続ける日もある事を説明しても、父には理解できないようなのです。
昨日も「母さんは、90歳の誕生日(5日後の6月17日)までもたない。このまま死ぬのだからショートステイには行かせないで、家で死なせてやってほしい」と悲壮な顔で訴えます。
一昨日、心療内科に私が代診で行く時は「どこでもいいから病院を探して貰ってくれ」と言ったのですが・・・
もちろん揺れる気持ちは重々わかります。
ただこういう時に大切なのは普段からの言動なのですよね。
昔から何かあると思い詰めて悲壮になり、事態が落ち着くときれいさっぱり忘れてしまう、の繰り返し。
毎日、母の薬の調整で神経を使い果たしていますから、それに対応してあげる余裕がなくなっています。
考えあぐねて女医先生に母の状態を報告がてら電話で相談したら、午後の診療が終了後往診に来てくださいました。
本当に有難い!
母を見て「あら!お元気そうじゃないの、大丈夫よ」と言ってブドウ糖を注射して「明日も診に行きますからね」と帰っていかれました。
父は納得していないようですけれど。
その他にもいろいろありまして、病院にショートステイの相談に伺った頃と母の症状が大分違うので、どうしょうかと“オロッ”としております。
でも、心療内科の先生も主治医の先生も「大丈夫。預けてしまいなさい」と軽く言われます。
連れて行くの私なんですけどね~~
「朝食の時、眠りこけていて起きなかったら、病院側困られますよね」と言ったら、女医先生曰「1食抜くと体力が落ちるので、起して食べさせて下さい」と看護婦さんに頼んでいらっしゃい、との事。
「そんなのありですか~~?」と、笑ってしまいました。
世の中そんなものなのでしょうかね。
こんな時に笑っている自分がいるのも不思議です。
でも先生方の反応が、どこか自分が思っているのと違うところがあって・・・
今、私が冷静な判断が出来ていないのか、高齢者に対しては可なりアバウトでいいのか?
よくわからん世界で暮らしております。
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June 03, 2007
母のショートステイの審査結果を待っていた病院から「少々遅くなりますが6月の中旬に1週間“お試し”でお預かりします」との返事が来ました。
“お試し”でも“1週間”でも今の我家にとっては預かって頂けるのは有難い事です。
5月末から過ごしやすい気候になって、93歳の父が体力、気力共に持ち直してきたので、入院まで2週間何とか母と同室で過ごせそうです。
神様が「いいあんばいしてくださる」と信じながらも、今回は焦りましたね。
何しろ受け入れてもらえるかどうかの結果が判明するのに、1ヶ所につき2週間近くかかるので、どんどん時間が経ってゆきます。
まず電話で母のショートステイの打診してから、入院相談室の方に会いに行き可能性がありそうだと医療情報提供書申を頂いて、主治医二人に書いて頂きます。
この医療情報提供書、作成に1週間近くかかるといわれるなかなかの代物。
それを先生方は3~4日で書いて下さいます。
出来上がると連絡が来るので取りに行ってそれを病院に提出、審査会の結果を待ちます。
この審査会の開かれ方が病院によって、随時、1週間に1度、月に1度とまちまちです。
3件トライしたら、疲れと相まって諦めムードになってきました。
今後の為に、2件位は受け入れ先を捜しておかなければならないので、まだまだ続きます。
ところで今度“お試し”で受け入れてくださる病院、実は以前アポなしで偵察に行って、受付の余りの感じの悪さに止めた所です。
何しろ我が家は只今あれこれ選んでいられない状況なのです。
でも今回の入院相談室の小柄なお姉さんは、とっても感じの良い方でした。
母のショートステイが2週間先になる理由を丁寧に説明してくれました。
それがなんと入院患者さんに夜中15分おきの頻尿の方がいて、看護婦さん達が大変な状態だと聞いて、悪いとは思いつつ笑いながら思わず聞いてしまいました。
「母はそこまでひどくはないのですが、でもそういう状態でも預かって頂けるのですか~~?」
「今までは2時間おきぐらいだったものですから・・・」と相談室のお姉さん。
でもこの話を聞いた友が「その患者さんの後に入ったあなたのお母さん優等生に見えて、次回はお試しじゃなくて正式に預かってもらえるわよ、きっと」と慰めてくれました。
母は夜、睡眠薬でぐっすり寝ていて、そうゆうご迷惑を掛ける心配はないので、ひっとしたら上手くいくかもしれないと、微かな期待を抱きはじめています。
今の心境は補欠でやっと引っかかった受験生、そんなところでしょうか・・・
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May 27, 2007
「やっぱり」との思の方が強いのですが、現実を突きつけられてショックを受けております。
この1年半、本来ショートステイをあつかっていない総合病院に、ベッドの空きがある時は入院させてもらっていました。
今回は5月の連休過ぎにとお願いしていましたが、うまく個室の調整が付かないので他をあたってほしいと医療相談室の方から連絡がありました。
実は前々からもう1箇所ショートステイ先を捜しておいてほしいと言われていたのですよね。
でも今まで奇跡的にうまく預かってもらえていたのと、父が 母を預けるのはその病院の個室にと拘り続けるので捜すのを怠っていました。
慌てまくって思い付いた結果の一つが、車で15分ほど先に最近建った有料老人ホーム。
電話をしてみたら、まだ入居者が半分ほどなので当分ショートステイ用の部屋も用意しているとの事。
早速主人と見学に行っていろいろ母のことを説明し、審査会の為の書類を提出することになりました。
書類を作って頂きに行った自称天然ボケの内科の女医さん「あそこなら大丈夫よ~」と軽いのりで書いて下さいました。
一方、心療内科の先生は「五分五分ですな~」
残念な事に「五分五分ですな~」の方が当たってしまいました。
2軒目の病院は、所定の審査書類をざっと見て心療内科の先生曰く「この病院けっこう敷居高そうだな~~」
帰り道もう1軒、女医さんが「ちょっと心配だけど(何が心配なのかははっきり言われないのですが・・・)あそこの病院ならいつでも入れるわよ」と常々名前の上がっている病院に寄ってみました。
玄関先の入院案内のパンフレットに個室1室とあったのですごすご退散。
そうなんですよ、ただでも預かって頂くのが難しい状態なのに、あれこれ条件を付けたら預かって頂ける所なんてないんですよ。
父は若い時から変化を嫌うタイプ、それが特に年をとってからは頑ななまでに固執します。
できるだけ願いは叶えてあげたいのですが、そうもいかなくなってきて今回は無理なようです。
物事を自分で選べなくなる時もくる。
流れのままに従わざるを得ないこともある。
自分達の置かれた条件の中で、成ってきた事を受け入れることも大切だとは思いつつ・・。
父もそして私もそれができにくいタイプなのかもしれません。
家庭で面倒みるのは無理との医師の意見を無視して在宅介護、ショートステイに預かって頂けそうな病院や施設にはもう少し良い所をと高望み・・・
母の為とはいえ、ずいぶん我儘で贅沢なのでしょうね。
そろそろ現実を受け入れなければどうにもならないところに来ているのですか、またジタバタとあがいてインターネットで少しでも良い所がないか捜しまくっている自分がいます。
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May 16, 2007
日経新聞夕刊(5/12)に「ストップ!食卓崩壊」とのタイトルで、こんな記事が載っていました。
『・・・食に限ったことではないが、家事全般について、祖母世代が今の40代以下の母親世代に伝えなくなったことも大きい。今の祖母世代が子育てしていたのは冷凍やレトルト食品、家電が登場し、さまざまな情報が手に入るようになった60-70年代。便利さが尊ばれ、「その都度新しいものに差し替えればいい」という価値観が伝承された。ここで単にノウハウや情報だけ伝えればいい、という姿勢が根付いてしまったのだ・・・』と書いてあって、なる程と思いました。
女性だから家事が出来なければいけないと決め付けているわけではありません。
男性はもっと出来ないのでしょうから。
ただ介護事業所から派遣されてくる年齢30半ばから60過ぎのヘルパーさん、今のところ100%女性です。
そして仕事の一部である生活援助がどうも心許無いのです。
ヘルパーさんになるには資格が必要です。
講習を受けて試験に通った人達ですから身体介護の方は皆さんそれなりにできます。
でも問題は誰にでも出来そうな生活援助-調理、掃除、洗濯等の家事全般の方なのです。
お魚の煮付けを頼んだ時の事です(介護保険外の自費で我家の家事もお願いしています)
「私、金目鯛大好きなんです」と言うので大いに期待していました。
仕上がりは直径20センチの深鍋の中程まで煮汁が入っていてその中に4切れの切り身が浮いていました。
“切り身のオトトが泳いでいる”そんな感じ。
“スープスパゲティ”があるから“スープ煮魚”もありかな?と思いましたがとても食べられませんでした。
60過ぎの方なのですが、結婚したお嬢さんが同居していて家事一切をしているそうです。
ごみの分別もした事がない、との事なので一から説明しました。
以来新しいヘルパーさんが見えると、恐る恐るお料理を任せても大丈夫そうかどうか「お料理お好き?何が得意?」と聞いてみます。
色好い返事は返ってきませんね。
カボチャの煮つけをお願いしたら、煮物は全部“めんつゆ”で作るとか・・・
おダシを取って、砂糖、醤油、みりんでお味付けして欲しいな~
こんなことも毎日の事となると、結構ストレスになります。
中に一人お料理の上手な方がいます。
そういう人は何故か掃除も上手い。
家事、お人柄とは全く関係ないのですが、頭の良し悪しとは大いに関係がありそうです。
でもなによりも日頃からしているかどうか、慣れの問題が一番は大きいように感じます。
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May 14, 2007
母の心療内科の代診に行ってきました。
母の症状は比較的落ち着いているのですが、父が体力的に大分弱ってきて母のちょっとした呟きにおろおろしてしまう現状を伝えてきました。
先生「なかなか楽にはなりませんね~」と深い深いため息をつかれたので、思わず「ため息をつきたいのは私の方なんですけど・・・」と。
でもふか~いため息が“あなたの気持ち分かってますよ”と言ってくれているようで有難くもありました。
帰り道すぐ近くの鎌倉八幡宮にお参りして、本殿の側の売店でおみくじを引ました。
私おみくじを引くのが大好きで、数週間前に氏神さまで大吉を引いたばかりです。
それで止めておけばいいのに、神社にお参りに行くとどうしても引きたくなる悪い癖と、大吉の内容がいまいちピンとこなかったこともあって、またまた引いてしまいました。
それが、な、なんと大凶!
毎年10数回は引くのですが、めったにでない人生2度目の大凶です。
神社におみくじを結んできてしまったので内容ははっきり覚えてないのですが、1つだけ強烈に記憶に残っていることが「気晴らしが必要」との1行。
大当り。
絶対に言えてます。
でも何をしても気が晴れないのですよ。
両親の介護で考えることがいっぱいあって・・・
昨日、主人が都心のホテルでセミナーを開いたので、その間息子一家と一緒にお茶を飲み、夕食を鉄人 陳建一の“赤坂四川飯店”でとりました。
ビルの5階にひっそりとある落ち着いた雰囲気のお店です。
孫がいるので個室をとったのですが、専属でサーブをしてくれる人が絶妙のタイミングでお料理を出してくれます。
ちょっとそこいらでは出会えないような、まぁ~~、いいお味。
ホントに美味でした。
カニの卵入りのフカヒレスープ。
牛肉と春野菜の炒め物、牛肉がこの世の物とはと思えないほど柔らかくて感激。
最後の名物「麻婆豆腐」は主人が辛い方を頼んだので、口の中が火の海状態で余りたくさん食べられなくて残念。
美味しいものは人の心を幸せにしてくれます。
しかし幸せは束の間でした。
今日の夕方買い物から帰ってきたら、看護婦さんが2人母のベットの側に・・・
ヘルパーさんが「お母さんの痰を吸引してほしいと」お父さんが緊急連絡先に電話をかけて呼ばれました、と小さな声で。
言外に「必要ないのに」とのニュアンスが含まれていました。
何せ便利な所に住んでいるので、お医者様でも看護婦さんでも5分で飛んで来て下さいます。
でもね、余りそれをやったら“オオカミ少年”になってしまうのですけどね・・・
93歳に分かってもらうのは難しいものがあります。
要介護5のお母さんだけでも大変なのだから、お父さんは静かにしていてくれないかな~
私の切なる願いです。
当分「気晴らし、気晴らし」と呪文のように唱えて気分を変え続けた方がよさそうです。
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May 08, 2007
と日経新聞に載っていました。
要介護5の母がいる我家は介護保険を利用し始めてから数年経ちます。
とても助かっているのは事実ですが、知るほどに不備だらけの制度です。
介護の実態を全く知らない人達が適当に作ったのかな?と思うほど・・・
削減が必要かどうかより、先ずあり方から考え直した方がよいような・・・
詳しくはもう少しまとめてから後日書きますが、先ずは高齢者介護をしている我家の連休の様子から。
今年のゴールデンウイークは、両親とも病状が落ち着いていたので、無事恙無く過ごせました。
お正月、ゴールデンウイーク、お盆と国中がお休みモードになる時期は、高齢者や病人を抱えている家族にとっては気の休まらない時でもあります。
それでもハプニングはありました。
4日の朝、ヘルパーさんが何の連絡もなく来ませんでした。
初めから休みと分かっていれば、母の流動食を作ってから父の朝食の用意と忙しくても何とか一人でこなすのですが、現れるか現れないかわからないのが1番困ります。
緊急の連絡先は知らされています。
でも休みの朝8時から電話をするのは躊躇われ、食事の準備を着々と進めながら20分ほど待って、電話をしました。
コーディネーターが電話口で慌てふためいておられるのが手に取るように感じられました。
でもね、父も私も何となくこの様な事態が起こりそうだと予測してたのですよね。
この4月から金曜日の朝1時間、我家の担当になった彼女、長くは続かないだろうと・・・
一度前もって先輩に同行し母の介護の仕方を習われた後の初仕事の日、「時間が無くなっちゃった。すみません」とお台所の後片付けをほったらかして帰ってしまわれて唖然。
我家は私が同居しているので仕事をし残していかれても何とでもなるのですが、独居老人、老夫婦だけのご家庭ではこうゆう雑な仕事をされては大変です。
ケアマネージャーさんが、介護のような仕事は景気が良くなると人が集まらなくなる。
一人辞めると代りの人はもう来ないとこぼしておられました。
若い人が、新しい人が景気に左右されることなく働きたいと思うような賃金を含めてシステムを作っていかないと、もうすでに始まっている高齢化社会にとても対応できませんね。
1時間遅れて飛んできた彼女の代わりのヘルパーさんが「すいません。すいません」と謝るので「大丈夫よ」と気の毒で止めたのですが、ケアマネージャーからは何の説明もありません。
1年半程お世話になっている介護事業所、とても丁寧な仕事をしてくれる所で良い事業所が見つかったと喜んでいました。
でも3月中旬にコーディネーターが1人辞められて以来、おかしな事が続いています。
今週の金曜日、誰が来るのかちょっと興味津々です。
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April 04, 2007
3人姉妹の長女として家業を継ぎ、妹達の実家として私達姪も大変可愛がってもらいました。
母がショックを受けて寝られなくなるのではと案じたのですが、両親の代理で滋賀県まで出掛ける私に「宜しくお願いします」と一言、心を乱された様子もなかったのでほっと一安心。
むしろ父の方が、1歳年上の伯母が亡くなってショックを受けている様子でした。
人の死に出会うと『「良く頑張りましたね。ご苦労さまでした」と必ず生きていたことを労らって差し上げて下さい』との天命庵の親様の教えを思い浮かべます。
何故ならば、亡くなった時この世でたった一人の人からでも「ご苦労さま」と言って貰った方は、『自分の人生はこれでよかったのだ。この世での本分は全うできたのだ』と安心して天の国へ戻って行くことができると伺っているからです。
ここがとても大事なのですが、その方の人生の長さ、その方の亡くなり方、その方がこの世でどの位の仕事をなし遂げたかということとは無関係です。
この世に生を受け、生きたことに対する労いの言葉。
「ご苦労さま」は亡き人を天国に送るパスワードなのです。
もう2度と会えないのは寂しいけれど、私は人の生まれ変わりを信じているので、この世でご縁があった方にはまた何時か何処かで出会うのでは、そんな気がしています。
だからこそ今この世で出会っている人々に、優しく温かく接することができればいいな~と思いながら生きています。
おばちゃま、ゆっくり天国でお休みください。
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March 30, 2007
母がショートステイから帰宅しました。
10日間の予定だったのですが、途中発熱して22日間も預かって頂きました。
お蔭で、父も私も久し振りにゆっくりした日々を過ごしました。
退院の折、主治医が母の状態を説明した後で「お母様をご自宅で介護したいというお気持ちは充分わかります。でもご一緒のお父様か、あなたが倒れる前にお母様を施設に預ける事をお考えになられる時期だと思います」
若い女医さん、柔らかい微笑みを浮べながらもきっぱりと・・・
一昨年の暮れ、母を我家に引き取る時から、心療内科の先生に自宅で面倒をみる限界はとっくに過ぎています、と散々言われています。
この頃は時折「まだ頑張りますか?」と半ば諦めムードで聞かれる位で、余り話題になっていませんでした。
それをショートステイ先の医師から言われるとは予想だにしていなかったので、人間、不意を付かれると弱いですね。
周りの方は私を気遣って、1人で両親2人の介護をするのは大変だからと要介護5の母を施設に預けるようにと勧めてくれます。
でもね、私的には、両親がこの年まで(90歳と93歳)一緒に生きてこれたのだから、出来たら最後まで一緒に、と思っているのです。
一瞬『やっぱり無理なのかな~』との思いが胸を過ぎりました。
でも私、立直り早いのですよ。
なにせ14年間も神の教えの話を伺っているもので・・・
他力本願という言葉があります。
「人に頼って物事をしょうとする事」等と余りよい意味で使われないのですが、本来の“阿弥陀様の他力本願”という意味は違います。
甘えとか、人任せにするというような、いい加減な頼り方ではく「阿弥陀様に全てを預け信じること」だそうです。
絶対的な他力本願というのは、全てを信じて委ねること。
人生で現れる様々な事は全部素晴らしい事と受取り、流れに沿って生きてゆく事が、絶対的な他力本願だそうです。
自分がああしたい、こうしたい、こうあるべきだ、こうしなければならない、と余計なことを考えると無駄な力が入ります。
寝て待つのでもなく、優柔不断でボーと待つのでもなく、人に決めてもらうのでもなく、自分が今なすべきことを淡々とこなして、後は天に任せる。
聖書の言葉「人事を尽くして天命を待つ」に通ずるようです。
それで、私は他力本願でいく事にします。
マア、私の場合は絶対的な他力本願と言う程、大げさなものではなく成り行き任せ的なところもあるのですが・・・
どうしても自宅介護が無理になったら、その時はその時の流れに従うつもりです。
急いで決めなくても、物事は成るように成ってゆくのですから。
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February 05, 2007
心電図をとりに銀座まで行って来ました。
ところが病院にたどり着く前に東海道の中で気分が悪くなって、あらあら本当に体調が悪いのだと自覚する破目に。
昔から乗り物に余り強い方ではないのですが、電車で酔ったのは初めてのような・・・
青い顔をして診察室に入ったら、先生が「疲れてるんだよな~、よくもっているよ」と。
我家の事情をよくご存知なのと、ご自身の両親を有料老人ホームへ預けておられるので、いつもそっと見守るって下さっている感じなのですが、もろ本音が出てました。
丁寧に聴診器で心音を聞いて、今は綺麗な音でどこも異常が感じられないから、心電図をとっても何もでないと思うけれど、暫く取ってないのなら念の為ととってくれました。
結果は規則正しい綺麗な線が描かれていて無事合格。
不調の訴えによく耳を傾けてくださり、一生懸命考えて丁寧に説明して下さる先生です。
心臓は自律神経の影響を受け安く、寝入り端とか明け方は自律神経が一番不安定になる時間帯だから、たぶん心配ないだろうと思うとの事。
「家族に心臓の悪い人がいるとか、特に心配な理由ある・・・」と聞きかけて「ご両親その年まで長生きしているのだから心臓は丈夫だよね・・・」と自問自答しておられました。
もしひどくなるようなら24時間モニターを付けることを考えましょう、とのいつもの結論になりました。
心臓よりも疲労が溜まっている事の方が心配な様子で「安定剤でも飲んでゆっくり寝るのは無理だよね~」と呟かれました。
無理な事はないのですが・・・
年が年ですから(93と90歳)なるようにしかならないと思っていますし、先は神様が良い按配にしてくださると信じています。
でもね、老人介護は瞬時に決断しなくてはいけない事が多くて、何処かで神経がたっています。
母の主治医に万一の時は落ち着いて先ず主治医のところ電話をするように、救急車を呼ぶ前に電話をするようにと言われています。
お医者様のいない所で最後を迎えると後がいろいろあって、イヤな思いをなさる事があるから・・・と。
自称天然ボケの女医さんから「肝が座わっていらっしゃるから、大丈夫、出来るわよ。」とお墨付きを頂いておりますが、草臥れていると怪しいものです。
自分では可なり上手に気分転換しているつもりですが、体がしっかり裏切ってくれております。
ちょっと心の使い方見直してみます。
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January 23, 2007
気分は、終わった!終わった!終わった!とマァ~そんな感じです。
家具から小物まで、使える物はほぼ嫁入り先が決まり、それぞれの所に嫁いでいきました。
父も愛着のある物を手放す寂しさはあったと思いますが、次々と喜んで使ってくださる方が出てきて有難いことでした。
物は使われてこそその価値が生きてくるのですから。
残こりの使える物は自治会内にある地域支援センターのバザーに寄付することにしました。
丁度年明けから寄付を受け付けているので絶好のタイミングです。
主人の実家の時も寄付してとても喜んで頂きました。
今回の後片付け、丁度今年還暦を迎える私にとつて、今後物とどのように付き合っていくかを考える良い機会になりました。
「立って半畳、寝て一畳」という言葉があります。
人間それだけのスペースがあれは充分暮らして行ける。
当然、物もそれほどいらないっていうことを意味しているのでしょうね。
日々生活するのに必要な物と、生活に潤いを与える為の程々の物があれば充分。
実家から嫁入りしてきた物の分、今ある我家の物を整理して、ついでにいろいろ始末してしまおうと思っています。
でも実は主人の実家の整理に関して苦い思い出がありまして・・・
義父は77冊の地理の専門書を出版していました。
それに関する膨大な資料があったのですが、離れを壊す時全部始末しました。
それから丁度3ヵ月後、義父のことを卒論に書きたいので資料があったら見せて頂きたいと、丁重な手紙を受け取って、主人と2人で引っくり返りました。
長い間全く出番の無かった物が捨てた途端に必要になる、時々起こるのですよ。
それでも整理を始めよう、と思っています。
其れ位、実家の大切に大切に仕舞い込まれた物、又物の山はショックでした。
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January 15, 2007
「人に自分がされたくない事はしない。自分がしてほしいことをして差し上げる」
よく聞く言葉です。
前半の部分はその通りだと思います。
でも後半の言葉、この頃両親を見ていて段々疑問に感じています。
自分のして欲しい事と、相手がして欲しいと思っている事はいつも同じでしょうか?
人間は十人十色、千差万別です。
考えている事、感じている事、思っている事、人それぞれです。
それなのに相手に“自分がしてほしいことをして差し上げる”ちょっと無謀なような気がするのですが・・・
相手に何かして差し上げる時は、相手が何を望んでいるかよく相手の気持ちを推し量って相手の身になって考えることが、大切なのではないかと思うのです。
例えば子供に、人に優しくすることの初歩の心遣いとして「自分がされたくないことはしてはいけません。自分がしてほしいと思うことをしましょう」という表現はとても分かり易くていいと思います。
でもそれは優しさの“始めの一歩”のような気がします。
本当の優しさというのは、相手の身になって考え相手がしてほしいと思っていることをさり気なくして差しあげる、ことではないでしょうか。
相手が良かれと思ってしてくれた事が自分の意に沿わないことであったとしても、その心遣いは有り難く受け取って感謝するべきです。
でもそれがいつもいつもだと、ため息が出ますよね。
相手のことを本当に心から考えているのかな?と疑問に感じてしまいます。
“自分がしてほしいことをして差し上げる”この言葉、一歩間違うと善意の押し売りに繫がりかねません。
父が母を気遣って、善意の押し売りをせっせと致しております。
92歳という年のせいもありますが、昔からそうだったような・・・
この善意の押し売り、母の命に関わりそうなことがあって、ヘルパーさん達とそっとカバーするのが大変です。
「人に自分がされたくないことはしない。人がして欲しいと思っていることをして差しあげる」
とても難しい事ですが、これが本当ではなかと感じています。
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January 07, 2007
『イノシシは直進してポーンとやってきます
慌てず騒がずのんびりと心を磨いて、神様の教えに沿った穏やかな生き方を来年は心がけてください』
そんなお話を天命庵で去年の暮れ、亥年に気を付ける事と一緒に伺ったのを思い出しました。
本当に元旦の夜、直球で“ポーン”と来ました。
お医者さんが皆、休んでいるお正月だったから慌てましたね。
でも主人が、即「救急車を」と判断したので後は流れのままでしたけれど・・・
今の状況で慌てず騒がずのんびりとは、余ほど心を磨かないと、とてもとても無理ですわ。
穏やかに生きられたらいいですね。
先ず笑顔からだそうです。
笑顔というのは祝福です。
「笑う角には福来る」と言いますね。
『いろんな事があっても直ぐに嫌いとか嫌とか思うのではなく、先ず微笑んでから考えみること。
恐い顔をしてあちこちガンを売っていると変な方が寄ってきますよ』なんてお話もあって大笑いをしました。
『相手を嫌わず心からお相手を理解しょう、許そうとする心が大切な一年』とも。
これは観音さまの心です。
観音さまは菩薩さまであり、慈悲の方です。
92と89歳を抱えて、どこまで慌てず騒がず微笑んで過ごせるか、今年の課題です。
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January 03, 2007
今年は無事落ち着いてお正月が迎えられるかと思っていたのですが、そうはいきませんでした。
元旦の夜、2度目の救急車に同乗しました。
お正月休みでなければ、主治医とか訪問看護士さんに処置をお願いできる程度だったのですが、元旦は連絡がつきませんでした。
仮に連絡がついても皆さんご迷惑ですよね。
痰が詰まってあっという間に、呼吸困難に。
119番に電話して事情を説明したら、お年がお年ですから向かいますといわれ、元旦から、救急車のサイレンが我家の前で止まる羽目に・・・
皆さん、お騒がせしました。
車の中で吸引をしたら大分落ち着いて、病院で点滴をして帰宅できました。
それにしても救急隊の人も病院の先生も看護婦さんも、元旦から働いてくれていて、皆本当に親切で頭が下がりました。
新聞やテレビから漏れ聞こえてくる嫌な世の中とはまるで違う、大勢の人が一生懸命気持ちよく働いている世界が身近にはあるのですね。
とても有り難かったです。
大事に至らなくて良かったのですが、3年連続主人はオチオチお酒も飲んでいられないお正月です。
元旦から救急車騒動、エネルギーを使いました。
立ち直るのに少し時間が要りそうです。
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December 26, 2006
一昨年の暮れは母が大腿骨骨折で人工骨董の手術を受けて入院中、病院の母と実家の父の世話で暮れもお正月もありませんでした。
昨年は骨盤骨折で3ヶ月の入院の後、体重21kgになってお正月を過ごしに我家に。
3日後から発熱、お正月明けに再入院でした。
今年は有難い事に、今のところ何とか平穏に新しい年を迎えられそうな気配です。
というわけで大掃除らしいものをボチボチしております。
主人の実家、自分の実家と後片付けが続いた弾みで、そこいらを整理して物を捨てまくっています。
流石、大正生まれの両親の子、いろいろ溜め込んでありますわ。
何時か使えるかもしれないと思って・・・
しかし、物を捨てるのって勿体ないですね。
頂いた物もありますが、殆んどはお金を出して買った物。
捨てるという事はお金を捨てているのと同じことで・・・
昔は物を大事に使い、修理し直して、寿命を全うさせてから捨てていましたが、今はまだ使える物をどんどん処分していきます。
物によっては新品を買うのと同じ位修理代が掛かる時代ですゆえに。
『なんとかならないのかな』などと思いながら整理しております。
お陰で、棚もクローゼットも押し入れも、物がゆったりと心地よさ気に納まっております。
そんな中で特に見ちがえる程綺麗になったのは、私の机の上。
数年前、「机の上が5分でクチャクチャになる人」とのタイトルの本を見て、主人と息子の顔が浮かび『読ませたいなぁ~』と思ったことがあります。
ところがここ数年は『私が読んだ方がいいな~』という状態です。
机の上は、ブログに書きたいと思う新聞や雑誌の切り抜きが溜まってお山ができていました。
その山が時々崩れて床に・・・
それにつけても綺麗好きだとか整理整頓がうまいというのは、今まで単にそうしていられる状況にあっただけのこと。
状況が変わればそんなものは吹っ飛んでしまうものだとしみじみ感じています。
何事につけても人の事はとやかく言えない。
自分自身が相手と同じ状態になった時にどうゆう行動するか、それは本当にその立場になった時でないとわからないことなのです。
さてさてこの美しい状態がいつまで続きますことやら。
来年の暮も又必至になって片付けをしているかもしれません
でも新たに物を買うのは程々にしておきます。
今あるものを上手に使って生活していきたいと思っています。
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December 24, 2006
体調を崩したヘルパーさんがいて母の介護のローテイションが崩れ、皆がアタフタしていました。
そこに突然若くて可愛い新米のヘルパーさんが出現。
「先輩に同行してお母さまの介護を見習わせて頂きます」とのこと(そういえばそんな話があったような・・・)
彼女にバイクを停める場所を教えて、主人の世話に母屋に戻りました。
それからすぐに異様な声で呼び戻されました。
バイクを止め損なって「お向かいの塀にぶつけてしまいました」と新米さんがオロオロしています。
「怪我は?」と無事を確かめてから、早速彼女を連れてお向かいに謝りに。
お向かいのおじさん、可愛い美人さんが今にも泣きそうな顔をして頭を下げ、真摯に謝るので「いいよ、いいよ」てな感じ。
「あの塀は古くて、いずれやり直すつもりだったから・・・」
こういう時、若い美人さんは得なような~
「内の方は全然気にしなくていいし、向かいのおじさんもいいと言ってくれているのだから、会社に戻ったら“ご迷惑を掛けました”とよーく謝って終わりにしなさい。後は保険でカバーしてくれるはずだから」と慰めても「どうしょう。どうしょう。大変な事をしてしまって・・・」と震えが止まらない様子。
それにしても今時珍しいような初心な子で、予想外の出来事の連続よりも彼女の態度の方にびっくり!
先輩のヘルパーさんは、内に来ているヘルパーさんの中で一番男っぽいさぱさぱした性格の人で「先ず仕事、仕事。グチュグチュ考えるのは家に帰ってからにしなさい」と厳しいお言葉。
「先輩!いじめては駄目よ。新米なのだから」等と言いながら、先輩のヘルパーさんと私で母の世話を次々とこなしていくのを、彼女はボーっと見ていました。
人が真摯に詫びる姿は美しい。
清々しさがあります。
それに引き代え、TVのニュースでよく見かける、不祥事を起した責任者一同が頭を下げている姿、時々私は見苦しさ感じます。
勿論心からと言う方もおられるのでしょうが、責任逃れの弁明を続けた後逃れ切れなくなって致し方なくなんて場合が多いようで・・・
年を取り、地位や権力を手にすると、真摯な心、潔さ、良心、なんて何処かに忘れてしまうものなのでしょうか。
最も、先輩ヘルパーさんと「私達もあんな時代があったわね」なんて会話を交わしたのですから、忘れるものなのでしょうね。
ふむ、あの初々しさには逆立ちしても戻れない、でも上手に年を重ねたいと彼女の姿に感じた次第です。
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December 11, 2006
1回目の片付けを終了しました。
感想は「案ずるより生むが易し」
父から聞いた時はどうなるかと気が遠くなりそうでした。
でもいざ始めてみると姉二人と、残す物残さない物の意見がぴったり一致。
残す物は3人で順番に分けていきました。
残さない物はリサイクルに出す物を選び、その他は分別してゴミの袋へ。
実にスムーズに仕分けができ、次々とごみ袋の山を築きました。
今回の整理で、主人の実家の片付けが大変だった理由がわかりました。
引き受け手が我家一軒で、残せる量が限られていたので厳選しなければならず大変だったのです。
でも今回は三人ですし、皆、決断の早い事早い事。
長女はこの春引っ越しをしたばかりなので、その勢いで捨て上手。
次女は数十年アメリカに住んでいて、家を処分して日本に帰国した経験があるので、余分な物は残さない主義。
私は海外転勤が多かったので、何時でも身軽に捨て魔。
よく揃いましたわ。
笑ってしまったのは、長女も次女も義兄達から大きな物はいらないとクギをさされてきたとの事。
皆、余分な物はいらないとの境地になる歳になったのです。
若い時は、あれもこれも集めたけれど…
それにしても昔の人は物を大切にしていたのですね。
その精神は見習わなくてはとの思いと、昔の家は納戸などスぺースがあったからできたのかなとの思いが交差しました。
父は複雑な気持ちのようで「わしはもう何もいらん」と言っていたわりには、新たに我家に持ち込む物が多いのですが、其れは致し方ないですね。
年明けに2回目をするのですが、思ったよりもスムーズに姉達と息もぴったり結構楽しい時を過ごせました。
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November 30, 2006
と父が呟くのを聞いた時“どうして?これから冬真っ盛りになるこの時期に!”と呆然としました。
気を取り直して「もうすぐ12月で皆忙しくなるから、来年早々か春暖かくなってから、どちらにしたい?」と聞くと「早々がええな~」(関西弁です)
両親がわが家の離れに引っ越してきて、丁度1年になりました。
92歳の1年は若い人の何年にあたるのでしょう。
ここ数カ月めっきり弱ってきて、もう母と2人で実家で暮らすのは無理と諦めがついた事と、便利なこの地が結構気に入った事もあるようです。
今が父にとって家の整理をする最後のチャンスなのでしょう。
母の介護と実家の始末が同時進行、如何するのでしょうね・・・
余りの凄さに実感が出なくて、暫く人事みたいな気分でしたがそうも言っておられず。
まず姉二人に招集をかけ、数日来てもらうことに。
それから母をショートステイに預かっていただく手配を。
30年間溜め込んだ物を数日でどれだけ始末できるかな?
昔の写真を整理しながら思い出話なんか始めたら写真の整理だけで終わってしまいますものね。
こうゆう時は何しろ何も考えないで、お世話になった物に感謝しつつ、ひたすらごみ袋に入れる事に徹さなければ。
我家を建てる時、主人の実家の母屋を片づけたのですが、まあー、物が出てくるは出てくるは。
主人の幼稚園のバスケットの中に、折鶴が入ったまま、中学の学生服、通信簿等々そのまんま何でもかんでも残っていました。
1カ月整理しても遅々として進まず、結局時間切れで入れたまま潰してもらいました。
父は昔の人らしくキッチリした性格なので、綺麗に片付けたいでしょうね。
いずれにしても、気が遠くなるような大変な事なのですが、父が生きているうちに思い切って整理してくれるのは、残される物にとって大変有難い事です。
頭の中では、どういう手順で片づけるか構想ができています。
でも私は末っ子で姉が2人がいるので、やっぱり姉達を立てなきゃなぁ~~
姉2人には充分思い出に浸ってもらって、私はただ黙々と捨てる作業に徹しようと思っています。
去年の12月もメチャメチャ大変でしたが、今年も大変な年末になりそうです。
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November 12, 2006
両親を泊まりのヘルパーさんにお願いしての1泊旅行、上手くいってホッとしていました。
でもやっぱりそんなに甘くなかったな~
帰宅して数日後、家の前に大きなトラックが止まり、実家で親しくしていた花屋のお兄ちゃんが降りてきました。
「お父さんに頼まれました」と、実家にあった大きな石で出来た植木鉢4つとパンジー25株。
私達の旅行中に、これ幸いと父は一人で家に帰り手配をしてきのです。
半年ほど前、実家に一人で衣類を取りに行った父は、お隣のご夫婦に週末の混雑の中、車で送られて戻ってきました。
もし私が反対の立場だったらやはり92歳の老人を一人では帰さないだろうと反省して以来、父が実家に用がある時は、主人が送り迎えをしてくれています。
2週間前も冬物の衣類を取りに行ったばかりです。
その時、庭の大きな石の植木鉢を4個、我家に運ばせるというので「うちの庭にはこれ以上物を持ってこないでね」とやんわり断りました。
その場では収まったようでしたが、諦めていなかったのですね。
昨年末、父の引越し時に、我家にもあるのにガーデンセットが持ち込まれ置き場に困っています。
そして引越しの直ぐ後、件のお兄ちゃんに天使の頭上が植木鉢になった、我家の庭には不釣合いな大きいな石像を持ってこさせて、事もあろうに門を入った正面に置かせました。
場所を変えたくても力持ちの男の人が二人係でないと動かない代物。
そして今回。
これで実家の庭にあった、動かせる物は全部我家に持ち込まれたことになります。
「あなたの両親との事は親子でやってください」と両親に住む場所を提供してくれた主人は、殆ど口を挿みませんが、さすがいやそうな顔をしています。
曰く「我家は持ち込み放題の居酒屋じゃないんだぞ~」
主人は何でも冗談にしてくれるので、本当に救われております。
ケアマネジャーさんが「寝たきりのお母様も大変ですが、お父様も段々別の意味で大変になってこられます」と言われたのが現実になってきました。
基本的には“両親のしたいように最後を暮らしてもらいたい”と考えていたのですが、周りの人々に掛ける迷惑を考えると、そうはいかなくなってきました。
対応の仕方を考え直さなくては・・・
庭の物は植木屋さんが来たら時、主人の気に入るように適当に整理してもらうつもりです。
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October 28, 2006
別れ際に「頑張りま~す!」
心療内科の先生と母の代診で話した後、殆ど無意識のうちに口を突いて出ているようです。
私が言うと同時に、実に穏やかな先生がまるでこの世から「頑張る」という言葉を抹殺したいかのように即、打ち消されるか、諦めたように止められます。
「頑張らないで下さい」
「頑張ってはいけないのです」
「頑張る必要はないんですよ」
「頑張るのが一番悪いんです」
始めは『なして???』と“ぽかん~”としていました。
『いいじゃないの、2週間後の代診の日まで何とか母の世話頑張って持ち堪えてきますわ』位、軽く言わせてくれても・・・と思っていました。
心療内科の先生も内科の女医さんも、しばしば母の事を「頑固な方だから」と言われます。
今回は、父がベッドの脇に手摺りを付けてほしいと言い、取り付ける位置の事で、業者さん、ケアマネジャーさんと父の間ですったもんたがありました。
その後で、ケアマネジャーさんが「お父様も、お母様も“なかなか”でございますね」とさらりと言われまして、はっとしました。
両親が“なかなか”という事は、二人の血を引いている私も当然“なかなか”のはず・・・
これはえら事と、暫し日頃の言動を振り返りドッキリ。
両親の介護を始めて以来、ケアマネジャーさんを始め、お医者さん、病院関係の方々が、いろいろアドバイスをしてくれます。
在宅介護を長続きさせる為には、ご両親にも少し我慢をしてもらわなければ続かないのですよと。
それをほぼ全部一言の元に却下、蹴飛ばしておりました。
うちの父には、母には、とてもとても無理ですわ、と。
その結果、私が頑張らざるおえなっておりました。
頑張るとは、我を張る事。
しっかり頑固に我を張っていました。
そうだったのか、先生は「頑張ります」の奥にある「しっかり我を張って介護します」という私の心の動きを敏感に感じておられたのでしょうね。
だから本当は「頑張らないで下さい」ではなく「我を張らないで下さい」と、ず~っと言いたかったのではないかと思い当たりました。
皆さんご迷惑をかけました。
そういえば、天命庵の親様が「素直が一番やで」とよくおっしゃいます。
何を聞いていたのでしょうね、今まで。
お恥ずかしい。
我を張るのヤーメタ、と思ったら、だいぶ楽になりました。
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October 16, 2006
私とは無縁のものと思っていました。
20代から体重は2キロ前後の範囲内で一定。
唯一変わったのは、息子がお腹にいる時だけ。
25年前の洋服がクローゼトに掛かっています。
毎年サイズが変わる主人とは、対照的に超経済的な人間です。
両親の介護を始めて、体力が余り無い方なので「しっかり食べなくては、食べなくては」と「気分を変えなければ、変えなければ」と、心の中でいつも呟いています。
一種脅迫観念に近いものがあります。
食事の時「小鳥が餌を啄ばんでいるみたい」と主人に言われていました。
もっとも主人はライオンが獲物を丸呑みしているような食べっぷりですけれど。
一番手っ取り早い気分転換と、英国風に入れた美味しい紅茶とお菓子を毎日数回。
若い頃、大の甘党でした。
年と共に食べられなくなった、と思っていた甘いものが完全復活。
と同時に体重が未知の世界に突入。
平均体重を6~7キロ下回っていたので健康診断のたびに、太りなさいと言われていました。
でも体が慣れないのと、お菓子で太るのは健康的ではないのでしょうねぇ。
体が重くて、体調がいまいちです。
痩せなくては・・・
ストレス解消のはずのお菓子が、体重を落とさなければとストレスの原因に、こういうのを典型的悪循環というのでしょうね。
でも上手いぐあいに胃が甘いもの攻勢に疲れたようで、お休みモードに入りました。
自然に無理なく体重が減っていってます。
するべき事をしていれば、後は神様がい~い案配にして下さると信じています。
それなのに何故こんなにストレスを感じるのかな?とこの文章を書きながら考えていました。
あれ~、全然自然の流れに身を任せてなんかいないような・・・
心療内科の先生が「ご自宅での介護はとうの昔に無理です」と言われているのに、強行しているのですから。
身を任せているつもり、だけだったようです。
仕切り直ししなければ。
1年経って、少し冷静に見られるようになってきたのかもしれません。
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October 14, 2006
自称天然ボケの内科の女医さん「あ~ら、お母様など良い方よ。まだまだ自宅で大丈夫よ」と、こともなげにおっしゃる。
確かに7種類の薬は全部心療内科からの処方で、内科の薬は単発でしか出ません。
今、内科的には一様安定しているようです。
でも週2回、訪問看護士さんと医師が往診に現れるのは常時ではないのでしょうけれど。
他方、心療内科の先生は今年の初めから一貫して「ご自宅で面倒みる限界はとっくに過ぎています」とおっしゃる。
今日の代診では、言っても駄目と諦められたのか「ご家族が疲れないように、ショートステイでもデイケアーでも何でも利用して休みなさい」と言われる。
「先生、母はデイケアーで面倒を看て頂けるような状態ではありません」と言葉を返そうと思って慌てて止めました。
次にくる先生の言葉は決まっていますから。
それにしても先生達、今一分かっておられるような、おられないような・・・
私にもよく分からん。
イギリスもオランダもホームドクター制でした。
具合が悪くなったらまず登録してあるホームドクターに診てもらいます。
ホームドクターは大概の治療ができます。
手に負えない時は、それぞれ専門の先生に紹介してくれます。
何科に掛かっても、幾つ科に掛かっても、ホームドクターへ報告がいくので、結果を見て総合的に判断を下せるシステムになっています。
でも日本の場合それぞれの科に横の繋がりがなく、ここが一番大きいと思うのですが、他の科の事には専門外ですからと一切口を挟まないのですね。
実に奥ゆかしい。
結果、いつも2人の医師の両極端の意見を聞きながら、「一体私は如何すればいいのよ???」と考えているうちに、一年が過ぎようとしています。
どうやら先生方の意見を聞いて総合的に判断するのは、同居している娘の私の役目のようだ、と気が付いて今更ながらビックリしております。
92歳と89歳、二人揃って今まで生かされているのには、何か意味があるのでしょう。
自然の流れに任せつつ、その意味が全うされることを祈っています。
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October 06, 2006
1週間のショートステイから戻ってきた母は、いつものように「借りてきたネコ」状態です。
ヘルパーさんも私も今までの経験上この静けさは束の間で、すぐに時無しの頻尿の訴えが再開されることを知っています。
できるだけ長く平和が保たれる事を祈りながら。
でも92歳の父には、この静けさの意味が理解できません。
母が帰宅して数時間後から「お母さん、おしっこと言わなくなって、偉いねぇ。おしっこおしっこと言わなくて、偉いねぇ」と真面目に褒め続けています。
母のトイレ介助の為に、朝6時半から夜の8時まで5人のヘルパーさんがローテーションを組んでお世話をしてくれています。
私が様子を覗いにドアを開ける度に「お母さん、おしっこのこと忘れて帰ってきはった(ドアの向こうは関西弁です)」と本当に嬉しそうに私に報告するのですよ。
同居し始めた去年の末は、「それは違うのよ・・・」と説明すると何とか理解できました。
今は耳の遠い父に大声で説明する事によって、母の頻尿の訴えを刺激しそうなので黙っています。
私は諦めモードで開き直って、ときどき大笑いをしております。
でもヘルパーさんが、母の気を逸らそうと童謡を歌ったり昔話をしたりしてやっと落ち着いたかな?というところで「お母さん、童謡を唄っていると、おしっこ忘れるんやね~」と大声で父。
皆の努力が遭えなく消えてゆきます。
本当に申し訳ない。
正直なヘルパーさんは、父の一言に「腰から力が抜けていきます」と言われます。
それでも皆さん、よく頑張ってくれています。
その上、私のことを「この中で、いつも笑っていて偉いですね」と褒めてくれます。
実は、私、内心では可なり危ないかも・・・と思っているのですが・・・
でも結構笑えるのですよ。
ドアの向こうは関西のお笑いモード、こちらは関東、別世界と思える時はですけれどね。
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September 29, 2006
見る、聞く、嗅ぐ、触れる、味わうが敏感でなければ六感は生まれません。
まさに五感(視覚、聴覚、臭覚、触覚、味覚)を駆使して始めて6感(直感)、勘が働くようになるのですね。
勘は、神がかる感ともいいます。
今の人は、昔の人々に比べて衰えているそうです。
何にでも便利なものが発達し、又情報が満ち溢れている昨今、物事を総合的に判断するのに六感を働かせる機会が減っているからでしょうか。
文明が発達して文明の利器に頼っていると、人間の本来備えている動物的感覚はどんどん退化してゆくのでしょうね。
天気予報で、絶え間なく「お出かけには傘の準備を、羽織る物を一枚」と教えてくれるのは誠にありがたき事です。
この慌ただしい時代、利用しないてはないのですが、空の色、雲の動き、風の流れから明日の天気を読む“勘”は消滅してしまいますね。
白夜の如く至る所が一日中明るいと、暗闇で目を凝らすなんてことはなくなります。
パソコンに30cm、TVに1mでは視界は狭くなり視力は落ちる一方です。
現代は、五感を刺激して得ようとしているものは「六感」より「若さ」「健康や病気の治療」のようです。
年をとると段々臭覚は衰えます。
それを、よき香りをかぎ続ける事で臭覚を鍛え、肌にハリと潤いを取り戻し、老化を止める研究。
美しい音楽を聴くことによって免疫力を高める研究も進められています。
また高齢者が童謡を聞いたり、歌ったりすると免疫細胞が活性化、認知症の治療に応用されています。
感覚を研ぎ澄ますことによって、外見と内面の両方からの若返りが研究されてしているそうです。
今の時代に必要な事です。
でも、その先に政治、経済の動向を見抜く洞察力(六感)を持った人が育つ可能性が見えてこないような・・・
それも時代の流れなのでしょうか。
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September 27, 2006
前回何を書いたかも忘れてしまった程のご無沙汰です。
母と同室の父と私の介護の休養を兼ねて、ず~っと勧められながらなかなか踏み切れなかったショートステイに母を1週間預けました。
その間に2泊3日で東北の方に仲間と温泉旅行に行ってきました。
湯沢温泉はお湯が柔らかくてお肌がすべすべに。
魚沼産コシヒカリの産地でもあり、炊き上がった新米は本当に真っ白、白米の白さが違いました。
綺麗な水のせいも大きいのかな?
両親の介護を始めて以来、夫婦で出かけた久し振りの旅でした。
ショートステイを利用した感想は、介護のリフレッシュが出来たというよりも、くたびれました。
一般的にはショートステイは、受け入れ先の施設が自宅まで送り迎えをしてくれます。
玄関先で「よろしくお願いします」と御挨拶した後、家族は介護休暇に入れるのです。
ところが母の場合は、お願いする先が病院なので、前もって入院の手続き、先生との面談、送り迎えの寝台車の手配等々、前後にいろいろしなければならない事が目白押し。
5日間の休養の為には手間が掛かり過ぎです。
今回上手くいけば月に1週間位定期的に、との予定だったのですが、毎月こんな事はしておられませんわ。
でも母を預けるには医師のいるところでないと難しい、とケアマネージャーさんも内科の先生も言われますし。
この辺が心療内科の先生が「ご家庭で介護する限界はとっくの昔に来ています」言われる由縁なのでしょうね。
10月から母は要介護5、一番重い等級になります。
母のショートステイ中はゆっくり休む必要があるのでしょうが、それでは主人のストレスが溜まるでしょうし・・・
切り札としてショートステイを頼りにしていたところがあったので、当てが外れて少々がっかりしています。
何か新たな手を考えなければ、可なり疲れが溜まっています。
いろいろ試しながら、我家に一番合った介護の方法が見つかっていくのでしょうけれど・・・
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September 19, 2006
江戸時代の老人の評価は、この3つで決まったそうです。
朝日新聞の暮らしうるおう「江戸のしぐさ」という記事を人ごとのように思いながら読んでいました。
あれ、ちょっと待てよ、江戸時代の老人って幾つ位だったのでしょう。
ひ、ひょっとしたら、今の私位の年かも・・・
どれだけ若者を笑わせたかというのは、なかなかユニークな老人の評価基準ですね。
お江戸の人は「笑いの秘めたる力」を知っていたのでしょうか。
でも今時の若者を笑わせるなんて、ちょっと自信がありません。
なんとなく昔は“目上を立てる社会”のように思っていたのですが、違ったようです。
老人が若者を上手に引き立てて、1人前の大人に育て上げていたのでしょうね。
お年寄りだからこそ出来る業です。
一番の難問は「どれだけ良きものを伝承したか」のような気がします。
私達は、便利、簡単、お安い、そして皆一緒の考え方に流されて、古き良き物をどんどん消滅させている時代に生きていますから。
反省しなければ。
一度なくなったものを復活させるのは至難の業ですから。
今の老人の評価は何で決まるのでしょう。
江戸時代の老人の評価でいくと、私達は落第点確実です。
今年の100歳以上の長寿者は最多更新で2万8390人。
1世紀を生き抜いてきた方達が、大勢いらっしゃるのですね。
老人の貴重な体験、経験から得た知恵を生かしながら、若者を引き立てて共に社会を築いていけたら、もうちょっとましな世の中になるのではないかな?
そんな事を、昨日の“老人の日”に考えていました。
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September 03, 2006
ホテル風の洒落た建物が病院だと知って以来、母をお願いするのにいいな~と思っていました。
綺麗でお近くなら言う事ありませんもの。
定期的にショートステイでお世話になる先として、主治医とケアマネージャーさんからその病院の名前が挙がりました。
予約をしてから伺うことになっていましたが、ほんのお隣に用事があったのでパンフレットだけでもと立ち寄ってみました。
いちよう母の書類を整えておいたのですが、出掛けに掛かってきた電話でコロリと忘れて出発。
この話は駄目なのかな、との予感。
用事を終えて病院へ向う為地下の駐車場から出てきたら、いきなりドシャブリの雨。
主人に「こりゃあかんわ」と言うと、主人は「雨降って地固まるということもあるよ」と至って暢気なもの。
ホテル風のエントランスから入っていくと平日なのに病院は混んでいる風もなく、誰にも会わずにだだっ広い広間を抜けて受け付けへ。
受け付けにも誰もいず。
奥の方で中年のおばさんが1人事務をとっていたので声をかけると、そこから座ったままでの応対。
心の中で「こりゃあかんわ」
途中から主治医の紹介で立ち寄ったと分かると、大分態度が変わりました。
建物が立派だと、中で働いている自分も立派って思い違いするのかな?
そんな感じの受け答えでした。
待ってくれていた主人に「こりゃあかんわ」というと、主人は「トイレはホテル並みにきれいだった」といたく感心しております。
確かに建物としては素晴らしい。
建築主の名前を聞きたくなるような洒落た外観。
ホテルもどきのエントランス。
採光に工夫がなされているのが雨天なのに、中は明るく広々と清潔。
でも母をお願いしたいとは思いませんでした。
温もりを感じなかったから。
人が人を介護しているという温かい雰囲気が全く伝わってこない病院でした。
予約を取っていたら、彼女はどんな態度だったのでしょうか?
アポなしで偵察に行ってみて良かった。
素顔の病院を見ることが出来ました。
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August 31, 2006
『結んで開いて、手を打って結んで、また開いて手を打って、その手を上に~』
子供の頃よく唄った歌です。
今の子供達も唄っているのかな?
母と唄う童謡を探していて、ひょっとしたらと思って唄ってみたら、仰向けに寝たまま寝返りをうたない母が振りを付けて唄いました。
以来何気なく母のリハビリに気分転換にいいかなぁ~、と思って唄っていました。
そうしたら天命庵の親様のお話に「日本の子供の美しい童謡には愛が溢れています。この愛によって全てが助かるのです」とありました。
『結んで開いて』の結ぶは、命を結ぶという事。
何故かというと「祈り」とは結びなのです。
神に祈る。
神と自分を結ぶ。
神に、家族や身近な方の為に祈りを捧げるという事は、その方達を神様に結ぶ事。
結ぶ事によって、開くのです。
開くとは、助かる事。
開くという事は、そこから物事が良い方へ始まっていくのです。
全ての事は、結んで、開いて、そして始まります。
それから『その手を上に』と神様に万歳と両手を上げて祝福です。
母は軽い認知症です。
歌いだすと何度も何度も繰り返しています。
いい唄を気に入ってくれて良かった。
今はおにぎりという事の方が多いですが、おむすび(御結び)も命を結ぶのです。
童謡も、日本語も凄いですね。
昔話も凄いらしい。
何からでも神の教えを感じる事が出来るようになっていて、パズルを解くように楽しんでいます。
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August 25, 2006
早朝、母の介護にヘルパーさんが巡回してくることになっていました。
待てど暮らせど現れません。
電話をしたら留守電。
折り返しの電話が寝ぼけた女性の声でありました。
電話の向こうの眠そうな声は、丁寧に謝りながらも説明がチグハグで要領をえません。
「担当のヘルパーが倒れて連絡が取れなくて、おたくにも連絡できなくて・・・」
一つ確かな事は、今朝は誰も来ないと言う事。
それを確かめて両親の部屋に戻ると、父が母のトイレ介護の真っ最中。
アーア、父は92歳です。
早朝巡回サービスをしているところは数社。
その仲の業界大手C社を、ケアマネジャーさんが苦労して週4日(本当なら毎日来て欲しいのですが需要が多いらしく)確保してくれました。
当てにならないからと、断ったら後がないし・・・
C社からその後の説明は全くなし。
夕方、ケアマネジャーさんから「遅くなってすみもません。C社の中、ヘルパーさんが倒れてガタガタのようで、今後の事がはっきりしないので、他も捜しておきます」と連絡がありました。
電話の女性、寝ぼけていただけではないようです。
朝のヘルパーさんの反応「独居老人のお宅だったら大変な事になりますよ」
以前C社に勤めていたお昼のヘルパーさん「あそこなら倒れるヘルパーもでます」ときっぱり。
それにしてもヘルパーが一人倒れるとガタガタになる会社が、介護業界の大手とは、恐ろしい。
大手だから24時間幅広いサービスが提供できる。
でもそれが当てにならないとなると、如何したらよいものやら。
主人が一言「大手なんてそんなものだよ。それでも名前で客は来るから努力しない」
中小の会社では24時間介護サービスは儲けが薄くて出来ないそうです。
曲がりなりにもしてくれる会社があるのは、有難い事なのでしょうね。
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August 23, 2006
心療内科の先生が「その後どうなりました?」といつもの物静かな口調で尋ねました。
「母は先々週、帰って参りました」
「えっ!帰ってこられたのですか?出来るだけ粘って病院において頂けばよかったのに・・・惜しかったな・・・」と心底残念そう。
いつもの落ち着き払ったご様子はどこえやら、先生、素のままでしたよ。
気を取り直して、改めてという感じで「それでどうなりました?」と聞き直されましたので、「もうグチャグチャです」と答えたら、仰け反って天を仰いでおられました。
先生、すみません。
脅かすつもりはないのですが、根が正直なもので・・・
薬は限界まで使ってしまっています。
家族の接し方次第で幾らか違うと言われても、母と同室の父は92歳、何を言っても老々介護を止める事は出来ません。
じっくり話を聞いて下さり、親身になって相談に乗ってくださるとても良い先生ですが、諦めムードが漂っています。
私?とっくに腹を括っております。
「お父様とお母様が同じ部屋にいる事がそもそも間違いです」
分かっていますよ、先生。
ケアマネジャーさんにも「救急車2台呼ぶ事態が段々近づいて来ている」と言われていますから。
「仲がいいというのも問題ですな」と先生。
「特別仲が良かったとは思いませんが、今は運命共同体なのでしょうね」
60数年、一緒に暮らしてきた事実は、好きとか愛しているとかそんな時限を超えて、そこに共に居ることが一つの形なのだと感じています
父も母もまた意識がしっかりしていて、お互いのことを心配し合っているのに、その2人を引き離す事は私には出来ないですよ。
先生の薦めるとおり母を病院に入れれば、救急車を2台呼ぶという最悪の事態は免れるでしょう。
でも2人がバラバラになって最後の時を過ごすより、例え最悪の事態が起きたとしても、それまでの間2人で暮らした方が幸せな最後ではないかと思うのです。
最悪の事態は起こらない、それに賭けてみよう。
起こったら起こった時、何とかなるわ。
世の中に、一番良い方法なんて存在しないことが一杯ある。
92歳と89歳が望むことが、一番良い事ですよ、きっと。
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August 01, 2006
母は一部研ぎ澄まされたように冴え渡っていた神経を穏やかに落ち着かせて、無事我家に戻ってきました。
父の手術を機に、病院にあずかって頂いたのですが、とても家庭では世話しきれないほどの頻尿で内心どうなる事かと思っていました。
勿論、担当のお医者様に状況を詳しく話しました。
面白い先生で「3週間、お父さんの手術が無事終わるまで何とか持ち堪えますよ」と笑わって言われたので、症状が改善することは余り期待していませんでした。
預かって頂けるだけで有難い事ですから。
最初の一週間、ベッドの横にトイレの回数の記録が克明につけられていました。
1日19回というのがあって、どうしょうかと思いましたよ。
いつも小走りに動きまわっている看護婦さんたち、あの忙しい中で19回、母のトイレに付き合ってくださったのかと思うと申し訳なくて本当に頭が下がりました。
そんな中で、秘尿器科の先生、担当医、看護士さん達が、解決策を編み出してくれました。
下腹を押して排尿を助けると自力での2倍出て残尿感が減るので、間隔をなんとか2時間位に伸ばせるとの事。
さすが、プロですね。
でも看護婦さんたちは何気なく母の下腹を押していましたが、これが結構やってみると力の入れ方、タイミングが難しいのです。
やはりプロは違う。
なにしろ体重20数キロ、壊れ物のような母に、ヘルパーさんたちは恐る恐る。
それでは2倍は出ません。
みんなを叱咤激励して一生懸命覚えてもらっています。
お陰で、父と母か又一緒に暮らすことができるようになりました。
病院の皆さんのお蔭です。感謝!
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July 16, 2006
入院の翌朝9時に病院から電話。
夜中にベッドにつけてある柵の留め金を外して柵を取り、床にすべり落ちていたとの事。
すぐどこにも怪我がないか検査をした結果、異常がないとの報告で「気を付けていたのですが・・・」と申し訳なさそうに言われました。
入院時に担当医と1時間余り面談をして、いろいろしっかり情報を耳に入れておきました。
「未来の事をあれこれいっていてもどうにもならないので、今日の話し合いはここまでにしましょうか」と言って分厚い母のファイルを閉じた、若いお兄さん先生ビックリしているだろうな~~。
母が脅かしてすみません!
でも自力では立てない、寝返りも打てない、夜は睡眠薬をどっさり飲んでいる20数キロの母が、柵を自分で外してベッドから降りるとは誰も想像できないですよね。
我家で最初に発見した時は、皆唖然として一瞬“ポカ~~ン”状態。
誰かが柵を付け忘れたのかと半信半疑。
2度3度と繰り返されるまでは信じられませんでした。
それもどんどん学習していって、初めは柵をとるとガタンと下に落として大きな音を立てていました。
でもそうすると人が飛んでくるとわかったようで、丁寧に横に重ねて置いてあります。
ベッドの上から、どうやってそれらの事をするのか?謎のままです。
人間は思いつめたら、予測不可能な力を発揮することができるのでしょうか。
常識的には起こり得ないことが、起こっています。
昨日は、父の手術が無事終わった事を数分おきに5~6度確かめてから、「早く家に帰りたい」と不満グチュグチュで泣かれてしまいました。
でもね、前日姉が大阪から両親のお見舞いに来て、母に会った時とても穏やかだったとの連絡が入っていたので、おかしいな~と思い。
「お姉さんには何も言わなかったのに、どうしたの?」と聞いたら、
「あの人に言っても何もできへん。あの人ではあかん!」泣いていたはずなのにケロッと言うのですよ。
相手をみてちゃんと使い分けているのですね。
賢い。
我が母親ながらあっぱれです。
もう少しの間だから、大人しくしていてね。
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July 07, 2006
「追い返されないように、お父様の手術日ぎりぎりにお母様を入院させた方がよいかも・・・」と、いつも往診に見えている女医さんに言われてビックリ!
「え~、本当ですか?」
「ないとは思いますけどね・・・」
そう言われてみれば、母の《地球は自分を中心に回っている的な、さまざまな訴え》病院は手を焼かれるだろうな…
でも自称“天然ボケ”の女医先生、いつもふんわり優しく母に接して下さっていますが、母の態度は入院先では通用しないかも、と思っていらしたのですね。
うっかり気が付かずに失礼をしていたようです。
心療内科の先生にも母の入院を報告したら、本当にほっとした様子で「それはよかったですね。ご家庭で介護される限界はとっくの昔に過ぎていたので・・・」と。
《そんな事言われていたかな~》と思いながら考えてみたら、数ヶ月前「これ以上薬は増やせないのですよ」と言われた時「じゃあ、どうすればいいのですか?」と聞くべきだったのでしょうね。
私、自慢じゃないのですが、そうとう“とろい”と言うか“天然ボケ”と言うか。
今まで自覚がなかったわけではないのですが、今回両親の介護をしていてつくづく感じます。
でも“とろい”ままでいられるのも有難い事だと思っていますけれど。
本当に良い方たちに恵まれ、女医先生、看護士さん、ケアマネージャーさん、ヘルパーさん、最強の軍団に守られているお陰です。
そして一番大きいのは、自分がするべきことをしていれば、後は神様が“いいあんばい”にして下さると信ているからです。
さてさてどうなります事やら、母の入院、結構スリル満点です。
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June 17, 2006
「どうしました? 疲れた顔をして・・・、平和は来ませんでしたか・・・」と医師。
「先生、来るわけ無いじゃありませんか?ますます混迷を深めておりますわ!」
「困りましたな~~」
と挨拶が終わるや否や、先生と私の会話はいつもこんな調子で始まります。
もう6~7年、初めは母を連れて、だんだんいつの間にか2週間毎に私が代診、そして時々往診に来てくださいます。
子供の頃から体の弱かった私は、お医者様とは親戚付き合い。
やっと自分が卒業したら、今度は母をあちこち診てもらいに連れて歩いて、今は母の代診専門。
メチャクチャ、医者ズレしております。
そのせいか、長い付き合いで気心が知れているせいか、母の病と闘う同志だからか、歳のせいか、言いたいことを言って“暗めで物静かなムード”の先生が声を上げて笑うのを見て、ニヤッなんてしています。
これって結構私の精神衛生上、良いみたい。
完全予約制なので、余り大勢の患者さんと会うことは無いのですが、診察室から笑い声や奇声が漏れているのは私だけのようです。
診察の内容は深刻なのですけれど。
高齢、体重20数キロ、複雑骨折のような精神状態。
阿吽の呼吸で、深刻な話を世間話のように淡々と進めています。
正直な先生で、母の状態を包み隠さずと言うか、嘘が付けないタイプなんでしょうね。
「あなたには酷ですけど、これ以上薬は増やせないので、お母さんの状態を見つつ飲む時間で調整していってください」
「先生、高齢者にはよくあるケース?」
「いえ、ほとんどありません」
「え~ぇ~、ほんとですか~~?」
これもお決まりの会話になりつつあります。
私は全部母の症状を話しているのですが・・・
どうも話していると「それは誰の事?あなた?お父さん?おかあさん?」と確かめられるのですよ。
と言う事は、只今皆ぎりぎりの状態で誰がおかしくなっても、不思議じゃないって事かな?
まぁ、いいかっ!
診療内科の先生に会って「あなたも、お薬飲んだほうがいいですよ」と言われないのですから、未だ大丈夫ということで・・・
心療内科、母の代診というよりも、自分がまだ大丈夫という事を確かめに行っているのかも。
良い先生方に、ヘルパーさんに出会えたお陰で何とが介護無事こなせていて感謝です。
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June 16, 2006
認知症の母は子供の頃歌っていた童謡の歌詞をよ~く覚えています。
明治生まれの主人の母もそうでした。
今のようにテレビ、漫画、ゲームといろいろ娯楽の無かった時代、皆で歌う童謡が楽しみの一つだったのでしょうか。
童謡は子供が歌うのですから、可愛らしい楽しい歌が多いと勝手に思っていたのですが、母がか細い声で歌う童謡は何故か寂しい歌ばか。
「金襴緞子の帯締めながら、花嫁御陵は何故泣くのでしょ・・・」
「赤い靴履いてた女の子、異人さんに連れられていっちゃった・・・」
来てくださるヘルパーさん達、年代はまちまちなのですが、皆童謡をよく知っています。
本を持ってきたりして、一緒に歌ってくれています。
その中の30代半ばの若いヘルパーさんに「童謡って悲しい歌が多いのかな?夜聞くとわびしくて」と雑談のついでに話しました。
そしたら、帰り際に「カナリアの歌、を覚えてもらいました。あれなら寂しくないと思います」と私に耳打ちして帰っていきました。
本当にその夜は「カナリアの歌」を繰り返し歌っていました。
やっぱり、侘びしかったけれど、彼女の心遣いは心に沁みました。
それからは、明るそうな歌を探して母と歌っていますが、余りありませんね。
心に染み透るような情景が心に描き出されるような、味わい深い歌は沢山あるのですが・・・
昔の日本人は根暗だったのかな?
子供まで・・・何て考えています。
もし私が彼女の立場だったら、あんな心遣いができるだろうか、と改めて人の身になって思い遣る事の大切さを、かみ締めながら、母と童謡を歌っています。
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May 17, 2006
父の手術の間母を預かって頂く病院へ、主治医の紹介状を持って面談に行って来ました。
何しろ、寝台車でしか移動出来ない母にとって、一月末以来の病院行きになります。
この際両足の大腿骨骨折と骨盤骨折、誤嚥性肺炎の経過を調べて頂きたいと、意気込んでいたのですが、当てが外れて一瞬がっかり。
検査入院の場合は、事前に外来で受診して医師が必要と認めた場合のみ入院とならるそうで・・・
母の場合は療養病棟で担当の医師がついて健康管理をし、何か異常が出れば治療をするが、それ以外は検査とか治療はしないとの説明を受けました。
療養で入院の患者さんに検査をすると、検査漬けと批判が出るので何処の病院でも同じそうです。
その代りというか何というか分かりませんが「今回は医療付ショートステイ、そんな感覚でどうぞ。短期でも長期でもいつでもお預かりできます」と言われてビックリ。
これが再三再四、ケアマネジャーさん達が「利用してはどうですか?」と勧め「母にはとても無理ですよ」と私が受け入れなかった“ショートステイ”かと、拍子抜け!
世の中難しいものですね。
マニュアル通りすると、同じ検査が行く先々で繰り返されたり、寝台車でやっと連れて行く病院で検査が受けられなかったりしてしまうのです。
不自由なことです。
でも以前の私ならば「そこおなんとか、どうしても」と無理をしてでもあらゆる努力をするタイプでした。
可なり生き難いタイプ。
今は自然の流れに任そうと思えます。
成ってきた事が今に一番相応しい事。
事態は常に流動的で、どうにでも変わっていくのですから。
主治医の先生、ケアマネージャーさんと皆で母にとって一番良い病院をと考えて決めたところです。
お任せする事にしました。
それでも家に戻って、主人に「折角、病院に行くのだから病後のチェックしてもらいたかったな~」と呟きました。
そしたら「体調が悪くなったら、その時はその時でまた寝台車頼んで診てもらいに行けばいいじゃないか」とさらりと言いました。
御もっとも。
父の手術の間、母にとって一番安心できる所に預かって頂ける。
それだけで有難い事です。
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May 12, 2006
父の手術前検査の為に病院へ行きました。
検査は血液検査、尿検査、心電図、胸部レントゲン。
父は同病院で二週間前に血液検査をしたばかりなので、受け付けで聞いてみました。
説明は、前回の検査は、手術が出来る状態かどうかの検査。
今回は手術前の体調を調べるための検査、と言われました。
分かったような、分からないような・・・
人間の体って2週間位でそんなに変わるのでしょうかね。
母も、度々入院するのですが、最短で退院後10日目、次は14日後に再入院。
其の度に、最初から検査のやり直しです。
血液検査、尿検査、心電図、胸部レントゲンは何処の病院でもお決まりの基本コースなのですね。
これでは国の医療費が増え続けるのは当然です。
それでも病院側によると、無駄な検査を省いているそうですが・・・
今父が通っている市民病院は、殆どの患者さんが市内の小さな病院から紹介されてきた方、検査の行く先々で、前の病院でも同じ検査をしたのにと不満を呟いている人達に出会いました。
感じていることは同じです。
市民病院の方が最新の機械が入っているとか、専門の技師がいるとかいろいろ事情があるのでしょう。
でも同じ検査ならば前のものを使う、そうゆう姿勢は何処の病院にもありませんね。
もう少し流通を利かせれば、増え続ける医療費を少しは抑える事ができるのではないかなと思います。
そして同じ検査を繰り返される患者にとっても、優しい医療になるのではないか、そんなことを考えながら父と検査室を回っていました。
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April 19, 2006
フワーと軽いめまいが、朝シャッターを開けようと頭を下げた時襲ってきました。
オランダにいたとき地底に吸い込まれるような回転性のめまいメヌエル氏病に掛かった事があります。
「まずい!」と急いで薬を飲み、両親の朝食の準備を整えて朝のヘルパーさんにバトンタッチ、ベッドに倒れ込みました。
昔、入っていた宗教団体で病気も含めて物事の因果関係を勉強していた事があります。
もう随分前に辞めたので今も同じかどうか分かりませんが、会の中心の方が命がけで発見した法則を勝手に流用すると、命にかかわるとかいってましたね。
普通はお人の役に立たつことを見つけたら、どうゆう形にするかは別として、世の中の為に役立てたいと考えると思うのですが・・・
そこが宗教団体になってしまうと違うのです。
何でも囲い込んで、自分達だけの物にしてしまうのは組織を作る弊害ですね。
それはそうとして、めまいは迷いから生じると聞いたことがあります。
これが思い当たるのですね・・・
明日父が鼻の手術をする事が可能かどうかを決める、CTの検査を受けます。
父は大した病気ではないので、早速手術をして楽になりたいとその気でいます。
耳鼻科のお兄さん先生、父の年が年な上に他の病気の事も考えて、出来得る限り手術は避けたいという雰囲気が色濃く漂っています。
父の気持ちも、手術は避けたい主治医の気持ちも分かります。
もう一つ、昨年11月の骨折で延期になっている母の腕のおできの手術。
皮膚科の先生に往診してもらっていますが、母の体力の回復を待ちながら病院へ連れて行くタイミングを計っておられます。
ケアマネージャー曰く、市民病院は待ち時間が長くて体力を使うので、ひどい病気の人の行く所ではないそうな・・
確かにそんな感じなのですが、小さな病院では無理なので紹介されたのですし・・・
両親に付き添っていると、お医者さん人の顔をじっと見て「どうしますか?」って聞くのですよね。
素人に決めろと言われてもねぇ~~
神の存在を信じているので、皆にとって一番よい方向へ物事が動いていると信じています。
でもね(前文を帳消しにする接続詞ですね)二人抱えていると「迷わない」とはなかなかいかないよな~、って思っていたらふわーとめまいが襲ってきましたね。
なるようにしかならない。
神様の御心のままにと心を決めたら、めまい落ち着きました。
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April 12, 2006
財政赤字のお荷物の一つ、と主人が言っている、市民病院で父が診てもらいました。
まあ~、綺麗な事。
何処も彼処も、広々としてゆったりとスペースがとられ、看護婦さんも事務の人も大勢いて、説明は至れり尽くせり。
設備は最新の物が揃っているとか・・・
地元の医師の紹介が原則で、予約制なので待ち時間が短い。
両親をいろんな病院へ連れて行く度にこの頃同じことを感じます。
医師が若い、何しろ若い、部長さんにみてもらったのですが・・・
人当たりはとても良い方でしたが、お見立てはまだ分かりません。
箱物にお金を掛け過ぎて、若い医師しか呼べないのかな~~というのは考え過ぎでしょうけれど。
カトリック系の小さな総合病院、私立の大総合病院、公立の市民病院と両親を連れて診てもらって感じたこと。
3種3様ですが、それにしても私立と公立の差は大きいですね。
ホテルで例えれば、一流ホテルとビジネスホテル位の違いがあります。
市民の為とはいえ、税金の使いたい放題という感じがするのは私だけでしょうか?
一昔前とは違って今は病院もサービス業に入るのでしょう。
「患者さんはお客様」という扱いで至る所で気を遣っているようなのですが、全員がまるで文句をつけられないようにあたふた動いている感じ。
大分前になりますが、新聞沙汰になるような事故が続いた事も影響しているのかもしれません。
もうちょっと自然に普通でいいと思うのですがね。
母が別宅のようにお世話になったカトリック系の病院の看護婦さん達には、接していて頭が下がったのですが、今回は目を丸くして観察してきました。
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April 06, 2006
「うちはお湯しか出ないから、花の水やりは冷たい水でしないと」と父が庭の水道から水を汲んで家の中に入ってきました。
新築の離れは、蛇口からお湯しか出ない???
父の言葉の意味を理解しょうと、頭の中を忙しく働かせて数秒後、水とお湯が混合になっている蛇口の調節が出来ないのだと判断。
今までも数回説明したのですが再度説明のし直し「難しいなあ・・・最近の物は分からんな・・・」
お湯の出ない家はあるかもしれないけれど、水の出ない家ってね・・・
母が「寝られないと言った」から「僕の睡眠薬を1錠飲ませておいた」と翌朝聞かされると、引っくり返りかけます。
母は不眠症で夕方から寝るまでの間に、寝つき具合を確かめながら、7種類の薬を順次飲ませていきます。
30~40分おきに微妙な匙加減をしているのに・・・
父がたまに飲んでいる睡眠導入剤は、軽い薬なので1錠増えたところで大差はないと思いつつも、一瞬ドキッとします。
この手の薬は飲み合わせがあるので。
説明する度に「知らなかったな・・・・」
父は91歳、こうゆうのを歳相応の現象と言うようです。
歳相応よりも体も心も相当しっかりしていて立派だと思いながら、日々見守っていますけれど。
この手の事は、出来るだけさり気無く対応しなければなりません。
忘れた頃に時々起こる予想外の出来事を、サラリと受け流しながら、心臓に悪いなと心の中で思っています。
母は認知症と診断されています。
よく聞く、認知症の症状がそのまま現れています。
予備知識があるので「おっ、きたか」と言う感じで、今のところ余り慌てず対処する事が出きています。
昼間は私の姿から“食事”を連想するようで、私を見ると「ご飯まだ?ご飯まだ」と聞きます。
夜は睡眠薬を飲ませてくれる人と思っているようで「薬ちょうだい。薬ちょうだい」と言われています。
勿論私が娘だとわかった上での事です。
主人は冗談好きで、昼間は「かがわ ご飯」、夜は「かがわ 薬(やく)」に名前を変えたら?とか言って笑わせてくれます。
これが結構私のストレス発散になっています。
老いの現れ方はそれぞれですね。
でも若い時の生き様が“モロ“出てくるような気がします。
心して日々を過ごさなければ、明日は我が身です。
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March 26, 2006
熟睡している母を起こして睡眠薬を飲ませていたのがまるで嘘のように、ここ数週間5種類の薬を飲んでも母が寝ません。
朝寝、昼寝、夕寝、そして睡眠薬を飲んで夜寝、入院している時以外はここ何年間かこのリズムだったのですが突然崩れました。
夜中の十二時、薬が効いて寝ているのを確認してから私は寝ます。
でも父に言わせれば、その後起きて一晩中寝なかったと言います。
心療内科の先生に相談して、薬の飲み方を変えていただきました。
夕食後に安定剤を飲んで気持ちを落ち着かせ、寝る前の9時に三種類の薬を飲み、一時間後に寝ていなければ睡眠導入剤を飲ませる。
これで完璧なはずなのですが、その後3~40分して見に行くと、これが起きているのですよ。
ちょっと朦朧とした感じで「寝られないのよ」と言われるとギョッとします。
睡眠薬遊びしているみたいで・・・
昔、主人が仕事で忙しくて眠れなかった時に処方して貰ったことがある薬です。
「あれはよく効いた。本当に熟睡できるし、目覚めもすっきりしている」と言っていました。
主治医が面白い方で、「行くところへ行くと、一粒7,000円で売買されていますよ」と言いなが処方箋書くのですよ。
主人も「一週間分で4万9千円か、悪くないですね」なんて・・・
よく耳にする薬なので、そんなに強くはないのでしょうが、母の場合は4種類飲んだ後にかぶせて、最後の決めとして使うものなのに・・・
一睡もしなかった翌日お電話をしたら、心療内科の先生が電話の向こうで絶句・・・
一晩なんだかんだと起こされた父は、ふらふら。
私は本当に次から次と難問を抱えて頭が痛い。
ただ本当に眠ていないのか判断が非常に難しいのですよ。
91歳と88歳が一緒の部屋で寝ているのですが、生活のサイクルが見事にずれているので、本当のところがよく分からないのです。
母が寝入ろうとする頃に父がごそごそ動き出す感じもあったりして。
その上に父は耳が遠く片方はほとんど聞こえないので、母の寝言というかうわ言に丁寧に返事をして起こしている節もありますし。
今回の入院以来、母は寂しがって一人で寝なくなったので、父が別室で寝るわけにもいきません。
父に母をそっとしておくように言ってみたのですが、話がよく通じない部分もあり、此の頃は91歳と88歳で適当にやってもらうより仕方が無いかと開き直っています。
毎朝母は「昨夜はぐっすり寝たわ」と満足そうな顔しているので・・・
一つ確かな事は、安定剤と睡眠薬4錠飲んでも3時間は起きています。
明日、心療内科の先生に会ってきますが、どうもよくわからん世界に首を突っ込んでいるようです。
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February 19, 2006
昼寝だけじゃなく朝寝も夕寝もして、その上夜もグッスリ眠りたい。
それは欲張りというものですよ、と言ったところで夜寝られない事が大問題の母に通用するわけもありません。
一日の2/3は寝ているか、寝ていなくてもベット上の生活。
全然体を動かしてないわけですから、心地よい疲れ等とはほど遠い状態。
それでグッスリ眠りたいというのも無理な話で、睡眠の質が落ちるというか浅くなるのは当然のように思います。
こればかりは当人が納得しなくては如何ともし難くて・・・
要するに母の不眠というのは寝られないのではなくて、寝たという満足感が持て無いのだと、側で見ていて気付きました。
こういうところに、人間の性格というのはもろ現れるのですね。
母は何事に対しても満足できないというか不満の多いタイプです。
何でもそうですが、物事は表裏一体。
良い面と悪い面を併せ持っています。
不満が多いということを裏返すと、現状よりもより良くなりたいという気持ちが強い事にもつながります。
度重なる骨折の度に生活のレベルがワンランク落ちますよ、と主治医に言われます。
それでも周りの人がビックリする程リハビリを頑張って、不死鳥のように蘇り、ほぼ元の生活のレベルに戻ることを繰り返してきました。
ワンランク落ちた状態では満足できない、元のように動けるようになりたいという思いがとても強いのです。
でも不眠症に関しては母のそういう満足できない悪い面が出ているような気がします。
もっとグッスリ寝たいという気持ちが余りにも強すぎるような・・・
なかなか全ての事に程々とはいかないものですね。
今も気持ちよさそうに寝ている母を起して、睡眠薬を飲ませてきました。
薬を飲むと、本当に安心した様子で「有難う、おやすみなさい」と言います。
母にとって薬は“安心薬”なのでしょうね。
当分笑い話の主人公を続けるようです。
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February 17, 2006
「ご主人様、薬を飲む時間です」と熟睡している主人を起こし、睡眠薬を飲ませる。というジョークを読んで“くすッ”と笑った記憶があります。
数年後に自分がその立場になるとは思いもせずに。
母は5~6年前にかなりひどい不眠症にかかり、内科、神経科、精神化とかかりましたが薬が合わず、顔の表情がなくなってしまう程の状態になりました。
幸い出会った心療内科の先生がとてもよい先生で、合う薬を見つけてくださり寝られるようになりました。
でも以来寝られない事に対する恐怖心は異様な物があります。
それなのに骨折で入院する度に、心療内科の主治医からの紹介状を持っていって同じ薬を飲ませてもらうように頼むのですが、お医者様にはそれぞれ自分の流儀があるようで必ず薬を変えられてしまいます。
その度に不眠の恐怖が蘇るようです。
去年の年末から一緒に住むようになって、余り早く飲むと明け方起きてしまうという母の希望で、夜9時に睡眠薬を3種類飲ませます。
でも夕食が終わって8時過ぎになるとグッスリ寝入っています。
「お母さんお薬のみましょう」と声を掛けると、パッと目を開ける時は、熟睡しているように見えても眠りが浅いのかもしれないと、納得して飲ませますが、呼んでも起きない時は本当に迷いますね。
殆ど毎日、「このまま寝かせておくべきか、起すべきか」ハムレットの心境です。
往診に来て下さっている内科の先生に相談したら「飴でも砕いて飲ませてみましょうか」と言って笑っておられましたが、結局そのまま続行ということになりました。
寝ている人を起して睡眠薬を飲ませる、本当に笑い話ですよね。
でも夜中に目が覚めて、周りが薄暗かった時の母の恐怖を思うと、起して薬を飲ませることを止めることができません。
笑い話にあった位ですから、こういうことをしている人結構いるのでしょうねと思いながら・・・
昼も夜も、グーグー鼾をかきながら寝ているのに「寝られない。寝られない」と訴える母を見ていて感じたことがあります。 次へ
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February 04, 2006
次々と起こる緊急事態の中で、天然自然体に周りからはみえるようです。
両親と暮らす事になった時、介護は大変だとあちこちから聞きました。
それにしても、去年の十月からわけのわからない生活で一体どうなっているのだろうと首を傾げつつも、何処かで何の根拠もなく、私なんかはいい方なのだろうな~勝手に思っていました。
ケアマネさん、ヘルパーさん、内科のお医者さん、24時間体制の訪問看護士さんと良い方達に恵まれて幸せな方なのだろうな~と。
先日父も要支援の認定が下り、両親の今後の介護についてケアマネさんと突っ込んだ話を交わしました。
母は今現在、介護5段階の中の丁度真ん中、介護3です。
ケアマネさん曰く母の状態が落ち着き次第、介護度の見直しを申請する用意をしていますが、たぶん介護5になる状態だと思いますと言われました。
介護5???一番重度の?それ以上、上が無い?
その時、自分の置かれている状態が始めて分かりましたね。
そうとう、とろい!
なんか、大変なのか、大変でないのか、それすらよく分からなかったのですが、やっぱり大変だったみたいです。
ヘルパーさんが真顔で「よく頑張っておられますよ。だから私達も応援しているのです」と言われた時は「ウッ」と詰まりましたね。
本当に皆さんに助けて頂いています。
「きゃー、どうしよう」って言ったら「さっ」と手を差し伸べて下さる感じで。
退院して10日目、お腹の風邪で体力を消耗したようで昨日から熱を出していて、今日は又又再入院するかどうかの騒ぎでした。
女医さんがお昼休みに往診に見え「病院を行ったり来たりするだけでも、お体に堪えますから、もう少し様子を見ましょう」という事になりました。
その後「香川さんにすごい親近感があるんですよ。天然のところが私と似ているような気がして。アラ失礼だったかしら」と言われて皆で大笑い。
この年になるまで天然って言われたことなのですが・・・
でも思い当たる節は確かにあります。
かなり危機的状態の中にいるようなのですが(余り自覚が無い)フワッと天然自然の精神状態を保っています。
それは神の存在を信じているので、母にとって一番良いようになると信じられるからです。
今を、そしてこれから起こることを、ありのまま自然に受け入れようとしている姿が、天然に見えるのかもしれません。
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